lovers' classic


我儘だろうか。
こんなふうに考えることはいけないことだろうか。
だけど黙って日々を過ごすことは出来ない。好きだから。大好きで、ほんとうは片時も離れたくないから。
「カストル……」
ラブラドールは小さな溜め息を漏らして目を閉じる。その不安を感じとったように草木が風に乱されて小さく震えていた。

「もう準備は出来たの?」
カストルが忙しく動き回る横でラブラドールはカストルの動向をずっと目で追っている。
「ええ、大体は」
カストルとハクレンが教会を旅立つ日が迫っているため、当然荷造りに手がかかり、ゆっくりとお茶を飲む暇もない。
「そうなんだ。出来れば忘れ物をして取りに戻ってくるのもいいと思うよ?」
「……」
「たまに教会の様子が気になって見に来るのは?」
「それでは巡回になりません」
「どうして? それも仕事のうちだよ」
ラブラドールは視線を逸らして言うと、
「あなたの言いたいことは分かります」
カストルが優しい眼差しを向ける。その暖かな視線に包まれていると感じても、ラブラドールはカストルを見ることが出来ない。今、目が合ったら何を言ってしまうか分からないからだ。
「まるで今生の別れのようですね」
困ったように呟くと、
「僕にはそんな感じだけど、君は違うの?」
俯いたまま今度は挑戦的になって問う。
「こっちを見て下さい」
「……」
「でなければきちんと話が出来ません」
「……」
「困りましたね」
ラブラドールは時々頑固になる。拗ねて黙り込むと手がつけられなくなり、宥めるのに苦労するのだ。
「私だって本音を言えば、スーツケースにあなたを入れて持ち歩きたいくらいなんですよ?」
「……」
「よければポケットサイズくらい小さくなって頂けると助かります」
「カストル……何言ってるの」
真面目な顔でおかしなことを言うカストルに吹き出しそうになっていると、
「やっと口をきいてくれましたか」
「……だって変なこと言うから」
「でも、そうすればいつでもあなたを連れて歩けるでしょう」
カストルにしてみれば本音である。
「それいいね。躯が小さくなる薬を開発してみようかな」
ラブラドールも真顔で答え、本来ならば冗談で済ませるはずの内容なのに、
「あなたをいつでも持ち運び出来る薬が出来るなら開発に協力しますよ」
カストルも中々の意気込みを見せている。二人は顔を見合わせて笑ったが、
「でも、出来上がる前に君は旅立ってしまう」
本当に薬を開発するつもりはなくても、たとえ本気で作ろうと思っても、残っている日にちがいくつもない。
ラブラドールは目を潤ませて悲しそうな顔をする。
「あなたがそんなに寂しがりやだとは思いませんでした」
「そう? だとしたら今までのは僕の演技がよかったってことだね」
「そうなると本当にあなたは寂しがりやで甘えん坊……というところかな」
「君の前ではね」
「そうですね。他の人の前ではこんなふうにはならないでしょうし」
「分かってくれて嬉しいよ」
ラブラドールは笑ったが、それも作り笑いのようでカストルはどうやって慰めるべきか迷い、ふと考え付いたことがあった。
「ですが、あなたが涙を溜めると角度によって瞳の色が変わるようだ。泣くとラブラドレッセンスのようになる」
「……!」
「さすがはラブラドール。名は伊達ではありません。霊力がすぐれているラブラドライトそのものですね」
「こんなときにそんなこと……」
カストルはラブラドールを心の底から慈しみたいと思っている。だからあれこれと言ってしまうのだが、自分のことを言われて照れないはずがなく、ラブラドールは顔を赤くして、
「ばかっ」
ついつい子供のように言い返してしまうのだった。
「何を言っても可愛いですけどねぇ。私には痛くも痒くもない」
「カストルってもしかして厚顔無恥な人っ?」
ラブラドールの頬が膨らみ始めた。
「そうかもしれません。なので是非あなたにもそうなってもらいたいと思いますね」
「なんで僕まで」
「では、言い方を変えましょう。私たちの関係を人目を憚らず満喫するというのはどうです?」
