幾つもの星が瞬く時間を超えて


 先週末、熱い関係を築いた二人は、翌週の月曜に揃って出勤し、コナツはヒュウガと目が合うと顔を赤らめて視線を逸らすという初々しい仕草をして、ヒュウガはじっとコナツを見つめたまま「可愛い」だの「照れ屋」だのと呟いていた。
 コナツは就業時間になると仕事モードの顔になったがヒュウガはデレたまま、そのスタイルを変えることはなかった。その姿を見たコナツが、
「少佐、お仕事は真面目にして下さいね」
 厳しい一言を添えても、
「分かってるけど、思うように切り替えられない」
 そう答えるだけだった。
「ですが、仕事場ではおかしな態度は取れませんし」
「いいよ、今更でしょ。オレが真面目になったら誰がオレの代わりをするの?」
「は?」
「職場には一人くらいオレみたいな人が居ないと成り立たない」
「……」
 またおかしなことを言い始めた……とコナツが呆れていると、
「そんなことより問題なのは、こんなに一緒に居てもコナツをもっと独占したいと思うオレって我儘だよね、コナツに嫌われないかな……なんて心配しちゃうんだけど」
 ヒュウガは恋の悩みを抱える思春期の少年のようになっていた。
「突然何を仰るのです」
「マジメな話だよ」
「でも少佐は独占欲の強い方には見えませんでしたが……」
 もともと誰にでも愛想がよく人懐こさもあって、明るい性格なのだと思っていたが、それが段々と言葉巧みに人の心を揺るがし、狡猾でありながら酷く懐疑的な性格だという実像に変わっていった。その中で排他的な部分は感じられず、アヤナミへの執着心や自分への態度を見て漸く縄張りは死守するタイプなのだということが分かった。
「オレはどっちかっていうと本命には突っ走るタイプだよ。それ以外は眼中にないし全く気にならない。欲しいものを手に入れるまではしつこいかも」
「……ご自分のことをよくご存知ですね」
「まぁね」
 普段は何を考えているか分からず、周りからは食えない男と言われることもあり、コナツも上司でありながら理解に苦しむ行動が多く、一度頭の中を覗いてみたいと思うこともあったが、欲しいものは何としても手に入れるという姿勢は身を以て知ったし、情熱的であることも知った。もっと詳しく分析するなら、昼間の不真面目な態度からは想像も出来ぬほど”夜の姿”は違う。てっきり手抜き放題のいい加減な男かと思えばベッドでのテクニックは上級である。
 コナツはその流れで夜のことを思い出し、一人で顔を赤くしてしまった。
「ん? また顔が赤くなってる。今の会話のどの辺がやばかったのかな」
「いえ、仕事が……」
 疎かになってはいけないと襟を正そうとするも、
「何? 仕事のことを考えるとそんな恥ずかしげな顔になるの?」
「それは……」
「違うでしょ、またいやらしいこと考えてるんでしょ、でも、この流れで何故に?」
「何も考えていません」
 コナツはどうしても否定したかったがヒュウガが食いついて引かず、わざとコナツを困らせている。
「分かるよ、今のコナツはきっと先週のことを考えているんだね」
「……」
「ごめんね、オレが前戯に時間を掛けすぎたから恥ずかしかったんでしょ」
「えっ」
「隅々まで見ちゃったしね……まさかあんな体勢とらされるとは思わなかった?」
「ちょ、何を……」
 ここで暴露しないで欲しいと訴えたくてもヒュウガは故意に公表しているのだから止めようもない。
「し、仕事が……」
「書類が溜まってきた? まだそこまでの量じゃないと思うけど」
「これから増えるのです。このままでは仕事が手につきません」
「あはは、どうしようねー」
 コナツは既に熱を帯びたように力の抜けた表情になっている。
「意地悪しないで下さい!」
「してないよー、先に思い出してたのはコナツじゃん。やだな、コナツって案外いやらしい子!」
 にべもなく指摘され、
「少佐のせいです! それに、少佐だって思い出すこともありますよね?」
「オレは思い出したりしないもん」
「!」
「コナツみたいに顔を赤くしたりさぁ」
「……」
