冷えた風に吹かれ髪が舞う
月を背負うその姿を美しいと思った

「三成」

伸ばした手に触れる肌は驚く程に冷たい

「…三成」

鋭い眼差しに未だ許されることは無いと知る

「……」

それでも振り払われない手が、どうしようもなく苦しい
戦場でのように殺意を、敵意を剥き出しにしてくれたなら、全ては手遅れだと分かり合えないのだと思えたのに

「…三成」

冷たい体を抱き寄せれば抵抗も無く腕に収まる
記憶に残る頃よりも随分と細くなった体に三成の苦しみを見た
枯れ枝のような指はだらりと力無く開かれ、こんな手で刀を握っていたのかと思う程に細く頼りない

「…ワシには返事もしたくないか」

月の光を返して輝く銀糸の髪に口付ける
クセの無い髪はさらさらと手から溢れ落ちていく
名残惜しいと思いながらそれを見つめた

何ものにも染まらない白は三成そのものだ
溶けることのない雪のように、穢れを知らない

「…お前は、本当に美しいな」

眩しい程の白い肌に触れれば生きているのか分からなくなる程に冷たい
人形のように言葉を発することも無く、なすがままになっている三成を見ていると本当に人形になってしまったんじゃないかとさえ思う

「三成」

視線を合わせ名前を呼ぶ
一切の反応を返さない三成をただじっと見つめた
何の感情も伺えない硝子玉のような透明な瞳
金緑色の鋭い輝き
強くて儚い色をしている
見る度に吸い込まれそうだと思う

孤独に雪原に立ち尽くしているような気分になる
一人きりで、誰も居ない場所で、助けを求めることもせずに、ただ前だけを見据えている
それはきっと三成の見ている景色だ

孤高で清廉な世界
とても辛く厳しい世界
だが、その銀世界は美しい
月の光に照らされて、青い影の落ちる静寂の支配する場所だ

昔から、それが悲しくて愛しかった

その景色は豊臣秀吉に心酔してからも、刑部に出会ってからも変わらなかった
心から慕う主も、心を許せる友も、三成の世界を変えることは出来なかったのだな、と思った

「…逃げてしまおうか」

ぽつりと零れた自分の声は思ったよりも大きく部屋に響いた
嫌だと言われても手を引いて、誰も知らない場所に行ってしまいたかった
誰からも責められず、許し合えたならいいと思った

「みんな投げ出して、二人で逃げてしまおう。誰も知っている者の居ない場所で暮らそう。許してくれなくていい、殺そうとしたっていい、一緒に…」

溢れた言葉は冷たい唇に塞がれた
肯定も否定も無く、唇が触れ合う
伏せられた瞼も、長いまつ毛も昔のままで苦しくなった
強く三成を抱き締めると肌越しに感じる骨の感触に、本当に随分と痩せてしまったと思い力を弛めた
自分の思うままに抱き締めれば、骨の一本や二本は簡単に折れてしまいそうだった

「…三成」

三成の唇が首筋に触れる
このまま咬み殺されてもいいと思った
そうする権利が三成には確かにある
だが三成の唇はついばむように触れるだけだった

国のことを第一に考えられない自分がいることに今更ながら驚く
幼い頃より夢見た天下
それを放り出して逃げよう等と口走るとは
この国を平和にする為に、今まで戦ってきたというのに

