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今月の一言

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携帯電話を解約しました。
これまでにも殆ど使っておらず、月々の基本料金だけがひたすら口座から引かれ続けておりました。
ケータイがなければ暮らせないという、今の若い世代の方から見たら、きっと信じられないことなのでしょうね。
でも、私にとって、携帯電話などというものは、生活をする上で、全く必要のないアイテムのようなのです。
今までは、商売をしている以上、一応は持っておかないと・・・と、勝手に思い込んでいました。しかし、よく考えてみると、私は普段、携帯電話が必要になる生活をしていません。小さいボタンをちまちまと押して、メールをやり取りするという趣味もありません。それに正直に言うと、そもそも私は電話があまり好きではないのです。


直接、人と会って話をすることは好きです。しかし、どうも電話だと、いくら親しい人とであっても、話が終わると、脇の下に汗をかいて、ぐったりと疲れ果ててしまうことが往々にしてあります。ましてや、気楽にいつでもどこでも話ができるという便利アイテムなどは、私にとって不要であるばかりか、生理的にも受け入れがたいものがあります。幾ら便利だといわれても、いらないものはいらないのです。


ちなみに電話嫌いといえば、父も相当に電話が嫌いなようです。或いはこれは遺伝なのかもしれません。今までの人生で一番最短の電話は、次のようなものでした。


父 「元気か」
私 「うん。」
父 「そうか。じゃ。」


受話器をとってから5秒もかからなかったと記憶しております。これくらいの短さが、お互いに疲れず、精神衛生的にも最も優れた、正しい電話の使い方なのかもしれません。


ところで、携帯電話の利便性とは、主として外出時にあるのでしょう。
確かに、私も外に行くときには、必ずポケットに忍ばせておりました。何か不測の事態が起きたときには、大いに役に立つはずだと思っていましたので。しかし、結局は何もないままに5年が過ぎてゆきました。
私はいつしか携帯電話を電話としてではなく、時計として持ち歩くようになっておりました。ですから、携帯電話を解約したときに、一番、困ったのは、実は時計がないということでした。


私は腕時計もあまり好きでありません。
夏場などは時計を巻いている部分に汗がたまって、非常に不愉快です。また、金属の塊を体に直接くっつけるということにも、どういうわけか抵抗感を覚えます。
しかし、外出時に時計がないのは、ちょっと困ります。まさか、知らない人に、いちいち時間を尋ねるのも気が引けます。
こうして携帯電話が、時計の代わりになっていったのであります。


携帯電話を解約した代わりに、懐中時計を購入することにしました。
なかなか気に入ったものが見つからず、探すのに苦労しましたが、ようやく手頃な価格で、それなりのデザインのものを手に入れることができました。
若い頃、知人が奇を衒って懐中時計を持ち歩き、これみよがしに見せびらかしていた思い出があって、実は懐中時計というものに、今まで良い印象がありませんでした。大体、時刻を知るために、いちいちポケットから取り出すというのは、あまりにもったいぶった所作でありませんか。
しかし、今の私には、これも全く苦になりません。いつも携帯電話でそうしてきたのですから、むしろ、ごく自然な動作になっています。


このようなわけで、私は懐中時計を愛用し始めたのですが、一つだけ、困ったことがあります。
金色に光る、ずっしりと持ち重りのする時計をポケットから取り出す様は、しゃれて見えるのでしょうか。ときおり、「おしゃれですね。」などと言われるようになりました。
「ケータイがないもので。」と答えると、前後の説明が厄介になりそうなので、そのまま受け流してしまいますが、内心では少々、気恥ずかしい感じがしないでもありません。本当は、おしゃれでもなんでもなくて、極めて実用本位での選択に過ぎなったのですから・・・


何が必要で、何が必要でないのか。
人によって様々なのであります。

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