「外は寒いです。今、コートをお持ちしますね」
コナツが早めにヒュウガを迎えに行った朝、コーヒーが入ったマグカップを手渡しながら外の様子を見て呟く。 「ほんと、寒い季節だよねぇ。オレとしては冬眠しそこねたのが口惜しい。今からでも間に合うかな」 着替えながら真剣な顔で言うのを、 「こんな時は温泉はどうですか」 冬眠という単語には反応せず、なるべく現実的な話をしようとコナツが話題を振る。 「温泉か冬眠かって言ったらオレは冬眠の方がいい」 「……どうせ冬眠するなら永眠をお勧めしますよ」 「ひど!」 「ですから温泉にしましょう?」 「まぁ、仕事じゃなければ何でもいいや」 本当は、何より旅行が好きなヒュウガである。先頭立って皆を連れて歩きたいと思っているほどだが、中々休みが取れずに叶うことがない。 「まとめてお休みが取れたら行きたいですね。大人数であれば貸切でもいいのでは?」 「団体様か。あ、今度こそアヤたんと一緒に皆でお風呂入りたいよねー」 「アヤナミ様は一人で入られるのがお好きなんでしょうか」 余り皆には混ざらないアヤナミである。立場上なのか単に一人で居るほうが好きなのか、四六時中人とつるむようなことはしなかった。部下に誘われれば共に食事もするし、会話もするが、普段は寡黙であり、隙がない。 「アヤたんは熱いのが苦手なんだなー」 「そうかもしれませんね。少佐は猫舌ですけど」 「え、確かにオレは猫舌だけど、コナツは野良猫みたいじゃん」 「何ですか、それ! どうしてそうなるんです。私、そんなにやんちゃじゃありません」 「気は強いでしょ」 「……」 「何か言いたそうだね」 「いいえ」 「ふーん? 心の中で少佐のバカとか言ってない?」 「えっ」 コナツがギクリとしていた。もしかして図星だったのだろうか。 「いいよ、言えば?」 「言いませんよ!」 「頑固だなぁ」 「そんな、バカとか思ってませんし。今は」 「今は!?」 「今は思ってませんから、早く支度して下さい。私まで遅刻しちゃいます」 「あ、そっか。仕事か」 「もう! 少佐ってば」 これから出勤するのに緊張感のない一日の始まりを憂慮するコナツは気を引き締め、ヒュウガの後を追い掛けた。 「少佐、ハンカチはどれにします?」 「んー、雑誌に今日のラッキーカラーは緑って載ってたから、緑のハンカチ!」 「はい、じゃあ、これでいいですか?」 コナツが慣れたように素早くクローバー模様のハンカチを探し出すと、 「うん!」 「それにしても相変わらずファンシーな趣味ですよね」 ヒュウガは見た目に似合わず可愛らしいグッズを好むことがある。 「だって、どうせならキュートな方がいいでしょー?」 「私には理解出来ません」 「そうかなぁ、持ち物一つで気持ちが変わるってことない?」 「そういうのって、女の子だけかと思ってました」 「だから、気分次第っていうかぁ」 小物一つで元気になれるヒュウガの方が子供っぽく、コナツは更に櫛を持ち、着替えを終えた上司を追いかけた。 「髪をとかしますよ!」 「え、ああ、このままでいいのに」 「寝癖ついてますから!」 「いいの、これは触覚なの!」 「は?」 「アヤたん探査器!」 「そうですか、役に立ちますね」 コナツはまともに相手をせず、 「屈んで下さい! もう、躯ばかり大きくなって……」 ヒュウガの髪をとかしながら、まるで母親のように世話をする。 「ねー、コナツってば最近、オレのこと子供扱いしてない?」 「大きい子供ですよ」 「あ、そう。じゃあ、バブーって」 「赤ちゃんに退化してる! こんなデカい赤ちゃん居ませんから」 コナツは髪を梳かしながら笑っている。 「いいじゃん、例外があっても」 「怖いです」 「コナツの方が赤ちゃんのくせにさぁ」 「えっ」 常に大人の対応をしているつもりだが、いつそんな駄々をこねたのだろうかと櫛を持ったまま考える。 「寝てる時たまに指しゃぶってるよ」 「ええッ」 「可愛いんだ、これがまた」 「そ、そんなはずないです!」 寝ている時の記憶はないからはっきりと言い切れないが、そんな癖はなかったし普段もしたことはない。 「指噛んでる時もあるけど」 「えっ」 「あとはオレに蹴りを入れる」 「うそっ」 寝相には絶対的な自信があった。 「っていうかあれは絶対寝ぼけているのを装ってわざとやってると思う」 「そんなバカな!」 仮にも上司を脚で蹴ることはないし、してはならないことだと思う。 「でもね、夜中に目を覚ますとオレを探して見つけた途端ぴったりくっついてくるから、それで帳消し」 「いっ、いつ私がそんなことを!」 「夜中。覚えてないだろうけど、眠り浅いのかな? 途中で起きてオレを探すんだよ、きょろきょろって。そんでオレが目を覚ましてるのを見て、にこーって笑ってオレにべったり」 「えー!」 「何、話作ってると思ってんの?」 「少佐の願望じゃないんですか」 「願望!? 願望だったらもっと違うこと考えるよ!」 ヒュウガが言うのを、 「え、あ、そうですか。そうですね、少佐なら変なこと考えますよね」 「ちょ、納得しないで」 「でも、私は指噛んだり少佐にくっつくとか、そんな恥ずかしいことしません」 「気持ちは分かるけど、実際してるんだから仕方ないじゃん」 「絶対嘘ですよね」 「信じたくないのも分かるけど。なら、もっと言おうか?」 「……」 一体何を言われるのだろうと怖くなった。 「じゃあ、寝てる時のことは言わないよ。普段の生活のことでも沢山あるし」 「普段のことですか!?」 「うん、仕事中に考え事してる時に前髪引っ張る癖も面白いよねー」 「あ……」 「書類を読む時は右側にわずかに首が傾く!」 「え」 「仕事以外のことだと、爪切る時の顔がすっごく真剣で見てると面白いし。切りにくいところになると口が尖るんだよね、知ってた?」 「そんなことまで!」 自分では気付かなかったことが暴露されていく。 「っていうか、やることなすこと全部可愛い!」 「またそれですか」 どうしてもそういう結論になってしまうのなら、落胆だけが増えていく気がした。 「あ、でもかっこいいところもあるよ」 「何処です!?」 コナツが食いつく。 「稽古中」 「えっ」 「刀を構える仕草がぐんと男っぽくなった。殺陣の時なんて抜群のかっこよさだよ。オレ、痺れちゃってさ、ああもう抱いて! ってなるもん」 「……」 「でも稽古終わるとカワイコちゃんに戻っちゃうから抱きたくなるんだけどねー」 「……っ」 心中、複雑である。 「刀振ってる時のコナツは目つきとか雰囲気とか、めちゃくちゃかっこいいんだよ」 「それは……」 ヒュウガに教えられているからであり、殺陣もヒュウガに倣っているからだと思う。だが、それは言えなかったし、コナツ自身、ヒュウガと稽古をしていてヒュウガにどうしようもないくらい見惚れ、稽古中に不謹慎だが今すぐ抱かれたいと思うこともしばしばあるのだ。 「なんかコナツのこと言ってたらキリがなくなっちゃう。延々と続くな、これ」 「そんな……」 コナツが顔を赤くした。行動を共にすることの多い二人だが、互いの癖や仕草を知りすぎるほど知り、それが当たり前のようになってしまった。空気のような存在になったからといって惰性的になることもなく、いつだって新鮮な関係のままだ。 「っていうか、今言ったやつは全部オレの好きなところなのかもねー」 ヒュウガが笑顔を絶やさずに言う。 「私だって少佐の癖とか好きな所はいっぱい言えますよ! 私の方が少佐のこと見てます。直属の部下ですよ? 見て、追って、倣わなければいけない存在なんですから。仕事サボるのだけは真似しませんけど!」 コナツが負けじと言い返すと、 「オレは別に特徴なんかないし癖なんてないでしょ?」 ヒュウガの答えは意外なものだった。 「少佐ほど癖のある人物はそう居ないと……」 「なんでよ。オレ、デキる男だけど特に変わったところなんてないから」 「ええっ、ありすぎです!」 「そうなの?」 「読めないし喰えないし、いつも飄々としていて掴み所がありません。そのくせ一癖も二癖もあってこちらは振り回されてばかり」 コナツは普段の苦労をぼやく。 「えー? コナツの方こそクールで真面目すぎて扱いにくいほど一筋縄じゃいかないじゃん」 「それは褒められている気がしませんが……」 「一応褒めてる」 「そうですか。私、少佐の好きなところはいっぱいあるんですよね。少佐のこと考えるとドキドキしてくるし」 胸を押さえてそんなことを呟くコナツがしおらしかった。ヒュウガは興奮を隠し切れず、思わずコナツを抱きしめたくなった。 「なんか昇天ものの告白されちゃったなー」 「恥ずかしいですね」 告白など、今まで何度も繰り返されていることである。だが、それはいつだって相手を喜ばせ、想いを深くする。 「好きなところって言われると何処なのか聞きたくなるよね」 「今まで何度か言ってますが……まだ教えてないところもあります」 「えっ、それ知りたい」 「ですから……あの……」 「焦らさないでさぁ」 「焦らしてません、ちょっと言いづらいんです」 「……何、まさか下半身とか言わないよね」 「ぶっ! 朝から何です!?」 「だって言いづらいとか言うから」 「どちらかというと下ではなく上です」 「上?」 「髪」 「えっ、髪!? オレの!?」 意外な答えにヒュウガは驚いて聞き返した。 「はい」 「マジで?」 「黒髪っていいですよね」 「それはないものねだり!?」 逆にヒュウガはアヤナミのシルバーブルーの髪やコナツの金髪に興味を抱いている。 「なんでしょうね、少佐の髪を洗っているうちに、いいなぁ、深い色だなぁ、ブラックホールみたいだな……って」 「宇宙!?」 「というのは冗談ですが、髪質も私とは違うし、なんかこう……いらやしいというか」 「髪がいらやしい!?」 「うーん……環境がいけないのかなぁ」 「え? え? どういうこと?」 「さっきみたいに髪を梳かすのはいいんですが、私が少佐の髪を触る時って……その、ええと……」 ベッドの中なのである。正常位で覆われてキスを交わす時は特に、コナツはヒュウガの背に腕を回すより、髪を触ることのほうが多くなった。 「ああ、アレの最中ね、それは分かってたけど」 「もう、少佐がいやらしいからです」 「何、その結論」 「あと、私、少佐の匂いが好きで……」 女性の香水ならば分かるが、ヒュウガも趣味は良く、使っている香水やフォーマルなイベント時に使う整髪料などはコナツの好きな香りだったし、アイテム以外、何も使わずとも本人の体臭が好みなのだった。そして、これもまたベッドでの行為の時には風呂上りのいい匂いにも酔ってしまう。 「それはオレの方だけど……オレ、いつもクンクン嗅いでるの知ってるよね?」 「あー、頭の上で何をやっているのかと思うと私の匂い嗅いでますよね」 「うん、いつもいい香りがするから」 「私のは知りませんが、少佐のは、多分……最近気付いたんですが、あれもあるかもしれません」 「あれって?」 「フェロモンかと」 「は?」 メンズフェロモンと呼ばれるものである。無香だが、人間にはフェロモンを嗅ぎ取る鋤鼻器官が存在する。コナツにはヒュウガに対し、このフレーメン反応が起こるのだった。 「だから、少佐が発情してると分かるように……」 「ほんと!? でもオレ、コナツには年中発情してるけど!?」 「……」 「それならコナツも同じようなことあるよ。すっごいいい香り出してる時って、顔に出るし。っていうか体型?」 「え?」 「排卵でもしてるんじゃないかって思うよ」 「……」 聞き慣れない台詞に一瞬固まったが、 「私、女じゃないんで」 冷静に応対した。 「だって、顔も躯も襲いたいくらいいやらしくなるんだよ」 「それは少佐の欲目なのでは?」 「違うって。クロたんにも言われるしカツラギさんもすぐに気付くよ。だからたまにこっそり『今夜はコナツ抱いた方がいい』って助言されるくらいだ」 「そんなことが! でも私、なんだか淫乱みたいじゃないですか」 「そういうんじゃないけど」 「それはフェロモンとは違う気がします。少佐のは、ほんとに男って感じのだし」 「あー、コナツのは可憐なオーラだからなぁ」 「可憐! 