「…三成」

冷たい頬に手を添えて唇を重ねる
触れるだけの、長い長い口付け
このまま時が止まればいいと願った

「好きだ」

ゆっくりと唇を離し、何度も口にした言葉を発する

久しぶりに口にしたそれは余りにも陳腐だった
こんな言葉でしか表せない自分は矮小な存在だと思った
だがそれ以外に伝えるすべを持っていない
惨めさで涙が出そうだった

「…好きだ」

眉をしかめて、それでも三成を見つめた
三成がまた唇に触れる
悲しくて、苦しい口付けだった

「三成」

僅かに力を込めれば、容易く倒れた体に覆い被さる

「…刑部は、死んだのか?」

うっすらと開かれた口から久しぶりに出た声に喜びを覚えたが、その言葉に口ごもる
真っ直ぐに向けられた眼差しが胸に刺さる
一つ瞬きをして強く頷く

「…ああ」

静かに閉じられた瞼
音も無く零れた一雫の涙

「…そうか」

一体幾度傷付けるのだろうと自嘲する
三成が持つものがどれだけ少ないか知っているというのに、どれ程に奪えばいいのだろう

「三成、ワシは…」

「聞きたくない」

開かれた瞳に映る自分の顔は情けなく眉が下がっている
まるで泣き出しそうな子供だ

「…もう、終わったことだ」
苦し気な声が重く重くのし掛かる

敵だから殺した
それだけが事実だ
言い訳なんて何も無い
自分が何を言おうとしたのかも分からなかった

「家康、泣くな」

「…泣いたのはお前じゃないか」

困ったように笑えば細い腕が首筋に絡み付く

「…これからの話だ」

耳元に優しい声が響く

「これから先、何があっても涙を見せるな。それが許されるのは歓喜した時のみだ」

ゆっくりと頭を撫でる手はぎこちない

「…貴様は笑っていろ」

まるで母のようだ
精一杯の優しさに包まれ、何もかも許された気分になる

「貴様の笑みは温かい。沢山の者の力になる。だから、笑っていろ」

冷たい体に抱き締められているのに心はとても温かい
他の誰でも無い、三成からの言葉

「…ああ、誓うよ」

その言葉が本心だと分かるから、余計に嬉しいのだ
三成の力にはなれなかったかもしれないが、三成がそう言ってくれるだけで十分だった

「…私は貴様を許すことは出来ない。だが、嫌いではなかった。秀吉様を殺され心の底から憎悪したが、分かり合えたと思っていた日々もあった」

静かな声
今まで知り得なかった想い
三成の肩に顔を埋め、黙って話を聞いた

「貴様だから、こんなにも憎んだのかもしれない。…信じていたからこそ、許せなかった」

思い出すように、懐かしむように話す声は穏やかだ
豊臣が天下を取り、流れていった日常の中にいた穏やかな三成だった
歌を詠むことや景色を見ることを好んでいた三成だった

「…私は貴様を好いていた」

何度も体を重ね、しかし自分しか口にしなかった言葉

「愛して、いた」

過去のことでもいい
改めて言葉にしてくれたということがどうしようもなく胸を締め付けた

「家康…」

三成の腕に力がこもる

「…好きだ、三成」

きつく抱き締め返した
ただ黙って、三成を感じた






よく晴れた川原に人が集まってくる
この寒い中よく集まるものだとぼんやりと思っていた

白装束に身を包んだ三成はまるで嫁入りのようだ
真っ直ぐに前を向き、躊躇いなく歩みを進める

「罪人、石田三成。前へなおれ」

弁明も反論もなく、言葉を聞く姿はどこまでも気高く見えた

歯を食い縛り、部下の言葉を聞いていた

三成の犯した罪とは一体何なのだろう
東軍が負けていれば、自分が罪人だったであろう筈なのに

「首を前に」

一度だけ顔を上げた三成と視線が絡む

「…っ」

固く拳を握り締め、笑って見せた

泣き叫んで、止めてくれと懇願したい

何度も部下たちにそう言った
だが相手は西軍の総大将だ
自分がどんなに主張しても、それが許されることはなかった
せめてもの情けなのか、牢に入れることだけはなくして貰えたが、何の気休めにもならなかった

「…」

溢れそうな涙を堪えて、精一杯笑みを作る
上手く笑えているかは分からなかった

三成が口角を上げた
優しげな笑みの形を作る

静かに一度だけ瞬きをして、遠くの群衆を見回す後ろ姿は堂々としたものだった




悲鳴

歓声

ざわめく人々の姿


紅葉が舞い落ちた雪のようだと思った

目を閉じた顔は美しかった




蒼天の空を仰ぎ、高く拳を掲げる



「みんな、戦は終わった!」



沸き上がる歓声を遠くに聞いた

笑い合う群衆を見ながら、自分の無力さを嘆いた
三成の首が晒されるのを止めることすら出来ない
まるで道化だ
担ぎ上げられ、崇められ、自分の意見は通らない
皆の望むままにしか動けない

どれだけ三成から奪っただろう
主も、友も、その命さえも
確かに自分の意思で始めたことの筈なのに、最早それは自分の手を離れてしまった
こんな終わりは望んでいなかったのに、どうしようも出来なかった



「全ては終わった!これから、平和な世を築いていこう!」



満足気に笑い合う部下たち
嬉しそうな群衆



出来ることなら、分かり合いたかった
もう一度、笑い合いたかった
逃げ出して、しまいたかった

笑った

必死に、笑顔を作ることしか出来なかった







筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり






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