休日の過ごし方 D


「は? 今、なんと?」
 ヒュウガが放った言葉を聞いて、コナツは目を丸くして聞き返した。ヒュウガが真摯な面持ちで呟いた言葉は想像していたものとは違い、コナツを驚かせるには十分だった。
「いや、だから……その……」
 ヒュウガはばつが悪そうに口籠ったが、
「もしかしたら私の聞き違いかもしれませんので、もう一度仰って下さい」
 コナツは食い下がり、同じことをヒュウガの口から言わせようとしていた。
「オレは……つまり……ええと」
 今度は言いづらそうにしているヒュウガだが、コナツはじっとヒュウガを見つめ、冷静な態度を保つ。それがヒュウガの負担になり、ヒュウガはますます言いづらくなっていった。そして待ちきれなくなったコナツは大きな声で覚えている限りの台詞を繰り返した。
「今までのことを大切な思い出として封印して、これからは私とプラトニックな関係でありたいですって?」
「……まぁ、うん、そういうこと」
「……」
 ヒュウガはコナツに、お互い出会った頃のような清い関係に戻りたいと申し出たのだった。
「詳しく説明すると長くなるんだけど」
「説明? 説明も何もあなたの口からそんな台詞が出てくるとは夢にも思いませんでしたが? プラトニックなんて死語ですよ?」
「ええっ」
 コナツがばっさりと切り捨てるのをヒュウガは悲痛な面持ちで叫び、次に困ったような表情になり、
「だからいいんじゃない、今時そんなの誰もやってないからこそ、やりたいわけで」
 必死に説明するも、
「奔放なあなたが仰る台詞とは思えませんね」
 やはり切り捨てている。
「だからぁ、オレはコナツと本当の永遠ってやつを誓いたいわけ。何もなくても想いあえるっていうか? 口で言わなくても分かり合えて、躰の関係がなくても愛し合えるっていうか?」
「……」
「もうね、手を繋ぐだけでも禁断の領域っていうの? だけど、心は一つでね、目を合わせるだけで恋い焦がれる気持ちでいっぱいになって辛いっていう……」
 実る前の淡い初恋を物語るようにヒュウガが半ばうっとりと陶酔しかけるのを、
「つまり少佐は私と手を繋ぐのも嫌だと。目を合わせるのも遠慮したいと仰っているのですね?」
 凍りつくような言葉を紡ぐ。
「ちょ、いつ誰がそんなこと言ったの! 趣旨と掛け離れてる! 勘違いしてるって!」
「私にはそのようにしか聞こえません」
 コナツは本音を口にした。久しく抱かれなくなったと思っていたら、やはりもうその気は全くなく、はっきりと振るのが可哀想だから無理やり都合のいい条件を出して言いくるめようとしている……そんなふうにしか見えない。
「そりゃあ、いきなりこんなこと言われてコナツはびっくりしてるかもしれないけど、オレはお前が大切だから、もう少し大事にしたいっていうか……」
「……」
「別に肉体関係がなくたって好き合えるでしょ? それともそういうのがないと愛し合えるって言わないの? 駄目なの?」
「……」
「オレはお前と究極でありたい。誰も見ることの出来ない真実の愛ってやつをお前と見たい。知りたい。だから今になって敢えて純潔を選ぶ」
「……っ」
 ヒュウガは真剣な表情で究極論を繰り出そうとしていた。黙って聞いていたコナツも、その意味が分からないわけではなかったが、巧いことを言ってごまかしているのではないかという疑念も拭えない。
「オレだって本当は自信ないよ、元々煩悩の塊だし。だから適当な恋愛とか好きだとか愛してるっていうのはノリで簡単に口にすることは出来るけど、オレにとっては清いままでいる方が難しい。でもね、コナツとなら……」
 ヒュウガはそこまで呟いてから沈黙した。突然黙り込むヒュウガにコナツは間を取り持つことが出来ずに気まずくなり、何かを言おうとしたが、コナツも言葉にならない。