嬉しくない」 「まぁまぁ、そう言わずに」 「って、何でこんな話になってるんでしょう」 ハタ、と気付いてコナツが難しい顔をした。 「お前が振って来たんじゃん」 「あれ、そうでしたか」 「ほんと、天然入ってるなぁ」 「すみません」 「こんなんじゃ仕事出来そうにないよ」 ヒュウガがぼやく。 「だからってお仕事サボらないで下さい。まだ始まってもいないのに」 「あー、どうしようかなぁ」 「少佐!」 「午前中は参謀部に居るつもりだけど」 「午後からサボる気満々なんですね」 「うん」 悪びれもなく返事をすると、 「じゃあ、私もついていきます」 「え?」 「参謀部を抜けられるんでしょう? 私もお供しますよ」 「ちょ、サボるの?」 「はい!」 元気いっぱいに答えるコナツだが、 「書類を沢山持って行きます!」 それはサボるとは言わない。 「何それ」 「午後はどちらへお出掛けですか?」 「いや、何処って……決まってない」 「出来れば室内がいいですけど、こうなったら何処でもいいです。あ、でも机と椅子がないと不便かなぁ。取り敢えず外で地べたに座ってでも書類は書けますかね」 「無理でしょ」 「そうですか?」 「っていうか、それはサボりとは言わないから」 「……あー、じゃあ、言い換えれば少佐の監視ということになりますね」 「こわ!」 「なーんて、単に私がそばに居たいだけです」 「わー、そうなの? じゃあついてきてもいいよ!」 「はい! ついていきます! ……ではなく」 「え、駄目?」 「サボりは許しません」 「なんでよー、一緒に来るって言ったじゃん」 「冗談に決まってるじゃないですか。ほんとに冗談が通じないですね」 いつも言われている台詞を言い返した。 「コナツ〜、最近ますます厳しいよぉ」 「当たり前です!」 「そんなところが魅力なんだけどね」 「……」 「わざと怒らせて、わざと困らせて、目一杯手がかかるように仕向ける、それがオレの目的」 「やはり」 「コナツの気を引こうと必死よ?」 「そんなこと……しなくても私は……」 「うん、オレのこと見てくれるよね」 「全部分かってるじゃないですか」 「そりゃあね」 「だから私、結局少佐にはお手上げなんです」 「そう?」 「もう適いません」 「まだまだでしょー?」 「出会いから今までの少佐とのことでしたら幾らでも話せますけどね」 「よし、じゃあ、昼休み恋バナしよっか」 「え? こっ、恋バナって……」 そんなものは男同士が語り合うことではないと思うし、女の子の友達同士が自分の恋の相手について秘密を打ち明けるようなものである。 「オレ、コナツの話なら幾らでも出来るよ!」 「何か違う……」 「いいから、付き合って」 「だってお互いのことを話すんですよね?」 「そうだよ」 「恥ずかしいじゃないですか」 「気にしない、気にしない」 「私、そういうの苦手です」 「うーん、実はちょっと相談があるからオレの話を聞いて欲しいんだ」 「相談!? 少佐が!?」 コナツが急展開に驚いていると、ヒュウガは顎に手を当てて考え込むように呟いた。 「あー、報告っていうか」 「えっ」 一体何の話をされるのか気になるところだが、 「じゃあ、コナツはオレに聞きたいこととかない?」 「!?」 「もちろん、恋愛に関することでさ」 「……」 「オレもコナツに聞きたいことあるし、報告やら質問攻めやら盛りだくさんな内容になると思う」 まるで女子会のようなノリである。そういった類の騒ぎが得意ではないコナツは、既に難しい顔をして首を傾げていた。 「少佐に聞きたいこと……って」 「そんなに深く考えなくてもいいよ」 そう言われ、少し考えてから口を開いた。 「例えば好きな女性のタイプについてとか? そうことなら聞いてみたいと思っていたところです。恋人にしたい相手と結婚相手としての違いとか」 「……!」 ヒュウガは驚いた表情になり、コナツを見つめた。 「どうなさいました?」 「そんなこと聞きたいの?」 「駄目ですか」 「意外っていうか、偶然?」 「え?」 「ちょうどオレもそんな話したかったから」 「そうなんですか!?」 「じゃあ、昼休みに話そう」 そう言って足早に歩き始め、必死で追いかけるコナツを肩越しに見つめた後、 「ほら、ちゃんとついて来て」 いつもの笑みを見せている。だが、参謀部のドアの前まで来ると人目のないことを確認し、突然振り返ってコナツの腕を引っ張った。 「わぁっ」 声を上げて驚くのをヒュウガは「シッ」と人差し指をくちびるに当て嗜め、躯を抱き寄せ腰に手を回す。 「少佐!?」 「ほんと、コナツ、いいタイミングでいい質問をしてくれる」 「えっ!?」 言葉の意味が分からず、その内容を理解するまでに数秒かかった。 「まるでこうなることが分かってたみたいだね」 「えっ、あの!?」 「運命だよなぁ」 「!?」 コナツは言葉もなく、唖然としたままヒュウガを見つめる。その場の状況が全く理解できないのである。 そしてヒュウガは互いの距離を作ってから参謀部のドアを開け、颯爽と中に入っていった。メンバーが慌しく動き回っているのが見え、まもなく就業時間だということが分かる。 結局コナツは何を言われたのか分からず立ち止まっていたが、先に歩いていったヒュウガの独り言だけは聞き逃さなかった。 「ちょうど彼女の存在を紹介しようと思ってたとこだし」 「!?」 間違いなく”彼女”という単語が出てきたことは理解した。コナツは真っ青になりヒュウガの後を追いかけ、 「少佐……あの!」 慌てて呼び止めると、 「どうしたの?」 「お昼……今日……」 「何? もしかして先約が?」 「いいえ……仕事が長引くかもしれませんが……ただ……いいタイミングで質問ってどういう意味ですか」 どうしても気になって言葉を濁しながら訊いてみた。 「そのままの意味だよ。オレに好きな女性のタイプを聞いてくるなんて、墓穴を掘るにもほどがある」 「えっ」 「まぁ、いつかはバレることだし。っていうかバレてるのか。それはお昼休みに詳しく話そうね」 「も、もしかして別れ話になるんじゃ……」 「あ!? 最悪そうかも」 「な……!」 コナツが震えていると、ヒュウガが真面目な顔で答える。二の句が継げず、挙動不審になりかけたところで、 「コナツの机、書類がいっぱい」 苦い顔で冷静にヒュウガが呟く。 「!」 そろそろ仕事に取り掛からなければならないし、本来はそちらの方が重要だった。だが、コナツにとってはヒュウガとのことのほうが死活問題だと本気で思う。 しかし、問いただす間もなく時間になり、机を見れば大量の書類が次々に届けられ、憂慮している暇もなく任務に就き、他のことを考える余裕もないほど既に激務が約束されてしまった。 すぐにコナツはカツラギに呼ばれてヒュウガのそばから離れなければならなかったが、不安な顔で振り返ると、ヒュウガはにこにこ笑って手を振っていた。その様子がいつもと変わらず、それが余計に悲しくなり、コナツは暗い心のまま仕事の段取りを聞いていた。 突然のことで頭が真っ白になる。 (どうして? 彼女? どういう……こと?) さきほどまではそんな雰囲気などなかった。別れはこうも急にやってくるのだろうか、恋愛経験のないコナツには状況が全く飲み込めない。想像すらしていなかった展開に躯の力が抜けていく。 (しっかりしなくちゃ) そう思って気合いを入れるも、気が散って仕事に集中出来ず、カツラギから要綱を聞いている間もヒュウガばかり目で追ってしまい、カツラギにヒュウガと何かあったのか、そんなに上司が恋しいのかと訊かれる始末だった。 (彼女? 本当に居るの? 今までそんなこと一度も言われたことがない。もしかして最近出来たとか。だとすれば辻褄が合う) 書類を持ったまま立ち尽くしては辺りの人間に声を掛けられてハッとし、このままではいけないと戒めようとするが、 (そうなると、もう今までのように愛情は掛けて貰えないのだろうか) そんなことばかりを考えてしまう。 遊びと本気を分けて考えれば、コナツは男であるから、ヒュウガにとっては手軽な遊び相手にしかならないだろう。 (でも、あんなに私を好きだと言ってくれたのに) それはそれ、これはこれ、この事実が大人の世界だと言わんばかり、コナツには理解の出来ない局面を迎えてしまった。 軍人になるために士官学校に入った。立派な軍人になりたくてバルスブルグ帝国軍陸軍に入幕したのだから、愛だの恋だの、誰が好きだのと浮ついている暇はないはずだった。そんな甘い考えで仕事をしていたら軍人としての認識を問われる。 (そうか。恋愛ごっこはもう終わりにするべきだということか。私は一通りのことを少佐に教わっただけ。人を好きになる気持ちと、愛することと愛されること、そして躯の関係。……でも……) 離れるのは嫌だった。 一人になるのが怖いわけではなく、誰かに依存して生きていこうとも思っていない。だが、ヒュウガのそばに居たい、もっと色んなことを学び、躯の繋がりだけではなく、心で想い、信じあい、信頼し合える相手を失いたくない。 (深く堕ちてしまった私がいけないんだ。少佐はいつだって冷静で動じない。現にちゃんと彼女も見つけてしまっている) コナツは自分を責めた。 (私がこれ以上夢中にならないように、そろそろ現実を見るべきだということか) 後になって自分が愚かだと気付くことがある。そしてそれに気付いた時、心に大きな傷を負うことをコナツは知らなかった。 (少佐も男同士で部下に手を出して、いつまでも遊んでばかりはいられないのだろうし) 今までのことは間違いだったと片付けるつもりはない。いい思い出にしたいが、そうなるまでには時間がかかるだろう。 (これって失恋?) コナツは苦悩を胸に抱いて、悲しみの余りくちびるを噛み締めた。 (だったら優しくしないで欲しかった。熱く愛してくれなくてもよかった。好きだと言わないで欲しかった) 甘く接した上司も悪いのだと思う。これが世間勉強だと言われればそれまでだが、右も左も分からない部下に手を出したのはヒュウガなのだ。 (そう思うのは結果論か) 考えれば考えるたびに今度はヒュウガを目で追うのが怖くなった。ヒュウガもそうなのか、コナツがずっと視線を注いでいたにもかかわらず、一度も目が合っていない。ヒュウガの方がコナツを避けているとしか思えなかった。 (どうしよう、私……) 昼に会うのが辛い。 ほとんど一緒に昼食を摂っているから必ずどちらかが迎えに行ったり待っていたりするのが当たり前になっているが、出来ることなら現実への目覚めはまだ先延ばしにしたい。 (駄目駄目、冷静にならなくちゃ。急には無理でも、少しずつ距離を置くべき) 涙が出そうだった。 (昼にはもう優しくして貰えなくなるのかな。いつから素っ気無くされるのだろう。今日限りで触れられることはなくなるのか) そんなことを考えていた時、急を要する仕事が舞い込んできた。午前中に仕上がった書類を司令本部まで届け、そちらで用意された書類を確認した後、各部に仕分けて配るという行動範囲の広いものだった。本来ならシュリでも誰でも助手を連れて手分けをするなり何なりと手段は幾つかあったが、コナツは一人ですべて引き受けることにした。 (お昼……摂れなくなっちゃうかな。でも、何だか食欲ないや) 辺りを見回せばヒュウガは居なくなっている。 (もうサボり……?) 居ないとすぐにそう思ってしまうのもいいのか悪いのか、苦笑いが漏れた。 コナツは目の前にある処理しなければいけない自分の仕事を片付け、頼まれていた膨大な書類を抱えると、そばに居た人間に席を外すとだけ伝えて参謀部から出て行った。 「重い!」 たかが紙切れでも量が多ければ相当の重さになる。コナツは手早く済ませてしまおうと思い、急いで司令本部へ向かった。 長い距離を歩いてやっと辿り着き、中に入ると、 「あれ、これからお昼なのにどうしたの?」 顔見知りの副司令官に会う。 「お疲れ様です。そちらから頼まれていた書類をお持ちしました。参謀部で頂きたい書類もあるので確認お願い出来ますか」 「ああ、そうか、そういえばそんなこと聞いたなぁ、ちょっと待っててね」 副司令官はコナツを近くの椅子に座らせて書類を受け取った。 「重! こんなのよく持って来られたね」 「大変でした」 コナツが言うと、 「顔は可愛いのに力持ちなんだねぇ」 副司令官は破顔一笑し、コナツをからかった。