「え?」
「私だってあなたと離れるのは辛いのです。ならばそれまで思い切り仲良くしようじゃないですか」
「仲良くって……」
「まぁ、楽しみにしていて下さい」
「カストル……」

それはゲームのような感覚で始まった。
世間で言うところの”イチャつく”という行動を実際に体験してみようというノリで、まず、何処へ行くにもカストルはラブラドールの手をとり、文字通り手を繋いで歩くという、いきなりハードルの高い技を繰り出した。
「ちょっと、カストル……恥ずかしいよ! これじゃあ罰ゲームみたいだ」
ラブラドールが真っ赤になっていると、カストルは真顔で、
「私は平気ですが。あなたが恥ずかしがっているとうまくバランスがとれません。普通にしていれば大丈夫ですよ」
「ええっ」
言いくるめられてしまいそうな雰囲気の中で、ラブラドールは少し嬉しく思いながらカストルの手をそっと握り返した。
遅れをとれば、まるで子供が親に手を引かれて歩いているようになる。それを避けるためには、肩を並べて歩かなければならない。最初にラブラドールの手を引いていたカストルは、歩幅をラブラドールに合わせ、腕が触れ合う距離で歩いた。司教服の作りのせいで、繋いだ手がうまく隠れ、次第に堂々としていられるようになった。
「なんだか楽しいかも」
「でしょう?」
こんなときだけどこまでも続く回廊がデートコースにさえ思えてくる。このまま中庭に行って顔を寄せて囁き合えば立派な恋人同士に見えるだろう。
「ミサが終わったら温室に行きませんか?」
カストルが言うと、
「そうしてもらえると助かるよ。手入れをしなければならない花があって、困ってたんだ」
「私も手伝いましょう」
「ほんとに!?」
ラブラドールの顔が輝く。
「ええ、たまにはいいじゃないですか」
「でも、君も忙しいのに。人形作りは……」
「それは大丈夫です。今すぐにしなければならないことではないので」
「そう! なら、お言葉に甘えてカストルにも手伝ってもらおうかな」
「中庭のほうはヴィーダ君がしてくれてますねぇ」
カストルがよく中庭を通るとヴィーダが草木の手入れをしている。その器用な手つきはラブラドールの教えもいいのだが、本人の性にも合っているようで、楽しみながら草木を育てているのが分かった。
「僕がしなくても、彼に任せておけば安心なんだ」
ラブラドールが顔を綻ばせていると、
「彼は頼りになりますね。私も彼のことは好きですよ。ただ、ここの草花はあなたなしでは育たないのでは?」
「そんなことないと思うけど」
「この子たちと会話が出来るのは、あなただけでしょう」
「!」
カストルの言葉がラブラドールの心を打つ。
所有する人形を「この子たち」と表現するのは知っているが、庭に咲く草や木、花までも同じ表現をしてくれるとは思わなかった。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
「そう、だね。僕がいなくてもいいなんて、もう言わないよ」
「ええ、私にとってもあなたは居なくてはならない存在です。それをよく覚えてて下さい」
「ありがとう」
二人の思いが緩やかに重なり、恋しい気持ちが一つになる。
「それはそうと、温室に行ったら私は初心者ですので、あなたに教えてもらわなければ手入れは出来ません」
「そうかな?」
「是非とも入念な手ほどきをお願いしたいと」
「うん、でも君は僕のやり方を見てるだけですぐに覚えそうだよ」
「まさか。自信はありませんが、出来るだけの努力はします。ヴィーダ君に負けないように」
まるでヴィーダがライバルのように言うと、ラブラドールは声を出して笑い、
「もちろん分かりやすく教えてあげるよ」
楽しそうに両手を前で合わせて可愛らしい仕草をするのだった。
「それは有り難いです」
そんなほのぼのとした会話も昼までのことで、ミサはいつもより長くかかったが負担になるほどではなく、昼食を終えて午後から約束していた場所へ二人で── もちろん手を繋ぎながら── 向かうと、一気に雰囲気が変わった。
