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H19.4.8 新潟県新潟市にて
1.ファースト・コンタクト
ふいに視界をよぎるものがあった。 見ると一匹の蝶が、フラフラと手が届きそうなところを彷徨うように飛んでいる。 それはアゲハチョウによく似た、だが、アゲハよりも一回りは小さい蝶だった。 「もしかして・・・・・・ギフチョウ?」 以前、知己であるテレビチャンピオンの昆虫王・長畑さんから、ギフチョウは、春に飛ぶ、アゲハにそっくりな蝶だと教わった覚えがあった。 それは、春休みの真っ只中、家族そろって埼玉県の某町に遊びに行ったときのことだった。 某町は埼玉のやや北西に位置する、有機農業が盛んな土地柄である。 大宮では桜がすでに7、8分は開いていたが、こちらではまだほんの一分咲きだった。 新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、私たちはとある小さな山に登った。 カタクリが山の斜面にポツン、ポツンと青い花弁を揺らし、道行く人の目を楽しませている。 時刻はすでに昼近い。道は、頂上に向けて急な登り坂が連続している。お腹をすかせた娘が、そろそろぐずりだした。いささかくたびれた私たちは、そこで小休止をとった。 その場所は少し開けた山の鞍部で、木漏れ日が樹間からまぶしく差し込んでいた。 実はついさっきも、一匹、同じような蝶を目撃し、私はデジカメで撮影していた。そこで今回も、カメラにおさめてやろうと考えた私は、足音を忍ばせて、そっと件の蝶に近づいていった。 アゲハにそっくりなその蝶は、警戒心が薄いのか、人間が寄ってきても逃げる気配もない。結局、1メートル弱の距離にまで接近し、私はシャッターを切った。 「これ、ギフチョウなの?」 子供たちが目を輝かせて聞いてくるが、いかんせん、私は蝶の種類に関しては全くの門外漢である。 「うん、たぶん、そうだと思うよ・・・・・・」 蝶好きからみれば、呆れるような話かもしれないが、私はギフチョウとは、春になればどこにでも飛んでくる蝶だと勝手に信じてこんでいた。ただ、生息数が少ないため貴重と言われているのだろうくらいにしか思っていなかったのである。 そのときの私は、ギフチョウが関東では神奈川県の石砂山(いしざれさん)を除き、全く生息していないということをまるで知らなかったのだ。 帰宅後、メールで昆虫王さんに最初に撮った蝶の画像を送り、種の同定を依頼した。 返ってきた返事は、「残念! これはキアゲハです」というものだった。 今から思えば当然のことである。だが、もしかしたらギフチョウ!と思って喜んでいた私は、少しがっかりしてしまった。昆虫王さんいわく、埼玉にはギフチョウもヒメギフチョウも生息していないという。 しかし、そういわれても、どうもすっきりとしない気分が残った。何かが心にひっかかって仕方がないのだ。そこで、撮影した二枚の画像をあらためて見比べてみると、どうもあとから撮ったものは、一枚目の蝶とは羽の斑紋が少々異なって見えることに気がついた。 埼玉にはギフチョウはいないし、こっちもきっとアゲハの一種なんだろう。でも、なんというアゲハなのかが分からない。 そこで、二枚目の画像も昆虫王さんに送ったところ・・・・・・PCの向こうから、熱い興奮が伝わってきそうな勢いでメールが戻ってきた。 「な、何と・・・これは明らかにギフチョウです!」 ただ、地域的に野生で生息しているはずがなく、明らかに誰かが故意かミスにより放してしまった個体だろうということだった。 これを読んで、私はなんとも複雑な心境になってしまった。 全くの偶然ではあるが、埼玉ではまずお目にかかれない、生きたギフチョウを目撃し、画像に撮った。野外での観測は、これが或いは埼玉初なのかもしれない。快挙といえば、そういえなくもないと思う。 しかし、もしもそれが人為的な放蝶によるものなのだとしたら・・・・・・これは、雑木林でうっかりコーカサスオオカブトを捕まえてしまったようなものなんじゃないだろうか? だとしたら、快挙どころではない。手放しで喜んでよい状況とは、到底、思えないのである。 せっかくギフチョウに出会えたのに、なんというケチがついてしまったことか。 こうなると私も意地である。 これはもう、どうあっても本物のギフチョウにお目にかかりたい。 春の女神とよばれる、その可憐な肢体をこの目でしかと確かめてやりたい。 それも、標本箱にちんと収まったものではなく、空の下を堂々と舞っている姿を拝みたい。 昆虫王さんによると、時あたかも新潟ではギフチョウがシーズン・インした頃合だという。 そこで同氏にお願いして、一泊二日のギフチョウ採集にご一緒させて頂くことにしたのである。 尚、ことのついでに私にはもう一つ、別な企図があった。 それは、何かしらのカエルを捕まえてきたいというものだった。 私は最近、カエルの飼育に、いたくハマっているのである。 地元では普通種のアマガエルしかどうにも採取できない。 そこで思い切って遠出をして、何かしら面白いカエルでも採ってこられたらと企んでいたのである。 4月7日土曜日。朝5時9分。 朝まだき時分に、昆虫王さんが車で来宅された。 ギフチョウとカエル採集の旅がはじまった。
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2.温暖化の影響か?