整った面持ちはコナツの目から見ても溜め息が出るほど男前で無意識にドキリとしてしまう。しかし、言われた一言が納得出来ない。 「可愛いって、副司令官までそのようなことを仰って……」 コナツが困惑した。 「え? ということは他の誰かにも言われてるの?」 「あっ、いえ」 いつもの癖でそう答えるようになってしまったが、他人には疑問に感じる返答でしかなかったのだ。 「まさかアヤナミ参謀長官が?」 「それはありません!」 全身で否定すると、 「そうか。じゃあ、やっぱり君の直属の上司だね」 「えっ? 誰?」 ヒュウガのことだと分かったが、反射的に知らない素振りをしてしまった。 「やっぱり彼も君に可愛いと言って迫るの?」 「はっ?」 何を言い出すのだろうと驚いていると、 「口説かれてるでしょ?」 「くどっ!? 一体何の話です!?」 「隠さなくてもいいよ」 「そのようなことを仰られても困ります」 今まではそういう関係だったが現在は違う。ヒュウガには意中の人が居て、それを今日知らされたばかりとはいえ、コナツ自身ショックを受けているのに、こんな話題でますます悲しい思いをするのが辛かった。 「困る必要ないじゃない、彼、色男だもん、口説かれたらたまんないでしょう?」 「色男!?」 他人の目から見てもそう映るのだろうかとコナツはハッとする。 「うん、背も高いし、スタイルもいいし、強いし仕事出来るし。男の私から見ても妙な色気がある」 「それはどうでしょう。私にとっては上司ですから」 「ただの上司?」 副司令官は悪乗りするついでに鎌をかけるように訊ねたが、 「優しい方です。それにとても頼りになる」 本人が聞いたらひっくり返りそうな答えが出てきたのだった。 決して他人の前でヒュウガを悪く言うことはない。本当ならサボり魔だの遅刻魔だのと、こき下ろすところだが、それではヒュウガの顔に泥を塗ることになる。 「それだけ? ほんとに何もないの?」 「はい」 やましいことはない。秘密は沢山あっても、今はもう、後ろめたいと思うことはなかった。しかも今日限りで今までの関係が終わるのだ。 「そうか、良かった。ということは、私にも君を口説くチャンスがあるってことだよね」 副司令官はそう捕らえてしまったのだった。 「えっ? あ、あの!?」 一体、この展開は何だろう。 コナツは考えがまとまらずに呆けたような顔をして副司令官を見つめた。 「どう? これから一緒にお昼でも。奢るよ?」 「は? え? いえ、私はまだ仕事が残っていますので」 「ガードが固いなぁ」 「申し訳ありません」 「私と食事をするのも仕事のうちだと考えて貰えると有難いんだけどね」 「……」 これをどう切り抜けるか、どうすれば事が大きくならずに済むのか方法を考えながら、コナツは冷や汗が止まらなくなるのだった。 「だったら仕事中じゃない時に誘うべきかな?」 「!?」 (私を好きだということ?) 今頃気付いたコナツも反応が鈍い部類に入るかもしれないが、何かの間違いだという先入観から意識的に気付かないようにしていたせいもある。 「別に今とって喰おうってわけじゃなくて、単に昼飯一緒にどうってことだから、そんなに難しく考えないで欲しいなぁ」 「はぁ」 ナンパではないのだと説明したが、コナツはどうしても構えてしまう。 「……そんな困った顔で見つめられたら適わないな。君、童顔だよね」 「ええっ」 意味が繋がらない上に、余り言われたくないことをはっきりと言われてしまった。 「まだ若いし、いい男になるだろうねぇ。きっとモテるようになるよ」 「お褒め頂き光栄ですが、そういった人気や他人からの好意は私には必要のないことです」 嬉しい台詞のはずが、胸に響くこともない。 「おやおや、随分ストイックだねぇ」 「そうでしょうか」 「折角だから一人の時に色々聞いてみたいよ、君の趣味とか」 「!」 これは完全にナンパではないのかと思ったが、確定出来ないので断りようもない。 「もっとプライベートなことで女の子の好みとかね。彼女は居るの? 居ないよね?」 「!!」 唖然とした。当たっているが、第三者から言われる筋合いはなかった。 「女の子に興味なさそう。いや、本当だったら普通にあるんだろうけど、そんなの必要ないし、考えたことないって顔してるね」 「そっ、それは……今の私は仕事を覚えて自分一人の力で生きるのに精一杯です」 一番の問題はこれである。異性に現を抜かしている余裕はないのだった。それより、ヒュウガのことが気になって居ても立ってもいられないというのに。 「仕事好きそうだね、真面目だなぁ」 「仕事をしていると落ち着きます」 「えー、普通は仕事しないでラクに生きていけるならなるべくしたくないでしょー?」 司令本部の副司令官の台詞とは思えなかった。それどころか何故かヒュウガの顔が浮かぶ。 コナツが呆然としていると、時計を見た副司令官は肩を竦めた。 「ああ、君に興味を示すあまりに時間をとらせてしまった。すまないね。また改めて機会を作ってくれると有り難いんだけど」 「改めて機会とは?」 「君に会いたいってこと。説明しないと分かって貰えないかな?」 「……お仕事の話を?」 「もしかして仕事の話抜きで会うのは駄目?」 「プライベートで会うような間柄でもありませんし……」 友達でも親しい仲でもない。 「うーん、難しいねぇ」 副司令官が困った顔をした。 「どうされました?」 「デートのお誘いって言ったら引く?」 「!!」 いずれこう来るのではないかと思って恐れていたことが現実になった。 「ごっ、ご冗だ……」 「冗談じゃなく」 「……」 コナツが顔面蒼白になっていた。 「ふぅ、君を困らせると良心が痛む」 「あ……」 「てっきり気持ち悪いって言われると思ったけど、暴言に当たると思って控えたかな?」 「えっ」 「それとも、こういったことに免疫があるとか?」 「なっ」 どこまでも図星をついてくる。だが、ここで肯定するわけにはいかないと思い、コナツは歯を食いしばった。 「ごめん、ごめん、君にそんな顔させるつもりはなかった。なんだか構いたくなるけど、君には迷惑なのだろうね」 副司令官はそう言って席を立ち、コナツが本来済ませたかった仕事の処理を手早く行い、再び大量の書類を持ってやってきた。 「これ、一人で持てる? 色々回るんだろう?」 「はい。大丈夫です、慣れていますから」 「そう? ここは手伝いたいところだけど、しつこくして嫌われると何だからやめておく。でも、大変だったらすぐに呼んで。喜んでお手伝いさせて頂くよ」 「えっ」 コナツはまだ新人扱いされていもいいほど若いし、部署も違うお偉方に仕事を手伝って貰うなど普通は有り得ない話である。 「あ、私は誰にでもこんなこと言うわけじゃないよ、君だからだよ」 コナツの心情を見透かしてか、にっこり笑って付け加える。 「……勿体無いお言葉、お気持ちだけで嬉しいです。有り難うございます」 あくまでも当たり障りなく、優等生の受け答えで乗り切るが、両手が塞がっているために、 副司令官はコナツの腰に軽く触れながらドアまでエスコートし、 「またいつでもいらっしゃい。仕事以外のことでも寄ってくれて構わないよ。今度は美味しいコーヒーをご馳走しよう」 「!」 「あはは、そんなに驚いて。ほんと、可愛いね」 「……っ」 「仕事じゃなくて、ここが本部じゃなかったら君を部屋から出さなかっただろうな」 「な!」 「冗談だよ。じゃあ、気を付けてね」 最後は見蕩れてしまうような笑顔で見送られた。とにかくハンサムなのだ。前から見ても横から見ても溜め息が漏れるほど整った顔立ちと精悍な雰囲気、それに加えて甘く優しいオーラがある。女性は一目見ただけで恋に堕ち、男性から見ても惚れ惚れするほどの男前な高官だった。 コナツは司令本部から出て、廊下に一歩踏み出した途端、 「どうして私にあのような……! しかもイケメンが!」 書類を抱えたまま独り言を呟いてヘナヘナと座り込んでしまった。 何故、地位も権威も容貌と人格に恵まれた手の届かないような男性から意味深な誘いを受けるのか。コナツはまだ新人であり、自分では目立たない方だと思っている。それなのに。 冷や汗をかいたまま立てずにいると、コナツの目の前で誰かが立ち止まった。 「大丈夫? 隙があるから付け込まれるんだよ」 「えっ!? アッ!?」 いきなり頭上から声がして驚きながら見上げると、そこに居たのはヒュウガだった。 「少佐ッ!?」 今度は腰を抜かして立ち上げれなくなる。 「ほら、書類持つよ」 ヒュウガはコナツから書類を取り上げて笑っていた。 「っていうか立てないの? 抱っこしようか〜?」 「なっ、どうしてここに!?」 「心配だからついてきたんでしょ」 「だって!」 「オレが参謀部に居ないからサボってると思ったの?」 「……はい」 「サボってる時だってコナツのこと考えてるし、見てるよ」 「!!」 「ストーカーみたいでしょ?」 ヒュウガが笑っていた。だが、いつもの笑みと違い、空恐ろしいものを感じ取ったコナツは、 「あ、あの……私」 何か言葉を探したが、当意即妙な対応は出来なかった。 「今は話はいい。仕事片付けよう」 「ですが」 「後でね」 「!」 (少佐は怒っている) そう思った。 結局、ヒュウガと一緒に各部署を回ることになったコナツは、緊張した面持ちで固まっていた。その間、一言も発せず、業務連絡以外は無言だった。 1時間かけて終えた役回りは、一人だったら倍の時間はかかっていたことだろう。 単独で出来ないことを安易に引き受けたのではなく、出来ることだし、昼を潰すにはそうするしかないと思ったのだ。こうしてヒュウガがそばに居ることは計算外だったが、ここでまた、どうしてヒュウガがそばにいるのかも不思議なのだった。 (心配だからついてきた? そんなに私は頼りないだろうか。このくらいの仕事なら一人でも出来るのに) そう思うと少しだけ悲しくなった。それなら最初からシュリを連れて回った方が良かったのかもしれないと後悔してしまう。 「申し訳ありません、お手伝い頂いて」 全て終えた後にコナツが頭を下げると、 「コナツが謝ることじゃないでしょ。それより一人で引き受けちゃって、勝手に居なくなるからオレを避けてるとしか思えなかったんだけど?」 「えっ、そ、それは……」 「オレの勘違い?」 笑顔が消えているヒュウガは、いつものように冗談で済ませようとせず真剣な顔で訊ねた。始めは笑ってごまかそうとしたコナツだが、その手は通じないと思い、 「……私を避けていたのは少佐の方では」 感じていたことを正直に告げる。 「コナツを避ける? なんで?」 「だって、参謀部に居る間は目も合わないし、居なくなるし。不自然な気がしました」 「……ああ、意識してたからね」 「意識?」 「何て言おうかと」 「!?」 別れ話の切り出し方について考えていたのだろうと推量する。 「けれど、何よりオレに女性の好みを聞いてきたのはなんでか逆にオレが知りたい」 「えっ」 「コナツが女の子の話題振るなんて、もしかして、そういう人見つけて早く落ち着けとか言うんじゃないよね? 前にもさっさと所帯持てば、みたいなこと言われたけど」 「違います」 コナツは慌てて否定した。そんなつもりで聞いたのではなかったのに。 「てっきり、オレのことなんかどうでもよくて、女とくっついちゃえばいいと思ってるのかと」 「まさか!」 「違うの?」 「……」 だが、コナツの心情としては、ヒュウガの台詞も一理あるのだった。それは……。 「少し、恐れていることでもあります」 「は?」 「少佐、可愛い子に目がないし、私などつまらないからいつ飽きられるのかと正直不安です」 「何言ってんの?」 ヒュウガには今更な告白だった。 「だって、最近軍に若くて可愛い子が入ってきたことで喜んでいらしたでしょう」 近頃はアヤナミが人気で、彼を目当てに入隊する女子が増え、それに対してカツラギとヒュウガが両手を合わせて嬉しそうにしているところを見てしまった。 「ああ、喜んでたね。女の子が入ってくれると華やかになるし。戦力どうのっていうより、目の保養?」 「ほら。