 転嫁しようにも完全にヒュウガにからかわれる形になり、コナツの怒りが増していく。しかしながら、ヒュウガが自分と過ごした熱く甘い夜を思い出さないと言ったことが気にかかり、コナツは自分だけがあの快楽の余韻に浸っていることに悲しくなってしまった。恐らく、大人のヒュウガにとって、あれしきのことで思い出してときめいたり不埒な想像をするなど笑い話にもならないのだろう。
「仕事中にまた思い出したらダメだからね。躰が反応しちゃったら大変でしょ」
「……」
「そんな真面目な顔して頭の中は淫乱。まさにギャップ萌えってやつ?」
「失礼な!」
「ま、いいけどね、それくらいでちょうどいいのかも」
「……」
 何しろヒュウガは思い出すことはないのだ。どちらかというとヒュウガの方がドライでクール、物事を引きずらない切り替えの早いタイプなのだろう。
「し、仕事……します」
 今のコナツの逃げ場が仕事だった。現に逃げずとも作業に取り掛からなければならない時間である。
「よし、頑張ろう!」
「えっ、少佐もお仕事を?」
「いや、頑張るのはコナツだけど?」
「……」
「オレはコナツを見つめる役!」
「役……」
「それがオレの仕事だからね」
「そうですか」
 こういった冗談には付き合わないことにしてコナツはさらりとかわすと自分の机に向かった。何より、ヒュウガの思い出さない発言が響いてコナツの心に影を落としていた。
(私ばかりが……)
 夢中になっていると思うと虚しくなる。一人で舞い上がり興奮するのは経験不足のせいか、自分にもっと恋愛経験があればこんなふうにはならなかったのだと思うと年の差がもどかしい。
(大体、私は少佐のことばかり考えている)
 コナツに願望を聞けば、ヒュウガのように剣の腕を上げたいと答えるし、要望を聞けばヒュウガに仕事をして欲しいと答える。毎日行っている素振りは躰を鍛えるというよりヒュウガのせいでストレスが溜まり、それを解消するためのものでコナツの思考や行動の大半がヒュウガに関わっていることになる。
 たとえば休日にすれ違いでヒュウガの顔を見ることが出来なかった場合、ヒュウガの部屋に行こうかどうか悩むし、顔を見ることが出来なかったといっても普段は見飽きるほど顔を合わせているのに、わざわざ休日に会話など交わさなくても何の支障もないのだが、やはり会いたくなるのは習慣になっているからか……。毎日毎日上司のことを考え、悩み、思いを馳せる。これではまるで恋をしている少女のようだと思いつつ、それが当たり前になっていることに危機感を覚えたのも事実である。
「このままでいいのだろうか」
 コナツは少し距離を置いた方がいいのかと真剣に悩み、仕事で共に行動する以外は必要以上にべったりとくっついて干渉したり考えることを止めた方がいいのではないかと思った。何かにつけて上司、上司で憧憬を含め愚痴でさえもとどまることがない。
「好きすぎてだんだん憎らしくなってきました……」
 ここまで重症になるとは自分でも思わなかった。

 そうして数日が経ち、コナツは決意を新たに毅然とした態度でヒュウガに接するつもりでいたが、実はヒュウガに異変が起こり始めていた。
 あれほどコナツに声を掛けて冗談を言ったりからかっては場を賑やかにしていたのに、その会話が減り、ついには見向きもしなくなった。
 コナツはまた心を読まれたのかと不安になり、自分が馴れ馴れしくするのはやめようと誓っても、ヒュウガから音沙汰がないと物寂しくなり、ヒュウガには変わらぬ態度でいて欲しいと思ってしまう。
(私も我儘だけれど……でも、見向きもされなくなると悲しい)
 避けようとして避けられたのでは意味が違う。コナツとしては、自分からはしつこく頼ったりしないが、相手から揶揄されてもすぐに感情的にならずにかわす術を身につけようとしていただけだ。
 それなのにヒュウガはもうコナツを見ることもしないし、近づくと何気なく離れ、完全に避けているようにしか見えなくなった。仕事の件で声を掛ければ簡素な返事しかなく物足りない。普段のあのおちゃらけた態度は何処へいってしまったのか不信感を抱かずにはいられず、悶々とした日々を過ごさなければならなくなった。