「ごめん……オレの勝手な理想をコナツに押し付けてるかもしれないけど……お前は納得出来ないだろうし、やっぱり分かって貰えないかもしれない、これがお互いの性格の不一致ということならオレは謝るだけだ。でも、離れたくないから、オレはお前を見てるだけでいい……」
 ヒュウガは真摯な表情を崩さなかった。いよいよコナツは、これは冗談ではなく本気なのだと理解するしかなかったが、
「少佐……本当に無理をなさらなくても、私のことは気にしないで下さい」
 コナツが俯いて少し寂しそうに呟いた。
「駄目かな、分かって貰えないかな」
「……理解するように努力します。ですが、それには時間がかかります。ただ……」
「ただ?」
「いいえ、何でもありません」
 コナツは結論を出し、そして感得した。自分は完全にフラれた形になるのだと。美談に作り上げようとしているが、実際は今までの関係を清算するために、綺麗になかったことにしたいと言っているだけだということを。
(私の方が押し付けがましかったのかもしれない……)
 普段は気を付けているつもりだが、好きだいう感情をしつこく態度に出したこともある。それは主にベッドでの情事の際に多かったが、それ以外でも慫慂しすぎたかもしれない。大人のヒュウガにとってはもっとドライな関係でありたいと多少煩わしく思えたのだろうと悔いだけが残った。
(子供の私では相手にならなかった。少佐はアヤナミ様のような方を好むから……)
 そう考えると涙が出そうになったが、懸命に堪え、
「では、今後はお互い少佐の仰るところのプラトニックな関係でいましょうね」
 入神の演技で笑顔を見せた。泣き笑いにならないように、明るい声を出した。
「コナツ……分かってくれたんだね!」
 ヒュウガが安堵すると、
「ええ、私は基本真面目ですから、正直言って、そういうの得意ですよ。元々いちゃいちゃするの苦手だったんです。必要以上に近付いたり、まして手を繋いだりするなんて恥ずかしいですし」
「えっ、せめて手ぐらい握らせてよ!」
「は!?」
「あ、ごめん、言い方間違えた、えーっと、何だ、ほら、手を……手を……そう、あれだよ、ハイタッチ! ハイタッチくらいはいいと思うんだ」
「……?」
 突然意味の分からないことを言われてコナツの目が点になる。
「うーんと、ほら、仕事がうまくいった時とか……一緒に打ちっぱなし行ってホームラン打ったとか……何ていうか体育会系のノリってやつ?」
「……はぁ、そういうのは、まぁ……」
 コナツは訝しみながらも何とか答えたが、ヒュウガが内心で、
(やばい、手も握りたいし本当は躰にも触りたいし、ああ、胸に顔を埋めたい……平らで薄い胸だけど、埋めたい!)
 と思っていることなど全く気付かない。ヒュウガの方が緊密な芝居をしているのだった。
(本当のことなんか言えないよね……でもこれでコナツはオレを相手にする負担も減るだろうし、いやらしい顔してるとか言われることもなくなるかも。……一件落着ってとこか)
 サングラスの奥でゆっくりと目を閉じ、ヒュウガは人心地が付いたように溜め息を漏らした。

 翌日、参謀部ではいつもと変わりのない仕事風景が広がっていて、コナツは気を落としている様子もなく、すぐにサボりたがるヒュウガに厳しい一言を放っていた。
「せめて逃げるなら三日に一度……100歩譲って二日に一度くらいにしたらどうです?」
「え、何、その規則正しいサボり方」
「少佐は一日に少なくとも2回は参謀部を脱出なさいますよね。有り得ません」
 文句を言っている間もコナツは手早く書類を仕分け、要領よく実務をこなしている。その一方でヒュウガは腕を組んだまま口だけを動かし、
「脱出って……たまに仕事で居ない時もあるけど? 他にもトイレ行ったりー!」
 大して重要ではない言い訳を述べるのだった。
