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今のとこここまで。続きはは現在執筆中。
こんなのもが、自分に書けるのだろうか?。今ひとつ自信なし。(^^;;

どうのこうの言って「無責任モード」に突入して執筆中。しかし今回編はリアルタイム進行中なので書くのが非常に難しい。書き始めたのは小泉内閣出来る前だぞい。


最終章・そして今回編

1.そのほかの同一パターン

2.そして今回編

3.「今回編」の分析その1、パターン分析

4.「今回編」の分析その2、人物編


最終章・そして今回編

1.そのほかの同一パターン

そのほか、私の考えでは世界各地の歴史の中で同一のパターンが見受けられます。とりあえず思いつく代表的なものを列挙してみます。


(1)明治維新編
黒船来航前から、江戸幕府の経済政策は、天保銭(5〜6文分の銅量で100文として発行された貨幣。薩摩の贋金づくりの対象となる)、一朱銀(やらたと銀量の少ない銀貨。黒船来航後の日米通貨交渉での幕府役人曰く、「これは幕府の朱印を押すことにより価値を4倍に高めたもの」だそうです。)など、財政的に苦し紛れの政策が多い。
これが開国時の日米通貨交渉での為替ルートの制定失敗から多量の金が海外に流失。幕府はこれを押さえるために発行する小判の金含有量を下げる政策に出る。これによりインフレが始まり、米価が5倍に高騰。

その中でいち早く藩の財政を立て直していた藩が、幕末四賢候の諸藩、
薩摩藩:借金踏み倒し、密貿易、贋金づくり、などあらゆる手段で財政再建。
福井藩:長崎に蔵屋敷を設置してのオランダ貿易が大成功。財政再建を果たす。
宇和島藩:殖産興業、藩の出費を抑える、などの正攻法で藩政改革に成功。財政再建。
土佐藩:吉田東洋の藩政改革で財政再建。(詳しくは知りません。知ってる人、教えてください。)
そのほか
長州藩:藩財政は赤字のままだが、撫育方なる別途会計の組織を設置。ここが新田開発、専売制の推進、下関の荷方の利益、で莫大な利益を上げている。この資金が幕末に使われる。
会津藩、肥後熊本藩:(この二つはどうなんだろう?。両藩とも江戸中期に藩政改革に成功しており、幕末期でも多少の余裕はあった?。知ってる人、情報を求む)
水戸藩:藤田東湖による藩政の天保改革が成功。(ここも詳しくは知りません。この項は、こんなんばっかだな。(^^;;;; )
などの藩が活躍。その他の藩は恒常的藩財政の赤字のため、軍が出せずじまい、政治に口を出せずじまいで終わったようです。
(資料参考 世界大百科事典 CD−ROM版)

開国後に幕府は、外国へ備えの砲台建設や軍艦購入、長州征伐などの軍事費増大、などで出費が増大。市中経済の大幅なインフレを招いた幕府は、庶民の信頼を完全に失う。幕末の動乱の時代に入る。
第2次長州征伐の時点では、たかが長州一藩すら征伐出来なくなっており、幕府はその権威を完全に失う。
そのため戊辰戦争で薩長が倒幕を掲げて挙兵した折りには、全国各地(主に西日本)から倒幕軍に義勇隊が多数参加。もはや幕府には諸藩に号令を掛ける力もなく(諸藩もカネがなくて軍を出せない)、自らの軍隊も最新兵器(輸入した西欧の最新銃、大砲など)を装備した薩長軍にかなうわけもなく敗退。明治維新として終結する。

(2)フランス革命編
革命前のフランス王制政府は財政赤字に悩んでいた。このため政府は税収を確実にしようと徴税を徴税請負人組合に任せるようになる。徴税請負人達は政府に一定の金を納める代わりに、受け持った地域からは税を取り放題。この為物価が高騰、パンの値段が5倍に上がる。この民衆からパンよこせ暴動が発生。これに対して王室は放蕩三昧、王は政治的に無能。(「パンが無いならお菓子を食べれば良いのに」と言う王妃の名ぜりふがありますね。)この暴動が折からの啓蒙思想と結びつき革命につながる。その後も革命政府が恐怖政治を行ったりと、政治が安定するまで紆余曲折があり、最終的にはナポレオンによるヨーロッパ全土にまたがる戦乱に発展。

(3)ロシア革命編
こちらも革命前に「パンの値段が5倍に上がる。」と言う記述が見られる。結局、日露戦争での敗戦が決定的になって、政府財政が崩壊。日露戦争終戦の年(1905年)には、1月に改革を求めるデモ隊に近衛兵が発砲する「血の日曜日」事件、6月にはロシア海軍の戦艦ポチョムキンで水兵が待遇改善を求めて反乱・占拠。全国でストが相次ぎ12月にモスクワで労働者が武装蜂起。しかし国会選挙法改定要求は通るも、ソフト的国家改革を目指す内相ストルイピンの手により反乱は抑え込まれる。(第一次革命)
しかし、国会と国家評議会は右と左からストルイピン改革を妨害。最大の問題であった土地改革もできずに改革は失敗。ストルイピンは1911年に暗殺される。
その後も政治的不安定が続くままロシアは第一次世界大戦(1914)に突入。開戦直後には挙国一致体制となるも、すぐに状況は困難に陥り、戦線の崩壊、食糧難とロシア国家は急速に解体を始める。各地で食糧難・燃料難解消を求めてのデモ、ゼネストが頻発。皇帝はケレンスキー臨時政権により退位させられ、帝政は終焉する。(第二次革命)
その後も混乱が続き、最終的にレーニン率いる共産党による世界初の共産主義革命につながる。(十月革命)
(資料参考 世界大百科事典 CD−ROM版)

(4)ソビエト崩壊編
経済政策の失敗から、社会経済が完全に行き詰まる。そこで内部改革「ペレストロイカ」を実行したところ、それまでの政策矛盾が一挙に吹き出しハイパーインフレが起こり経済崩壊。保守派のクーデター失敗から国家崩壊につながる。結局15の共和国が分裂して終結。
(これはリアルタイムで見ていたのだが、当時のハイパーインフレはかなり凄かったと記憶してます。そろそろあの展開をまとめてくれないかな。きっと面白そうな読み物になりそうなので。)

(5)中国編
ここは実例が多すぎてとても全部書くことは不可能だが、取りあえず知っているのだけ書いてみます。

西周朝滅亡編
中国史で年代がはっきりと解っているのは紀元前841年の西周時代「共和」の時期からだそうです。当時の周王朝が赤字財政再建ために、国民に大増税を実施。これにより各地で民衆・貴族が一斉蜂起。どうにも抑えきれなくなり王が首都を脱出。14年後、王はそのまま地方で客死。(この王なしで政治が行われた間を「共和」と言う。)その後、息子が即位するが王朝衰退はくい止めようが無く、周王朝は滅亡。その後、地方に遷都して東周として再建されるが、時代は「春秋戦国時代」に突入する。この時の反乱は詳しい記録は残っていないのだが、それ以前の記録がほとんど残らなかった事からみて、このときの争乱は相当な規模であったと思われる。

三国志編
有名な三国志も似た状況から始まります。後漢王朝が外戚(皇帝の后の親族)と宦官(官僚)との政争に明け暮れ政治が混乱、財政がないがしろにされる。この赤字財政に苦しんだ漢王朝が官位を金で売ることを始める。そして地方長官を金で買った人物が、投資額以上の見返りを得ようと税を多く取り立てる。これで民衆の不満が爆発、各地で民衆が蜂起。腐敗した外戚・宦官に実権が握られた漢王朝は何も対策がとれない。結局、反乱は王朝打倒を叫ぶ新興宗教「太平道」と結びつき、組織的大規模反乱、「黄巾党の乱」に発展。各地豪族の力により反乱はなんとか鎮圧するが、漢王朝は完全にその権力を失墜し、各地の豪族が勝手に領地を巡って戦う群雄割拠の時代、「三国時代」が始まる。