だから私は、少佐の好みの子を聞いたんです」 「聞いてどうしようと思ったの」 「そんな子が現れたら用心しようかと思っていました」 「!!」 今度はヒュウガが驚く番だった。 「間違いなく少佐はその子の目を付けられます。アプローチして相手の子がもし少佐に傾けば、それで決まりじゃないですか」 「えっ、決まりって勝手に決めないでよ」 ヒュウガが身振りを加えて否定しようとすると、 「でも、つまみ食いくらいはするかもしれません」 「……」 それも有りかもしれないと思える台詞が出てきてヒュウガが黙り込む。しかし、 「オレはそこまで不誠実じゃないよ。コナツに対してはね」 ヒュウガは真剣な表情を崩さなかった。 「ですが……」 「こんなに目をかけたのも手塩にかけたのもお前だけ」 「……」 確かにそうだ。ベグライターをつけることのなかったヒュウガが自らスカウトをしたようなもので、それから数年、ずっと一緒に居る。その大きな意味が分からなかったわけではないが……。 「正直言って、女性の好みを聞かれた時点でコナツはオレに興味がないのかと思っちゃった」 「何故そうなるのです」 「女の子から聞かれるならまだしも、コナツが言うってことは、早くそういう好みの子を見つけて付き合えばって言われてるみたいだったから」 「そんなつもりでは!」 「だから面白くなかった。ちょっと傷心気味だったの」 「そうだったんですか!?」 「だけど、そうじゃなくて、用心するために好みを子を聞いたってことか」 「はい」 「どこまでツボなことしてくれるんだか」 「ツボですか?」 「それって嫉妬だよね? オレが『可愛い子がいるー』って喜んでたのを見て妬いちゃった?」 「そう、です」 「うわぁ、コナツってばぁ!」 ヒュウガがようやく笑った。するとコナツの容赦ない一言が飛んでくる。 「少佐は危険だから」 「!?」 「若くて可愛い子には対応が違うし」 「……」 「口もうまいから唆すのも得意だし」 「……えと」 「ちょっとくらいなら、バレなければ、なんて思いながら手を出しそうだし」 「それは酷い。今、コナツへの思いを言ったばかりでしょー!」 「だって少佐、私は私、他は他って区別つけそうで。私には真剣だと言っておきながら他は遊びっていう。遊ぶけど私のところには帰ってくるって。私は狭量だからそんなの嫌なんです」 「うおっ」 どれだけ信用されていないのかと落ち込むも、 「少佐は大人の男だから私にはまだ手が届かない。引き止める権利も自由を奪う権利もない。どう足掻いたって無理なのに、私は我儘を……」 「嫉妬が我儘!?」 「すみません、どうでもいいことばかり」 嫉妬も、我慢も、今となっては全て無駄な感情だ。 「そんなに思いつめなくても」 「私、何でも難しく考えすぎてしまうのかもしれません」 「コナツ……」 もう自分の心は打ち明けた。 軍に可愛い子が増えて憂慮したものの、その必要はなくなり、今までヒュウガが大事にしてくれたことも聞いたし、思い残すことはない。まだ気持ちは晴れず、本当は口にするのも怖かったが、 「ね、少佐、彼女って紹介してくれないんですか?」 そう訊ねた。 「……いいの?」 「はい。隠しても仕方がないですし。私も腹を決めましたよ」 無理に笑顔を作ったために頬が引きつる。このぎこちなさがヒュウガにバレていなければいいが、鋭いヒュウガにはお見通しだろう。 「紹介するなら本人連れてこないとね」 「……」 実際に目の前で紹介されたら、その場で冷静でいられるか自信はない。だが、この関係にピリオドを打つべきだし、しつこく縋り付くようなみっともない真似はしたくなかった。 「決心鈍るでしょ。何だか嫌そうだ」 「それは大丈夫です。というか、興味あるし」 「興味? コナツ、怒りそうだけどな」 「まさか」 「ほんとにいいの?」 「平気です」 コナツが目を伏せた。悲しそうな顔は一瞬だけ儚い弱さを垣間見せたが、淡い色のくちびるで無理に笑顔を作っても、ヒュウガを見上げることは出来なかった。 対してヒュウガは打ちひしがれている部下を見つめ、 (……睫、長いな) そんなことを思っていた。 (肌が綺麗だ……若いからか。髭なんて一生生えて来ないんじゃ) そんなことも思っている。 「コナツ、場所を変えよう」 ヒュウガがそれだけ言って先を歩いていった。 「少佐!」 「お昼摂ってないんだから、時間はズレたけど今からお昼休憩にするから」 「えっ」 「食べたくないならそれでいい。だけどお茶くらいは付き合ってくれてもいいよね?」 「な……」 コナツは何も言えないままヒュウガの後をついていったが、その後姿を見ているだけで抱きつきたい衝動に駆られた。軍服を着たままの背中にも焦がれるが、裸の背中も好きだった。首の太さも、肩の広さも長い腕、無駄のない筋肉と骨格、何もかもが眩しく理想的で同性であるのにときめいた。男として高鳴るのか、女の視点で性的魅力に惹かれるのか混同するくらい、すべてが好きだと思った。 それほどまでに想っているのに、この気持ちが実らないのは仕方がないと諦めるしかなく。 (悲しくて、消えていなくなってしまいたい) 涙が零れそうだったが、ここは明るく対処すべきだと思ったし、格好悪い姿を見せるのも嫌だった。 二人は食堂内にあるカフェに移動したが、食欲のないコナツはコーヒーだけを注文した。だがヒュウガはパンケーキにオレンジジュース、あんみつなど一貫性のない甘いものばかりをオーダーし、 「野菜が足りていませんよ!」 コナツに叱られていた。 「コナツだってコーヒーしか飲まないくせに。食べないよりはいいよ」 「私は食欲がないだけで」 「サラダ貰って来る」 ヒュウガは一旦席を外し、食堂からサラダの盛り合わせを買ってきたのだった。 「食欲旺盛っていうより、物凄い組み合わせですが?」 「そうだね。でも、さすがにこれじゃあ食べきれないからコナツ半分貰って?」 「えっ」 これもヒュウガの作戦なのかもしれない。 「無理やり口に突っ込んでもいい?」 かなり強引だが、気持ちとしては、そこまで無理強いしたいほどなのである。 「それは!」 ここでそんなことをすればかなり悪目立ちしてしまう。ただでさえ恐れられているブラックホークのメンバーが騒ぎを起こせば大問題になりかねない。 コナツが何も言い返せず困り果てていると、 「食欲ないなら一口でも」 ヒュウガの声音が突然優しくなる。 「……」 「それ以上痩せたら骨と皮だけになっちゃうよ。せっかく付けた筋肉だって落ちちゃう」 たった一食抜かしただけでも気になるし、心から心配している。 「いや、そこまで酷くありません」 「抱き心地悪いっていうより、可哀相で抱けなくなるし」 「な……」 「強く抱きしめて、また肋骨折れたらどうしようとか」 「折れません」 「腕の骨折れたら大変だとか」 「折れません」 ヒュウガの表情は変わらないが、言っていることが段々冗談に聞こえ、コナツは口を尖らせながら視線を逸らした。 「オレ、ふざけてるんじゃないよ」 念を押すように告げたヒュウガの声は、やはり優しかった。 「そういう心配は無用です」 もうそんな関係ではなくなるのだから。 「じゃあ、なんで食欲ないままなの?」 「……」 どうしても浮かぶのは女性の存在。気になるし、考えれば考えるほど切なくなる。 「って、折角の食事がマズくなるから一旦休戦」 「休戦ですか」 「まぁ、戦じゃないけどさ」 「はい」 ずるずると引き延ばしても後が辛いだけなのに、少しでも現実から遠ざかりたかったコナツには休戦という言葉に安堵した。まだ幸せな夢を見ていたい。 それからヒュウガに「あーん」と言われ、いつもの癖で何の違和感もなくフォークに刺した蜂蜜たっぷりのパンケーキを食すことになる。 「美味しい」 こんなふうにイチャつけるのも、今のうち。 「でしょ。これ、カフェのお姉さんがサービスして一枚多くつけてくれたんだ」 「ラッキーでしたね」 「お姉さんを脅したわけじゃないよ」 「分かってます、見てましたから」 そうして、もう一口「あーん」と言われてパクリと食べてしまってから気が付いたのだ。自分たちが人目も憚らずイチャついていることに。 「しょ、少佐、あの、あーんはやめましょうよ」 見られている。というより、最初から見られていた。 「え、なんで、いいでしょ、コナツの分のフォークないし」 「でしたら、もう一つ借りてきます」 「いいよ、オレが先に食べちゃうから」 そう言って早々に半分食べてしまうと、皿とフォークをコナツに渡し、ヒュウガはあんみつに取り掛かる。 「えっ、いきなり次いきますか」 「ん? 時間ないし」 「あ、そうですか、そうですよね。でも、本当に半分頂いても宜しいのでしょうか」 「いいよ、最初からそのつもりだったしね」 「では、頂きます」 「……コナツ、あーん」 ヒュウガが目の前で口を開けた。 「はい?」 「一口ちょうだい」 「えっ、これを? さきほどまで食べていらしたじゃないですか」 「うん、もう一口だけ食べたいなー、と」 「あんみつは?」 「食べるよ?」 「……」 「あーん」 「……」 ここまで来てようやくコナツは、ヒュウガがコナツにも食べさせて欲しかったのだということを理解する。自分がするのもいいが、されるのもいい。この二つを達成しなければ意味がないというのが、かねてからヒュウガの主張だった。 「やっぱ必要だよね。楽しいもんね、ときめくよね」 どうやら食べさせ合いはロマンだということだ。 「仕方ありませんね、これが最後ですよ?」 コナツはヒュウガの口元にフォークを運んだ。 「うん、やっぱりコナツから食べさせてもらうと一味違うね! うまーい」 ヒュウガが子供のようになっている。 「ほんと、甘えっ子になっちゃって」 コナツが言うと、 「そうかなぁ? 食べてる時はいいでしょー?」 ヒュウガは満面の笑みを見せている。 「そうですね、今は……」 ふと声が小さくなる。それに反応するように、ヒュウガが一瞬にして笑みを消し、 「元気ないね」 低く呟いた。瞬時にコナツの躯が凍りつくように強張る。 「これからまた仕事が忙しくなる、ので……」 声が震え、上手く喋ることが出来ない。 「午後からはオレも居るし、何とかなるよ」 まるで他人事のように言うヒュウガだが、 「はい」 「まず食べちゃおうよ」 「……はい」 そこからまたあんみつの味見をさせたりオレンジジュースも一つのストローを使って回し飲みし、カップルでもやらないようなイチャつきっぷりを公開していた。 ヒュウガが参謀部の少佐で黒法術師であることは周知の事実だし、コナツがヒュウガのベグライターであることも知られている。士官学校の第312期を首席で卒業したこととヒュウガの補佐としてブラックホークに入ったことで新人の中でも相当有名人になっている。これが学校時代の成績も半ば、誰のベグライターにも付かず、ただの新人であればこうも目立ちはしなかったのに、学校時代から出色していることは確かだった。 その二人が食堂で密着していれば囃し立てに来る輩が居てもおかしくはないが、仕返しが怖いために誰も何も言えない。ひそひそと吹聴されることはあっても、ここまでくれば容認されているようなもので、食堂から出る際もヒュウガがコナツの肩を抱いて歩いても違和感がないほどだった。 だが、 「おや、王子様と姫」 二人をそんなふうに表現する人物が目の前に現れた。 「あっ」 コナツがビクリと肩を竦ませる。 「さっきはどうも。ここに居たんだね」 司令本部の副司令官だった。 「はい、お疲れ様です。さきほどはありがとうございました」 コナツは何事もなかったかのように対応したが、 「いやいや、終わったようで何より。食事を摂ってたの?」 「はい」 雲行きが怪しくなりそうな雰囲気におとなしく返事をしていると、副司令官はヒュウガを見て、 「私のお昼の誘いは断られちゃったんだけどね」 嫌味のつもりではなかったが、少し羨ましそうに呟いた。 「そうなの? とても忠実な部下だからオレの言うことは聞くんだな。ところで、さっきはコナツがお世話になったようで」 ヒュウガはにっこり笑って自然に会話を続ける。 「一人で頑張ってたみたいだけど、結局心配だったんでしょう? ヒュウガ少佐」 「仕事自体は出来る子だから、それは問題ないんだけど、本部に一人で向かわせたことには後悔してるんだよね」 「何故です」 「いい男がいっぱい居るからさぁ」 明らかに喧嘩腰だった。 