「それはそうかもしれませんが、そうだとしても仕事など数分で片付けて、その後の休憩が長いですよね?」
「う……」
 こういった会話が毎日繰り返されるが一向に改善されることはなく、コナツのストレスは溜まるのみ、それでもコナツは苦情を更に上司であるアヤナミに訴えようとはしなかった。コナツは本気でヒュウガを憎んでいるわけではない。だからといって喜んでもいない。唯一、上司に向かって文句を言えるのはこういう時しかないと存分に立場逆転を利用し利害の調整をしているのだった。
「もー、コナツが怖いからアヤたんに慰めて貰おう」
 ヒュウガが早速逃げ腰になると、
「どうぞ? アヤナミ様のご迷惑にならないように気を付けて下さいね」
 やはりコナツは冷たい態度をとる。
「ちょっとは優しくしてよねー」
「誰が誰に優しくですって?」
「な、何でもない」
 喧嘩がしたかったのではないが、イチャつくのは昨夜の取り決めからいって不可能だし、もうそういったことは出来ない状態にある。コナツは内心で、これが通常なのだと言い聞かせながら、ヒュウガがいつも通り仕事を投げ打ってアヤナミの所に遊びに行くのを黙認した。
 コナツはヒュウガが去って暫く書類整理をしていたが、ふと誰にも聞こえないように独り言を漏らしてしまう。
「はぁ……私、どうして魅力ある男に生まれなかったんだろう……恋愛における機転とか色気とか欲しかったな。でなきゃフラれることもなかったかもしれないのに」
 どうしても未練がましく気持ちを切り替えられずにいる。
「いや、そもそもこの年で大恋愛とか、しかも相手は男……間違いに気付いて良かった。まっとうな道を歩まなければ」
 ここでヒュウガとの関係を終わらせるべきだと改めて確信し、そのうち自然に過去の清算が出来るようになるだろうと願った。

 数日後に全体会議が行われ、その際にも各幹部の元にベグライターが控えたが、やはりコナツのヒュウガへの献身ぶりには目を見張るものがあり、再度注目を浴びていた。ヒュウガにとっても自慢の部下で非常に鼻が高く、他の幹部から妬ましい目で見られることもあった。仕事熱心なのはいいが、コナツの場合はヒュウガへの忠誠心が高く、どんな時でも尽くす姿があって、他部署の上に居る立場の人間からすれば普段の生活までも至れり尽くせりという状況が酷く羨ましく映るのだった。
 かといってただ真面目なだけではない。或る日のこと、コナツが機嫌よく書き物をしていて、ヒュウガを見つけると両手に沢山のボールペンを持って駆け寄ってきたことがあった。
「少佐! 見て下さい、これ」
「?」
「今まで史上、最高に書きやすいボールペンを見つけたんです!」
 事務用品に対して嬉々としている。当然ヒュウガは興味もなく、
「あ、そうなの?」
 そっけなく言うも、
「実は誤発注で、違うものを頼んでしまっていたんです。でも届いて実際使ってみたら、ほら、ここのグリップの部分が斬新なデザインで凄く持ちやすくて、字が泳がないんです。サラサラしてるけどマットな感じ!」
「え、意味が分からない」
「重さ的にも負担になりませんし、形も気に入って……」
「へ、へー」
「間違って注文したので気付いた時にかなり焦ってしまいましたけど、嬉しい誤算っていうんですか? 逆に正解だったなって、いい買い物したなぁ……と感動しちゃいました」
「そうだねぇ、まぁ、こういう商品は色んなのがあるから」
 もはや適当にコメントすると、
「なので、これ差し上げます。是非使って下さいね!」
 と1ダースものボールペンセットを寄越された。
「え、オレ、要らないし」
「そう仰らずに、使うと癖になりますよ?」
「マジで?」
「少しは仕事したくなると思います!」
「そっか……一応貰っておく」
 というやりとりが行われ、コナツは無邪気に笑いながら、
「このボールペンの魅力に気付いたら感想教えて下さい」
