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採れ! ゲンゴロウ!

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山梨県某所のため池

H18.10.9 山梨県北西部の溜め池にて


プロローグ

『ゲンゴロウ』
この名前は、私にとって、長年の憧れの的であった。
水、陸、空のいずれにも長じた猛者であり、緑に輝く姿態はあくまでも美しく、その上、驚くほどに大きい。子供の頃に図鑑でみたその勇姿は、しかし、一度も実物を拝む機会がないままに、数十年の歳月が流れ去っていった。
千葉の田舎で育った私は、タガメやミズカマキリ、タイコウチといった連累とは、割と親しい間柄であった。だが、ついにあの巨大なゲンゴロウとだけは、縁を結ぶことが叶わなかったのである。
その後、東京の大学に通い、東京の企業に就職し、やがてそこを辞めて虫屋として開業。再び昆虫たちと触れ合う日々が訪れたのだが、やはりこの虫との出会いはなかった。
私の中で、いつしかゲンゴロウは、幼い日に夢見た幻の虫となっていた。


それは、テレビチャンピオン昆虫王の長畑さんと、例によって鯨飲していたある夜のことだった。
どういう話の弾みでだったか、ふと、私は、今までに一度もその姿をみたことのない、ゲンゴロウへの憧れを口にしていた。
「それなら、今度、一緒に採りにいきましょう!」
長畑さんは、いともあっさりとおっしゃっられた。まるで、近所のスーパーにちょっと買い物にでも行くかのような気安さであった。


本種はいまや幾つかの県で、レッドデータブックに記載されている絶滅危惧種である。
私が子供の頃でさえ、すでにその姿をみることはなかったのである。
いるところには、いるのかもしれないが、そうやすやすと発見できる虫とは、どうにも思いがたい。ただ、私には、酔った上での座興と簡単に諦めることもできなかった。


その後、なかなかタイミングが合わず、ゲンゴロウの採集は延び延びになっていった。昆虫王さんとの間では、折りに触れては思い出して、そろそろ行かなくちゃね、という話になるのではあるだが、ついつい間が空き、気がつくと数年が経過していたのである。
こうしてゲンゴロウ採りは、私たちの間で、いつか実現させたい遠い約束のようなものになっていった。


だが、案外、私は気楽に構えていた。
男と男が一度交わした誓いは、たとえどんなに時間がかかったとしても、必ず果たされると信じていたからである。


2006年の秋10月。
その日は、唐突にやってきた。


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1.最初の挑戦

朝8時。
昆虫王・長畑さんが、車で迎えに来てくださった。水生昆虫を採る場合、荷物がかさばるため、移動は車に頼らざるを得ない。
すがすがしい陽気で、雲が殆ど無く、秋晴れが期待できそうだ。
荷物を積み込み、長畑さんの運転で、すぐに出発。
目指すは山梨県の北西部である。(具体的な地名はゲンゴロウ保護のため伏せさせて頂きます。H20.9.2)ここはオオクワガタの産地でも知られる有名な採集スポットだ。もちろん、狙いはクワガタではない。大型のゲンゴロウ、これが今回のターゲットなのである。
果たして採れるだろうか? 期待と不安を胸に、車は西へと向かう。
首都高5号線に乗り、新宿を経由して中央高速へ。信じられないくらい、空いている。幸先のよいスタートだ。この上げ潮のような運気に乗って、採集の方も、ぜひ成功を収めたい。


途中、談合坂SAにて給油と休憩をはさんだ後、須玉ICで中央高速をおりて、一路、目的地へ。三時間は覚悟していたのだが、わずかに二時間ちょっとしかかからなかった。
天気はますます上々。一般道を快調にかっとばす。採集前の腹ごしらえにと、長畑さんはお握りをぱくつく。どうやら気合十分のご様子だ。


