司令本部の副司令官から散々からかわれたあの日から数日経って、もう顔を見るのも恐悚の至りに堪えないと感じていたコナツに運悪く司令本部絡みの仕事が大量に舞い込むことが多くなった。
「どうして……」 コナツがうなだれてしまうのも無理はない。そこへ、 「お兄様、どうされましたー!?」 能天気に声を掛けてきたのはシュリだ。 「いや、別に……」 「さっきから顔を顰めたり笑ったりして様子が変ですー」 笑うというのは泣き笑いのこと。 「何でもないよ。それよりさっき頼んだ書類は届けてくれた?」 「はい! 監察局遠いので偶然会ったパパに頼んじゃいました」 「エッ!?」 「ちょうどパパがそこに行くって言ってたのでついでに」 「お、お前……元帥を使うって……」 コナツが唖然としていた。絶対にあってはならない話である。 「だってパパがいいって言ったんだもん」 「言ったんだもん……って、いけません! それがどういうことか分かっているのですか!?」 「え、駄目なの?」 「ったく、最近まともに仕事をするようになったかと思ったら、こんなことに。仕事場では親子の関係を断ち切りなさい。たとえ元帥が甘い言葉を掛けてきても図に乗ってはいけない。お前も仕事を頼む相手を間違っています」 「えー、ついでだからいいと思って」 「あれは私が作成したものとはいえ、重要書類ですよ?」 「重要だからパパだったらいいかなぁって」 「……解釈の違いでしょうかね。とにかく、重要な書類は自分で最後まで遂行するように。誰かに橋渡しをするなど、そんなことをしていたら私が責任を問われます。いい加減な教育をしないで欲しいと元帥から咎められてしまう」 「それは嫌だぁ」 「以後気を付けて下さい」 「はぁい」 「その返事の仕方もよくない」 「はいっ」 怒られ続けてもシュリはコナツの言うことだけはよく聞く。 「……本当にお前は悩みがなさそうだね」 げんなりと呟くと、 「えっ、ボクにだって悩みはありますっ」 何故か張り切って答えている。 「あるの? どんな?」 「……最近乾燥が酷くて」 「は?」 「お陰で肌がかさかさに。スキンケアが大変です」 「……」 「お兄様は潤ってますよね、何か特別なことしてるんですかっ」 「……お前、それが悩み?」 「はい! だってボク、まだ若いのに乾燥肌なんて許せません。ボクはいつだって輝いてないと」 「別に気にしなくても顔だけはいいから大丈夫だよ」 「そうでしょうかっ」 「……」 コナツは精気を吸い取られたように更に脱力した。このままの流れで、シュリに思わず男に襲われたことがあるかどうか訊ねてみたくなったが、そんなことを訊いてしまったら大騒ぎになりかねない。顔だけはいいシュリのことだから狙われ易いのではないかという単純な理由からだが、以前ヒュウガに言われた通り、シュリは元帥の息子だ。取り入ろうとする者は居るかもしれないが、手篭めにするなど、我が身可愛さを思えば不可能な行動である。しかもシュリはあまり仕事も出来ず、この通り呑気で性的な魅力があるのかと問われれば首を傾げたくなるのも現実だった。だからといってコナツ自身、自分に性的な魅力があるかと思えば、答えはNOなのだが。 「いけない、いけない。しっかりしなければ」 コナツは自分がやらなければならない仕事を思い出し、 「じゃあ、私は席を外すよ。残りの仕事はお前の机に上に置いてあるから、いつものように処理をして」 「分かりました!」 元気よく返事をするシュリが羨ましく思えた。 「分からないことがあったらカツラギ大佐に聞くといい」 「そうします。でも、お兄様はどちらへ?」 「……司令部へ行ってくる」 「司令? 陸軍司令部ですか?」 「そう。本部へ」 「わぁ、あそこは中々行けないのでいつか行ってみたいです〜」 「……そんな行きたくなるような場所ではないのだけどね」 どちらかと言うと行きたくない。理由があって行きたいとは思わない。今回だって代わりにシュリを行かせたいくらいだが、こればかりはコナツがしなければならない機密文書の提出である。 「行ってらっしゃい〜」 シュリに明るく見送られたがコナツは二の足を踏んでいた。 