routine work


朝、いつものようにコナツがヒュウガを迎えに行くと、ヒュウガはベッドの中で寝息を立てていた。
「早く起きないと間に合いませんよ!」
この時間は、着替えていなくても目を覚ましてくれていると思っていたし、あらかじめ余裕を持って出てきているが、起こすのに一苦労するのだ。まさに今が戦いの場だと気合いを入れなければならない。
「うーん、もう起きる時間か」
「あ、起きてました?」
「いや、今起きたよ」
ヒュウガはすぐに目を覚ました。いつもは何度声を掛けても起きる気配すらなく、あの手この手で目覚まし係としての腕を振るうのに、ここまであっさりしていると却って拍子抜けしてしまう。
「おはようございます、少佐。今日も天気がいいですよ」
朝の挨拶を大事にしているコナツにとって、こうして一番にヒュウガの顔を見られることは楽しみでもあるのだが、ヒュウガはサングラスを掛けながら、
「ああ、なんで朝が来るんだろう」
眠そうに呟く。
「嫌でも朝はやってきますが……」
朝が苦手なヒュウガにそう言われると、気持ちは分かるが、意気揚々と部屋まで迎えに来たコナツは少しだけ落ち込んでしまいそうになる。しかし、
「うん、コナツの顔を見るために朝が来るんだよねぇ。嫌いな朝でもコナツが来るから気分もよくなる、と。日々是好日ってやつ?」
「えっ」
「そしてやっぱりコナツちゃんは今日も可愛いねぇ」
ヒュウガは情熱的な台詞で早々に口説き始めた。こういった状況に慣れていないコナツはすぐに顔を赤くする。
「少佐? 寝ぼけているのではないですよね?」
戸惑い気味にヒュウガの顔をちらりと見る。
「そんなわけないじゃん」
「あの、そろそろ仕度をしなければ……」
雰囲気に流されてはいけないと自戒するも、顔がにやけそうになってしまうのは、やはり嬉しいからなのだった。
「だよね、それは分かってる」
「今ならシャワーを浴びる時間はありますが」
その為に早めに出てきているのだ。コナツはヒュウガの行動をしっかり読んで先回りするようにスケジュールを組み立てる。
「どうしようかな」
「お着替えの用意をしますか?」
「んー、迷うなぁ。オレ、熱があるんだよね」
「えっ!」
それには気付かなかった。コナツは自分の落ち度を瞬時に反省しながらオロオロと辺りを見回し、
「それは大変。熱は測りましたか? 何度です?」
病人を看護する体制を整えようとすると、
「熱は高いよ。中々辛いものがあるね、これは」
ヒュウガが溜め息をつく。
「風邪でしたら早めの対処をしなければなりません。お医者様に診て貰わなくては」
「……」
「少佐、まさかの病院嫌い?」
「いや、別にそういうんじゃないけど」
「診察時間を予約します。私は参謀部に連絡を入れてきますので」
「医者なんか行かなくてもいい」
「自力で治されるのですか?」
「そうだねぇ」
「では、せめてお薬だけでも飲まれては。おかゆなら食べられますか? すぐにお持ちします」
「えー、コナツが作ってくれるのぉ?」
「上手に出来るか分かりませんが」
「うわぁ」
嬉しそうなヒュウガだが、
「でも、大丈夫。おかゆは食べたいけど、いつものコーヒーでいい」
「それはいけません。お薬を飲むなら食事をしなくては」
「平気、平気」
「こじらせると後が大変なんですよ!」
「心配しすぎだって」
必死のコナツの訴えを退け、風邪を治す気はさらさらないようだが、実際にヒュウガは元気そうなのだ。とても発熱していてだるそうには見えない。
「とにかく今日はおとなしく寝てて頂きます。フラフラ何処かへお出掛けになるなど許しませんからね」
「だめー?」
「当たり前です。お熱を測ったら氷枕で頭を冷やします」
「本格的ー」
「さぁ、少佐はそのまま寝ていて下さい」