10時35分。
最初のターゲットとなる溜め池に到着した。

最初の池 車を道路っ端にとめて、まずは橋の欄干から、溜め池をチェック。
一昨日の雨で、かなり水嵩が増しているようだ。
ゲンゴロウは流されてしまっていないだろうか?
水の上から見た限りでは、水生昆虫の姿は確認できなかったが、コイが数匹、泳いでいるのが見えた。
ちなみに、この池は、テレビチャンピオンの撮影で使用したという、昆虫王ゆかりの場所でもあるそうだ。
この話はゲンがいい。なんとはなしに感じていた不吉な予感が、ぱっと払われたような気がする。
アキアカネ 季節はすっかり秋。
車を止めた道路のすぐ向こうには、稲を刈ったばかりの田んぼが広がっており、農家の老夫婦が、野焼きをする煙が細くたなびいているのが見えた。


たくさんのアキアカネが見守る中、胸まである長靴(ウェダー)にゴム手袋で身を固めた長畑さんが、長くて、いかにも丈夫そうな、太い柄のついた網を持って、池の中へと下りていった。
いよいよゲンゴロウ採りの開始である。
長畑氏 初トライ 溜め池の周辺はまだ足が立つが、少し中に入ると、急に深く落ち込んでいて、危険である。とくに増水してにごっている池は、水の中が見通せず、うっかり足元を滑らせると危ない。長畑さんは、慎重、かつ、大胆に網を振るう。
水面に浮かぶ葉っぱ、水底の泥、水際に生える草の根元といったポイントに、がさがさと網を差し込んで、一気に掬いあげる。網の中に入った落ち葉や泥をよりわけて、丹念に獲物を探す。一見、単調にみえる作業だが、やっている本人は、きっと一網ごとに胸がときめいているのだろう。後ろ姿から、いかにも楽しそうなオーラがにじみ出ていた。
長畑氏 初収穫 最初の収穫は、ミズカマキリだった。
陸生のカマキリによく似た格好をしているが、実はカメムシの仲間である。また、カマキリと違って、肉は食べない。本種は他の昆虫や魚の体液をすする、水中の吸血鬼なのである。
それにしても、水生昆虫の影が薄い。アメリカザリガニでもいるのであろうか?
結局、この池では、ミズカマキリの他に、ひとまわり小型のヒメミズカマキリが網にかかったが、ゲンゴロウの姿は拝めなかった。
だが、長畑さんは、かつて、こことは別のある池で、百匹近いゲンゴロウを採ったことがあるという。まだまだ、はじめの一箇所を回っただけである。他にも幾つかあるというポイントに期待することにして、我々は最初の池を後にした。

2.山の中へ

ところで、ゲンゴロウ採集を長畑さんにお任せしている間に、私は何をしていたのか、という疑問を覚える方もいらっしゃることだろう。ウェダーをもっていない私としては、大胆に池の中に入っていくことはできない。せいぜい、池の周りで、ぽちゃぽちゃと網を入れてみるくらいが関の山である。当然、ポイントになるところまで網は届かず、戦果は期待できない。では、デジカメ撮影と記録係に徹していたのかというと、そうでもない。


実は、私には、出がけに妻から頼まれたことが一つあった。それは、ゲンゴロウに限らず、とにかくいろいろな虫を捕まえてきて欲しいというものだったのである。
私の妻は小学校の教員をやっているのだが、ちょうど今、虫について学習している最中なのだそうだ。ところが、今の子供たちは、虫の絵を描かせると、足がむちゃくちゃ多かったり、はたまた、まるで描けなくて、泣き出す子さえいるのだという。虫と触れ合う機会が多くないばかりか、そもそも、今までに虫をちゃんと観察したことさえない子が、殆どのようなのである。そこで、妻は、この機会に、ぜひ、いろいろな虫を展示して、子供たちに見せてあげたいのだという。


そうと聞いては、虫好きとしては黙ってはおれない。
よろしい。子供たちに、たくさんの昆虫をもっていってあげようじゃないか!
生き虫屋の血が騒いだ私は、久方ぶりに虫網をもって、現場に臨んだのである。


