「ない」との対話

江尻潔

 

 「虚」のはたらきとはいかなるものか。私たちの体は養分を摂取し同化しょうとする冥想的なはたらきと外部から侵入したウィルスなどを排除する免疫のはたらき、この両者のバランスによって個体を維持している。この異質なはたらきのバランスを取り持つ仲介役が他ならぬ「虚」であった。このことは前稿『「ない」の受肉』で言及したオバナの命題[瞑想と免疫の連立方程式の解は虚]によって簡潔に表現されている。「虚」は「未だ然らず」であり正にも負にも向かうことができる。「虚」のはたらきは異なる界と界をつなぐ仲立ちなのである。「虚」の概念は広くもっとも身近なものとしては私たちの意識があげられる。ある行為をなすなさないは意識次第であり、相反する事柄が同時に存在する「未だ然らず」の状態である。このような状態にあるものを「虚」という概念で括るのである。自然に潜むさまざまなはたらきも「虚」の状態である。自然の諸力は時として人に危害を与え、かつまた恩恵をもたらしもする。いずれにせよ「虚」は「無」ではなく、「実」を内在しつつも顕在化していない「未」の状態であるといえる。

 「未」であるがゆえに「虚」は界と界を繋ぐはたらきをおびる。オバナはこのはたらきを明示するために「おまたせしました」という表現を繰り広げた。二〇〇〇年九月三〇日から十月二十二日、黒須植物園において開催されたボタニカルミュージアム二〇〇〇に参加した表現である。黒須植物園は埼玉県上尾市にあり造園用植物を栽培出荷している。オバナは母屋の脇の稲荷杜に目をつけ、ここを表現の場とした。まずオバナは知人友人の名前と植物の名前を合成し、架空の名をつくり、それらを呼び上げるテープを作成した。名前はたいてい植物名が姓となりそれに人の名を付したもので、植物であって人、人であって植物といった存在を想起させるものとなっている。オバナは会場が植物園であるため人と植物をひとつのものとして取り扱っている。テープにはおよそ一〇〇名の名が録音されており、女性の声によって「おまたせしました。○○さん、○○○○さん」と呼び上げられる。テープは稲荷社の祠にしつらえられ、ちょうど杜の扉の向こうから呼び出されることになる。思えば稲荷社の多くは古墳の上に祀られており、墓と関わりが深い。「おまたせしました」の声は優しくも重々しく響いてくる。この世における「滞在期限」が切れ、役目を終えて次なる「界」へと旅立つ時がきましたと告げられる思いがするからだ。植物園にある植物も一定の期間この地に「滞在」し別の所へと移植される。私たちは植物園の植物同様、なにものかによって植えられ育てられて、ある一定の期間が過ぎれば次なる「界」へと送り出される。オバナが植物の名と人の名を合成した意図もこのことを気づかせるためであった。お稲荷さんは界から界への取りもち役であり、「虚」のはたらきを果たしている。当地の稲荷社も多くの植物と人々を迎えて送り出していったことであろう。

 オバナは稲荷社のように特定の場に鎮座するはたらきを称して「ない」という言葉を使うが、これは自然に潜む「虚」を表わすものと見て差し支えない。「ない」はいたるところ姿を隠し、時たま姿を現わす。現われ方はさまざまで三次元的な自然現象の場合もあればこちらの意識にうったえかける気配であったりもする。また、こちらが気づくことにより感応し、顕在化することもある。この気づきを与える作用をオバナは「ない」の受肉と呼んだ。受肉にあたり「ない」はこちらの意識を素材にしている節がある。「ない」とは一体いかなるものなのか。前稿においても触れたがここではもう一歩踏み込んで記述してみたい。

