一体どういうことだろう。
ここのところカストルとラブラドールの関係がぎこちなくなってしまった。普段は目が合えば微笑み合う二人である。声は聞こえずともくちびるの動きだけで会話をすることもあったし、心は通じ合っていた。それほど仲の良い二人だったのに、ここに来て急に冷戦状態になってしまった。 とにかく会話をしない。それどころかラブラドールはカストル以外の誰かと話すことが多くなり、そしてそれはカストルも同じで、他の誰か……と言えば聞こえはいいが、殊にシスターと仲むつまじく談笑していた。 短期間の仲違いだとすれば痴話喧嘩で回りも放っておくだろうが、二人とも常に勤務態度は真面目で人への接し方も丁寧であり無駄が無い。辺りは心配になって二人の言動を気にするようになった。 「あのー、カストルさん」 テイトは数日悩んだ結果、カストルに当たってみることにした。 「なんでしょう」 「ええと、ちょっと聞きたいことが」 「どうしました? テイト君の身に何か?」 カストルが先に訊ねると、 「いえ、オレのことじゃなくて」 「……ミカゲのことでも?」 「違います」 「フラウですか?」 「いや、なんでフラウの名前が出てくるのか」 ミカゲのことならば分かるが、ここに来てフラウの名前が出るということが理解出来ない。 「ああ、違うんですね。失礼しました」 「大体、フラウは関係ないです」 「そうでしょうか。お二人はいいコンビなのでテイト君になにかあるとフラウを見れば分かるし、フラウに何かあればテイト君を見れば分かるので、てっきりフラウに何かあったのかと思ったんです」 「それはショック……いや、心外です」 テイトはくちびるを尖らせたが、 「まぁ、お気になさらず。私も最近忙しくて、まともに思考が働きません。故に勘違いすることが多くなってしまったので許して下さいね」 「はぁ。確かにカストルさんはいつも忙しそうですが寝る暇とかあるんですか? って、オレが聞きたいのは、そういうことじゃなくて、ラブラドールさんのことなんです」 「ラブラドール? 彼がどうかしました?」 「なんだか元気がないようで」 「そうですか!?」 「はい。今朝もボーッとして遠くを見つめていて」 「それはいつものことでは?」 「……」 「体調を崩しているのなら心配ですが、そうでなければ彼は彼で考えることが多いのでしょう」 預言者としての能力を持つ者だけにしか分からぬ苦悩がある。ましてラブラドールは教皇より直に仰せを奉ずる使命を持っていて、テイトとはまた違った意味で背負うものが大きく、自らの持つ運命と試練に考え及ぶことが多い。 「そう……ですね。でも悩みって誰かに打ち明けたりすると気が楽になるじゃないですか。オレでは相談相手として役に立たないかもしれないんで、カストルさんしか居ないと思ったんです。よかったら話を聞いてみて下さい」 テイトが必死で食い下がる。 「おやおや、テイト君は心配性ですね」 「いや、あの……、はい」 普段は柔らかい表情のラブラドールが沈んだ顔をしていると、どうしても心配になってテイトなりに暫く様子を見ていたが、最近は溜め息をつくことが多くなり、これはただごとではないと一肌脱ぐことにしたのだ。 「あっ、でも、先に何か相談は受けてませんか? カストルさんなら知ってたりして」 テイトはなんとしも今のうちに解決の糸口を探したいと思った。 「残念ながら私は何も聞いていません。私も忙しくて最近は余りラブラドールと話をする機会がなくて、彼のことは分からないのですよ」 「……」 そう言われてしまえば打つ手はないのかと肩を落としたが、 「私のほうから彼に直接聞いてみましょう」 カストルが考え込むようにしながら呟いた。 「はい、そのほうが効率がいいと思うので宜しくお願いします」 顔を輝かせながら喜び、カストルを真剣な目で見上げた。 「テイト君……ありがとうございます。