この話をすると、長畑さんの目が、めがねの奥でキラリン!と輝いた気がした。
ということで、次に昆虫王さんが案内してくれた場所は、池ではなく、山だったのである。

台場クヌギ ここもまた、テレビチャンピオンゆかりの地だそうで、まさにこの場所に解答席を並べて撮影が行われたのだとか。懐かしそうに、一本一本の樹を見て回る長畑さんの姿が印象的であった。


周辺に点在する台場クヌギは、今ではだいぶ背が高い。人の手が入らなくなって、かなりの年月が経過していることを窺わせる。
夏の間は、きっと樹液が染み出して、たくさんの昆虫たちが饗宴にあずかったのであろう。季節が進んだ今となっては、残念ながら、殆どの樹がその痕跡をとどめるのみとなっていた。
オサムシの幼虫 ふいに長畑さんが、地面に横たわった枯れた樹の幹を転がして、なにやらごそごそと探し始めた。
暫くして、はい、と見せられたものが、これ。
なんとも凄まじい格好である。さすがに少々気持ちが悪い。実は、オサムシの幼虫なのである。
オサムシは幼虫も肉食で、日中は落ち葉などの陰に隠れ、夜になると獲物を探しに出かけるという習性をもつ。それほど獰猛には見えないが、襲われた虫も、きっと、その油断が命取りになるのであろう。
ヤマトフキバッタ 日が良く当たる草原で見つけたものが、このバッタ。イナゴに似たフォルムをしているが、よくみると、うちの近所では見かけない、ちょっと珍しいバッタである。その名を、ヤマトフキバッタという。
この羽では空は飛べないのであろうが、その代わり、発達した足でよく跳ねる。おかげで、いざ、捕まえようと、素手で挑むと、少々、熱くさせられてしまうバッタなのである。
サシガメ クヌギにたくさんついていた、エイリアンのような虫。黒いものと赤いものの2タイプがある。
「刺されると痛いから、気をつけて。もっとも、この見た目で、触ろうとする人はいないだろうけど」
長畑さんが注意を促してくれた、この虫。サシガメというカメムシの幼虫なのだそうだ。
こんなのに刺されたら、かなり痛そう・・・ちなみに、サシガメは成虫も刺すそうで、山に入って採集するときには、このエイリアンには、くれぐれもご用心!

3.次の池へ

数十分、山の道をうろうろと散策しながら、虫を探して歩いた。
さすがにオオクワガタは見つからなかった。やはり、そう簡単には問屋が卸さない。もっとも、本当に狙っていたのは、アカマダラハナムグリだったのだが、こちらはさらに貴重品。
山地での採集は、結局、上述の他、オオヒラタシデムシやヒナバッタなどを採って終了。
引き続き、ゲンゴロウを探しに次のポイントへ移動することになった。


時刻はとうに昼を回っている。そろそろ昼食でも、ということで、移動しがてら、お店を探した。在来線の駅近辺に何かあるかと思ったが、意外と期待外れで、致し方なく、予め目をつけておいたコンビニへ。
午後はなんとしても、ゲンゴロウを見たい。そして、妻に頼まれた虫をもっと採らねばなるまい・・・・・・徐々に高まるプレッシャーを、コンビニで買ったコーヒーで薄めながら、我々は次の池へと向かった。