「ああ、うちの部署は私を除いて皆仕事も出来ていい男揃いですからねぇ。でもそれが何か?」 「まーた謙遜しちゃって。うん、皆かっこいいのはいいんだけど、狼の群れに子羊を紛れ込ませるようなもので」 「……あなたの言いたいことは分かりますよ」 「分かって頂ければ結構」 ヒュウガは慇懃無礼な態度を崩さなかった。そしてコナツを見れば、指先を口に当てて真っ青になっている。 「あっ、泣きそう」 先に言ったのはヒュウガだ。 「あれっ、どうして? オジサンたち、怖いかな?」 自分とヒュウガを年配扱いするあたり、副司令官にはユーモアがあった。 「い、いいえ、何でもありません」 慌てて否定すると、 「ごめんね、怖がらせるつもりはないんだ。どちらかというと、私はヒュウガ君に用事があったし」 「えっ、少佐にですか?」 「今度こそ聞こうと思ってたことがあって」 「少佐に?」 「そう。彼女紹介してくれるって約束してたんだよ」 「!!」 コナツは叫びそうになるくらい驚いた。まさか彼にまで約束しているとは思わなかったからだ。 「少佐……どういう……ことです」 「んー? こう見えても仲いいんだよ、オレら。気が合うっていうか」 コナツが青ざめている横でヒュウガはにこにこと笑顔を絶やすことはない。 「ええ、私たち似たもの同士ですから」 副司令官も口を揃える。しかし、コナツは納得出来ず、 「仲が良さそうには見えません」 正直に言うと副司令官は、 「同族嫌悪だと思われてたりして」 真面目な顔で呟いた。 「さぁ、どうだろうね」 ヒュウガが腕を組むと、副司令官はにっこりと笑い、 「こう誤解されるようでは、私たち、もっと仲のいいところを見せ付けなくてはなりませんね」 穏やかに言った。 「でも公の場でオレと仲良くしてるところを他の人に見られるのはやばいでしょ?」 「それはあなたがブラックホークだから?」 「そう」 「私も他の人と同じ考えを持っていると思ったら大間違いですよ」 「なら良かった」 「私もあなたも立場的にはフィフティ・フィフティだと思ってますし」 「オレが副司令官に適うわけがない」 「これはまた控えめに出ましたね。君らしくない」 「いいや、事実でしょ? 立場的にもね」 「それは仕事上のことかな? 私が言っているのはそういう意味ではないのだけれど」 「あー、そう来ましたか」 何やらコナツには分からない会話が繰り広げられ、コナツが口を挟む余裕などない。そばで固まって青ざめていると、副司令官はコナツを見つめ、 「怖がらなくていいよ、日常会話だから」 爽やかな笑顔を見せた。 「後でヒュウガ君にちゃんと説明して貰ってね」 「えっ、ええと……」 副司令官は柔らかな物腰を崩さなかった。 「ねぇ、ヒュウガ君?」 「もちろん、そうするつもりだけど」 「つい話が長くなってしまった。呼び止めておいて何だけど、彼女を紹介してくれるのはまた後日ってことにしようか」 「そうだね、落ち着いたら」 「楽しみにしてるよ」 「期待してて」 「では、私は仕事に戻るとしますか」 二人で話し合いが勝手に進み、コナツが分からないところで終わってしまう。 「え、え? え?」 呆然とするコナツは二人を見比べて落ち着きをなくしていた。そこへ、 「じゃあ、私は失礼するよ。またね、箱入りのお姫様」 副司令官は故意に地雷を踏んだのだった。 「!!」 瞬時にコナツの顔色が青から赤に変化する。 「ヒュウガ君も」 「ええ、また近いうち」 それで別れるはずだったのを、 「次に私をそう呼んだら容赦しません!」 コナツが大声を出した。 「おや」 副司令官が面白そうに振り返る。 「今日で二度目です、その呼び方は」 箱入りのお嬢様だろうがお姫様だろうが、そう呼ばれて頭に血が上らないはずはない。どれだけ馬鹿にすれば気が済むのかと怒りたいのに怒れないのは、相手が偉い立場であり、失態を犯すわけにはいかないからだ。 以前、体調を崩したコナツを副司令官が助けたことがあったが、弱っているところを見計らったかのようにコナツを「姫」と呼んだ。その時のコナツは意識が朦朧としていて口答えする余裕もなく、抗えぬまま見過ごした形になったが、彼はクロユリのこともそう呼び、クロユリから反感を買っていることも知っていた。クロユリは愛らしい姿をしているから、そう間違われても仕方がないが、コナツは女の子扱いされる度に怒り狂いそうになるほど悔しいと思っているのだ。しかし、言った本人はからかっている様子もなく、 「お怒りのようだけど、本当のことだよ。ちゃんと説明してあげて、ヒュウガ君」 ヒュウガにまで同意を求めた。 「あー、はいはい。コナツってば怒ると野良猫みたいに手がつけられなくなるから大変なんだけどねー」 ヒュウガが笑って答える。 「じゃあ、ごゆっくり」 そうして別れてから、コナツは本当に猫のようにフーフーと威嚇したまま彼の後姿を睨んでいた。 「コナツ、落ち着いて」 「これが落ち着いていられますか! あれであんなに顔がよくなければとっくに斬ってます!」 「ええー!!」 「どことなく雰囲気がアヤナミ様に似ていらして、且つ紳士的で魅力的な声をしていらっしゃるから惑わされてしまうものの、もう堪忍袋の緒が切れ……切れる寸前!」 「……むしろ切れたんじゃ?」 「どうしてあの方はあそこまで私を馬鹿にするのでしょう。私に恨みでもあるのでしょうか」 コナツが怒り心頭に発している。 「うーん。でも、言ってることは本当かなーって思うよ?」 「少佐まで!! 箱入りって何です、世間知らずとでも? 甘ちゃんだとでも? 我儘だと? 私がいつそんな振る舞いをしたのか……仕事でミスをしたなら謝らなければなりませんが、確かに私はまだ半人前で無力でも、あの方にあそこまで言われる筋合いはないと思うのです。会う度にあんなふうに言われたら今度こそ喧嘩してしまいそう」 「あのねー、そういう意味じゃないんだよねー」 「は?」 「コナツは仕事もちゃんとしてるし剣の腕も上達してるから世間知らずとか甘えっ子だって言ってるんじゃないんだ」 「でしたら他にどういう意味があるというのです」 「オレのせい、かな」 「はい?」 「オレががっちり守ってるからね」 「……」 ここまで言われても何のことか分からなかった。戦場で守られたことはないし、普段の生活でも、そういった意味での保護は受けていないはずだと思った。だが、 「つまり、他の男からオレが全力でコナツを守ってるって意味」 「え?」 聞き違いかと耳を疑う。コナツにしてみれば、そんなことを考えたこともなかったのだ。 「コナツは若いから年頃の女の子に興味あるだろうし、それは別に構わないんだけどオレにとって女の子がライバルなんじゃなくて、敵は男。嫌なんだ、コナツが他の男に言い寄られるの。普通に会話してるだけでもムカつく」 「は……い?」 ここまで説明を受けても信じられない。 「コナツに話かけてくる男が皆コナツ狙ってるんじゃないかって疑心暗鬼に陥っちゃう」 「な、な……まさか」 「ね、オレ、小心者でしょ? 自意識過剰なんじゃなくコナツ過剰ってやつかなぁ」 「え、……ええ?」 そこまで深刻になっているとは思わなかったが、そんなふうに言われて喜んでいいのか分からず複雑な気持ちでヒュウガをじっと見つめた。その視線を受け止めてヒュウガもコナツを見つめ返しながら苦笑し、、 「他の誰かに奪われるっていうより、そんなことは絶対にさせないけど、ただオレが嫌なだけで腹立つから片っ端から斬り捨てたいんだけどね、それも格好悪いから取り敢えずクールに振舞ってるの」 「ヒュ、ヒュウガ少佐?」 「だからさっきも抜刀しかけたよー」 「えっ、相手は本部の方ですよ!?」 ヒュウガにとって、そんなことは関係ない。 「だってさぁ、コナツ狙ってるのモロバレだったじゃん。挑戦状叩き付けられると同じだよ」 「……」 言葉が出なかった。 「コナツを箱入り呼ばわりしたのは、オレが予防線張ったり悪い虫がつかないように鉄壁のガードを敷いてることに対しての嫌味みたいなもん。っていうかコナツをもっと自由にさせてやれっていうオレへの苦情だね」 「ええっ、そういうことだったんですか!?」 仕事や普段の生活からは考えられないことだが、一歩外に出てしまえば何があるか分からないという危険が潜んでいる。 「でも私、女の子じゃないんだし狙われるとか襲われるとかはないと思うのですが」 「……散々口説かれてたくせに?」 「……」 コナツの言い分は説得力が皆無なのだ。 「こーんな男ばっかりの所にお前みたいなのが居たら逆に目立つんだって」 「ですが、士官学校を卒業して上がって来た新人の中にも綺麗な少年がいっぱい居ます。シュリだってかなり目立ちますよ?」 「うん、そういう子たちってそれぞれベグライターとして上官についてるでしょ。だから、オレはコナツを護らなきゃいけない。シュリは元帥の息子だから簡単には手は出せないだろうさ。そういう後ろ盾があってこそなんだよ」 「……」 「そりゃあね、過保護かなって思うこともあるよ? 大事にされてるってことでお姫様呼ばわりされるくらいにね。例えばハルセとクロたんだってそうじゃん? ハルセはクロたんに絶対服従でクロたん常にお姫様抱っこされてるから副司令官はそれも知っててクロたんのことをお姫様って呼ぶんだ」 「あっ、だからいつもクロユリ中佐と副司令官は一触即発なんですね。中佐はそう呼ばれるのが凄く嫌みたいで」 「そりゃ嫌なんじゃない? クロたん女の子みたいだって思われるのが一番ムカつくんだから」 「はぁ。あのように愛らしい方なのに」 「ん? コナツだって可愛いよ?」 「ですから! どんな理由であれ、私は嫌です」 女の子のように護られていると思うだけで愕然としてしまう。 「男として半人前っていうんじゃなくて、仕事っぷりも人としての中味もちゃんと男らしいんだけど、こうやってオレが他のやつらを威嚇するから周りから見れば大事にされてると思われてるだけで、彼の箱入り姫っていう例えは大袈裟。気にしない方がいいんだけどね」 「……」 「つまり、こうなっちゃったのはオレのせい」 「で、でも」 そう言われると胸が苦しくなる。 「ごめんね、だけど警戒を解くつもりはないから。何を言われようともこれだけは譲れない」 「少佐!」 「だからといって四六時中張ってられないから根回しも必要なんだけど、今日みたいにいきなり一人で居なくなるのはやめて欲しい」 ヒュウガが真剣な顔で言うのを、 「どうしてそこまで優しくしてくれるんですか」 コナツが泣きそうな顔で訊ねた。 「そんなの決まってるじゃない」 「私のことはもういいです。今までよくして下さって感謝しています。とても嬉しかった」 「何?」 「でも、最後にお願いがあります」 「最後!? お願いって……」 「彼女のこと」 「それは後日改めて。なんかコナツ、混乱してたみたいだから今日はやめといた」 「ええ、いつでも構いませんが、副司令官に紹介するより先に私に彼女を紹介して下さい」 「……」 「そりゃあ、彼との付き合いの方が長いのかもしれませんが」 そう言い終わるとヒュウガは天を仰ぎ、 「コナツ……コナツ……コナツ」 何度もコナツの名前を呼んだ。 「あの……私、何かおかしなことを言いました?」 「ああ……コナツ……」 「え?」 「どういうことだろう。これは整理しなくては」 「?」 二人とも頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになっている。 「つまり、コナツ」 「はい」 「これから仕事に戻るって時に言うのも何だけど」 「え? はい」 「ぶっちゃけてもいいかなぁ?」 「……どうぞ」 「オレが言う彼女って、コナツのことなんだけど」 「?」 「あれ、意味分かんないって顔してる。まさかね、こんなベタなこと気付かないはずないし」 「ええと?」 「だから、オレの彼女ってコナツなんだって。分かってると思ってたのに」 「……」 「自覚なかったの?」 「……」 「ん? コナツ固まってない? 瞬きしてないよ?」 手のひらをコナツの目の前で振ってみせたが、コナツに反応はない。 