 オバナによればこの世界は「ある」側と「ない」側、両者によって形成されているという。「ある」側とは私たち実体を持った存在であり、「ない」側とは文字どおりはたらきのみで実体をなさぬものである。意識だけの存在と言って良い。実体が無いゆえ「未だ然らず」の状態であり「かくある」ためには「受肉」せねばならない。オバナによれば「ある」側と「ない」側は共通の意志をもってこの世界にはたらきかけるべきだという。それは新たな世界を構築するという意志だ。また「ある」に先立ち「ない」がなければならないという。つまり、私たちがある行為をするにも心の中であらかじめ意図していなければ「実」となって現れ出ないのと同様、「ない」側で既に私たちは「意図」されており、「ない」によって私たちの「実現」はうながされたという。思えば、この世界は「ない」のみでは構築し得ない。「ない」のみの世界は無限幻影であり、時間も空間もなく、何処までいっても同一波調で発展に乏しい。やがて己の姿を見たいという意識が生まれ、物質化の前段科に響きがおこり「受肉」が始まる。時空が生まれ宇宙が生まれ私たち人間が生まれた。これは「ない」側の壮大な実験であり、三次元の世界において受肉した「ない」自身が果たして何処まで進めるかを自ら確認する試みだ。そこで「ない」がもっとも頼りにしているのは他ならぬ私たち人間であると思われる。人間は一番最後に出現し、いわば最終段階の仕上げとして生れ出た。内面に「ない」の「雛形」を持ち、「ない」の意図を三次元化する能力を備えている。

 日本神話を見れば私たちが「ない」の末商であることははっきりと分かる。「別天つ神(ことあまつかみ)」、「神代七代(かみよななよ)」を経て伊邪那岐・伊邪那美のめおの神の出現から天孫降臨へいたる物語は「ない」の受肉の歴史の記述である。高天原のみでは世界は完成されず、肉体をもった者として地上に降り立ち、この地上をいかに「高天原」にするか、「高天原」で成し得たさまざまな事柄が果たして地上においても可能なのか、大きな課題を果たすべく諸々の「はたらき」がこの地上に作用した。高天原と地上では明らかに「界」を異にしている。しかし、「天」はこの「地上」を「鏡」として映し出されている。ひとつの界から他の界へとシフトされ、ゆっくり螺旋を描くように定着していく。日本神話を読めば同じような物語が繰り返されていることに気づくだろう。天孫降臨を追体験するように神武東征が行われている。これは天から地への縦方向の移行を西から東への横方向の移行に読み替えた感がある。物語を繰り返すたびにより人に近い存在となっていくことが分かる。また、日本神話を読んで感じることは「ない」側が人に対して事細かに干渉することがめったに無いということだ。ほとんど人の自由裁量に任せている。欲望も争いも愛憎も出現するものはなすがままに出現させ、見守っているかの観がある。おそらく人が何処までやれるのか、見てみようという意図があるのであろう。人もまた「ない」側の目くばせを感知し己の行いを律してきた。もはやそのようなことを忘れて久しいのだが。

 オバナは「ない」側からの「手紙」が今なお私たちに当てて送られつづけていることを強調する。再びこの「手紙」に気づき受け取るように人々を促す。この行為が〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉である。これは足利JAZZオーネットにおいて一九九九年十二月三十一日から二〇〇〇年十二月三十一日まで行われた。オーネット開店三十周年記念の展でもあり、店へのオマージュをかね、ジャズレコードのジャケットが使われた。レコードジャケットのカラーコピーを貼ったボトルをカウンター後ろの棚に置き、その風変わりなラベルに気づいた者に扉が開く仕組みとなっている。気づいた者には女性主人からジャケットおよびレコードの説明があり、ボトルの酒を一杯ご馳走される。続けてオバナより託されたはがきを受け取る。はがきは複数あり上から順次取ることとなっている。はがきには見ず知らずの住所と名前が記されており、裏面にはボトルに貼ってあったのと同じジャケットのコピーが貼付されていた。受け取った者ははがきの差出人として自分の名と住所を書き、何かひとこと宛先の人物にメッセージを書き添える。特殊なボトルは一ケ月ごとに交換され、その都度ラベルも変化した。筆者は毎月参加し十二通のはがきを出した。しかし、はがきは全て「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押されことごとく戻ってきた。人物も住所もオバナが考案した架空のものらしい。ちなみに筆者の手元に戻ってきたはがきの宛先・宛名は次の通りである。

