悪夢のトリロジー


或る夜、コナツはヒュウガに書類を届けるために部屋を訪れた。前以て知らせていたわけではないが、午後9時を過ぎていても、コナツが部屋を訪れるのは珍しくない。
いつものように二度ほどノックをしたあと、
「失礼します」
声を掛けて中に入った。すると、部屋の奥から物音がして、コナツが立ち止まる。
「……?」
ただの来客ならば気にすることもないが、聞こえたものは話し声ではなく、コナツにも経験のある”抱かれる側の喘ぎ声”で、そして聞いたことのない若い男子のものであることが分かった。
コナツが息を呑んでいると更に声が聞こえた。
「まだ痛い?」
ヒュウガが心配そうに呟いている。相手が何と返事をしたのかはうまく聞き取れなかったが、再びヒュウガの台詞だけがはっきりと聞こえてきたのだった。
「さすがだね、もう慣れたかな。いっぱい動いても大丈夫そうだ」
コナツは自分の意思とは裏腹に引き寄せられるように寝室に歩み寄る。
「!?」
そこで見てしまったものは、ヒュウガが見知らぬ少年を抱いているところだった。
「!!」
心臓が止まりそうなほどに驚き、書類を落として床に散らばるのを拾うことも出来ずに部屋を飛び出した。
「ど、ういう……こと? あれは誰?」
ヒュウガが組み敷いていたのは参謀部のメンバーではなく、コナツには全く面識のない少年だった。恐らく今年入隊した新人であろう、どうやって知り合ったのか、いつの間にそういう関係になっていたのか、これが初めてではない素振りを見せていた。
「な、に? ただの遊び? これはいったい……」
頭の中は混乱していて、整理がつかない。
「何故? 何故?」
ただ、それしか言えなかった。

翌日、コナツはヒュウガの顔を見ることが出来ずに伝達はカツラギとクロユリを通して行われた。不自然な行動にカツラギとクロユリは首を傾げていたが、二人とも敢えて口を出すことはなかった。
コナツが悲しかったのはヒュウガが何も言ってこないことだ。せめて弁解でもしてくれれば気が晴れたのに、一言も触れずにいつものように振舞っている。
ヒュウガはコナツが避けているのを察しているせいか、コナツに近寄ることもなかった。
(私が部屋に行ったのは気付かれたはず)
書類をバラ撒いて来たのだから、見られたことは分かっているだろう。
(どうして何も仰らないのか。もしかして……)
コナツが来ることが分かっていて、わざと少年を呼び、そしていかがわしい行為に及んだのではないか。
(私から別れを告げるように仕組んでいる?)
それしか思い浮かばなかった。
「そんなこと……」
出来ないし、したくない。今はただ、ベッドの中にいた少年が誰なのか、どういう関係なのか知りたかった。自分が納得する形で説明をされたら、これからのことはじっくりと考えていきたいと思う。
だが、まともに会話が出来るはずもなく、コナツはひたすらヒュウガから逃げることしか出来なかった。目が合いそうになれば、必要以上に逸らそうとして他の誰かを見つめる。その対象になったのがカツラギで、カツラギは気を遣ってか、そのタイミングでコナツに仕事を言いつけるようになった。そうこうしているうちに、とうとうカツラギに核心を突かれてしまう。
「あなた、顔に出ますね」
「えっ」
「ヒュウガ君と何がありました?」
「……」
「あなた方が一言も口を利かないなんて、今まで一度も見たことがない」
「そうでしょうか。何もありません。ただ、忙しいだけです」
「それならいいのですが」
「はい、お気遣いありがとうございます」
「何かあったら相談に乗りますよ」
「大丈夫です」
本当は何もかもぶちまけたかった。カツラギ大佐ならば口外はしないだろうし、今すぐこの悩みを相談して少しでもラクになりたいと思ったが、それを口にすることも苦汁を嘗める結果となるのだった。
(少佐は私に飽きてしまわれたのかな)
涙が出そうだ。
(飽きたりしないって何度も囁いてくれたのに。彼女なんか作らないって言ってくれたのに)
昨夜の相手は女性ではなかったが、他に遊び相手を見つけてしまったということか。
コナツは、ヒュウガが自分以外の男子でも関係を持てるということが理解出来なかった。コナツ自身、他の男性を相手にすることは考えられないからだ。実際に実行したことはないから何も言えないが、他の誰かを見つけたいとも思わない。コナツはそれを”大人と子供の違い”と捉えるしかなかった。
涙がこぼれそうになるたびに書類を持って参謀部を出た。届けなければいけないものや取りに行かなければならないものなど、まとめて一気に済ませ、歩き回っていないとどうにかなりそうだった。
この日は夕食を摂る気にもなれなかったが、クロユリに誘われて少しだけ付き合った。
「コナツ、元気ないね。今日ずっと変だった」
「そ、そうですか? カツラギ大佐にも言われましたが、忙しくて喋る暇もありませんでした」
「ふぅん。疲れてたからじゃないんだ?」