「……どうか彼が居ませんように」 そう祈りながら。 司令本部へは結構な距離があり、予め余裕を持って行かなければ時限付きの書類を運ぶのは厳しく、コナツはいつも早めに向かうようにしていた。今回は特に気乗り薄な状態だったため、余るほどに早めの行動を取ったのだが、それが仇になった。 「いらっしゃい」 まるでコナツの来訪を知っていたかのように真っ先に出迎えてくれたのは、例の彼だった。コナツに積極的なアプローチを仕掛けてくる副司令官である。 「お疲れ様です」 コナツは挙手敬礼で敬意を表した。本来無帽の場合は挙手敬礼は行わないが、バルスブルグ帝国軍陸軍はこれを用いている。 「綺麗だ」 「!?」 落ち込む気持ちを改め、仕事一筋、これはあくまでも任務だと言い聞かせてやって来たのに、着いた途端に口説かれた。口説かれたといっても、 「君は敬礼も綺麗にするんだね」 「はい?」 「立ち姿や動作振る舞いが美しいんだ。なんていうのかな、躯を動かす全体の流れが」 「……」 よく分からない。 「これは……挨拶ですが」 「だから、それすらも綺麗だと言ってるんだ」 「……ありがとうございます」 「ごめんね、突然おかしなことを言って。変な奴だと思わないでね」 今更そんなことを言われても遅いのだが、副司令官は本気で弁解していた。 「本日はこの書類を届けに参りました。お受け取りの捺印をお願いします」 「え、それだけ?」 「……と申しますと」 「判子押したら帰っちゃうんでしょ?」 「そうです」 「そんなの嫌だな」 「そ、それは……」 「判はまだ押さないよ。少し口説きたいからね」 「副司令官……!」 「あ、今後他の人に頼もうと思っても無駄だよ。今日は偶然私がここに居たからいいけど、予め君が来たら私に通すように厳密に伝達してある。君は私専門というわけだ」 「ええっ!」 ここでは文字通り雁字搦めにされているのも同然だった。 「で、何を話そうかな、まずそこに掛けたまえ」 コナツが困惑しているのをよそに彼は椅子を勧めて来たが、 「私は急いで戻らなければなりません」 必死で言い訳を考えた。 「そうだろうねぇ、こんな所で油を売るわけにもいかないだろうし。じゃあ、2〜3質問させてくれたら解放してあげるよ」 「えっ」 「そうだなぁ、今日の下着の色は」 「は!?」 「なーんちゃって。変態オヤジみたいだね、あはは」 「……」 コナツは笑えなかった。 「結構本気で訊いてるんだけどな」 「本気なんですか!?」 「うん。何色?」 「……黒……」 「黒! ほう! 大胆だね」 「何がです!?」 黒は男性にとって大胆な色の下着だろうか。 「じゃあ、普通の質問。朝食は何を?」 「今日はコーヒーだけでした」 「なんと、成長期なのに食事をしないとは」 「時間がなくて」 「寝坊?」 「いえ、私ではなく」 「ああ、彼ね」 「……」 「いつも起こしに行ってるの?」 「毎日ではありませんが……」 「朝にベッドに誘われない?」 「……申し訳ありませんが、そういった質問には一切お答え出来ません」 「固いなぁ、そこは『はい、毎回凄いんですよ、少佐ってば』とか言って私をからかうつもりでいないと!」 「無理ですっ」 「いいけどね、今朝も襲われたので食事をする時間がなかったと言われても」 「!」 「私は気にしないし、誰にも言わないよ」 副司令官は巧みに誘導するが、 「……すみません、本当に……そんなこと私には冗談でも言えませんので」 「真面目だねぇ」 「はい」 コナツは頑なだった。 「そこが魅力なんだけどねぇ、コナツ嬢?」 「?」 自分が何と呼ばれたのか分からない。ただ、無意識に嫌な顔をしてしまった。 「お姫様って呼ぶと怒られるから、違う呼び方にしたんだけど」 「……」 「ブラックホークはクロユリ嬢とコナツ嬢とで紅二点だもんね」 「私を馬鹿にするなら、これ以上ここには居られません。そろそろ判を押して頂けませんか」 「怒った? 短気はよくないよ」 「……いいえ、副司令官のような偉い方に向かって失態は犯せませんから。本当に時間がないだけです」 「時間に厳しいね。