「お墓の歴史・鎌倉〜室町時代」 石造五輪塔は平安後期から造られ、数ある墓塔形式の中でも最も親しまれ主流となった。塔は方形の地輪、遠景の水輪、三角形の火輪、半円形の風輪、団形の空輪から成る。一般の塔婆と比較すると、地輪は基礎、水輪は塔身、火輪は笠、風輪は請花、空輪は宝珠に相当する。基礎は背の低いものほど古く、鎌倉以降では高くなる傾向にある。塔身は背が低く、やや角ばった球形のものが古く、鎌倉中期以降のものは下半身がすぼまった壷型をしている。笠も背が低いものほど古く、鎌倉期のものは軒が厚く、軒反りを見せ、軒口を垂直に切る。時代が新しくなるとともに背が高くなり、軒は薄く、軒反りも上端だけを反らし、軒口は斜めに切る。請花・宝珠は一石で造り、重心が低いものほど古く、重心が高く側面に垂直面のあるものは新しい。
■ 五輪塔
石造五輪塔は平安後期から造られている。数ある墓塔形式の中でも最も親しまれている墓塔であり、供養塔といえば五輪塔と言われるほど主流となっている。五輪塔は方形の地輪、遠景の水輪、三角形の火輪、半円形の風輪、団形の空輪から成る。一般の塔婆と比較すると、地輪は基礎、水輪は塔身、火輪は笠、風輪は請花、空輪は宝珠に相当する。基礎は背の低いものほど古く、鎌倉以降では高くなる傾向にある。塔身は背が低く、やや角ばった球形のものが古く、鎌倉中期以降のものは下半身がすぼまった壷型をしている。笠も背が低いものほど古い。鎌倉期のものは軒が厚く、軒反りを見せ、軒口を垂直に切る。時代が新しくなると背が高くなり、軒は薄く、軒反りも上端だけを反らし、軒口は斜めに切る。請花・宝珠は一石で造り、重心が低いものほど古く、重心が高く側面に垂直面のあるものは新しい。(図解参照)
五輪塔各部の名称 京都 常寂光寺五輪塔
図11-1 五輪塔各部の名称 図11−2 五輪塔 京都 常寂光寺
 
 ■ 五輪塔は真言宗開祖「空海」によって考え出された墓塔とされている。
 
空海は、この宇宙は六つの構成要素から成り立つとした。これを「六大体大」と呼ぶ。「六大」とは「地・水・火・風・空・識」の六つの存在要素を指し、このうち「地・水・火・風・空」の五つを「五大」といい、物質的な存在を表す。。

  「地」は大地であると同時に、固体を表す。
  「水」は流れたり、移動したり、下降するもの、つまり水や液体を表す。
  「火」は燃え上がり、上昇するものであり、
  「風」は動く気体を表す。そして、
  「空」は空間を表している。
 
この「五大」に、精神的な存在である「識」が加わって「六大」となる。「識」とは認識作用のことで、宇宙は物質だけでなく、そこに認識作用が加わってはじめて存在するとされる。空海は「識」のことを「智」とも「覚」とも「心」とも言っているが、つまりは我々の精神活動を言っている。また、全ての物質の形は宝珠・半円・三角・丸(玉)・四角の五つの相で成り立つとし、これらを組み合わせることによって五輪塔の形を作り上げた。

また、人間も小宇宙であり、五大要素によって構成されているとし、

   地輪(方形)=体
   水輪(円形)=血液
   火輪(三角形)=体温
   風輪(半円形)=呼吸
   空輪(宝珠形)=これらがうまく融合した状態のことであると説いている。
 
五大は人間の五体、つまり人を表し、大自然そのものを表している。墓塔の五輪塔は、この宇宙観から生まれた。墓石に「五大」の「地・水・火・風・空」を表し、宇宙=人間を表現する。ここに「識」が加わってはじめて宇宙=人間が成り立つのである。つまり、召還=お性根入れ=開眼法要を行うことによって、「六大」が完成するわけである。新しく墓石を建立したとき開眼法要を行うのは、墓石に心=魂を入れることに外ならない。そうしてみると、墓石には「魂」、「心」が宿っている訳であるから、決して粗末には扱えない。また魂があるからこそ、そこに「相」を見ることもできる。正しい「相」を見ようとすれば、純粋無垢な白色系統の石材が好まれるのは当然の事と言えよう。また、「相」が現れなくなるということは、墓としての「力」が弱まってきたことを示す。
つまり、墓は生きているということである
 