「やはり少佐にはバカでアホでお喋りでいて頂かないと場がもたない……」
 失って初めて気づいたわけではないが、ヒュウガがおとなしくなって気づき、どうしてこんなことになったのか訊いてみたくなった。たとえ、
「最初に避けようとしたのは、お前」
 と言われても仕方がない。ヒュウガはコナツの心を読むのがうまく、どんな演技をしてもバレてきたのだから、
「お望みの通り、もう話しかけない」
 という結論が出ても、コナツは自分の意見をしっかりと述べて気持ちを伝えるつもりだった。
 だが、実際は……。
 余りにヒュウガがコナツを無視するため、コナツはヒュウガに渡す書類にメモを添えた。
『声を掛けて頂けないと寂しいです』
 ヒュウガがそれを読んだのかどうかは知らないが、その日のうちにヒュウガから「話がある」と言われ、コナツは嬉しくなってまた一人で舞い上がってしまった。
「いけない……こんなことで喜んでは……何の話かも分からないのに……フラれるかもしれないのに……」
 コナツは冷静になり、残りの仕事をすることで頭の中を切り替えていくしかなかった。
 週末ということもあり、ヒュウガは多忙を極めているコナツに仕事を切り上げるように伝えて残業をさせずに夕食に誘った。外に出ることになったのはいいが、最近の二人の関係はどこかぎこちなく、コナツから気の利いた会話をすることが出来ず、申し訳なさそうに後ろをついていくのが精一杯だった。
「おとなしくなったねぇ」
「えっ」
 それはこちらの台詞だと言いたかったが、確かに口数が減ってしまったのは否めず、コナツは言い返すことも出来ずに俯いた。
「ちょっと話しづらいなぁ。でも、ご飯は美味しく食べたいよね」
 ヒュウガは食事の席で話を切り出すつもりはないようだった。それでもコナツは借りてきた猫のようにおとなしく、食欲もなさそうだったが、ヒュウガが連れて行った店が初めてだということで嬉しそうに店内を見回し、はしゃいで陽気な所を見せていた。
「好きなの頼んでいいよ」
「でも……どれも高いですよね」
「値段? そんなの気にすることないって。だったら最初からこんなとこ連れてこないし」
「はい」
「成長期なんだし、遠慮しない」
「分かりました」
 食べ物で釣るという作戦ではなくヒュウガは常に羽振りが良いため、これは当たり前の行動である。結局コナツは上司の誘いに甘えて好きなものを頼み、満面の笑みで運ばれてきた料理を舌に乗せていったのだった。
「ああ、幸せ」
「そう?」
「ご飯が食べられるって幸せなことです」
「うん、分かるよ」
「少佐と居ると衣食住には困りませんね」
「えー?」
「特に食に関しては妥協しないし」
「でもオレ、偏食家だけど。コナツの悪食よりはいいかな」
「私は何でも食べられるだけです!」
「……そういうことにしとく」
「少佐の好き嫌いだって子供より酷いですよ?」
「そんなことないよー」
「なのにそんなに大きくなって、一体どうなっているのやら」
「だから、オレの身長も遺伝なわけで」
「またすぐにそう仰る」
 というふうに通常の会話に戻り、二人は他愛もない話をしながら時折互いの料理を分け合って楽しい時間を過ごしたのだった。

 場面が変わって夜の10時、二人はヒュウガの部屋に居て、ヒュウガは酒を飲んでいた。
「私もお付き合い出来ればいいのですが……」
 コナツはまだ酒が飲める年齢ではなく、一人酒であることを申し訳なさそうに呟いた。
「いいの、いいの。オレも飲むつもりなかったけど、ちょっと飲まないと先に進まないっていうか酒の力を借りるっていうか」
「?」
「ほら、都合悪くなった時に酒飲みすぎて覚えてないって言えば助かるでしょ?」
「は?」
「泥酔するまで飲んじゃえー、みたいな」
「……」
 そこまでいくにはかなりの量が必要だと思われたが、それだけこれから話すことが面倒事なのだと気づき、コナツは畏まりながら、
「あの……私は何を言われても気にしませんから……」
 一応念を押した。
「あはは、ごめんね、気を遣って貰っちゃって」
「いいえ……でも……私に話って何ですか?」
「……」
「少佐が口ごもるなんで珍しいですよね」
