コナツが打席に立ち、バットを構えて前を見る。見ると言っても目隠しをしているため実際は何も見えていない。
「準備出来ました、スイッチを押して下さい」 コナツが合図を出す。 「了解、じゃあ始めよう」 そうしてコナツの自分自身との勝負が始まった。 まずは一発目、ためらうことなくピッチングマシンから出てきた時速200キロの剛速球をかっとばした。 「ヒュー!」 ヒュウガは口笛で囃し、 「さすがだね。もう完璧じゃない?」 余裕のスタートだと喜んだが、コナツは緊張したまま答えることが出来なかった。 「肩の力を抜いてね。大丈夫、きっとうまくいくよ」 ヒュウガはもうコナツの応援に回っている。自分が先にパーフェクトで終えたからではなく、たとえ負けてもコナツの応援をしたいのだった。 「はい」 真剣な声をヒュウガも厳粛に受け止め、目隠しをしていても美しい姿の部下を見つめた。だが、真摯であったのは最初の5秒だけで、あとはとんでもない妄想が頭の中を駆け巡るようになってしまった。何よりより、金髪に白のジャージでは眩しすぎるのだ。それに加えて目隠しという禁断のオプションが付いている。これで発情しない方がおかしいとヒュウガは誰に責任転嫁していいのかその場で身悶えしそうになる。 以下、再びヒュウガの独白が始まった。 ああ。 なんて綺麗なんだろう。バットの構え方も、普段の姿勢がいいから美しい。しかも、何で今日に限って白ジャージなの。太陽みたいに眩しいじゃない。サラサラの金髪は、トリートメントに時間をかけているから? それともシャンプーで適当に洗っただけで自然にそうなるの? どっち? 張り詰めた空気に包まれて一人で緊張を隠せずにくちびるを引き結んで立つ姿もいい。タオルに隠された瞳はきっと少しだけ潤んでいるに違いない。ほんとは泣きそうになっていて、自分から勝負を挑んだことを、ちょっと後悔してたり、絶対に負けないっていつもの勝ち気な性格が出て、本当は物凄く必死で。だって、コナツが一つでも外せば負け決定だもの。オレがパーフェクトを出しちゃったから、あとはコナツがミスをすれば、そこで勝負は終わる。だから、勝つか負けるかじゃなく、ただ負けてしまうか、それだけ。勿論、同点という結果もあるよ? その確率も低いわけじゃない。だけど、そう上手くいくかな。 だから、コナツが感じている重圧は今が最高潮。でも、そこに堂々と挑むコナツの精神が好き。相変わらず負けず嫌いで、ほんとに気が強いけど、むしろ可愛い顔してドSなんじゃないかって思うくらい強い子だけど、何にも屈しないコナツ。同点にしろ、負けたにしろ、たとえどんな結果が出てもそれをきちんと受け止めるだろう。下手な言い訳もごまかしもしないし、負けたとしても、きっと次は頑張りますって言うんだ。悔しそうにしながらも笑って、今度は負けませんって言うんだよ。ああ、それを考えると今すぐ抱きしめたくなっちゃう。って、今、何球目? うお、11球じゃん、今のところ完璧じゃん! この分だと15球はうまくいくだろう。あとはどこまで集中できるか……この環境の中で、どのくらい自分の力を発揮出来るか、でも、コナツの運動神経も中々……こんなに腰が細いのに、動きとしては安定してるからバランスが取れてるんだね、ああ、なめらかなラインだなぁ。お尻のあたり。全体的にSラインなんじゃ……男でそれってどうよ。なんでくびれるの。背中のカーブがたまらなくセクシーって何なの。あのバットを握った手は、オレの手よりも小さくて、そしてベッドでオレの腕を掴む時は、平常心がある時は、恐る恐るそっとで、感極まってるときはこれでもかって強く掴んできて、物凄く可愛い。 あ、15球終わって、既に18球目。ここまで順調。心なしか息遣いが荒いような? もう疲れたかな。