ヒュウガがアヤナミに構われたくて、しょっちゅうちょっかいを出しているのはブラックホーク内の人間ならば皆知っていることだ。いつも余計なことを言ってはアヤナミに手酷い仕打ちを受けているが、それもお遊びのうちなのか、ヒュウガは懲りることも恐れることもなく、アヤナミも適度に相手をしているといった様子で、参謀部の余興のようにもなっていた。
「少佐……これは何です」 午後からの勤務時間、さきほど昼食を終えて戻ったばかりのコナツがヒュウガの机の上を見て問う。既に目が据わっていて、つまり、明らかに怒りの表情をしている。 「ん? コレクション」 「そうですか。でも仕事には関係のないものだと思います」 「何言ってるの。必要でしょ」 「片付けますよ」 「駄目」 「少佐……」 「まぁまぁ、一つ分けてあげるからさ?」 「……」 「糖分は必要だよ〜」 ヒュウガは棒付きの飴を10本ほど机の上に並べているのだった。いつもはりんご飴を好んで食べるが、この時は珍しく違う味のものを揃えていて、どれから食べようかと悩んでいるところをコナツに問われたのだ。 「煙草を吸われるよりはマシですが……」 「でしょー? ああ、ほら、仕事がどんどん溜まってきてるよ!」 コナツの机の上には書類が積まれている。 「はぁ」 コナツは事務処理能力にも長け、それらに目を通してアヤナミ宛て、カツラギ大佐宛て、ヒュウガ宛てなのかを分類する最初の役割を担っている。重要なもの、急を要するもの、そうでないもの、或いは会議用に作り直さなければならないものを見分け、議論の多い現場での書類作成などはミスが許されず、コナツが一番適任であり、そして周りからは当てにもされていた。 「頑張って!」 「はい。って、少佐もですよ! 午前中に分けておいた書類にサインして下さいましたか!?」 「ん?」 「ん? じゃありません!!」 「ああ、あれね。終わったよー。机の引き出しにしまっちゃった」 「では、それを頂けますか」 「はいはい」 そう言って引き出しを開けると、 「えー!!」 コナツがそれらを見て驚きの声を上げた。 「飴がこんなにいっぱい! 何ですかこれは! 女の子じゃないんですから!!」 「嫌だな。食べ物の好みで性差別をするのはよくないよ?」 「それはそうですが、缶が可愛すぎます」 「あ、そういうことね。でも、コナツの可愛さに比べればまだまだ」 「……」 何を言われているのか分からなかったが、飴が入っている缶のデザインがポップな仕上がりで、ヒュウガには釣り合わないと思った。 「そうだ。アヤたんにもあげよう」 そう言って席を外しているアヤナミの机に向かうと、飴玉を散らかし、 『食べてネ©』 と、重要書類をメモ代わりしてメッセージを書いたのだった。 「しょ、少佐ー!!」 コナツが慌てていると、アヤナミが戻ってきた。机の上を見て、当然動きが止まる。 「……」 無言のアヤナミほど怖いものはない。 「申し訳ありません、アヤナミ様。とめることが出来ませんでした」 コナツが焦燥感を漂わせて言うと、 「よい。お前のせいではない。ヒュウガには相応の罰を与える」 「え、マジで? 遊んでくれるのはいいけど、今日は駄目だから延期して?」 「貴様」 「だって買い出しに行かないといけないから」 ヒュウガが真顔で言うと、 「何をです、少佐」 コナツが不審な眼差しを向ける。 「お菓子」 「こんなにたくさんあるじゃないですかー!」 「これは予備だよ。買うのはメインのもの」 「理解出来ません。あっ、そういえばクロユリ中佐が何か買ってくると仰ってましたよ。お願いしては?」 「嫌だよ。クロユリ君は酢昆布チョコしか買って来ないから」 「いいじゃないですか、それで」 「コナツ〜、オレを殺す気?」 「何を仰るんです。ほんとに少佐は子供みたいです」 「そうだね、童心を忘れないでいたいよね」 「話がずれています」 「うん。そういうわけで、アヤたんが怖いから仕方なく今日は遊んであげるよー」 ヒュウガは悪びれもせず、幼稚園児のような会話をアヤナミに求めるのだった。 「……」 アヤナミは見事に相手をせず、机に向かうと仕事を始めてしまった。 「書類、作り直します」 コナツが申し出ると、 「頼む」 アヤナミが手渡す。 「すぐに出来ますので、お待ち下さい」 そういうやりとりをしている間、ヒュウガはまた何処かへ行って居なくなってしまった。 「少佐……またお一人で……ということは、外で不穏な動きがあるのでしょうか。最近私たちの周りを変に嗅ぎ回っている者がいるようで」 「大丈夫だ。そういった不貞な輩はヒュウガが排除する」 「そうですね」 ヒュウガはヒュウガで、彼にしか出来ない仕事をしている。たとえどんなに不真面目な態度を垣間見せようとも、彼の腕に適う者は居ないのだった。 そして夜になると、ヒュウガはアヤナミの部屋に行く。 「アーヤたん! ご機嫌よう!!」 ノックをしたのかしないのか分からないほどで、 「貴様……その入り方を何とかしろ」 「えー、だって昔からこれだから今更直らないよー」 やはり態度は変わらない。 