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コラム |
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世界で一番、美しい虫は?と聞かれたら、私は躊躇いもなく、こう答えるだろう。
「ヤマトタマムシ」
外国産のハナムグリも、非常に綺麗なものが多く、実際、国産のそれとは比べる術も無いくらいにメタリックでど派手、その上、エキゾチックな色彩のものがずらりと揃っている。
確かにそういう虫たちも捨てがたい魅力に溢れていると思う。
だが、それでも、私にとってのナンバー1は、「ヤマトタマムシ」なのである。
あの輝く緑に縁取られたボディには、贅沢にも七色の輝きが、光の帯のように散りばめられている。
太陽に反射すると、キラ、キラっと、実に妖しいほどの光彩を放ち、見る者を魅了してやまない。
地味な色合いが多い日本の虫の中で、この虫は際立って美しい。
メタリックな色調というものは、どうかすると、下品に落ちる危険があるが、タマムシは不思議と、全くそんな感じがしない。
日本にはタマムシの羽を集めて作った、有名な「玉虫の厨子」があるが、これなど、この虫が発する魅力に取り付かれた人々が作り上げた、まさに世界に誇れる宝といえよう。
タマムシとは、昔から日本人の心を捉えてきた、生きている宝石なのである。
私が始めてこの虫を見たのは、確か4、5歳の頃だったように思う。
当時、住んでいた東京の足立区は、まだ少しだけ自然が残っていた。
いつもザリガニを採りに行く田んぼの片隅に、大きな柳の木が一本たっていた。
枝からたくさんの蓑虫がぶら下がり、幼かった頃の私は、それが面白くて、よく眺めていた記憶がある。
そんなある日、木の上の方で、なにやら光り輝くものを発見した。
不思議な飛び方をする虫だった。
網さえ届かないはるかな上空を、たゆたうように飛翔していた。
それは、まるで天女のようだった。
その輝き、その華麗さに、すっかり魅せられた私は、その後、ザリガニを採ることの楽しさをすっかり忘れ果ててしまった。
タマムシ欲しさの一心で、柳の木を見上げる毎日となったのだ。
私のそんな姿をどこかで見ていたのだろうか、近所に住む、ずっと年上の子たちが、あるとき、わざわざタマムシを持ってきてくれたことがあった。
臆病だった私は、母親の蔭に隠れたまま、そっとそれを受け取った。
初めて手にしたタマムシ。
大喜びのはずが、私は悲しかった。
それは、タマムシの亡骸だったのだ。
死んでもなお、この虫は美しかった。
その華麗な光は全く失われることがなく、まるで生きているときと同じように見えた。
今から思えば、小さい子供が、生きているタマムシを採るなんてことは、まず不可能に近いことと分かる。
タマムシは大概、とても高い場所を飛ぶのが常で、大人になった今でも、相当に長い網でもない限り、生きている状態で捕獲することは難しいのだ。
朝方、カラスに突かれて、地面に撃墜された固体を運よく拾うなどという僥倖にでも恵まれない限り、生きた状態で手に入れることは全く以って困難といえよう。
しかし、当時の私にはそんなことが分かるはずもなく、命が抜けた後のそれの、生前と変わらぬ美しさが、かえって胸に迫って哀しかった。
この日を境に、私は柳の木に通わなくなった。
それから時を隔てること、30数余年。
私は、また、ヤマトタマムシと再開した。
非常に背の低い桜の木々が連なる公園があって、夏の盛りの一時期、彼らはそこに1匹、2匹と飛んでくることが分かったのだ。
その高さならば、2mほどの網さえあれば、十分に捕らえることができる。
私は勇み、毎年のように出かけては、ほんの少しだが、持ち帰ることにしている。
残念ながら、私の技量では彼らを累代飼育できそうにない。
数日か、長くても数週間、生きながらえさせてやることが精一杯だ。
彼らを捕らえるのは、或いは残酷な行為なのかもしれない。
それでも、私はタマムシが見たい。
生きて、動いている彼らを見続けていたいのだ。
今年も、また、タマムシの季節がやってくる。
人見知りの激しかった少年は、もうセピア色の思い出の中にしかいないけど、中年になった今でも、この虫に対しては、あの頃と同じ憧れを、私は持ち続けている。
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