ご自分のことだけで精一杯だと思うのに、私達のことも考えてくれているなんて、とても嬉しいです」 「い、いえ! お互い様ですから!」 元気よく答えるが、教会にいて沢山の人に世話になっている以上は、ここに居るすべての人に気配りをしなければならないということを覚えた。 「それに、ラブラドールさんは普段から大人しい人ですけど、笑顔が消えると場の雰囲気が全然変わってしまうんです。だからオレも気になってしまって」 「そうですね。よく気付いてくれました、感謝します」 「そういえばカストルさん、人形作りは……この間、新しいシスタードールを見たんですけど」 「あ、分かりましたか? 最新のは幾分改良を加えまして。よく出来ていたでしょう」 「はい。思わず見入ってしまいました」 「これもまたテイト君は目が高いですねぇ、普通は分かりませんよ。特にフラウは全く意に介さないですし」 「あいつは変な本を見てるほうが好きだし。そっちなら敏感に反応するかもしれませんが」 テイトが中々手厳しい意見を述べると、 「そうですねぇ、まぁ、フラウの場合、おかしな本を見てるだけで害はないのですが教会内ではいけません。困ったものです」 「何回もやめろって言ってるんですけど、効果ないですよ」 「大丈夫です、私が片っ端から処分してますから」 「処分……」 それももったいないような気がする……と頭の隅で思ったが、それは言わないことにして、 「じゃあ、ラブラドールさんのこと、宜しくお願いします。オレにも手伝えることがあったら言って下さい! 花の手入れの手伝いとか上手く出来るかどうか分からないですけど」 脱線した話を戻し、テイトはペコリと頭を下げてその場から去った。 カストルは小さな後姿を見つめ、 「いい子ですね、本当に」 そう呟いたのだった。 一方ラブラドールは……。 「だから何だ、こんなところに呼び出して」 「フラウ、その後、テイトくんはどう?」 「なんだ、クソガキのことか」 フラウはあからさまに嫌な顔をしたが、その裏にはテイトが愛しくてどうしようもないというような照れが隠されていることをラブラドールは知っている。 一言では言い表せない関係に、敢えて個人の意思を確認するために深夜フラウを呼び出した。 以前ラブラドールがフラウに告げた言葉は、テイトの手を離さぬよう、決して見失わないようにと誓いを立てさせるものであったが、フラウは茶化すことなく、短い返事でラブラドールの預言とも言える”伝え”に従う姿勢を見せた。ラブラドールに言われずともテイトを守ってやりたいと思っていたが、それは簡単なように見えて、とても深いものであり、どうやっても未来への不安を消すことは出来ない。 「あいつはなんともないよ。瞳が離れてから最初は落ち込んでたけど、今じゃ元気」 「そう、良かった。司教試験も僕も出来るだけのことはするよ」 ラブラドールの助けは力強い。 「カストルだってついてる。今は実践に力を入れてるみたいだけど、余り根を詰めてもよくないから、僕は躯を休めるリラックス法を教えてあげようかなって思って」 「そりゃあ、いい考えだ。あいつ、喜ぶぜ」 フラウが笑っても、ラブラドールは寂しそうな顔をしたままだ。 「今回の瞳の離脱は、僕の預言があっても助けてあげることが出来なかった。本当は僕が責められてもおかしくないのに」 「おい、それは気負いすぎだぜ。お前は何も悪くねぇだろ」 「でも」 「いいから、テイトのことはオレに任せておけ。って、そういえばラブ、最近カストルと一緒にいるとこあんま見ねぇけど?」 「……」 「別行動多くねぇか」 「それは」 「お前ら一緒に居るのが当たり前だから、離れてると違和感あるな」 「そ、そんなことないよ」 ラブラドールの表情が途端にぎこちなくなる。それに気付いたフラウは強硬な態度でラブラドールに向かい、 「いや、はっきり言わせてもらおう。もしかして喧嘩してねぇ?」 少しきつめな口調で言い出した。 「えっ、それはないよ!」 すぐに否定したが、 「喧嘩じゃねぇな。