「……!」
突然にキスをされて焦るラブラドールは、大袈裟な拒絶をしないまでも少しだけ腕の中で抵抗していた。
「こんなふうに咄嗟にされたら嫌でしょうね」
カストルが笑っている。ラブラドールはすぐに首を振り、
「嫌じゃないんだけど、驚いただけ。それに、見られてるし」
温室には誰もおらず、ラブラドールが言っているのは花たちのことだ。
「私がしているのはマーキングみたいなものですからね」
「えっ」
「ラブラドールは私のものですよ、という」
「花たちに宣戦布告!?」
「そこまでじゃないですが、似たようなものです。私にはライバルがいっぱい居るのですよ?」
それを聞いてラブラドールも言い返そうと考えたが、
「君がそう思ってるなんて……」
「意外ですか?」
「ううん。嬉しい」
「そうですか。では、もう一度キスを」
「ちょっとだけね」
「ええ」
しかし、キスは言葉とは反し、ほんの少しで済むはずはなかった。啄ばむようにくちびるを合わせていたかと思うと、口の中を貪るまでのディープキスになる。
「……ッ、カストル、激しくしちゃだめ」
ブレーキをかけようとするが、もう止まらない。
「やめますよ、ですが、まだです」
音を立てて舌を吸い合い、回した腕が愛撫に変わり、今すぐに何もかも忘れて一つになりたいという危険な衝動に駆られながら、何度も何度もくちびるを合わせた。
やがてラブラドールの脚が震えてくると、
「ギブアップですね」
カストルがようやくキスを止めた。
「もう駄目。立っていられない。しばらく休みたい」
「おやおや」
ペタンと座り込むラブラドールを抱き上げて、休める場所へと移動する。抱き上げられても拒絶しなかったのは、他に人が居ないからと、ここまで来たら花たちに見られてもいいという思いがあったからだ。
「あのね、花たちが照れてる。すごく喜んでるけど」
「そうなんですか?」
「うん。僕の気持ちとリンクするからね」
「それは良かった。てっきり襲われるかと思ってました」
「花たちに?」
「ええ。あなたに手を出して嫉妬されるのではないかと」
「それはないよ。僕が君のこと好きだもの」
「……はっきり言いますね」
「ほんとのことでしょ」
カストルがラブラドールを下ろそうする仕草を見せたが、
「えっ、ちょっと!」
カストルはラブラドールを膝の上に乗せて座ったのだった。
「これは……!」
「たまには、ね?」
カストルは最初からこうするつもりだったらしく、ラブラドールを乗せたままリラックスしている。
「たまにはって、さすがに恥ずかしい」
「慣れますよ。それどころか、そのうちこうしてないと落ち着かなくなります」
「そんな……無理」
「しかし、やっぱりあなたは軽いですねぇ」
「そんなことない」
「あなたの重さは分かってるつもりでしたけど」
カストルはラブラドールの躯の特徴については知り尽くしている。それをはっきりと指摘されているのだと思うと、あらぬ想像がかき立てられた。
「いやらしいよ」
「え? 私はあなたがテイト君よりは重くてフラウより軽いのは確かだと言いたかったのですが」
「何、その例え」
「分かりやすいかと思いまして」
「分かりやすいどころか極端だよ」
「そうでしょうか」
「僕だって君のことはたくさん知ってるつもりだけど」
「そりゃそうでしょうね。深い仲ですし」
「!!」
折角ラブラドールが思考を健全な方向に切り替えようとしていたところに意地悪くカストルが戻してしまう。
「他の人には見せたことのないところまで知られてますからね」
「カストルのエッチ!」
「ラブ……! いまどきその言い方」
「文句あるの!?」
「か、可愛いです」
「可愛くないっ」
ラブラドールは本気で拗ねて立ち上がると、フラフラになりながら花壇に向かって歩き出し、背の高い花の中に隠れてしまった。
「ラブ……怒ったのなら謝りますから隠れておかしなことをしないで下さいね」
「別に隠れてなんかないよ」
「でも、あなたが見えなくなりました」
「だって座ってるもの」
「だったらこっちに来て下さい。もう膝の上になんか乗せませんから」