 という催促も忘れない。
「分かった……」
 苦笑するヒュウガに対し、コナツはキラキラと輝くような笑顔を見せて通りすがりの人にもボールペンを配っている。
「何ていうか天然……これは確信犯ではなく、ほんとに天然ものなんだろうなぁ」
 ヒュウガがこっそり呟くと、
「はい? 天然もの? ボールペンがですか? 仰る意味がよく分かりませんが」
「オレもお前が言ってることが分からないよ!」
 今度はヒュウガが頭を抱える羽目になる。だが、そんなヒュウガもコナツが可愛くて仕方がないのだった。

 そうして暫く時が過ぎ、軍全体にも動きはなく参謀部でも平和に過ごしていたがコナツはクロユリから何度も名前を呼ばれることが多くなった。
「コナツ? コナツー?」
 一度だけでは気付かずに、
「ねー、コナツー!」
「あっ、はい、何でしょう?」
 三度目くらいで漸く返事をするのだが、その時の状況は決まって周りに人が居る時に起こった。クロユリがそれに気付いたのは、コナツがヒュウガが居ない時、かなりの頻度で上の空になり、ボーッと辺りを見回している不自然な動きを繰り返すようになったためだ。参謀部や他の部屋でクロユリと二人きりでいる場合には、そんなふうにはならない。
「誰を見てたの? 知り合い?」
 コナツは常に誰かを目で追うようになっていた。
「いいえ? えっ、私、何か見てました?」
「……」
 コナツは自分の行動を把握していないのだ。
「何か、誰か探してるのかなって思って」
「そうなんですか?」
「うん……っていうか、最近のコナツ、おかしいよ? 何となく挙動不審っぽい」
「ええっ、そんなに変ですか! 自分ではよく分からなくて……まさか昼間から夢遊病者に……でもちゃんと起きてますよ? そりゃあ、たまに私も考え事をしますからボーッとしてしまうこともあるかもしれませんが」
 コナツは自分は普通だと主張するが、クロユリが指摘する通り、時折手を止めて考え込んでしまうことがあるのは分かっていた。
「違う、何か誰かを探してるみたいな感じ。常にきょろきょろしてる」
「えーっ? 何でしょう、それは」
「自分で分からないの?」
「はい……」
「前はそんな癖、なかったよね」
「……はい」
「変なコナツー」
「すみません、気を付けます」
「いやぁ、別に悪いことしてるわけじゃないからいいんだけどー」
 そんなやりとりで一旦会話を終えたが、クロユリは今度はコナツに気付かれないよう、注意してその変な癖を探ることにした。普段はハルセと共に行動することの多いクロユリだが、コナツがそばに居る時はひたすらコナツの行動を監視する。基本的にコナツは悪食以外は生活態度が真面目で羽目を外すこともなく、仕事もサボらずしっかりこなす。見ていて何もおかしいところはないと思うが、たまに言動が天然で、そういった所に関しては許容範囲というか和む場面である。クロユリから見れば、ヒュウガはこれで癒されているのだと思わずにはいられない。だから、じっと見ていてもしょちゅうおかしな行動をとるわけでもなく、ついつい監視を忘れてしまいそうになる。だが、よくよく見ていると次第に或ることに気付いてしまったのだ。最初は分かり辛かったコナツの妙な癖に共通点を見出した。それは、コナツが懸命に誰かを探すように目で追うということだった。そして、その対象となる人物に明らかな特徴がある。当然、軍に私服姿の綺麗なお姉さんや同じ年頃の女の子が遊んでいる風景は無く、軍人しか居ない。そう、コナツが探しているのはれっきとした軍人であり長身で黒髪、比較的スタイルのいい若い男性、特に眼鏡を掛けていれば舐めるように見て、後姿が見えなくなるまで目を離さないのだった。
「……つまり……」
 クロユリは探偵のように顎に手を掛けて考え込む。しかし、考え込まずとも答えはすぐに出た。
