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今月の一言

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あけましておめでとうございます。
本年も3hornをどうぞ宜しくお願い申し上げます。


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三国志の英雄・劉備玄徳が、慶州の劉表の下に敗残の身を寄せていたときのこと。
ある日、厠で座り込んだ彼は、己の太股が肥えたことを発見し、溜息を洩らした。馬上、休むまもなく戦場を駆け巡っていた頃には、どこにも無駄な脂肪を蓄える余地など無く、鋼のように引き締まっていたものが、日々の歓待を受けるうちに、いつの間にか丸々と太ってきたのである。志を遂げることができないまま、徒に時を送る英雄が、思わず洩らした悲痛な嘆き。これが世に名高い「脾肉の嘆」である。


本日、トイレにてひと心地ついたとき、数千年の時を越えて、私もまた、このときの劉備の思いが朧に分かったような心地がした。
年末年始、猛烈なご馳走の連続で、お腹の周りに余計なお肉が急速にまとわりついてきたことを、改めて実感したのである。
もとより、古代の英雄にわが身をなぞらえて何事かを嘆じるような、ふてぶてしい了見は私にはない。劉備の溜息が「脾肉の嘆」であるならば、私のそれはせいぜいがところ、「腹肉の嘆」くらいなものである。


だがしかし、これは私にとっては容易ならざる緊急事態である。
恐る恐る体重計に乗ってみると、52.5kgであった。
確か年末に測ったときには、48kgであり、いささか体が重たく感じたのを覚えている。
私の身長は161cmである。このくらいの重さであれば、まず、平均体重と呼ばれるものよりは、ぐっと低い値だろうと思う。しかし、私にとって一番体調がよいと感じる体重は45kgなのであって、現在のそれはとんでもない重量オーバーなのである。
ちなみに、本日も豪勢な昼食だったため、胃袋にしこたま食料が詰め込まれている状態での計測であった。従って、実際にはもう少し割り引いてもよいのかもしれない。だが、それにつけても、この数日のうちの体重変化はあまりに急速であり、今までの経験では、これこそ痛風発作の呼び水となる、非常にやばいパターンなのである。


どうしてこんなことになったのか。
以下、このところの食事内容を振り返ってみる。


30日昼 与野のイオンにてイタリアンのバイキング(この日はこれのみ。)
31日夕 手打ちの讃岐うどん3人前を肉汁で平らげる。
元旦昼 妻の実家で、ビール、焼酎、鮨、他・おせち料理
同日夕 引き続き妻の実家にて、ビール、うなぎ、おせち料理
2日昼 千葉の館山にて地魚の鮨一人前 + 子供の残した鮨、さんが焼き
同日夕 私の実家にて、ビール、きりたんぽ鍋、おせち料理
3日朝 私の実家にて、おせち料理
同日昼 千葉の「こどもの国」にてカツカレー
同日夕 北戸田のイオンにある沖縄料理の店にてソーキ丼(豚の焼肉)
4日昼 妻の手作りのパンとスコーン
同日夕 玄米ご飯、味噌汁、蒸野菜(これのみ普段と同じ食事)
5日昼 中華の点心のバイキング


ところどころ朝食が抜けているのは、基本的に朝御飯を食べない習慣だからである。こうしてみると、この数日間というもの、とんでもない量の食事を摂っていることが分かる。量もさることながら、質もまた、凄まじいものだと感じざるを得ない。
勿論、自分なりに加減して食べればなんら問題は生じない。しかし、食欲の従順な息子となった私は、出てきたご馳走を次から次へと余さず食べつくすこと以外に思考が働かなかったのである。


ちなみに普段の食事は以下のような感じである。


昼食:茹でたお餅、きな粉/玄米おにぎりに野菜少々/手打ち蕎麦
   (これらのうちのいずれか一つ)
夕飯:玄米ご飯、味噌汁、蒸野菜(たまに炒めた野菜)


これがいわばケの日の食事であり、ひたすらこれを繰り返すのが日常なのである。してみると、このところの無茶な暴飲暴食は、やはり、日頃の質素な食事の反動なのだろうか。


今夜は、昼を食べ過ぎたため、気持ちが悪くてとても夕飯は入りそうにない。いや、正直に告白すると、風呂で体を洗うだけでも、心臓がバクバクいうし、胃の辺りが痛くてなにやら吐き気さえ覚えるほどだ。しかし、今夜は子供が義母宅に泊まりに行っており、夫婦水入らずで過ごせる折角のチャンスなのである。この後、何か軽くつまみながら、一杯、やろうか、などととてつもないことを計画しているのである。


これはもう食欲の大暴走というものである。
暴れ牛が江戸の町を駆け抜けていくような図である。
このあと、どういうことになるのか、容易に想像がつくのだが、それでも私は箸を持つ手を止めることが出来ないのである。
お正月なのである。
羽目を外しても構わない、ハレの日なのである。
言い訳だと分かっているが、もうどうにも止まらないのである。


明日からはできるだけ、平常の食事内容に戻すよう努力をしよう。
今夜から、といえないところが、既に敗北の臭いが濃厚なのであるが、明日になったら、ともかくも疲れきった胃腸を休めるべく、量を減らし、質も改善することにしよう。


年末年始は、このように生活が乱れるのである。しかし、乱れることを、どこかで歓迎している自分がいることも、あながち否定できない。人は弱い生き物なのである。

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