やっぱり神経が尖っちゃってるね、リラックスだよ、リラックス。コナツの運動神経なら、もしかしてパーフェクト狙えるかもしれない。次々球が飛んでくるから、しっかり集中して、耳を研ぎ澄ませて、リズムに乗って。おお、20球終了! あと少し! それにしても、想像以上に素晴らしいバッティングだ。コナツこそ野球選手になれるんじゃないか? って、こんな線の細い子は野球に向いてないか。しかし何故にこんなに上手なんだろう? ああ、そうか、コナツは普段から素振りしてるからか。コナツは野球少年だった。なんで毎日毎日素振りしてるのか分からないけど、基本が大事だからそこはストイックに欠かさず鍛錬してるんだろう。だからこんなに上手いんだ。 あと3球! ああ、可愛い、もう緊張の糸が今にも切れて倒れそう。いいよ、倒れたらオレが受け止めてあげるから。 コナツは一言も喋らず、今まで見たことないくらい真面目なんだけど、オレにとっては、また新たな一面を見た感じでコナツの魅力がますますアップ。オレと手合わせしたり剣の訓練するときとはまた違う雰囲気で、今日のコナツは最高にカッコいいし可愛い。やばい、今すぐここで押し倒したい。キスくらいしてもいいかな? 皆見てるけど、そんなことはどうでもいい。 そして最後の1球! 打った! 見事! わぁ、ぜんぶ出来たじゃん、凄いよ、パーフェクトー!! って、ええええ! そこで座り込む! 膝くっつけてペタンって、コナツ、男でしょ、そこは男らしくあぐらでいいから! わぁ、もうタオルほどくことも出来ないくらい脱力してるの? 大丈夫? え、喋る気力もないの!? 「ご苦労さん、素晴らしかったよ、コナツ。眩しいから気をつけて」 オレはすぐに駆け寄ってコナツから目隠しを取った。 「……」 コナツは声を出すことが出来ずにいて、胸を上下させて呼吸を荒くしていた。 「あはは、緊張したの?」 「……は、い」 「よく頑張った、完璧だったじゃん、今回は同点だね」 26球ホームラン達成だもん、文句ないでしょ。……と思ったら、 「いいえ。私の負けです」 コナツが肩を落としながら呟いた。 「なんで? 一つも外してないよ? ファンファーレ聴いてたでしょ?」 ミスったと思ってるのかな。なんなら、記録が残ってるし、それを出せば……。そしたら、コナツはこんなことを言い出した。 「私は少佐と違って余裕がありませんでした」 「……」 「戦場でもこんなに緊張したことがないくらい固まっちゃって」 「あー、そういえばそうだね、凄く緊張してたものね」 まぁ、それが普通なんじゃないかな。こういう場で緊張感を高めて精神を鍛えるっていうのも一つの手だよ。これはいいことなんだから、落ち込まなくていい。 「少佐は冗談を言ったり鼻歌を歌ったり……手抜きしてるように見えるほど余力も遊びもあって」 「まぁ、オレの場合はこういうの得意だからさ。そんなこと言ったってコナツだって立派だったよ」 眩しかったというか、可愛かったというか、色っぽかったというか。 「私が打ち込めたのは、少佐のお陰です」 「は?」 なんで? なんでそうなるの? どういうこと? 「少佐が気を遣って私に話しかけなかった。集中力を保たせるように、ずっと黙って一言も声を出さなかったから、私は気が散ることなく全部打つことが出来たんです」 えっ。 「てっきりお喋りを続けるものだと思っていました。でも、きっと私は話し返すことも出来なくて会話が成り立たず、しかも喋ろうとしてミスってたかもしれません。少佐の気遣いに感謝します」 って。 いや、あの。別に気を遣ってたわけじゃなくて喋ったら思ってることがそのまま口に出そうだったから黙ってただけで、あの場でコナツが真剣になってるのに押し倒したいとかキスしたいとか、裸にしたいとか、そんなことを言ってしまいそうだったから喋るの我慢してたわけで。 