五輪塔は、それまでの宝塔・多層塔・宝篋印塔等と比べると、形が簡潔であると共に五輪塔の意味するものが真言密教に限らず他の宗派にも理解され、鎌倉末期以降には僧侶や武士の間で多く用いられてきた。例えば、高野山には巨大な五輪塔が数え切れない程建立されている。初期の五輪塔には、梵字の『キャ・カ・ラ・バ・ア』と彫られているが、後期になると『南無阿弥陀』、或いは『南無妙法蓮華経』という漢字が彫られている。
 
近代では、五輪塔は宝篋印塔と共に合祀供養塔として使われることが多くなった。従って本来は五輪塔も四方正面となる。宝篋印塔の四方に四仏を顕すのと同様に、四面にそれぞれ性格がある。

   東を
発心門といい、五輪の梵字は『キャ・カ・ラ・バ・ア』
   南は
修行門といい、『キャー・カー・ラー・バー・アー』
   西は
菩提門といい、『キャン・カン・ラン・バン・アン』
   北を
涅槃門といい、『キャク・カク・ラク・バク・アク』

しかし、今日のように
先祖の供養塔として用いる場合は一方正面とし、正面からだけ拝むようにするのが自然となっている。正面には梵字『キャ・カ・ラ・バ・ア』を入れるが、宗旨によっては『南無阿弥陀仏』、『南無妙法蓮華経』、『空風火水地』等と入れる。
 
■ やぐら
 
この頃、鎌倉では「やぐら」が見られる。鎌倉時代の鎌倉武士・僧侶の埋葬法は「平地埋葬」と「やぐら」があり、寺院等での「平地埋葬」では五輪の卒塔婆を立て、周囲に土居を巡らして墓域であることを示す方法と、三方を取り囲む丘陵地に無数の岩穴を開き、火葬された遺骨をその中に納め供養の印として小型の五輪塔を納める「やぐら」の方法があった。また、岩壁には金箔を使った極楽浄土の絵が描かれたものもあり、「百八やぐら群」・「瑞泉寺裏山やぐら群」等が残っている。しかし鎌倉幕府が滅び、武士たちが鎌倉を離れると「やぐら」は急速に減っていく。他にも茨城県加波山神社社殿裏の松林からも同様の小型五輪塔が数十基発掘されているが、それぞれの五輪塔が一人一人の墓、供養塔ではなく、一族、地域の人々の供養のために奉塔したものであろうと考えられている。
 
宝篋印塔は、美しさと厳しさを兼ね備えた隙のない墓だと言ったが、五輪塔は、穏やかで気品と落ち着き・安心感のある墓塔だと言えよう。
 【著名人の五輪塔】
 
作家で99才まで創作活動をした「野上弥生子の墓」は、鎌倉市東慶寺にある。『真知子』『迷路』『秀吉と利休』等が知られる。。
 
『雨ニモ負ケズ‥‥』の詩で知られる「宮沢賢治の墓」は、岩手県花巻市身照寺にある。生涯独身を通した賢治は、親に反抗し法華に改宗した。墓は弟清六によって建立されている。
 
浄土宗の開祖法然上人の墓は京都市右京区二尊院にある。廟型式のため中を見ることは出来ないが、高野山にある墓は五輪塔で建てられている。法然は岡山県久米郡久米南町稲岡庄で生まれた。生家跡には二十五菩薩練供養で知られる誕生寺が建つ。
 
浄土真宗の開祖「親鸞聖人の墓」は多数あるが、京都市東山祟泰院には五輪塔が、また高野山にある墓は宝篋印塔で建てられている。8歳で両親と死別し、9歳で出家した親鸞は悪人正機を唱え、大衆に支持された思想家・宗教家であった。
 
この他にも徳島市興源寺には蜂須賀正勝、大田区洗足池には勝海舟、東京都豊島区本妙寺には遠山金四郎、京都市豊国廟豊臣秀吉、また中村雁治郎長谷川一夫鶴田浩二など多くの人々の墓塔として用いられている。
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