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今月の一言

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先日、東松山市にある子供動物自然公園に家族で遊びに行ってきた。
自宅からだと、車で一時間ちょっとくらいの距離である。
今年になって、これでもう二回目なのだが、なにゆえそれほど気に入っているのかというと、ここにある『ふれあい広場』が最高なのである。
日に三回ほど、モルモットやウサギを抱っこできるチャンスがある。この程度であれば、どこにでもありそうなイベントだが、ここでの呼び物はそれだけではない。バイバイの時間になると、モルモットたちが飼育舎までの数メートルを、渡り廊下を歩いて帰っていくのだ。それも、ちゃんと一列になり、お尻をかわいく振り振り、いそいそと戻っていく。そのあまりにもチャーミングな仕草は、見ているこちらの頬が、思わずゆるんでしまうほどの愛らしさなのである。


我が家では、特に娘がこの子達に惚れこんでしまっており、文字通りメロメロ状態である。
将来はここで飼育係のお姉さんになりたい!というくらい、娘はこのネズミの親分に入れ込んでいる。何時間でも抱いていたい! 家でも飼いたい! と言うのだが・・・・・・
うちには犬がいるのである。
それも三頭もいるのだ。
モルモットは、恐らく、四六時中、吠えられてノイローゼになってしまうだろう。残念ながら、とても飼うことはできそうにない。
その分、犬をかわいがってあげてね、などという大人の勝手な言い草には、やはり素直に首肯できないようで、娘は未練たらたらな様子である。


家で飼えない以上、こちらから会いに行くしかない。
という次第で、今回も遊びに行ったのだが、実は私には、以前から、モルモット以上にずっと気になっている存在が、このふれあい広場にはあった。
メインとなるスペースには、ヤギがたくさん放し飼いになっていて、こちらも自由に触れるのだが、その中に混じって、小さなブタがいるのである。
数年前、新型のペットとしてブームを巻き起こした、あのミニブタである。
ミニブタといっても、決して小さくはない。もともとのブタに比べて小型であるというだけで、我が家の犬たちよりも、二まわり以上は大きく、恐らく体重は子供たちよりもずっと重い。体の表面には、ちくちくする太くて短い剛毛が生えている。うっすらと口元からのぞく牙は乱食いになっていて、なにやら鬼を思わせる。食いつかれでもしたら、かなり痛そうだ。
なりこそ小さいが、どこから見ても立派な猪の子孫なのである。
ようするに、ちょいと迫力があって、なんとはなく、近寄りがたい雰囲気があったのである。


ヤギだって角があるし、何を考えているかわからない目をしている。だが、ヤギにはまだ、どこかおとなしいところがあって、そう抵抗感も無く接触できるのであるが、ミニブタは違う。
常にわが道を行き、人がいようといまいとお構いなく、好き勝手に振舞う。恐る恐る手を伸ばして触ると、そっけなく身をかわして逃げていく。もちろん、愛想よくお尻なんて振らない。ヤギが食べている草を差し出すと、いらんわい!とばかりに、フンゴーッ!と鼻嵐を起こして蹴散らしてしまう。誠に、どう接したらよいのか分からない連累と言わざるを得ない。
だが、そんなミニブタが、私には以前から、どうにも気になって仕方がなかった。
ああいう、一見、無愛想に見えるタイプは、その実、とても愛らしいものを内に秘めているんじゃないだろうか? 一度、心を許すと、深い愛情で結ばれるのではないだろうか? 私にはそんな予感がしてならなかったのである。


ブタと親しくなってどうする? という気もしないではなかったが、こう心にひっかかるものがある以上、やってみるにしくはない。一つには、私の中にある、ミニブタを恐れる気持ちを、ここいらで払拭しておきたいという思いもあった。
大概の動物をたらしこむには、まずなによりも、なでることである。
それも相手が気持ちよく、うっとりとする箇所を、重点的に、嫌っていうくらいにさすってやるのである。犬ならば耳の間、猫ならば喉というのが定石であるが、この他、実は殆どの動物が気持ちよく思うところがもう一箇所ある。
お腹だ。
例えば犬の場合、本当に心を許すと、自分でお腹を上にむけて、触ってくれぇ!とねだるようになる。うまくなでてやると、気持ちよさのあまり、足がくいっくいっと動いてしまうほどだ。
さらに犬の例でいうと、キスをして唾液を与えると効果的だ。これをやると、どんな犬でも完全に虜にすることができる。衛生上、進んでお薦めできる手法ではないが、私はこれで、今までに近在の犬を何頭、手下にしてきたかしれない。効果の程は折り紙つきなのである。