「いやーん」
「いやーんって……」
「だって、熱はあるけど、熱なんかないもの」
「……?」
「だからぁ、高熱だけど、風邪じゃないの」
「!?」
「もう! まだ分かんないかな」
「……」
コナツはヒュウガがふざけていることに気付いていなかったのだ。
「あのね、コナツに熱を上げてるってこと」
「はぁッ!?」
「コナツにお熱だから襲いたいなーって思っただけ」
さすがにこの展開は読めなかった。ベタドラマ的な手法でくるのはよくある話だが、今日、今ここでこんなふうに引っかかってしまうとは我が身の不運さに泣けてくる。
「そんなことで……」
「風邪引いたなんて言ってないじゃん」
「!」
「ただ、コナツちゃんが可愛すぎて辛いってのはあるかなー」
「!?」
「オレは朝から元気だよ。ここで一回コナツ抱けるくらい」
「!!」
「そんなびっくりした顔してさぁ、いつものことじゃん」
「……」
「ごめんねぇ、朝からふざけんなって怒られちゃうから先に謝っておくよ」
「……いえ……」
「怒る気も失せた?」
ヒュウガが苦笑していると、コナツは俯いて大きな溜め息をつき、胸を押さえた。
「良かった……風邪ではなかったんですね」
「えっ、ここ安心するところ!?」
今度は仰天する。頭ごなしに文句を言われると思っていたヒュウガは、たっぷり小言を聞く気満々であったのに、一言も出てこないのだ。
コナツは真剣な顔で口を開き、その理由を述べ始める。
「だって、少佐が体調を崩されたら大変じゃないですか」
「なんで?」
「もし何か大事なお仕事が舞い込んで来たらどうするのです」
「え」
「書類整理などは何とかなりますが、それ以外にどんな指令が出されるか分からないのですよ。少佐は大役ばかりを任されますから、他に代わる人なんか居ないのです」
「……」
「体調も私の管理不行き届きだと言われたら悔しいですし」
「……」
部下に言われる台詞ではないが、事実だからヒュウガには否定のしようがない。
「少佐にはいつも万全の体勢でいて下さらないと困ります」
「そ、そう……」
ヒュウガは、コナツをからかったことを後悔し始めた。朝の忙しい時に大人気ないことをしてしまったと思うが、コナツはそれを咎めることは一切せず、晴れやかな顔をしている。
「元気なら、早く起きて下さい。まだ少し時間があるのでシャワーにしますか、コーヒーにしますか?」
「え、えと……」
「それとも、私にしますか?」
「エッ!!」
なにやら形勢逆転である。
「といっても、おはようございますのキスくらいしか出来ませんが」
「マジで? 今日のコナツはなんで積極的!?」
「それは……」
「オレ、夢見てんのかな」
「だって、少佐が私に熱を上げてると仰るから」
「うおー」
「冗談でも嬉しかったです」
「冗談じゃないし! 朝っぱらから嘘つくわけないじゃん。ほんとに病気みたいになってるよ、恋の病だねー。最近じゃ寝坊もサボりもコナツに怒られたいからわざとしちゃってる感じ」
「そ、それは聞き捨てなりませんが」
「じゃあ、オレがおとなしくしてたらコナツ構ってくれるー?」
「おとなしく!?」
「そう。真面目に仕事したり、早起きしたり」
「天変地異が起こりそうですが、少佐がそうして下さるならますます尽くしたいと思いますね」
「ほんとに?」
「上司を労うのも私の仕事ですし」
「そうか……じゃあ、たまには真面目になってみるかな」
「たまに……。ですよね、継続は無理ですよね」
毎日ではないのがヒュウガらしい。元々飽きっぽいところもあるから、いつまで続くか分からないし、3日坊主、または3日おきかもしれず、コナツは何処まで信じていいのか疑ってしまう。
「だってオレがきちんとしたらつまんなくない?」
「どういう意味ですか」
