love and ...


「アヤたん、いつになったらオレに優しくしてくれるのかなぁ?」
ベッドの上でヒュウガが溜め息をついている。
「さっきだってさぁ、やっとイカせて貰えると思ったら駄目だって言うしー。まだイキたくない時に限ってさっさとイケって言うしー。ほんと、イジワルだよねぇ」
ヒュウガの愚痴を聞いているのか聞いていないのかアヤナミは表情を変えることなく黙り込んでいる。そのせいか、ほとんどがヒュウガの独り言だった。
「部下に優しいって有名なのに、オレだけ除外?」
寂しそうに言うと、アヤナミがチラリとヒュウガを見て、
「そうだ、お前は特別だからな」
薄く笑って呟いた。
「特別!? やっぱりそうなの? でもどういう特別!? それって喜んでいいの? 悲しむべきなの? っていうか喜んでいいんだよね!! 喜ぶからね!! たとえそれが特別に意地悪くするって意味でも!」
ヒュウガが子供のようにはしゃぎ始めたが、ヒュウガにとって、アヤナミに特別扱いされることは何より嬉しいことなのだった。
「お前にとって私がそうであるように、私にとってお前は……」
アヤナミが意味深なところで言葉を切ったため、
「ちょ、なんでそこで言うのやめるの! 焦らしプレイ!?」
ヒュウガは生殺し状態で今度は悶え始める。
「そうだ」
視線を逸らしてアヤナミが僅かに微笑み、ヒュウガの反応を面白がっている。
「拷問だけに飽き足らず、アヤたん焦らしもレパートリーに入れちゃったの?」
「趣味は多い方がいいだろう」
「え、アヤたんが冗談を……? いや、本気なのか? なんだ?」
ヒュウガがぐるぐると頭の中を混乱させていると、
「まぁ、焦らすなどという行為をするのはお前専用だがな」
アヤナミはあっさりと言い放った。そして、
「こうして冗談が言えるのも、お前くらいだ」
白い肢体を曝し、ベッドから降りるとシャツを羽織り、そのままワインクーラーへ行き、お気に入りのワインを取り出す。
「お前もどうだ? たまには私の酒に付き合え」
「えっ、アヤたんが優しい……」
「優しくしろと言ったのは、お前だろう」
「言ったけど、でもほんとにしてくれるとは思ってなかったから」
「意外か?」
「うん。っていうか、今日はよく喋るね。さっきまでおとなしかったのに大違いだ」
「……」
「アヤたん、喋ると可愛いよね」
「!」
「でも、抱かれてる時は綺麗だよ。っていうと怒る?」
ヒュウガの余計な一言が増えていく。こんな時にアヤナミが鞭を取り出しても効果はない。ヒュウガは人前では打たれたり打たれる振りをしているが、誰も居ない所ではアヤナミが振るう鞭を素手で掴んでしまうのだった。
「あれ、怒らないね」
「ああ、怒る気も失せたな」
「どうせ下らないって言うんでしょ」
「分かっているなら上等だ」
「もう、素直に喜びなよ」
「私が喜ぶとでも?」
アヤナミが挑発的な目でヒュウガを見ると、
「だって楽しそうじゃん」
その誘いに乗ろうとして自らもベッドから起き上がる。裸のままだろうが何だろうが関係ない。
「うん、いいよ、ワイン飲みながら窓際でプレイ?」
「誰がそんなことを言った」
「たった今オレが」
「……」
「なーんちゃって、アヤたん、仕事の話したそう。なんか新たな情報でもあるの?」
こういった嗅覚の鋭さは獣並みである。勘がいいとも言うが、こういう所をアヤナミも買っているし、一目置いている。
「お前にはやって貰いたいことがある。少し面倒だが、お前なら大丈夫だろう」
「へー、オレのこと、信頼してくれてるんだねぇ」
「お前が仕事で失敗することはないからな」
「当たり前じゃん、アヤたんの為だもん。で、作戦って何?」
そこからはヒュウガは真剣な眼差しでアヤナミの話を聞いていた。この時ばかりはじゃれることも冗談で茶々を入れることもなかった。アヤナミはヒュウガには包み隠さずすべてのことを話し、状況を把握させる。ほとんどアヤナミの右腕である。もっとも、アヤナミに忠実なカツラギも居るから、アヤナミには右腕が何本もあるようなもので部下に恵まれていると言えた。
ワインを飲み交わし、月を見ながら窓辺で語り合う静かな時間が絆を深く繋いでゆく。