「……うん、まぁ」
 随分と歯切れが悪い。
「私は大抵のことには驚きませんし、大丈夫ですよ」
 避けられ始めた時から或る程度の覚悟はしていた。今更何か言われたからといって落ち込むほどではないと思った。
「あー、実際どうってことない話なんだけどさー」
「それならいいじゃないですか」
「うーん」
 ヒュウガが困ったように頭をかきながら、
「実は夢を見ちゃってー」
 ため息をつくように脱力し、コナツが引かないように身振りを加え、
「夢だからね? 夢だから気にしないで?」
 更に注意を促すと、
「はぁ、夢というものは不思議なものですからね、少しくらい内容がおかしくても驚きません」
 平然としているコナツに向かい、
「あのねぇ、コナツがご懐妊したっていう内容で」
「?」
 まだこの時点では何を言われたのか分からず、コナツは首を傾げヒュウガを見上げた。
「いやぁ、避妊に失敗して妊娠したっていうのと計画的妊娠とどっちだと思う?」
「は?」
「だからぁ、子供が出来たっていうか孕ませちゃったっていうかコナツが妊婦さんになるっていうね!」
「……ええと……」
 有り得ない。
 ご懐妊と言われて、初めは解任されたのかと思った。ベグライターの解任はコナツには一大事である。一瞬血の気が引いたが、ヒュウガの次の台詞の避妊という単語で全く別の意味であることを知った。それも解任を否認するという意味であって欲しいと願ったが、やはりそういう重要な話題ではなかった。
「コナツから告げられた時はびっくりしたよー。でもオレ、責任とるつもりでいたからね」
「……」
 コナツは茫然として遠くを見つめた。たとえ夢であっても冗談であっても有り得ない話だと思った。
「まぁ、これだけエッチしてたら出来るよね……」
「いえ、私、男なんで……」
 今まで何度もこういうやりとりをしてきた経緯がある。可愛いと言われるたびにそう答えてきたし、それだけならばまだしも、妊娠となると別問題だ。
「そう、そこなんだよ。男なのに子供が出来るってビックリじゃない? コナツって両性だったっけ。それとも女装して軍に入った女の子だったっけって混乱しちゃったー」
「……」
 もともとこういった話は苦手である。
「夢の中のオレは大喜びしてるんだけどさ……目が覚めた時にがっかりしてたっていうこの複雑な心境をどうしたらいいのか分からなくて悩んでた」
「……そのせいで私に近寄らなかったんですか?」
「近寄らない? え、オレ、避けてた?」
「ご自分で気付かれなかったと?」
「そっかー、無意識のうちに避けてたのか。オレ的には対応に困ってただけで」
「何の対応です。おめでとうとでも仰るつもりでしたか?」
「あはは」
 ヒュウガは笑っていたが、コナツは真顔で、
「今、こういうの流行ってるんですか?」
 事の成り行きを理解しようと冷静に訊ねた。
「何が」
「ですから、男同士でも子供が出来るとか、そういう有り得ない空想のようなものが流行っているのかと思いまして」
「ないよ。なんで流行るの」
「そうですか。てっきりよくあるネタなのかと思ってしまいました」
 そういう文化でもあるのか、最近は同性愛のカップルの間で、そのような冗談をかわす習慣でも出来たのかと思わずにはいられなかった。
「あるわけないじゃん。養子縁組で子供を持つならともかく」
「では、何故そんなおかしな夢を見たのでしょうね」
「オレの願望じゃない?」
「はい?」
 コナツは憐みの目でヒュウガを見つめた。こればかりは永遠に叶うことはないのだと時間を掛けてでも説き伏せようとしたが、次にヒュウガが紡ぎ出した台詞を聞いて固まった。
「オレたちは実際にそうしようと……そうすればよかったって思ってたから。あの時出来なかったことを今になって気付いたんだ。でも、もう遅くて。遅すぎるほどに遅くて……口惜しいよ」
「……少佐?」
 こんなに寂しそうな顔を見たのは初めてだった。その衝撃にコナツは、この話がただの冗談で終わるものではないことを悟った。そしてヒュウガはコナツを見つめ、
「過去の話をしても?」
 優しい口調で話し始めるのだった。