距離を置こうとしてるんだな」 「なんでそう思うの?」 「お前らの行動が不自然だから。いつもと違う」 「そんなこと……僕たちは普通だと思うけど」 「オレには見てりゃ分かる。カストルとなんかあったのか」 「何もないって」 かすかに焦りを見せたラブラドールだが、決して本心を打ち明けようとはしない。言えないことなのか、言ってはならないことなのか、フラウにはどちらとも見当がつかないのだった。 「まぁ、いい。一人で解決出来なくなったらオレに言えよ。愚痴くらいは聞いてやれる」 「……ありがとう」 小さく笑ったラブラドールの声が泣きそうに震えていた。辛いのを我慢しているように眉根を寄せていたが、今はどうすることも出来なかった。 そしてテイトとフラウの会話である。 「聞いてみた?」 「ああ。ラブはああ見えて強情だから何も言わねぇな」 「そっか。こっちもカストルさんに聞いてみたけど、忙しくてラブラドールさんとは話してないみたいなんだ。だから、よく分からないって」 「どうしたもんか。いつもつるんでるあいつらがギクシャクしてると、こっちも少なからず影響受けるんだけどな」 「喧嘩じゃなければいいけど」 「もしかして、カストルが多忙でラブが拗ねてるだけなんじゃねぇのか」 「それだけ?」 「それだけ。たったそれだけのことでも、あいつらには重要なのかもしれねぇし」 「なるほど」 テイトがカストルに探りを入れ、フラウがラブラドールに話を振ったのは、予め二人で相談して決めたことだった。それだけ心配なのだ。 「ま、喧嘩だとしても痴話喧嘩ってことですぐに解決するだろ」 「ならいいんだけど」 「お前まで暗い顔すんな。こっちも滅入るだろ」 「ごめん」 「ったく、しょうがねぇな。これでも読んでろ」 「なに?」 手渡されたのは例の如何わしい雑誌である。 バシッと音を立てて床に捨てられたエロ本は、つい最近買ったばかりの新刊で、 「あーっ、何すんだ、テメェ! これは発売早々に売り切れたやつなんだぞ! オレは予約してたから買えたものの、買い損ねたヤツだって居るんだからな!」 フラウが叫んだが、テイトには寝耳に水である。 「この雑誌の何がレアかって、コスプレ特集があるんだよ。で、シスター服なんてのもあって、お前、これとか似合いそうじゃね?」 フラウがいそいそと雑誌を取り上げてページを捲る。テイトは呆れながら、 「あーあ、カストルさんもラブラドールさんもこのくらい能天気だったらよかったのに」 と呟いた。 「ん、何か言ったか?」 「いーや、なんでもないし」 「とにかく、何とかなるって。あんま悩むとハゲるからな」 「……」 テイトはフラウを見上げたが、こんな軽い会話をしていても、本心では同様に二人の心配をしていることは知っている。だから、苦笑いを返すしかなかった。 だが、その夜にラブラドールとカストルが口喧嘩をしているところを目撃してしまった。テイトが夕食を終えてフラウに誘われ、散歩をしようと中庭に出たときのことだ。 「私も忙しかったんです。この時期は毎年こうなることはあなたも分かっていたはずです」 カストルの大きな声が聞こえる。 「うん、分かってるよ。でも、だからといって僕のことはどうでもいいなんて言われても、それで僕が傷つくと思わないの?」 ラブラドールの声がわずかに尖り、話し合いではないことが感じ取れた。 「すみません、確かに言い過ぎましたが、あなただって私よりも他の司教たちと仲良く話してますよね? 私が通りかかっても知らん振りだったり」 「それは、君が忙しそうだったから話しかけられなかっただけで、皆には庭の手入れの相談をしてたんだし」 「かと言って庭では寝てることもあるようですね」 「……」 「無防備すぎやしませんか? あなたのそういうところが良くないと思うんです」 「カストルだって忙しいと言っておきながら人形作りはやめないよね? 僕よりそっちが大事なんでしょ?」 