「私と少佐の違いが、余裕のなさですね」 「そ、そう……」 一応、そういうことにしておこう。 「でも、次は負けません!」 おっと、来たよ、コナツの次の宣言が。 「次回は私もお喋りをしながらやってみたい」 「そんなのコナツなら余裕で出来るよ」 「今日やった限りでは出来そうにないと思ったので、密かに練習しようかと」 「ええ?」 ほんと、負けず嫌いだなぁ。可愛い。 「でも、本当に今日はお付き合い下さって、ありがとうございました」 「お礼を言われるほどのことはしてないし、オレも楽しかったから」 律儀なんだよねぇ、この年で礼儀がなってるって、立派だと思うんだけどなぁ。 「また近いうちに勝負して下さい」 「うん」 スポーツマン精神に則りコナツが爽やか好青年になるんだったらいくらでも相手するよ。でも、気のせいかな、頬が上気してほんのりピンク色になってやけに可愛く見えるんだけど。そしたら、 「今日は改めて少佐の凄さを知った日でした」 「えっ、何言い出すの」 「私が少佐を越える日って来るんでしょうか」 そこまで言われたらどうしたらいいのか分からなくなるじゃない。大体、褒めすぎだよ! 「いやいや、そんなことないって。何か、そのうち目の仇にされそうだなぁ」 「あ、お仕事をサボっている時はそうなりますけどね?」 「こわ……」 コナツが冗談っぽく言って笑っていた。はぁ、何、この可愛らしい子は。この後シャワー浴びたらオレの方が目のやり場がなくなる。そうだ、オレは可愛いとか犯したいとか、いやらしいことを考えてはならないんだった、もっと純潔に清く正しく美しく! 「どうする? もっと打ってく?」 「はい。今度は気軽にやりたいです」 「よほど運動不足みたいだね」 「躰を動かすのが好きなので」 ……今すぐ押し倒したいなー。っていうかホテル連れ込みたい。いやいや、そんなふうに思うこと自体がNGだから、 「んじゃ、今度はストラックアウトでもしますか」 「はい!」 オレとコナツは、ひたすらスポーツに励むことにした。スポーツって楽しい! なんて、この無理やり感が空しかったけれど、コナツはストレス解消になって本当に楽しそうだった。やっぱり「今度サボったら百叩き」とか「寝坊反対」とかワケ分からないこと叫んでたけど、それってオレ宛だよね? まぁ、いっか。そんなコナツも可愛いから。あ、そう思っちゃ駄目なんだった。自信ないけど、頑張るよ、オレ。 と、ここまでがヒュウガの独白である。 その後、二人はジムのシャワーで汗を流して帰っていったが、話題は仕事の話や他のスポーツの話だった。ヒュウガは動体視力が優れているため、球技系のスポーツに強く、コナツはそんなヒュウガに他の球技試合をしてみたいと挑んだのだった。次々と向かってくる勇ましい部下に目を細めながら、ヒュウガは何にでも相手になると約束した。この調子でいけば、コナツは予定通り真面目で勤勉で純真で爽快な軍人としても文句なしの立派な青年になると思われた。 夕食も二人で摂ったが、それからの時間は別れて過ごし、翌日もヒュウガはコナツを呼ぶことはなかった。コナツも躰を休めたいと思い、部屋から出ることなくゆっくりと過ごし、翌週からの仕事に備えて心身共にリフレッシュを遂げ、 「素振りしない日曜なんて、久しぶりかも」 よほど対決したのが嬉しかったのか、点数では同点でも技量で負けたコナツだが、それでも満足げに思い出しては頬を緩ませていた。 「少佐が一々かっこいいんですよね……」 一挙一動見逃すことなく26の球を打ち放つのを目に焼き付けた。冗談を言って笑いながらバットを振る姿も、楽しそうに鼻歌を歌って、それどころか本格的に歌い始めたのにも驚き、次の球が来るまでバットで指揮を執っていたほどだ。 