福島県須賀川市雨田二四ハ六 外川閑

富山県礪波市苗加ハ○ハ 氷見影泉子

山梨県都和田市与縄八二四一 愛宕小夜子

大阪府此花区桜島四・七〇三 山下泉

京都府能州野郡久美浜町女布二四二 布袋侶安

奈良県宇陀郡曽爾村太良路三六六 室生雫

島根県隠岐郡五箇村北方三五 西田清彦

岡山県小田郡美星町星田山手三・六・十一 佐々木久美子

福岡県戸畑区初音町四・六九・三 横尾志摩

 しかし、この行為はこれで終わりではなかった。一連のはがきが返送されてからおよそ十ヶ月後、筆者の手元に奇妙な郵便物が届いた。小石の付いたはがきである。差出人はかつて筆者がはがきを出してあて所に尋ねあたらず返ってきた当の人物「外川閑」である。はがきにはこの「人物」がおそらく「居住」している周辺の地図が印刷されていた。地図の真ん中に一行「こちらにおこしのせつはおたちよりください」と赤いインクでスタンプが押されている。存在しないはずの人物から忘れた頃に突然届けられた不可思議な「贈り物」は「外川閑」なる人物が確かに存在するのではないかという思いをわき立たせた。この石には「外川閑」からのメッセージが託されており、目に見えぬ 「文字」がしるされているような気がしてならなかった。何処までこのメッセージが読み取れるかは受け手の意識の深さによる。さらに筆者ははがきに印刷された地図が気になった。「外川閑」なる「人物」が住んでいることとなっている場所周辺の地名と筆者の元に届いた郵便物地形を見たかったのである。この「人物」は雨田という所に住んでいることになっている。雨田は小さな盆地で周りを低い丘がとり囲んでいる。丘を隔てた西に「日照田」という地名があり雨と日照で村になっていることが分かる。筆者の元に届いた石がこの地図上の果たして何処で採集されたものか分からぬが、剣のようにも矢印のようにも見えるこの石の形を見ているうちにふと、雨田と日照田の間で得たもののような気がしてきた。というのもオバナから「二つの円の重なり交わる場」に注意して旅したということを聞いていたからだ。ここにオバナから寄せられた〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉の手記があるのでどのような旅であったのかたどってみる。

 オバナは二〇〇一年六月二十三日午後七時半館林SPACEUを発ち一路車にて北海道を目指す。今回は北から南下し作業を行った。第一の目的地は北海道爾志郡乙部町花磯である。当地の「差出人」は横田三郎、宛先は栃木美保さんである。オバナは「ない」側の横田三郎の「返し事」を成就すべく花磯を訪ね歩くが、ここでは「しるし」は得られなかった。範囲を乙部町全域に広げ探すことになる。八幡神社に立ち寄ると「八幡の水」という清水が湧いており、そこで三センチくらいのおむすび型をした石と出会う。持ち帰れとばかりに目に入ってきたという。オバナは土地を酒で清めてから石を採取し、代わりにオバナの作品《魂観》を黄色い布に包み神社の養銭箱にお供えしその場を立ち去った。

 オバナは採取した地に必ず《魂観》を置いてきた。布の色はその時々の直感によって決められる。《魂観》はオバナのその土地に対する感謝のしるしであり、オバナからの「ない」側に宛てた「手紙」でもある。よってここでは二組の手紙のやり取りが成立する。一つはボトルキープ参加者から「ない」側へのはがきとそれに対する「ない」側から参加者への返し事、もう一つはオバナとその土地との結縁である。オバナは参加者と「ない」側の取り持ち役をつとめるが、オバナ自身「ない」の声に耳を澄まさねばそのような役は果たしようもない。彼自身がまず「ない」と対面しなければならない。《魂観》は返し事が無事成就したことへの返礼であることはもちろんだが、そこにはオバナのさまざまな思いがこもっている。《魂観》はオバナがその土地と対話したことの証であり、彼からの「返し事」であるからだ。「ない」はいったいいかなる「ことば」でオバナに語りかけたのか。その一つは「虹」であろう。乙部にたどり着く前にオバナは三度も太陽の周りにかかる虹の大円環を目撃している。虹はときに導き手のように現れオバナをはげました。具体的にオバナはどのような「対話」を「ない」と交わしたのであろうか。ここで少々長くなるがオバナから寄せられた〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉の手記の要約を載せる。