清朝滅亡編
イギリスが大量の阿片を持ち込み、国内で阿片吸引が蔓延。このため多量の外貨が国外流出。インフレが起きて経済がボロボロになる。これに対して清王朝は「アヘン戦争」を仕掛けるも敗戦。賠償金支払いのためさらに経済を圧迫。これに対して民衆の暴動が発生。キリスト教系の新興宗教と結びつき「太平天国の乱」に発展する。これは何とか鎮圧するも政府の権威は低下。その後、「日清戦争」「義和団事件」をへて完全に列強の経済支配下に置かれる。結局、孫文の「辛亥革命」で清王朝は滅びるが、それでも国内は安定せず全国各地で地方軍閥が群雄割拠する時代になる。「日中戦争」をへて共産党が全国を統一。やっと政治・経済が安定する。

このほかの「唐」、「元」、「明」などの王朝もにたような感じで滅んでいます。数代続いて安定した政権になった王朝で、経済崩壊による自滅で滅びてないのは「宋」(強烈な軍事国家「元」の侵攻により滅亡。)と前漢(家臣により乗っ取られる。)ぐらいじゃ無いでしょうか?

(この辺の、ほかのパターンについては、誰か詳しくやってくれる人、募集中。地味な研究なので誰もやっていないようですから、やってみると面白いものが出てくる可能性は大きいと思います。「あの戦争の原因」でひいこら言っている私には、とてもそんな余裕はないです。だいたい外国語が大の苦手なのだな、私は。)


取り合えずほかにも色々見つかるとは思いますが、思いついた代表的なものはこんな所です。



2.そして今回編

しかしまあこれは何ですね。私は第2章を考えているうちにそうじゃないかと思い始めたし、ここまで読んでくれた人も、勘のいい人は薄々気がついている人も多いと思いますが、とりあえず分かり易くするため列べて書いて見ましょう。


太平洋戦争編今回編
1 .第一次世界大戦

(大正3〜7年 1914〜18年)
戦争景気で大好況

1.バブル経済

(昭和62年〜平成元年1987〜89年)
土地・株のバブルで大好況

2.戦後恐慌・関東大震災・軍縮

(大正9年〜昭和元年 1920〜26年)
反動不況
関東大震災

2.バブル反動不況

(平成2〜8年 1990〜95年)
バブルはじけての不況
阪神大震災

3.金融恐慌

(昭和2年 1927年)
戦争景気に踊った企業・銀行、鈴木商店等の倒産、銀行の合併・買収、五大財閥に資産集中が始まる。

3.銀行破綻・企業倒産

(平成9年 1996年)
バブルに踊った企業・銀行、山一証券・拓銀等の破綻。銀行の合併・買収。金融再編が始まる。

4.緊縮財政

(昭和4〜6年 1929〜31年
井上蔵相による、公債ゼロを掲げての緊縮財政。国際経済常道の金解禁をして経済再生を目指す。

4.緊縮財政

(平成8〜9年 1996〜97年)
橋本総理による、赤字国債ゼロを掲げての緊縮財政。経済をグローバルスタンダード化して経済再生を目指。

5.昭和恐慌始まる

(昭和4年〜 1929年〜)
中小企業の苦境、産業合理化、失業時代、農村不況。

5.平成不況始まる

(平成8年〜 1996年〜)
中小企業の倒産増、企業のリストラ・賃金低。失業率増加、就職

6.満州事変

(昭和6年 1931年)


6.????




7.テロの頻発

(昭和7年〜 1932年〜)
血盟団事件、五・一五事件。基本的に国家に不満のある若い連中の犯行。国民の信を失った政党政治の終了。右翼化傾向が強まる。

7.社会不安増大

(平成8年〜 1995年〜)
オウム事件、少年犯罪の増大。今の社会に不満のある若者による犯行。政治不信。右翼か傾向が強まり始める。

8.昭和恐慌終了

(昭和7年 1932年)
高橋蔵相による積極財政開始。軍備拡張・時局匡救事業。公債を増発。

8.積極財政政策開始

(平成10年 1999年)
宮沢蔵相による積極財政開始。銀行へ膨大な資金投入。赤字国債を増発。

9.皇道派と統制派の対立

(昭和7年頃〜 1932年〜)
陸軍内で、日本の改革を目指す観念的集団「皇道派」が台頭。それを押さえようとする「統制派」との泥仕合開始。

9.「新しい歴史教科書をつくる会」の台頭

(平成12年〜 2000年〜)
日本の改革を目指す観念的集団「つくる会」が台頭。その反対派との間で泥仕合開始。

10.新官僚の登場

(昭和7年頃〜 1932年〜)
復古的かつ革新的で現状打破を目指す新官僚たち(近衛を含む)の登場

10.石原都知事の誕生

(平成11年〜 1999年〜)
復古的かつ革新的で現状打破を目指す石原都知事の登場。

11.積極財政行き詰まる

(昭和10年 1935年)
公債の増発しすぎで、国家財政が行き詰まる。財政の縮小を計画。

11.積極財政行き詰まる??

(平成1?年 200?年)
赤字国債の発行のしすぎで、国家財政が行き詰まる?

12.二・二六事件

(昭和11年 1936年)
国体改革を叫ぶ青年将校達によるクーデター事件発生。直ぐに鎮圧。

12.クーデター事件発生??

(平成1?年 200?年
改革を目指すグループによるクーデター事件発生?。直ぐに鎮圧?。

13.準戦時経済体制

(昭和11年 1936年)
非常事態からの経済建て直しの為、軍事官僚指導のもよる経済政策が始まる。しかしこれで国際収支は急激に輸入超過に陥る。インフレが始まる。

13.非常事態経済体制??

(平成1?年 200?年)
不況からの日本経済建て直しの為、官僚指導による経済政策が始まる。しかしこれで国際収支は急激に輸入超過に陥る。インフレが始まる。

14.第一次近衛内閣

(昭和12〜13年 1937〜38年)
華族出身で改革派の若手政治家、近衛文麿が首相となる。内閣発足当初、国民的大人気となる(支持率80%ぐらい?)。日本を立て直すため大胆な改革を始める

14.第一次?小泉内閣

(平成13年〜 2001年〜)
保守系出身の改革派政治家、小泉純一郎が首相となる。内閣発足当初、国民的大人気となる(支持率80%以上)。日本を立て直すために大胆な改革を始める。









とまあ、多少の前後は有りますが、順調?に事態が進んでいます。ここまで状況が似通っているとなるとわたくしの「勘」ではおそらく、事態の本質は同質のものと思われます。


参考までにこの頃の財政状況。

戦前の国家財政支出と公債発行額

(今回編の資料は・・・・どっかに無いかな。読んでる人で知っている人がいたら教えてください。n(_._)n )




はっきり言って、

とってもまずい!!