「一日走り回って疲れましたけど、今は平気です」
コナツが答えるとクロユリが首を振った。
「そうじゃなく」
「?」
「ヒュウガの首にいっぱいついてるキスマークはコナツの仕業?」
「はい!?」
「軍服の襟からはみ出るくらい付けまくったのはコナツじゃないの?」
「……そ、それは……」
「コナツって、そういうことしないでしょ?」
「わ、私……ええと」
「キスマーク、つけられないよね?」
「……」
その通りだった。
「じゃあ、誰だろう。あいつ、浮気してんの?」
「!」
「それとも、あの噂は本当?」
「どの噂ですか!?」
少年とのことだろうか。
「コナツ、何処まで知ってる?」
「……」
答えていいものかどうか迷うと、
「本当なら、いい噂で何よりだけどねぇ」
そう言われ、
「え、相手が男の子なのに?」
反射的に答えてしまったのだった。
「男!? えっ!? どういうこと!?」
驚いていたのはクロユリだ。
「あ……違う、のですか?」
話が噛み合わない。
「ちょっと待って、ヒュウガ、男と遊んでる? それマジで?」
クロユリが目を剥いていた。
「えっ、私は分かりません、そのようなことはないかと」
慌てて否定すると、クロユリは大きく息を吐き、
「びっくりしたよ、そんなことしてたら僕がぶっ飛ばしてやる」
「そうですね、私も引っ叩きますね」
コナツは引き攣りながら笑顔を作った。
(あの噂というのは、相手が男の子のことではないのか)
ベッドの中に居たのは確かに少年だった。いくらコナツが女性に免疫がなく、ヒュウガの下に組み敷かれてよく見えなかったとしても、女性と男性を間違うはずもない。平らな胸も見えたし、声も男の子のものだった。
(じゃあ、噂とは何のこと?)
見当がつかない。これ以上ショックを受けるのも嫌だし、もう何も知りたくなかった。
コナツはクロユリと別れたあと、自室に戻り、また深く落ち込んでいた。今すぐ枕を持って、ヒュウガ以外の誰かの部屋に行きたい。一人で眠るのが怖く、何よりも眠れそうにない。折しも金曜の夜、長い時間を誰かと共に過ごし、苦悩を忘れたかった。
「今から大佐の部屋に行ったら駄目かなぁ。きっとびっくりするだろうな。さすがに寝る時までは邪魔されたくないだろうし」
ボソリと独り言を呟いて肩を落とす。
「どうしよう」
痛む心で膝を抱えながら、コナツは暗い静かな夜がもの寂しく過ぎていくのを、ただじっと待っていた。

翌日の土曜日は気分転換にいつものコースでバッティングセンターに出掛けた。仕事以外では躯を動かすことが何よりのストレス解消になる。もともと週末はこうして過ごすことが多いため、特に変わったスタイルではないが、嫌なことを忘れて立ち直るために普段通りの生活をしているだけだった。
だが、部屋に篭っていればよかったのに、こんな時に追い討ちをかける場面に遭遇してしまう。
運が悪いのか、否、すべてはヒュウガが悪い、そう言わざるを得ないほどの衝撃的な事実がコナツを襲った。
つまり、帰り道にヒュウガに会ってしまったのだった。会ったといっても向こうは気付いておらず、コナツが目撃しただけで、そして、ヒュウガには連れが居た。こんな時は連れが例の少年であるのが通常の展開だろうが、少年ではなかった。
ヒュウガと同じくらいか、もう少し年上の女性だった。
(だ、れ?)
物陰に隠れて見ていると、ヒュウガは女性の肩を抱き、女性はヒュウガにぴったりと寄り添っている。誰がどう見ても恋人同士の図であった。やがて耳打ちで囁きあう二人は、ゆっくりとくちびるを近づけてそっとキスをした。
公衆の面前でそんなことをするヒュウガが信じられなかったし、相手が女性であることに大きな衝撃を受けた。どれがヒュウガの本命なのかは知らないが隣に居る女性はとても美しく、魅力的でヒュウガによく似合っていた。これでは逆立ちしても適わないとコナツも降参するしかない。
コナツが呆然として後姿を見つめていると、二人は街に向かい、人ごみの中に紛れて消えていった。
(もしかして、クロユリ中佐が仰っていたことはこのことか)
”あの噂”と言っていたことを思い出す。
「きっと、そうだ。少佐には付き合っている人が居るんだ」
だが、どちらがフェイクなのかは分からない。一体どのくらいの人と、どこまでの関係を持っているのか、何もかもが謎に包まれている。
コナツは何度も深く溜め息をついた。
「少佐が何を考えておられるのか、やっぱり私には分からない」
もう、これ以上ついていくことは出来ない、そう思った。

月曜日になり、ヒュウガはコナツの様子がおかしいことに気付いた。先週から何処かよそよそしい態度ではあったが、寝坊をしても迎えに来ないし、仕事中は目も合わせない。
(愛想尽かされたかな)
心中で苦笑するも、原因がはっきりしているだけにヒュウガには弁解のしようもない。
(仕事しなさすぎたか。でも、事務仕事はしてないけど、他のことはしてるんだけどなー)