帰ったら私に軟禁されていたと言えばいいじゃない」 「……」 「あ、そんなこと言ったらヒュウガ君に君がお仕置きされちゃうか。彼も参謀長官なみに嫉妬深いからね」 「お仕事なので、お咎めはないと思います」 「ふーん。じゃあ、最後に質問」 「……」 「私のこと、嫌いになった?」 「!」 「嫌いになってくれると嬉しいなぁ」 「!?」 「嫌いから好きに変換させるのが楽しいんだ。つまり私はもっと君を口説きたいわけで」 「な……」 信じられなかった。嫌いと言えば喜ばれ、好きだと言っても喜ばれる。二者択一のどちらも選べず、コナツは目に見えるほど困惑した。 「ああ、いいね、その表情、初めて君を抱くとしたら、まず始めにそういう顔をするかな?」 「!」 わざと困らせているのだった。辛そうな顔を見たくてこうしている。その表情を見ればベッドではきっとこんな時にこういう顔をするだろうと容易く想像出来るからだ。 「はい、判を押したよ。動揺して帰り道に失くさないようにね。これ失くしたら大目玉だから」 「……」 副司令官は何事もなかったかのようにコナツを解放した。 どうして。 彼に会った後は、いつも心の中でそう叫んでしまう。司令本部への仕事がやたらと名指しされるのは彼の陰謀だということを知り、戦慄さえ覚えた。あれほどヒュウガに一人で行くなと厳重注意されていても、二人で行く必要もないし、何しろそんな時に限ってヒュウガが居ない。許可を取ろうにも取れる状況ではないのだった。 「私……いつか、彼に抱かれる」 コナツの中で直感が告げた。 「多分、私の抵抗できない状態で、ほとんど無理やりに近い形で……」 もはや確信に近い。 「どうしよう、どうしよう」 彼の罠は巧妙で、立場上、コナツは抗うことが出来ない。ヒュウガ以上に難しい相手だった。 「でも、私の考えすぎかもしれないし私の予感なんて当たらないかもしれない。心配しすぎかな」 心を平常に戻しながら大事な書類を腕の中にしまい込み、コナツは足早に参謀部に戻った。 参謀部に入るとヒュウガが戻っていて、コナツの顔を見るなり「可愛いねぇ」と言って来た。コナツは緊張の糸がほぐれたように「少佐に言われるのは慣れました」と答え、すぐに先ほどの顛末を一部始終打ち明けた。自分から報告したことでヒュウガに嗜められることはなかったが、 「あの人は頭がキレるから」 そう言われ、コナツはこれ以上逃げ切れるかと更に不安になるのだった。 「しかも、司令本部に関する仕事にコナツを名指しとは。指名料欲しいよね」 そういう問題ではなくても、なんらかのルールが欲しいと思った。 「本当に欲しいくらいです。とても私と少佐のことを応援しているようには思えません。本気ではなくて、単に面白がっていてからかいが度を過ぎているだけなんでしょうけれど……でも……」 「怖いでしょ、貞操の危機を感じるね」 「……」 貞操と言っても既にヒュウガに奪われているから二人の間での貞操義務違反に引っかかる。二人は夫婦ではなく、法律上に縛られた関係ではないが、コナツが無理に躯の関係を求められて応じれば、それすなわち浮気になってしまい、これまでのヒュウガとの関係が崩れる。 「大丈夫、あんまり酷くするなら斬るし」 「!」 平然と呟くヒュウガが恐ろしい。 「ただ、奪われてからでは遅いよねぇ。今のうちにやっちゃおうか」 「えっ、いえ、大丈夫かと。私がちゃんとしていればいいだけの話」 「……そう?」 「少佐がよく仰るじゃないですか。隙を見せると付け込まれるって。私がしっかりすればいいだけのことです」 「……まぁ、それはそうだけどね。意識があれば、の話だよね」 「?」 ヒュウガが意味の分からないことを言っていたが、コナツは”彼を目の前にした時に気をつけること何箇条”を考えるのに必死で、ヒュウガの台詞を気に留めることはなかった。後でその意味を知り、コナツは絶望的になるのだが。 更に数日後、再び司令本部へ用足しに行かなければならず、渋々出掛けることになった。何故かこんな時に限ってヒュウガが外に出ていて傍に居ない。たとえ居たとしても一人で済む用事のために付き添い不要、そしてやはりコナツが名指しで呼ばれている。 