アヤナミが長い時間をかけて仕事のことや昔の話などを語り終えた時、ヒュウガが必ずキスをするのも今では当たり前の行為になった。
「アヤたんも結構慎重派なとこあるよねー」
話を聞き終えると、ヒュウガは思ったことを意見することもある。
「あくまで仮定の話だ。それを考慮して今回の任務をお前に頼みたい」
「いいよ、アヤたんの為なら何でもする。けど、ちょっと悩みも抱えてない? 何か不安でも?」
ヒュウガはアヤナミが故意に言わずにいることも探り出してしまうのだった。
「……お前に隠し事は出来ないな」
いつもは無表情なアヤナミも、この時は柔らかく笑う。
「当たり前じゃん、オレを誰だと思ってるのー」
「そうだったな」
すべてを委ね、すべてを預かる間柄、ゆるがせにしているものなど一つもない。長い夜がさらに永遠になるように、二人は長身を寄せ、小声で心のうちを届けあった。

そうして甘い夜が続いていたが、或ることを切っ掛けに状況が変わる。
ヒュウガが怪我を負ってしまってから、アヤナミのもの思わしげな様子が見られるようになったのだ。
ヒュウガはテイトをレースにて追駆する際、フラウとの角逐で怪我を負ってしまう。それに対して一言も言及しなかったくせに、ベッドではあからさまな態度を示すのだった。

夜、ヒュウガはいつものようにアヤナミをベッドへ誘った。アヤナミはヒュウガを拒絶することはない。だが、かなり慎重で、ベッドに行く前のキスもスローで、少しでもヒュウガに負担をかけぬようとしているのが目に見えるほど分かる。
「アヤたん……自重しすぎだよ」
「ならば激しくしてやろうか」
鞭を振る仕草まで披露するが、
「鞭じゃなくてぇ、最中はアヤたんが動けばいいだけじゃない」
「どのみち負担になる」
「うーん、こう見えても平気なんだけどなぁ」
「黙って言うことを聞け」
「えー?」
ヒュウガの服を半分まで脱がせ、ベッドサイドに座らせた。そしてアヤナミ自らがヒュウガの前を開き、自身を口に含んだのだった。
「ア、アヤたん?」
奉仕されるとは思っていなかったヒュウガは、幻かと目をこすったが、すぐに快感が走り、息を漏らしてしまう。
「……ッ」
今までも口での行為はなかったわけではないし、シックスナインを用いることは少なくはなかった。
「まさかオレだけイカせて終わりってわけじゃないよね」
「お前次第だ」
一度口から離して手で扱き、太い先端をいやらしく撫で回す。
「うわぁ、やばい、もうきちゃってるよ。アヤたん、結構テク持ちだからなぁ、オレなんて3分もつのかな」
「それくらいでちょうどよい」
「何、早くてもいいの?」
「お前のは口にも手にも負えんからな」
「えっ」
こういう冗談は滅多に言わないタイプで、苦言にとらえたヒュウガは、
「だって、今更どうしようもないじゃん。オレの躯、嫌い?」
ヒュウガは少しいじけたように呟く。
「さぁな」
「もう!」
弱っている時に故意に意地悪な言動を仕掛けてみせたアヤナミだが、ヒュウガが仕返しに走らないとも言い切れず、
「どうせお前は我慢が出来なくなるのだから……」
意味不明なことを言うだけ言って、再度ヒュウガのものを口に含んだ。
「……う」
どうやって覚えたのか、アヤナミは物慣れていた。フェラチオの際に喉まで使うやり方を知っている。
それでもぜんぶは含みきれないが、ヒュウガは激しい快感に襲われてコントロールをするのも難しくなってきていた。
「ねぇ、ここまでするやり方は誰に教えてもらったの?」
ヒュウガが訊くと、アヤナミはゆっくりと喉からペニスを抜いて、すぐに裏筋に舌をおろして往復で舐めながら、
「お前で覚えた」
そう呟いた。
「嘘でしょ、それ」
ヒュウガは哂ったが、
「お前で練習して、徐々に出来るようになっていっただけだ」
「違うなぁ、オレじゃないよねぇ」
「お前が気付かなかっただけだ。最初からこうだったわけではない」
「最初……」
始めの頃がどうだったのか、たとえ二人が鮮明に記憶していたとしても、過去の関係は忘れるようにしているし、引き合いに出すことはない。それどころか昨夜のことですら素知らぬ振りをする。