「……」
「ラブ?」
「カストルがこっちに来たらいいじゃない」
「言われなくてもそうしますが」
カストルは立ち上がってラブラドールが逃げた方へ向かった。咲き誇る花の中でラブラドールが脱力したまま座り込んでいた。
「あなたはまたこんなところで……」
「この中が心地いい」
「そうでしょうね、あなたはそうして草や花に囲まれているのが一番似合っています」
「花たちも喜んでくれてる」
「あなたがそばに来ると嬉しいのでしょう」
「違うよ」
カストルの的確な表現を否定する。
「では何故?」
「君が僕のところに来て嬉しいから、花たちも歓迎してくれてるってこと」
「……」
「カストル。もっと近くに」
「いいんですか、そんなふうに誘われたら顔を見るだけでは済まされませんよ」
「分かってるでしょ」
「……そうですね」
カストルはラブラドールに近づくと彼もまたその場に片膝をついた。ラブラドールは座り込んだままカストルを見上げる。
カストルは柔らかく微笑んだあと、ラブラドールの頬を両手で包み、そしてゆっくりと距離を縮めていった。
二人のくちびるが重なる瞬間、花たちが揺れて甘い香りを放つ。
口付けが深くなり、どちらもやめようとせず、ラブラドールがカストルの腕に手を掛けて指先にそっと力を入れた。離れたくない、離さないでという合図で、それに対しカストルは角度を変えてラブラドールの口を貪り、とうとうカストルはラブラドールを押し倒してしまった。
「あ……」
乱暴にされたわけではなく反射的に声を出してしまったが、
「ここでは抱きません。いくらなんでもそれは……ね」
カストルが念のため言うと、ラブラドールは何も答えずにただ腕を伸ばした。
「もう少しだけあなたとこうしていたい」
カストルはラブラドールを覆い、美しく輝く花に包まれながら暫くの間、互いの存在と愛を確かめあうようにくちびるを重ねたのだった。
ようやく離れる頃にはラブラドールの息も上がっていて、
「激しい……カストル」
ほんの少し眉根を寄せて呟いた。
「今だけですから」
それを聞いてラブラドールが頷く。こんなふうにキスで密着していられるのも今だけのこと。ここでしか出来ないこと。これがたぶん部屋ならどうなっていたか分からない。そしてこれが数日後ならば、ここにはラブラドールが残されているだけ。
「カストル……」
「駄目ですよ、泣いては」
「泣いてないもん!」
「仕方ありませんね。では早く手入れの仕方を教わらなければ」
カストルがラブラドールを抱き起こす。
「さぁ、始めましょう」
カストルのその一言がなければ、ラブラドールは溢れる涙を止めることが出来なかっただろう。
「この子たちは、あなたが泣くのは嫌だと言ってるのでは?」
「よく分かるね。もしかして会話が出来るようになった?」
「是非そうなりたいですねぇ」
思いも能力も命もすべてを分け合ってもいい、そう思える相手である。
「じゃあ、花たちのこと、めいっぱい可愛がって」
「もちろんです」
それから二人は真剣に温室の手入れを始めた。除草はもちろん施肥、剪定など、思ったよりも大変な作業が続き、鉢植えから地植えに替えたり、日当たりを見て植え替えを行ったりと中々に骨の折れる地道な繕いが多く、それなりに時間も要した。それらが苦にならなかったのは、ラブラドールが花や草の名を一通りカストルに説明し、その花の効力や魅力をたっぷりと語ったからだ。なにより、二人してしていたことが良かった。
「なんだか楽しいですねぇ」
カストルが満面の笑みを見せる。
「そう言ってくれると嬉しいな。しかも一度教えた花の名前もすぐに覚えちゃうし、君って天才?」
ラブラドールはカストルの隠れた才能に手放しで喜んでいる。
「ですから、私はこういった手作業は嫌いではないのですよ。今度はあなたが留守をするようになったら私が手入れを引き受けましょう」
「なんて頼もしい」
「お任せを」
「ほんと、君が居てくれてよかった」
「お褒めに預かり光栄至極です」