黒法術師だから特殊な能力があるのは分かるが、ヒュウガの場合は運動神経に於いては群を抜いている。生まれ持った才能と、これまでの経験から成すヒュウガの力を、コナツは口惜しいほどに羨んだ。 「私ももっと努力しなくては」 コナツが欲しいものはヒュウガが持っている。だから惹かれ、追いかけ、離れることが出来ない。どんなに上司が仕事をさぼって遊び歩いても憧憬の念を抱いてしまうのは、ヒュウガが強いからだった。 「男は強い男が好きなんだから」 女もそうだが、女性の場合は殊に力の差に関して敏感に捉えることはない。強いからといって惹かれることはあっても、それに倣いたいと思わないが、コナツはヒュウガが目標であり、憧れなのだ。 そしてコナツの自室での独り言が続く。 「あの手足の長さも羨ましい。あんなに背が高いくせに顔が小さくて八頭身とか、軍人なんだからスタイルなんかよくなくていいのに。普段は遠視だからサングラス外すと字が読めないとか言うくせに、矯正すれば動いてるものを捉える速さったら尋常じゃないし、遠くの小さな虫でも見つけてしまうのは普通の人には出来ない。ほんとに少佐って不思議な人だ」 これで仕事さえしてくれれば完璧なのに……と思ったが、もし完璧だったら……と考えてコナツは腕を組んだ。 「完璧すぎると、つまらない人になっちゃうのかなぁ。駄目なところもあるからいいのか。完璧すぎて美しいというのは、アヤナミ様のために在る言葉なのかも」 ここまでくると自論だが、恐らく賛同する者も多いだろう。コナツは夜になって、昼間の勝負を思い出し、一人熱くなっている。 「眠れないよ……」 そして、もし自分ばかりがエキサイトしていて、ヒュウガは昼間のことなどすっかり忘れてまた何処かへ遊びに行っているとしたら悲しいと思った。 「私ばかりが少佐を追いかけている」 それでもいいが、それを認めてしまうと、自分より遥か上に立つ上司は、いつまでも遠い存在なのだと追いかけることを諦めてしまいそうだ。 「離れたくない」 その思いがコナツの初志であり、覚悟なのだった。 翌日はヒュウガも珍しく寝坊せずに参謀部に出勤し、コナツは昨日の礼を言って再び勝負の話を口にした。よほど楽しかったようで、今度は自分が直すべきところは何処かを質問してきた。 「コナツは文句なしだもん、どれをとっても素晴らしかったよ」 ヒュウガは欠点を探そうとしたが見つからず、 「フォームはどうでした? いつも自己流なのでおかしくありませんでしたか?」 「真剣勝負の時はちゃんと出来てたよ。ただ、終わってからの打ちっぱなしの時に叫ぶのはやめて欲しいけど」 「……すみません」 あれは無意識の行動である。そしてヒュウガもバッティングセンターで責められてもおかしくない勤務態度なのだから、コナツの喝を受け入れるべきなのだ。 「せめて丼の美味い店を連呼するとか」 「意味分かりません」 「じゃあ、美味しいロールケーキのランキング」 「何故。私が言いたいことは、少佐に仕事をしてほしいということだけです」 「そうなんだ。だよね。うん、まぁ、頑張るよ」 そうしなければならないのは必至で、ヒュウガはひたすら仕事に打ち込み、コナツには一切色気を仕掛けず、達観の境地に立ちながら健全に部下を育て、成長を優しく見守ると誓った。 しかし、ヒュウガが机から離れないのを見て、 「それにしても、お仕事やる気の少佐って、珍しいですが、どうされたのですか?」 コナツが何気なく訊ねた。すると、ヒュウガは突然腕を組み、難しい顔をして唸り始める。 「うーん、実はね、そろそろ昇給審査があるから真面目にやらないとやばいんだよ」 「えっ!?」 「現金の恩給とかー」 「えっ? 昇級ではなく?」 「ん? 