「でもさぁ、気持ちよすぎてどうやって覚えたとか始めの頃とか、どうでもよくなってきた」
そしてヒュウガは今度は自嘲気味に哂う。
軍服は上着もシャツもボタンを外しただけで裸にはなっていない。そこへ、服の間から見える胸の包帯が痛々しいというよりも卑猥に見えるのはヒュウガだからだ。
「だけど、オレ、飲まれたら感動のあまり失神しちゃうから、この先はね……」
ふざけて言うと、アヤナミがわざとらしく口をすぼめる。思わず射精してもおかしくないほどの口技だった。
「!! このっ、鬼参謀!」
咥えたまま薄く笑うアヤナミの余裕が憎らしい。
「我慢しないで口の中に出しちゃおうかな。オレ、溜まってるから量も多いよ?」
そう言ってもアヤナミはやめない。普段はワインしか飲まないと言われているアヤナミが、これほど「美味そう」に頬張っているのを見ると妙な気分になってくる。
「……ふぅん、いいってことか。じゃあ、遠慮なく」
出す気満々なふてぶてしいヒュウガに余計な手出しをされないよう、アヤナミは片方の手でヒュウガの両手首を二つにまとめて押さえ、抵抗するなと脅迫しながら、そのまま強烈な勢いで口を動かした。
「あ……やばっ」
ヒュウガは快感に浸りながら息を荒くしたが、とうとう耐えられずに一度舌打ちをした後、ピクンと躯を震わせた。
そのタイミングが分かっていたのか、アヤナミは喉の奥に先端を押し込み、口全体を使ってペニスを締め上げるように力を入れる。
「く!」
咬筋によって狭い所を無理やりに押し通す感覚に気が遠くなりそうだ。
「うっ、搾り取られ……、ああ……これじゃオレの残りの魂も取られちゃうよ!?」
こんな時に冗談を言うヒュウガに、アヤナミは一滴残さずヒュウガが放ったものを飲み込み、満足そうに微笑んだ。
「アヤたん……鞭使いが特技じゃなくて、むしろ特技、これでいいんじゃない?」
アヤナミが積極的にフェラチオを行うことが信じられないと思っていたが、今回は特別なのかもしれなかった。
「そうだな、そういうことにしておこう」
「あはは、軍のファイルにあらたに記入しておく?」
「殺す」
「でも、オレが怪我人だから優しくしてくれてるんだし、今からも優しくしして貰わないとね」
ヒュウガは跪いていたアヤナミを引っ張り上げて躯ごとベッドに放るように押し倒した。
「気持ちよくてどうなるかと思ったけど、オレはアヤたんにも気持ちよくなって欲しいから、オレもお返ししたいけど……」
「その必要はない」
「なんで? オレ、口でするの好きだよ。アヤたんに負けないくらい得意」
「そんなことは分かっている」
ただ、今回は何もさせたくないというのが本心だ。
「じゃあ、いいよね?」
「駄目だ」
「どうして? それとも下の口に欲しいの?」
よくある表現でからかうと、
「……まだいけるようだな」
アヤナミがヒュウガを見つめて呟いた。
「まだ? まだイケるけど?」
「だが、残念だが今日はここまでだ。物足りないならまた私が飲んでやる」
「!?」
「それでいいだろう」
「むり!」
ヒュウガはアヤナミの軍服を脱がせ始めた。
「よせ」
「お願い、おとなしくしてて。抵抗されると先に進まない」
「……」
「オレに余計な負担かけたくないんでしょ? じゃあ、協力して」
ここでヒュウガを完全に抑えられなかったのは、アヤナミもこうなることを心の何処かで望んでいたからだ。
ヒュウガはアヤナミの脚を抱え、尻を上げると半勃ちになった自身をあてがい、
「挿れたくってしょうがない。これしないと終わらないよ」
挿入前から腰が動き、まるで発情期のオスのような言動を示している。
「……」
「大丈夫、ゆっくりやるし、がっついたりしないから」
実際、ヒュウガはいつも激しいわけではなかった。時間を忘れるようなスローペースで抱くのは、ヒュウガのセックスの特徴でもあったし、それで強い快感が得られ、心も躯も満たされるのである。
「お前を相手にしていると埒が明かないことばかりだ」
アヤナミがため息をついた。
「しょうがないじゃん」
「お前の我儘は今日だけ許可する」
「……」