「えっ、過去……ですか?」
「そう。過去といっても数年前とかの話じゃない。もっと前、もっと昔……前世の話だよ」
「!」
 そしてヒュウガの口から古の思い出が語られる。

 輪廻、そして転生とはよく聞く言葉だ。再生や再有とも言うが、それを信じるのもよし、信じずともお話の中だけのことだと思うのもよし、どう思うかは自由だが、ヒュウガはそう前置きしてから、
「オレたちはね、前世でもこうして出逢っていて、好きあってたんだよ」
 優しい口調のまま続けた。
「!?」
 コナツは驚いた顔をしたが、それに対してコメントすることはなく不思議そうにヒュウガの顔を見つめるだけだった。
「ただ、軍人とかじゃなくて……もっと昔の話だから今とは違っていて、他に違うのは性別と身分で……」
「性別!」
「つまり、異性同士だったの。だから好きあってたっていうのも納得がいくでしょ?」
「……っ」
「但し、身分が違いすぎてうまくいかなかったんだ」
「それって……」
「あのね、オレが普通の人間でコナツはそれはそれは素晴らしいほどの黒法術師、つまり、今と逆の立場だったんだよ」
「!!」
 コナツは愕然として話を聞いていた。
「そのせいでオレたちは付き合うことを反対され、敵も障害も大きかった。今ならどうにかして駆け落ちとか逃亡とか色んな手はあるけれど、当時はそんなことすらも許されなくて。簡単に会える間柄でもなかったし、それこそコナツが窓から顔を出して誰にも見つからないように外に居るオレが隠れて会話をするってことくらいで、切ない逢瀬を繰り返していたの」
 コナツは驚いた表情をしながらヒュウガの話に耳を傾け、
「私……前世のことは……」
 記憶にないと呟いた。かけらほどもなく、考えたこともないと告げた。
「覚えていないんだね」
「何も……」
「だろうね。だって、お前がその時に願っていたことだもの」
「えっ?」
「次に生まれ変わる時は普通の人間になりたい、黒法術師に生まれなくてもいい、そしてこんなに辛い思いをするのなら、もう恋などしたくない、しなくてもいい、今までのことはすべて忘れたいと、そう願っていたんだ」
「そ、それって……」
「だから、今のオレたちはこんなふうになってしまった」
「!!」
「オレは普通の人間だったからコナツと結ばれるためには次は黒法術師として生まれたいってね、ただそれだけを思っていた。きちんと話出来る環境じゃなかったから、同じ願いを持つことをしないまま、オレたちは生まれ変わったんだ」
 結果、ヒュウガは黒法術師として生まれ、コナツは普通の人間として生まれた。コナツは恋など出来なくてもいいように、男として生を受け……。
「これは望んだ結果でもあるけれど、悲しい結末であることには変わりない」
 ヒュウガが呟いた言葉は粛然としていたが、互いに望みを叶えて再び出逢えたことを考えれば、今の世で良かったと思わずにはいられない。
「だからね、あの時力づくでもお前を奪って子供を作ってしまえば一緒にいられたかなって。だけど、そういう時代でもなかったんだよなって思うとね、ただ悔やんでばかりで、何も出来なかったことが辛い」
「!!」
「だから、おかしな夢を見ちゃったんだねぇ」
 実効支配が可能な時代ではなかった。そんなことをすれば殺されていたかもしれないのに、何もせずに願いばかりを抱いて長い時を過ごしたことが未だに悔やまれる。
「ね、これで分かってくれた?」
 ヒュウガは苦笑しながらコナツに理解を求めた。ただの馬鹿らしい夢ではなくて、前世からの願いであったと伝えたかったのだ。
「私は……私は……」
 どう答えていいのか分からずコナツは俯いて目を閉じた。
「少佐のように前世のことは明確には覚えていませんが、でも……今の私は少佐に夢中で……寝ても覚めても少佐のことばかり考えていて……それじゃいけませんか?」
「あは、しょうがないよ、コナツが思い出せないのはそう願って生まれたからだし。たとえコナツが同じ男に生まれたとしても、現にこうして一緒にいられるわけでしょ、今のままで何も文句ないよ」
「少佐……」