「あらぁ、これは大変だ。まぁ、気にしないで続けるけど、コナツが女の子の好み聞くから、そんなの分かりきったことじゃんって思ってさ。ちょうどオレと副司令官、ガチでライバル張ってたから、この際コナツのことを彼女だって言ってやろうかと思ってたんだよね。そしたら先にちょっかい出されるわでかなり焦ったけど、向こうも負けじとオレに挑んでくるし、オレもうかうかしてらんないじゃん。聞いてる? とりあえず聞いててね。そんで、さっきはあんな言い方してオレを牽制してたわけだけど、結構向こうも本気みたいだから拉致監禁されないように気を付けて?」 そこまで言い終えたが、コナツは一点を見つめたまま動かない。 「コナツ? 何、どうなってるの? でもさ、勘違いしてた割りには辻褄が合ってたからオレも疑わなかったんだけど、本気でオレに彼女が出来たと思ってたわけ? オレどんだけよ。こんなにアプローチしてたのに伝わってなかったってこと?」 まだコナツに反応はない。 「別れ話になるかもしれないってことだって、副司令官に彼女だって紹介したらコナツ怒ってオレと別れるなんて言い出さないかヒヤヒヤしてたわけ。コナツ、女の子扱いすると怒るじゃん? しかも他人に彼女なんて紹介したら三行半叩きつけられるってオレも命懸けだったの。だから彼女じゃなくて彼氏って言った方がいいのかと相談しようと思ってたし。でもコナツ、腹決めたって言うから承諾したんだとばかり」 言い終えてヒュウガが一息ついてコナツを見ると、コナツは無表情のまま、くるりと向こうを向いて一人で歩いて行ってしまった。 「何処行くのー!」 引きとめようとすると、コナツはそばにあった柱に抱きつき、 「信じられない」 ぼそりと呟く。 「あれ。何が起きてるのかな。なんで柱に抱きついているの」 コナツの行動が気になるものの、ヒュウガはコナツが酷く落胆しているということに気付いていない。 「少佐が紛らわしいことを言うから」 「えっ?」 あの独り言のせいだ。あれを勝手に勘違いしてしまったのはコナツ自身だが、あの台詞がなければこんなに落ち込むことはなかった。 「私、少佐に彼女が出来たと思ってました」 「へっ?」 「だから、お昼は別れ話をされるのだと……」 「なんでー!」 「少佐が独り言で彼女を紹介すると仰っていたから」 「独り言? そんなの言ったっけ?」 「仰ってましたよ、朝、参謀部に入る前に」 「んー、言ったような言わないような。っていうか、毎日これでもかってくらいお前に熱く愛を告白してるのに何でオレに彼女が居るって思えるの」 「……」 「二股掛けてると思われてた? そりゃあアヤたんのことも愛してるけどね」 アヤナミは特別なのだ。それはコナツにとってもクロユリにとっても、カツラギにも同じことが言える。 「だから言ったじゃないですか。女性の好みを聞いたのだって、最近可愛い子がいっぱい居てホクホクしてる少佐を見たからですよ? カツラギさんと鼻の下伸ばして、どう見ても嬉しそうで、てっきりその中からお気に入りの子を見つけてしまったのだと思ったんです」 「えー!」 「そうとしか考えられませんでした」 「ちょ、待って。可愛い子が入ってきたって、それは庭先に綺麗な花が咲いてるね、夜の星空は綺麗だよね、カツ丼は冷めても美味しいよねっていうことと同じ意味だよ!」 「えっ、意味がよく……」 ヒュウガは本気である。 「コナツ、勘違いしてたんだね。なんか落ち込んでるとは思ったけど……」 「でも、副司令官に私を彼女として紹介するという話を聞いて合点がいきました」 コナツが溜め息をついていると、 「だからね、余りにも彼がコナツに迫るから、先日会議で会った時に、『彼女紹介するから』って言っておいたんだ。副司令官は彼女がコナツだって気付いてるよ」 「ええっ。全部分かってて昼に私に迫り、さきほども挑戦的だったのですか?」 「うん。引く気ないみたいだね。中々手ごわいよ。だから襲われないように気を付けてって言ってるの」 「されませんって」 「いよいよ向こうも本腰入れて来たから相当用心しないといけないなぁ」 「……」 コナツには副司令官とのことが理解出来ておらず、 「あの方が私をどうこうというのは有り得ないと思うのですが」 自分の意見を述べてみるも、 「そういうんだから捕まっちゃうんだよー。もっとこう、警戒して警戒! いっそヤツの姿が見えたら抜刀、瞬殺で!」 「無理です」 そんなことが出来るはずもない。 「コナツ、いい子だから出来る!」 「そういう問題ではありません」 「分かった、コナツも実はあいつに気があるんでしょ! だから嫌がらないんだ、あ、そう。オレよりあいつの方がいいっていうの?」 「少佐……」 子供のようだと思ったが、そう勘違いされても仕方がない。というより、ヒュウガが完全に嫉妬していることの方が何故か嬉しかった。 「私の思いは何度も告げているのに。私は誰でもいいわけじゃないんですよ? あなたでなければ何の意味もない」 「……」 「一緒に居たいと思うのも、躯を繋げたいと思うのも少佐だけ」 「……」 「いいんですか、このまま続けても」 「え?」 「場所を変えなくてもいいんですか?」 「!?」 「熱烈な告白をしますよ? 食堂で」 「あ、いや、オレは別に何処でもいいけど、でも、うん、出来ればここじゃないほうが」 誰に見られてもいいと思っているが、そのままの延長で、許されるなら抱きしめたい、キスをしたい。 「でも、時間切れですね。もうそろそろ戻らなければなりません」 コナツが笑った。ちょうど昼休み分の時間を費やし、仕事開始の時刻になってしまったのだ。 「やっぱり場所と時間を変えた方がいいってことだね」 「そうですね」 「いつものでどう?」 「……はい。では、伺います」 いつもの、とは夜半にヒュウガの部屋で、という意味である。これはもう日常のことだから特に詳しく説明する必要もない。 「話し合いだけで済むかなぁ」 「えっ……私は……」 何か言いたげにしていたコナツだが、俯いた途端、指を噛んで黙り込んでしまった。 「あー、その癖、誘ってるとしか思えない仕草」 「!?」 そんなつもりではなかったのだが。 「まぁ、いいや。取り敢えず冷静になるよ」 「……冷静って……」 「んー? 頭がおかしくなりそうなくらい好きだってことなんだけどね?」 「なっ、もう! こんなところで!」 場所と時間を変える意味がない。だが、わずか数時間後のこととはいえ、今夜はどんなふうになるのかまだ何も考えられなかった。 参謀部に戻ってからのコナツは、何に目覚めたのかヒュウガに甘えるようになっていた。 「少佐……私の仕事の邪魔をしてもいいから、ここに居て欲しいんです」 「今なんて言ったの?」 「……私、今日色々言われたので情緒が不安定で。だから何処にも行かないでそばに居て欲しいんです」 確かに、これではヒュウガが聞き返すのも仕方がない。 「そんなこと言われたらサボれないし何処にも行けない」 「良かった」 「……もしかして他の男に迫られてびっくりしちゃった?」 「はい。正直、怖かったというか」 「意外〜」 「仕事や他のことなら何を言われても平気ですよ? でも、さすがにこればかりは……」 「コナツも動揺することってあるんだー」 「ありますよ! 今、私いっぱいいっぱいです」 「ふーん。まぁ、男に告白されて慣れてるって方が驚きだけどね。オレが迫るから免疫ついたと思ってたけど、そうでもないみたいだね」 「なんでもかんでも一括りにしないで下さい。大体、私が少佐と何度も寝ているからって容易く他の男と関係を持つとかありませんから」 「あー、ここでまたそんなこと言うかねぇ」 今は参謀部内である。小声で会話をしていたために外部に漏れる心配はなかったが、誰が聞き耳を立てているか分からない。 「す、すみません」 「誰にも聞こえない範囲だからヨシとしよう。だから、今日は終わりまでそばに居るよ」 それを聞いてコナツはにっこりと笑った。これでヒュウガがサボらなくて済むという計画的犯行ではなく、今、胸の中にある不安がコナツを弱気にさせていた。戦闘では一人で何処にでも立ち向かうコナツでも、やはり勝手が分からない世界では、好きだの迫るだのという行為にはカルチャーショックを受けてしまうのだった。 (人の心が絡むものは、凄く難しい) そう思いながらくちびるを噛み、自分を口説いていた副司令官の顔を思い出した。 (あれはからかっているだけ。少佐の言う通り、私に隙があるからオモチャにされる) そう思うことで頭を切り替えた。まずは仕事をこなして邪念や悩みを追い出し、ひたすら仕事に打ち込むことで自信をつけようとした。 その意気込みだけで本来残業だった仕事を定時までに終わらせることが出来た。夜にヒュウガに呼ばれているからという理由だけでなく、余計なことを考えないようにするために集中したせいだ。 「やっぱり私は仕事をしている時が幸せだなぁ」 机の上を片付けながらしみじみと呟くとヒュウガが唖然としていた。 「オレの聞き違い……?」 「……仕事っていいなぁと」 「はい? もう一回」 「やっぱり仕事をしている時が一番充実してるなって」 「何言ってんの?」 「少佐だって真面目に仕事してみて、頑張った時とかうまくいった時は嬉しくなりませんか?」 「えー? 実践ならアリだけどデスクワークでそれはないでしょー」 「少佐は飽きっぽいですからね、ちっともじっとしてないし。やっぱり向いてないのかもしれませんね」 「うぐ!」 痛いところを衝かれてヒュウガが言葉を詰まらせる。 「私はこういう細かい作業が好きだし、じっとしてるのも嫌いじゃないからいいんですが、そういえば少佐には不向きなんですよね」 「うむむ! そこまではっきり言われると結構傷付く」 「そうですか? 本当のことです。飽きっぽくて少佐がフラフラ何処かへ行ってしまうのが心配で、あちこちで遊んでたらどうしよう、きっと可愛い子に手を出してるに違いないって凄く不安になってしまうんですね。私は少佐が帰ってくるのをじっと耐えて待つしかない」 「な!」 当たらずしも遠からず、中々に厳しい意見だが、最後の台詞にヒュウガは胸をときめかせてしまった。 「じっと耐えて待つって……」 「私にはそれしか出来ないような気がします」 「そんな、待つって……」 「どうかしましたか?」 「想像したらキュンとした」 ヒュウガがうっとりと呟く。 「え?」 真剣なコナツは、ヒュウガがふざけているのか本気なのか分からない。すると、 「オレのために待ってくれるの?」 ヒュウガは嬉しそうに訊ねる。 「そうです」 「オレのことを? 本気で?」 「はい」 コナツは冗談で思いを述べているわけではないのだ。 「なんて……なんて奥ゆかしい!」 「は?」 「今時そんな子居ないよ!」 「えっ」 「普通はさ、『待つとかチョーだるいしぃ、ウザイしぃ』とかならない?」 「……誰の真似です?」 ヒュウガの台詞が余りにも滑稽でコナツは眉を顰めた。 「誰の真似って……そういうんじゃないけど」 「私、そんないい加減な思いで少佐のお傍に居るわけではないんですよ」 「!」 帰り際に既にこんな雰囲気なのである。部屋に着いた途端どうなるか、コナツは身の危険をもっと敏感に察知したほうが良さそうだ。 部屋に入ってからも世間話のように会話は続いていたが、ヒュウガがベッドを指差し「向こうで話を」と言った。コナツは始め、きょとんとしていたがベッドの端に座りながら話をするものだと思ってついていく。だがヒュウガに、 「脱ぐよ?」 そう言われてようやく意味を理解し、顔を赤くして慌てて頷いた。 「あの、シャワーは?」 「後で」 にべもなく言われ、 「分かりました」 聞き分けよく自分で脱ごうと襟に手をかけた。だが、少し戸惑って手を止める。 「どうしたの?」 「……」 「恥ずかしいとか?」 それもある。 「自分で脱ぐより脱がされたい」 「!」 意外な発言にヒュウガの方が驚く。 「私、すっかり女の子役が定着してしまったんでしょうか」 「可愛いとか言うと怒るくせに、こんな時は女の子扱いでいいの?」 「私もよく分かりません」 「まぁ、ベッドでのことは秘密と発見がいっぱいってね。