言い争うのも時間の無駄だと言わんばかりにアヤナミはヒュウガの言い分を受け入れた。
だが、ヒュウガがキスをしようと動くたび、愛撫をしようと手を伸ばすたびに傷口が開きはしないかと気になってしまい、ヒュウガが痛がらないかと顔を見つめてしまう。
「随分心配性だねぇ?」
「当たり前だ」
「悪化して仕事が出来なくなるなんてことはないから安心してよ」
自分はあくまでも手駒に過ぎず、仕事が出来なくなるのを恐れているのだろうと思ったが、
「そんなことはどうにでもなる」
アヤナミが顔をしかめて呟いた。
「確かに、お前にしか出来ないことがある。だからお前の戦力は絶対不可欠だが、ただの道具として扱っているわけではない」
その真摯な表情には、いつものような冷酷さは欠片もなかった。
「ほら、こんな時にそういうことを言う。優しいよね?」
「……」
「だから抱きたくなるんだよ」
「……好きにしろ。多少の手抜きは許す」
「えええ?」
よく分からないけど……と付け加えてヒュウガはいつも通りにアヤナミを抱いた。
しかしながら、静かでゆるやかだったのは最初だけで、次第に激しくなっていったし、それと同じ速さで快感が強くなっていくのを、どちらも自制が効かぬほどに快楽の虜になっていた。
「貴様……あれほど言ったのに……」
アヤナミはヒュウガが大きく腰を使うたび、ひやひやするといった様子でハッとしながらヒュウガを見上げる。すると、
「うん、痛い。傷口開くかもしれないけど、やっぱりどうでもいい」
自棄になって言うから、アヤナミは今すぐにやめろと声を荒げるのだった。
「なんで? いつものアヤたんらしくない。途中でやめるなんて出来ないでしょ。オレ、萎えないよ?」
「……」
「いいから、アヤたん、オレを受け入れて」
そう言われたアヤナミは、無意識に括約筋に力を入れた。
「……ッ、それでいい、凄い、アヤたん……なんだろう、この感覚」
躯だけの関係ではないと分かっていても、この躯が好きだと声を大にして言いたい。決して華奢ではないが、筋肉が美しく張り詰められてある見事な裸体は白く冷たく、その艶肌には性的な魅力がたっぷりと含まれている。
「そこまでだ」
「!?」
アヤナミは隠してあった短剣をチラつかせ、ヒュウガの喉元に突きつけた。まさかの展開と思いつつも、ヒュウガは「やっぱりね」と苦笑した。
「こわ……用心のために枕元に忍ばせてあるのは知ってたけど、もしかしてオレ用なの?」
「これ以上、お前の躯を壊したくない」
「……言ってることとやってることが逆だよ」
躯を気遣っているのに、これ以上動けば刺すと脅しているのだ。
「ほんと、アヤたんの寝るのって命懸け」
ヒュウガはにっこりと笑ったが、
「すぐに逝かせてやる」
アヤナミの台詞に顔を輝かせ、
「ということは、アレか」
やはりツーカーで分かってしまうのだった。
二人は動かずにも達することの出来るやり方で絶頂を迎えようとしていた。これには躯の相性と互いの気持ちが必要で、中々出来ることではない。
熱い告白と、ひたすらに欲しいという想いと、アヤナミが何度も収縮を繰り返しヒュウガを締め付けてダイレクトに性器を刺激し、オーガスムを引き出す。
そしてアヤナミはヒュウガの声と首筋への甘いキスで達するのだった。それにはヒュウガの睦言だけでも十分なほどで、本来なら手馴れていなければ出来ないはずの行為が、まるで不慣れな者になったような感覚に陥るのがたまらなかった。
しかも、同時に登りつめることで快楽に身を焼かれるのも”らしくない”乱れっぷりで、アヤナミもヒュウガも別人になったようにどこまでも耽って、やがてそこから抜け出せなくなるのだった。そのせいで後戯に至るまで暫く時間がかかるのも困りものだが、長引く快感を味わってしまってしまえば、時間など気にならない。この時ばかりはアヤナミも深夜に「仕事の時間だ」といってヒュウガを邪険にすることもなかった。

そして朝になり、ヒュウガがアヤナミのベッドの中で目覚めた時には既にアヤナミの姿はなかった。
「また一人で仕事行っちゃって」
ヒュウガがぼんやりと呟く。もともと寝起きはよくないが、ここまでくると寝ないで起きていればよかったと本気で後悔してしまう。
