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今月の一言 |
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9月最後の月曜日、息子の小学校の運動会がありました。
幸いにもこの日は妻が代休で、家族揃って応援に行くことが出来ました。
今年は小学校に上がって、2度目の運動会になります。
個人競技は50m走なのですが、昨年は何着だったか覚えていないくらい、さえない結果だったので、正直、今年もまぁ、元気に完走してくれたら良しだなって思っておりました。
そもそも、小さい頃は、尾篭(びろう)な話で恐縮ですが、やれ、うんちしたというだけで誉められ、転ばずに歩けたということで大喜びされ・・・だから、ひょっとすると、競争に負けて、人生で初めて小さな挫折を味わうのが、この小学校の運動会という場なのかもしれないなぁ、などと、とりとめもないことを、スタートを待つ間、考えておりました。
ピストルの音と共に走り出したとき、案の定、もう4番目でした。 ここで持参のデジカメにて記念撮影をしたのですが、なんと、その直後、スイッチが入ったみたいに猛スパートして、あれよあれよという間に牛蒡抜き。 ダントツでテープを切り、写真、写真!と慌てているうちに、視界から消えて行きました。
凄い、なんてこった、1着になっちゃった・・・
妻と大喜びしたのは言うまでもありません。
自分もそうでしたが、人生に何度かある運動会において、そうそう、1着になることはないように思います。 もちろん、中には足が速くて、いつだって1着だという猛者もおられるのでしょうが、大概の方は、数回、この栄冠を手に入れられたら、良い方なのではないでしょうか。
「あまり一位になったって誉めると、一位を取らないといけないってプレッシャーになっちゃうから、ダメよ!」
そう、妻に釘を刺されましたが、これは難しい。
そもそも、こういう機会は、この先、そうそう巡っては来ないと思う方が正解でしょう。
今の世の中、ナンバーワンにならなくてもいい、なぞと流行っておりますが、やはり、たまにナンバーワンになれたときくらいは、良くやった!と祝ってやりたいのが本音です。 単なる親馬鹿かもしれませんが。
しかし、この2度とは来ないかもしれない瞬間を、記録として残すことについては、見事に失敗してしまいました。 デジカメ画像の中の息子は、あくまでも4番目を走っている小さな男の子で、これはもう、この先もずっと変えられぬものなのです。
今回、ビデオを持っていくか、迷ったのですが、昨年の運動会では、たくさんの保護者が応援に来ていて、とてもまともに撮れなかったため、今年はデジカメだけ持ってゆきました。 ビデオがあれば、きっと、このドラマを最初から最後まで綺麗に残せたことでしょう。
でも、このことを後悔しているかというと、実はそうでもないのです。
今までにも、いろいろなイベントにビデオを持ち込み、撮影してきたのですが、なんとかまともに撮ろうという意識が働くせいか、撮り終わると、それで満足し、肝心の息子・娘の晴れ姿は、あまり覚えていない・・・ということがしばしばだったのです。
拍手をする場面でも、ビデオを撮っているとできないし、ファインダーで切り取られた小さい世界で動きを追っていると、記録には残せても、自分の記憶にはあまり残らなくて、後でビデオを見て、そのシーンが改めて脳裏に刻まれるという、二次的な記憶になっていたように思うのです。
一方、自分の目で見、耳で聞き、肌で熱気を感じた今回の運動会は、今でも目を瞑ると鮮やかに蘇ってきて、きっと、終生、忘れることの無い思い出として私の中に深く刻み込められたように思います。
勿論、だからといって、ビデオを否定するわけではなく、ただ、「記録すること」よりも、本当は「記憶すること」が大事で、特にこういうイベントでは、なにより、自身が肌で直接、感じたことが最も貴重なことなんじゃないかなって思えるのです。
では、ビデオはどう使うのが良いかというと、これからは、日常の生活を撮って残していこうと思っています。 兄弟で仲良く遊んでいるところや、テレビ番組の主題歌に合わせて体を揺らし、歌っている様など、見慣れた光景やなんでもない事柄が、実は時の経過と共に忘れていってしまいがちな出来事だと思うからです。
イベントは、きっと、これからも心のフィルムにしっかり残るだろうと思いますが、今、この瞬間の子供たちの姿は、あまりにありふれた毎日の連続に埋もれ、どんどん忘れていってしまっています。
ビデオのいい使い方、見つけた。
そんなことを思う秋の夜です。
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