コナツは甘えることも覚えたんだよ」 普段から甘えることのないコナツは、そういった態度が好きではなかった。男のくせに甘え上手だとか、ふざけているとしか思えなかったのだ。 「男は実は甘えん坊なんだよ。コナツくらいの年だと大人に見られたいのと成長期諸々で反抗したり強がることが多いかもしれないけどね。でもさ、オレがグダグダしてるとコナツは何だかんだ言って面倒みてくれるじゃない? だからコナツが甘える時は全部オレが受け止める。オレ、頼られると俄然張り切っちゃうタイプだし」 「……」 今になってヒュウガの台詞の意味が分かるようになった。 「最近はおねだりするようにもなったしねぇ」 ヒュウガが機嫌よく呟いていると、 「少佐、私のも」 腕を差し出している。 「脱がせてってこと?」 「そうです。全部取っちゃって下さい」 「!」 甘えやおねだりどころか結構な誘い文句である。ヒュウガが驚くのも無理はない。 「やばいな。本格的に壊れそうだ。オレが」 「えっ」 「ねぇ、そうやって上手に誘うようになってきてるから、実は凄く心配してることがあるんだ」 「少佐が心配!?」 「コナツは浮気しないし、真面目な子だけど、いつ何があってもおかしくないでしょ? もしオレに飽きて他の誰かに走ったとして、コナツが誘うのも上手でテクニックも備えてたら相手は大喜びじゃない?」 「は?」 コナツにはヒュウガが何を言っているのか分からなかった。浮気するという前提であることが信じられない。 「そんなのは断じて許されない。他の男を喜ばせるコナツなんて想像するだけで嫉妬で狂いそう。だから、コナツはいつまで経ってもベッドでは初心でテクなんかなくてもいいの。人形みたいに何にもしなくてもいい。色っぽく喘いだり啼いたりするけど、それですらやばいって思ってるのに、あんまり色気づいちゃうと誰かに獲られた時にオレが困る」 「ええッ!?」 「だからね、毎回コナツ抱くたび、こう思ってるんだ。余計なテクを覚えさせないように縛り付けて犯したいって」 「!?」 コナツが仰天していた。 「色んな意味で緊縛プレイ」 「何の話ですか!?」 「縛りたい。自由を奪って、ただ耐えて泣くだけでいい」 「少佐!?」 「駄目?」 「駄目です!」 「えーっ」 ヒュウガはあからさまにがっかりと肩を落とした。その姿を見てしまうとコナツもついYESと言ってしまいそうだが、縛られるのが好きな性癖は持ち合わせてはいない。 「だって、凄く怖くて……痛いのも……嫌ですし」 「怖くしないし、痛くもしないよ。余計なことは覚えて欲しくないだけ」 「そんな!」 「……そうだなぁ、つまり、全身にリボンを巻くっていう感じ?」 今度はおかしなことを言い出す。 「リボン!? どういう発想ですか」 コナツが冷静に突っ込みを入れると、 「大丈夫だよ、誰も見ないから」 「それはそうですが……笑ってしまいませんか?」 「笑わないよ、オレは真面目だもん」 ヒュウガは飽くまでも真剣なのだった。 「縛るっていうと聞こえ悪いけど、縄とか鎖じゃなくてリボンなら可愛いよね。コナツには何色が似合うかなぁ。ピンクもいいけどオレンジとか……いっそブルー? この際、紫とかどう?」 「どうとか言われましても」 「リボンはね、シルクで、特注なやつ。長めで肌触りもいいよ」 「……」 まるで既に手元にあるような言い草だ。 「そうすればいつもプレゼント状態だね」 「ですから、おかしいです」 「だってコナツなら似合うと思うんだ。年中プレゼント状態」 「意味が分かりません。あ、でも……」 コナツは実践されたら困ると思い、なるべく相手にしないようにしていたが、ふと気付いたことがあって何気なく口にした。 「もしかして、私が少佐に抱かれているあいだ動けなくなるのは、少佐が既に見えないリボンで私を縛っているからなのでは……」 「えっ?」 「私、ベッドでは何にも出来なくなっちゃって、人形みたいになってしまう。気持ちいいからクタクタになってしまうけれど、もしかしたら少佐が幻術で私を拘束しているのかもしれませんね」 「……」 こんなふうに言われるとは思っておらず、ヒュウガはしばし呆然としていた。「そうだよ」と冗談で切り返すことも出来なかった。 「私が最中にいやらしい顔をするとしたら、それは少佐の前でだけです。他の人に襲われたら、きっと物凄い形相になると思います。もしかしたら、そちらの方が見ものかもしれませんけど」 コナツが笑っていた。 だが、そこから事態は急変した。ヒュウガが乱暴に押し倒し、破り捨てるように着ているものを剥ぎ取ってシャツの袖を結んで腕を縛るやり方で束ねて自由を奪い、激しい愛撫で嬲るように首筋や胸を攻め、コナツは一度に受けた衝撃が大きく、うまくかわして対処することが出来なかったのだ。 「少佐! い、いきなり……」 「ごめん」 「どうして……」 突然乱暴を始めたのか聞きたかった。理由があってお仕置きをされているのなら、言ってくれれば覚悟も出来ていたというのに、このままいくと後ろを慣らさずいきなり挿入されそうでコナツは真っ青になっていた。現に、ヒュウガはいつの間にかコンドームを着け終えている。 「あ……少、佐、待っ……て」 脚を抱え上げられ、来る、と身構えたが、 「お願い……何か喋って下さい。私に何か言って……!」 両腕が動かせないコナツは恐怖の余り、涙をこぼして訴えた。ヒュウガは動作を止め、溜め息をつくと、 「……少しは懲りた?」 コナツの顔を覗き込んだ。 「少……佐」 「でも、マジで興奮したよ。コナツは煽りすぎ」 苦笑して肩を竦め、ようやくコナツの両手を解き、手首をさすった。 「……っ、びっくりしました」 「起爆剤だよね、コナツって」 「そんなはずないです。私、何もしてません」 「天然起爆剤?」 「ええっ」 「大丈夫だよ、もう、しないから」 「……良かった。どうなるかと……」 「ごめんね、びっくりしたでしょ。いきなりはしないから」 「でも、ちゃんとそれ着けてるから本当は分かっているのかと思って」 デリケートな話題に触れると、 「まずはこっちが先だし。着けたのちゃんと気付いてたんだね」 「着けている所は分かりませんでした。本当に手が早い」 「うん。だけど、こっちはゆっくりね」 ローションを手にとって蓋を開ける。これも実に慣れたもので、片手で行うことが出来、ヒュウガが優しくすればコナツも素直に脚を開く。その姿を見て溜め息をつきながら、 「こんな格好、やっぱり誰にも見せたくないなぁ」 苦しそうに呟く。 「?」 「ほんと、誰にも奪われたくない」 「それって……昼間のことですか」 「うーん」 「私が誰かと寝るのが前提? 副司令官と?」 「彼、本気だもの」 「……」 「ほんと、こんな姿、見せたくない」 「私は誰とも関係を持ちませんよ」 そろそろコナツがヒュウガの心配性に呆れ始めたが、ヒュウガはまだ表情を曇らせている。余りにも大袈裟なのではないかと思い、これ以上どうやって慰めればいいのか困り果てているところへヒュウガは驚くようなことを言い出した。 「オレが言ってるのはね、コナツのこんな姿を彼も想像してるんじゃないかってこと」 「は?」 「オカズに使われるのも嫌だ、絶対に許せない」 「……」 「こんなところを想像してるかもしれないって考えると、今すぐ斬りに行きたくなるね」 「……」 コナツは言葉を失った。 副司令官がコナツのあられもない姿を頭の中で考えているなどと、本当かどうかも分からないのに決め付けてヒュウガは一人で怒っている。 「冗談じゃないよ。やっぱり懲らしめてやるべきだよね。コナツだって嫌じゃない? 自分が使われるのって」 「あ、あの」 「しかも男にだよ? きっとコナツってば躯中いじられまくってるよ、怖いねー!」 ヒュウガがブルブル震えていると、コナツが首を傾け、冷静に呟いた。 「……大体、他の人が私の裸を想像するにしたって、こんな誰にも見せないところまで知っているわけはないでしょう。私の躯の中までよぅくご存知なのは、少佐だけですよ」 「!」 「彼が勝手に想像しても詳細が分からないからモザイクがかかったままでしょうかね、それとも勝手に想像するのかな」 「あはは、面白いこと言うね。コナツの方が大人だな。完敗だよ、マジで」 ヒュウガが表情を和らげると、 「完敗なのは私です。今だってまるで魔法を掛けられたみたいに意識が全部少佐にいきます。嫌なこととか他のことまで考えが回らない。もしかして私が少佐にばっかり熱を上げるように術を掛けてません?」 コナツは更に可愛いことを叙述する。ヒュウガは柔らかな眼差しを送りながらコナツの手をとり互いの指と指を絡めた。 「……掛けてるかもね」 と言い、心の中で、こう呟く。 オレじゃないよ。オレにとって、お前の言葉のぜんぶが魔法のキーワードになる。 たった一言でも、長い長い告白でも、それらすべてが魔術師のように惑わして魅せる、特別な情感。 ヒュウガは堪らずコナツにくちづけ、鼻先をつけながら「いい子」「可愛い」「好き」と一つ一つ愛情を表白していった。いつも言われ慣れている言葉でも初めて言われたように感じるのはヒュウガの声音が優しいからだ。 「私、少佐に魔法を掛けられたままで……いいですか?」 「うん?」 「いっぱい感じても?」 「いいよ」 「なぁんにも出来なくなりますよ?」 とろとろになって、喘ぐことしか出来なくなり、シーツを掴んで涙を零すだけではいけないと思うが、本当にそれしか出来ない。 「そうだね、オレが見えないリボンで縛るからね。取り敢えずリボンの色は赤だけど」 「見えないんじゃなかったんですか」 「オレにだけ見える」 「それは便利ですね」 こうして語り合えるだけでも良かった。裸で見詰め合うだけで満足するなど、今時のカップルでも言うだろうか。 だが、躯を繋げたいと催促したのはコナツで、正常位のままゆっくりと挿入しようとするヒュウガの手を払いのけてコナツ自ら腰を上げ、欲しくて堪らない様子で手繰り入れるように、それを求めた。 「一気には無理だって」 こんな時に冷静なヒュウガは、制御しながら中に嵌入しようとする。 「あ、きつい」 先端が入ったところで、ヒュウガが顔を顰めると、同時にコナツが叫んだ。 「痛いっ、痛い、痛……いッ」 自分で挿れようとしてそんなことを言うものの、これは文句ではない。 「それ、オレだよ。きついっていうか痛い。慣らしても駄目だね」 わずかに顔を顰めたまま先に進もうとするのをコナツがふと手を伸ばし、ヒュウガの性器に触れた。最近はこうして繋がっているところを触って確かめるのが当たり前のようになっている。 「凄い……太い」 「遺伝だから。ごめんね、痛いの我慢して」 コナツを苦痛から逃すためにそういう話題を口にしてみたが、ヒュウガにも痛みはあるし二人とも互いの立場を理解している。 コナツはすぐに、 「平気です」 と答え、急に真剣になり、 「テクニック、も……遺伝?」 そんなことを訊ねた。 「さぁ」 ヒュウガはとぼけてみせたが、ヒュウガの場合は経験によるものと持って生まれた才能もあるのだろう、しかし、それは何よりも相手がコナツだから発揮される。 ヒュウガは前屈みになり、コナツを覆ったまま見下ろすと、 「たまんない顔してるなぁ」 やはり満足げである。 「ん……っ、ん、やっぱり、これがいい。この格好が落ち着きます」 コナツも満たされている。 「好きだね、オレに乗っかられるの」 「大好きです」 「素直だ」 ヒュウガが笑い、コナツも笑い返した。だが、コナツの微笑みは痛みと不安を有した切なげな表情で、ヒュウガはこれ以上コナツが動揺しないように出来るだけ言葉で導いてやることにした。 「動くよ」 「あ……まだ」 「大丈夫、ゆっくりするから」 「ん……ッ、ア……ァ」 一瞬、反動で顎を反らしたが躯が快楽を感じ始めていることは甘い吐息ですぐに分かった。 「慣れるまで呼吸を整えて。出来る?」 「ふぅ……、あ、あ……っ」 「うん、いい感じに入るよ。ほら」 「は……、アッ」 コナツがイヤイヤと首を振った。分かりきっていることだが、この反応は拒絶ではない。気持ちいいのは勿論、セックスが楽しくて仕方がないという証拠だった。 障害があればあるほど燃えるというのはこういうことを指す。