heavenly bodies


誘わなければ抱けない。
その代わり、誘えばどこまでも乱れてくれる。まるでそれがたった一度の幻であるかのように、美しい孤高の人は、すべてを彼に曝け出す。
「今日はやけに素直だね。どうしたの?」
「……」
「最中にお喋りするのは嫌?」
「……」
「嫌そうだね」
「そうとは言っていない」
「へぇ?」
「余裕がないだけだ」
アヤナミの一言は信じがたいものでヒュウガは愛撫をする手をとめた。
「何? アヤたん、冗談言って」
「だったら、お前は少しは私の冗談を本気にするといい」
「出来ないよ」
ヒュウガが即答し、再びアヤナミの躯に大きな手で触れた。いい躯をしている。ヒュウガの方が一回り躯は大きいが、アヤナミの均整のとれた美しい筋肉のラインは、触れれば触れるほど魅惑的で、そして官能的な色を綾なしていた。
その美しい男たちの長い手足が少しずつ絡んでゆくのは、甘い溜め息すらも溶けそうな戯愛のときだった。
キスは短いときにはくちびるだけを合わせて終わるが、今夜は互いの舌を大胆に捺し、吸いあった。アヤナミがこんなふうに応えるのは滅多にない。キスをやめれば冷ややかな笑みで見つめ返し、
「まだだ」
と呟く。
「じゃあ、アヤたんからして」
「……」
「たまにはいいじゃん?」
「そうだな」
「わぁ、ほんとに今日は素直だ」
ヒュウガが子供のように喜んでいる。
「よく私を見ておくといい。幻かもしれないからな」
「分かってるよ。抱いたら忘れるんだし」
そう。
ふたりの間には違えぬ約束がある。

躯を重ねたあと、その間にあったことはすべて忘れるという条件であった。

人の記憶は消せない。アヤナミにはその能力があるが、それを利用することなく、過ぎ去った日々を思い出にするよりも、夢か現かの境のように淡いものに仕上げる。
未来もいつかは過去になり、その時の流れでたった一つ、いたずらな関係を無に返そうとして刹那の快楽を貪り合うのだ。
なかったことにするのではない。
二人だけの余白の軌跡を作るため、いたずらに時を弄ぶ。それはアヤナミとヒュウガにしか出来ないことだ。二人が大人であり、二人の関係が特別であり、魂を重ね、すべてを委ねる間柄だからこそ出来あがる究極の楽園。
だから、異常なほどに燃え上がる。
ヒュウガは獣と化すが、決して手荒な真似はせず、ゆっくりとアヤナミの躯を開き、抱く。アヤナミの白く冷たい肌は闇夜に映えてヒュウガの欲情を刺激する。
「見てるだけでイキそう」
「それは残念だ」
「ほんとのことだもん」
「では、すぐに終わらせるか?」
「なーに言ってるの」
「私は構わないが」
「って、お前ね、そんなことばかり言ってると本気で酷くするよ?」
「酷くしろと言っている」
「ああ、そっか。気付かなくてごめんね」
「気付かない振りをするな」
「手ごわいなぁ」
ヒュウガがニヤリと笑った。
互いに言わせたい台詞を”言わせ合う”のも駆け引きの一つだ。
「泣かせたい、目一杯泣かせたい」
「すればいいだろう」
「いいの?」
「ヒュウガ」
「嘘。ほんとは泣かせたいんじゃない」
「……」
「分かるよね?」

奪いたいんだよ。この意味が分かるよね?

