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今月の一言 |
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夏野菜の季節だ。
3年前から借りている市民農園では、キュウリ、トマト、ナス、ズッキーニが、毎週、たわわに実っている・・・といきたかったのだが、今年はなぜかあまり成績がふるわない。
キュウリはまずまずなのだが、カラス除けが殆ど機能していないせいもあって、出来るそばからむしられてしまっている。ナスは草体がまだ小さく、その分、実りもわずかである。ズッキーニに至っては、やっとこさ、苗から脱したばかりという感じで、花さえろくについておらぬ。
だが、なによりも悲惨なのはトマトだ。
毎年、うちはトマトだけはよその畑に誇れるくらいに勢いがよく、大量に収穫できていた。「お宅はトマト、育てるのが上手だねぇ」などと、うちよりも何もかもうまく野菜を作っている、隣の畑のおじさんから褒められるくらいだった。
それが、今年は草丈が低いままで、実もあまりつかず、先週、様子を見に行ったら、既に枯れかかっていた。
何が一体、まずかったのかと、妻と顔を見合わせながら出した結論は、恐らく苗を定植してからこっち、今年は殆ど液肥を与えなかったせいではないか、ということだった。もともと、あまり地味豊かとはいえない土地なので、肥料切れが即、成長不良を招いてしまったに相違ないのだ。
無肥料栽培に拘るあまり、伸びがあまりよくないなぁと気を揉みつつも、あえてこのまま続けてみたのだが・・・結局、腰くらいの高さで成長が止まり、少しばかり実をつけて、もう息切れという、なんともはやな結果になってしまった。
では、今年の我が家は夏野菜を存分に味わえないのかというと、そうでもない。
実はベランダで栽培している野菜たちが、思いのほか好調なのである。
いや、本当は、近年まれにみるほどの絶好調といっても過言ではない。
例年、ベランダ栽培の野菜は、ろくに実を付けずに終わっていた。草体が弱々しく、背丈も伸びない。葉が小さく、すぐに黄ばみ始める。まさに最悪の状態であった。
だから、今年もきっとうまくいかないだろうと覚悟していたのだが、あにはからんや、キュウリもトマトもグイグイ成長しているのだ。
窓を開ければ、すぐに手が届くところに実がなっているため、夕食のおかずに一品!ってときに、ササッと手に入る。これは妻にも好評で、その上、夏の直射日光を遮ってくれるという副次的効果までついている。
しかし、なぜ、ベランダの野菜がこれほどうまくいっているのか。
きっと、その理由の一つは、今までよりも大型のプランターを使っているということだろう。
だが、それよりも、もっと大きな理由を見つけてしまったのだ。
我が家のベランダは、手すり部分の高さがけっこう高い。このため、午前中に陽が当たるが、午後には日陰になってしまう部分と、その反対に午前中は日陰だが、午後には燦々と陽が当たる部分が出来てしまう。
さて、植物にとって、午前中と午後のどちらの太陽光線がより大切であろうか。今まで私は、あまり深く考えずに、それは午後の光に決まっていると思いこんでいた。なぜなら、午後の方が明らかに光線が強いからである。
そこで、野菜のプランターは全て午後に光が差す位置に置いていた。しかし、今年はどうしてもその場所に置ききれず、やむをえず、窓際の床にも置くことにしたのだ。この部分は、午前中のみ陽が当たる箇所である。
それから数週間。
例年の場所に置いたキュウリは、草丈がせいぜい30センチどまりであったのに対し、驚くことに、窓際のものは1m60cmを超え、茎も太く、葉も巨大な成長を遂げたのである。
太陽光線の当たり具合で、これほどの差が出るとは、正直、夢にも思わなかった。それも、まさか午前中の光の方が午後のそれよりも植物にとって大切だったとは、私も四十数年間、生きてきたが、予想だにしないことであった。
だが、これほど如実に結果が出てしまっては、もはや一点も疑う余地はない。
ちなみに人間もどうやら同じで、朝一番に目を覚まし、太陽の光を浴びることで、体内時計がリセットされるのだという。恐らくこの朝日というやつが、生物にとって大変に重要なファクターなのだろう。
不思議だ。あまりにも不思議ではないか。早朝に浴びる陽光の中に、一体、どんな秘密が隠されているというのであろうか。
だが、理屈や理論なんて、本当はどうでもいいのかもしれない。
今年もまた、野菜たちから大切なことを、一つ教わった気がする。
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