それはいつもの朝の光景である。
「いいですか! あと5秒以内に起きて下さい!」 「寝たいから嫌」 「嫌じゃなくて! 遅刻します!」 「眠くて意識失いそう」 「意味が分かりません!」 ヒュウガの部屋では毎朝決まってこのような会話が行われる。 「5秒経ちましたよ! もう知りませんからね」 「オレを見捨てるの?」 「見捨て……って、じゃあ今すぐに起きてくれたら何でも言うことききます」 「えっ」 コナツがこう言うとヒュウガは必ず飛び起きる。 「仕事のことですよ」 「それって夜の仕事も入るよね!?」 「昼間のだけです!」 「なーんだ」 「がっかりしてます!?」 「だってさぁ、何でも言うこときくって最高に興奮する台詞だよ?」 「そうですか。私は特に感じませんが」 「コナツ、もっとこう柔軟に対応しなきゃ」 「私は真面目なので無理です。というわけで、そろそろ少佐も目を覚まされましたよね?」 「……」 さきほどまで布団の中に包まっていたのが今は上半身を起こしている。 「ほら、あとはベッドから脚を出してしまえば顔を洗って歯を磨いて……着替えも手伝います。ね?」 コナツの子供をあやすような誘導と、てきぱきと着替えを準備したのが功を奏したのか、ヒュウガはあくびをしながら渋々ベッドから降りた。 「いいよ、起きるけどさ。オレもう動けないから背負って食堂まで連れてって」 「……」 「行くの面倒くさいし」 「私にその80キロ近い躰を背負えと仰るんですか」 「出来るでしょ、おんぶするくらいなら」 「……そういえば少佐、少し痩せられましたよね?」 「ああ、気付いてた? 3キロ落ちたんだ。だからおんぶ出来るんじゃない? コナツ、力ついたしね」 「……」 ヒュウガはそう言ったが、コナツには背負うのも難儀である。コナツは顎に手を掛けて何かを考えたあと、 「いい考えがあります。背負わなくても少佐を食堂まで移動させるのは簡単かもしれません。転がして行けば」 そんなことを言うのだった。 「ちょ、何言ってるの」 「それしか思い浮かびません。あっ、でも、参謀部へ階段を上るときは転がせないので足を持って引きずり上げるしか」 真剣な表情で冗談を言うコナツもコナツだが、 「オレを殺すつもり!?」 真っ青になっているヒュウガも相当の演技派だ。 「仕方ありません。渾身の力で尽くします」 「なんて怖い部下」 「少佐がおかしなことを仰るからじゃないですか」 「だってコナツからかうと面白いんだもん」 「酷いです」 そんな他愛もない会話をしながら毎朝コナツはヒュウガの部屋を訪れては悪戦苦闘し、ヒュウガはそれを面白がって、二人の朝はこうして始まるのだった。 だが、コナツにとってどれだけヒュウガが不真面目な態度を見せようとも、憧れ、尊敬する立場であることには変わりない。たとえ朝に弱く、デスクワークをさっぱりこなさない上司であろうとも、コナツには眩しい存在である。 現に、 「少佐! 待って下さい!」 参謀部へ向かう途中、ヒュウガのあとを必死で追いかけるコナツの姿があった。ヒュウガとコナツの歩幅が違い、まして早足であるためにコナツが追いつけずにいるのだ。 「廊下は走っちゃいけないからね」 「少佐が普通に歩けばいいだけです!」 「フツーだよ、これ。エレベーター待つの面倒だから階段で行こう」 「って!」 しかも、上り階段でますます差がつく二人である。 「なんで二段飛ばしなんですか!」 ヒュウガは階段を上がるときに通常は三段飛ばしで平然とのぼっていく。今朝はコナツに合わせて二段で済ませているが、 「おやぁ? もうギブ? おぶってやろうかぁ?」 肩越しにニヤリと笑われてコナツが頬を膨らませる。 「結構です!」 コナツも鍛えていないわけではない。だが、ヒュウガには遠く及ばず、 「この差は一体……」 何かにつけて、落胆せずにはいられない結果が出てしまう。参謀部に着く頃に息を切らしているのはコナツで、 「どうしたの? 何かあった?」 クロユリに毎回聞かれている。 「いえ。何でもありません」 「てっきりヒュウガに襲われてたのかと思ったよー」 「中佐!?」 