「コナツ、もしかして……ヒュウガを探しているんじゃ……」
 そういう結論に至ったが、実際はそうではなかった。何故ならクロユリがコナツに意見を述べた際、あっさりと否定されてしまったからだ。
「私がヒュウガ少佐を探すって、それはありません。でも、探したくなるというか、すぐに居なくなるので何処に居るのか確認することはあります。大抵はアヤナミ様の所なので分かりやすいですが、それ以外は全く謎ですし、私の目の届く範囲内じゃないと探しきれないので諦めてます。ですから、ヒュウガ少佐を探すという行為を無意識にすることはありません」
「あー、そっか……うん、分かるよ、僕だってヒュウガが遊び歩いてるから、あいつ何処行ったんだって思う時あるもん。でも、コナツ、ヒュウガと似たような人をめっちゃ目で追ってるから、てっきり探してるのかと思ったんだ」
「……そうですか……すみません、私のことを気にかけて下さったんですね……でも、大丈夫です、何もありませんから。たまにボーッとする時があるかもしれませんが仕事はきちんとします」
 コナツは申し訳なさそうに謝った。
「いやいや、いいんだけど、何かあったら何でも言ってよ? いつも言うけど、話くらいしか聞いてやれないけど、出来る限りのことは力になりたいから」
「ありがとうございます」
 コナツは自分がクロユリに心配されるほどおかしな行動をとっていることに気付かず、気を遣わせてしまったことを悔やんだ。迷惑をかけて申し訳ないという思いでいっぱいになり、自分を責めるしかなかった。そしてクロユリに「常にヒュウガを探しているように見える」と指摘され、そんなに辺りを見回していたのかと今になって気付いたが、それと当時に、ヒュウガを探しているのではなく、別の理由があることに思い至った。コナツは一人、誰も居ない所で苦悩を絞り出すように呟く。
「私は少佐を探しているのではない……似たような人に目が行っているだけだ……」
 こんなことはクロユリには言えなかった。クロユリは今回の件……つまり、ヒュウガにプラトニックな関係でいようと言われたことを知らない。あたりさわりのない会話で切り抜けるしかなかったが、今は曖昧にしておくしかなく、コナツはやはり仕事に没頭して、最近余りヒュウガとつるんでいないことなど、そろそろ周りも気付いているであろう不審な点を突っ込まれないようにするだけで精一杯だった。
「でも……本命が駄目だとなると代わりを探したくなる。未熟な考えだと分かっているけど……ヒュウガ少佐に相手にされないのなら似たような人を……そんな人と付き合えるとは思っていないし、浅はかな考えだとしても誰でもいいから私と付き合ってくれないかなぁ……なんて……」
 辛いのだった。フラれたことも、一人で寂しく過ごす夜も。いい歳した男の一人暮らしが長いのならば、この台詞も有りだろうが、まだ若いコナツがこんなふうに哀愁を漂わせているのはただ事ではない。
 だが、ヒュウガにはプラトニックな恋人同士でいようと言われたのだ。表向きは別離ではなく、恋人同士ではあるが清い関係で居たいというだけで、別れたわけではない。
「これじゃあ、雁字搦めだ。承諾してしまった私も私だけれど……」
 今までヒュウガには、ヒュウガの口からはっきりと別れを告げてほしいと訴えてきた。これはコナツなりの配慮で、自分はあくまでもフラれた形で居たいと上司を立ててきたつもりである。だがヒュウガは別れるつもりはないのだと言い張った。コナツにはヒュウガが自分を気遣って別離を否定してくれているのだと思っていたが、生殺しの状態が続くようではコナツもだんだんと平常心を保てなくなってきた。
「どうしたらいいんだろう」
 仕事を終えて部屋に帰っても、何度も虚しく同じ言葉を繰り返して呟いてしまう。
「少佐を嫌いになれないから厄介なんだ」