そこでも二人で顔を見合わせて笑う。こんなに笑うことなどあっただろうか。そしていつまでもこの幸せが続けばいいと願わずにはいられない。
「君は優しい人だね。だから僕も惹かれちゃう」
「あなたのためならば、私は……」
その言葉の続きを耳元で、彼にしか聞こえぬように囁いた。
「カストル……なんて人なの」
「普通ですよ」
「もう、何度僕を泣かせたら……」
「泣くのですか? これほど泣き虫だったとは意外です」
「違うよ!」
「ですよね。笑うんですよね?」
「……」
「ほら、笑って」
「……うん。そうする」
ラブラドールがニッコリ笑った。
「でも、だめ。やっぱり……」
「どうしました?」
「泣きたくなるくらい、君が好きなんだ」
「そうですか。では、どうぞ」
カストルは両手を広げて「おいで」のポーズをした。ラブラドールは迷いなく彼の腕の中に飛び込み、そして強い力で抱き締められて無言のまま、夕日影を一つに重ねたのだった。

たっぷりと愛を語らってからの夕食時のことである。
「はい、ラブラドール、中々おいしいですよ」
カストルがラブラドールにスプーンを差し出す。
「今日のメニュー、新しいね。なんだろう」
二人は食べさせあいをしているのだった。
「ラブラドールさん……」
そばで見ていたヴィーダが呆気にとられ、リアムに限っては、
「なんか恋人同士みたいだね!」
兄のヴィーダに話しかけている。
「これは愛情の印ですからね。君達も小さい頃はやったでしょう?」
カストルが意気揚々と説明するも、
「……リアムが赤ん坊のころは」
ヴィーダが現実的な返事をする。だが、そこでもまた、
「その慈愛の精神をいつまでも忘れてはなりませんよ」
妙な台詞で説得をする。
「要するにカストル司教はラブラドール司教のことが好きなんですね。というか両思いですね」
「……まぁ、そういうことですが」
ヴィーダの一言で収拾がついてしまったというオチである。

「ヴィーダ君に知られちゃったね〜」
ラブラドールが部屋でくつろいで笑っている。夕食後にカストルがラブラドールを部屋まで送り、そこで久々にお茶を飲んでいたのだ。
「彼は最初から知ってますよ」
「えっ。そうだった?」
「気付いてましたよ。あの子は本当に大人だ。周りをよく見て動くことを知っている。その分繊細かもしれませんが、司教という仕事が向いている子です」
「そっか。カストルに太鼓判押されたら僕も安心」
「皆いい子たちで私も嬉しくなりますね。だから育て甲斐がある」
「カストルにはハクレン君を任せたから」
「ええ。この先何があるか分かりませんが、それぞれ担うものがある。私はそれを教えていかなければならない」
「君が居なくなったら寂しいけど、ハクレン君の成長を思えば快く送り出してあげたい」
「そうして下さい」
「でも今日はほんとに久々にゆっくり出来て嬉しいよ」
「私もです」
「また今度機会があったら是非」
「手を繋いだり膝の上に抱っこしたり?」
「って!」
冗談だと思っていたラブラドールは、カストルが真剣な顔をしていることに気付いて反論するのをやめた。
「これは別に頻繁にしてもいいですが」
やはりカストルは真面目に言っている。
「……まぁ、恥ずかしいけど、慣れれば平気だよね」
まさか今頃になってこんなことをするようになるとは思わなかったが、相手がカストルならばうまくリードしてくれるだろうと考えた。そうすれば抵抗はない。傍目にはみっともない姿に映るかもしれないが、楽しくて幸せで、そのうちやめられなくなりそうだ。
「それにしても固い人だと思ってたカストルが手を繋いだり食べさせあいするなんて、いまだに信じられないよ」
「そうですか? でも、これは普通だと思いますが」
「うん、分かってるけどさ」
二人は窓際に立って外を見ながら会話をしていたが、実は今までの会話の中で交わしたキスの数は恐らく三桁にも上るだろうと思われた。
カストルは言葉の間にラブラドールにキスをした。それはくちびるであったり頬であったり瞼であったり髪であったり、場所こそ決まっていなかったが、本当に愛しくて愛しくて仕方がないとばかりにラブラドールを引き寄せてくちづける。最初は戸惑っていたラブラドールも次第に話の途中でカストルの袖を引っ張って催促するようになってしまった。