少なからずヒュウガも動揺を隠せない時があるのだった。
「さて、どうしたもんか」
コナツはヒュウガが仕事の話をしようとして声を掛けても書類だけを置いてサッと居なくなるし、単刀直入に「部屋に来い」と言っても顔を歪めて首を振るだけだった。コナツにしてみれば顔を合わせるだけでも辛いのに会話をするなど命懸けの行為である。「部屋に来い」というのも夜の誘い文句だと分かっているが、もう二度とヒュウガの部屋には行けないし、あのベッドで抱かれるなど舌を噛んでしまいたくなるほどの屈辱であった。
そして、コナツにもヒュウガには言えない秘密が出来てしまったのだ。もう、ヒュウガと縒りを戻すことは不可能だと思えた。
「やれやれ」
さすがに手の施しようがなくなったヒュウガは、仕事が一段落した昼休みにカツラギに愚痴をこぼすことにした。
「コナツが冷たい」
「……どうしました?」
「コナツに避けられてるの」
「それはヒュウガ君に100%原因があるのでは?」
「やっぱりオレなの? だよね、オレだよね」
自嘲気味に笑って言うと、
「少しは真面目に仕事をなさったらどうです」
やはりそれを言われる。
「そう思って今日から頑張ろうとしたんだけど、コナツったら全然口を利いてくれなくて。オレに仕事をさせようとしてるのに、書類だけ置いていなくなるんだ」
「怒っても直らないから無視を決め込んだのでしょうかねぇ」
「なんかコナツの悩みとか聞いてない?」
本当は、週末ベッドに誘いたくても顔色が悪く、とても誘える状態ではないということも言ってしまいたかったが、敢えて隠し、それとなく探りを入れてみると、
「この際、隠さず打ち明けますが」
カツラギは前置きをしてから、とんでもないことを言い出したのだった。
「先週の金曜日、コナツと寝ました」
「は?」
ヒュウガは鳩豆状態で、その意味をすぐに理解することは出来なかった。
「ですから、コナツと寝たんですよ」
「誰が?」
「私です」
「は? はぁ? なんで? どういうこと?」
冗談を言っているのかと思ったが、カツラギは具体的に状況を説明し始めた。
「夜遅い時間にパジャマ姿のまま枕を持って私の寝室に訪ねてきまして」
「!?」
「眠れないからと」
「なんでオレじゃなくてカツラギさんのところにー!?」
ヒュウガが絶叫していた。
「さぁ。てっきりあなたと喧嘩でもしたのかと思っていましたがコナツは何も言わないし、一人で居たくないと辛そうな顔で言うので、一緒に寝たんです」
表情を崩さずに淡々と披瀝するカツラギが信じられなかったが、ヒュウガはふと思いつき、
「……隣で眠っただけか」
コナツを寝かしつけただけかと安堵した。それであれば問題はない。まさかカツラギがコナツに手を出すはずがないのだ。だが、
「抱きましたよ」
カツラギがはっきりと告げた。
「えっ、眠っただけでしょ? 隣で。まぁ、密着はしたかもしれないけど」
それだけでも許せないが、性的な関係を持たれるよりはマシだ。しかし、
「かねてから狙っている子がベッドに居るのに手を出さないほど私は聖人ではありません」
「なっ!?」
「抱いていいかと訊ねたら、あの子ったら顔を真っ赤にして指を噛んで頷きましてね。そんな今時誰もやらないような仕草にうちのめされました」
「って……ほんとに? やっちゃったの?」
ヒュウガが真っ青になっていた。
「あなたには申し訳なかったですが、あの子は救いを求めていたようですし原因はあなたにあるとしか考えられませんでしたから、あなたを懲らしめるつもりで抱きました」
「!!」
世界の終わりがやってきたとヒュウガは思った。自分の心が浮ついてもコナツだけは絶対にそんなことをしないと甘えていた部分もある。そういう子ではないと思っていた。だが、コナツもただの朴念仁ではなかったということだ。しかし、
「あの子は奥ゆかしいですね。『私の躯はつまらなくて大佐を悦ばせることは出来ないかもしれない。それでも良かったら抱いて下さい』と言いました。なのに実際抱いてみたらどうです。若さでしょうか、素晴らしかった」
「……っ」
「あの子に非はありませんよ。そして私も躯を奪ったのは申し訳ないが、すべてはあなたに原因があるのです、あなたが引き起こしたこと」
ヒュウガは目の前のすべてが音を立てて崩れていく感覚に陥り、生まれて初めて絶望という名の悪夢に苛まれることになる。
眩暈と耳鳴りが暫くの間止まらなかった。今、任務が下されても遂行出来ないだろう。たとえアヤナミからの命令でも足元がふらついてまともに歩けず、刀を持つ気力もない。むしろアヤナミに泣きつきたいほどショックだった。

いつも仕事をさぼっているヒュウガだから、長い時間参謀部に居なくても訝る者もない。だが、ヒュウガは本当に腑抜けのようになって仕事どころか”有意義にサボる”ことすら忘れてしまっていた。