「ちょっとだけ年は離れているけど、それでも大きな差じゃない。ちゃんと出逢えてるし何よりもこの腕に抱ける。これ以上のことは望まない」
 抱き寄せられてコナツは痛いほどの眩暈を感じた。それは幸せな眩耀の証だった。
「……あ……」
「オレたちは次に同じことを願えばいいんだ。そうすれば、それが叶って、次も一緒にいられる」
 一回り小さい躰を更に抱き締め、
「離さないなんて、今時誰も言わないことでもちゃんと言わないと次に伝わらないから、想いを繋げるためにオレはどんなことでも言い続けるよ」
 思ったことを口に出来る性格で良かったとつくづく感じる。口下手ならば何も言えないまま終わってしまうのだ。そして何度も後悔する生き方だけはしたくない。
「てっきり私の方が少佐が好きで……私の思いは報われないとばかり……」
 コナツが震える声で告白すると、
「何故? 成就されてないってこと? これの何処が?」
 ヒュウガには理解出来ずに、その逆だと説明しようとしたが、
「少佐はもっとクールです。先日も私は時々少佐とのことを思い出しては一人で照れていたじゃありませんか。つまり、私ばかりが舞い上がっているということです。それなのに少佐は私のことなど思い出さないと……」
 確かにヒュウガは思い出すことはないと言い切ったのだ。
「ああ、そのことね」
「はい。それで少し寂しくなってしまって」
 コナツが肩を落とすと、
「分かってないなぁ」
 ヒュウガは宥めるように背中をトントンと叩いた。そして本音を呟く。
「あのねぇ、オレなんか思い出すとかいうレベルじゃないんだよ。むしろそれしか考えてないんだ。忘れるとかないから、ずっとそればっかり」
「!?」
「時々思い出すコナツの方が冷たくない? つまり、それ以外は他のこと考えてるわけでしょ?」
「えっ、それは……」
「オレは四六時中なの。起きてる間も寝てる時も考えてるの。だから仕事が出来ないんだよ。少しは忘れて思い出す程度に収めておきたいよね」
「!!」
 実はヒュウガの方がどっぷりと堕ちていた。
「お陰でコナツを見ると所構わず反射的に勃っ」
「へ、変態!!」
 ヒュウガのセリフを遮ってコナツが叫ぶと、
「何で! しょうがないじゃん、男として当然の性だ」
「は!? それは全く常識として考えられませんが」
 また言い合いが始まる。
 二人は常にこのような具合で収拾がつかない状態に陥るのだ。そしてこのやりとりを止める者は居ない。
「お前が男として生まれても、むしろ一緒に仕事が出来て好都合。これで良かったのかもって毎日思ってるよ。昼も夜もずっとそばに居られる」
「……」
「でも、次は今度はオレが女の子になりたいって願っちゃおうかな」
「えっ」
「コナツはそのまま男でいいよ」
「……」
 それはそれで何故か納得出来ない。可愛らしい女の子のヒュウガは想像に苦しむ。
「何か文句ある?」
「……少佐が女性なんて……ちょっと考えられません」
 コナツが正直に告げるとヒュウガは落胆しながら、
「それは心外だなぁ。これでもイケると思ってるんだけど」
 自信があるそぶりをしてみせたが、それでもコナツには理解出来ない。
「真面目に仰ってます?」
「うん、お姫様抱っこされたい!」
「……」
「フリルのついたドレスとか着て……可愛い靴も履いてみたいし」
 ヒュウガは真剣に訴えるがコナツは暗い表情のままだ。ヒュウガにドレスや可愛らしい靴というのは似合わないと思うし、想像が出来ない。
「その顔で何を仰るのですか」
「顔!?」
「そんないやらしい顔してドレス着たいとか有り得ません」
 コナツは辛口だった。
「えー、どういうこと。だって来世はちょっと顔が変わるかもしれないじゃん、今度生まれ変わる時は美女がいいな。んー、小さいころは美少女って有名なくらいで、芸能人なみの扱い受けたりして? そしたら最高だよね」
「……無理です」
 何としても却下したい。
「駄目なの?」
「少佐は何度生まれ変わっても男性だと思いますよ」
「どうして」
「何となく」
「もしかして自分が女の子の方がマシだと思ってない?」
 ヒュウガが面白くなさそうに言うと、
