道教・儒教と墓相学
 今から凡そ四千年前、世界四大文明の一つ黄河文明に於いて、古代母系氏族社会から自然発生した原始宗教がある。後の人々はそれを「道教」と呼ぶ。その起源は伝説上の大王「伏義」「神農」に始まり、「黄帝」を経て「老子」によって集大成された。更に「楊朱」「魏牟」「列子」「荘子」と広められ、陰陽道・神仙道等が分派として興った。後に日本にも大きな影響を与える天文・占術・方術・医学・風水・易学等はここから変化したものだ。
 
 黄帝は『陰と陽の原理は全宇宙の基盤であり、万物創世の基盤である』と述べている。陰・陽の思想は中国の『易経』に由来し、道教の原理である。陰・陽を身近なもので考えると、天空に輝く月は陰であり、その対極する陽は太陽である。人間で例えると陰は女性、陽は男性である。
 
老子イメージ  黄帝と共に道教の始祖とされている老子は、楚の国で生まれたと伝えられる。楚国はシャーマニズムが盛んな地域であった。このことから老子も有能なシャーマンであったのではないかという説もある。老子は道(タオ)を説く。そもそも道教という名称は「道を以って教を為す」ところに所以し、道教の道とは一言でいうと「宇宙の原理」をいう。宇宙=万物の自然には「気」という一種のエネルギーが流れている。勿論人間も同様で、道とはその気の流れを司る法則のことをいう。宇宙も太陽も人も或いは植物も全て気が元であり、その形・器が違うだけで、その本質は皆同じだという思想である。
 
 また、老子はそこから万物が生まれ出る母胎=「道」だとも言い、宇宙=大自然こそが人間の母胎であると説いている。老子の書の中には母という言葉がよく用いられ、「道」を「玄牝之門」(女陰)や「谷神」(性神)とも称している。これなどは古代原始宗教に見られる女性崇拝の名残であると考えられる。また、我々の周りに見られる漢字には女ヘンの文字がたくさんある。それに比べ、男ヘンの文字は僅か数えられる程しかない。これなども女性中心・女性崇拝の名残りではないだろうか。老子は母なる母胎から生み出た赤児のように、素直な在るがままの形「無為自然」を主張した。この考えは後の漢王朝「劉邦」の政治哲学となっている。
 
 道教の始祖とされている「黄帝」の時代には北極星を天帝とみなし、北斗七星の動き、太陽・月の運行を観察することによって既に暦が制定されていた。今日、暦の中で使われている二十八宿は月の運行を毎日観測し、約28日かけて空を移動する毎日の月の位置を示したものである。暦の制定は農業中心の国にとって大変重要なものであった。人々の天・神・人・鬼の観念は、天・神・人三位一体の観念に繋がり、後の天人合一説、陰陽五行説、三才四象八卦説へと発展していく。

夏王朝では、中国社会は父権家長制の階級社会へと移行した。シャーマニズムを根底に持ち、先祖祭祀を重視する『儒家思想』がこの頃に興り、殷・周の時代へと変っていく中で宗法礼教が確立された。儒家とは元来シャーマン=呪術師のことで、主に祭礼や葬礼に携わっていた。
 
 春秋戦国時代に「孔子」が現れ、オカルト的な要素を取り除いた『君子儒』を完成させた。孔子の母親もまたシャーマンであり、孔子の子供時代は、祭礼や葬礼の真似事をして遊んでいたとも伝えられている。この頃より周にかけて、巫(ふ)は国家の補佐的な役割を担い、国の中で重要な地位を占めていた。また、四民(士・農・工・商)がはっきりと区分され、それぞれが社会的な認識を持つようになった。知識階級が増えてくると原始宗教の伝統や巫史文化は衰退し、それに替わって諸子百家が出現した。巫史文化の中から道家・墨家・陰陽家・天文・歴法・五行・占術・医家・経家・房中家・神仙家などが分化し、様々な学派が融合する中で黄老の学が生まれ、神仙家は方術家・陰陽家などと合流し方仙道を生んだ。
 
 秦の時代は「始皇帝」による思想弾圧があった。思想書が焼かれたり(焚書坑儒)、儒者を生き埋めにして殺すなどの非業な行為が行われた。

 漢の時代は儒家・道家が共に息を吹き返した。漢代の皇帝は家長制の独裁政権を強化するため、国民を宗教によって教化しようと考えた。そのため周代の伝統だった宗法礼教を復興することに力を注いだ。また儒者「董仲舒」は、黄帝信仰・道家思想・陰陽五行説を儒教に取り込み、第七代皇帝「武帝」は儒教を国教と定め、孔子を神として奉じ廟を建てて祀った。「董仲舒」は『三綱五常』(君為臣綱・父為子綱・夫為妻綱)を唱え、「武帝」はそれを神聖化した。三綱五常とは、『君主・父・夫は絶対的な統治権力者であり、臣下・子・妻はそれに服従しなければならない、これが天の意思だ』と規定されたものである。
 
 
 唐代は玄奘三蔵に見られるように、仏教が最も発展した時代である。儒家・道家・陰陽五行を上手く取り込み、中国式に国民の中に浸透した。また、道教も仏教を手本として正式に「道教」となり、中国の国教となった。しかし明朝では宗教は疎外され、儒教と皇帝との対立が起こり、孔子の王号は剥奪されてしまった。清朝が崩壊すると儒教は国家の正当な宗教としての地位さえも失った。
 
 道教の中で発展した陰陽五行説は、いわば自然科学知識といえる。天文・暦・呪術などと共に日本にもたらした功績は大きく、平安時代に朝廷に置かれた陰陽寮に組み込まれ、日本独自の陰陽道として発展した。また修験道・神道とも習合し、宗教・思想としてではなく、呪術・密法として影響を与えた。
 
 儒教では人は死後魂と魄(はく)とに分かれ、魂は天に昇り陽に従い、魄は地に降り陰に従うとされた。天に昇った魂は位牌で祀られ、地に下りた魄=遺体は土に埋めて土葬とする。それによって死者は死後も生前と同じように生活すると考えられていた。
 一方、道教では己の身と口と心にある三業を制約することを第一とした。それには徳を積んで罪を消滅し、節食して天より預かった身を健康に永らえ、己の精神を鍛え清める事が大切だと教えている。また、三綱五常の思想は主臣・父子・夫妻の順を理とするものであり、先祖・親・子の順、墓・家・人の順を理とする墓相の考え方に通じる。
 
 絶対君主、封建制の中には受け入れ難い思想もあるが、しかし全てが悪いとも言えない。教育・マスメディアの中で堂々とその思想を否定している姿は、まるで解放されてそれまでの鬱憤を晴らすが如くの様にも見える。良い部分、受け継がなければならない事は数多くある。それを見極める「目」もまた必要だ。老子の言う「無為自然」に戻って、日本民族の生まれた古代原始の時代の人々の心、精神を思い浮かべる事も大切であろうと考える。
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