そのうちカツラギが「あれは冗談です」と言ってくれるに違いないと淡い期待を抱いた。制裁を加えるつもりで嘘をついたと後から笑って答えてくれるだろうと。
だが、その考えすらも甘いのだと思った。
ヒュウガはコナツに関することだけは甘い。接し方も想いも何もかも。だからそろそろ三行半を叩きつけられてもおかしくないとアウトルックしていたが、こんな形で終わるとは予想していなかった。
出来るならコナツの口から本当のことを聞きたいと思ったが、これ以上自分の首を絞めでも何の解決にもならないと感じた。
「あー、オレ、少しコナツから離れるべきかなぁ」
そんな独り言が空しく部屋に響く。

ぎくしゃくとした関係が暫く続いていくうち、ますます二人の距離が遠くなっていった。もう溝は埋まることもなく、修復も効かない。このまま今までの関係が自然消滅していくような気がしたが、二人は同じ部署で働く上司と部下だ。私情のもつれで仕事がしづらくなるのは言語道断、コナツは勿論、普段はサボってばかりのヒュウガですら、このままではいけないと暗中模索していた。

そしてヒュウガはきちんとコナツと話をしたいと思った。同じく、コナツも気を取り直してヒュウガと正面から向き合ってみたいと思うようになっていた。

週が明けた月曜日、コナツは意地を張ってヒュウガを避けようとせずに、本当のことを聞いてみようと心に決めた。このまま逃げていても埒が明かないだけだ。たとえどんな結果になろうとも今更足掻いても仕方がないし、今まで、どんな困難も乗り越えてきた経験という名の味方もある。一悶着あって仲が深まる可能性もゼロではないし、この際はっきりさせた方がいい。
しかし、その決心を砕くような悪報が届いたのは業務に就いて間もなくのことだった。
「えっ、大佐、今何と? どうして!? 嘘でしょう!?」
コナツが取り乱している。
「落ち着いて、コナツ。どうやら急に決まったみたいですが、そういう話は前から出ていたようです」
「な……ッ」
「でも、ヒュウガ君が希望したとも聞いています」
「ほんと、に?」
「ええ。かねてから諜報部への異動を望んでいたようです」
「そんな……少佐が異動って……」
「それで、今回の人事異動でコナツには一旦ヒュウガ君から離れて頂きます。変わりに他の上司が来ますので、その方について頂くことになると」
「!!」
言葉が出なかった。
心臓が張り裂けそうなほど激動し、息が荒くなる。呼吸が整わず、全身が痺れたように震え、目の前が霞んでいく。
「コナツ? どうしました、落ち着いて」
「……ッ」
「真っ青ですよ!?」
「ぅ……」
「ほら、まず椅子に座って。水を持ってきます」
カツラギに介抱されながら、どうにか自我を保った。
「あなたはもうこの話を聞いているのだと思っていましたが」
「……私は……何も」
「そうでしたか」
一番恐れていたことが現実になった。それだけは避けてほしいと願っていたことだ。ヒュウガと離れるなど、今はそれが耐えられない。まだ教えてほしいことはたくさんある。仕事をさぼらないように心を入れ替えさせる役目もまだ果たせていない。
だが、ヒュウガも故意にコナツを避けているのではないのだった。
「少佐は黒法術師ですよ、歓迎されるとは思えない」
「……特別な場所では、その力を必要とすることもあるのです」
「そんな」
「それに、彼は昇任しますよ」
「えっ、進級ですか!?」
「そのための諜報部配置です」
「あんなに仕事さぼってて何が昇進ですか。有り得ない」
「そうですねぇ、普段ロクなことしてませんからね」
「少佐は立派ですよ!」
「どっちです」
「あ……すみません」
他人から悪く言われると庇ってしまうコナツだった。
「あなたにとっては腐っても憧れの上司なんでしょうねぇ」
「それは……。でも、どうして急に……」
「仕事ですから人事異動はよくある話です」
その通りである。だから、コナツにはどうすることも出来ない。アヤナミに直談判するなどもってのほか、ヒュウガにとっては目出度い話だ。それを遮る術は何処にもなかった。
「少佐……」
呼んでも、ヒュウガはそこにはいない。声も想いも届かない、遠いところに居る。コナツは涙を堪えるのがやっとで、カツラギと別れてから自分の席に着くと、どうしようもない寂しさが込み上げてきた。
その後、クロユリから衝撃的な話を聞いてしまった。こともあろうかヒュウガが女性と婚約をしたというのである。この度の異動も昇進も、それらが絡んでいて、だからといってヒュウガが策略にはめられたというわけでもなく、むしろ望んで受け入れたということだった。
「こんなことって」
自分が何のために軍に入ったのか初心に帰ろうとしても、コナツにとってヒュウガの存在は余りに大きすぎた。
「もう、仕事なんて出来ない」
自分がここまで腑抜けになるとは思ってもいなかったし、たかがこんなことでくじけてしまうほど弱いとも思わなかった。だが、今の状態でまともに仕事など出来るはずがないのだ。