ミズカマキリ大量の池 普通に車を走らせていたら、見落としてしまうであろうほど、細い道をわけいって突き進むと、ふいに溜め池が現れた。さっそく、上から覗き込んでチェック。落ち葉が浮いている、日当たりのよい場所に、なにやらたくさん蠢くものが見える。ミズカマキリだ! 凄い数である。たぶん、百匹以上が群れている!
ここは期待できますね! 長畑さんの力強い一言がでた。ゲンゴロウは、綺麗に澄んだ水にいるというイメージを抱きがちだが、実際には、そういう場所で採れた例がなく、こういう、少々、濁った溜め池こそが狙い目なのだという。
この池には、きっといる。ここは押さえの切り札として、とりあえずは、また別の池を当たってから戻ってこよう、ということになった。
ギンヤンマ ミズカマキリの宝庫ともいうべき池を、長畑さんがしげしげと観察していた頃、私は虫網を片手に、周囲の草むらでせっせとバッタを追っていた。アキアカネやミヤマアカネが群れ飛ぶ中、ふらりと大きな影が宙をよぎった。ヤンマだ! まだ、彼らが飛ぶには時間が早いので、きっと、はぐれ者のヤンマなのであろう。
草の陰に吸い込まれるように隠れたヤンマを追って、私は慎重にしのびよった。うまく逃げ込んでいるようで、どこにいるのか分からない。じっと観察していると、明るい緑の体が、周囲の枯れた草の中から浮き上がるように見えてきた。すっと網を被せると、大型のトンボが網の中で暴れる音がした。
生涯で二度目のギンヤンマだったが、拍子抜けするほど、あっさりと手中に収まってしまった。
第二の池へ 両脇に高い梢が並び立つ、林の中の細い農道を、がったがったと激しく揺られながら通り抜けていく。目の前を尾が長い地味な鳥が駆け抜ける。野生の雉だ。記念撮影しようと車を止めるも、雉はすたこら藪の彼方に消えていった。
そのまま暫くの間、悪路を走らせると、ふいに開けた場所に出た。一面、刈り入れの終わった田んぼである。どこにも池は見当たらないのだが、長畑さんは、ずんずん、あぜ道を進んでいく。一体、どこに行くのだろう?
興味深々についてゆくと、田んぼが尽きたあと、ちょっとした山の斜面を越えた向こう側に、あっと驚くほどの美しい光景が広がっていた。
素晴らしい溜め池の景色 四方を林に囲まれた、まるで秘境のような溜め池である。ただ静かに眺めているだけで、心がすうっと安らいでゆくようだ。
だが、まずは腹ごしらえだ。コンビニで買ってきた食糧を広げる。長畑さんは、パンの他、バナナと魚肉ソーセージを購入していた。私には、ははーんと胸に響くものがあった。さては、にわか作りではあるが、バナナトラップを仕掛けて、ゲンゴロウを採っている間に、甲虫でも掻き集めようという寸法だな。魚肉ソーセージは、多分、ゲンゴロウの撒き餌だろう。彼らは強い肉食性を示す昆虫である。
さすがに昆虫王だ。抜かりが無い・・・・・・だが。
「大木さんも食べます?」そう言いながら、長畑さんは、テキパキとバナナとソーセージを胃袋に収めていったのであった。
小魚 腹ごしらえも済み、いよいよ午後の部の開始である。空は青々とした快晴。じりじりと照りつける太陽が夏のようであるが、ときおり吹いてくる風は、ひんやりと肌に心地よい。田んぼに設置された鳥追いの装置が、ときおり、バーンと凄まじい破裂音を響かせる。甚だ興ざめな瞬間ではあるが、この辺りの鳥たちはすっかり慣れっこになっているのか、全く動じた様子もなく、さかんに大声で鳴き交わしている。
池の中央あたりに目を向けると、不思議な動きが見えた。湧き水かと思ったのだが、少しずつ移動している。どうやら、小魚の群れのようだった。これだけ多くの小魚が集まって、一体、何の相談ごとであろうか? まさに謎の小魚軍団である。
長畑氏 採集中 胸まであるウェダーに身を包み、長畑さんは、池の端から攻めていく。いつもは若い後輩連中に現場を任せ、陸の上から指揮を取るのが通例なのだそうだが、なかなかどうして、躍動感あふれるシャープな網捌きで、現役バリバリの働きである。
どうかゲンゴロウが網に入りますように・・・
そう祈りながら、一方の私は、田んぼの道を戻り、小さな野原で、ひたすらバッタ採りである。膝くらいまで伸びた草を足で踏み分け、逃げ出すバッタを次々に網で捕らえていく。田んぼが近いせいか、やたらにイナゴが多い。だが、林が迫っているため、オオカマキリをはじめ、いろいろな種類が入り混じって生息している。量は期待できないが、種類はそこそこ満足できるものが集められそうだ。
記念撮影 2時45分。
ようやく長畑さんが池から上がってきた。
誇らしげな笑顔。「採りましたよ!」
やった! ついにゲンゴロウ、ゲットだ!
二度とは無い瞬間である。私は高鳴る胸を抑え、容器から取り出される憧れの虫を見つめた。
大きい。思っていた以上だ。手の中で、ゲンゴロウは、ぴちぴちと魚のように跳ねた。


