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コラム |
<<< 蕎麦打ち >>> |
実は、長いこと、蕎麦が大の苦手でした。
臭いを嗅いだだけでも、思わず吐き気がこみ上げてくるくらいでした。
大袈裟じゃなく、蕎麦なんて考えただけでも、気分が悪くなるほど、大っ嫌いでした。
高校の修学旅行で、悪友どもに無理やり蕎麦屋につれて行かれた時なぞ、最初の一口でギブアップ。口を押さえて店から飛び出した記憶があります。
大学時代、お金がなくて、まかないつきの中華料理屋でバイトをしました。
いつもお腹を空かせていたので、夕食にお腹一杯、食べさせてもらえたこのバイトは、当時、とても有難かったことを覚えています。
が、しかし・・・
「毎日、中華ばかりじゃ飽きるだろう。」
あるとき、店主が親切にも持ってきてくれたのが、大ざるに山盛りのお蕎麦。
その後、程なくしてバイトをやめさせて頂きました。
後年、蕎麦アレルギーというものがあることを知りました。
私の蕎麦嫌いは、そこまではいかないまでも、或いはそれに近い何かだったのかもしれません。
が、特に検査もせず、食べなければ済むのだからと、年越しも毎年、うどんかスパゲティで過ごしてきました。
それくらい、蕎麦が苦手だった私が、食事を玄米・菜食を中心としたものに変更してからというもの、劇的に体質が変化。
なんと、今では蕎麦が好きで好きでたまらなくなってしまったのでした。
38年間、殆ど食べてこなかった蕎麦を、今になって取り戻そうとしているかのように、この頃ではしょっちゅう、蕎麦ばかり食べています。
いや、単に蕎麦だけではなく、蕎麦粉を買ってきて、蕎麦がきや蕎麦粉のクレープを作ったり、蕎麦団子、そして蕎麦切り(普通のお蕎麦)を打つといった、蕎麦に囲まれた食事風景となっているのです。
一体、私の若い頃を知る人間にとっては、この変貌はまさにコペルニクス的展開のように感じることでしょう。
自分でも、不思議でなりません。
閑話休題(それはさておき)。
蕎麦打ちは、今、巷で密かなブームになっているようですね。
本来、繋がりにくいものを長く繋げるというテクニック、そして、それを支える様々な専門の道具たち。
こういったマニアックな要素が、男心をくすぐってやまないのでしょう。
これはとても良く分かります。
かくいう私も、蕎麦打ちの虜になった一人ですから。
お昼は、いつも妻が作っておいてくれるお握りを1つ、かっこんで終わりにするというのが毎日のパターンでした。
お昼ご飯ごときに、余計な時間をとられたくないし、仕事の都合もあります。
なにせ、午後少し経つと、もう子供たちが帰宅し、そうなったら仕事どころではなくなるからです。
しかし、蕎麦打ちを知ってからというもの、今では妻がお握りを作るのを丁重にお断りし、11時が過ぎると、いそいそと台所に向かうようになっております。
人間、変われば変わるものと、我がことながら、つくづく感じ入ります。
さて、その蕎麦打ちです。
いろいろな本やらサイトを見ていると、どうも最初は全く繋がらず、箸はおろか、スプーンですくって食べるほど、細かくちぎれてしまうというのが、大方の素人蕎麦打ちが辿る最初の第一歩だとか。
しかし、私の場合、最初の一回目こそ、麺生地の折り目で蕎麦が切れてしまったものの、以降はどんどん進歩して、まだわずか5,6回目なのですが、もう既に殆ど切れるということはない状態にまでなりました。
とはいえ、未だに包丁の使い方は甘くて、太いものが時折混じってしまいますが、漸くリズムに乗ってトントン切り進んでいくことができるようになってきました。
そして、とうとう、蕎麦打ちの中でも、大変難しいといわれる、繋ぎ粉を全く使わないで作る「十割蕎麦」に挑戦致しました。
それも、普通はお湯で練らないと繋がらないといわれているのに、なんと水だけで繋いでやろうという暴挙!
でも、確信していました。
絶対、上手くいくって。
そして、その通り、見事に成功を収めました。
綺麗に長く繋がり、その上、おいしいこと、この上なしです。
もっとも一人前、たった100gのことですから、さほど威張れたことじゃないのですが、それでも、蕎麦打ちを始めて間もない者が、ここまでやってしまうということは、そうザラにある話ではございません。
さて、自画自賛はこのくらいにして、そろそろ種明かしをしましょう。
中には4年近くも蕎麦打ちをやってきて、まるで繋がらなかったという人がいるというのに、どうしてこうも早々と私が上達しているのか。
蕎麦打ち教室に通っているわけでもないし、特に蕎麦打ちに対する稀有な才能があるわけでもございません。
どんな趣味であれ、仕事であれ、上達するためには幾つか秘訣があって、それをここでも応用しているだけなのであります。
それは、簡単に言ってしまうと、
「イメージ・トレーニング」と「一回毎の反省」です。
横文字を使うとかっこよく聞こえますが、要するに、上手い人の物真似をしてみるっていうだけのことです。
そして、必ず、どこが良くなかったをちゃんと振り返り、次回はそうならないようにするということ。
これを繰り返していけば、誰だって上手くなっていくのです。
文章にすると、うんと簡単に聞こえると思います。
実際、こういうことを素直にできるかどうか、そちらが本当は問題なのかもしれません。
もう少し、具体的に、今回の蕎麦打ちをマスターするために、どうやっているのかを説明しましょう。
イメージ・トレーニングとしては、手打ち蕎麦の作り方の本についてきたDVDを何回も観て、実際に作っている人の手の動かし方や体の動きを、その場で真似ることから始めました。
座布団を捏ね鉢にみたて、手をぐるぐると動かして捏ねる動作をやってみる。包丁を使うときには、自分も包丁を持って、一緒にリズムを刻んでみる。といった具合です。
そして、そのイメージを持ったまま、実際にやってみて、失敗した点を必ず一つ以上あげ、次回はそこを集中的に直すべく、またDVDを観てイメージを植えつけるようにする。
百聞は一見にしかずといいますが、まさにその通りです。
見て覚えることの大切さ。
これは、いかに技術が発達しても、人が人に伝えるべき手技がある限り、いつの世にも決してなくならない真実のように感じます。
昆虫のブリーディングについても、セットの方法などは、本当は文章で説明するよりも、ビジュアルに、動画でお見せした方が良いのかもしれませんね。
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