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コラム |
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私は最近、すっかりお酒が弱くなったかもしれない。
かもしれない、などという曖昧なことを書くとなにやら誤魔化しているようだが、実際、このところ、お酒の上での失態が続いているので、確かに以前よりは大分弱くなったのであろう。
或いは非常識に呷るので、その報いに過ぎないのかもしれないが。
私は痛風の治療のため、一時期全くアルコールの摂取を避けてきた。今ではもう滅多に飲むことがなくなったため、いつの間にやらすっかり耐性が鈍磨してしまったのかもしれない。お酒に親しむに当たっては、普段からある程度の訓練を積んでおく必要があるような気がする。もともと体質的にお酒があまり合わない人の場合は尚更そうであろう。お酒は飲みなれないと、とんでもない結果をもたらすこともあるのだ。私もどうやらご他聞に漏れず、お酒は訓練で飲めるようになったクチであるらしい。おかげで酒抜きを断行しているうちに、どうやら体が元の如く、酒精をあまり受け付けない状態に帰っていたのかもしれない。
だが、ことほど左様にお酒から遠ざかっていたにも関らず、いざ飲む機会に恵まれたときには、なんとも意地汚いことながら、ついつい前後の見境も無く鯨飲してしまうのである。脇目も振らずにがんがん飲み進めていってしまうのだ。そうして自分でも知らぬ間に臨界点を通り越してしまい、途中から記憶の糸がぶっつりと切れてしまったりするのである。
つい先だっても大学の後輩二人と楽しく飲んでいたのだが、どうも一次会の途中で意識が朧になりだし、次に気がついたときには前後不覚に家で寝ていたのである。
どうやらその後、さんざんぱら騒いで後輩に迷惑をかけ通し、最後はタクシーで家まで連れて帰ってくれたようなのだ。そして、恐るべきことに、私の脳味噌の中では、その間の一切の記憶が途切れている。ぽっかり穴が開いてしまったかのように、ごそっと時間が大きく欠落しているのである。
いかに酔っ払っていても、今まではなんとか家には帰り着いたのであるが、それは酔中にあっても、それなりの理性というものが働いていて、酔っ払いと雖もそうそう毛嫌いするような酷いものなど実はこの世にはおらず、時に他愛も無いことを口走ったりはするものの、案外、酔漢という奴は、これでまともに行動するものなのである、というのが私の持論であり、行動でもあったのだ。
しかし、この度の出来事を思うと、どうやらそれも随分と怪しいものになってきたわけである。いや、怪しいなんてものじゃない。私の酔中美学などというものは、ここにきて瞬く間に粉砕されてしまったのである。
後で調べてみると財布からそれなりの金額が消えていたため、どうやら支払いはきちんとやったものらしい。せめてその点だけでも、後輩たちに迷惑をかけなかったようなので私は少し安堵した。
若い頃からの付き合いで、慣れているのであろうけれども、しかしながら、今度ばかりは後輩たちもいささか辟易したようである。その後、学生時代の仲間の集まりで、もう一度、お酒を共にする機会があったのだが、「ビールはやめておきましょうね。」などと、私の痛風を懸念する風を装って、大慌てで他の者につぎまくってピッチャーを空にし、以って私の体内に流れ込むアルコールの量を加減してくれている様子がありありと窺い知れた。げにも持つべき者は友である。
だが、これは私としてはいささか素直には承服致しかねる事態であった。
飲ませてくれないから、嫌になって言うのではない。いや、そういう面もなきにしもあらずではあったが、酒の上での迷惑というものの度合いが、私にはなんとなくすっきりと腹に落ちてこなかったのである。
十数年前、彼らと共に大学にいた当時、お酒を飲んでは暴れてしまう、大変に困った先輩がいた。誰にでも突っかかってゆかれるのだが、これが滅法腕っ節が強いので却って閉口するのだ。なにしろ近所にたむろしていた暴走族を、独りで片付けてしまったという武勇伝までお持ちなのだから周りの者は堪らない。ちょいと過ごすともう目が据わってくるのが分かるので、こうなると宴会も打ち切りにしなければ危ないのだ。
また、突然、路上で脱ぎ出してしまい、全裸のまま、工事で使う金属の看板を滅多滅多に振り回す剛の者もいた。うっかり近寄ると、お前も脱げ!などと胸倉を掴まれるので、空気が怪しくなってくると、私などは真っ先に逃げ帰った覚えがある。