「……」 「って、まだ仕事してんの? アヤたんって仕事大好きだねー」 ”アヤナミは帝国を愛している” とは誰の弁だったろうか。ヒュウガもそれを噂でも聞いたことがあるし、直に接していて十分に分かっている。もちろん、軍人としてヒュウガも国のために竭尽している。事務処理を率先してやることはないが、それでも必要不可欠なときはきちんとこなす。もっとも真面目に机に座っている確率が少ないため、不真面目と評されることが多いが、それもヒュウガの作戦である。 ヒュウガがアヤナミのそばに行き、書類を覗き込むと、 「あー、その件ね。これで上の人たちは納得してるんだからおかしな話だよ。無駄と無能の大安売りって感じかな」 ヒュウガは他部隊のお役所的な仕事っぷりが気に入らないのだった。 「これは明日の会議で我々に指令が下るだろう。他では務まらないようだ」 「だろうね」 「この戦略については新たに練る必要がありそうだが」 「うん。っていうか、オレ、仕事しに来たんじゃないんだけど」 「……」 「でもアヤたんに苛められに来たんでもないよ。今日は大したイタズラもしてないんだから怒んないでしょ」 「どうかな」 「だから酒飲もう、酒。たまに焼酎でもどう? ワインだけだと飽きない? オレのスコッチは上げられないけど、カクテルとかチューハイとか。こうなったら全部混ぜてもいいし?」 「……」 「悪酔いするアヤたんもいいかもー」 「その前にお前を潰してもいいが」 「じゃあ、飲み比べしよっか? なーんて、明日の会議で二日酔いになったら困るからやめとこう」 「ほう? それは残念だ」 アヤナミはそう言って、いつものように酒を用意した。だが、ここからの二人の行動が本物の酔狂と化したのだった。 アヤナミは再び仕事の鬼となり、ヒュウガはグラスを片手に一時もじっとせず、部屋の中をうろつき、仕舞いには部屋にあるテーブルゲームに夢中になった。大人であるのに、それぞれ自分のしたいように動き、協調性というものが存在しない。これはアヤナミとヒュウガの間でたまに起こる現象で、二人にとってはそれが心地いいのだった。 相当の酒量を飲み干したヒュウガだが、酔うこともなくケロリとしていて、アヤナミの机から書類を一枚抜き取ると、ペンを拝借して絵を描こうとする。 「……」 アヤナミはヒュウガを一瞥したが、何も言わない。そしてヒュウガも何も言わなかった。 その書類はさして重要なものではないのだった。ヒュウガは簡単な落書きをしたあと、紙飛行機を作り、飛ばして遊び始めた。 この無言劇はいつまで続くのか。 傍から見れば神妙な空気が流れていそうだが、これが二人の関係なのだから、いわゆる誰も入ることの出来ない空間であることには違いない。 そうして同じ部屋で何も言わないまま別々な行動を続けたが、ヒュウガは意味深な笑みをしながら、 「あーあ。いつになったら自分からいやらしいコトを言って誘ってくれるのかなァ」 先に口火を切った。 「……」 アヤナミが何も言い返さずにいると、 「顔には書かれてあるんだけどねぇ」 そんなことまで言ってしまう。するとアヤナミの反撃はここから始まった。 「そうだな。私の顔には『どう言えばお前が満足するのか』と書かれてあるだろう」 不敵な笑みを返し、予想外の発言をする。 「言うねぇ」 ヒュウガがウルフホィッスルで囃子立て、そしてまた微笑む。 「ストレートに言い過ぎてはつまらぬだろう」 「うーん、なら、心の琴線に触れるような感動的なものとか」 ふざけて言うと、 「ならば帝国の歴史でも読み上げながらお前の必要性を語ってやろうか」 「なんか怖いから遠慮しとく。アヤたんの生い立ちでいいや」 「……お前は知っているだろう」 「そうだねぇ」 「これ以上何を知りたい。もう後戻りも出来ぬと言うのに」 フェアローレンとしての言葉か、人間としての言葉か、そのどちらにも取れる言い送りにヒュウガはヒラリと手を振りながら、 「アーヤたん、今更何を言ってるのかな」 子供に言うような口ぶりで応戦する。 「お前には言わずともいいことだったな」 「そうだよ。だから、今日はもう十分。おいしく誘わちゃったよ。ごちそうさま」 肩を竦め、アヤナミから離れてヒュウガはソファに深く腰掛けた。 そして、何も言わないまま時間が過ぎ、 「さぁて」 きっかり午前1時になると、ヒュウガはドアの前に立つと、 「おやすみ。アヤたん」 突然、投げキッスをしたのだ。 ところが、アヤナミは投げられたキスを手のひらで受け止めるような仕草をすると、振り払うかと思いきや、その手のひらを自分の口に当てたのだった。 「うわぁ、そういうキャラじゃないと思ってた!」 ヒュウガは本気で驚いている。 「もう二度とすることはないが」 「ざーんねん」 言いながら、今度はヒュウガが皓歯を見せて笑った。 二人はかりそめの一時を過ごす場合、触れ合わないことが決まりであるように戒飭の遊びを愉しむ。 それで快楽であるのか浄罪であるのかは、アヤナミとヒュウガにしか分からないことなのだ。 |
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