「それはありません。私の前世が女性だったというのも腑に落ちないですし、私は来世も男でいいです」
「ふーん。まぁ、来世は男同士でも女同士でももっと気軽に結婚出来たり、身分とか性別とか関係なしに付き合えるようになるかもねー」
「そうですね、そうであればいいと思います」
「っていうかコナツは……」
「何でしょうか」
 次も一緒に居たいという意思表示をしておらず、このまま男でいいと断言しているし前世や後世については興味がないようだ。ヒュウガはこれも想定内だと思っていたが、
「今の話、信じる?」
 試しに問うと、
「えっ、本当の話ではないのですか?」
「……」
 コナツはすっかり信じ込んでいたのだ。今更冗談だったと言われても困却だけが残ってしまう。
「凄くいいお話だと思いましたが、まさか嘘だとでも?」
 コナツの顔色が変わっていった。
「こんな話、オレの即興だとは思わない?」
「即興って……作り話のことですか?」
「うん。アドリブにしてはいい出来で、オレって詩人っていうか作家になれるかなって思ったんだけど」
「……」
「本気にしちゃってた?」
「つまり少佐が考えたお話ということですか」
「んー、オレたち昔はこうだったのかも、こうだったらいいなって願望みたいな感じ」
「……」
「ごめんね、本気にするとは思わなかったから」
 ヒュウガが苦笑していると、
「……」
 コナツは無言のままヒュウガを見上げた。その眼差しは、いつもの様子とは違っていてヒュウガを射抜くように見ている。
「どうしたの?」
 ヒュウガが不思議に思っていると、
「……私……本当は……」
「何?」
「覚えているんです……あなたとのことを」
「えっ」
「あなたが仰った……前のことを……もうずうっと昔の……前世のことを」
「コナツ?」
「ですが、覚えていないというのも事実なんです」
「どういうこと?」
 矛盾を抱えて苦しげに呟くのをヒュウガはそっと見守りながら問うと、
「決して嘘ではないんです」
「ということは、記憶にあるというより……」
「そうです。少佐が仰った内容と同じ夢を何度も見ます。全く同じ夢を繰り返し見るのです」
 今の話の真偽を伝えようとした。
「やっぱり」
「私はどうして同じ夢を見てばかりいるのか分かりませんでした。しかも内容が内容ですし」
 恥ずかしげに呟いたのは、女々しい内容だと思っているからだった。決して人には言えなかったし自分でも認めたくなかったのである。遠い昔の設定で悲恋ロマンスがあったなどと、ストーリーテラーでもない自分が見る夢ではないと思っていた。だから自分の中では何度も否定しようとしたが、相手に見覚えがあることと、こうして出会って特別な関係になったことで過剰になっているのだと無理やり納得させていたのだった。
「確かに内容的にコナツの趣味じゃないかもねぇ。どっちかっていうとオレ好み」
「そうですか?」
「まぁ、何でもいいんだけどね」
「少佐はロマンチックなことがお好きですからね」
「うん、可愛いのとか好きだし」
「……」
 似合わないと言いたかったが、ここで水を差すわけにはいかないと思い、じっと堪えていたが、
「じゃあ、事実ってことにしとこうか」
「……えと、私としてはそのつもりですが」
「ってコナツ。もう一度聞くけど……」
 ここに来てヒュウガが初めて真顔になり、正面から見つめて肩を掴み、神妙な雰囲気を作り出すと、
「何でしょうか」
「お前も話がうまくなったよね」
 そう切り出した。
「はい?」
「ここまで来てもまだ本気にしてるの? しかもオレの話に合わせようとしてるし」
「え、だって少佐の方が本当っぽく仰っています」
「だから作り話だって言ったじゃない」
「そんなこと……では、何故私も同じ内容の話を夢に見るのでしょうね」
「それはほら……睡眠学習みたいなものじゃない?」
「は?」
 突然ヒュウガがおかしなことを言いだす。
「コナツが寝てる時に繰り返しオレが寝物語に独り言呟いてたから、きっと夢に出るようになったのかと」
「……」
「コナツが眠ってから、オレが眠れない日はいつもこういう話を自分で作って一人で喋ってたの。お前の耳元でわざと」