ピンクかがった赤い色の髪にあどけない大きな瞳、ファニーフェイスの小さなクロユリからそんな言葉が出てくるとは思わず、コナツは本気で慌てた。 「朝から激しいねー」 「な、何を仰るんです!」 「えー、だってそうなんじゃないの?」 「違います!」 コナツは誤解のないようにこれまでの経緯を明らかにすると、 「階段かぁ。だよね、僕も最近になって階段を上がる大変さが分かるようになったよ」 「?」 「今まではハルセが運んでくれてたからね」 「そうでしたね」 「コナツもヒュウガに抱っこされればいいじゃん」 「抱っ!? そういうわけにはいきません! 私はベグライターですから」 「そっか。じゃあ、コナツがヒュウガを抱っこすれば? そうすれば追いつかないだの追い越せないだのってならないと思うよ?」 「それが出来たら悩みませんよ」 「やってみればいいじゃん」 「共倒れになります」 「共倒れ?」 「少佐を支えきれずに二人で階段を転がり落ちると」 「ああ、そっか。下敷きになったコナツは全治三ヶ月ってところかな」 クロユリは納得した顔で頷いていた。ここは笑うところだったが、次々に運ばれてくる書類の山を見て笑えなくなってしまった。 そして昼になり、それぞれが昼食を摂る時間になったとき、コナツは机の引き出しから携帯食を取り出し食べ始めた。 「あれ、食堂行かないの?」 ヒュウガが声をかけると、 「時間がないので、私はこれでいいです」 チョコレート味のものを1本口に咥えた。 「だめだよ、そんなんじゃ。成長期なのに大きくなれないよ?」 「ですが、13時までに司令本部に持っていかなければならない書類があるんです」 「どれ、見せて?」 「これなんですが、参謀部の動きを過去半年分別紙にまとめて、ようやく終わったところでギリギリ間に合うかな、というところなんです」 ファイルに束ねられた資料を見てヒュウガが難しい顔をする。 「大変だったね。でも、これオレが届けてあげるから昼飯食いに行こう」 「少佐が!? それはいけません」 「大丈夫。司令本部には知り合いがたくさん居るから様子見がてら行って来るよ。もちろんコナツがきちんと時間までやってくれたのは言及しとくから」 「……」 「ほら、行こう」 「はい」 これが自分ひとりの力であれば頼まれていた書類を好きな時間に届けに行くことは不可能だ。ヒュウガだからこそ出来ることでコナツはその権威に甘え、上司の誘い通りに昼食を摂りに行くことを優先した。 そして食堂に行く途中、どこを歩いていても、いつものことながらヒュウガが通れば大抵の兵士達が道を開けるため、上司が一目置かれている立場だということを改めて知る。アヤナミが通れば緊迫した空気が流れ、遠くに居る者からも畏怖され、神々しい姿はそこに居るすべての視線を一身に集めるが、ヒュウガの場合は実践に強い者に対する憧れの眼差しが注がれる。或る兵士はそばに寄り稽古の懇願をしたり、アドバイスを訊ねたりする。知り合いも多いせいか、道すがら他の佐官や尉官らと立ち話に流れるときもあるが、コナツは外に出ればヒュウガは実力者として名の知れた人物だということを実感するのだった。 「黒法術師なのに避けられるどころか剣の指導を乞われるなんて……参謀部でのぐうたらっぷりを見せてやりたい」 後ろでボソリと呟くと、 「え、何か言った?」 ヒュウガは振り向いて笑っている。 「いいえ、相変わらず素敵ですよ、少佐」 気を利かせたつもりでコナツが言うと、 「オレじゃなくて、皆、コナツのこと見てるかもしれないよ」 逆に煽られてしまう。 「それはありません。視線で分かりますから」 「駄目だねぇ、盗み見って言葉知らないの」 「ですから、私を見てどうするんです」 「可愛いからさ」 ヒュウガが揶揄すると、 「軍人に容姿や性格での可愛さは必要ありません」 にべもなく一掃する。 「でもねぇ、こんなところだからこそ仕事が出来て、尚且つ癒してくれるいい子が欲しいんだけど」 「癒しは仕事が終わってから外で求めればいいのです」 仕事を終えて恋人と過ごしたり何処かへ遊びに行ったりすればいいだけで、要塞の中は遊び場ではないというのがコナツの持論だが、それは当然のことである。 