「もう、誰にも会いたくない」
まだ仕事中であるから、今はただ耐えなければならない。そう言いきかせているとヒュウガの声がした。
「今日はいい天気だねぇ」
やはり緊張感も仕事をする気もないような台詞である。本来ならここで発破を掛けるコナツも、まともにヒュウガを見ることが出来ず咄嗟に席を立ち、走って参謀部から出て行ってしまった。
コナツはトイレの個室に駆け込み、閉じこもった。
「コナツー!」
よりによって、こんな時に追いかけて来たのはヒュウガだ。
「えっ、なんで」
コナツが驚いていると、
「どうしたの!? お腹壊したの!?」
「……」
確かに、走ってトイレの個室に駆け込めば、誰でもそう思うだろう。
「大丈夫?」
「……」
「医務室行く? お腹壊しているなら薬貰ってこようか?」
ヒュウガがひどく心配している。
「いえ、何でもありませんし平気です」
コナツが答えると、
「あ、そうなの? じゃあ、なんで急に走り出したのさ」
ヒュウガが不思議そうに訊ねた。
「……」
答えられるはずもない。
「出てくるまで待ってるから」
「!」
ヒュウガはコナツの変化に気づいたのかもしれなかった。
「心配だし」
「……」
「待ってるよ」
「具合は悪くないので心配なさらないで下さい」
「うん、体調崩してないのは分かった。でも、ここで待ってる」
「……結構です」
「じゃあ、なんで出てこないの。オレはそれを聞いてるんだ」
「……」
「オレを避けてるね。でもオレはどうしてそんなふうにされるのか分からない」
「!?」
ここまで白を切られると、コナツも一言どころかいくらでも文句を言いたくなる。
「仕事も溜まってるよ」
コナツがとうとうキレた。
「もう仕事なんかしませんっ!」
「!?」
驚愕したのはヒュウガの方だった。
「あとはあなたが何とかして下さい! 私はもう知りませんッ」
「コ、コナツ……!?」
こんな言われ方は初めてだったし、こんなことを言われるとは思いもしなかった。
そう、コナツはもうヒュウガを少佐とは呼ばないと決め、どうせ進級するのだし自分の上司ではなくなるのだから、さっさと切り替えてしまったのだった。
ヒュウガはトイレのドアに清掃中の札を下げ、立ち入り禁止仕様にしてからコナツと立て篭もった。
「コナツが出てくるまでオレもここに居るよ」
「お好きにどうぞ」
「……」
「どうせ少佐の方が根を上げます」
「そうとは限らない。本当はドアを壊すことだって可能だし、何らかの形でお前を引き出すことも出来る。オレを誰だと思ってるの」
「知ってますよ! あなたの力がどのくらい恐ろしいのかも。黒法術で来られたら私だって敵わない。力づくなら、そうすればいい。それでも絶対にここから出ません!」
コナツが叫んだ。こんなに意固地になったのは初めてかもしれなかった。
「じゃあ、せめてどうしてこんなことをしているのか聞かせて」
「ご自分の胸に手をあてて考えて下さい」
冷たい言い草にも表情を変えず、
「オレには思い当たる節がない」
「それはまたご立派ですね、最後までごまかそうとは」
「どうしてそんなに怒ってるの」
「私に何度も同じことを言わせないで下さい。あなたはもう上司でもなんでもない」
「!!」
ヒュウガはコナツの苛立ちを抑えるために一度口を噤み、言葉を発することはしなかった。こんなことは、出会ってから初めてのことだ。
あれほど従順だったコナツが、初めて反抗してみせた一大事である。ヒュウガは今まで相手が誰であろうと行く手を阻む者には容赦はしなかった。この手で斬り捨ててきたものが数え切れないほどあって、それらを躊躇したり、心を痛めることはなかったし、記憶にも残らなかった。だが、コナツにそれと同じ態度をとることは出来ない。コナツは他とは違う。
そんなふうに大事にしてきたつもりだが……。

信じていたものが崩れてしまうのは生きている限り幾多にも存在する。物事は変化してゆくのだ。それでも、すべてのことが夢であればいい、そんな思いが二人の心に駆け巡っていた。


そして、とある夜の”本当”の話。
”コナツが変だ”
ヒュウガはコナツを抱きながらそう思った。
「苦しそうだけど?」
「あ、あ、あ……アッ」
「言葉も喋れないか」
「う……っ」
「朦朧としてきてるような……まさか失神寸前?」
ヒュウガがピタリと動きを止めて、一度冷静になった。が、コナツは喘鳴を繰り返して汗をかいている。バックから犯しているため、表情は見えない。ただ、自身を支えている腕が何度も崩れ、弱々しく震えながら持ち直そうと必死になっていることだけは分かった。
コナツはヒュウガが動きを止めたことに気付き、
「しょう、さ? どう……しまし……た?」
蚊の鳴くような声で呼びかけた。
「さっきから変だと思ってたけど、調子悪いよね?」
「えっ」
「おかしいよ? 無理に演技してない?」
「そんな……こと、してま……せん」