 クロユリと話をした日の夜、残業ですっかり遅くなって深夜近くに部屋に戻ったが、ヒュウガと顔を合わせない日があることにも慣れたものの、業務連絡はメモを残し、いつも行っていた口頭での報告が次第に少なくなっていった現実を寂しく感じた。その時点でコナツはヒュウガに避けられていることに勘付いていたし、そういう空気を読めないほど鈍感ではない。いっそ鈍くて空気も読まずに絡んでいければどんなにいいかと開き直りたくもなったが、それでは人間的に痛い人だと思われてますます自分が嫌になるのが目に見えていた。
「あぁ、疲れた……」
 部屋の片づけは後回しにして、睡眠を優先し、嫌なことは寝て忘れようと思った。寝ても次の日になればどうしても思い出してしまうのだが、それはまた明日悩めばいいと諦めるしかなかった。
 シャワーを浴びてベッドに入ってからも考えるのはヒュウガのことばかりで、最近はようやくヒュウガに似た誰かで”妄想”することが出来るようになってきた。たとえば今日すれ違ったヒュウガに似た軍人や、街で見かけたヒュウガに背格好が似た男性など、ほとんど病的なまでに代わりを求めるようになった。
「こうすれば、少佐がそばに居なくてもよくなる。だって私は少佐以外の人のことを考えているのだから、そのうち少佐じゃなくてもよくなるのだと思う」
 これほどまでにヒュウガを恋い焦がれていることなど、ヒュウガは気付いているだろうか。もし気付いているのならば、「プラトニックな関係でいよう」などと言えるものか。こうして逆にコナツを苦しめていることなど、恐らく露ほども感じていないだろう。
 そうしてコナツはどうにかしてヒュウガに迷惑を掛けずに自分でプラトニックな関係でいられるように邪念を追い払い、違う誰かを思い出して、その相手がどんな人かを勝手に考え、妄想のみで満足するようにあの手この手で試行錯誤を繰り返していたが、或る日とうとう耐えられなくなったのかヒュウガに再度直談判しようと決めた。
 しかしコナツからヒュウガを振るのはどうしても嫌だったし、実際にコナツはヒュウガを嫌いになれないのだ。たとえ演技でも振るという行為は出来そうになかった。
 今はもう仕事中しか顔を合わせることがないため、サボって居なくなる前に約束を取り付けようとするだけで必死になった。こんな時に限って単独行動の外回りの仕事が増え、やっとの思いで参謀部に戻ると、偶然にもヒュウガを見つけてチャンスとばかりに詰め寄った。
「少佐、少しお話が」
「えっ、今、忙しいんだけど」
「……」
 ヒュウガの机の上には何もなく、頬杖をついてボーッとしている姿は、とても忙しそうには見えず、これでますます自分は避けられているのだと落ち込むコナツだったが、めげずに拳を握りしめ、
「あの……今ではなく、今夜……は……」
「こっ、今夜!?」
 ギクリとするヒュウガを見て、コナツは嫌な予感がした。勿論、ヒュウガは夜にコナツに会ったら何をしてしまうか分からないという焦りがあって、出来るだけ夜に二人きりにならないようにしていた。それを勘違いしているコナツは、例えヒュウガが難色を示しても話し合いの場を設けたい。
「今夜はお忙しいですか?」
「う、うん、お忙しい」
「では、明日は?」
「明日も……明後日も……多分永遠に」
「……」
 一瞬、コナツはくちびるを噛んで悲しそうな顔をしたが、すぐに苦笑いに変え、
「お仕事の話ではありませんよ? 食べ物の話ですけど」
 冗談を飛ばした。
「えっ、何処か旨い店見つけたの!?」
 こういう話には乗るヒュウガだった。
「そんなわけないじゃないですか」
「嘘なの!?」
「……すみません、真面目な話をしたいんですが」
 そろそろごまかしもきかないとコナツは本音を吐いた。途端に無表情になるヒュウガに、
「大したことではないんです、あまりお時間はとらせませんので。すぐに済みます」
