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今月の一言

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私はどうやら「器用貧乏」である。
そして、最近、これがとても悩みなのである。


「器用貧乏」とは何か。
ご存知のない方のために簡単に説明しておくと、何でもそれなりにそつなくこなしてしまうのだが、それがためにかえって長続きせず、結局は大成しない人のことをいう。
何にも出来ないよりはずっとマシではないかというご意見もあろう。
確かになんでもそれなりにこなしてしまうというのは魅力的なことのように思える。
だが、問題はその後だ。
長続きせず、大成もしないで終わる。
これが甚だ宜しくない。


贅沢な悩みのように思われるであろうか。
だが、なまじ何事につけ、人並みかそれより毛が生えた程度にできてしまい、とても素人とは思えないといわれるくらいにまではなれても、所詮、一流と呼ばれる領域には踏み込めず、どんなにがんばっても「そこそこ」の旦那芸だということが、自分自身で嫌になるくらい分かっている。
これくらい、惨めで辛いことはないのだ。


器用貧乏に物事をこなす能力なんていらない。
何にも出来なくてもいい。唯一つだけ、これだけは誰にも負けない、自分が世界でナンバーワンだという才能がほしい。
涙ながらに渇望しているといっては大袈裟だが、実際のところ、「そこそこお上手」というのはいい加減、もううんざりなのである。


そんなにいうなら、何ができるのかって?
列記すると嫌味になりそうだが、これぞ器用貧乏と思われるので参考までに書いておく。
鼻をつまみながら読んでくれたまえ。


家事は炊事、洗濯、掃除は勿論、裁縫もこなすし料理も得意だ。
特に料理は、一口食べればすぐに何がどれくらい足りないか分かるので、味付けには定評がある。
絵は色鉛筆でさっと描けるし、技法にも長けている。
ビーズ細工でアクセサリーをこさえることもできる。
どういう色や形が似合うかも分かるので、その人に本当に合ったものを作ってあげて喜ばれてもいる。
服を選んであげるなんていうこともお茶の子だ。
日曜大工は勿論、木工もこなす。ちょっとしたラックや子供用の遊びに使う台所など幾つも作ってきた。
蕎麦やうどんは手打ちで作り、今ではそこらの店より上手いと家族から評判で、外にわざわざ食べにいく必要がない。
上手に生き物を飼うこともできる。カブトムシなどは商売にしているくらいだ。
植物も同様で生き生きと育てることができる。息子が持ち帰ったヘチマは、他の級友たちは一人も実がなっていないそうだが、うちだけはできている。
パソコンは自作。サイトはhtml言語を覚えてソースから作っている。
エクセルで学校のテストを処理する成績表ソフトも組めるし、毎年、利用者が継続している。
子供や妻の髪が伸びれば綺麗にカットする。
文章はそれなりに器用に書くし、ネタもまずまずある。
歳の割りに身が軽いので、走ったりジャンプしたりといった運動能力にもまだまだ自信がある。
高速運転がお得意で、首都高の見通しの効かない急カーブもスムーズに運転できる。
こうやって考えていくときりがない。


やりゃぁ何でもできる。
全く嫌味のようだが、本当に心の底からそんな気がしているのだから仕方がない。
特に三十路を過ぎてからは、ようやく心と体のバランスが取れてきたのか、この傾向が強くなってきた。
但し、どれもこれも、せいぜいがところ「上の下」くらいなものなのだ。
絶対に、どうあがいたところで、「上の上」とはいかないのだ。


料理ができるといったって、プロの料理人には遠く及ばない。
絵が描けるのだって、絵描きさんの方がずっと上だ。
ビーズ細工が得意だっていっても、所詮は素人芸。プロの細工師の作品のようにはいかない。
似合うものを選んであげられるといったところで、別段、身を助くほどの才とはいえないし。
木工ができるというのも、大工さんの仕事には到底かなわない。
蕎麦、うどんに至っては、少量をこさえるからそこそこ美味いのであって、本職のようなわけにはやっぱりいかぬ。
生き物や植物と上手に付き合えるのは、本当はこまめな世話が焼けるかという部分が大きいし、大体、これは才能というよりも愛情の領域のような気もする。
パソコンの知識は友人の方がよほど上。html言語なんぞは小学生でも覚えられる。
エクセルの使い方は、サラリーマン時代に覚えたことで、あの世界を知っている人間ならこの程度は誇るに足らない。
散髪の腕は下手な美容師よりは上だが、当然、上手い方とは比較するのもおこがましい。
文章は、プロの作家の作品を読むだに自分の拙さ加減に赤面だ。
運動能力に至っては、オリンピック選手を持ち出すまでもない。恐らく近所の高校生にさえもう負けている。
高速運転だって、レーサーはおろか、タクシーの運転手と比べてもひよっこ程度であろう。


とまぁ、所詮はこんなものなのである。
素人だから、あら、お上手ね、凄いですね、よく出来ますね、とこう来るのであって、本職だったらこうはいかない。
これが身につまされて分かっているという哀しさ、これこそが器用貧乏であることの哀しさなのである。


だが、このように書いたからといって騙されてはいけない。
私は生来、鼻っ柱の強い男である。
「あなたは器用貧乏ですね。」なぞと面と向かって言われようものなら、顔を真っ赤にして怒るに決まっているのだ。
哀しいと言いながら、それで終わりにするつもりはさらさらない。
どうあっても、一流と認めらるようになってみせようぞと鼻息だけは荒いのである。


人生、あと半分くらいはきっと残っている。
その半分をかけてでも、いや、死の直前までも、私は脱「器用貧乏」を目指してあがき続ける所存である。

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