息が切れ、会話がスムーズに出来ない。
「今日一日変だよ」
「……」
コナツは朝から覇気がなく、表向き黙々と仕事をしていたが、顔色が悪かった。風邪かと思ったが、午前中はヒュウガの顔を見ようとせずに避けている様子で変によそよそしかった。しかし午後は一転、やたらとヒュウガに話しかけてくるようになり、ヒュウガはサボリ防止のために捕まえられたのだと思っていたが、コナツの様子を伺うためにも離れることが出来なかったのだ。
「こんな状態なら、これ以上は抱けないね」
ヒュウガはコナツからゆっくりと離れた。
「……アッ」
性器が躯から抜けていく感覚に妙な快感を覚え、コナツはブルブルと躯を震わせた。
「嫌です……嫌です、やめないで下さ、い」
「だって、具合悪そうなんだもん。コナツから誘っておいて反応が重いってどういうこと?」
誘ったのはコナツだった。たまにこういった珍しい行動を起こすことがあるが、その時の第一声が「お願いがあります」だった。ヒュウガはいつもの小言の一つだろうと思っていると、
「今夜寝室に呼んで頂けませんか」
という切なる思いでヒュウガを求めた。ヒュウガは何か理由があるのだろうと直感が働いたが、願ってもないことであり、二つ返事で応答した。
だが、実際に抱いてみればコナツの様子が思わしくない。すると、
「すみま……せん」
今度は涙を零し始めた。
「えっ!?」
ヒュウガが驚く。
じんわりと涙が滲んでくるのではなく、頬を伝って流れ落ちるのである。ドラマか映画でよく見るシーンだが、あんなものは演技だし、目薬でごまかしているのがバレバレな過剰な演出だと思っていた。
「すみません……」
コナツが続けて二度も謝る。
「どうしちゃったのー!?」
慌て始めたのはヒュウガだ。
完全に行為を中断し、コナツをシルクケットでくるんだ。
「だ、だめ、やめては駄目です。せめて少佐が終わるまでは」
「は?」
「少佐、欲求が……」
「オレの心配?」
「少佐が済むまで……」
「この状態で続けろっていうの? それはムリ」
「だって」
コナツはヒュウガの躯を見て、行為を中断させてしまうのは申し訳ないと思った。
「分かったよ、じゃあ、こうする」
「!?」
ヒュウガは突然コナツの前で自身を扱き始め、左手を動かして手淫を始めてしまったのだった。ものの数十秒も経たないうちに射精をしてしまう。
「しょ、少佐!?」
右手で自分が放ったものを受け止め、そばにあったティッシュで無造作に拭き取る。
「よし、これでいいでしょ?」
「……なんてことを」
「全然気持ちよくなかったけどねー」
機械的な操作だった。応急処置として仕方なくそうしたが、
「だから最後までして下されば良かったのに」
「嫌だよ。コナツの体調が悪い時に抱けない」
「だからって一人でしてしまうなんて」
「こうでもしないとコナツ納得しないもん」
「今だって納得出来ません」
「いいから、いいから。オレはもう終わり」
そう言って、呆然とするコナツに笑顔を見せると、話を聞くほうがさきだとばかりにヒュウガはシャツを羽織り、コナツの顔をじっと見つめた。
「少佐……」
「今は快楽が欲しいわけじゃない。気にしてるようだからこうしたけど、出してしまえば文句はないよね? ほら、もう萎えたし。でも、いつでも回復するから大丈夫だよ」
「そんな……」
コナツが俯いた。
「申し訳ないとか思わないこと。お前はオレの性欲処理の道具じゃない」
「!」
「今朝からずっと悲しい顔をしていたから、せめて慰めてあげようと思って言う通りに抱いたけど、オレも気持ちがないとその気になれないんだよね。痛々しくて見ていられなかった」
そう呟いたあと、コナツの躯を抱き込み、背中を撫でた。まるで赤ん坊をあやすような仕草にコナツの表情が和らぎ、沈んでいる理由を口にし始めた。
「少佐……あの」
「なんかあったんでしょ? どうしたの?」
ヒュウガがそっと促すと、コナツはポツリと呟いた。
「私……昨夜、夢を……」
「え?」
コナツは昨夜、奇妙な夢を見たのだった。
それは、今までで一番最悪な内容で簡単に忘れられるものではなく、そしてコナツが何よりも恐れていることだった。
「嫌な夢を見たんです。今思い出してもおぞましい」
「夢?」
「……」
「オレ絡み?」
ヒュウガが訊くと、コナツはコクンと頷いた。
「一度に三通りの展開でやってきました。目まぐるしく場面が変わって、私はパニックを起こして夢から覚めた時、汗びっしょりで……泣いてました」
「えー?」
「疲れ果てちゃって。そこから眠れず、朝まで落ち込んで……」
「だから今朝からボーッとしてたんだね。ボーッっていうかドロドロと」
「すみません。でも、仕事はこなしました」
「言ってくれれば良かったのに。口にした方が気が楽になったかもしれないよ」
「それはそうですが、言えませんでした」
「もしかして現実と混同してたとか」
「そうです。実際私が目撃したことが夢で再生されたのか、ただの夢か、ずっと考えていました」