 精一杯の配慮をした。それでもヒュウガは渋り、
「あっ、でも、あれだ、えーっと、アヤたんと一緒ならいいよ!」
「!?」
 とまで言い出した。それは余りにも酷ではないか。
「うーん、アヤたんじゃ何も話さないうちから気まずいっていうか場が凍るよね。じゃあ、クロたんでもいっかな。ん? もしかしてカツラギさんの方が適してるかも」
「……そんなに私と二人きりになるのがお嫌ですか? 私……何もしませんから……」
 辛い顔はするまいと硬く誓い、無理やりに笑顔を作ってきたが、このままでは泣きそうだと崩れ落ちそうになった時、
「分かった、いいよ、オレ、用事あるからちょっとだけだけど。あ、オレがコナツの部屋に行くね! 今夜? 何時?」
「!?」
 急展開についていけなくなり、時間までは決めていなかったためにコナツは言葉に詰まると、
「じゃあ、9時! 21時! いいね!?」
「は? え? はい、では21時でお願いします」
 勝手に決められてしまったが、ヒュウガと話が出来るのならば何時でもいいと思い、今日は残業は余りしないようにしようと瞬時に頭の中で仕事の段取りを考えるのだった。頭の中で組み立てているうち、気付いたらヒュウガは消えていた。
「あれっ、居ない!?」
 脱兎のごとく姿を消したヒュウガにコナツは落ち込むよりも感心し始めた。
「あんなデカイ図体なのに音もなく逃げた。凄い技です」
 そこは褒めるべき所ではないだろうと突っ込む者もおらず、コナツはすごすごと自分の机に戻るのだった。

 夕方になり、そろそろ仕事を切り上げて部屋に戻り、来客の準備をしなければいけないと思っていた所へ、クロユリが溜め息をつきながら戻ってきた。一人で頭を振って文句を言っている姿に尋常ではないものを感じ、
「どうなさいました、クロユリ中佐」
 つい声を掛けてしまった。
「コナツ……」
 クロユリはコナツの顔を見て焦った素振りをしたが、また先程と同じように溜め息をつくと、
「まぁ、いいや。どうせコナツの耳にも入るだろうし」
 と前置きし、
「ほんと、あいつ、どうなってんの?」
 訳の分からないことを言い出した。
「あいつ……ですか?」
 誰のことを言っているのか気付かなかったが、クロユリが腕組みをして怒っている所を見て、
「もしかして少佐が何か?」
 コナツが心配そうに呟くと、クロユリは肯定する意味で肩を竦めた。
「……まぁ、昔から奔放な奴だったけど、最近おかしいよね。仕事さぼるのは平常運転だとしても、いくらプライベートだからって限度ってもんがある」
 いつもとは違うクロユリの憤怒の表情にコナツの顔色が変わっていく。
「腕にアクセサリーとかつけてんの、何、あれ。変なんだけど」
「は?」
「え? 結構前からだよ、知らなかったの?」
 ヒュウガとコナツの仲を知っているクロユリは、当然互いが身につけているものを熟知していると思っていた。
「私は……知りませんでした」
「えーっ、やっぱり隠してるんだ。何かね、どうも、女から貰ったみたい。っていうか、変な噂が立ってるのは?」
「噂ですか? ええと……どのような」
 聞くのも怖かったが、今はどうしても知りたかった。
「夜な夜な女の所に通ってるって話。飲み屋とか風俗みたい。実際に見たって人からも聞いたし」
「!!」
 コナツはついに蒼褪めて一瞬呼吸を止めると、諦めたようにゆっくりと息を吐いた。そして心の中でこう呟いた。
(なんてベタな展開。ありきたりすぎるくらい予想通り。これで私も吹っ切れる。事実確認をして、ちゃんと私の思いを言おう)
 今夜が本当の修羅場になる。コナツにもう迷いはなかった。 

 だが、直談判の内容はもっと型破りなもので、真剣にコナツを清純な状態に戻そうとしているヒュウガの努力を水の泡にするものだった。


to be continued