今回は他国に迷惑を掛ける事だけは止めましょう。



3.「今回編」の分析その1、パターン分析

注意事項:
「今回編」の分析もまじめに書こうと考えていましたが、かっ、書けない・・・。こんなもん書けるかぁ〜〜〜〜〜。と言うことでわたくしの実力がいたらず、時間を掛けてもどうしても書くことが出来ません。
だいたいだなぁ〜〜〜、「あの戦争」編は私の爺さん達の世代が主人公の話なのだが、「今回編」はどう考えても私個人も当事者の一人になるはずなのだ。物事の正確な分析には、客観的視点に立って考える事が必要条件なのだが、どう考えても当事者の私が客観的立場に立てるわけがない。
も一つ言うと読む必要がある資料が多すぎます。何せこちとら本職じゃ無くてアマチュアでやっている者でして、ただでさえ歴史・経済・思想と色んな分野にまたがっている話なので、はっきり言ってあっぷあっぷの状態です。
といってここまでやっといて、「とってもまずい!!」と叫んでだけいて書かないと言うのも無責任なので、この項から以降は、
「無責任モード全開」
で、行こうと思います。その辺をご容赦下さい。m(_._)m。他人の悪口とかも書くんで気を悪くする人がいるかもしれないが、勘弁してねぇ〜〜。(^^;;;;;)
ま、とりあえず実力の範囲で適当にやってみると言うことで。(「今回編」は、どう考えても締め切りがあるから、書くのを急がにゃならんし。)と言うことで、ここから先は眉につば付けて読んでください。


とにかく、この国家(政府)崩壊パターンの分析を適当に試みる事にします。(あくまでも適当です。いや最初は真面目にやろうと思ったのだが、そうすると読まなければならない資料が多すぎて手に負えないのだわこれがまた。とてもやってる暇がない。真面目に研究すればノーベル賞の一本ぐらいもらえそうな気がしますので(希望的予想)、やる気のある方、挑戦をお願いします。)


私の考えでは、世界中の歴史上起こった国家の政体交代(王朝交代、革命、戦争など)のうち半分ぐらいはこの「前政体の財政崩壊」に端を発するこのパターンに当てはまるのではないか?ぐらいに考えています。


まずこの政体交代パターンの基本パターン分析をしてみますと、

(1)長期に安定していた政権の矛盾がたまり政治家・官僚の腐敗が進む。それに伴う問題先送りで財政が崩壊。
(2)何かのきっかけでハイパーインフレ、社会不安、動乱がおきる。
(3)最終的に政体交代し、前政権の腐敗も一掃され、ハイパーインフレにより借金が消えて安定財政に戻る。これで政権も安定する。

のパターンで進みます。ただし、(1)と(3)は決定的だがその間の(2)の段階で、何が起きるか、どの順番で起きるか、どの程度の期間が掛かるか、についてはその時の登場人物、その時中心となる思想、周りの状況、等により様々になっているようです。


最近例ではのユーゴ内戦(共産主義経済の失敗でのインフレから始まった)の様に国家そのものが分裂して消滅する場合もあるし、ペルーのフジモリ政権(前政権の腐敗による財政難でインフレが誕生の原因)のように極めて短期間で比較的穏便にすむ例もある。はたまた湾岸戦争後のイラク(イランとの戦争による財政難が戦争の原因)の様にAの状態が長期に渡り続く例もあります。ただし国家としてはじり貧状態になりますが。(もし日本が太平洋戦争をしなかったら、と考える人がまれにいますが、敗戦がなかった場合日本もこの状態になった可能性が高いのでは、と考えています。)


(1)の状態では国民の間に不満が高まっており、社会全体が非常に不安定な状況に置かれるため、社会が安定している状態での常識が全く通用しない。安定した社会では絶対に広まらない様な反体制的社会思想が広まったり、何かちょっとした弾みで暴動が発生する可能性が高い。また政権も国民からの信頼を失っている。


このため政体(政権)の維持には、(2)の段階での

@:治安維持を強化して社会を引き締める。
A:社会不安の解決をはかる。

などの政策がどうしても必要になる。


このとき体制内の保守派が実権を握っている場合は、@の政策をとる。要するに「この危機的状況下で暴動を起こす連中は体制の敵であり、国家の敵である。秩序を守る事が正義である。」と考える訳です。保守派は現体制に縛られた考えを持っていますからどうしてもこうなります。ここで軍事力とか警察力をもって国民を抑えようと試みる訳です。これが成功するといわゆる恐怖政治に成るわけです。ただこれは国民がある程度の教育を受けている近代国家では成功しにくいです。本来、国民を守るべき軍や警察に、国民に向かって銃を向けさせる事になるので、それ自体が矛盾してます。軍人や警官とて国民ですからこの矛盾のために、組織そのものが崩壊します。ソ連崩壊時の保守派のクーデターがそうですね。


そこで政府は国民の不満を外に向けさせようとする場合があります。湾岸戦争でのイラクや、太平洋戦争での日本の政府の政策がそうです。「事態の原因は外国の陰謀である。外国に出ていけば何とかなる」と言いだした最悪の事例です。ユーゴ内戦も「原因は他民族のせいである。」としたものでしょう。要するに「自分が窮地陥ったのは、他人に原因ある」として戦争を仕掛ける訳です。その実体は体制・組織の維持のためには戦争がどうしても不可欠に成っているだけですが。この場合は戦争により国家経済を決定的に破壊します。戦争は破壊しかできませんから。


また(1)のとき、現体制内から革新派の人物が出て主導権を握る場合がある。「あの戦争」編の近衛文麿、「明治維新」編の徳川慶喜、「ソ連崩壊」編のゴルバチョフなんかがそうです。すでに体制内でも事態が行き詰まっていると言う認識があるため、こういう人達が体制内より出てくるわけです。この人達が目指すのは、ずばり「ソフトランディング革命」です。体制の枠を残しつつ、混乱を避けながらの体制改革を目指して色々と努力します。


しかし、いかんせんすでに体制そのものが収拾不能なレベルで腐っている。だいたい体制内でも大多数の人が改革の必要性を認識してから、こういう人物が出てくるので、その時点ではすでに「ソフトランディング革命」などという、生ぬるいやり方では手の施しようが無くなっている場合がほとんどです。まあ改革とは体制を変える事ですので、その中の人達が喜ぶわけがない。それでも大多数が改革の必要性を認識せざるを得ない時点で、すでに事態は手遅れでしょう。


結局、この人達の改革は、やろうとしていること自体に相当無理があります。所詮は体制内の人間であるため、切る必要があるべき部分をどうしても切れなくて、改革が中途半端に終わると失敗します。最後には下手な手を打って、逆に守ろうとした体制そのものを崩壊させてしまう。


ただ、こういう人達、端から見るとどうしてもこの人物が体制を崩壊させたように見えて、評価が非常に低くなるのが個人的には残念なのだが。ソ連を崩壊させたのはゴルバチョフだと本気で思っている人もいるのだが、私が見る限り崩壊させたのは、共産主義体制にどっぷりと浸かって問題の先送りを続けていた連中だぞ。ゴルバチョフはその問題を一度に解決しようとして、収集がつかなくなっただけ。ただし、守ろうとした体制そのものに問題がある事に気づかなかったことは問題だが、所詮は体制内から出てきた彼にそれを言うのは酷でしょう。


そしてこの次期には、新しい政体を求めて新しい思想が広まる時代でもある。


古くは漢末期の「黄巾党」に代表される宗教が多かったのだが、ニーチェが「神は死んだ」と言った後で起きたフランス革命以降、現体制を打破しようとする革命思想が多いようです。フランス革命での「民主主義」、明治維新での「尊皇攘夷」、ロシア革命での「共産主義」などがあります。太平洋戦争ではこれが「皇国史観」だったわけです。こいつは一見すると革命思想では無いように見えるが、実は欧米中心白人中心の世界体制に対抗して、黄色人種によるアジアの秩序を作ろうと言う意味が込められていて、現世界体制を打破しようとするそれなりの立派な革命思想です。


とにかく過酷な現状を乗り切るために、民衆は新しい時代をもとめているわけですから、良い悪いはとにかくとして新しい考えが広がります。最近では「共産主義」という一時代を築いた革命思想が潰れてしまいましたので、そのかわりとて「民族主義(ナショナリズム)」が流行の様です。旧ユーゴスラビヤ崩壊なんかがそうですね。イスラム圏の「イスラム原理主義」も宗教と結びついて形を変えたこれでしょう。「民族主義」そのものは古くから有り特に新しくも無いのだが、はかに代わりが無いのでこれが広がっている様です。何せ単純な思想のため実に広がりやすい。悪いことは全て他民族のせいにすればよいだけですから。