川越から関越自動車道にのり、一路、ひたすら北へと進む。 高速道路は意外なほど空いていて、大変に快適である。 あれよというまに埼玉にお別れを告げ、群馬に突入。 天気予報によると、新潟は終日晴れの予報である。 朝早いせいか、途中、立ち寄ったパーキングでは少し肌寒さが感じられた。だが、照りつける太陽はとても力強く、日中はかなり気温が上がりそうである。 極上の一日になる。そんな予感がした。 さて、道中の話題はといえば、そこは虫好きが二人。当然、虫談義である。 いつもそうだが、長畑さんの昆虫に対する造詣の深さには、本当に驚かされてばかりいる。 なにしろ彼の知識は、たんなる机上の学問ではない。フィールドにおいて実地に培ってきたものがベースとなっているのだ。話が面白くないわけがない。 今回はギフチョウとそれよりも一回り小さいヒメギフチョウについて、いろいろな知見を賜った。それらについては、以下、おいおい述べてゆくことにする。 お話を伺ううちに、ふと一つの疑問が浮かんできた。 ギフチョウは関東にこそ(石砂山を除き)生息していないが、それ以外の地域にはいるのである。だが、長畑さんは、この季節、週末になると、決まって新潟に通うのだという。 なぜ新潟なのか? 新潟産のギフチョウには、何か特別なものがあるのだろうか? その疑問をぶつけてみると、これには二つの理由があるのだそうだ。 ひとつは、午前中、できるだけ早い時間から採集を始めたいということだった。埼玉からだと、都心を抜ける道筋の地域では現場到着までに時間がかかりすぎる。その点、新潟は高速を利用すれば3時間ほどである。この時間の節約は、とくに午前中勝負の虫については大きな意味を持つ。 もうひとつは、新潟県は(合併前の行政区分で)83の市町村にギフチョウが生息しているのだが、その全ての産地でギフチョウを集めることを目標にしているのだという。そして、驚いたことに、なんと、彼は今までに、すでに53の市町村で採集に成功しているのである! 長畑さんは驚く私を尻目に、自分が知る限りすでに7人の方が達成していますよ、と涼しい顔をしておっしゃられた。げに世の中に粋人はいるものである。 そうこうするうちに、車は関越トンネルに吸い込まれるように入っていった。 谷川連邦の真下を通るこの地下道は、群馬と新潟を結ぶ長大なトンネルとして有名だ。 実際、あまりにも長くて、どこまでも深く潜ってゆくような錯覚さえ覚えてしまうほどである。なにしろ全長11キロもあるのだ。 黄色い明かりが規則正しく並ぶ単調なトンネルは、まるで、見知らぬ地底世界へと我々を誘ってゆくかのようである。 いったい、いつになったら終点がくるのだろう? このまま走り続けているうちに、気がついたときには、槍をもった地底人に辺りを取り囲まれているのではないだろうか? そんなとりとめもない空想にふけっていると、車は突然、トンネルから飛び出した。 そこは私が生まれてはじめて足を踏み入れた、新潟の地であった。
3.幻のカエル
巻・角田山でのギフチョウ採集は、意外な苦戦を強いられた。だが、粘り勝ちという感じで、一匹ではあるが捕獲に成功し、長畑さんは、無事、さらに一町村をその記録に追加した。 しかし、できればここはペアで揃えたいところである。そこで我々は、角田山にアプローチする道の途中でみかけたポイントに立ち寄ってみることにした。薄暗い林道を抜ける道の右側に、木が伐採された跡地のような、少し開けた感じの場所があったのだ。 隅に車を寄せて停め、エンジンを切ると、かすかに鳴き声が聞こえてきた。 グオッ、グオッと、なんとも間の抜けたような声である。 カエルだ! しかも、今まで私が聴いたこともないような鳴き声の種類だ。 