「中々厳しいなぁ、ウチの子は」 「私は軍人として当たり前のことを言ったまでです」 「そうだね」 ヒュウガが嬉しそうに笑っていた。 食堂では午後からの予定を話しながら過ごし、時間になって引き上げたあと参謀室に戻り、再度書類のチェックをしてから司令本部には二人で行くことになり、書類を持って移動した。 「遠回りしよう」 「なぜです」 「散歩」 「さ……って、もう13時になります」 「うん」 「大幅に遅れてしまいますよ!?」 「大丈夫」 「何がです」 「コナツ、ちょっと襲わせて」 「え!?」 人通りが切れたところでヒュウガはコナツを壁に追いやった。 「な、なにを」 「胸を開いてもいいかな」 「は!?」 「コナツの胸が見たくなった」 「私は男ですが!?」 「そんなの知ってるよ」 「胸を見て何が楽しいんです!?」 コナツにはヒュウガの言動が理解出来ない。 「楽しいっていうか、興奮するっていうか」 「男の胸で興奮!?」 「ちょっと違うな」 「じゃあ……」 「いいから黙って」 「少佐!」 書類を持った手は自由にならない。そうこうしているうちにヒュウガはコナツの軍服を乱し、胸を露わにしてしまった。 「いい感じ〜。このまま司令本部まで連れて行きたい」 「だめですっ」 誰かが通りかかったら……という焦りもあったが、 「コナツ、色っぽいねぇ。ここも敏感だしね」 「!?」 ヒュウガは晒された胸の淡い飾りにくちびるを寄せる。コナツは一瞬息を飲み、次の行動に備えて躰を強張らせた。 ヒュウガはコナツの華のように浮かんだその部分をペロリと舌で舐めて、今度は吸い付く。 「あ……ぁ!」 舌で捺しては音を立てて吸い、軽く噛んでみせると、 「痛くしないで下さいねっ」 切羽詰った声でコナツが叫ぶ。 「痛く?」 「力いっぱい噛まれると痛いです」 「そりゃそうだろう。ここでそんなことしないよ」 「……」 ここでしないというのなら、恐らく今夜はするだろうと思われた。 「でも、これは残そう」 「うっ」 ヒュウガが右の鎖骨下にキスマークを施すと、コナツは呻いたが、それは嫌悪の表現ではなく明らかに快楽を示していた。顔だけでなく躰が火照り、目が潤んでいる。 「あー、この状態で司令本部に連れてったら大変かもなぁ」 ヒュウガは楽しそうに笑った。 「少佐、もしかしてわざとでは」 「んー? なんの話? さ、先方も待ってるだろうから行こう」 「少佐!」 こんなところで寄り道をしておいて、コナツが尋常ではなくなっているときに仕事の話に切り替えるなんて意地悪でしかないと思った。 そして司令本部に着くと、 「おや、少佐じゃないですか。いらっしゃい。少し見ないうちにますますいい男になりましたねぇ」 切れ者で知られる副司令官がヒュウガを見て歓迎の声を上げ、ヒュウガは、 「そういう副司令官も相変わらず男前だね」 と言い返し、男同士で褒めあっている。 「いやぁ、少佐には負ける」 「勝負じゃないんだから。ところで約束のものを持ってきたよ、ほら、コナツ」 ヒュウガは後ろからついて来たコナツに声を掛けたが、コナツはサッとヒュウガの後ろに隠れてしまって前に出ようとしないのだった。 「コナツ?」 「はい」 「どうしたの?」 「いえ……」 頬が赤いのが自分でも分かり、口がだらしなく開きそうになって引き締めることが出来ない。快楽を半分に残した躰はいやらしい表情を纏ったまま目が泳いで挙動不審になるのを避けられなかった。だからヒュウガの後ろで顔を隠すしかなく、 「コナツ・ウォーレン」 副司令官にフルネームで呼ばれ、これ以上はごまかせないと深呼吸をしてから書類を持って前に出た。 「資料が出来上がりました」 震えた声で言い終えると、 「ご苦労」 副司令官はそう言ってパラパラと資料を捲り、 「これはよく出来ている。さすがだね、君にお願いした甲斐があった」 満足した顔で頷くのだった。 「ありがとうございます。お役に立てて光栄です」 コナツは敬礼をすると、またしてもヒュウガの後ろに隠れてしまう。 「どうしたのかな、緊張してる? 顔が赤いよ?」 