「人形作りだって仕事のうちです」 「あ、そう。でも、ついでに言わせてもらうなら、最近は人形作りだけじゃなくてシスターたちと喋ってるほうが多くない? 可愛いシスターが増えたものね、楽しそうに話してるところ見るけど?」 売り言葉に買い言葉で応戦は止まらないどころかヒートアップしていた。カストルはともかく、滅多に怒らないラブラドールがマシンガンのように止まらない。普段はおっとりしていてこんな喋り方をする性格ではないのに、一体どうしたことか。もっとも、二人がこんな言い争いをしているところは、付き合いの長いフラウでも初めて見る光景なのである。当然、フラウとテイトはただ呆然と見ているしかなかった。 「私がそんな邪な気持ちでシスターに接していると思うのですか?」 カストルが冷静になって訊ねると、 「そう感じてもおかしくないよ。だって、もう、僕にはカストルの愛情が感じられない」 「それはあなたが勝手に勘違いしていることです」 「言い訳にしか聞こえないよ」 「私だってあなたが他の司教と楽しそうに話しているのを見ると焼きもちを通り越してイライラしていたんです。でも、大人ですから我慢しました。それなのにあなたが我儘を通すなら、私たちは距離を置いたほうがいいかもしれません」 「距離を置くって……」 ラブラドールの顔が曇る。 「そうです。少し頭を冷やしてみませんか?」 「それが君の望みであり、距離を置くというのは建前で、本当は別れたいと思っているんでしょう」 「そうは言ってません」 「ううん、いいよ、分かってる。僕たち、もう駄目なのかもね」 「ラブラドール」 「もう、君には近づかないことにする。でも、ここの教会の司教として仕事はきちんとしなくちゃならないから、仕事面では今まで通りにしてほしい」 「……」 「でないと、お互い辛いでしょ」 「分かりました」 カストルが一言で返事をすると、ラブラドールはカストルの顔を見ることもなくその場を去った。少し寂しそうだったが、未練はないようで、今までのやりとりを見ていたフラウとテイトはいまだに信じられずに幻か、或いは夢を見ていたのかと、それぞれ頬をつねって現実かどうかを確かめていた。 ラブラドールが去ってから数秒、我に返ったフラウが慌てて進み出てカストルのそばに寄る。 「おい、どういうことなんだ」 「おや、フラウ、いらしたんですか」 まるで見られていることに気付いていたような口ぶりである。 「何が原因で喧嘩したんだ」 「あなたが聞いていた通りですよ」 「って、痴話喧嘩だろ」 「そうですねぇ。程度を言うなら、もう修復不可能なくらいですね」 「冗談だろ」 「本気ですよ。ということで、テイト君、心配して下さったのに申し訳ありませんでした」 まだ隠れていたテイトに向かってカストルが謝る。 「あ……」 ようやく姿を現したテイトは戦々恐々としていて、カストルと目を合わせられずにいるのだった。 「マジかよ、お前ら、どうせまた明日には何もなかったかのように元に戻んだろ」 フラウが頭を掻きながら呟く。 「ええ、普通にしますよ、仕事上ではね。ですが、もうプライベートでは関わりありませんから」 「何なんだ、一体」 本当に仲違い……大喧嘩をしてしまったのかとフラウも深刻に悩んでしまった。 「ですが、フラウやテイト君を板挟みにしてご迷惑をお掛けするようなことはしませんのでご安心を」 カストルが清々しく言うと、 「っつうか、やりづれーっての」 「大丈夫です。あなた方は普通にしていればいいのです」 「なんてこった」 フラウが肩を竦めたが、その間テイトは一言も発せず、黙り込んでいるだけだった。翡翠の瞳が悲しそうに伏せられて、見ているほうが気の毒になるほどで、 「テイト君、あなたが気にすることはないのです。本当にすみません、そしてありがとう」 カストルが再び声を掛けた。 「……はい」 どうしても納得がいかなかったが、テイトにはこれ以上どうすることも出来なかった。