「何だって私ばかり……」 これは絶対に彼の仕業に決まっていると足取り重く参謀部を後にすると、今度は副司令官は司令本部のドアの前でコナツを待っていた。 「来た来た、じゃあ、行こうか」 突然誘われる。 「えっ!? 何処へです!?」 「あれ、聞いてない?」 「私は本部へ向かえとだけ……書類を取りに行くように命じられました」 「ああ、大体は合ってるけど、別件もあるんだ。今片付けたいのはそっち。司令部の書類は戻ってきてから渡すよ」 「はい」 返事をしてからハタと気付く。 こうして巧妙な手口で人目の付かないところへと場所を変え、いかがわしい行為に及ぶのではないかと。 「あの! どちらへ行かれるのですか!」 やたら力の入った声ではっきりと訊ねると、 「ん? 監察局」 「!!」 コナツは一瞬青ざめた。何故なら先日シュリに頼んだ書類に不備があったか、或いはシュリが元帥を使ったことで問題になり、教育係としてコナツが呼ばれ注意を受けるのか、どちらかしか思い浮かばなかったからだ。 「顔色悪いけど大丈夫?」 すかさず副司令官が声を掛ける。 「つ、つかぬことをお伺い致しますが……どういった用事で……その」 口篭りながら彼を見ると、 「前に参謀部で監察局宛の書類作成したでしょ? これなんだけど」 「あっ」 その書類を副司令官が持っていたのだ。 「この書類、君が作ったんだってね?」 「は、はい」 やはりその件だったかと益々顔が青くなる。しかし、何故彼が持っているのか気になった。 「これ、次に私の所に回されてね。最終的に監察局に返すものだから今持って行くんだけど、このことで話があるんだ」 「ひ!」 コナツは緊張のあまり、倒れそうになった。 「どうしたの?」 「私、何か……」 「そんな怯えなくても行けば分かるよ」 「わ、私!」 コナツが叫ぶ。 「何?」 逃げたかった。このまま何処か遠くへ逃亡したかった。むしろ亡命でもいい。 「さ、行こう」 どうすることも出来ず、コナツはただついていくしかなかった。 監察局に着くと上官に迎えられ、副司令官は軽い会話の後、その上官に書類を渡した。その時、コナツは副司令官に、 「彼がこの書類を作成した参謀部のコナツ・ウォーレンだ」 と紹介する。 「!?」 コナツは倒れそうになっていたが何とか意識を保ち、敬礼で上官に挨拶をしてから、叱責を受ける覚悟を決めた。だが、上官はコナツをじっと見て、 「実に素晴らしい議案書だった。例年の書類を真似たものではなく、これは完全に君のオリジナルだね?」 感心しながら激賞したのだった。コナツの顔が瞬時に輝く。 「お褒め頂き光栄です!」 「いつも使いまわしの文書には飽き飽きしていたんだ。とてもよく出来ているから、どんな人が作ったのかと興味津々でね、つい副司令官に訊ねてしまったのさ。しかしこんなに若い子だったとは。君はヒュウガ少佐のベグライターでもあるね?」 「そうです」 「そうか。彼も素晴らしい部下を持ったものだ。この件は上の方にも伝えておこう。もっとも、元帥がいたく褒めていたよ。何しろ元帥が持ってきたからね」 「!」 「息子から預かったと言っていたけれど、息子もいずれ君のようになれたらいいと仰っていた。君は相当期待されているね。頑張りたまえ」 「有り難うございます、これからも精励恪勤して参ります」 コナツは最敬礼で応え、興奮冷めらやぬまま上官を見つめた。副司令官は微笑ましい眼差しをコナツに向け、そして上官に視線を移すと、 「では我々は失礼します。今後のことはよしなにお願いしますよ」 「ええ、こちらも当てにしているからね」 「お任せ下さい」 最後に副司令官が締め、こうして監察局での用件が済んだのだった。 帰り道、高鳴る胸を押さえているコナツに向かい、 「この書類を手渡された時、彼が君に会いたがっていたんだ。だから返すついでに紹介しようと思って。ちょうど来て貰いたい用事もあったし」 「そうでしたか」 やっと安心出来て表情も柔らかくなっているが、 「何か怯えてたみたいだったけど、心配事でもあったの?」 やはりコナツを気に掛けていたのだった。 「書類がなってないって怒られるのだと思っていました。