ヒュウガは敢えて声にはしなかった。音にしてしまえば意味が変わる。己の中に在る感情を伝えるのは声音では駄目なのだ。
決して見せない涙も、ため息も、躯も、何もかも、強引に引きずり出して奪いたい。
「……お前の言葉はすべて私に繋がる。忘れるな」
「うん」

「アヤたん、背中」
そう言ってアヤナミをうつ伏せにさせると、美しい形の背中や細腰、適度に投げ出された腕、そしてまっすぐに伸びたば脚に舌を這わせて順に口付け、吸う。このとき絶対に翌日に残るような跡はつけない。抱いているときにだけ浮かび上がるキスの跡は、朝にはもう消えているのだからヒュウガのテクニックの賜物だろう。

そしてそのうつ伏せになったアヤナミの脚……正確には太腿の上にヒュウガが跨って乗り、脚で挟み込む。両手でアヤナミの尻を掴むと予め用意してあったローションを指につけて受け入れる箇所を慣らすのだが、中指をしのばせるとアヤナミがシーツを掴む反応を見せた。
「痛い? まぁ、痛くても続けるけど。とりあえずいっぱい濡らしておくから」
ヒュウガは自らの男根にもたっぷりとローションをつける。数度そのいきり立った男根を扱いて快感を先に得てから、
「もう挿れるね」
言い終わるか否かのうちにヒュウガがずるりと己をアヤナミの尻に嵌めた。
ク、と短い声が漏れたようだが、わずかに漏れる息でさえ別世界の創りもののようだ。彼は薄いくちびるの端を上げ、淫情を受け入れる。
「アヤたん、狭い。オレ、どうにかなっちゃいそう」
ヒュウガが顔を顰めた。
だが、ヒュウガを受け入れた途端に、暫く一切の言葉を話さなくなるのがアヤナミの癖だった。問いかけにも答えず、何かを訴えることもない。
ヒュウガは大腰は使わずにアヤナミの尻を掴んだまま自らの腰を突き出すようにして太いもの挿れてはギリギリまで抜き、皮膚のこすれる感触を愉しんだ。
上から見下せるアヤナミの横顔は冷たいが、目を閉じたときに垣間見せるくちびるを噛む仕草は、明らかに快楽を味わっているようで両手を横にしどけなく伸ばしている。
「なんだかね、神を冒涜している気分だよ」
その後姿はラテン十字の杭のようだった。
恐ろしいまでの狂気と踏み込んではならぬ穢れない天上の憂い。
「オレは禁忌を犯しているんだよね、だから、すごく悦い。ものすごく感じる」