この池での戦果は、ゲンゴロウ4匹、ガムシ2匹、他、ミズカマキリ、ヒメミズカマキリであった。
私の方は、クサキリ、クビキリギス、エンマコオロギ、ショウリョウバッタ、オンブバッタ、イナゴ(2種)、オオカマキリ、アサギマダラなどである。

4.最後の池へ

こうして私は、四十年近く憧れ続け、会いたいと願い続けてきた巨大なゲンゴロウに、ついに対面する夢が叶った。それも一気に4匹もである。
これで、もう思い残すことは・・・・・・いやいや、まだである。もうひとつ、さきほどの期待の池が残っている。ミズカマキリが大量に発生していた、あの素晴らしい溜め池にアタックしないで終わるわけにはゆかないのである。はるばる、山梨まで来たのである。


対向車が来たら、とてもすれ違えそうにないほどの細い田舎道に車を駆ること10分。
我々は、最後の挑戦の舞台となる溜め池に到着した。

さきほどの期待の池へ 三たび、ウェダーを着込んで、がんばる長畑さん。
なんと、一網ごとに、大量のミズカマキリが入ってきた。ミズカマキリの楽園のような池である。
だが、それだけではない。ガムシの姿も多いのだ。それだけこの溜め池は、水生昆虫が濃いという証なのであろう。


浮いている葉っぱを掬ったところ、見事、隠れていたゲンゴロウをゲット!
マツモムシまで網に入ってきた。
実に幸先のよいスタートである。
俄然、長畑さんは張り切りだした。
そして、ほどなく、ゲンゴロウをもう一匹、網に収めることに成功! ブラボー!
まだまだがんばる だが、結局、この池での戦果は、ゲンゴロウ2匹、ガムシ十数匹、タイコウチ2匹、ミズカマキリ・ヒメミズカマキリが大量というものになった。
この池に水生昆虫が多く生息していることは、ほんの一区画ばかりを掬ってみて、これだけの戦果を挙げたことからも明らかである。
惜しいことに、一昨日の雨で池の水位が上がってしまい、あまり活動できなかったのだ。もし、コンディションが良かったら、一体、どれくらいのゲンゴロウが採れたことだろう。
後から長畑さんに聞いたところでは、実は、一度、うっかり深みにはまって、身動きが取れなくなり、あわや昇天かという大ピンチに陥ったのだそうである。笑って話されていたが、怖い話である。
ゲンゴロウ これが憧れのゲンゴロウ。
ナミゲンゴロウなどの俗称がある。
光線の具合で、茶色がかって見えているが、実際には綺麗なビリジアン・グリーンである。フチを取り巻く黄色のバンドがとてもチャーミングだ。


