戒名
戒名の興り
仏教が発生したインドでは、仏門に出家した人は元の姓を捨て釈尊の弟子・求道者を意味する釈子沙門を名乗ったといわれる。シルクロードの開通が進むと紀元一世紀頃には中国に仏教が伝わり、道教・儒教と融合しながら中国仏教が誕生した。中国仏教では出家者はそれまでの俗名を改め「戒名」を使用するようになり、宗派によって「法号」とも呼ばれるようになった。中国仏教はその後朝鮮半島に渡り、高句麗に372年、百済に384年、新羅には536年に伝わり、やがて百済を介して日本に伝わった。538年、百済の聖明王(聖王)が釈迦如来像一体と仏殿の飾り・経巻を我が国にもたらしたのである。
 
日本で最初に戒名を授けられたのは、仏教の鎮護国家思想に基づいて国分寺の建立や大仏造立に力を注いだ聖武天皇だ。律宗の宗祖「鑑真」は東大寺大仏殿前に戒壇を設け、我が国初の十師による授戒を行った。このとき聖武天皇、光明皇太后、孝謙天皇などに授戒し、聖武天皇は「勝満」の戒名を授けられた。
 
一般的に戒名というのは死者に付けられる名前と思われているが、本来は出家した僧・仏教に帰依した人に与えられる名前の事をいう。道元禅師は「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じぅし已る。真に是れ諸仏の子なり」と言われている。つまり釈尊の諭した戒法を受ければ、誰でも諸仏の仲間入りが出来、仏の弟子となる事が出来るといわれている。このように出家していない在家の者・檀信徒にも在家得度式や授戒会に参加して戒名を授かる事も出来る。これを逆修戒名(生前戒)と呼ぶ。旧くは鎌倉・戦国時代の武士達の間では生前戒が主流であった。
 
戦国武将達はいつ戦場で命を断つかもしれないとの思いから、俗名を捨て戒名を名乗ってきた。逆修は死後のものよりも生前に授かったほうが何倍も功徳があり、危機を乗り越え寿命を延ばすものと信じられていたのである。例えば、甲斐の雄「武田信玄」は名を晴信といい、「法性院信玄」の戒名を授かった。法性院は院号、信玄が戒名である。
 
今日のように、死後に戒名をつけることが一般化したのは江戸時代以降のことである。「お墓の歴史」の中でも述べたが、江戸幕府による檀家制度が確立すると、人々は必ずいずれかの寺院に属さなければならなかった。1735年頃に出された宗門檀那請合之掟には先祖供養の励行が義務付けられ、その中には『檀那寺の僧侶は死者の死相を見届けて邪宗でないことを請合って後に戒名を与え引導を渡すこと』と定められている。また、信長の時代から台頭してきた堺の商人達は財力に物を言わせ寺院に多額の布施を贈り、院号・居士号をつけてもらい大きな墓の建立を始めた。これを知った11代将軍徳川家斉は、寺社奉行松平信順、堀親王らに命じて百姓・町人の院号、居士号使用の禁止と、墓は台石を含めて高さ4尺を超えてはならないとする布令を出した。これが天保2年(1831)4月の「墓石制限令」だ。
◆有名人の戒名
武田信玄 法性院機山信玄
上杉謙信 不識院殿真光謙信
織田信長 総見院泰巌安公
豊臣秀吉 国泰裕松院霊山俊龍
徳川家康 安国院徳蓮社崇誉道和
浅野長矩 冷光院吹毛玄利大居士
大石良雄 忠誠院刃空浄劔居士
真田幸村 大光院殿日道光白居士
加藤清正 浄池院殿永運日乗大居士
山本五十六 大義院殿誠忠長陵大居士
吉田茂 叡光院殿徹譽明徳素涯大居士
犬養毅 台光院殿沈毅木堂大居士
池田隼人 大智院殿毅誉俊道勇人大居士
佐藤栄作 作願院釈和栄
周山院殿作徳繁栄大居士
小佐野賢治 大乗院殿興栄経国宗賢日治大居士
芥川龍之介 懿文院龍之介日崇居士
川端康成 文鏡院殿弧山康成大居士
三島由紀夫 彰武院文艦公威居士
三遊亭小円遊 欣笑院円覚尚道居士
越路吹雪 乗法院越路妙華大姉
美空ひばり 茲唱院美空日和清大姉
江利チエミ 天晴院詠誉才智恵美大姉
坂本九 天真院九心玄聲居士
石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士
太田(吉良)仁吉 釈馨香
清水次郎長 碩量軒雄山義海居士
九重雅信(千代の山) 国技院釈譽千代居士
双葉山 霊山院殿法日定大居士
力道山 大光院力道日源居士

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