「夢と現実の区別がつかなくなってた?」
「だって、リアルだったし」
「どんな夢」
「……」
コナツが黙り込む。
「大体想像つくな」
「当ててみますか?」
「そうだねぇ、多分、オレが浮気するとか、放浪癖が更に激しくなるとか、そんな感じ?」
「……はい、近いですね」
「うーん、オレもコメントのしようがないねぇ。浮気はしないけど、午後は昼寝しないと死んじゃうし、朝は早起きしろっていうほうが無理だし」
どさくさに紛れて自身のサボリ癖を正当化しようとしているが、サボリの方がまだ良かった。そんな夢なら笑って済ませられる。だが、
「どちらも困りますが、実際私が見たのは少佐が部屋で私の知らない男の子を抱いていたことです」
「あららー」
「そして場面が変わって今度は年上の綺麗な女性と付き合っていてデートに出掛けていて、そうしたら婚約したという話が出て」
「んま!」
「最後は少佐が参謀部から他の部署へ異動するという夢です。異動に私は伴わず、私は新たに配置される少佐の代わりの方の下につくことになったのです……」
「ちょ……」
リアリティがありすぎて、ヒュウガも驚きを隠せない。
「何もかも嫉妬で気が狂いそうでした」
「聞いただけでオレもおかしくなりそうだよ。大体、何でオレが知らない少年に手を出すの」
「分かりません」
「そんな夢を見ることになった切っ掛けがあるんじゃないかな。オレの部屋に居た男の子って、案外コナツ自身じゃないの?」
「いいえ、金髪ではなかったですし」
「うーん、誰だろう。オレ、誰に手を出しちゃったんだろう」
「凄くショックで……」
「っていうかオレもショックだねぇ」
「……すみません」
「いや、コナツは悪くないんだけど、どうしてそんな夢見ちゃったのか夢占いでもしてもらおうか、カツラギさんなら知ってそう」
「そ、それは恥ずかしいのでやめて下さい」
「しかも、次は女の人?」
「はい」
コナツの顔がどんよりと曇り出した。
「デートって何だろうねぇ。綺麗な人だった?」
ヒュウガが興味深く訊ねてみると、
「それはもう。女優さんみたいでした」
「わお! 夢の中のオレってラッキーだね」
何故かヒュウガは大喜びだ。
「喜ばないで下さい。少佐が男の子に手を出すより、女性と仲良くされる方が私には太刀打ち出来ない、手も足も出ないんですよ。私は身を引くしかないじゃないですか。こんなに辛いことってないです」
「……」
「しかも、同時に異動だなんて。私を置いて少佐が他の所に行くって、どう解釈すればいいのです? どうして私を連れて行って下さらないのか責めたくても、そう通告されてしまえば文句は言えません」
コナツはまるで現実にあるような言い方で真剣に訴えた。
「オレ、何処に異動されたんだろ。左遷かな、ははは」
「そっちの心配ですか」
「いや、だってさぁ、参謀部以外に何処が……」
「諜報部だか特殊部隊だか暗殺部だか忘れました」
「あらー、オレに合ってる所だねぇ」
他人事のように言って笑っていると、
「何処に行かれても構いませんが、私も一緒についていきます」
「そんなの、オレはコナツが嫌だって言っても連れて歩きたいくらいだけど」
ヒュウガにとってもそれは当然のこと。コナツ以外に自分の補佐が務まるはずもないと思っている。
「私だって少佐が来るなと仰ってもついていきたいですよ」
「ほんとに?」
「今更です。ですから、たとえ夢でも離れるなんて嫌でした」
「そりゃそうだ。だから今日一日オレのこと変な目で見てたんだ」
「……」
仕事中もいつもとは違う感情でヒュウガを見てしまった。悲しいやら寂しいやら、恐怖も混じってまともに視線も合わせられない。どちらに非があるわけではないのに、意識しすぎて少し距離を置いて補佐をした。
「オレの後ろを歩くにも、三歩どころか十歩くらい離れてなかった?」
「……」
「なんで嫌われてるんだろって考えてたけど、思い当たる節はたくさんあるわけで」
「夢の影響力って怖いですね」
コナツが肩を落とした。たかが悪夢を見たくらいでこんなに落ち込むようになるとは思わなかったが、内容が悪かったせいもある。するとヒュウガが、
「実はオレも昨夜、物凄い嫌な夢を見て、現実と混同してたんだ」
そう打ち明けた。
「えっ」
「オレもね、悪夢を見たの」
コナツは目を丸くして、
「アヤナミ様からお仕置きされる夢ですか?」
そんなことを言ってみたが、
「それはもう見慣れたよ。っていうか、その方がいい。この間は廊下掃除させられた夢見たけどね」
「えっ、どうしてそんな……」
コナツが仰天している。
「夢って何でもありだよね。でも、昨日のは勘弁してほしいなぁ」
やれやれと肩を竦めると、ヒュウガはコナツをじっと見つめ、
「ほんとはね、オレも夢と現実の区別がつかなくて、午前中はめちゃくちゃネガティブになってたの」
苦笑しながら呟く。
「そうだったんですか!?」