ゲンゴロウは、捕まえた瞬間に分かるという。
まるで魚のように、網の中で激しく暴れるのである。網を握る手元に伝わってくる感触は、まさに魚のそれだというから凄い虫だ。
実際、手で鷲掴みにしてみると納得できる。後ろ足を力強く蹴って、手の中から勢いよく飛び出すときの感じは、活きのいい小魚そのものである。
ガムシ ゲンゴロウに挟まれている、真っ黒な固体がガムシ。姿かたちはゲンゴロウに良く似ているが、お尻にかけてのラインがきゅっとしまって、よりスマートであり、色も日焼けしたように黒一色である。
それにしても、ガムシとは、なんとも酷い名前をつけられたものだ。よく見ると、なかなか、かっこよいだけに気の毒でならない。
これで、あまり採れなかったら、きっと、もっと人気が出るんだろうけど、とは長畑さんの弁。
確かに、数匹しか採れないような貴重品だったら、ゲンゴロウの地位を脅かす存在になっていたかもしれない。現状は、カブトに対するカナブン的な立場にある。
ミズカマキリ ミズカマキリである。
わしゃわしゃ、大量に採れた。最後の池では、あまりに採れるので、他の虫が入った場合は回収するが、そうでないときは、リリースしたそうである。
お尻から延びている細い管は呼吸をするための器官だ。ミズカマキリは、これが体の長さと同じくらい長いのだが、ヒメミズカマキリは、明らかに短く、体躯もかなり小さい。
よく飛ぶということだが、実際、撮影中も、いきなり羽を広げて飛び立とうとしたものがおり、慌てて撃墜したほどである。
それにしても、なんともユニークな姿態だ。
タイコウチ これは、タイコウチ。
久々に見た。子供の頃以来だ。懐かしくて、胸がきゅーんとなった。
前足が太鼓を打つような仕草をすることから、この名前がつけられたという。タガメの子分みたいな格好をしているが、明らかにタガメよりは小さい。
この怪奇的なフォルムからして、いかにも凶暴な肉食性の昆虫を思わせるが、その通り、水中吸血鬼の眷属である。
ふと気がついたのだが、水生昆虫は、いずれも目がかわいい。このタイコウチもまた然り。こんな姿をしていて、なぜか、目だけは、ぬいぐるみのようなのである。

エピローグ

時刻はすでに4時近くになっていた。 太陽がそろそろ西に傾き始めた頃、最後の溜め池での採集を終えて、我々は帰宅の途につこうとしていた。
用意してきた水槽には、どれも虫たちがいっぱいにひしめいている。満足感で胸までいっぱいだった。
小学校の子供たち、これを見たら喜ぶだろうな。
そう思ったら、嬉しくて体がぽっぽと熱くなった。


最後の最後に、長畑さんは、もう一箇所だけ見ていこうと言い出した。
一日中、池の中で網を振るい続けたというのに、なんという体力であろうか。これぞ、虫好きの本領発揮というべきか。すでに満足感にどっぷり漬かっていた私は、少々、気乗り薄だった。だが、そこは、以前、長畑さんが100匹ものゲンゴロウを捕獲した、とっておきの池なのだという。そうと聞いては、私に否やは無い。


ギラギラする西日に照りつけられながら、車は一般道をびゅんびゅん、ひた走る。そして、あっという間もなく、栄光の池に到着。だが、勇み立って車から駆け下りた我々が、そこで見たものは・・・・・・