しかしなぁ〜、「民族主義」がろくでもない代物であると言うことは、第二次世界大戦で証明されていると思うのだが。日本、ドイツ、イタリアで起きた「民族主義」は自国を完全に破壊したばかりか、他国にまで迷惑を掛けたというのに。「世界をナショナリズムという怪物が徘徊している」とアインシュタインを嘆かせた怪物が、前回を経験した世代が少なくなってきて、前大戦の記憶が薄れてきた時点で、見事に復活して来たようです。現在の風潮を見てると、日本も他人事じゃないですね。

(注:アインシュタインの言葉は記憶が曖昧なのです。確かこんな感じだったと思うのだが。前に読んだ資料も見つからないし、誰か知ってる人がいたら教えてください。m(_._)m )


まあ戦争になるにしても革命になるにしても、原因は政府の返済不能な大借金であるには違いなく、どの様な方法であれ借金が消えて無くなるまで事態の混乱が続きます。要するに問題の本質はあくまでもこの政府の借金だと言うこと。これ消えて無くならない限り、経済状態は好転しませんし、政府も政策に足かせが掛かっている状態でまともな政策を取りようがありません。


結局は混乱のさなか、タイミングは色々であるがハイパーインフレが発生。現政府はこの責任を取る形でハイパーインフレとともに消滅します。まともな政策が出来ない政府は存在意義がありませんし、国民からも信用されませんから消滅する以外無いのです。そして新しい政体による新政権が出来、ハイパーインフレにより借金も消えて無くなっており、古いしがらみも無くなってまともな政策も取れるようになり、経済そして政治も安定する様になる。


つまりはこの現象は、設立され安定状態が長く続いた国家が、設立の精神を忘れ、国家組織内部で制度的矛盾がたまり、それでも政府内部では下らぬ派閥争いに明け暮れ、あらゆる問題を借金として後回しにしていった結果、借金を返済不能に陥り倒産する。要するに「国家倒産」の現象なのだ。確かに一般大企業の倒産とそっくり同じですね。こうしてみると「あの戦争」と言う物も、設立して80年ほどたった「大日本帝国株式会社」の倒産、と言う実に単純な話に見えてきます。太平洋戦争その物は、倒産間近の企業が放った、起死回生の一発逆転の賭と言うことです。


ここでこのパターンに名前を付けたいと思います。「国家倒産法則」と言うのを最初考えたのだが、これではどうも面白くない。と言うのもどうもこのパターンがどの方向に進むかは、その時にでてくる「革命思想」によって決定づけられているからです。「革命思想」とは要するに、新しい国家体制を作ろう、と言う思想です。腐りきった政府・官僚を持つ現体制は消滅するのは当然として、新しい体制のビジョンが時代の方向性を決めている。


よい例が「明治維新」編です。ペリー来航以来15年近く続いた動乱は、坂本龍馬により「幕府を倒して新政府を作る」という具体的ビジョンが示されたとたんに、1年程度で実現して新政府が誕生している。その前の「尊皇攘夷」という民族主義的思想では、幕府の権威は確かに落ち込んだが、事態が混乱するばかりで何も解決されていない。しかも新政府成立後には「富国強兵」というビジョンが示され、欧米の技術力を取り入れ肩を並べることを目指し、うまく民族主義から脱却している。これは非常にうまくいった革命例でしょう


これが「あの戦争」編の場合、「皇国史観」と言う思想に集約され、全く国内混乱を解決出来ずに、最後に海外に打ってでる形になった。最後にアメリカにより革命をしてもらうという最悪の例の一つでしょう。方向性を間違えるだけでこれだけの違いになる。


また、この手の思想があまりでてこない場合、「清朝滅亡」編のように混乱している時期がやたらと長くなるようである。この場合でも最後に安定政権を作り出したのは、共産党という思想集団ですね。


つまりはこの時に蔓延する「革命思想」が全ての展開を決めているようである。そこでこのパターンの名前だが、

「国家崩壊及び革命の法則」略して「革命法則」

と名付けることにします。これによる結果は、革命だけで無く、戦争、国家分裂などもあるのだが、革命が一番ましそうなので、こうなってほしいとの願いも込めまして。



4.「今回編」の分析その2、人物編

次に登場人物の比較をしてみる事にしましょう。「あの戦争編」の登場人物の歴史的役割を、「今回編」では誰が、になうのか予想してみます。ちなみに判断基準はその人物の考え方です。考え方が似ていると似たような行動を取り、似た役目をする場合が多いと思われます。


再び注意事項:
そもそも私にゃ「予測」は出来ても「予知」は出来ません。ここはもろに他人の悪口になりそうな事書きますが、あくまでも私個人の主観で書きますから、文句がある人、これはちょっと違うんじゃないかと思う人はメッセージボードに書き込んでください。私が納得できればいつでも書き換えます。それに「今回編」は現在進行形の事なのでたぶん進行によって書いてることがころころ変わると思います。


高橋是清(積極財政で日本を昭和恐慌から回復させた蔵相。2.26事件の凶弾に倒れる)
= 宮沢喜一
これはまず間違いないでしょう。本人自ら「平成の高橋是清」を自認しているし、元首相で一旦引退した後で再び蔵相になったとこなんかもそっくり同じです。
ただ個人的考えでは、高橋是清は公債の日銀引き受けと言う、その後の国家財政を後戻り不能に持ち込んだ財政政策の、張本人であると見ています。本人は国のためを思ってやった事でしょうが、経済が再生してから財政再建を果たすなどと問題先送りの甘いこと考えて、国家財政を破綻させる遠因を作ったわけです。
今回編でも経済政策のための財政ごまかし政策を採り、見えない形での国の借金を増やしている様にしか見えません。国民の目が経済再建のみにいっている間に実質的国家の不良債権を増やしまくるわけですね。今後は最悪の選択である国債の日銀引き受けをやるかどうかが勝負でしょう。(既に実質的に行っていると言う話もあるが。)
今後は、ごまかしてきた赤字国債の問題がどうすることも出来なくなった時点で財政引き締めをやろうとして、クーデターの凶弾に倒れる予定です。

井上準之助(公債削減のため緊縮財政行い昭和恐慌を招いた蔵相。その後、右翼テロに倒れる。)
= 橋本龍太郎
これも間違いないでしょう。首相と蔵相の違いはあれど、やろうとしたことは全く同じ。財政再建を経済政策を世界標準に合わせる事で達成させようとするわけです。
ただ問題になるのは、目指した世界標準が既に世界的に見て時代遅れになっていたこと。井上蔵相の「金解禁」にしても当時の世界各国が金輸出を停止する中で無理矢理行っている。つまり世界経済の体制が変化しつつあることに気づかなくて、それまでの正攻法の財政再建政策を何の工夫をせずにストレートに行っただけ。時代の変化が見極められなくて結果的に不況を招き退陣。
「今回編」では、右翼テロの頻発と言うような事は起こっていないので、暗殺されなかっただけましか。

西園寺公望(元首相で昭和初期の元老。首相は彼が天皇に推薦することで決まっていた。明治維新志士の最後の生き残り。)
= 中曽根康弘
意外とこれが当たってるんじゃないかと感じています。「あの戦争編」は考えてみるとその前の「明治維新編」の経験者がいなくなってトップの世代交代が進んで行くのと同時進行で進んでいきます。日露戦争までは乃木希典、伊藤博文、山形有朋などの元明治維新志士たちが活躍していたのだが、この時代は元老として生き残っていたのは西園寺ただ一人。
中曽根氏も太平洋戦争経験者であるし、世代交代で現代の政治の中心がそれ以降の世代に移っている段階で、自民党の重鎮として重要な役割をしている所なんかが似ています。
後は、政治的・経済的混乱が続く中、日本の将来を憂いつつ天寿をまっとうするわけか?。
(西園寺公望については全然書いていないのだが、当時の重要人物でありますので、興味のある人は自分で調べて下さい。)

