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今月の一言

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先月より、我が家では全ての部屋のティッシュ・ボックスを撤去しました。
五年生の息子が、学校の宿題で家庭のゴミについての調査をしたのがきっかけです。律儀にも、息子は、家中のゴミ箱をいちいちひっくり返し、どんなゴミがどれくらいあるか、ちゃんと調べて報告書を作りました。その結果、我が家から出るゴミの実に90%近くを占めていたのが、なんと、ティッシュだということが分かったのです。それも、お恥ずかしいことに、私の使用量が断然多い。


尾篭な話で恐縮ですが、私は風邪でもないのに、どうも午前中はよく鼻水がでます。痰もしょっちゅう絡みます。多分、まだどこか、身体に不具合を抱えているのでしょう。おかげで、私の机の横にあるゴミ箱は、いつもティッシュのゴミで山盛りです。
ちなみに、我が家では野菜は皮ごと食べちゃうので、野菜くずは案外出ません。たまに出る野菜くずも、殆どがコオロギだのミルワームの餌になるため、台所から出る生ゴミはほんのわずかです。


さて、このあまりにも便利な存在で、つい手が伸びてしまうティッシュ。
きっと、皆さんも何かにつけて、お世話になっているはずです。
だけど、よく考えてみると、ティッシュって、もともと木から作られているんですよね。つまり、私たちは木の命を、鼻をかんだり水をふき取ったりするのに使っているということになります。しかも、私などは、気がつかないでいたけれど、毎日、相当量を費やしています。息子の調査報告を見て、やはり、これはなんとかせにゃあなぁと、胸に響くものがありました。


息子の宿題は、もともと教科書に掲載されていた、江戸時代における資源のリサイクルのお話に端を発しております。
曰く、江戸の頃は、およそゴミというものが無かったといいます。いや、正確に言うと、不要となったものは江戸の頃にだってたくさんあったようですが、ただ、それを回収し、修理したり形を変えて、別の何かにして命を吹き込み、徹底的に使いまわす技術に優れていたのです。
つまり、今で言うところの『ゴミ』は、殆ど存在しなかったのであります。
例えば、着物。
古くなって、着ることができなくなった着物は、裁断して赤ちゃんのオムツにします。その後は、雑巾になります。雑巾としても使えなくなったら、燃やします。そして、その灰は綿の木の肥料として使うのです。


或いは単に、鎖国で資源が国内のものだけに限られており、使い回しせざるを得なかったのかもしれません。
今のように外国からタンカーで大量に石油が入ってくる時代じゃありませんでした。プラスチック加工品が街にあふれ、なんでも使い捨てできるという、経済的なゆとりがある現代とは大違いだったはずです。
ただ、私は、今の時代のゆとりある暮らしも素晴らしいとは思いますが、江戸の頃のような循環型社会はもっと凄いと思います。
いらないものとして処分しちゃえば、今の世の中ですと、それはゴミとして燃やされ、大気を汚し、温暖化を一歩推し進めます。その上、燃やしてしまえば、資源として二度と戻らないので、地球は痩せ細っていく一方です。


話が大きくなってしまいましたが、それでは、いったい、自分たちに何ができるというのでしょうか? そう考えたとき、そもそも、我が家のゴミ・ナンバーワンである、ティッシュを部屋に置くのをやめてみたらどうだろう、という発想に至ったのです。
しかし、正直言って、最初の頃、ティッシュ無しの生活は、不便で仕方なかったです。いかに普段、ティッシュに寄りかかって生きてきたのか、ありありと思い知らされました。
ティッシュの代わりにガーゼを使い、鼻をかむ。
これは良いのです。
そもそもガーゼの方がうんと軟らかいので、風邪を引いて鼻水がたくさん出るときでも、鼻が赤くすりむけたりしません。使った後は、各自、洗面で洗って汚れを落としてから洗濯し、乾かしてまた使います。
私は痰を吐くのに、専用の湯呑みを用意しました。
これも、まぁ、大した手間ではありません。
子供は学校にポケットティッシュの代わりに、ガーゼを持っていきます。おかげで、鼻をかんだ後にうっかりポケットから出し忘れ、洗濯した後、洗ったばかりの服や下着が細かい紙のくずだらけになることもなくなりました。


問題は、もう少しちょこっとした場面で起こりました。
それは、例えば、飼い犬の目ヤニや涙を拭きたいときだったり、手洗い中、床に少しだけこぼれた水や料理中にうっかり垂らした油を拭き取りたいときです。
こういう日常の、何気ないシーンで、ティッシュを求めて自然と腕が伸び、あぁ、そうだ、無いんだったとハタと困るわけです。こういったときには、やはり、ティッシュがないと辛いのです。『あると便利』を飛び越えて、ないとハッキリ不便を感じてしまうのです。
そこで、あまり肩肘張らずに、この場合には、素直に紙を使うことにしようと決めました。但し、ティッシュではなく、トイレットペーパーを用意しておいて、最低限、必要な量だけを使うようにしています。


こんなことして、何になるんだ? と思われるかもしれません。
確かに、我が家でティッシュを使うことをやめたところで、温暖化はそう簡単に進行を止めないでしょうし、ジャングルの木々が伐採されるのも、さほど減らないかもしれません。
ただ、それでも、私は私にできることをやるのみです。
不便を楽しむ、というと、ちょっと大げさですけどね。
でも、こういうのって、ちょっとステキな不便じゃありませんか?

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