「オレが真面目になったら、コナツ、口出すこともなくなって円満になっちゃうじゃん。ストレスフリーの生活なんて有り得ないよ」
「でも、参謀部での仕事は毎日大変なんですよ?」
「そりゃあそうでしょう、お金貰ってるんだから。何処の世界にもラクな仕事なんてないさ」
「確かにその通りですが」
「上司がムカつくって文句垂れてるうちが花ってことさ」
「そんなバカな!」
コナツにはその意味が分からないが、長く勤めているうちに、そう思えるようになってくるのかもしれない。だが、
「でも私、少佐のことは憎んでいませんし。むしろ逆ですから」
「あはは、そう言うと思ったよ。嫌いになるように仕向けても無駄だってこともね」
「嫌いになるように? わざとしてるんですか?」
「んー、オレはコナツの強度を確かめてるだけ」
「!?」
ヒュウガの考えていることは分からない。無意味な行動をしていると思わせておいて、いつも裏には理由がある。何を試されているのかと不安になるが、
「コナツはいい子だよ」
それしか言わない。褒められてばかりで、それに対してコナツが反撃しようとすると、
「だからオレはキスがいいな」
ヒュウガが話題を戻してはぐらかす。
「キ……ス?」
「さっきキスなら出来るって言ったよね?」
「あ、はい」
「じゃあ、おはようのキスで」
ここはヒュウガのリクエストに答えなければならないだろう。
「少佐がお着替え終わったらします」
「!」
「準備が出来次第ということで」
「……焦らし作戦かぁ」
「そういうわけではありませんが」
「着替えるよ、勿論」
今度はヒュウガの方がコナツの思惑通りに動き始めている。そしてコナツは着替えが終わってからも次の提案で時間稼ぎをしたのだった。ここでキスをしてしまえば甘えて仕事をさぼるかもしれないし、一日ヒュウガがいい上司でいるためには、ご褒美を先延ばしにするしかないと思った。
「えっ、仕事が終わってから?」
「だって時間がないですもん!」
実のところ、話が長引いたため、これ以上部屋に居ることは出来ないのだった。走っても間に合うかどうかの瀬戸際である。
「いいじゃん、3秒くらい遅刻しても」
「いけません、急ぎましょう」
「キスなんて0.5秒で終わるし!」
「そんなの嫌です」
「は?」
「いくらおはようのキスでも、やっつけ仕事みたいに済ませるのは嫌なんです」
「……濃い方がいいってことか」
ヒュウガがぼそりと呟くと、
「おでこや頬じゃ物足りないので」
更に付け加える。
「はいはい。って、仕事が終わって夜になってからおはようのキスするなんて、随分な延長じゃない? コナツの意地悪ー」
ヒュウガが口を尖らせると、コナツは目を吊り上げ、負けじと言い返す。
「でしたら少佐が早く起きて下されば良かったんですよっ」
「そうか、そういうことね。そんじゃ、今度早起きしたらキスしてくれる?」
「……きちんと起きて下されば」
「よぅし、頑張る。たまにだけど」
「やはりたまになんですね」
「うん!」
二人参謀部への道のりを小走りに移動しながら会話をしていた。この時間も中々に楽しいのである。
「今日、仕事を真面目にして下さったら夜にもサービスしますよ」
「サービス!?」
「労います」
「……どんなふうに?」
「少佐がリクエストして下されば出来るだけ答えたいですね」
「おおお」
「朝のおはようのキスの分も」
「そしたら内容盛りだくさんになるよ?」
「何をリクエストするおつもりですか」
「だから色々」
「……」
コナツは肩揉みやマッサージだと思っている。だが、夜ともなればベッドでの違う要求になりそうだ。
「じゃあ、今日は真面目に仕事してみようかなー」
「早速実行して下さいますか」
「だってコナツが色々サービスしてくれるって言うんだもん」