「だってさ、聞いてよ」
今度はヒュウガが打ち明ける番だった。
「あのね、コナツが口きいてくれなくなって、エッチも断られ続けて、次第に仕事しない子になっちゃったの」
「えーっ!!」
一気に言われ、コナツはまた仰天する。
「なんで口きいてくれなくなったのか分からなくてさ。あんまり仕事サボるから完全に怒っちゃったのかと反省してみたり。エッチ誘っても顔をそむけて話も聞いてくれない。オレのこと嫌いになったんだろうかって心配で心配で。そしたら最後にコナツってば仕事なんてしてられるかってトイレに篭り始めたの。いきなり反抗期が来たのかと思ってショックでさぁ。っていうか、もっとショックなのは、コナツが……」
そこまで言ってヒュウガは止めた。
コナツがカツラギと寝たことを言おうと思ったが、あまりにリアリティがありすぎて言えなかった。口にしてしまったら夢が現実になりそうな気がしたのだ。
「どうしました?」
「あ、うん、コナツに『あなたなんて上司でも何でもない』って言われちゃったの」
「ええっ! 夢の中の私、有り得ない!」
「でも、言われて納得しそうになった」
「そこは否定して下さい」
「うん、今度からそうする」
「今度って……」
もう、こんな夢を見るのはこりごりなのだが。

つまり、前記の物語は二人がそれぞれ同時に見た夢を繋ぎ合わせたものである。二人は同時に一番見たくない夢を見ていた。それぞれが見たものは最低最悪のシナリオとしてパズルのようにぴったり当てはまるものだった。離れていても、眠っていてもここまでシンクロするのは珍しいことである。しかしながら物語としては何よりも耐え難く、避けたいコンテンツであった。

「マジで悪夢の三部作、金輪際勘弁してほしいね。正夢にはならないように教会に祈りにでも行こうかな」
「えっ、教会ですか? ……似合わないと思いますが」
コナツが真顔で答える。
「何が? 似合わないのは司教服にサングラスでしょ?」
「それもですが、少佐に教会……」
しばし考えるも、想像すらつかない。しかし、ヒュウガは本気だった。
「オレは真面目に行こうかと思ってるんだけどっ」
慌てて訴えるが、コナツは真顔のまま、
「行くならご一緒しますよ」
部下らしくそう言った。
「ほんと?」
だが、その真意は他にあるのだった。つまり、
「ついでに式も挙げますか?」
「……」
式とは、文字通り挙式である。誰の挙式かは言わずもがな、いますぐここで執り行いたい勢いの二人である。
「私が新郎ですよね。タキシードは白がいいかなぁ」
「って! コナツはドレスに決まってるでしょうが!」
言い合いが勃発するのはお約束。
「勝手なこと仰らないで下さい! 文句がおありでしたら、じゃんけんで決めましょう!」
「嫌だね!!」
「少佐、我儘ですよ!」
「駄目だ、よし、軍を挙げて多数決を取ろうじゃないか」
「……っ」
ここでコナツは自分が負けると思ってしまった。思った方が負け……と結論に達しそうになったが、
「夜は私が女役だから式は男役がいいです!」
むちゃくちゃな理由で言い返すも、
「オレが花嫁なんてそれこそ悪夢でしょー!」
ヒュウガの叫びに、
「ですね」
あっさりと納得してしまったのは、本当に悪夢のようだと思ったからだ。
「私の花嫁姿、綺麗だろうなぁ」
「自分で言う!」
「なんとなく」
「反論はしない」
「もう、こういうときばっかり」
これには二人とも笑った。
ベッドで裸のまま、シルクケットを躯に巻いたコナツを抱き寄せてぴったりとくっついている。ベッドは広いが一ミリも離れたくない。
「それにしても、二人して何故同時に悪夢を見てしまったんでしょうね」
「さぁ。普段喧嘩ばっかりしてるから?」
「喧嘩になってませんが。私が怒ってるだけで少佐はフラフラしていますし」
「うーん。だよね、喧嘩といっても痴話掛かってるだけだし」
「でしょう?」
「あっ、神様がオレたちに嫉妬してわざとこうしたんじゃない?」
「神様の仕業ですか」
「きっとそうだよ」
「そしたら、今度は幸せの三部作が見られるようにするにはどうすればいいのでしょう?」
「いい夢を見るためにはもっと仲良くするんだよ。その延長でいい夢見れるはず」
「そんな気がします」
結局、ひたすらに甘く戯れ、触れ合い、そして見つめ合う。
「少佐……あの……続きを」
「ん?」
「もしかして、もう出来ませんか?」
「そんなわけないじゃん」
「良かった」
「今度はそっちの心配してたの?」
ヒュウガが笑った。
「だって、すると安心するから」
「安心? 痛かったり疲れたりするのに?」
「それ以上に事後はすっきりするのです。気持ちも落ち着きます」
「ああ、分かる、分かる」

悪夢を見て愛を確信するために語り、いい夢を見たいと言っては更に愛を深める二人だった。


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