人の恋路に介入出来るほど、テイトは恋愛偏差値が高くない。あとはフラウに何とかしてもらうしかないと思った。 翌日になって、元に戻るかと思われたラブラドールとカストルは、仕事での事務的な会話はするが、以前のように視線を絡ませたり、内緒話をするように小声で何かを呟きあうことはなくなった。もちろん、笑顔もない。二人ともクールで後腐れなく、ここまで未練を感じさせないというのも信じられなかったが、カストルは今まで以上にラゼットやシスター達との会話に時間を費やし、ラブラドールは他の司教達と談話をしている。他に生きる道を見つけ、今までの蜜月はまるでなかったかのようにさっぱりとしていて、ラブラドールが朝にフラウに言った一言が、ひどく印象に残った。 「僕たちは最初から間違っていたんだ。司教同士で許されるはずもない。だから、なかったことにしたい」 フラウは縒りを戻そうとするのを諦め、 「お前らがそう思って決めたなら、何も言わないさ」 そう答えた。テイトが聞いたら泣くかな、と思ったが、この言葉はテイトには言わないでおこうと決めた。本当になかったことにして新たな人生を歩めばいいと思った。 「人の命も呆気ないときは呆気ないが、恋愛ってのも色々あるねぇ。こんなにあっさりしてるとは」 フラウが独りで呟いた。 そうして数日ぎこちなく過ぎ、テイトも利口で、カストルやラブラドール、そしてフラウにしつこく追求することはなかった。まるで二人の関係がなかったかのように、ようやくこの空気に慣れてきた頃……。 「はい、あーんして、あなた」 「嫌ですよ、自分で食べられます」 「いいじゃない、今日は特別」 「仕方がありませんねぇ、あなたのそういうところが可愛いんですけどね」 食堂で堂々と食べさせあいをしているラブラドールとカストルの姿があった。そして、フラウとテイトは同時にそれを目撃した。 「じゃあ、今度はわたしに食べさせて?」 「いいですよ、ほら、ママ、口を開けて」 「あーん」 「ああ、熱いでしょうから、少し冷ましますね、フーッ」 と、こんなやりとりを交わしている。 少し離れていたところから見ていたフラウとテイトは何も言えずに固まっていたが、フラウが堪りかねて、 「あなた? ママ? わたし?」 ところどころおかしいと思える台詞をピックアップして首を傾げる。 「あいつら、どうしたんだ?」 「なぁ、フラウ、ラブラドールさんとカストルさんって仲直りした……のか?」 「分からん」 「だって、くっついてるし。さっきからずっと食べさせあいっこしてるし」 「分からん」 「あ、今度は見つめあってる。隣同士で座って見つめあってる」 テイトが実況を始めた。 「分からん」 フラウは三度同じ台詞を呟いたあと、大股で二人のそばに詰め寄った。続いてテイトが走ってついていく。喧嘩している場面を見ると隠れてしまうのに、いちゃいちゃしているところには出て行けるのだった。それは一刻も早く真相を知りたいという衝動であり、野次馬根性ではない。 「おや、フラウ。今日は早いですね、あなたがたも今から朝食ですか?」 カストルが爽やかな笑顔を見せる。 「君たちも座って。今日はアイフィッシュがあるよ。早く食べないと食べ損ねちゃうからね」 そしてラブラドールの笑顔も眩しい。 「っていうか、なんで?」 フラウが低い声で訊ねると、 「どうしました?」 カストルはアイフィッシュを食べながらフラウを見つめる。 「お前ら、さっきから何してんの?」 フラウの問いに、 「今ですか? 今は夫婦ごっこですよ」 「ふっ!?」 今度はテイトが大きな声を出した。 「待て。どっから突っ込んでいいのか分からねぇが、お前ら喧嘩して別れたんだよな?」 フラウが真顔で言う。それに対して、カストルの答えは……。 「ああ、あれは喧嘩ごっこです」 「!?」 フラウとテイトの頭の中にエクスクラメーションマークとクエスチョンマークが同時に飛び出す。 「中々迫真の演技だったでしょ? 