「サボらず手を抜かずデスクワークを一日こなして頂ければ何でもしますよ」
「そそるー。真面目にやればいいことがあるんだねー」
「何だか物で釣るようで教育的にはよくない気がしますが」
コナツの厳しい意見が飛び出すも、ゲーム感覚で楽しめればそれでいいのだった。
「参謀部には仕事熱心なアヤたんも居るし、オレがちゃんと仕事すればアヤたんも褒めてくれるかなー」
二重の喜びが味わえるかもしれないと思っていたその時、
「くしゅん!」
コナツがくしゃみをした。
ヒュウガはピタリと脚を止めて振り返り、コナツの顔を覗き込んで手袋を外し、熱があるかどうかてのひらをおでこに当てた。
「どうしました!?」
「くしゃみしたでしょ」
「それが何か?」
「風邪引いたんじゃないの? ちょっと顔をよく見せて」
「ええっ、くしゃみを一回しただけですよ!?」
ヒュウガはコナツの顔がよく見える位置まで屈むと、目の下瞼をめくり、
「あー、やっぱり。寒いから躯が冷えてるのかも。念の為医務室に行こう」
「はいー!?」
ヒュウガはコナツを肩に担ぎ、参謀部とは逆の方向に向かった。
「少佐! 有り得ません!」
「何が」
「私は平気です! 下ろして下さい!」
「駄目」
「少佐ー!?」
この間も仕事中にくしゃみをしたらヒュウガが何処からかすっ飛んできて異様なほど心配していた。
「ちょっと貧血気味だよ。まずビタミン剤を打って貰うか。風邪も風寒型なら躯を暖める方が先かな」
「少佐ー!!」
「うるさいな、病人はおとなしくして」
「誰が病人ですかー!」
「朝に無理やりオレからキスしとけばよかったよ」
「えっ」
「そうすれば顔色もちゃんと見れたし、不調に気付いたのに」
「私……?」
「顔色もイマイチでコナツの方が疲れてるのかも」
「……」
「今度からおはようのキスは恒例にしない?」
「!?」
「その時に互いの顔をじっくり見れば健康診査も出来る」
ふざけているのかと思いきや、ヒュウガはかなり真剣である。
「あ、どうせならオレが医者の格好をするからコナツがナースってのはどう?」
「なっ!」
「それなら健康診査にも力が入るよね!」
「患者は誰が」
コナツが冷静に突っ込みを入れると、
「物足りないならいっそ反復横跳びとか垂直跳びとか体力測定もしちゃう!?」
「意味が分かりません!」
話の趣旨がどんどんずれていく。
「健康と体力と、躯の管理はきちんとしないとね」
ヒュウガの台詞とは思えなかった。
ヒュウガはコナツに仕事で怪我をしてもいいが、それ以外で傷を作るのは駄目だと念を押している。そのせいで過保護にされているような気がしてならず、そこまで心配をしなくてもいいと訴えてもヒュウガは聞き入れない。今も、くしゃみ一つで大騒ぎだが、実際に体調を崩し始めていたのはコナツの方だから、毎朝の健康チェックは必要なのかもしれないと思い始めていた。
「これも仕事だよ。オレたちのね」
そう言われれば納得せざるをえない。だが、
「ナース服は嫌です」
コスプレだけは勘弁して欲しい。
「つまんないじゃん」
「着替えている暇ないです。少佐、ますます早起きしなくてはなりませんよ」
「じゃあ、やめる」
「ほんとにもう……」
おはようのキスの際に診断するやり方は危険を伴うが、それもまた一つの楽しみだと考えれば苦にならず、仕事のうちだと思えばスムーズに出来そうだ。実際にやってみなければ分からないが、二人のことだから多少の脱線はあるだろう。

こうして彼らの特別なルーティンワークが増えていく。仕事算は愛の軌跡と同等であり、秘密の要項は慈しむための作業である。


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