 

六月二十三日 乙部町八幡神社裏手にて水上旬氏への返し事として茶色い石を採取。神社の裏手には古くから祀られている御神体の石があり、採取する前にまずお参りする。すると、この茶色い石は何やらこの御神体の分け御霊のような気がしてきた。八幡太郎と命名し水上氏へ送る。代わりに水色の魂観をお供えする。

 

六月二十四日 烏の羽根に導かれ乙部の「生命の泉」全てをめぐる。次の目的地「札幌市清田区美しが丘」を目指す。海沿いの道を熊石に向かう。神社に立ち寄り手水舎を清掃。夜中目的地にたどりつく。

 

六月二十五日 有明の滝付近で虹の大円環現れる。有明の滝上流の丘陵地帯に出る。自衛隊の演習場であることが分かり滝に引き返す。引き返す途中二つの石を得る。滝にお神酒をそそぎ、水色の魂観をお供えする。二つの石はそれぞれ草壁純さん、相原一士さん宛てとする。「ない」方のお名前は北野由美子。有明神社にて事の次第を報告。神威岬を目指し発つ。途中余市神社に立ち寄るが、鳥に襲われる。神威岬で日没を見る。そのまま海岸線を南下し尾花岬を抜け夜通し走って、翌二十六日恵山岬にて日の出を見る。

 

六月二十六日 函館港からフェリーに乗り、次の目的地「青森県五所川原市不魚住」を目指す。昼過ぎ目的地に着く。菊ヶ岡運動公園で身支度をし、公園内の民俗資料館裏手の杜の奥、西宮神社にて小判形の石と出会う。大木道雄氏の顔が思い浮び、同氏に宛てて送ることとする。差出人「ない」方のお名前は奥野久子。春山清氏にも何か送りたいとあたりを見回す。鳩の羽根らしきものが目に留まった。羽は「波」、根は「根っこ」。「根源の波」というのは春山氏にぴったりである。「ない」方のお名前は・・・・。小判形の石は緑の魂観、羽根は黒の魂観とそれぞれ交換する。次の目的地「青森県天間林村ニッ森」を目指す。夕方目的地に着。小川原湖畔に宿。

 

六月二十七日二ツ森に行く。二ツ森は瓢箪形をしており、大きい塚に大きなお宮、小さい塚に小さなお宮が祀られている。ちょうどくびれた所に道が通っている。まず大きなお宮にごあいさつし、次に小さいお宮にあいさつに向かうと登り口でハート形の石と出会う。石はそのままにし、まずお参りする。お参りしてからやはりあの石にしようと決めた。母宛てに送るものとする。差出人「ない」方のお名前は海老沢太郎。緑の魂観をお宮に供え、事の次第を述べる。大きなお宮にも同じく緑色の魂観を奉納。

 

次の目的地「秋田県能代市鳳凰岱」を目指す。十和田湖付近で見る見るうちに霧がかかり黄泉の国に向かっている気になる。十和田神社に参拝。能代に入り鳳凰岱にたどりつく。鳳凰岱は隣接した「風の松原」とは対照的であり雑木と薮からなっていた。風の松原を歩いていると、その昔土地の人々は、自然が見せる猛り狂った風雪の向こうに鳳凰の影を見たのかもしれないという思いと、風から村を守るべく植林した男の姿が交錯した。近くの稲荷神社に参拝。神社を出てすぐ、電柱につけられた「ゴミを捨てないで下さい云々」の看板が目に付く。看板と電柱の隙間に何故か烏の羽根が挿してあり、これに決める。宛先は近藤隆彦氏、差出人「ない」方のお名前は大曲沌子。お神酒を捧げ羽根をいただき、代わりに赤の魂観を挿す。能代を後にし次の目的地「秋田県仙北郡角館町小人町」を目指す。真夜中目的地に着。駅近くの小高い丘で野宿。