こんなにも早くカエルとめぐり合えるなんて、なんという幸運! 私の血液は一気に沸点にまで上昇した。 興奮している私を残し、長畑さんはここで尾根の方に向かって網をもって向かった。 一方の私は、千載一遇のチャンスとばかり、さっそくカエルが鳴いていると思しき辺りにすっ飛んでいった。 そこは林の中を縫うように、小さな川がゆったりと流れる、まるで夢のような空間だった。せせらぎには、陽光が木々の間からキラキラと差し込み、静かな時間がたゆたっている。すぐ横を車道が走っているのが、なんだか嘘のようだった。 あちこちから鳴いている声が立ち上っている。 私は夢中になって、その声のする方に向かった。 靴がぬかるみでぐしゃぐしゃになる。ズボンの裾に泥が跳ね上がる。しかし、私はそんなことには一切、かまいっこなしだった。 声はすれども姿は見えず。 さすがに奴らも甘くはない、ということか。 気配を殺し、確かに鳴いたと思わしき箇所に忍び足で近づいていく。 岸に腰を下ろし、じっと身動きせずに静かに待つ。 ・・・・・・おかしい。 鳴き声が自分のすぐ足元から聞こえてくるような気がするのだ。 まさか、こやつら、地下で鳴いているというのか? 不安にかられた私は、小川の水面ギリギリに顔を近づけて岸の方を観察してみた。 すると、岸辺の下に幾つもの小さな空洞がぽっかりと口を開けていることが分かった。 どうやらカエルたちは、このトンネルの向こうに潜んでいるらしい。 こうなったら、気配を殺していても仕方ない。 ここぞ、という洞窟の中にぐいっと手を突っ込んでみる。 だが、穴は複雑に捻じ曲がっているようで、とてもじゃないが奥にまでは届かない。 諦めがたい私は、その後、カエルが鳴いていると思しき洞を見つけるたびに手を入れてみた。だが、どうにも獲物にまでこの手が到達しないのは、いかんともしがたい、冷厳たる事実なのであった。 小一時間もがんばったであろうか。 時刻は11時にならんとしていた。 両手は当然のこと、スニーカーやズボンも泥だらけである。 もう駄目か、と半ば諦めかけいた、そのとき!
4.苦難の連続
「お土産はカエルにしてね」 実は出がけに、息子にそうせがまれていた。 正直言って私は本格的なカエル採集などというものを、これまでやったことがなかった。いわばズブの素人なのである。だから、この地底生活者のような営みを送るタゴガエルという貴重な種を捕獲できたことは、まさに天佑としか言いようがない。 なんという好スタートであろうか。私について言えば、これで旅の目的の半ばは達成したといっても過言ではない。もちろん、せっかく新潟まで来たのであるから、さらにカエルを捕獲したいのであるが、この時点で私はほぼ満足感で満たされていた。 だが、あと一つの目的である、天然自然に飛ぶギフチョウの姿をこの目でしかと見定めるということは、いまだ達成されてはいない。そして、この目的を果たすことは、同時に、長畑さんの新潟におけるギフチョウ採集の記録更新へと繋がっていく道でもあるのだ。 私がカエルと格闘している間、長畑さんは♂のギフチョウを一匹採ったそうだが、残念ながら♀を捕まえることはかなわなかった。後ろ髪ひかれる思いで巻を後にし、次に我々が目指したのは、小須戸(こすど)の町であった。
5.ギフチョウの宝庫へ
明けて翌日。4月8日 日曜日。 本日のギフチョウ採集は、神林村と荒川村の二つがターゲットである。 このうち、前者の方はギフチョウを保護している要害山を擁する地域である。もちろん、こうした採集禁止地域に長畑さんが足を踏み入れることはない。そこで、彼が別の場所で捕獲に精を出している間、私はこのギフチョウの宝庫ともいえる場所に赴き、たっぷりとその生態をこの目で見極めてこよう!という計画になった。
6.大当たり!