地主のいる池 錦鯉が泳ぐ、美しい池である。ここだけは地主がいて管理している。従って、採集するには、事前の許可が必要だ。だが、その前に、例によって池のチェックからはじめることにした。
以前、大量にゲンゴロウを採ったときには、池の手前から、もう、その姿がくっきりと見えていたそうである。そのときの大当たりは、池の中に藻のようなものがたくさん浮いており、恐らくそれが、ゲンゴロウを大量に呼び集めた原因だったのだろうと長畑さんは分析している。今回、その藻は全く見当たらず、水の透明度は今までの中でもナンバーワンであった。
スジエビがたくさん確認されたが、なぜか、水生昆虫の姿はどこにも見当たらない。
ブラックバス 以前に比べると、どうも昆虫の影が薄い。長畑さんは首をかしげっぱなしだった。 池のぐるりを歩いてまわり、水の中を覗き込んだが、見えるのは錦鯉と黒っぽい鯉の姿ばかりであった。アメリカザリガニでも侵入したのだろうか? それにしても、こうも、あっけらかんと何もいそうにない雰囲気というのは、腑に落ちない。
そのとき、近くに寄ってきた黒っぽい鯉の横腹に、我々の目は釘付けになった。なんと、一列に並んだ斑点があるではないか!
こいつは鯉じゃない。ブラックバスだ!
嗚呼・・・ゲンゴロウはおろか、水生昆虫がここまでいなくなるのも頷ける。悲劇だ。いや、いっそ喜劇というべきか。笑えない結末であった・・・・・・
富士山 時刻は4時30分を回っていた。
霊峰 富士を仰ぎ見ながら、埼玉を目指して車は東へと走る。帰りの中央高速は三連休最後の日とあって、30キロ近い大渋滞と、ラジオが告げていた。あらかじめ、これあるを読んでいた長畑さんは、国道140号を使って雁坂トンネルを抜け、秩父に出るルートを選んでいた。
「また、別の池を開拓しないといかんな」
最後に訪れた池の惨状を目の当たりにして、長畑さんは自分に言い聞かせるように、何度もそう呟いていた。
夕闇が、小さな田舎の町を包み込もうとしていた。
一本シメジ 帰りの途中、長畑さん御用達という、きのこを売っているお店に立ち寄った。一本シメジの天然もの。肉厚で香りが強い。
炒め物にして食べると美味いのだという。さっと湯がいて苦味を落とし、適当に野菜を刻んでフライパンで炒め、醤油味で食べてみた。なるほど、美味い。食べきれないほど作ったつもりだったのだが、気がつくと、すっかり無くなっていた。
おまけつきのきのこ こちらは、吸い物に抜群のだしがでるという天然のきのこ。黒っぽいのは、しめじである。数日前のものだそうで、すっかり乾燥してしまったため、サービスでつけてくれたのだが、水で戻すと、風味が蘇り、実に美味であった。
ざっくりと大きく切って、昆布と一緒にことことと煮ると、ぷんと濃厚な香りのだしが取れた。サトイモや白菜を入れて、塩と醤油で味を調えると、えもいわれぬ美味い汁物が出来上がった。
秋の味覚、ここに極まれりである。
ゲンゴロウ 秩父を抜けたあと、川越を経由し、さいたま市へと入った。途中、夕食で30分ほど休憩したが、我が家に到着したのは、夜の11時を軽く越えており、7時間近いドライブとなった。
プラスチックケースに水を張り、さっそく、ゲンゴロウたちを放つと、この通り、お尻に空気の泡をぶら下げて、活発にケースの中を泳ぐラブリーな姿を見せてくれた。
背中がつるんとしているものが♂、少し茶色がかって、皺がたくさん入っているのが♀である。
うちには1ペアだけ残し、あとは妻が学校に持ってゆくこととなった。見るほどに、手放すのが惜しくなってしまうのだが、そこは我慢である。



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ゲンゴロウ採りの長い一日が終わった。
今、振り返ってみても、ボリュームたっぷりの、実に楽しい旅だった。
帰りの車の中で、ラジオのアナウンサーが、北朝鮮の地下核実験成功のニュースをエキセントリックな口調で伝えていた。
世間では、大変なことが起きていたのだな・・・・・・光り輝く甲府の街の夜景を、車窓の向こうに見つめながら、私は、虫三昧という、最高に贅沢な時間を過ごしたこの日の幸せを、生涯、忘れないだろうと思った。


長畑さんの昆虫に関する該博な知識と、豊かな採集の経験が、今回、ゲンゴロウを6匹も捕まえるのに成功した鍵になったことは言うまでもない。
おかげで、現在、我が家の水槽には、この憧れの虫が元気に泳いでいる。
ありがたいことである。たかがゲンゴロウといわれるかもしれないが、私にとっては、積年の夢だったのである。長畑さんには感謝しても、しきれない思いがする。


それにつけても、驚かされるのは、長畑さんの強靭な体力である。あれだけ、さんざん網をふるい続けたというのに、まるで何事もなかったかのように、長時間、車を運転し、疲れた顔一つ見せない。
好きなことに没頭しているとき、人は夢中になるあまり、疲労を忘れてしまうのかもしれない。そして、そのとき、人は、時の流れをも超越するのであろう。
いつまでも溌剌としている長畑さんの若さの秘密は、きっと、ここにある。


また、採集に行きたい。
帰ってきたばかりなのに、もう、フィールドに出てゆきたくてたまらない。
昆虫採集とは、どうやら、癖になる快楽のようである。
                                                <完>

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