そうして最後にくちびるにキスをしようとカストルが顔を近づけたとき、
「ラブラドール司教。ハクレンです。入っても宜しいでしょうか」
ドアがノックされる音と共にハクレンの声が聞こえていた。
「えっ!? どうぞ!?」
動揺しながら許可を出すと、
「夜分にすみません。失礼します」
ハクレンが入ってきたのだった。
「どうしたの!?」
ラブラドールが驚いていると、
「カストル司教がこちらにいらっしゃると思って……」
「あ。カストル? ここにいるけど……」
「さきほどカストル司教のお部屋に伺ったのですが留守でしたのでこちらかと思いお邪魔致しました」
「そうだったの。よくここに居るって分かったね」
ラブラドールはハクレンが自分に何用かと思えばカストル絡みで、焦りながら複雑な気持ちになっていた。
「他には考えられませんでしたので」
「そうかな?」
ラブラドールが動揺を覚られまいと笑うと、
「私が部屋に居ないときは間違いなくここに居ますからね。さすがハクレン君だ」
カストルも平然としてハクレンを褒めている。
「カストル……」
これでは自分たちの関係をバラしているのと同じである。
「ところで私に何か用が?」
「あ、はい。巡回先のことなんですが……必要なものを見ていただきたくて。もし足りなければ明日か明後日には用意したいと思い、失礼ながらこの時間に伺いました」
「そう、じゃあ、君の部屋に行くとしよう。テイト君と同室だったよね。そうすると君は今一人かい?」
フラウとテイトは先に旅立っている。だから残されたハクレンは一人で部屋に居るのだ。
「準備大変だね。でも、必ずいいことがあるよ。ハクレン君も楽しみにしていて」
ラブラドールが激励すると、
「はい。すごく楽しみにしています。そしてカストル司教と各地を訪ねることが出来るなんて誇りに思います」
司教見習いらしくはきはきと答える。
「では私はもう行きます。あなたはゆっくり休むといいですよ、ラブラドール」
カストルが振り返って言うと、
「……」
ラブラドールの返事がない。寂しくて仕方が無いのだ。あどけない顔が憂い、いまにも泣きそうになっていた。
「行きましょうか、ハクレン君」
カストルが促し、
「遅くにすみませんでした。無礼をお許し下さい。失礼します」
ハクレンはしっかりと挨拶をして頭を下げた。
「うん。また明日ね」
ラブラドールは二人に向かって笑顔を見せる。
そしてカストルとハクレンは揃って部屋を出たが、カストルは思い出したように、
「ああ、すみません。ちょっとここで待っていて下さい」
ハクレンを廊下で待たせ、ラブラドールの部屋に戻った。
「あれっ、カストル?」
部屋に一人で佇んでいたラブラドールはカストルを見て驚いたが、カストルが何も言わずに早足でやってきてラブラドールの頬を両手で包む込むと、目を開けたままのラブラドールのくちびるに素早くキスをした。
「!!」
「おやすみなさい。夢の中で会いましょうね」
「……!」
こんなときに何を言っているの、と言いたかったが、言われた台詞はラブラドールの心情でもあった。気障な言い回しだと笑うことも出来ず、
「うん。約束」
そう言ってテーブルの上に飾られてあった美しい色の一輪の花を手渡す。
「これは?」
「ベッドの枕元に置いてね」
「枕元? 枕の下ではないのですよね?」
「下に置いたら潰れちゃうでしょ」
「そうですが」
「よく眠れるおまじない。そしていい夢が見れるように」
二人は笑ってから、数秒見つめあった。
「ちゃんと、繋がっていますから」
「分かってる」
「愛していますよ」
「カストル!」
「一時でも離れるのは寂しいですけどね」
「僕のほうが寂しい」
「それはどうでしょう。私は平気な振りをしていますが、とても感傷的になっています」
「そんなこと言われたら離れたくなくなる……もう行って。ハクレン君を待たせているんでしょ」