それに、シュリに届けてくれと頼んだのに途中で元帥にお会いして、元帥が監察局に行く所だからって書類を頼んでしまったのです。それを咎められるとばかり……」 「なんだ、そうだったの。怒られるようなことなら私は君を連れてこないよ。上手く庇ってごまかすさ」 「……」 「いい話だよ、今日のは」 「……そうですね」 「本当に君は仕事熱心で真面目だ。今の若い子に君みたいな努力家って中々居ないんだよ。どちらかというと無気力で冷めてる。継続とか努力が嫌い。それでいて自分の好きなことばかりしている。だから帝国の未来が心配でさ。そこで君みたいな頭角を現している子が皆を引っ張っていって欲しいと。もっとも君は312期生の首席だったんだって?」 「はい」 「道理で」 「恐れ入ります」 「いいよね、君。私が好きになるのも当然だ」 「!」 来た、と思った。こうやってじわじわと迫ってくるのだ。 「君の一生懸命な所に惹かれたのを前提で言っておくけれど」 「?」 「私は君の躯も好きなんだ」 「はぁーっ!?」 仕事の話から一転、突然苦手な話題になり思わず復路で大声を上げてしまった。 「変なこと言っていい?」 「な、何です!? 私の躯はご存知ないでしょう!!」 「……少佐なら知ってるけど、って?」 「!!」 「そうだね、私は全部は知らないけれど」 「全部は知らない!? 何処ならご存知なのです! 顔とか、首とか、頭の形とか仰らないで下さいね!」 釘を刺すと、副司令官は笑って、 「もう一度注意しとくけど、変なこと言うからね? あのねぇ、首筋とか鎖骨とか、胸」 「何ですって!?」 また大声を上げる。もう黙ってはいられなかった。 「特に、胸。私は胸フェチなんだ」 「はいーっ!?」 そもそも胸フェチとは何か。大体、そんなに胸が好きなら女性を当たったらどうかと思う。しかし女性にこんなことを直接言えば引かれるどころかセクハラに該当し、訴えられかねない。 しかし、コナツに正直に言うあたり副司令官は本気でコナツを口説くつもりだった。 「君の胸はまだ一度しか見てないけど、あまりに理想で一瞬で恋に堕ちたね」 「……」 「出来るならもう一度見たいなぁ」 「意味がよく……私、副司令官の前で躯を見せたことはないはずですが。まさか妄想というのではありませんよね」 ヒュウガとの会話で出てきた妄想という言葉を用い真意を探ろうとしたが、 「いや、見てるよ、君の躯」 あっさり言われてコナツはまた叫び声を上げた。 「いつです! 脱いだ覚えはありませんっ!」 「そりゃ君は覚えがないだろうね」 「どういうことです」 「だって気を失ってたもの」 「……」 頭の中が真っ白になった。いつどこで、どんな状態で? コナツは頭を巡らせたが全く思いつかず思い出せない。 「体調崩して倒れた時のこと、覚えてない?」 「あ……。あっ、あーッ!!」 「思い出した? 廊下でしゃがみ込んだ君を少佐に頼まれて医務室まで運んだのは私なんだよ。そこで先生に心音聞くから胸を開いてって言われて、私が助手をしたのさ」 「……」 「君、その時に限ってシャツの下に何も着けてなかったよね。軍服脱がせてシャツのボタン外したら綺麗な胸が露わになった」 そう聞かされてコナツは顔を覆った。 既に彼に或る程度見られてしまっていたのだ。勿論、男子たるもの胸を見られたくらいで落ち込むことはないが、この場合は訳が違う。彼はコナツを狙っていて躯にも興味を示している。 「前々から可愛い子だとは思ったけど、躯から先に入った感じだね」 「私には男の胸で興奮する人の気持ちが分かりません。でしたら、温泉などの入浴施設でも同じなのですか?」 「まさか」 これにははっきりと否定した。 「では、何故私なんです」 「人の顔って一人一人皆違うだろう。躯だってそうさ。同じ胸でも皆違う。そんな中で君は肌の質と、それとね〜、マニアなこと言わせて貰うと、乳首の位置が物凄く理想的だったの。形と色もねぇ、完璧だよ」 「!? な、な、な!?」 今度こそ倒れそうだった。そんなどうでもいいことで褒められてもおぞましいだけで、さきほどの監察局での緊張感とは逆の意味で呆れ果てた。 「だから最初に言ったじゃない、変なこと言うって。