 

六月二十八日 武家屋敷の方へ歩く。雨に降られる。小人町にはこれといったものが見当たらないため、白滝神社、八坂神社に詣でる。行きつ戻りつし、薬師堂を参拝。ここで探すこととする。銀杏の樹の根本に気になる石を見出す。白の魂観と交換し、頂戴する。宛先は西山三淑さん、差出人「ない」方のお名前は南さとし。

 

 次の目的地「岩手県雫石町丸谷地」を目指す。完全に晴れ汗ばむ陽気となる。稲荷神社を参拝し、あたりを探索する。蔦の絡んだ銀杏が気になり葉を一枚いただくことにする。お神酒を捧げ赤い魂観を蔦にからます。宛先は本田晴彦さん、差出人「ない」方のお名前は松島貴子。

 

 次の目的地「岩手県上閉伊郡宮守村達曽部」を目指す。達曽部川上流へと車を走らせる。稲荷穴の標識が目に留まったが、引き返し先に郵便局を探す。集落が見え車を右折させると熊野神社があった。参拝すると目の前に杉の表皮が差し出されていた。振り返ると根元に直径二〇センチ位のこぶのある杉の大木がある。表皮をいただくことを願いお神酒を捧げこぶの上に黒の魂観を供える。宛先は倉上昌子さん、差出人「ない」方のお名前は宮島明。

 気になっていた稲荷穴を目指す。日没の頃稲荷穴に到着。稲荷穴は稲荷神社の正面にあり、穴からこんこんと水が湧き出ていた。穴からもぐらも出てきてくれた。水をいただいて次の目的地「山形県遊佐町比子」を目指す。

 

六月二十九日 途中、道の駅で仮眠を取り、夜通し走って早朝遊佐町比子に着く。出清水というかつて清水が湧いていた所にお稲荷様が祀られていた。昔はこんこんと水が湧いていたそうだが、現在はかろうじて水たまりがある程度である。しかし、あたりは箒で掃き清めたかのように、自ずから凛とした気高さがある。お参りし事の次第を述べ、かつての「噴き出し口」あたりを探索。三本の樹の中央に不思議なものを発見。白っぽい色をしたかなり細長い二等辺三角形のものだ。お神酒を奉げ水色の魂観をお供えし、いただこうとした時、これが植物であることに気づく。根が生えていたのである。宛先は春山節子さん、差出人「ない」方のお名前は美森幸男。ところがもう一つ気になるものを発見してしまう。神社の東側の松の根元にあった半月形の石である。その隣には荒々しく野生的な石があり、対照をなしていた。天津神系の石、国津神系の石という文脈が広がる。二つのエナジーが交わるところ、松の樹の根元に魂観を布にくるまずそのまま角を突き刺すように供えた。このトライアングルは新たな命の岩戸を開く何かの手がかりになるのだろうか。魂観にピントを合わせると私の背後の樹が映し出されていた。遊佐の郵便局から発送したあと奇遇にも大物忌神社を訪ねることになる。手水舎に紫陽花を散らしてのお出迎えに心ときめく。お参りして次の目的地「山形県尾花沢市毒沢」を目指す。最上川沿いに上流へと向かう。途中出羽三山から流れてくる川との合流地点にさしかかると上空に虹の大円環現れる。

 毒沢集落にたどり着く。あたりを訪ねたが見当たらず猿羽根峠に向かう。瓢箪形の地形であり、高い所に虚空蔵菩薩が祀られていた。参拝後、低い側に行ってみると鶉の卵によく似た石が見つかった。それはちょうど松と松の間に産み落とされたみたいにそこにあった。その隣にある角張った歯のような石も気になった。宛先の青木孝之さんが歯科医であるため結局歯のような石をいただく。代わりに白の魂観を供えた。差出人「ない」方のお名前は神崎あゆみ。

 