ミニブタといえども、哺乳類である。温かい血が通っている生き物である以上、こうしたスキンシップが嫌いなはずがない。そこで私は意を決して、一番、大きなミニブタにゆっくりと近寄り、さりげなく背中をなでることからはじめてみた。
やさしく「ぶーちゃん、ぶーちゃん」と声をかけながら、次第に片手をお腹の方に下ろしていく。四十に近い男の言うセリフとは思えぬが、こういうときに恥ずかしがってはいけない。穏やかな褒め言葉とやさしいタッチが大事なのである。
「ぶーちゃん、かわいいね。とってもきれいだね」と私が言うたびに、ぶーちゃんは心を開いていくのである。


小さな乳首が何個も並んでいて、お腹をなでるたびに、手のひらの中でころころと転がるような感触があった。なんと大きなお腹だろう! 分厚い脂肪のやわらかいことよ。お腹に赤ちゃんでも入っているんだろうか? 剛毛と思っていたが、こうしてあらためて触ってみると、そんなにひどいものじゃない。五分刈りの少年の頭をなでているのと、あまり変わらない気がする。頬を寄せて直接、肌に触れてみたが、臭いがまるでなかった。さすがに多少は臭いだろうと覚悟していたのだが、ブタは本当にきれい好きの生き物のようだ。あまりに鼻面がどろまみれで、キスをする気にはなれなかったが、やわらかそうなその鼻に、自分の鼻をこすり合わせてみたら、どんな感じがするのだろうと、やってみたくて体がむずむずした。


いつもなら、すすっと逃げて行ってしまうぶーちゃんが、今回は短い四本の足でじっと立ったまま、私になでられるがままになっていた。相変わらず顔はそむけたままだが、どうやらまんざらでもない様子だ・・・・・・
いい感じじゃないか。そう思っていたとき、何の前触れも無く、突然、ぶーちゃんがごろん!と横倒しになった。危うくスニーカーが潰されるところだった。
ぶーちゃんは、うっとりと目を閉じていた。長いまつげは、体毛と同じく白かった。短い足は立っているときと変わらず、つっぱったままだった。どうやらぶーちゃんは、お腹が重くて仰向けにはなれず、横向きに寝ることしかできないらしい。
寝顔のなんと愛らしいことよ!
私がなでているものは、命そのものだった。
愛しさのあまり、胸がきゅっと痛くなってしまった。


ぶーちゃんは、その後、何分もの間、お腹をさすられ続けて、夢心地の中をさまよった。どうやら、いつまでも、いつまでも、そうしていたいらしく、私が疲れて手を休めても、なかなか起き上がろうとしなかった。
やがて、もう少し小さいブタが後ろからやってきて、そぉーっと、私のズボンの裾に鼻面を押し付けはじめた。人を避けることが多いミニブタが、こうして自分からやってくるのは珍しいことだ。私は気がつかない振りをした。
妻がいうには、ミニブタには案外、愛嬌があって、靴紐を口で引っ張って外し、あたしじゃありませんよって、知らん顔してみせることがあるのだそうだ。
どうやら、このミニブタちゃんも、なにやら企んでいそうな雰囲気だった。案の定、ひそかに私のズボンの裾についている飾りを噛んでいる様子だ。
暫く遊んだ後、その子は去って行った。ズボンの裾は泥だらけになっていたが、私の心は温かだった。


一緒に寝たり、散歩したり、ご飯を食べたりできたら、どんなにいいだろう!
だが、うちには犬がいる。
オオカミの子孫である彼らは、どうせ、ぶーちゃんのことを、『動くステーキ』だの『噛み応えのあるミミガー』としか認識しないに違いないのだ。
別に彼らが悪いわけじゃない。それが犬というものなのだ。


お別れするとき、はじめて、ぶーちゃんは、正面から私の顔を見てくれた。
恥ずかしがり屋の彼女は、横目でちらっとこちらを窺うことはあっても、今まで一度も、真正面から私を見ることはなかったのである。
長いまつげに縁取られた、ぶーちゃんの目は、大きくてキラキラしていた。
無口なぶーちゃんは、こんなときにも何も言わなかった。
ただ、その瞳だけが、必死に何事かを訴えかけているかのようだった。
(また、来るからね)
ぶーちゃんは、くるっと後ろ向きになると去っていった。
小さな尻尾が、ふるんふるんと秋風に揺れていた。
やがて、ヤギの群れに隠れて、ぶーちゃんの姿は見えなくなっていった。
(約束よ)
見つめ続ける私の心に、ぶーちゃんの思いが通ってきたような気がした。

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