副司令官がひょいと覗き込んで訊くと、 「何でもありません」 そう答えるだけで精一杯だったが、 「ごめんね、届けるの遅くなって。オレがコナツの邪魔してたからなんだけどね」 ヒュウガは振り向いてコナツの肩に手を掛けて、そして抱き寄せた。 「少佐……!」 コナツは本心で焦り、この場をどうごまかしていいのか分からなくなって固まっていた。 「そうでしょうね。でなければ時間を守らない子ではないし」 「あは。バレてた?」 「というか、もはやこれは牽制かな?」 副司令官がにっこりと笑った。 「何の話です?」 「いえいえ、こちらの話」 「折角来たから見学していきたいんだけど、いいかな?」 ヒュウガが許可を求めると、 「どうぞ」 相手は快諾した。 「コナツ、こっち。偵察機の模型見に行こう」 「は、い」 ヒュウガはコナツの肩を抱いたままである。コナツが緊張していると、 「なんでかしこまってるの? 肩の力抜いて」 耳元でヒュウガが低く呟いた。 「……ッ」 理由など言わなくても分かるはずだと思った。 廊下であんなふうに迫られ、こんなところで肩を抱かれている。冷静になれというほうが無理だった。しかも、 「やっぱり可愛い」 辺りに聞こえるような声で言われ、 「少佐っ」 これは何の苛めだろうとコナツは泣きそうになっていた。 「ぜんぶ、わざとだよ」 「!」 ヒュウガの言動すべてが企みそのものだったのだ。 司令本部をあとにして参謀部に戻る間、 「どうだった? 副司令官、かっこよかったでしょ?」 ヒュウガがコナツに印象を聞いている。 「それはそうですが……でも、私は顔を見る余裕がなくて」 「あらら。それは残念。でも、司令本部見学して、結構いい男が居るなって思わなかった? 司令本部はかっこよくてデキる男揃いで有名なんだよ」 「そうなんですか? 人を観察する時間もなかったので分かりません」 「そう。それならいいんだ」 「いいんですか?」 「当たり前でしょ。コナツの気を逸らすために司令本部行く前に迫ったり、あの中で堂々とイチャついたりしたんだから」 「!?」 ぜんぶわざとだというのは、このことだった。 「本気で副司令官に一目惚れしたり、他にかっこいい男見つけられたりしたらたまらないからね」 ヒュウガがぼやいていると、 「私がそんな不埒なことをするとお思いですか!?」 コナツが大声を上げる。 「あのね、どんなにコナツの身持ちが固くても、向こうが狙ってるときもあるからね、気は抜けないんだよ」 「どういう意味ですか」 「オレね、色々余裕ないから大変なの」 「?」 この飄々とした態度のどこに余裕がないのか不思議に思っていると、前方から一介の兵士が走ってやってきた。コナツよりも若く、士官学校を卒業したばかりの新人だった。 「ヒュウガ少佐! まさかこんなところでお会い出来るとは!」 若い兵士は顔を紅潮させて興奮している。どうやらヒュウガに会えて喜んでいるようだった。 「おお、少年、その後、どう?」 「はい! だいぶ出来るようになりました! でも、まだ威力が足りないみたいで完全ではありません」 「そっか。日々の鍛錬が必要だからね、しっかり基本を身につけて、それを忘れないように躰に沁み込ませるんだ、いいね?」 「はい! また色々と教わりたいので、今後とも宜しくお願いします」 「いいよ、いつでも言って」 「でも、その……!」 新人の兵士は今までの態度と打って変わり、急にかしこまって、 「もし上達した暁には、その……」 軍人らしからぬ恥じらいを見せ始め、照れながら、 「少佐の刀を譲って頂けませんか?」 まるで告白するように訊ねたのだった。 「刀? これかい?」 「はい」 そのやりとりを聞いていたコナツが顔を引きつらせて二人を見た。 「これはあげられない」 ヒュウガが断ると、 「どうしてですか?」 少年は理由を問う。 「オレと同じものを使えば強くなると思ってる? 剣と刀は使い方が違うし、君には今持っているやつで十分」 「でも、僕もそれを使ってみたいです」 中々頑固に食い下がり、諦めようとはせずヒュウガに迫った。 「だーめ。あげるとしたらオレを越えられる素質を持っているか、オレに勝てることが出来る子じゃないと」 ヒュウガも辛辣な台詞で応戦した。 