 「宮城県牡鹿郡女川町黄金町」を目指す。夜目的地に着く。仮眠をとろうとしたが寝付かれず、ゆうに零時をまわっていたが、この町に入って最初に出会った鳥居に向かう。熊野神社であった。お参りし事の次第を述べ、右手奥の階段を上る。少し行くと階段は終わり坂道になっていた。懐中電灯をたよりに笹をかき分けながら進む。三番観音に出会う。三十三観音が祀られているらしい。二番、一番とお参りをすませ、最初の三番観音に戻り供物の石と魂観の交換を願う。お神酒を奉げ紫の魂観をお供えする。宛先は酒井和子さん、差出人「ない」方のお名前はうるし原豊。次の目的地「宮城県仙台市太白区八木山弥生町」を目指す。

 

六月三十日 女川を後にし塩釜に近づくにつれ霧が濃くなる。何故か塩釜神社の前に出てしまう。折角なのでお参りする。夜が明けそめ青い霧が徐々に白み、すがすがしい。早朝太白区に入る。目的地の八木山弥生町では何も見つけられず、青葉城跡に向かう。護国神社をお参りする。神社正面から少し離れた杜が気になり、あたりを見回す。卵のような石と出会う。これにしようと願い、さっそくお神酒を上げる。魂観を供える段になって、神社の鏡と合わせ鏡にしようと思い、配置場所を求める。既に空缶が占拠していたが、どいてもらい青の魂観を据える。石を手水舎で清め荷造りを終える。宛先は小林真亮さん、差出人「ない」方のお名前は赤坂葉子。

 次の目的地「福島県原町市岩代町百目木」を目指す。目的地を探しあてたのは烈風の吹く快晴の昼下がりであった。あちこちまわる道すがら天照皇霊神神社をお参りする。もう少しまわって何も見つけられなければここにしようと思う。近くに風穴の湯という温泉があった。温泉につかりながらやはり天照皇霊神神社にしようと決める。再び詣で事の次第を述べる。すると驚いたことに御鈴の真下に枯葉が一枚落ちているではないか。これはと思いすぐにお神酒を奉げ紫の魂観をお供えし拝受する。宛先は菅沼きく枝さん、差出人「ない」方のお名前は駒井幸次である。鳥居を出て空を見上げると快晴の空は見る見るうちに鱗曇で覆われお日様を隠してしまった。その迫カに思わずシャッターを切る。今回の〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉は都合ここまでとなる。

 

九月二十八日 明け方、身支度を整えSPACE Uを出る。目的地「福島県須賀川市雨田」に向かう。早朝須賀川に着く。釈迦堂川のほとりに車を止め仮眠をとる。目覚めると小雨。雨田を目指す。雨田方面の標識のとおり起伏のある坂道を登り下りするといつのまにか小作田に抜けてしまう。気づいて引き返し再び雨田を目指すがやはり小作田に抜けてしまう。何度か往還を繰り返すうち古寺山の案内が気になりとりあえず行ってみることにした。苔むした手水鉢にまんまんと水がたたえられ、本当に古さを感じさせる寺だった。参拝を済ませ仮眠をとる。もう一度雨田に向かい何も見当たらなければここにしようと決め出かける。しかし、またしても小作田に抜けてしまった。再び古寺山に向かう。手水舎の水をいただきコーヒーを沸かす。何気に寺務所の軒下の張り出しを見ると持っていけよとばかりに変な形の物が置いてあるではないか。よく見ると曲がった矢印のようにも見える。日が射してくる。そのままにして古寺をお参りする。参道下から右回りに三十三観音が続いているのに気づき、一体一体お参りすることにした。最後の三十三観音までお参りを済ませると、小さな鳥居があった。鳥居をくぐり急勾配の階段を登りきると三方からの尾根の中央に白山神社が鎮座していた。お参りして三方に柏手を打つ。眼下に古寺の屋根が見える。しばしたたずんだ後、事の次第を述べる。先ほどの矢印形のものは石であった。お神酒を奉げ、手水舎の水で丁寧に清めた。水色の魂観を供える。宛先は江尻潔さん、差出人「ない」方のお名前は外川閑。今回の〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉は都合この日一日となる。

 

 