一遍やってみたかったんだ、喧嘩別れごっこ」 ラブラドールが満面の笑みで説明すると、 「おい……」 フラウの目が据わり、背後からメラメラと炎が……ではなく、闇が渦巻く。右腕からは鎌が出てきそうだった。 「やだな、分かってたんじゃないの?」 ラブラドールが言うと、 「何がだ! あんな真面目に喧嘩しといて演技だって分かるか!」 フラウが本気で怒っている。 「だって、喧嘩じゃない、距離を置こうとしてるんだ、いつもと違うって上手いこと言ってたから、気付かれてるんだと思ってた」 「気付くかー!!」 フラウは怒り心頭に発しているが、テイトは口をあんぐりと開けたままになっている。 「大体、私たちが本気で喧嘩をすると思いますか?」 カストルが当たり前のように言う。 「うん、だよね、大体、僕たち喧嘩にならないんだ。僕が拗ねてもカストルって紳士だから、いつも上手に宥めてくれて、喧嘩なんか出来ないの」 ラブラドールが自慢すると、カストルが目じりを下げ、 「こんな可愛いラブラドール相手に喧嘩なんか出来ませんよ」 「やだ、カストルってば。あっ、夫婦ごっこ忘れてるよ」 「そうでした、では、ママ、食事を終えたら散歩しましょうか」 「ええ、あなた、ちょっと温室を見てもらいたいの」 「いいですよ、ママは近頃温室の手入れに精を出していましたから、さぞかし綺麗になっていることでしょう」 「ふふ、楽しみにしてて、父さん」 フラウとテイトが呼吸困難に陥っていた。命の危険性が問われるほどに硬直していて、思考回路が停止し、瞬きも忘れて、もはや人であることも忘れ……否、忘れたくなっているほどだった。 「ご存知でしょうけれど、フラウやテイト君、ハクレン君は子供たちという設定ですからね?」 カストルがくるりとフラウとテイトに向き直って説明する。前に夫婦ごっこをしていたときに見られてしまい、事の真相がすべて知られてしまった経緯がある。そう言われて再び我に返ったフラウは、 「勝手に決めてんじゃねー! っていうかふざけんなー!!」 右手には鎌を持っている。完全に斬魂になっていた。 「苛々するのは躯によくないですよ。ストレス発散の仕方は自分たちで決めるべきです。私たちは日ごろのストレス発散のために夫婦ごっこや兄弟ごっこ、お店屋さんごっこやお医者さんごっこ……ああ、これは言ってはならなかったのですね、まぁ、いいでしょう、最近は新しいドラマが必要だと思って喧嘩ごっこをしてみたわけです」 「お、お、お前ら……」 フラウが鎌を振り上げている。本気で斬るつもりだろうか。そこへ、テイトの一言が来た。 「よかった……お二人とも、喧嘩してたわけじゃなかったんですね」 「突っ込むとこそこかー!?」 フラウが叫ぶが、 「オレ、すっごく心配してたんですけど、結果よければすべて良しです。お二人の関係が変わってないので安心しました。むしろ仲いいですね」 「何言ってんのー!?」 テイトの台詞にはフラウが懸命に突っ込んでいる。だが、フラウの突っ込みはまるで無視し、 「あれが演技ではないことがバレたらストレス解消にはならないので言えませんでしたが、私とラブラドールが別れることはありませんよ、テイト君には心配して頂いて嬉しかったです」 カストルがテイトに優しい眼差しを向けた。 「よく考えるとカストルさんも冷静だったし、普通にしてろって助言してくれてましたもんね、あれはこういうことだったわけなんですね」 「そうです」 テイトとカストルの会話はスムーズだったが、 「納得してんじゃねぇよ」 フラウは相変わらず怒りにまみれている。 「フラウは気付いていると思ってましたが……まさかここまで親身になって心配してくれているとは思いませんでした。あなたの意外性に感動して泣きそうです」 カストルが今度は目を潤ませた。 「喧嘩してりゃ、それが通りすがりのヤツだろうが何だろうが心配するだろ。これが演技だなんて誰が気付くか。