静かに一つになり、接合による快感を味わいながら、二人同じ感覚に酔いしれる。
「……っ」
「今、いい顔してるんだろうねぇ。ちゃんと見られないのが残念。バックって燃えるけど顔が見えないのが嫌だなー」
普段から表情が読めず、そして変えることもないアヤナミだが、抱いている時はわずかでも素直な面差しを見せる。それはヒュウガにしか知らぬ美しさで、秘密裏に進められる時だけの格別なものだった。
「ヒュウガ」
「なぁに?」
「……もう、いいだろう」
「ん?」
「私がお前の顔を見たくなった」
アヤナミは正常位を望んだのだった。
「えっ、本気で言ってるの」
「そうだ」
「オレもアヤたんの顔見たいけど、後ろからするの気持ちいいよ。勝手に締まるし、ちょっときついけど、深くまでいける」
「いいから、戻せ」
まるで業務命令のようにヒュウガに言いつけると、ヒュウガは肩を竦め、
「我儘っ子だなぁ。じゃあ、一旦抜くよ」
自身を抜くために腰を引こうとする。が、
「なーんちゃって」
「!?」
抜く振りをして、グイと奥まで挿れてしまう。
「わ、アヤたん、凄い締め付け! すご……! あ、イイっ」
「……ッ」
「ふぅ、男の躯って、やっぱ後ろは締まるねぇ。アヤたんいい躯してるから尚更」
実にご機嫌なヒュウガだが、
「貴様……」
アヤナミは恨めしそうに呟く。
「うん、ただじゃ済まないと思ってるから安心して。後で打ってもいいよ、あっ、出来ればウィッピングで使う鞭は九尾のバラ鞭でお願いね」
「……」
この時ばかりはヒュウガの方が台詞回しが早く、下になったアヤナミは言い返すことはない。出来ないというより、好きに言わせているようにも見える。
ヒュウガは好き放題したあと、
「ん、オレも我慢出来なくなったから顔見よう」
そう言って簡単に体位を変えてしまうのだった。
「やっぱりいいね、この距離で見られるって最高。アヤたん、綺麗。ほんと、オレ、アヤたんの顔も好き」
「……」
「顔だけじゃないけど。ここもかな」
と言いながら躯じゅう、あちこち触ってアヤナミから呆れられ、
「貴様、いい加減にしろ」
最後には怒られる。
「オレは真面目なんだけど」
「そうだといいのだがな」
「ええ、そうだよ、信じて」
「だったら続けろ」
「……」
返事の代わりに正常位での再挿入である。
「んー、きついな……ごめん、アヤたん、オレ、駄目かも。顔見えた途端イキそ」
ヒュウガが苦笑した。
「早い!」
「だよね、オレもそう思う」
さすがにこれには二人で笑った。
「でも我慢する。めちゃくちゃ激しくするけど、我慢する」
言っていることが分からないと思ったが、アヤナミは脚をわずかに上げてヒュウガの腰に回してヒュウガの躯を捕らえ、押さえた。ヒュウガは更にアヤナミの奥へ進むようになるが、アヤナミは表情を変えることはない。
「なんか……アヤたんの躯に吸い込まれる感じ。オレ、変な声出そうよ?」
「出せばいい」
ふと冷笑するアヤナミに、
「ねぇ、向かい合うと冷静になるよね、なんで? もっと乱れれば?」
「知らぬ」
「またそんなこと言って。ツンデレなの知ってるんだよ」
「……」
「って、本当は嬉しいんだよね。アヤたん無表情のまま喜ぶからタチが悪い。でもオレはぜんぶ知ってるから」
その一言がまたアヤナミの顔に色を添える。頬が少し赤くなったような気がするのは、ベッドサイドで揺れている蝋燭のわずかな炎色の輝線によるものではないだろう。
ヒュウガはゆっくりと上体を倒して近づき、くちびるを合わせられる距離まで来たが、そのまま更に会話を続ける。会話と言っても一方的にヒュウガが喋る形だが、たとえアヤナミが無言でも、きちんとダイアログとして成り立っているのだった。
「アヤたん、綺麗だねぇ。ワインしか飲まないとこうなるのかな」
からかってはアヤナミに軽くつねられるが、ヒュウガにはくすぐったい程度のもので、そのいたずらなやりとりさえも楽しい。
「私が美しいと言うのなら、その理由を貴様は分かっているだろう」
「えー?」
「とぼけるな」
「うーん、分かってるよ。でもオレの口からは言いたくないし、これはアヤたんから言うべきじゃない?」
「知らんな」
「聞きたい、聞きたい」
「愚かな奴だ」
「なんでよ、自分で言うのが恥ずかしいんでしょ」
ゆっくりと腰を動かし、窮屈な中の具合を味わいながら語りかけ、どちらもたっぷりと余裕があるように見える。
「でもね、オレもアヤたんもいっぱいいっぱいだから……」
痴れてしまいそうなほどの快感と狂いそうなほどの愛しさ。
「ああ、そうだな、もう喋らなくてもいいだろう」
「……」
「だって、話しかけないと駄目なんだ」
最中にペラペラとお喋りをする男は世間一般ではどう思われるのか、答えは”NO”がほとんではないだろうか。片言の睦言ならばいい、だが、ムードが台無しにするほどのお喋りは、敬遠されるもの。
しかし、二人の場合は違っていた。
その一言一言すべてに高揚感が孕み、互いの想いを確認するための愛情表現となるのは勿論のこと、またはその逆でもあり、求めすぎて上限のない恋着に錯乱状態になりそうなところを、一歩手前まで引き止めるバッファ効果にもなるのだ。
ギリギリのラインまで狂えるのは、麻薬のようにスリルとリスクがあって、それがこの上なく心地よかった。
「アヤたん儚いから、こうして話しかけていないと消えちゃうんじゃないかって不安になるんだよ」
ヒュウガのお喋りは、それをごまかすためのものである。
「私が儚いなどと言うのは、お前くらいなものだ」
「闇に紛れて消えていなくなったら、オレは何処までも追うけれど」
「光なら消えるだろうがな」
「……」
「お前は私だけ見ていればいい」
「見てるだけじゃ嫌だけど」
「既にこんなことをしている奴が何を言う」
「だよね。っていうかそろそろキスをしてもいい?」
「さっきからずっと待っている」
「んー、少しお喋りになってきたアヤたんの口を塞ぐのは不本意だけれど」
「いいから早くしろ」
「……催促されちゃった」
最初から深いくちづけと熱く繋がったままの躯と、時折漏れるアヤナミの吐息はひどく切なそうで、ヒュウガの腕を掴む力さえも弱い。
だが、どうしてもっと強く握ってくれないのだろうと思って訊ねたことがあったが、その答えは「お前が痛がるだろう」というものだった。普段あれだけつれない態度をとったり、鞭で打つわ靴のまま踏むわで散々なことをしているのに、ベッドの中ではこうである。アヤナミが本当は優しいことを一番よく知っているのはヒュウガなのだ。だから背中に爪を立てることもないし感極まって噛み付くこともない。ところがヒュウガにとって、それが物足りないのかと言えば、そうでもなく、その理由は、感極まって噛み付くことはしないが、あのアヤナミが少しの間だけ、取り乱すことで満足感を得られる。
そして事後はヒュウガが離れようとすると、それを阻止するのだからたまらない。
「甘えてる?」
そう聞けば、
「そうだ」
と答えるのも希有なのだった。