 以上、オバナから託された手記をもとに、〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉の行程を要約してみた。記述してみて筆者もまたオバナと共に旅した気持ちになった。〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉はまさに意識の旅でもあるからだ。冒頭で述べた通り、「ない」を受肉させるには「虚」のはたらきを十分熟知し、己の意識を一種の触媒として提供しなければならない。「未だ然らず」のままにとどまるものにある種の実体を与えるこの作業は隠された財宝を探し出す仕事でもある。名前だけあって実体の無い、あるいは名前すらない「ない」の姿はとてつもなく大きい。その土地の大気と水と光、すべての「はたらき」の総体としての「ない」存在。「ない」とはつまり限定されて「ない」存在なのだ。限定されていないため、その分豊かであり、自由である。オバナは「ない」のことばに耳を澄ます。いかにして「ない」と人とを取り持つことが出来るのか。五官を駆使しあるいは六感レベルで感得しようとする。やがて「ない」のしるしを見出す。それはひとつの「鍵」であり、別の「界」へといたる道しるべだ。ここに隠された巨大で豊かなものの一端が顕現する。しるしの「鍵」は場合によっては「ない」側からオバナに手渡される。ときとして虹が立ち、風が吹き、雨が降る。オバナはそこに「ない」の「ことば」を読み取ろうとする。あるいは彼の内面に虹が立つと外界にも虹が現れ、風が吹けば風が、雨が降れば雨が現実のものとなるのかもしれない。何らかの相関関係があるように思えてならないのだが、これも彼自身があらゆるものに思いを馳せているためであろう。

 日常の風景の中に点在する特異な地点、その中の特異なしるし。それに気づくことにより異なる「界」は開ける。このことはオーネットにおいて特異なボトルに気づいた人々に「扉」が開かれたのと同じだ。ボトルに気づいた客には「返し事」として一杯の酒がふるまわれた。さらにオバナを介して「ない」のしるしが贈られてくる。オバナはその土地のうちに「キープされている」特異な「しるし」を探し出す。今度はオバナがその土地の「客」となって「キープされているもの」を探し出すのである。おそらくそれらの中には何十年あるいは何百年もの間その場に保たれていたものもあることであろう。見つけ出したことに対する「返し事」としてここでは酒の代わりに虹が立ち、雨が降る。オバナの旅は彼自身が仕組んだオーネットにおけるボトルキープと全く重なる。だとすれば、やがてオバナの元に異なる「界」からの「贈り物」が訪れるに違いない。永らくキープされていたものの封が切られ隠れていたものがあらわになる。オバナは意識の「種」としての《魂観》を各地に置いてきたが、筆者にはこの行為が「ない」側に目玉を与えているもののように思えてならない。あるいは「鍵」をいただいた代わりに「鍵穴」を設置する作業のように思えてくる。そこからいかなるものが流れ出てくるのか今のところ筆者には見当がつかない。それらはおそらくオバナ自身へまっさきに「手紙」として届けられることであろう。

 いずれにしろ異なる「界」は日常のいたるところに口を開けており、こちらの意識を変えさえすればいつでも赴くことが出来ることをオバナの行為は教えてくれる。その雛形としてまず彼はオーネットでボトルキープを仕組んだ。その後、彼は「ない」存在との直接の対話を求めて旅に出た。さまざまな「意識の宝」を持ち帰ってきたが、この行為はこれで終わりではあるまい。なぜならば〈「ない」の受肉-ボトルキープ〉は仕組んだオバナが仕組まれる仕組みとなっているからだ。オバナを仕組んだ主体は他ならぬ「ない」存在である。かならずやかのものはオバナに「手紙」を出してくるだろう。それは間違いなく別の「界」からやってくる。オーネットでの客の行為の返答として思いもよらぬ「場」から「手紙」がやって来たように。それは日常から段階を踏んで非日常へと連なる連鎖反応だ。オーネットという日常空間でまかれた種は別の「界」でどのように発芽し影響をもたらすのか。尺度を異にし、入れ子式に時間差をおいて事が進むこの行為に対し筆者は少なからぬ戦慄を覚えた。

             (二〇〇二年六月十七日 記)

 

 

 

前のページ             次のページ