犬養毅(元首相。最後の政党出身の首相、5.15事件でテロの凶弾に倒れる。)
= 森喜朗(かなり無理矢理)
犬養の政治経歴は非常に面白いです。元々は大正デモクラシー期に野党「国民党」「革新倶楽部」などの党首を勤めていた典型的な野党政治家。普通選挙法が成立した時点で革新倶楽部を解散して政界を引退するが、選挙民に引退を認めてもらえず、勝手に当選され続ける。仕方が無いので革新倶楽部の党員を引き取ってもらった政友会の顧問をやっていたが、政友会内部の派閥争いをまとめるために暫定総裁を引き受ける。そんなところで満州事変が勃発。民政党若槻内閣が倒れ、なし崩し的に首相に就任する。(当時は民政党と政友会の二大政党でした。)
はっきり言って典型的な野党政治家である彼は、通常の状況ではまず首相になれるわけがありません。それが首相になったのは与党政友会の人材不足に他ならない。その結果、腐敗した政治家の代表だとして5.15事件のテロに倒れる。次の首相が政友会から出ず、軍人内閣になったのも、次の党内有力者、鈴木喜三郎が天皇親政論者であったため。(確かにこれでは、当時首相を決めていた西園寺がいやがるはずです。)
要するに犬養が首相を務めざるを得なかった時点で、それまでの政党政治が没落している事を象徴するような事なのです。結局、彼がそれまでの政党政治の最後を飾る形になった。
「今回編」ではそれまでの政治の最後を飾った?と言うことで森喜朗。(いやここしか似てないのだが。)当人は首相になる気はさらさら無かったのだが、色々事件が起きて他に適当な人物がいなくなり、いきなり成り行きで首相にならざるを得なくなった所が似てますね。そのあげくの低支持率と。当時の正確な資料はありませんが、犬飼首相の低支持率は5.15事件の犯人たちへの減刑運動が全国規模で展開されたことから察してください。いや、両人ともほんとはいい人なんだが。

宇垣一成(元陸相。陸軍内長閥の重鎮。岡田内閣総辞職後、首相に推薦されるも、石原莞爾などの反対で組閣出来ずに終わる。)
= ????保守本流の政治屋
誰になるのだろう?。ここでは「あの戦争編」での保守本流の代表者として登場してもらいます。
この人を評価する人は(専門家の間では)意外に多いし、確かに政治手腕はあるし、言ってる事も正論なのだが、いかんせん保守本流の申し子の様な人。長州出身でも無いのに陸軍内の長閥の後を継いで宇垣閥を作ったり、陸軍内部のクーデター計画を、政治的に利用しようとしてほおって置き、実現化しそうになるとあわてて止めてあっさり切り捨てたりする(三月事件)。根回しとか裏工作がうまいので、平時では間違いなく首相になっていたでしょう。この辺が保守系の専門家から評価が高い原因でしょうが、改革をすることはどうしても出来ないタイプ。皇道派から見れば腐敗した軍幹部の代表的な人。確かに大正軍縮を成功させたその政治手腕はたいした物だが、所詮は派閥政治家です。
結局、こういう人達のやった「事態解決の先送り」、「事なかれ主義」、「出世第一主義」が「あの戦争編」では事態の遠因となり、その問題が一挙に吹き出した形で事態が無茶苦茶になっていると思うので、個人的には余り評価しません。「この様な人は総理大臣にしてはならぬと思う」とは後年の昭和天皇のお言葉です。
「今回編」では自民党内の保守本流の誰かがこの役をになうことになるでしょう。(当てはまりそうな人が多すぎて絞りきれない。)

荒木貞夫(元陸相・文相。陸軍内皇道派の中心人物。青年将校に人気がある観念的人物。)
= 西尾幹二 土井たか子系統の人?(かなり苦しい)
観念的、あまりにも観念的な人物。一見すると下の者の意見をよく聞き、物わかりがよい上司に見えるのだが、その実、理論的な考えは何もない人。荒木はイギリス人バーナード・ショウとの対談で「戦争の器材が進歩してくるが、それだけ金が嵩む。最も経済的でよろしいのは竹槍で戦争することだ。」と言い切ったのが有名。(頭いた、よくこんなのが陸相とかをやっていたものだ。)
この人が5.15事件でテロを起こした将校達を「彼らの考えも解ると」弁護し、後の2.26事件につながるわけです。将校達の日本の政治を変えたいと言う気持ちは理解できてもテロはテロであって、絶対に認めてはいけないのですよ。
「今回編」で土井たか子を上げたのは、土井さんといえば前に社会党委員長をやっていた時の「ダメな物はダメ」と言う言葉が有名ですね。この言葉からは観念性だけが感じられ理論的思考が全く感じられません。なぜダメなのかは関係なく、とにかくダメだと言う事になっている。
基本的に旧社会党系の考えの人に多い。旧社会党の綱領で「非武装中立」と言うものがあったが、これが観念的考えの代表でしょう。正しいことを信じて行動すれば、ことが実現すると思いこんでいるわけ。(合理的に考えればそんなことは絶対にありません。)
この手の人は実務能力は皆無ですので、政治の中心来た時に改心するか(村山元首相がそうですね。)、永久に中心に来ないかのどちらかであるのが普通だが、乱世では何が起こるか不明。何かの弾みで観念的なまま政治の中心に来てしまう改革派の旧社会党系の人物がこの役目をにないそうな気がしてます。
でも結局、「我々は建設の役をしようとは思わなかった。ただ破壊すれば何人かが建設の役をやってくれると考えていた」(5.15事件の青年将校の証言)と同じで破壊だけしか出来ない人物。観念主義では建設は出来ないのです。
追加:
=土井たか子などと書いていましたが、どうも「今回編」では、「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物、西尾幹二になりそうですね。土井たか子とは対極的の観念的人物。「日本はすばらしい」の一念だけで「つくる会」の中心となる。でも結局その観念的な一念のみ。全然論理的に考えてはいませんね。昨今の状況を見ていると、どう見ても「つくる会」=「皇道派青年将校運動」だな。

北一輝(右翼革命家。皇道派の思想的指導者。2.26事件で民間人であるにも関わらず、青年将校達に悪い影響を与えたとして刑死。)
= 小林よしのり
「今の日本を変えなくては。」と思い、その方法として革命を志した人物。青年将校運動のバイブルとなった「日本改造法案大綱」を書き上げる。若者をたきつけ、その思想的指導者の役目をする。若い連中はまだ社会を知らないし、特に軍隊とか大学とかの閉鎖された社会だけしかしらない、まだ世間を知らない若者は、観念的になりやすい。(たまにはそのまま成長する人もいるが)そういった連中を煽り、世の中を変えようとするわけです。
本人は至って論理的に計算ずくでやっているのだが、そのやり方に根本的問題がある。基本的に自分を自由な立場において、現状を非難しているだけであり、その批判が現状に不満を持っている人にとって耳障りがよい。それで彼らの考えや行動に大きな影響を及ぼす。要するに、現状の社会を改革するために意図的に(特に若者を)煽ることが目的なのです。煽るためには、自分の本心をも隠したりする。とにかく現状をうれいて行動する人を増やそうとします。
しかしそのうち、煽られている方が誤解して独自に行動を初め出す。そうなったときに煽っているだけというやり方の限界がでてきます。最終的に、煽っていた若い連中が暴走を始め、彼らの事件に巻き込まれる形で最期を遂げる事になります。
煽る事では破壊しかできない。最も破壊すべきものを破壊することは出来るのだが。破壊のエネルギーが暴走を始める危険性があります。
「今回編」でこれをやっているのは漫画家の小林よしのり氏でしょう。「大東亜戦争肯定論」者のバイブルとなっている「戦争論」を書き上げ若者を先導しようとたくらみます。