「アヤたん起きたの全然気付かなかったよ。いつも気付かないけど」
しかし、アヤナミは先に起きて参謀長室へ向かう際、こっそりとヒュウガの髪に指先で触れ、しばし寝顔を見つめてから部屋を出て行くことをヒュウガは知らないし、わざわざそんなことをしていると口に出すほどアヤナミも子供ではない。ヒュウガのことだから、もしかしたら気付いているかもしれないが敢えて知らぬ振りをするのも大人の駆け引きであり、愉しみでもある。
「今度はオレの腕とアヤたんの腕に手錠つけて離れられないようにしてみようかな。でも、そしたらアヤたん、オレの両手首に着けるよね。SMプレイもほどほどにしないとオレの方がハマりそうだ」
中々想いは実らず、余計な趣味ばかりが増えていくと愚痴を呟いてみるも、
「今日は参謀長室に行ったらおはようのキスをせがんでみよう」
やはり懲りないヒュウガだった。
キスをせがんでもくれるはずもない。
そんなことは百も承知だ。もちろん、分かっててわざと迫っているし、アヤナミもヒュウガの悪ふざけには気付いている。
しかし、この日は違っていた。
まず、ヒュウガは朝に参謀長室を訪れ、一人で居なくなったことに文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけたが、アヤナミが参謀部のカーテンを閉めて参謀部からの視界を遮断してしまう。
「何するの?」
重要な会議をするはずもないことなど知っている。
「すぐ済む」
「何が?」
「お前が言う”朝の挨拶”をしてやろう」
「えー? やっぱ貰いに来たの分かってた?」
キスが欲しいというのは言わなかった。言わずとも通じるのがアヤナミとヒュウガなのである。アヤナミはヒュウガが自分に触れたくてしょうがないのを我慢していることも分かっているし、キスの一つでもすればそれで満足するだろうと思ったのだ。
だが、ヒュウガは、そう簡単にはしてくれないだろうと疑っていたし、キスではなくて鞭の先が飛んでくるかもしれないと覚悟をしていた。
アヤナミはヒュウガに近づくと、至近距離まで来て、ふと、
「憎い」
そう呟いた。
「えっ!?」
誰に向かって言ったものか、それが何を意味するのか分からず、ヒュウガは頓狂な声を上げた。
「憎らしいな」
「ちょ、誰が? 何で?」
アヤナミは人から恐れられるだけでなく、憎まれることもあるし、そして人を憎むこともある。一体何故ここでそんな話になるのか理解出来ない。
すると、アヤナミはヒュウガの顎を掴むと、
「お前にくちづけるのに、この私が少し背伸びをしなければならないとは」
「!?」
「成長しすぎだ」
「な……な!?」
ヒュウガは、薄く笑っているアヤナミを見つめ、呆然としている。
「癪だ。お前が屈め」
「って、ええ?」
まさかのつま先立ちを嫌がり、キスしてやるから屈めというものアヤナミらしい。
「要らないのか」
「いやいや、欲しい、欲しい」
「一度だけだ」
「……」
それなら濃いやつを、と言おうとしたら、
「舌は入れん」
「ぶっ」
朝から珍しくご機嫌なのは気のせいかと思ったが、現在は”仕事”がうまくいって、アヤナミは上機嫌なのだった。
「躯も戻ったしね、テイト・クラインも手に入ったし」
その理由を述べると、アヤナミは一瞬顔を曇らせ、
「今は他の話をするな」
と一蹴した。
「え、だって喜ぶべきことであって、嫌な話じゃないでしょ?」
「……そういう意味ではない」
「?」
「分からなければいい」
「あ、そうか、これからすることと話してる内容が釣り合わないってことだね」
「……」
「じゃあ、そういう雰囲気作ろうか?」
既にキスの一歩手前、互いの躯をこすり付け合うようにして至近距離に居る。ムード的にはすっかりハマっているが、ヒュウガは軍服の襟を緩めた。だが、すぐにアヤナミに止められ、
「それは今夜だ」
と言われてしまう。
「別にぜんぶ脱ぐわけじゃないんだけど……でも、続きは今夜してもいいってこと?」
「お前にその気があるのなら」
「ええっ、その誘い文句、ずるくない!?」
「いいから屈め」
「もう!」