ドラマの撮影でカメラでも動いてりゃ別だけどよ」 フラウが低い声で唸るように言った。 「カメラですか。いいですね、記念に撮影するというのも悪くない」 「いや、本気にしないで」 フラウのこめかみがピクピクと動いている。 「大体私とラブラドールが本気で喧嘩するわけもない。確かにシスター達に故意に話しかけることは多くなりましたが、あれは新しいドールを開発するために女性の仕草などを研究していたのです。ラブラドールが他の司教と話すようになったのは庭の木々の手入れで鉢の移動など男手が必要だったからです」 「あ、そう」 真剣に説明している横で、フラウはもうどうでもよくなってきていた。 「でも、フラウも真剣に悩んでくれたんですね、ありがとう」 カストルに礼を言われて、 「え、お前、マジ? 気持ちわりーからよせって」 「なんですって?」 「お前の笑顔には裏があるからな」 「それはあなたじゃないですか」 「なんだと!」 今度はカストルとフラウの喧嘩が勃発しそうだ。 「ちなみにハクレン君にはバレてました」 カストルが暴露すると、フラウとテイトが仰天する。 「『また夫婦ごっこの続きですか? 新しい試みですね』と言われてしまいましたが、他の人には言わないよう口止めしておきましたし」 「嘘だろ……」 フラウは鎌を放り投げ、テイトは頭を抱えてしゃがみこんでしまった。こんなめちゃくちゃなところで、 「あなた、もう時間がないわ、温室に行きましょう」 「ああ、そうでしたね、ママ」 ラブラドールとカストルは夫婦ごっこを再会させる。もうフラウとテイトの手には負えなかった。唖然とする二人の横で、 「フラウとテイト君も朝食を食べたら来て? 温室なら十二分にイチャついてもいいのよ?」 ママになりきってラブラドールが誘うと、 「いや、思い切り遠慮させて頂きます」 フラウが手で遮る中、 「分かりました、ご飯食べたらすぐにお邪魔します!」 テイトが笑顔で答えていた。 「ほんと? じゃあ、来てね!」 そう言って二人は楽しそうに去って行った。 「もう、あいつらはもう放っとこう」 「えっ、駄目だよ、面白そうだもん」 「何が」 「色々」 「ふぅん。もしかして、お前もナントカごっこしたいのか?」 フラウがニヤニヤしながら聞いている。 「まさか! あ、でもあれは面白そうだ。戦隊ごっこ! なんとかレンジャーってあっただろ」 「……あれは人数が必要であってだな」 フラウが嫌な顔をした。しかも、そっち方面にいくとはやっぱり子供だ……と内心苦笑いが出た。 「皆でやればいいじゃん」 「勘弁してくれ」 それならまだお医者さんごっこのほうが100倍、いや、1000倍マシだと本気で思うのだった。 そして温室では、夫婦ごっこをしていると思っていたカストルとラブラドールが素顔に戻っていた。 「お互い本気でなりきってましたねー」 カストルが腕を組んで頷いている。 「だって本気でやらないと意味がないでしょ。なんか演技で思ってもないこと言っちゃうって変にすっきりする。これが演技じゃなかったら後味悪かったのかも」 「ストレス解消のためですからね」 「フラウはともかく、テイト君にはいっぱい心配かけちゃいましたね」 「僕も良心が痛んだけど、心を鬼にして演技してたよ」 「私もです」 「だけど、今回思ったのは、フラウも真剣に相談に乗ってくれたし、やっぱりフラウもテイト君も大事だってこと。改めて大切な仲間だって気付かされたっていうか」 「そうですね。それは私も思いました」 「まぁ、一番に思ったのは、僕はカストルが好きなんだなってことなんだけどね」 ラブラドールが照れながら告白すると、 「ほんとに可愛らしい方だ」 カストルはますます惚れ直す。 「でも、怒ったカストルって何かいいよね。冷静な口調と眼鏡をかけてるってところがそう思わせるのかな」 ラブラドールが言うと、 「そうですか? まぁ、私は説教が似合うキャラになってますからねぇ」 「僕が怒ってるのはどうだった?」 