永田鉄山(陸軍統制派の中心人物。陸軍きってのインテリで合理主義者。合理的な日本の改革を目指す。相沢事件で皇道派の相沢中佐に斬殺される)
= ????
永田に相当する人は「今回編」では今のとこ見あたりません。「永田の前に永田なし。永田の後に永田なし」と形容される頭脳明晰なインテリ。彼も日本を変える事を目指していたが、合理主義で柔軟な政治感覚に富むリアリストであり、秩序だった日本の改革を目指していた。このため同じ改革を目指していても、観念的で過激な皇道派と対立、統制派を組織します。
歴史に「もし」は無いが、私は「永田がもし太平洋戦争前至りまで生きていれば、」は考えたくなります。彼なら間違いなく陸相、いや首相になっていたし、アメリカと戦争をするなどと言う馬鹿げた事はしないでしょう。私は永田は「昭和の織田信長」であると見ています。頭脳明晰で合理主義者、なんてとこがそっくりです。太平洋戦争前後まで生きてれば日本の歴史を変えた人物であるのは間違いありません。
もし相沢事件が起きなければ・・・・、2.26事件の第一襲撃目標だなやっぱ。やはり歴史に「もし」はないや。とにかく織田信長と同じで、畳の上で死ねる様な人物ではありません。またその合理主義により、例の731部隊(細菌戦部隊)の設立に深く関わっていることも忘れない方がよいでしょう。
結局この人、天才には違いないし良識派なのだが、統制を持って何とかすると言うその方向性に問題があったと思う。生き延びても近衛や石原のやった統制経済を少しましにした物をやるだけで終わると見ています。
「今回編」で登場するとすれば、保守政党出身か官僚出身の改革派で、合理的かつ冷徹な政治経済改革を強引に押し進め、それが原因で人情派(皇道派)の反発を買って失脚(暗殺?)される人になるでしょう。
(しかしこの項は基本的に悪口を書きたいのだが、永田って調べれば調べるほど悪口書けませんね。最後まで皇道派を説得しようと試みていたようだし、一度は殺しにきた相沢を説得して帰したりしています。結局この人の敗因は、優しすぎて信長の様に残虐性を持ち得なかった事にあるような気がする。命をかけて行動するのは大切だが、死んじまってはどうにもならんのですよ、永田さん。合掌。)

石原莞爾(天才的軍略家。満州国の設立者。一時は陸軍の主導権を握るが日中戦争で失脚。)
= 小沢一郎
保守勢力の中から出てきた改革派。その天才的軍略生かし満州事変を引き起こす。そして「五族協和」「王道楽土」夢みる情熱家であり理想主義者。ただ皇道派の様に観念的では無く合理的・理論的に物事を考えるタイプ。満州事変を起こして陸軍下克上の先鞭を付け、相沢事件の相沢を弁護するか迷いながら、2.26事件では真っ先に徹底弾圧を叫ぶ。要するに彼は理想を追い求め、その実現のために考えが色々と揺れ動いた人である。そのため評価が非常に分かれる人。組織の枠に囚われるような人では無いので、そのへんが組織官僚の代表者たる東条との対立の原因でしょう。
一時は陸軍の主導権を握り改革を進めるが、日中戦争の拡大を止めようとして、「満州事変であなたのやったことをまねしているだけです。」と言われ失脚。「策士、策におぼれる」てやつでしょうか。
「今回編」では小沢一郎がこの人の役をやりそうです。保守出身の改革派で、情熱家で理想主義者だが理論的思考の持ち主。組織の枠に囚われる人では無いので飛び出して新組織を作ろうとしたり、新しい方法を模索します。
ただし周りから見ると、考えがころころ変わっている様に見えるので、いまいち理解されにくく、成功している間しか人気が持続しないのが欠点です。策士ですから一時は成功するのだが、「策士、策におぼれる」形になりやすいです。革新的に新しいことしようとするので失敗しやすいのは当然なんですが。ついでに、周りに敵を多く作るので、あんまり頂点には立てない性格でもある。(個人的にはこういう人達のファンなので頑張ってほしいです。)
ちなみに石原は、戦後には反戦平和主義者になって、郷里山形に帰り農地開墾にいそしんでいます。何となく石原らしくて私は好きです。

橋本欣五郎(陸軍大佐。桜会の中心人物。三月事件・十月事件を起こす。戦後A級戦犯として東京裁判に掛けら無期懲役。)
= 石原慎太郎
トルコ公使館付武官時代、トルコ革命の英雄ケマル・パシャに強い感化をうけて帰国後、1930年に国家改造を志す。陸軍少壮将校らを集めて桜会を結成。三月事件・十月事件と二度のクーデター未遂事件を引き起こす。これで上層部ににらまれ、36年に大佐で予備役に。その後、右翼系政治組織、大日本青年党を結成。政治家としても活躍する。しかし結局、体制に影響を与えることは出来ずじまい。
「今回編」では他と一線を画す有名独立右翼と言うことで石原慎太郎。いやその改革に掛ける意気込みは理解できる。しかし方向性に問題が・・・。
石原慎太郎は前は好きだったのだが、最近「第四の国難」なる本を読んで、帯に「石原慎太郎、大絶賛」などとかかれていまして頭抱えましたよ。本の内容は、三月事件趣意書の現代版そのものです。
と言うことで前は、石原慎太郎=石原完爾でしたが、橋本欣五郎に格下げです。日本人の誇りを求める考えに異論はないが、そのため外国の陰謀だとか、左翼の陰謀だとかにいくのは、方向性が間違っているぞ。だいたいこういう人達に限って、誇りを求めるあまり日本人の悪いと頃が全然見えてないだよな。国難の原因は、外ではなく、内にしかありません。

近衛文麿(公家筆頭近衛家の当主。太平洋戦争直前まで首相を務め、新体制運動を押し進める。戦後に自殺。)
= 小泉純一郎
公家出身の政治家のホープ。頭脳明晰で若い頃共産主義に傾倒したこともある。保守勢力の中にいるが改革派。基本的には評論家タイプである。政党系の保守系政治家が全ていなくなった時点で首相に担がれる。しかし陸軍を押さえきれずに辞職。2度目はしっかり構想を練り、新体制運動、大政翼賛会の設立まで行い首相に就任。しかしやはり陸軍を押さえきれずに辞任。と、波瀾万丈の政治家である。優柔不断な政治家と言われることも多いのだが、就任した次期が次期なので、個人的には余り責めたくは無いです。
結局改革に掛ける意気込みは認めるし、改革の必要性を理解しているのは解るのだが、経済に対する理解度が低いし、実務経験も少ない、さらに保守・革新のどっちつかずの立場になり、改革が中途半端になって失敗し退陣する。実務経験が少ないため、当人の考える理想、ソフトランデング的日本の国家改造そのものが、実現不可能であったことに気づかないのが、最大の問題でしょう。
「今回編」では色々迷いましたが小泉純一郎がこの役を引き受けそうですね。発足当初の内閣支持率80%以上なんてまるで第一次近衛内閣の支持率を見ているようです。正確な資料は無いが当時の雰囲気からして軽くこれぐらいは行っているはずです。この高支持率は、彼が保守の中から出てきた改革派であることが大きい。つまり国民は改革の必要性は認めるが急激な改革はいやだと、都合のよいこと考えている訳です。「ソビエト崩壊編」ではゴルバチョフがこの役をやってましたね。混乱期の最重要人物の一人です。
しかしこのままでは、保革両派の影響を受けてやることなす事中途半端におわり、最後には優柔不断な政治家と言われるようになります。結局、改革はしなければと思っているが、改革のイメージがしっかり定まっていないんじゃないでしょうか?。近衛の場合「東亜新秩序」などの意図がよく見えにくい声明にその辺がよく出てますね。そしてその中途半端ぶりが災いして、本人の意図とは関係なく、事態を最悪な方向に持って行くことになります。
「頭にしかと入れて置かねばならないのは、新しい秩序をうち立てると言うことくらい、難しい事業は無いと言うことである。この上なく実行が困難で、実行したとして成功はおぼつかなく、実現での過程では細心の注意を必要とすることなのだ。なぜなら実行者は、現体制下で甘い汁をすっていた人々を敵に回すだけでなく、新体制になれば得をするであろう人々からも、生ぬるい支持しか期待できない物だからである。」
(マキャヴェッリ著「君主論」より)
結局この人達はこの辺が理解できていなかったと言うことでしょう。小泉さんもこの辺をどこまで理解してるかが勝負でしょうね。成功すれば歴史に残る大人物になるのだが。
ついでに付け加えると、当然「皇道派」=「つくる会」の支持者ですね。

