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今月の一言 |
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ぬちゃらぬちゃらと歯にしがみつく、ヌガーにも似た飴(「さつまいも」原料。砂糖不使用)をしゃぶっていたときのことだ。
突然、左の奥歯に違和感が生じた。
いや、正確に言うと、違和感というよりも、喪失感といったほうが正しい。
慌てて吐き出すと、それは一番奥の歯に冠していた銀色に鈍く光る物体だった。
「あーぁ・・・」
誰もいない部屋で、私は思わず大きな声で溜息をついてしまった。
人差し指の爪の大きさほどもある、被せモノが手のひらに転がっている。
裏返してみると、赤っぽい粉のようなものがついていた。
なんだろ、これは?
慌てて鏡に向かって口を大きく開けてみると、問題の箇所は、なんとも気味の悪い様相を呈していた。
具体的な描写は避けよう。とにかく、気分のよい映像じゃなかった。
この奥歯は、次に何かあったときには、もう抜くしかないと歯医者に宣言されていたことを私は思い出した。
「できるだけ、自分のオリジナルの歯を維持したほうがいいです。だから、今回だけは、なんとか神経もとらないで治療しておきます。でも、次はもう削る余地もありませんからね」
歯医者はそういって、大きな銀の塊を私の口に押し込んだのだ。
また、あの歯医者に被せてもらえばいいかな?
一瞬、簡単にそう考えた。
だが、鏡でみた様子だと、そうはいかないかもしれないという不吉な予感が、地平線の彼方に沸き起こる乱雲のように、にわかに胸に兆してきた。
そして、ふと思い出したことがあった。
そういえば、ここ数ヶ月、左の顎の辺りにかけて、ときおり、奇妙な痛みが走ることがあったのだ。
それは、突然、やってくる類の不幸で、ピクピクと顔面が痙攣するような、酷い痛みを伴ったものだった。あまりの痛みに、それに襲われている最中、私は顔を歪めて文字通り七転八倒する。
言葉を発することさえできない。
頬に手を当てて、じぃっと耐える以外に方法がないのだ。
やがて、来たときと同様に、すぅっと痛みは去ってゆく。
そうなってしまえば、もう、あれはなんだったんだろう? と思うほどの静穏に戻るのだ。
ひょっとして、これはこの詰め物のせいではないだろうか?
最近、歯に詰める銀に、水銀アマルガムを使ったものが悪さをしている事例があることを知った。
数年もするうちに、溶けた水銀は体内を巡り、イタイイタイ病になってしまうのだという。
もしかしたら、私の場合も、それなのでは・・・・・・?
そう思ったら、もう、いてもたてもいられなかった。
あらためて鏡に向かい、口を開けると、私には虫歯の治療跡が全部で四箇所あることが分かった。
下の左に2箇所、右下に一箇所。上の歯は右奥に大きな被せモノが一つ。
取れてしまったところ以外のものは、全部、銀色にテカテカと輝いている。
最後に歯医者に行ったのは、子供が保育園に通っていた頃だから、もう5,6年も前になろうか。そのときには、左奥の歯の治療だった。それ以外の三箇所は、覚えていないほど昔にやってもらったものだ。水銀が溶けて流れ出すには、十分すぎるほどの時間がたっているに違いない・・・・・・
子供が帰宅するや、留守を任せて私は家を飛び出した。
以前に通っていた歯医者は遠すぎる。
それに、もし水銀を使っていたのなら信用できかねる。
ネットで調べてみると、わりと評判のよい歯医者が大宮駅近くにあることが分かった。
電話で予約を入れ、私は自転車の人となって急行した。
まだ開業したばかりなのか、その歯医者はとても近代的で清潔な雰囲気の待合室だった。
すぐに呼ばれて治療室に向かう。
特有の長椅子は、だが、さすがに見慣れたそれだった。
もっと違った新しい何かを期待していた私は、少しがっかりした。
そこに長々と身体を横たえ、ふと左上に目をやると、モニタが宙にぶら下がっているのが見えた。
目を凝らすと、なんと、それはPC端末ではないか。
OSはウィンドウズXPだ。歯医者用のソフトが起動されている。
そこに患者のデータがずらっと表示され、医者から説明を受ける仕組みになっているらしい。