「じゃあ、僕も強くなります! 絶対に強くなって少佐のようになってみせます!」 少年はこれ以上しつこく迫るのをやめ、息荒く宣言したのだった。 「楽しみにしてるよ」 ヒュウガはにっこりと笑って少年の頭を撫でた。 「ありがとうございます!」 そう言って彼が去る時、コナツの顔を見てペコリとお辞儀をしていった姿が律儀で、コナツは少しだけ要塞に上がったばかりの頃の自分を思い出した。 「それにしても少佐はお優しいですね」 「そう?」 「彼に稽古をつけていたのでしょう?」 「ちょっとね。アドバイスするくらいで大したことはしてない」 「時々居なくなるのはそういうのもあるんですか?」 「まぁね、通りすがりのときもあるし、あんなふうにオレを訊ねてくる子も居るし」 「そうでしたか。今年要塞に来た子でしょうか」 「みたいだね」 「あ、じゃあ、あのバカ息……じゃない、シュリなら知ってるかもしれませんね」 「詳しく聞いたことはないけど」 「うーん、私もウカウカしていられないなぁ」 「どうして?」 歩きながら交わされる会話は、ごく普通の内容のものから次第にヒートアップしていくのが分かった。コナツは自分の感情を抑えられなくなったのだ。 「彼に少佐を取られてしまう」 「ええ?」 「ベグライターではなくても、師弟の間柄ならありそうです。余裕がないのは私のほうですよ」 「まさか」 ヒュウガは即答し、 「さっきの話、聞いてなかったの? オレは時々刀を譲ってくれと言われることはあるけれど、その懇願に応じたことは一度もないよ。殺陣の型を教えてくれと言われて助言したことはあっても」 じっとコナツの顔を見て呟いた。 ヒュウガが刀を譲ったのはコナツのみ。今後も誰かに自分の躰の一部と称している刀を譲るつもりはない。 「ですが……もし彼が強くなって少佐と勝負して、まぐれでも1本取るようなことがあったら……って、それは有り得ませんね」 「うん、ない」 「それを聞いて安心しました」 「大体ね、コナツも少しは自分の立場をよく考えるといい。オレにとっては特別なんだから」 「少佐」 こんなところで互いの想いが吐露されて、気持ちを再確認しあった二人は勢い余って抱擁、そしてキスの一つでも交わしてしまいそうだった。 「さすがに今はやめておこう」 人通りが多い場所にさしかかり、ヒュウガが苦笑した。 「そうですね」 コナツも頬を赤くして俯いたが、傍から見ればそれはそれで妖しい雰囲気が漂っている。ヒュウガは話題を逸らそうと、 「そういえばバカ息……じゃない、元帥の息子だけど、そろそろ剣での実践を叩き込まなければならないんじゃないかな」 そう言うとコナツは顔色を変えて、 「才能ありますかね」 うんざりしたように呟く。 「今度外回りの時に連れてってみようかな。腰抜かしてたりしてね」 「少しは成長しているといいのですが。ユキとスズは剣の腕はいいので教える必要はないのに」 「ああ、あの子たちはまだテイト・クラインを追ってるの。どこまで行ったんだか」 「気になりますか?」 アントヴォルトから双子のスズとユキを連れてきたのはヒュウガだ。連れてきた理由も、腕を買ったからだと聞いたが、女の子と見紛うほどの可愛らしい容姿をしている少年をヒュウガが放っておくわけもないと思い、表向きはアヤナミのベグライターだが、ヒュウガはラグス語も話せないのに何かにつけて双子にもちょっかいを出すようになった。 「双子ちゃんが任務を終えて帰ってきたら、いっぱい遊べばいいじゃないですか」 コナツは目を吊り上げてムキになって言ったが、 「遊ぶって……いいの? 遊んでも」 「ハッ。少佐の遊びは隠れんぼじゃ鬼ごっこじゃないですよね」 「まぁねぇ」 「手は出さないで下さいよ!」 「え、それ焼きもち? 焼きもちなの? ねぇ?」 「何を仰るんです!」 「妬かれるっていいね。快感。でも、オレは妬くのも好きなんだよ」 「は!?」 「だからね、たとえばの話、今日司令本部行ったけど、それで誰かがコナツに目を付けて狙ってきたとするでしょ、そいつを追い払うのが楽しい。