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今月の一言 |
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ベランダで飼育している国産カブトムシが羽化し始めました。
大きな衣装ケースでまとめ飼いしているのですが、何気なく覗いてみたら、小さな雄がちょこんとマットの上に出ていました。
今年は例年よりも大分、早く虫が動き出している感があります。
去年もかなり早く出てきましたが、今年はそれ以上のようです。
どうも、我々の住むこの星は、少しずつ、熱くなってきているんじゃないかな・・・このところ、毎年、虫の出現の早まりに、そう思わされています。
幼かった頃、時折、お祭りの夜店でカブトムシを買ってもらいました。
色鮮やかな提灯がずらりと並び、薄手の服に身を包んだ人々でごったがえしている夏の夜。
むしむしして、まるで水の中にいるような、あえぎたくなる空気の中、両親の手にひかれて歩いた、あの楽しかった日のことは、今でも目をつむると、その喧騒と共に鮮やかに蘇ってきます。
大人たちが、とても大きく、巨人に見えたあの頃、私は水あめも綿菓子もいらなかった。 ただ、カブトムシだけが欲しかった。 大きな金網に囲まれたゲージの中で売られていたカブトムシ。 あのゲージは、私にとって夢の箱だった。
金網にとまっているもの、餌のスイカを食べているもの・・・
アセチリンに照らされた彼らの姿は、一際、輝いて見えて、夜店が多く立ち並ぶ中でも、その一角だけは、いつも子供たちに囲まれ、華やかで、ちょっと怪しげな活気があった。
本当に飼えるの?
自分で世話するんだよ。
根負けした親の言う言葉にも、ただ頷くだけで、私の目は黒い甲虫に吸い寄せられたように離れなかった。
雄と雌を買い求め、小さな虫かごをしっかりと胸に抱きしめて、家路に着く。
ドキドキして、息苦しくて、なかなか眠れなかった。
さて、ご多分に漏れず、翌日かそこらには、彼らは庭に埋められることになる。
なぜ動かないのか、あの頃の私には、霧がかかったようによく分からなかった。
なにしろ、まだ、物心もつかぬほど、幼かったため、哀しみさえも覚えようがなかった。
ただ、死んだ、という事実だけが心に残った。
今から思えば、親は一切、手を出さなかった気がする。
本当に、全て私独りに任せきりだった。
或いは、興味がなかったのかもしれないが、しかし、それが却って良かったように思う。
その後、長ずるに及び、どうすれば死なさずに飼えるのか、本や雑誌で自分なりに学び、実地に試すようになるのだが、そうした「自習」の芽生えは、実は、親に手取り足取り教わらなかったからだったんじゃないかと思うのである。
親になった今、小さい息子や娘の行動に、何かにつけ、つい口を出し、手を出してしまうのだが、たまには最後まで、自分たちだけでやらせてみようかな。 多分、こちらが相当に我慢しないとならないことが、多々、あるのだろうけれども・・・
今年、羽化した小さなカブトムシを掌に載せて見つめているうちに、そんな思いが頭をよぎりました。
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