平沼騏一郎(元首相。当時の司法界のドン。国家主義団体「国本社」を主催。東京裁判で終身禁固)
=金丸信、野中広務(裏でこそこそやってる自民党の政治家)
生涯結婚もせずひたすら司法の道を歩いてきた人物。共産主義者を「国家を破壊するもの」として激しく憎み、国をうれいて右翼団体「国本社」を作ったりしている。
優秀な官僚だったみたいですが、この人やってる事がどうも妖しい。「帝人事件」(内閣総辞職に発展した検察による汚職でっち上げ事件)の黒幕と言われるし、検察や検事に色々と手を回して、当時のファシズム的雰囲気を作り上げていた人。
どうもこの人は裏から手を回して事を解決するのが政治だと勘違いしていたようです。そのせいで政界・官界の実力者であったにもかかわらず、西園寺や昭和天皇に徹底的に嫌われ、何度も首相になるのを逃しています。やっとなったのは他にやり手が完全にいなくなってから。
皇道派などの改革派から見れば、宇垣と同じく腐敗した政治家の代表者に見えたことでしょう。
「今回編」では自民党の野中広務や、かつての金丸信といったところでしょうか。あの人たちもも裏で手回しするのが政治だと勘違いしている様です。まあ、そんなことやっていれば一般国民からは嫌われますが、当人もそれが解っているので、政治の実力者であっても決して首相になろうとしないところが平沼と多少違いますが。

杉山元(元陸相。陸軍元帥。統制派の一人。終戦時に自決。)
武藤章(元陸軍省軍務局長。統制派の一人。東京裁判で刑死。)
牟田口廉也(盧溝橋事件の中心人物。インパール作戦失敗で左遷される。)
辻政信(ノモンハン事件の中心人物。)
= (多すぎて絞り込み不能)
この人達は要するに、「革新勢力内イケイケドンドン派」です。第二・三章の中で「陸軍の意向」とかでてくるのは、特定の個人の意向ではなく、こういう人達の総意のこと。結局、責任が無いので組織の中で周りの雰囲気に乗ってイケイケドンドンと何も考えずに調子に乗ってやってるだけ。日中戦争は、この人達がその場のことだけ考えてどんどん暴走していった結果、収拾不能に陥る。
「今回編」でも、多くいそうだな。革新勢力が主導権を握った時点で、無責任にイケイケドンドンと騒ぐ人達。「まあとにかくやってしまえ」という考え。結局こういう責任が無くて先のことを深く考えずに勝手に行動する人達が一番たちが悪い。と言うか、こういう人達を押さえることが出来なくなる状況が一番怖いのだが。ビジョンを持つ改革派が改革を行い、世情が不安定になったときにイケイケドンドンをやって全てをぶちこわす人達です。まあこういう人達にぶち壊される改革では、そのことが問題なのだが。
ちなみに私が「あの戦争編」で一番よく分からない人物が、杉山元。部下からは「ボケゲン」と陰口たたかれてるし、実際、天皇への答弁を読んでいてもボケとんじゃないかと思える人。日中戦争の時には陸相だったが、周りの雰囲気だけで戦線拡大を拡大を叫んでいるだけで、先の見通しについてはほとんどなし。何でこんなのが陸相やら元帥やらの重要な地位にいたのでしょう?。どうも分からん。若い頃は「宇垣閥四天王」の一人だったりしますから最初からこうだったとは思えないのだが。陸軍内部で長いこと組織人間やっている間に腐ったんでしょうか?。

東条英機(近衛内閣での陸相。開戦時の首相。東京裁判で刑死。)
= 亀井静香??(官僚出身の政治家)
官僚的、あまりにも官僚的な人。陸相の時には陸軍を代表して開戦を叫ぶも、天皇から非戦を約束させられて首相になったときは、それに全力を尽くす人。しかし官僚的な考えしか持たないために、他の軍事官僚の意見をまとめると言う発想しか出来ない。ましてや首相・陸相の権限で官僚を押さえると言う発想など絶対出来ない人物。しかもそれが正しいと最後まで信じ切っていた人。
「あの戦争編」では改革がすべて失敗して、まとめきれる人が誰もいなくなった時点で、その官僚的性格を認められて首相になります。そしてあの当時の状況からみて、全員の意見を全てまとめようとしたら、たとえ自身が反対の立場だったとしても対米開戦を設定するしかなかったわけです。(全員にはアメリカが入っていませんから。)彼の運命は官僚の限界を示している様に見えます。所詮は官僚、自身に思想がないのでまとめる事は出来ても、導く事は出来ませんから。
この人の考え方は「戦陣訓」を読めばよく分かります。基本的に官僚なんて人種は、前任者が作った組織やルールが絶対的に正しいとくそ真面目に信じています。東京裁判で被告席にたった東条には、真面目に正しくやってきた自分がどうしてこのような立場に立たされているのか理解できなかった様ですね。
彼にとって不幸だったのは、信じている陸軍や政府といった組織が、すでに内部から腐っており、機能不全を起こしてまともに機能してなかったこと。東条はそれを綱紀粛正で何とかなると考えていたようだが、すでに長年の膿が溜まった陸軍の体質はそんなもので変えられる訳がない。と言うか、信じているシステムそのものに問題があるから下の者が言うこと聞かなくなっていることに気付かなかったようです。組織人間の悲劇と言ったところでしょうか?。
東条は東京裁判で死刑判決がでますが、腐った陸軍や日本政府と言う組織を代表して刑を受けた、と言うことでいたしかたないでしょう。真面目な彼にとっては本当に不幸なことなのだが、開戦時の最高責任者ですから指導者責任と言うことで。
「今回編」では亀井静香になりそうな気がしてます。いや何となく。小泉改革=近衛新体制運動が失敗に終わった後、次に首相になる官僚出身の保守政治家と言えば彼でしょう。そういや警察官僚=軍人だったしね。いかにも精神論で状況を乗り越えようとしそうだな、この人。そして事態を決定的な方向に持っていきます。

米内光政(元首相・海相。)
山本五十六(元海軍連合艦隊総司令官。)
阿部信行(元首相。陸軍大将。)
鈴木貫太郎(終戦時の首相。海軍大将)
阿南惟幾(終戦時の陸相。終戦時に自決。)
= (多すぎて絞り込み不能。いわゆる良識派の人たち。)
保守でも革新でもなく政治的に中立な人達。よく山本五十六はアメリカと開戦すれば日本が負けると気づいていたのに、なぜ真珠湾攻撃を考え出したか不思議がる人がいるのだが、要するに単に職務に忠実であるだけです。政治には余り関心を持たず、ひたすら自分の職務をまっとうする人達。本来軍人はこうあるべきでしょう。軍人勅諭に書かれている事をひたすら忠実に守っている人達。
政治的には何もしないので、そういう態度を非難したり、無能だと言ったりする人もいるが、こういう人達が社会を支えていると思う。しかし動乱の時代にはあまりにも無力です。しかし変に色眼鏡で世の中を見ていないし、政治的野心も無いので、言っている事は極めて正論・正確になる。こういう人達の意見が通るようにするのが大切だと思う。最終的にガタガタになった事態の収拾は、最後に残ったういう人達がつけます。
「今回編」では何が置きようとも、粛々と自分の仕事を進めている多数の人達でしょうか?。個人的にこういう人達はすきです。しかし目立たないし政治の中心に来ないので、あんまり書けないのが残念です。しかしこういう人たちって決して派閥を作らないので政治的に大きな勢力になり得ず、単なる国を憂う良識派で終わってしまい、危機に対して何もできずに終わってしまうのがほとんどなんですよね、残念ながら。
永田鉄山なんかも基本的にはこの良識派に属すると思うが、彼の場合は良識派では何も出来ないことに気がついて、派閥嫌で「統制派という派閥は存在しない」と言いながら、統制派を組織する羽目に陥ってます。
(あっ、阿南惟幾について全然書いてないな。終戦の時の陸相なのだが、いい仕事してます。でも目立たない。)