もちろん相手は満身創痍ね」 「それ怖いです」 「めちゃくちゃ焼きもちやいて相手をやっつけるのがいいの」 「威嚇ですか?」 「そうだねぇ、あと、取られないように伏線を張っておくとか」 「……」 コナツは呆然として聞いていたが、 「じゃあ、逆にお聞きしますけど、略奪愛や横恋慕は?」 ついそう言ってしまった。自分でもおかしなことを口にしたと後悔したが、ヒュウガは笑いながら、 「コナツの口からそんな言葉が出るとは思わなかった」 「すみません、方向間違えました」 「間違ってないよ、だってコナツが他のやつのベグライターになってたら、横取りする自信はあるもん」 胸を張って言い切った。 「力ずくでも奪い取るなぁ」 「えーっ」 「コナツだからだよ?」 「それは……」 強烈な告白だと思った。そういった甘い答えを期待していたわけではなく、過去に好きな女性が居て三角関係になったり、想い人を手に入れるためにどんな手段を使ってきたのか聞きたいと思っただけだ。それが、 「ごめんね、今はコナツのことしか考えてないから」 である。 「な……」 コナツはどう反応したらいいものか分からなくなり、その場に立ち尽くした。 「ほらぁ、早く参謀部戻らないと仕事溜まるよ?」 「は、はい」 「コナツはこれからが忙しいんだから」 午後からは午前中に要請された書類整理の追い上げをする。定時で終わればいいが、大体は残業になるし、コナツは気を引き締めて机に向かわなければならない。 だが、そんなときに、 「ああ、オネムの時間だ」 ヒュウガが気の抜けたことを言い始めた。あくびは三連発である。 「少佐……置いて行きますよ」 「ええ? ひどいなぁ、上司を見捨てるなんて」 「仕事する気ないですよね?」 「あるよぉ」 「デスクワークですよ?」 「……」 「どうして黙るんですか」 「オレ、忙しいの」 「どこがです!」 「オレを待ってる人が居るんだ」 「!! それはまた内緒の稽古ですか?」 コナツがドキリとして訊ねると、 「違う」 ヒュウガは真剣な顔で答える。 他にも秘密があるのだろうかとコナツは構えた。ヒュウガは基本的にコナツには秘密ごとを作らないが、それは事後報告で知ることもあるため、今回も何を言われるのかと待っていると、 「オレを待っているのはVIP専用の会議室のソファ」 やはり真顔でそんなことを言っている。 「少佐、それは人ではなくて物です」 冷静に突っ込みを入れると、 「そんな細かいことはどうでもいいよ」 明後日の方を向いて答えている。剣の腕でも適わないが、言葉でも適わずに丸め込まれることが多い。 「全然違うじゃないですか」 「物にも魂があってね、彼女はオレを優しく包んでくれるんだ。最高の寝心地なんだよ」 「あのソファは女性なんですか?」 「一応」 「……」 コナツはこれ以上言い返すことが出来なかった。しかし、これでは負けっぱなしだと思い、最後の切り札として、 「少佐は私のそばに居て下さらないのですね。少佐がいらっしゃらないと私がどれだけ心細く思っているか分かって下さい」 寂しそうに俯き、呟いてみせた。 「マジで?」 「少佐が居るのと居ないのでは私のモチベーションが違うんですよ」 「そう? そうなの?」 「居ると安心しますから」 「じゃあ、今日は彼女のところに行かないでコナツのそばに居る」 ヒュウガはすっかりその気になり、素直に参謀部に戻ったのだった。 コナツもヒュウガが参謀部に来ればうまい具合に仕事を言いつけてデスクワークをこなしてもらおうかと画策していたが、ヒュウガは必死で仕事をしているコナツの後ろをくっついて歩き回るだけではなく、後ろ姿を見てウエストラインが綺麗だの、つむじの位置が完璧だの、さっきつけたキスマークはどうなったかなどと際どい実況をするようになってしまったため、 「いいからそこで寝ていて下さい」 と言われる始末だった。 こんな二人でも、絶妙な均衡状態を保っているのである。 参謀部の窓からは際涯の空が見える。今日も平和であることを彩雲が静かに物語っていた。 |
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