続いては荒川村である。 「ここではちょっと苦戦するかもしれません」珍しく長畑さんは弱気ともとれる発言をした。過去に下見をした結果、難しいという予感を覚えていたようなのである。 曇りがちだった空が、とうとう泣き出した。 なんとも不吉な前兆だ。雨が降ると蝶は飛ばなくなる。そうでなくとも、厳しいというのに、これではまさに泣きっ面に蜂である。 小雨がぱらつく中、車は高坪山に向かう。ここが次の戦場である。
7.旅の終わり
太陽の加減から、今日はもうギフチョウは飛ばないだろうと長畑さんは判断。これにて、今回のギフチョウ採集はオール・オーバーとなった。 私の方は、この日、まるでカエルとは縁が無く、どうもツキに見放されたような感じであった。そこで、長畑さんのご好意により、もう一度、昨日、タゴガエルを採集した小川にまで戻ることにさせて頂いた。 うまくすると、あの縦穴にまたカエルが入っているかもしれない。 そう期待したのであるが、残念ながら、カエルの神様はそう何度も微笑んではくれなかった。一時間ほど粘って、またしても泥だらけになりながら探したのであるが、やはり地底で鳴いている彼らには、この手はついに届かなかったのである。 帰りの高速も、行きと同様、非常に空いていた。 ただ、関東に近づくにつれ、どんどん雲行きが怪しくなり、群馬に入る頃には完全に天候が崩れ出し、とうとう目の前が真っ白になるほどの土砂降りとなってしまった。 前橋の街を抜けるとき、荒天はついに極まり、激しい落雷が辺りを何度も明るく照らすまでになった。時折、真っ黒な雲の中を稲光が真横に走り、まるでラピュタに出てくる龍の巣のようだった。 埼玉に入ってから数キロの渋滞に巻き込まれたものの、おおむね順調に車は流れていた。雨はその後、断続的に降ったりやんだりを繰り返した。降っていない地域では、まるで路面が濡れておらず、どうやら局地的に雨雲が発生しているらしい。新潟での採集で、二日間、好天に恵まれたことを帰りの車中で心底、感謝した。 一般道に下りてからもすいすい車は進んだ。いつもは混んでいる大宮バイパスも珍しく空いている。 夜9時過ぎ。無事、自宅に到着。 二日間に及ぶ採集旅行は、こうして幕を閉じた。 結局、長畑さんは、今回の採集で新たに6市町村を記録に加え、これで合計59の市町村での採集実績を達成した。残りは24である。 「おそらくあと三年くらいで83市町村全てのギフチョウを採集できるでしょう」長畑さんは笑ってそうおっしゃっられた。きっと、これからも休みのたびに、長畑さんの青い車は新潟へ向かってつき進むのであろう。 あのような激しい登山を伴う採集を、普段、彼はたった一人でやっているのだという。単にギフチョウが好きというだけでは、とてもできることではない。強靭な体力と不屈の精神力が備わっていてこそ、初めて実現できることなのだと思う。羨ましい限りである。 自宅に戻った私は、採ってきたタゴガエルをさっそく子供たちに披露した。 たぶん、一番、はしゃいでいたのは、私自身だったろう。 この二日間で、私はすっかり子供に戻ったような気分だった。 生息条件がまるで異なるギフチョウとカエルの採集という、無体な旅を快く敢行してくださった長畑さんに、あらためて感謝である。 それにしても、舟木一夫が歌う『銭形平次のテーマ』が頭に繰り返す。 長畑さんお気に入りの、時代劇の主題歌を集めたCDが、車での移動の最中、ずっとかかっていたのだ。私自身、それほど好きだとは思っていなかったのあるが・・・・・・帰宅後、ふと気がつくと、「おぉ〜とぉ〜こだったぁらぁ♪」と口ずさんでいるのである。 すると、ブリードルームの中から、グオッと合いの手を入れるかのような声がする。 どうやらタゴガエルたちも、新潟からの長い旅路の間に何度も聞いたこの歌が、気に入ったようなのである。当分の間、私とタゴガエルたちは銭形平次がマイ・ブームになりそうな予感である。 <完>
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