酒乱というものである。避けるに如くはないのである。
酒の上での迷惑ということを思うとき、私の脳裏に浮かぶものは、あの頃の先輩方のご乱行なのである。まさに修羅場といってもいい。それに引き換え、私は子羊のようなものだ。私が幾ら飲んだところで、いかになんでもそういう先輩方とは違うはずなのである。自ずから一線画するものがあると自負している。それは確かに、前回は少々、いや、もう少し余分には迷惑をかけたかもしれぬ。だが、あの当時の諸先輩方の飲みっぷり、暴れっぷりに比べたら、私なんぞは月とすっぽん、ミジンコみたいに小さな存在なのである。もしや酒に飲まれたところで、私はまだまだ大人しいものなのだ。せいぜいがところ、ゲーゲー吐いて力なく目を瞑ってしまうくらいなのである。
それは確かに私も酒の上では幾つか失敗をしているかもしれない。
入社したての頃、会社の先輩と二人、したたかに酔ってしまったことがある。眩しくて起きてみると、そこは有楽町の歩道であった。私から5mほど向こうに誰かが倒れている。先輩によく似ていたが、こんなところに先輩が寝ているはずが無い。そう思って私はその方をうっかり跨いで寮に帰ってしまったのだが、果たしてそれは先輩であったらしい。翌日、揃って会社を休んだ私たちは上司にこってりと絞られてしまった。
なぜか先輩は額に痣を作っていた。寝ているうちに誰やらに蹴られたそうである。勿論、私ではない。確かに私は先輩を跨いだかもしれない。しかしまさか蹴ってはいないはずなのである。まさかこの私がそのような大それたことをねぇ、と書きながら、あの朝の朦朧とした自分の行動には実はあまり自信が持てない。まぁ、どのようなことがあったにせよ、まず時効というものであろう。
またあるときは、「ボロボロ人間〜、ボロボロォ♪」などと、全く出鱈目な自作の歌を歌いながら真夜中にご機嫌で帰宅し、そのまま廊下に突っ伏して朝を迎え、昨夜は一体どうしたんです、大声でみっともない、近所迷惑でしたよ、と妻にたしなめられるという大変に気恥ずかしいことがあったようにも覚えている。
しかしながら、こんな程度なのである。多寡が知れているというものではないか。誰にでも、このくらいの失態はありそうなものである。総じて私の犯すお酒の上での失敗には愛嬌というものがある。まして学生時代の私は諸先輩方の陰に隠れて実に小粒な酒飲みであった。多少、酔い潰れて何かやったとしても、酔狂の域を出てはおるまいと信ずる。
空になったままのグラスを手持ち無沙汰に弄びながら、私はつい後輩たちにこのような感想を吐露したのだが、
「ええっ! それじゃ、カラオケの機械、蹴っ飛ばして壊したの、覚えてないんですか!」
「私の前歯、マイクをぶつけられて折られたんですけど。」
「ケンタッキーのカーネル・サンダース、これでもか、これでもかってぶん殴ってたの、誰でしたっけ。」
「また、警察のお世話になりたいんですか!」
「僕の貞操、返してください。」
どうも話が大変にややこしいことになってしまった。
その日、私はあまり酔わずに、きちんとまっすぐ家に帰った。
ちなみに私はこのようなことを決して自慢して書いているのではない。これでも私は謙虚に反省しているのである。そうして、二度とこんな失態を犯すまい、もうお酒は懲りました。次は誘われても、どうしたって行きません。お酒は卒業です。そもそもお酒なんていうものがあるからいけない。知っていますか、大昔、お酒を発明した中国の人は、お前はいいものを作った、だが、これで身を滅ぼす者も出てくるだろう。そう神様だか皇帝だかに言われて、死刑になったんですよ。私はお酒が憎い。これからは一生禁酒します。アメリカの禁酒法、あれは意外と良かったんじゃないかと思いますね。アル・カポネは悪人です。
などと二日酔いで痛む頭を抑えながら、妻に向かって宣言するのである。
もとより妻は、私の宣誓なんぞに本気で耳を貸そうとはしない。だが、それは妻の方が正しく、喉もと過ぎればなんとやら。忘年会ですよ、と声がかかると、私はまた、それは是非とも行かねばならぬ、人間、付き合いがなにより大事だ、と俄かに神妙な面持ちで、仔細らしい顔つきになり、そうしていそいそと出かけていくのである。
お酒とは魔力である。婀娜な悪女の深情けの如く、身にまといついて離れてくれぬ悪癖ある。気障ったらしいかな。ようするに私はお酒が好きなのだ。
(この作品にはフィクションが含まれています。念のため、私自身の名誉のために申し添えておきます。)
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