昭和天皇(天皇陛下。大元帥閣下。)(また無茶な項を・・・。)
= 今上天皇
どうこう言っても昭和天皇は「あの戦争編」の主役の一人ですし、なんか書いときたいので書いておきます。
基本的にこの人は良識派の一人です。しかも立場的に全てを見通せる所にいた。そのせいで事態に対する物の見方が実に正確です。ガタルカナルで米軍の反攻が始まったときも、大本営なんかよりずっと正確に事態を把握してます。おかげでこの時代を調べるのにその言動は実に参考になる。
そして「君臨すれども統治せず」という近代の立憲君主国家の国王の基本を忠実に守ろうとした真面目なお方です。後年のインタビューで、「自分のやった失政はなんだと思うか?」という質問に、「田中義一首相解任事件」「2.26事件への介入」「終戦の聖断」を挙げておられました。最初これを読んだとき、最初の一つは解るのだが、後の二つが何故失政なのか解らなかったのだが、こうして本格的に調べてみるとその意味は深いですね。
「2.26事件」の時、昭和天皇は怒り心頭に発して自ら鎮圧命令を出してしまうわけですが、確かに今考えるとこれは間違っているような気がする。この時点でちゃんと内戦をやって置けば、後の太平洋戦争は防げたんじゃないだろうか?。皇道派に自分たちの考えは間違っていると気づかせる機会を奪い、統制派にうやむやな事件処理をさせる原因になった点で言えば、失政といえるでしょう。
「終戦の聖断」の件もそうです。臣民が始めた戦争を天皇が終わらせてはいけませんよ。作家の坂口安吾は終戦の日のことをこう書いています。
「たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!。
国民は戦争を止めたかった。死ぬのがいやでたまらなかった。そのくせそれが言えず天皇の命令だ、だから忍びがたきを忍ぼうという。何というカラクリか。何という歴史的大欺瞞か」
いや、ごもっとも。国民が自らやったことの後始末を国民につけさせなかった点、国民の責任を曖昧にしてしまった点で失政でしょう。
「今回編」では当然、今上天皇、と言うかこの人しかいませんが。「今回編」では基本をきちんと守り、何が起ころうとも、たとえ国民が何人死のうとも、何もしないことを願います。
しかしこの立場って辛いだろうな。昭和天皇は戦後に全国行幸をやってますが、これぐらいしか出来ないのですよ、この立場では。


番外編

原敬(最初の政党出身の首相)
= 田中角栄
戦前の政党政治が利権とかで腐敗していた理由を調べていくうちにこの人に達しました。原敬は政党系最初の首相として有名だが、調べてみると典型的な利権政治家。地元に鉄道を誘致して票を集める、財閥と結びついて資金を引き出すなど、やっていることが田中角栄元首相を連想させずにはいられません。全国に鉄道網を敷き詰め地方の産業発展を図るなど、まさに全国に新幹線を張り巡らせようと計画した田中角栄の「列島改造計画」の大正版でしょう。
最後は閣僚の汚職事件続発で政権を退いた様ですが、最初からこう言うことやっていれば政党政治が腐敗するのも仕方がない。藩閥政治の中から最初に政党出身の首相になったと言うその政治手腕はたいした物ですが、国民が政治不信になる一番遠い原因を作った人として、「あの戦争編」とはかなりずれるが番外編として書いておきます。
(ちなみに、この人が田中角栄だと気づいた時点で、第二章をこの人からに変更しようと一度は考えましたが、間がつながらないので没にしました。)

出口王仁三郎(大本教指導者)
= 麻原彰光
この人は誰?、とお思いの人も多いでしょうが、昭和初期に隆盛を極めた新興宗教団体「大本教」の指導者です。
1990年代の日本は第三次新興宗教ブームと呼ばれましたが、では第一次、二次はいつだったかと言いますと、明治維新前後と太平洋戦争前後だったそうです。見事に「革命法則」に当てはまってますね。これ以外でも中国での「太平道」(黄巾党)や太平天国の例もあります。
要するに社会不安が増大すると、まずはそのはけ口として民衆が宗教にすがり新興宗教団体がでてくるようです。まずは混乱の時代の露払い、と言ったところでしょうか。
大本教は大阪の新聞社を買収。大々的布教活動を行い社会問題になり、1921年と1935年に不敬罪(皇室に対する罪)等による摘発を受けています。これは戦前の政府による宗教弾圧として有名です。
しかし日蓮宗(石原完爾、北一輝、宮沢賢治などが入信)も盛んだった見たいですが、こちらは何も摘発を受けていない所を見ると、大本教の方は何か問題行動をしていたような気がしますが、いまいち資料がなくて不明。少なくとも初代教祖の墓を天皇陵に似せて作ったようです。これにより不敬罪。(オウム真理教みたいに国家内国家を作ろうとしていたのかな?)
太平洋戦争前夜にはこのほかにも多数の新興宗教団体が出来ており、このほかにも「死のう死のう団」(「死のう死のう」と言いながら街をデモ行進して本当に自殺したそうです。)などがあったようです。(レインボーマンの「死ね死ね団」はこれからとったのか。年がばれる。(笑))
「今回編」では当然、オウム真理教の麻原彰光尊師。一連のオウム事件で見事に混乱の時代の幕開けを告げてくれました。

田中隆吉(元陸軍少将。陸軍中野学校教官。)
= ????(現在スパイはいるんだろうか?)
この人は満州事変・上海事変等の時に、現地での裏工作を一手に引き受け、中国人を先導して事件を引き起こしたりして活躍しています。要するに当時の工作員、つまりスパイです。
陸軍省兵務局長、陸軍中野学校教官(有名なスパイ養成学校ですね。)を勤めるが、その行動に奇矯な所があり、大戦中に予備役になってます。
戦後、東京裁判において検察側に協力し、かっての同僚だった東条英機・武藤章・橋本欣五郎などを有ること無いこと糾弾したのが有名です。東条なんかは彼を裏切り者と罵ってます。
が、田中の言い分としては、どうせこの裁判は戦勝国が敗戦国を裁くのだから誰かが罪を被らなければいけない。それなら指導者責任と言うことで少数の人に責任をとってもらい、天皇にまで責任が及ばないようにしようと言う考え。
要するにこの人は、東京裁判の時にも天皇を守るために裏工作に精を出していたわけです。検事団の宿舎に住み込み、キーナン検事に芸者の世話までしています。
彼は彼なりに天皇のことを思い孤独に戦っていたわけですが、やっている事が相変わらず工作活動なんで、あまりにも面白くてちとチョイスしてみました。ついでにこの行動は非常に誤解を受けやすいんで、弁護のために。スパイだから仕方がないけど。最後まで田中は工作員(スパイ)だったと言うことです。
「今回編」では、うぅ〜〜〜、現代にスパイはいるのだろうか?。いても一般には知られてないだろうからなぁ〜〜。


しかし、改めてこうしてオールキャストを列べてみると、ほんとにバラエティーに富んだいろんな人達がいますね。



5.「今回編」の分析その2、期間と規模編




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