数年、歯医者に来ないうちに、随分と変わったものだ・・・・・・
私は、しげしげとモニタに見入ってしまった。
時代の進歩に感心しているうちに、峰不二子のような看護婦がやってきた。
私が水銀アマルガムへの不安を訴えると、彼女はにっこり微笑んで、それに代わるサンプルを持ってきてくれた。
本物の歯と見まごうばかりの出来だ。
材質はプラスチックとセラミックを半々に使ったものなんだという。
これはいい。
しかし、保険対象外のようで値段もなかなかにいい。
「銀を使うと、固すぎるので、それと向かい合わせになっている歯のほうばかりが削られていってしまいます。でも、こちらなら、それほど固くはないので、両方、同じように削られていくから安心なんですよ」
そうか、それはスバラシイ。
そのときは、確かにそう思えた。
だが、ふと冷静にかえると、その削られたプラスチックやセラミックは、それじゃ、果たして本当に安全といえるのだろうか? という疑問が湧いてきた。
水銀アマルガムがヤバイということは、すでに公害にまでなっているから皆、よく知っている。
では、こちらの素材なら大丈夫という保証はあるのだろうか?
峰不二子に答えられるとは、とうてい思えなかった。
いや、今の段階では、恐らく誰もその回答を出せないだろうと思う。これもまた、壮大なる人体実験による被害が出てからじゃないと、本当のことはわからないに違いない。
食品添加物や携帯電話の電磁波による影響と同じことだ。
後の世になって、やっと、ああ、あれはまずかったと気がつくのかもしれない。もちろん、同時代に生きた人にとって、それは、あまりにも手遅れなのだが。
結果的に、私の詰め物にアマルガムは使われていなかったことが判明した。
私は大いに安堵するとともに、以前に通っていた歯医者を疑ったことに、そっと心の中で侘びを入れた。
「ただし、銀は使われています」若そうな目をした歯医者は宣した。
どうやら金属アレルギーだとそれが原因で苦しい思いをするかもしれないということが言いたいらしい。
しかし、私にそのアレルギーがあるかは、よく分からない。
「まだ、時間はありますので、詰める材質をどうするかは、ゆっくり考えてください」
つまり、これから何回もここに通わねばならないという意味なんだろうか、これは。
「それよりも・・・・・・」
歯医者はモニタに映るレントゲン写真を示して言った。
「この取れてしまったほうの歯も問題ですが、こちらの右上の奥歯。今までなんともなかったですか?」
声のトーンが明らかに落ちていた。
「根元の骨が溶けてしまっています。前後左右に揺れるだけじゃなくて、上下にまで揺れてしまいますから、こちらはもう抜かないとならないかもしれません」
励ますように朗らかに告げる口調と、その内容が、妙にミスマッチだった。
正直言って、よくあることである。
歯医者に行って、問題があると考えている歯とは別の部分で虫歯が見つかるという話は。
だが、抜かずに済む確率が10%以下であるといわれるまで、放置しておいた私も私だ。
これまた、思い返してみると、そういえば、いつのまにか無意識のうちに、私はタクアン程度の固いものは、右の歯ではなく左の歯で噛むような癖がついていた。
意識せずに、勝手に口がそういう具合に食べ物を噛み分けるまでになっていたということは、一体、いつからこの歯の異常を身体は私に知らせていたのであろうか?
古来、人の歯は32本ある。
だが、今回、私はどうやらそのうちの1、2本を失うことになるのだ。
若い頃、喧嘩して殴られても、びくともしなかった丈夫な歯だったのに。
あと何十年、生きられるかは分からないが、今度こそは大事にせねば!
毎日、食後にはせっせと磨こう!
歯医者に通いだすと、毎度、心に誓うことであり、いつの間にか下火になる情熱であることは分かっている。
口の中に詰められた薬の苦味を感じつつ、だが、私は、今度こそは!と、恐らく十数回目になるであろう決意を、またしても新たにせざるをえない。
失われるであろう、奥歯への、限りない哀悼をこめて。
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