私、フェチだって」 「へ、変態……」 「別に変質者のようなことはしてないよ。女性の胸だって一人一人全く違う。たとえば見た目いい形をしてても触り心地が硬めで、これは好みじゃないなって思ったり、小さめだけど柔らかくていい感じだったり、大きくても形がイマイチだな、とか」 「そッ、そんなこと言われても分かりませんッ! 何てこと仰るんですか、いい加減にして下さい! あなたがそのような方だとは思っていませんでした!」 コナツは怒号を飛ばしたが、 「あ、幻滅したとか、そんな展開? だとしたら私の作戦は成功だ」 「!?」 「君は私の見た目と役職で勝手にイメージを作っているだろう? 真面目でお堅いお役人だと思われては困るんだ。だから敢えて崩壊させている。それに君を驚かせたくて深いこと言ってみただけ。こんなこと他の人には言わないよ。馬鹿だと思われたら嫌だし」 副司令官は余裕だった。 「では何故私に……」 「理想だからさ。少佐は君の胸に興奮したりしないかな。そんなことないか」 「……」 興奮している。ほぼ毎日している。朝から迫られ、折角着た軍服の胸を開かれて吸われる。胸が好きだとしょっちゅう言われている。 「君のその胸も躯も触ったらどうなんだろうなって。いや、実はちょっと触ってるんだけどね、あの時に」 「はっ!?」 「どさくさに紛れて触診したりして。あっ、でも胸は揉んでないから大丈夫」 「揉むほどの肉はついてませんが! ただでさえ胸板薄いって言われるのに」 「薄いとか厚いというより、きっと君には分からないよ。このこだわりはね」 「分かりませんし、分かりたくもありません」 「だよねー、普通はそうだよね」 そんな会話をしているうちに司令本部に辿り着いた。目まぐるしく過ぎた時間がコナツを動揺させていたが、それを悟られぬようにするのが精一杯で笑顔を作ったり、冗談でかわしたり、彼との会話をうまく繕うことが出来なかった。 「さ、着いた。早速書類を渡すから、今日はもう参謀部に戻りなさい」 「……」 もっと拘束されるのだと思っていたが、あっさり解放してくれた。 「これ以上迫ったら参謀部に戻る時に冷静でいられなくなるだろう? きっと仕事も溜まっているだろうしね」 「それはそうですが」 「本当はもっと話をしたいんだけど」 「い、いえ、いけません。参謀部に戻らないと」 「でしょう。というわけで、この書類をアヤナミ参謀長官へ渡して欲しい。決して他の書類と一緒にしないように」 「分かりました」 仕事の顔に戻り、コナツは書類を受け取ると再び敬礼で挨拶をしてから踵を返した。振り向くことはしなかったが、副司令官からの視線を痛いほど感じていた。 そして、そこで彼が呟いたのは、 「……後姿もいいね。特にあの腰のラインはなんと魅力的なことか。これはもう……」 というものだったが、その台詞の続きが何かは分からず、当然コナツには聞こえていない。おそらく「脱がせるしかない」と続くのだろうが、コナツは当面の間、貞操義務を守るために命懸けにならなければならないのだった。 仕事で精進するより、そちらの方が大事だといわんばかりに魔の手が襲い掛かる。軍に入ってこんなことで悩むようになるとは学生時代には想像もつかなかった……というのはコナツだけで、当時は疎く、狙われても全くそれに気付かないという、その手のことには暗かったのである。 参謀部に着いてもヒュウガはまだ戻っておらず、コナツは大事な書類をアヤナミに渡すと通常業務に就いた。何もかも忘れて仕事に集中することが出来れば、それで良かった。たとえ目が回るほど忙しくても、シュリがまたウロウロと遊んでいても、平和であれば何も言うことはない。このまま嫌なことや困ったことだけが記憶から抜け落ちてくれればいいと思うが、人間の脳の海馬は記憶を操ることが出来ない。 「はぁ……」 最近溜め息をつく回数が多くなった。 ほどなくしてヒュウガが戻ってくると、コナツはヒュウガを見つけた途端、じわりと涙を滲ませたのだった。 「あっ、何かやばいことになってるー」 ヒュウガが駆け寄ると、 「私、何があってもどんな時でも少佐のことが好きです」 「は!?」 