ヒュウガが納得のいかない顔で上体を倒すと、アヤナミは少しも迷わず、ためらうこともなくくちびるをかすめた。
「すごいスレスレ」
触れたか触れないか分からないほどの距離だった。
「これくらいなら、わざわざカーテンを閉めなくても良かったんじゃ?」
そう言いながらヒュウガ自ら参謀長室のカーテンを開ける。たとえスレスレだろうが開けたままするわけにはいかないが、ヒュウガは一度公開プレイをしてみたいと思っていた。その冗談を真に受けず、同時にアヤナミは自分の席に戻り、机の上に両肘をついた手を絡ませて何かを考え込んでいた。お互い、戯れもここまでだと分かっているし、他に話したいこともあったのだ。
「そろそろ仕事の話をしても?」
ヒュウガが切り出すと、
「なんだ」
アヤナミははぐらかすことなく神妙な顔で一瞬だけヒュウガを見た。
「……うん、あのね。って、その前に……」
ヒュウガは隣接する参謀部を眺めてから、ふと頬を緩め、今度は姿を隠すように壁際に寄った。
「参謀部の今の雰囲気も嫌いじゃないんだけど……」
ヒュウガはテイトの話がしたいのだった。
「……テイト・クラインは我が手中に落ちたのだ。だが、お前が情を掛けることはない」
「え? 優しくしちゃ駄目なの?」
「……」
「手は出さないよ。あ、そういう意味での手は出さないってこと。寝たいとか思ってないし。小さくて可愛いから癒されてみたいけど、あんまりテイト君をからかうとコナツが怒るから」
コナツはテイトを歓迎しており、誰よりも可愛がって、シュリがテイトに嫉妬をする羽目になっていた。ますますシュリとテイトの溝が深まるが、テイト自身は気にもしていない。
ヒュウガは再び参謀部を見つめ、声に出して笑うと、
「面白いよねぇ。すっかり馴染んじゃって」
テイトの様子に感動していた。そして、テイトをそんなふうにした、その能力についても手放しで称賛している。
ヒュウガはアヤナミの持つ記憶操作について非難することはなく、その罠にかかったテイトがあまりに素直で、自分ならばたとえ記憶を改竄されても物事を率直に信じることはないだろうと比較してみたが、比較にならないほど正反対だと笑いが漏れた。

今は偽りの時であり、いずれ元の状態に戻る。

アヤナミはパンドラの箱を開けるキーワードを手に入れたら即刻テイトを抹殺するつもりでいるし、それに関してはヒュウガも異存はない。
だが、この先のことは誰にも分からないのだ。慎重に慎重に、焦らず先に進めなければならない。
「軍の規律には従わなくちゃね」
アヤナミがひどく”素直”であることに少し違和感を覚えながら言うと、次の瞬間、アヤナミがヒュウガに攻撃を仕掛けてきたのだった。
「何、アヤたん」
嫌味を言ったつもりはないが、ヒュウガに向かって剣の先を突きつけ、その剣先がわずかに顔を反らした頬の横をすり抜けて壁に突き刺さる。常人では分からぬほどだが、反応が鈍いヒュウガに対して、アヤナミは制裁し、外に出ることよりデスクワークを強要したのだった。これは飴と鞭の飴のほうか、鞭のほうか。
今回のように、ヒュウガが怪我を負うことはアヤナミにとっては痛手である。規律に従うというよりも、今はヒュウガに無理をさせられないという思いが大きい。
「心配しなくてもバリバリ働けるよ」
気遣われてデスクワークをするよりも、傷が悪化しても外に出たいと思うヒュウガなのだった。

朝からキスを交わすことに成功し、仕事の話に切り替えても始業前だというのに逸る気持ちと昂ぶる躯を抑えるのにどれだけ苦労しているか、今夜にでもたっぷりとアヤナミに教え込みたい。
その割りにアヤナミは最中にあまり動くなとうるさく注文をすることはあっても、今朝のように剣をかわす反応が0.03秒遅いのは連日の快楽追及のせいにすることはなかった。

二人の間にはたゆみなく純愛が存在し、そしてまたそこには偏愛が混じり、そして最愛が有って、それらはすべて無限の愛に繋がるから、溺れれば溺れるほどに念(おも)いが確かなものになってゆくのだった。


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