「ええ。では、帰ります」

わずかな逢瀬に身を引き裂かれるような痛みと、愛しい気持ちが絡まった。どうしてこんなに好きなのか、苦しくなるほどに好きでたまらないのか。神様の前で愛を誓い合ったすべての恋人同士に聞けば、答えを教えてくれるだろうか。

「忘れ物ですか?」
廊下を歩きながらハクレンが訊ねる。
「ええ、まぁ」
「カストル司教はラブラドール司教をとても大事にしていらっしゃいますね」
「……聞こえてたかな?」
カストルはハクレンを待たせている間、わざと部屋のドアを開けっ放しにしていたのだ。
「思いが通じ合う相手がいるって素晴らしいことではないでしょうか」
「ふふ」
「ああ、そういえばテイトに手紙を送っておきました。まだ返事は来てませんが」
「彼らも元気でやっていることでしょう」
「食事はきちんと摂れているか眠れているか心配でつい長い手紙を送ってしまいました」
「あなたらしいですね」
「テイトもフラウ司教も頑張っているのだから私も頑張らなければ。宜しくお願いします、カストル司教」
「こちらこそ。そうそう、明日は夜間の見回りの番になっていますから忘れずに来て下さいね」
「はい」

翌日になってハクレンはカストルから絆と愛の大切さを教えられ、互いを思いやる心は魂の繋がりと同義であり、育んでいく優しい世界の中で人は生きて愛を知るということを覚えた。
「カストル司教の言葉は本当にためになります」
ハクレンはフラウを追って教会にやってきたがカストルのことも尊敬している。顔を知る前から名前だけは知っていて興味深く思っていたのは事実だ。
「ハクレン君にはまだ教えなければならないことがあります」
「ありがとうございます。本当に教会に来て良かった。テイトは色々事情があるようですが、彼もそう思ってるのではないでしょうか。そういえば……」
ハクレンはテイトから手紙が届き、子供が出来たことをカストルに知らせると、それまで和やかに会話をしていたのを驚天動地の大事件のごとく突然憤慨しだし、
「フラウ! 一体いつ……! なんてこと!」
「カ、カストル司教?」
カストルの眼鏡が怪しく光る。
「そこに愛はあるのか私がきっちり糺しておきましょう」
フラウに手紙を書く準備を始めたのだった。
「え、私は事態をよく存じてないので何とも言えませんが……」
ハクレンもテイトにもう少し詳しく話せと手紙を書きたい気分であった。
「まったく、罰として私とラブラドールが如何に幸せかどうか延々手紙に書いてあげましょうね」
「ノロケですか」
「そうです」
「カストル司教……怖いですよ」
「大丈夫、フラウなら読んでもすぐに忘れますから」
「そうでしょうか!?」
そしてカストルが手紙にラブラドールとの関係を詳しく書いたかどうかはわからないが、フラウがそれを最後まで読んだかどうかも不明である。隠し子を作ったと指摘されて勢いの余り手紙を破ってしまったからだ。あとからテイトが拾って手紙を繋ぎ合わせて見ていたかもしれないが。
「ハクレン君も大体荷造り終わりましたね?」
「はい、おかげさまで」
「準備も出来たし、あとは……」
「ラブラドール司教のところに行かれますか?」
「そうですね、どうしましょう」
「行ってあげて下さい」
「そこは大人の事情で駆け引きも必要だから」
「会わずに焦らすのですか?」
「……なんかいやらしい言い方だね」
「えっ、そんなつもりは!」
「あはは。分かってますよ、素直に顔を見に行くべきだね」
「はい。そのほうがいいかと」
早めに準備をしていたのも、あとでラブラドールとゆっくり触れ合うためで、教会を旅立つまでの間、ひたすらラブラドールを愛でようと決めたのだった。

そして手繋ぎや食べさせあいは続行中。相変わらず温室ではぴったりとくっついて会話をしているし、傍から見て相当な溺愛ぶりではあったが、愛を掲げる司教の仕事と銘打てば誰もが納得する……否、せざるを得ない雰囲気が作られてしまった。
まさにこれこそがlovers' classic mode……恋人たちのあるべき姿である。


fins