まさか参謀部で仕事中に愛の告白を受けるとは思わずヒュウガは目を丸くした。 「たとえ私の躯が誰かに見られても、誰かのものになっても……」 「ちょ、ちょっと!」 「それは私の意志ではないし、私は少佐のことが……」 「待って。……司令部行って来たね?」 この状態を見れば何があったか分かる。 「はい」 「行く度に影響されてるみたいだけど」 「あの方は強烈です」 「んー、元々頭脳明晰で遣り手だからねぇ。アヤたんに似てるんだ。出世もめちゃくちゃ早いし。また口説かれたのか」 「それより申し上げたいことがあります」 「え、オレ?」 「以前私が倒れた時に彼に介抱して頂いたことがありましたけれど、よりによって何故彼にお願いしたのです? お陰で私、躯を少しだけ見られてしまいました」 「……」 「少し前にもカツラギ大佐に看て頂いたことがありましたが……」 「オレの手が四方八方塞がってたから、誰かに頼むって言ったら信頼の置ける人しか居ないじゃん? アヤたんとかの方が良かった? クロたんだと途中で寝ちゃうし」 「……」 コナツが何も言えなくなっていると、 「信頼出来るんだけど、コナツ狙いって人の方が楽しいかと思ってさ」 余計な一言が飛び出した。 「!! ですからそれが因果関係として現在の状況を作り上げてしまったんじゃないですか。少佐のせいです!」 「えー」 「私、もう自分では防ぎ切れないかもしれません」 「弱気!?」 「上官でなく同期だったら殴って取っ組み合いの喧嘩してたところですが、そうもいきませんし」 「斬ればいいじゃん」 「そのようなことが出来るのは少佐だけです」 「アヤたんも瞬殺は得意だよ!」 自慢気に語るヒュウガだが、ああいった工夫に富んだやり口で迫られると、立場の弱いコナツには施す手段がないのだった。 「大丈夫、オレが何とかする」 「本当に?」 「手っ取り早いのは消すことだけど」 「それ以外で!」 「……嫌なんだ? あいつが居なくなるの」 「嫌って……偉い方ですよ、敬わなければ」 「ふぅん。じゃあ、一回抱かれてみる?」 「そんな簡単に仰らないで下さい! でしたら少佐が抱かれてみては如何です!」 コナツも中々強気だった。 「えー!? ヤツはオレには興味ないよ。オレだって願い下げだし」 「そういう問題ではありません。ここにはもう互いの意思は関係ありませんから」 「むちゃくちゃだね」 「そういうところまで来ています」 「何か面倒だから、今夜やりまくろう」 「はい!?」 何を? と聞くまでもなかった。 「いっぱい燃えようね!」 「……ええと、あれ?」 何の話をしているのか分からなくなってきた。 「その為には仕事片付けないとね、ほら、だいぶ溜まってきてるよ」 「あっ」 気が付くと自分の机の上には書類が倍に増えている。 「残業は駄目だからねー」 「そういう少佐もサボらないで下さい」 「オレは今夜のために体力を温存しようかと思ってね」 「バカですか?」 「酷い、コナツちゃん。怒らせた方が仕事はかどるかと思って言ったのに」 「冗談には聞こえませんでした」 「だって冗談じゃないもの」 「少佐ー!」 午後もまた慌しく過ぎていく。そして仕事もどんどん増えていく。 「これは今日中に終わるのだろうか」 コナツの独り言が虚しく響いているが、何としても終わらせなければならない。当分、コナツの厳しい試練はまだまだ続くのだった。 その代わり、夜にはたっぷりと愛されることが約束されている。その濃密な時間を思えば胸が高鳴り、今受けている苦難も甘いキャラメルのように感じる。 「今日は胸をいっぱい攻めて貰おうっと」 つい、そんなことを口走ってしまうほどに、仕掛けられた計略に揺れるすべての想いは愛に繋がってゆく。 今夜もまた、強く、高く、目がくらむほど深く、限界まで絡み合うことだろう。 しかし、今はまだ嵐の前の静けさ、特筆すべきは例の彼がコナツの躯に興味を示していること、そして彼にはベグライターが居ないことである。この二つの危険項目が更にコナツを追い詰め波紋を広げていく。 頼れるのはヒュウガのみ、そしてヒュウガの接遇や如何に。 |
Continued...? |