「うーん、あまり似合いませんでした。でも怒った顔も可愛いと思ってましたが」 「やだ、カストルってば」 と、二人で盛り上がってるところで、 「あいつら、バカだ」 フラウがげんなりした顔で呟く。 「面白そうだとは思うけど」 「いいと思ってやってるんだから、あいつらこそが確信犯だっつうの」 「あー、ストレス解消には役立つかもしれないけど、周りはビックリだね。だけど、それで愛が深まってるみたいだからいいんじゃない?」 「おいおい、お前はあいつらの味方かよ」 「え、そういう敵味方じゃなくて、オレも改めてラブラドールさんやカストルさんのことが大事だって気付いたよ。でなきゃこんなに心配しないって。どうでもいい他人なんかじゃないんだ。人との絆を深めるってことは、思いやりをもって良い行いをすることだって思った。好きな人にはいいこといっぱいしたいじゃん」 「なんだ、いきなり」 「だから、オレたちもたまにナントカごっこしよう」 「ああ、まだ言ってんのか。戦隊ものは嫌だぜ」 「えーっ、じゃあ、お前が好きそうなお医者さんごっこでもいいよ。フラウがナースな、オレは医者。あっ、フラウのナースて気持ち悪いかも」 「なんだと!? っていうか役が成り立ってないし! 普通は医者と患者だ!」 「じゃあ、フラウが患者役」 「オレ何されるんだ。なんか怖い」 「嫌ならセブンゴーストごっこでもいいよ。オレがミカエルでお前が斬魂」 「まんまじゃん!」 「なんだよぉ、じゃあ、カストルさんたちみたいに夫婦ごっこ?」 「……」 出来ないと思った。そして二人の意見が合致したのは、喧嘩ごっこも絶対に出来ないということだった。何故なら、ごっこ遊びが本気になってしまうからだ。 「フラウ……オレらには向いてないって分かったよ」 「ああ。オレも今気付いた」 さまざまなごっこ遊びは、ラブラドールとカストルにしか出来ないようだ。 「あいつら、アホだからな」 とはフラウの弁である。 「ち、違うよ、二人が大人だからこそ、大人の領域でやってるから成り立つんじゃん」 「無理矢理フォローすんな」 「うーん。今度はどんなごっこ遊びするんだろう」 「どうでもいいぜ」 温室の片隅と片隅で繰り広げられた会話である。 もう一方では、会話をするだけに飽き足らず、カストルがラブラドールに髪飾りを施して遊んでいた。 「ほんとにあなたは花が似合いますね」 「そう? 花を好きだっていう気持ちが表れてるかな」 「花より綺麗ですけどね」 「やだな、カストルってば」 ここまでくると、物分りのいい大人がスマートな会話をしているようには見えない……かもしれないが、それでも恋人たちの素敵なひとときであることには違いない。人を愛したいという気持ちがあるから、こうしていたいし、ここにいられる、ずっとそばにいたい、すべての人を慈しみたいと思えるのだ。 二人はぴったりと寄り添って見つめ合うと、先にカストルが口を開いたが、 「なに? もう一回言って」 そばに誰もおらず、雑音は一切無いはずなのに、ラブラドールは聞こえない振りをしておねだりをする。 「好きですと言ったんです」 「僕も好き。これ言うの、今日で何回目? もう7回になる?」 「8回目ですね」 まだ一日が始まったばかりでこの調子だ。眠るまでの間に何度同じ台詞が囁かれることだろう。 「次は何して遊びましょう」 カストルが早速次の案を求めた。 「今週末は、そうだね、執事ごっことかどう?」 これは新たな試みである。 「それもいいですねぇ。召使と主人というのもいいなぁ」 なんとなく趣味に走っているような気がしないでもないが、カストルはこういう設定が好きそうだ。 「どっちがどっち?」 「じゃんけんで決めましょう」 あくまでも平等に。 「分かった。じゃあ、週末にね」 「楽しみですよ」 全く懲りない二人であった。 |
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