焼きもちで慌て、自分の心と相手の気持ちを二重に確認して改めて想いを確信するのは、もっとも基本的な作業だが、こじれ、問題が起きるとひどく難しくなるのを逆手にとって楽しめばいい。 「まぁ、彼は脳内で勝手に想像は出来てもこんなことは出来ないもんね」 ヒュウガは、身を捩って喘いでいたコナツの性器を握り、少しだけ扱いた。 「ひっ!」 コナツが何事かと頭を起こそうとする。 「やっぱり現実じゃないと、この辺とか、こんなふうに弄れないもんね」 裏筋を親指でこすり、根元から下垂している二つの皮袋へ移ると手のひらで転がし、今度は縫線を指先でくすぐって遊び始めた。 「や……っ、やめ……」 そうして更に奥へ進み、会陰全体に指を這わせ、なぞり、撫でる。 「あ、あ……ア!」 ゆっくり、ゆっくりと腰を押し引きしながら振動を送り込んでヒュウガは徹底的に下半身を攻めた。 「腿だって、こーんなに綺麗なこと彼は知らないんだよねぇ」 「う……ッ」 「膝の裏が色っぽいとかさぁ、普通はないでしょ?」 「ああ……余り触らな……いで」 「脚を持ち上げるたびにゾクゾクする。何だろうね、この感じ」 「……っ」 また戻って臍の下にてのひらをあて、やんわりと撫でて恥骨付近まで何度も往復させながら下腹部に触れていると、コナツの瑞々しい肉茎はギリギリと張り詰め、ヒュウガの愛撫の邪魔をするように揺れている。ヒュウガはそれにじっと視線を注ぎ、 「凄いね、はちきれそう」 面白そうに言う。 「や、だ」 「恥ずかしい?」 「……もぅ……」 コナツは両手で顔を隠した。 「あ、ほら、そうじゃなくて。コナツ、恥ずかしいことじゃないよ」 宥められ、今度は両手で口を覆ったまま目だけ出してみせたが、今にも泣きそうだ。 「……そんなに見ないで下さい」 「見るでしょ、コナツの躯だもん」 「だったら後ろからされた方がいい」 「えっ」 正面からでは何もかもが丸見えなのだ。そして隠しようもない。 「それも……恥ずかしい、けれど」 「だったら裏返しちゃおうかな」 ヒュウガがやっと後背位が出来ると喜んだところへ、 「いや! いやいやいや!」 コナツが駄々をこねるように騒ぎ出した。 「いやいやいやって……これまた新しい表現だね」 コナツのベッドでの言動には毎回驚かされてばかりだ。 「どっちなの? 中間とって横向け?」 「えっ?」 裾野や松葉反りなどの受け入れる側が横を向かされる体位を取り入れようとしたが、コナツはその意味がすぐには理解出来ず目を見開いた。 「オレはこのままだけど、コナツが横を向くんだ。そして脚を少しずらしてね……」 ヒュウガが詳しく説明し始めた時、 「だっ、だめだめだめ!」 コナツは慌てて拒絶した。 「なんでー」 「不安で……怖い……」 「は?」 体位替えの何処が不安で怖いのかと思っていると、コナツは指を噛みながら、 「気持ちよくなって意識が飛んだらどうしようって。それより……少佐が色々知りすぎていて……上手だから……怖い」 「な……」 「でも、たくさんして欲しいって思う時もあるから……その時は私を好きにして下さい」 「!!」 ヒュウガはもうコナツを黙らせるしかないと思った。裸で互いを求め、繋がったまま繰り広げられる会話は睦言というよりも衝撃的なものが多く、それらはすべてコナツの口から発せられている。 「……天然だとは思ってたけど、オレの予想を遥かに上回る出来」 「?」 「何でもない」 「……お一人で何を仰って……今は、続き……っ、このままで」 「……くっ。何だか幼女を犯している気分だ」 ヒュウガが妙なことを口ごもりながら何故か目を逸らす。 「少佐?」 「ああ、ごめん、コナツはちゃんと男の子だし、まだ若いけど大人とも言える」 強引な理由で頭を切り替えようとしたが、 「でもオレの可愛い彼女。ね?」 コナツに同意を求めた。 「ち、違う」 そういった表現が好きではないコナツは何とか別の言い方に変えて貰おうと思ったが、 「じゃあ、オレの彼氏になってくれるの?」 答えに窮する質問をされて顔を曇らせる。 「……」 コナツにとってヒュウガは、尽くしたくて側に居たくて、いまだ恋焦がれ、憧れている相手である。そんな上司に「ついて来い」と言えるほどの力もない。 「彼女じゃ不満?」 ヒュウガに問われコナツは観念したように口を開いた。 「夜は彼女で」 「!」 「私、抱かれるのが好きだし」 「……」 ヒュウガは何度理性を飛ばされるのか、言葉による興奮剤を打たれっぱなしで治まる暇もない。こうしたアディショナルタイムが発生しても身体共に萎えるどころかコナツが相手ならば一晩中でも維持出来そうなほどの性豪になれると思った。 そうしているうちに欲しい欲しいと言い出したのはコナツで、この日は深く挿入されることを強く望んだ。しかし先端すらまともに入らず暫く苦労していたが、半分まで辿り着いたところでコナツが「上に押して」と懇願した。 「上? ああ、こう?」 前立腺への刺激だった。 「ひゃあ!」 決まって甲高い声を上げて仰け反るくせに、これが一番気持ちがいいと言うのだ。 「胸も触って」 「……おや、今日は大胆だね」 ヒュウガは今度は抜けそうになるまで引いて、ゆっくりと押し、何度かそれを繰り返していると、コナツは頭を少し上げ、その様子をじっと見ていた。 「……少佐の動き、いやらしい」 「いやらしいことをしてるんだよ、当たり前でしょ。コナツだって貪欲だし」 「あ……彼女が大胆なのは駄目、ですか?」 「……いいや、大歓迎」 その後暫く浅い動きで抽挿を繰り返していたが、二、三度強く奥まで押し込むとコナツはビクンと激しく反応したが、それに構わずヒュウガは十数回ほど更に深く突き上げた。余りの激痛と識閾によってコナツは声もなく躯を痙攣させて瞠若していた。 「ア……ァ」 息が出来ず、涙が零れ、混乱したまま意識を失いかけるのをヒュウガが頬を叩いて警醒させる。 「ごめん、苦しかった?」 コナツは答えられずに目じりから涙を零したまま懸命に呼吸を整えようとしていたが、震えが止まらず咽せ返り、顔を真っ赤にして額に汗を滲ませていた。首筋にツウと汗が流れ、胸もしっとりと濡れている。 「やばい……」 ヒュウガが顔を顰めた。 「ウ……ァ」 力なくコナツが目を閉じようとするのを、 「殺してしまいそうだ」 そう言って一度躯を離し、抱き上げて緩解するのを待っているとコナツは腕の中でくったりとしたまま、 「凄すぎる……」 小さな声で独り言のように呟く。 「ごめんね、分かってたのにやっちゃった。やっぱ駄目かも」 ヒュウガは素直に謝った。 「少佐、今日は、どう……したんですか?」 「なんかね、好きすぎて、オレも怖いよ」 「えっ」 「冷静に激しくしちゃってるって感じ」 「それはどういう……」 「お前が目の前に居るってだけでこんなよ?」 ヒュウガは股間を指差し、訴えるようにコナツを見つめて注意を促した。 「全然萎えないんですね。でも嬉しい」 「嬉しいの? ガンガンやられても?」 「私に魅力が無くて途中で冷めてしまわれるよりはいい」 「そう。受け入れてくれるんだ」 「はい」 「今のオレは人殺しみたいだけど」 「戦場で敵を目の前にした少佐よりはずっと優しいです」 「あー、なるほどね」 ここは深夜のベッドの中である。コナツが腕を伸ばしてヒュウガに触れれば、 「触った私の方がとろけそう。私、ベッドでは少佐が激しくてもいいんです」 「何で?」 「怖いけど、物足りないよりいい」 「恐怖で満たされるってやつ?」 「だって、単調でつまらないよりはいいと思いますよ?」 「単調?」 ヒュウガはコナツの意見に耳を傾けた。 「ええ、キスと挿入、すぐに達して終わりというワンパターンだと勿体なくて」 「勿体ない?」 「色々楽しみたいじゃないですか」 「そうなんだ。結構厳しい意見だね」 「本格的にいたぶられると怖くなりますが。ただ、さきほども申し上げたように、余り気持ちよくても怖くなります」 「……それ、よく分からないけど」 「快感が強い時は、なんでそんなに上手なのかな、いっぱい経験したからだろうなって嫉妬しちゃうし……縛られたりすると、少佐って容赦ないから、必ず失神してしまうし」 この場合は興奮からの防御反応としての失神というより、外部から脳神経を麻痺させられている要因の方が大きいから本当に怖いのである。 「後者はその通りだけど嫉妬って何」 「最近そう思い始めて……こんなこと言うと、女みたいですね」 「うん」 「だって私、彼女だし、仕方ないのかな」 「あは、認めた」 「今だけですもん」 いつでもそういう立場ではないと言いたかった。これは夜限定の話である。 「そういう所、皆に紹介したいくらいだよ」 「駄目ですって、内緒ですからね」 「でも、もう紹介するって言ったし?」 例の彼には日を改めて御披露目する約束をしたのだ。あらかじめ役割は決まっていて相手に釘を刺す勢いだが、ヒュウガは更に追い討ちをかけてもいいと思っている。 「あのね、彼はコナツを奪おうとしてるんじゃなくて、実はオレらのこと応援してるんだ。わざと煽ってるところもあるんだけど」 「そうなんですか。でも、私には彼の意図は分かりません」 「オレらのことを壊すつもりなんかないってこと」 「じゃあ、今度お会いしたら、あの方の前で腕組んじゃいますか?」 「……出来るの?」 「したいかも」 「本気?」 「しませんよ。仮にも偉い方なんですから」 「そうだねぇ。オレは構わないけど」 「少佐にお任せします」 「あら、いいのー?」 「少佐に委ねて損をしたことは一度もありません。今だって、もう色々されたくなってきました」 「オレとしては焦らされた気分だけど、好きにしていい?」 「これも少佐の作戦粘り勝ちでしょうか」 「どうだろうね」 自然な流れで座位になった。執拗なほどのキスと同時愛撫でコナツも積極的にヒュウガに触れた。座位での挿入はやはりきつかったが、コナツは中が張り裂けそうになる感覚でさえ快感だった。抱き上げられながら突かれ、少しもぶれずに攻めてくるヒュウガの力強さに身震いしながらも、女のように啼き、もっと上手に喘ぎたいとさえ思ってしまう自分が信じられなかった。 「少佐、寝て」 コナツ上位へ移行する。 「降臨したね」 「うまく出来るかどうか……」 不安げに呟きながら、コナツは左脚を下ろし膝をつき、右脚だけの半M字開脚で両手をヒュウガの腹についてくちびるを噛んでいた。 「何、その体勢。変にエロくない?」 「そんなことより、少佐のが太すぎて躯が割れそう」 「えっ、何?」 「八つ裂きにされる気分……」 ヒュウガに下から穿たれる衝撃の大きさは事実上、脅威に値する。 「きつくてオレも痛いんだけど……」 「私、締めてませ、ん」 「うん、これ以上締められたら死ぬ」 「……命懸けですね、私たち」 「笑うとこだけど、ここからは余裕ないよー? 一気にいこう」 「でも、私、バックもしたい」 「うわ、今の言葉だけでイケる」 「駄目です、まだ」 なんと卑猥感たっぷりの絡み合いだろう。 何度もしている同じ行為なのに毎回情況や流れが違うのは、ハプニングがあって特殊な場面が用意されるからである。だから心が揺らいでも尚、愛の意味を広げ、深くしてゆくことが出来る。 もっとも、互いの台詞や仕草自体が魔法のようなもので、語り合う中から見つける沢山のキーワードを解析していけば、まるで始めから仕掛けられていた罠に堕ちるかのごとく、更に情熱の炎が立つという仕組みになっている。紡がれる言葉は唯一のアドバイスツールなのだ。 この時点で二人は既に、こんなに燃えるなら三角や四角の恋愛関係も悪くはないと危うい感情に惹かれ始めている。もちろん、自ら浮気をすることはない。来る者拒まず、奪えるものならどうぞ、という感覚である。こじれてどちらの耐性があるのか試すのもいいし、たとえ何度トラブルやアクシデントが繰り返されようとも、最後にはヒュウガが護ってくれるし、コナツがヒュウガ以外には全く興味を示さないから安全保証は折り紙付きである。 きっと、この恋路はどこまでも甘く、そして止むことがない。魔法のキーワードが詰め込まれた、終わりのない物語が作れそうなほどに。 |
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