「何故」
「目を覚まさせるためにさぁ。叩いたりゆすったりするのが可哀想だから、雑音聞かせれば目覚めるかと思ってやってただけのこと」
「しょ、少佐?」
「ね? オレの作り話かもしれないでしょ?」
「……そう仰られると信憑性がありますが」
「そうそう、だからテキトーにオレが言ってるだけだから、忘れていいよ」
「……やけに否定的ですね。私が妊娠した夢を見ておいて、都合のいい言い訳として編み出した賜物だと仰りたいのは分かりますが」
「あー、うん、そっか、そこから始まったんだっけ」
 事の始まりを思い出してばつの悪そうな顔をした。
「はい。もし少佐が前世のお話を作り話と仰るなら、実際にそうだったと決めてしまえばいいじゃないですか」
「そう来たか」
「ええ、それくらいでなくては」
「強引っていうか、コナツも結構夢見がちかも? それとももしかして悲恋好き?」
「だって本当のお話ですから」
「……そうだね、作り話でもね」
「私は信じていますよ」
「っていうか、事実なんだけどね」
「どっちです!」
「どっちでもいいよ」
「少佐」
 そして暫く二人の間に沈黙が流れた。まるで回顧録を辿るようにそれぞれが想いに浸っていた。その静かな空気をヒュウガは溜め息で揺らすと、
「オレとしてはね、転生までにとてつもなく長い時間が経ったことだけが不満かなぁ」
 と慨嘆していた。
「不満って……こればかりはどうしようもありませんよ?」
「んー、今度はもっと早くさぁ」
「それはどうなるでしょうね」
「ちゃんと願えばいいんじゃない?」
「そうしますけど」
「じゃあ、もっと昔話をしようか」
「えっ、まだ続きが?」
「あるある、お前もきっとオレが話すことと同じ夢を見てるはずだよ」
「……だんだんリアルに怖くなってきたので、作り話がシンクロしてることにします」
「その解釈の方が怖い」

 平日の夜であるのに時間も忘れて、語られていない思いを伝えたかった。
 ヒュウガは事実のような明確な話を繰り出してコナツを驚かせ、ヒュウガはそれがあたかもつくり話のように、否、即興で考えたものだと言ってみたが、コナツが認めてしまった。もしそれがただの空想でも、そうだったことにすればいいとさえ言い切った。
 どちらの言い分が真実なのかは二人にしか分からない。もっとも前世でのことが事実であれ願望であれ、既に何でもよくて互いの気持ちに一切の曇りも偽りもなく、結果や推論を求めているわけではなかった。
「これから先のことは口にしてはならない気がして……ひっそりと思うだけで、きっと叶うと信じています」
 コナツが未来について何も言わないのは、そのせいだった。
「そうだね、その通りだ。やっぱりちゃんと分かってる」
 ヒュウガがコナツの髪を撫でる。コナツにはたったそれだけの行為でさえ嬉しく、
「近くに居られるっていいですね」
 感慨深げに呟く。
「うん、今が気軽にこんなことが出来る時代で良かった」
「私だって、キスが日常茶飯事とか抱き合うとか、信じられません」
「そうだけど……それは男同士だからって意味じゃなく?」
「それもありますね。まぁ、性別が違っても同じだったと思います」
「あー、そんなもん?」
「少佐はどのように感じていらっしゃるか分かりませんが、私は……触れられるだけで……」
 幸せなのだ。それ以上の行為を経験していることで、次の展開が予想されると気が遠くなりそうだ。
 ヒュウガが伸ばした腕はコナツの躰を包み、コナツが疼くような眩暈を感じて体重を預けると、初めて抱き合うだけで過ぎていく時間が愛おしいと思えた。満たされて溺れそうになるたびに心の何処かで鳴る警鐘の音が、また二人を分かつシナリオを招くのだろうと予知しても、目を閉じると神話のようなお伽噺が蘇る。それは夢の中で見る同じ物語。
 
 この宇宙が続く限り、命が生まれ続ける限り、それぞれの願いは一つ。いつから永遠の約束をしていたのか、このロングストーリーは終わることはないのだった。


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