「お墓の歴史・鎌倉〜室町時代」 宝篋印塔は、基盤・基礎・塔身・屋蓋(おくがい)の全てが方形をしている。笠の四隅には馬の耳の形をした装飾突起(隅飾突起)を造り、上部に六段の段形、軒裏には二段の造り出しを持つ。基礎の上にも二段を造るのが一般的で、基礎の側面には格狭間を入れたものが多く見られる。また、基礎の下部に返花座(礎盤)を敷いたものもある。塔身は素面、または四方に像容・種子を配し、種子は金剛界四仏を刻むのが一般的である。種子は月輪いっぱいに力強く薬研彫りしたものほど古い。笠の頂上には相輪が立つ。
■ 宝篋印塔
宝篋印塔各部の名称
図10-1 宝篋印塔各部の名称
「宝篋印塔」は、中国の呉越王銭弘俶(せんこうしゅく)がインド阿育王の造塔の故事にちなみ、自らの造った84,000基の金銅塔が原形と考えられている。日本へは平安末期に肥後の僧侶がこれを伝えた。元々は、塔身部に「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」の心呪を書写して、一切の災難から免れることを願ったことが名の由来とされている。このお経を誦うれば、あの世で苦しんでいる先祖を極楽に導く事ができる上、この世で苦しんでいる人々、貧しい人々を救う事ができる、と説かれている。京都を中心とした基礎が低く安定感のある「関西形式」と、鎌倉を中心とした基礎が高く細長い「関東形式」の二種類に分けられる。いずれも古い年代のものほど笠部の四隅にある隅飾突起が直立し、年代が下るほど反り返った形になっている。

宝篋印塔は、基盤・基礎・塔身・屋蓋(おくがい)の全てが方形をしている。笠の四隅には馬の耳の形をした装飾突起(隅飾突起)を造り、上部に六段の段形、軒裏には二段の造り出しを持つ。基礎の上にも二段を造るのが一般的で、基礎の側面には格狭間を入れたものが多く見られる。また、基礎の下部に返花座(礎盤)を敷いたものもある。塔身は素面、または四方に像容・種子を配し、種子は金剛界四仏を刻むのが一般的である。種子は月輪いっぱいに力強く薬研彫りしたものほど古い。笠の頂上には相輪が立つ。
 
隅飾突起の変遷
図10-2 隅飾り突起の変遷
 
この塔の特徴の一つに四方梵字があげられる。

四方梵字とは、塔身の四面に梵字を刻むことで、この梵字はそれぞれに仏を表現している。

   
ウーン  (阿シュク如来=東)

   
タラーク (宝生如来=南)

   
キリーク (阿弥陀如来=西)

   
ア ク  (不空成就如来=北)

塔は、それぞれの梵字が東南西北を向くように据え付けなければならない。

この四つの仏に
大日如来を加えて金剛界五仏と言う。大日如来は中央に座するものであるので、塔自身が大日如来を現すとし、併せて五智を形成する。

五智とは大日如来の智慧とされている。

  (1)法界体性智=真理の本性を明らかにする智
  (2)大円鏡智  =鏡のように万象を顕現させる智
  (3)平等性智  =一切の事象が平等であると観える智
  (4)妙観察智  =一切事象に差別があることを正当に観察できる智
  (5)成所作智  =自己及び他人のために成すべきことを成功させる智

四方梵字という事は、この塔は
四方正面という事になる。四方が全て正面となるので、ぐるりと周囲を廻りながら拝まなければならない。そこで墓塔の前後左右を人が通れるくらいに開けてあるのが一般的である。

また右回りに三度廻るのであるが、これは古代インドの風習として、貴人に尊敬の意を表すときには右脇を貴人に向けてその周囲を三回廻る、という故事にならったもので、
右遶三匝(うにょうさんそう)という。この塔の原型はインドにあるということがよく顕わされている。(仏像を見て廻る時はこのように時計の針のような廻り方をするが、葬儀の時は不吉だと言うことで逆に左へ廻る。)

今日では、宝篋印塔は個人の墓として使われることは殆どないが、会社墓とか10代以上の先祖がある場合に、供養塔として使われることが多い。また、墓に強い力がある場合には、入る側にもそれなりのものが必要となる。墓や供養塔を建てるにも、調和とバランスが大切だということを知っていただきたい。
 
【著名人の宝篋印塔】
 ■ 宝篋印塔は、戦国時代の武士の墓としてよく使われている
 
美濃大垣において、五百の兵で一万の斉藤竜興軍勢を破った「浅井長政の墓」は滋賀県長浜市徳勝寺に、

巴御前との恋で知られる
「木會義仲の墓」は大津市義仲寺に、

四国全土を治めた
「長宗我部元親の墓」は高知市長浜天甫寺山に、

家康を支え、忍者として知らない人はいないであろう
「服部半蔵の墓」は新宿区西念寺に、

忠臣蔵で名高い
「吉良上野介の墓」は細長いスタイルで中野区万昌院に、

室町幕府を築いた
「足利尊氏の墓」は、京都市北区等持院にそれぞれ祀られている。
 
 ■ 近世では、名古屋北山墓地にある豊田家の墓地に宝篋印塔を見る事が出来る
 
初代佐吉は大工、伊吉の長男として生まれるが、世間からは発明狂と呼ばれ、遂には豊田式自動織機を完成させ、弟佐助の経営により今日の基礎を築いた。墓地は一族で分割し、豊田本家は先祖を宝篋印塔で祀っている。父母以降の墓は、夫婦を一つの墓で(夫婦墓)戒名を刻み、寸法、形を同一にしている。先祖を敬い、統制のとれた一族の姿がそこにある。

宝篋印塔は、美しさと厳しさを兼ね備えた隙のない墓塔である。
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