気が遠くなるような長い年月でもそばに居たい。
ヒュウガはアヤナミを抱くたびにそう思う。まるで宇宙に浮かぶ星のように、その存在が神秘であり、謎解きのように小気味よい感覚でもあり、試されるエニグマのような、おぼつかない焦燥と脅威すら味わえる関係を生み出せることが誇らしくもある。ヒュウガはアヤナミのすべてに魅入っているのだ。
そしてアヤナミも、ヒュウガには特別な感情を抱いている。ほとんどアヤナミらしくない感情で、本人には言わないが、実はアヤナミもヒュウガに惚れ込んでいるのだった。勿論、最初からそうだったわけではなく、ヒュウガの成れ合いをそばで見てきて、その身体能力の高さや、なにものにも屈しない精神を見せ付けられ、ヒュウガを高く買うようになり、腹心の部下として認め信頼し、おまけにベッドでのテクニックも持っているとなれば右に出る者もなく、ヒュウガの存在はアヤナミにとっても大きいのだ。

二人で執拗なほどに脚も腕も絡めて達する時は、時間が止まったかのように静かである。途中まではお喋りもするし、あのアヤナミが乱れもするのに、最後の時だけは違っている。それ相当の集中力と、かなり強い快楽のせいだ。

「うん、アヤたん、とってもいい子ちゃんだった」
終わってすぐにたわごとを繰り出すのは満足している証拠。
「……私を子供扱いするとは」
「えっ、オレも子供扱いして欲しいんだけど。ナデナデとか」
「……」
言われてアヤナミがヒュウガの頭を撫でるはずもなく、
「少しは浸っていろ」
「あ、ごめん」
余韻を味わえとの命令が下される。
「じゃあ、朝までね」

一晩限りの恋のような、とっておきの物語。

今夜のことは、明日に引き摺ることはない。ただ、冷めぬ想いで繋がっている記憶を、敢えて仕舞い込み、また次にたくさん愛し合う。この、大人だけが許される総譜には、一度味わったらやめられない毒があり、そしてそれは、幾度も繰り返される愛の言葉となって二人を永遠に結んでゆくのだった。


fins