階級? それはまだないよ」 「そうですか」 「ちゃんとコナツも評価するから大丈夫」 「……はい、ありがとうございます」 コナツの評価は直接の上司であるヒュウガが行う。コナツは外部評価も高いため、他の同期に比べれば給料もいい方で将来も有望だ。本人の仕事に対する意気込みも力が入っており、 「コナツも昇級は早いかもね。いきなり幹部になって、同じ年くらいのベグライターがついたりして」 「!?」 一瞬、何を言われたのか分からなかったが、コナツにとってはショックな内容だったから、聞こえなかった振りをしたかったというのもある。 「アヤたんの出世っぷりも凄かったけど、アヤたんは特別だからなぁ」 アヤナミの栄進は誰にでも真似の出来るものではないし、アヤナミだからこそ納得出来るものである。 「アヤナミ様と他を比べることは出来ませんから」 コナツは静かに呟いたが、本当に言いたかったのは、出生や栄転を望んでいるのではなく、ただヒュウガのように強くなりたい、祖父だけが教えてくれた剣の力で誰よりも強くなりたいと願っているということだ。そして、それを言えばヒュウガに言われる言葉も分かっている。 「オレみたいになっちゃいけないよ」 と。以前何度か言われた経緯があり、ヒュウガは自分を手本にされるのを認めてはいなかった。 「私は……」 言葉に詰まったコナツは、 「わぁ、机の上、見るのも嫌なくらい紙の束が溜まってきちゃったよ」 ヒュウガの言葉に現実に引き戻されるように我に返り、 「では、早く済ませましょう。少佐、はい、これ、書きやすいボールペンです」 右手にペンを持たせて操り人形のように誘導した。 「ちょ、コナツ、まだ就業5分前!」 「まだではなくて、もう5分前です。もっとも参謀部にはそんなの関係ありませんが」 きびきびとした態度で接し、これ以上無駄話が出来ない環境を作りあげた。 「さすがコナツ、切り替えの早さは誰にも負けない……とりあえずオレも10時のおやつまで頑張る」 「10時のおやつって、女の子みたいなこと仰って」 「だって休憩大事よ!?」 この場合のヒュウガは決してふざけているわけではなかった。人間の集中力は20分が限度なのだからと説明しようとしたが、コナツが不審な目でヒュウガを見ている。 「少佐……もしや休憩やお昼が楽しみで出勤されてます?」 「えっ」 何故知っているのだろうと思ったが、バレバレである。 「本当にどうしようもありません」 ため息をついて脱力したコナツだが、 「ほんとなら仕事場に来るのも苦痛なのに、おやつとお昼がなかったら何が楽しいの。コナツは仕事が楽しいかもしれないけれど」 はっきりと言われ、 「そうですね、お気持ちも分からないわけではありませんが、少佐が朝からここに居ること自体が奇跡かもしれません」 「……そこまで言われると複雑だけど、その通りだよ。とにかく、お昼まではここで仕事するもん」 悪びれもなく認め、そして何故か得意げである。だが、お昼までは仕事をするという台詞から、午後は完全に消える気だということが分かる。 「お昼までって、お昼食べてからもここです」 「むー」 「むー、じゃありません」 どちらが大人なのか子供なのか分からない会話になっていた。 そうして午後になってもヒュウガは参謀部に居て仕事をしていた。 「変です」 ここに居ろと言ったのはコナツなのに、居ると違和感がある。やはりサボってナンボの上司にはデスクワークが似合わないのだった。 「もともと、よく考えればサングラスをして書類を見てるのもおかしいし。普通の眼鏡なら知的なイメージもありそうなのに、見るからに怪しい人になっている」 「は? 何か言った?」 「いえ! 少佐がおとなしくしているなんて珍しいと思いまして」 「……」 「今、お茶を淹れて来ますね」 ヒュウガが真面目に仕事をしているうちはコナツも優しく、よく気が利くし更に尽くす。にっこりと笑って給湯室に向かったコナツがやはり眩しく、 「ほんと、可愛い顔してさ。嫁に欲しいよね」 つい独り言を呟いてしまったが、後からしまったと思っても遅い。コナツをそういう目で見てしまう癖は中々直らないと苦労するヒュウガだったが、幸いにもコナツは去った後で、この場に本人が居なかったから聞かれていないのが救いだった。 こういった発想をしないと決めたのだから、もっと厳重に注意しなければならないのに普段から軽々と口にしていたため、コナツを仕事以外で褒める台詞を繰り返せば昨日の努力も水の泡になってしまう。だが、 「オレ、大丈夫かな」 色々な意味で不安になる。 「そのうち慣れるよね」 暗示をかけるようにしなければならないほど手を焼いているが、この努力はコナツのためでも自分のためでもあるのだった。 その日は夜もコナツからの誘いで夕食を共にして、これでもかというほど仕事の話をしながら別れ、その翌日もヒュウガはギリギリのところで遅刻することなく無事に出勤し、コナツに目くじらを立てられずに済んだ。最近は、お利口さんになろうとして怒られない行動をとるようになったせいで同時にコナツが夜に人知れず行なっている素振りの回数も減ってきている。ストレスが半減されれば、捌け口を探さずともよくなるから、コナツはヒュウガに対して声を荒げることも少なくなっていった。 「てっきり三日坊主だと思っていました」 ヒュウガの勤務態度について未だに不思議に思うも、 「だからぁ、昇給審査があるって言ったでしょー」 「……そうでしたね」 ヒュウガの優等生っぷりを見て、このまま永遠に審査が続けばまともになるのではないかと思うも、審査は永久には続かない。 「一時的なものかぁ……」 コナツはがっかりと肩を落とし、審査が終わってからの上司の骨惜しみな態度を想像し、深くため息をつく。 しかし、始めは書類を手にしているヒュウガに違和感を抱いていたが、次第に真面目な上司が輝かしく見えてくる。 「案外、デスクワークがお似合いですね」 「へ!?」 まったく似合わないと思っていたのに、今では中々決まっているように見えるようになったのは、ただの欲目かもしれない。驚いたヒュウガは、 「コナツ……何か悪いものでも食べた?」 「いいえ? お仕事している少佐に後光が差して見えます」 「な!」 うまくおだてあげられているのかと疑うも、コナツがあまりに真顔で言うため、ヒュウガは突っ込む気にもなれない。 「元々サボリはオレの特技なんだからさぁ、オレから不真面目とったら何が残るのかって思わない?」 「それは……」 「でも、オレもやっと事務処理の楽しみを覚えたかな」 「本当ですか?」 「うん、楽しいよ、これもまた実践とは別にやりがいがあるね」 「わぁ、そこまで仰るなんて」 コナツがこぼれんばかりの笑みを見せ、後光が差しているのはコナツの方ではないのかと、今度こそヒュウガは言ってやろうかと思ったが、これも抑えた。 「まぁ、コナツが頑張ってるのにね、オレもやらないと示しがつかないから」 「もっと早くにそうして下されば良かったのに」 「そうだねぇ」 と、こういう会話は穏やかで、その後もヒュウガは約束を違うことなく真面目に仕事をしていた。 そんな日が数日続き、コナツは自分が仕事をしながらもヒュウガをフォローし、いつも以上に気合いを入れていた。大体、骨の折れる面倒なことは部下がやるもので、 「私は他の部署に配らなければならないものがあるので席を外します」 と出掛けようとすると、 「えっ、何処に行くの!?」 コナツが参謀部から出る用事があるたびにヒュウガが大声を出す。 「数箇所回る所があります。出来るだけ早く戻るようにしますが」 「いやいや、それはオレが行くから」 突然ヒュウガが立候補する。 「は?」 「ただでさえ大変なのに、走り回ったら疲れるでしょ」 「……?」 「オレに任せて!」 「……ですが」 「あっ、ついでに散歩とかお昼寝とか、そんなことしないから。サボりたくて言ってるんじゃないよ!」 逃げ出すと思われていたのだ。 「こんな面倒なこと、少佐にお願いするわけには……」 「気にしないで。こういうことをやってこそ、部下の大変さが分かるんだから」 「……」 「これ持っていけばいいのね? んじゃ、行ってきまーす」 ヒュウガはコナツから強引に書類を奪い取ると、さっさと参謀部を出て行った。 「この豹変ぶりは一体」 コナツは疑問を抱く一方で、やる気になったヒュウガの仕事ぶりは歓迎するが、あまりに不自然ではないかと思い、どうしても素直になれない。だが、ここで思い出すのが、 「そうか、審査か」 である。だが、昨年はどうだったかと比べると、こんな様子ではなかったと思うし、そもそもヒュウガが昇給審査に対してこんなにもナーバスになることはないはずだ。そういったことは、ヒュウガにとってどうでもいいのだった。それでなくても高給取りである。人にはこなせない仕事をして、軍内でも多様な評判があって、何を言われても気にせず我が道を行くヒュウガが、どうにも守りに入っているように見えて、コナツは納得出来ない。 「少佐が横柄じゃないと、私の方が落ち着かなくなってきたなんて」 これは決していいことではないが、実際そうなのだからコナツも認めるしかなかった。 「後で問い詰めてみよう」 と、心に決めるものの、肝心の「話す機会」が全くないのである。 結局、外に出て行ったヒュウガはものの数十分で参謀部に戻ってきた。 「えっ、早くないですか!?」 「何が?」 「もう全部回られたので?」 「うん、行って来たよ」 「ええっ」 「猛ダッシュしたもん。でも、廊下は走っちゃいけませんって怒られたから、早歩きにしたの!」 ヒュウガはニコニコしながら報告する。 「それにしても早いです。まさか書類をその辺にバラ撒いてきたのではありませんよね?」 コナツは何処までも疑っていた。 「酷いなぁ。ちゃんと一箇所一箇所回ったよ。それぞれの部署に入るなり、用件のある人物の名前でっかい声で叫んだら飛び出てきたんだ」 「……」 「向こうは黒法術師に呼び出されてビックリしてたみたいだけど、お陰で難癖もつけられずに済んだよ!」 「そういうことでしたか」 ヒュウガの場合は面倒な手間を一切省いて、いきなり最終ラインに到達させる手順を踏むため、間の細かい作業が行なわれず、あっという間に用が済んでしまうのだ。しかも、ヒュウガを相手にクレームをつける命知らずな者も居ない。 「少佐だから出来ることでしょうね」 「よく分かんないけど、見落としやミスはないはずだから」 「分かりました、ありがとうございます。でも、お陰で私も自分の仕事が進みました。もし私が出掛けていたら、まだ帰って来れなかったと思うし」 「そうなの? それなら良かった」 ヒュウガはまたニコニコと笑って答えた。 「ですが……その……」 コナツは聞こうと思っていたことを口にしようとしたが、 「なぁに? まだ他に残ってることがあったら届けに行くよ?」 「い、いえ、それはもうありません」 「あ、分かった。オレの仕事が溜まってるって言うんでしょ? それもちゃんとやるからさぁ。でも、お茶が飲みたいなー」 「すみません! 気が利かなくて!!」 コナツは顔色を変えて給湯室に向かった。 「やっぱり聞けない……仕事場では、余計な話は出来ないから……」 どうしても消極的になってしまうコナツだった。 |
to be continued |