little honey


「今日もお疲れ様」
一日の仕事を終えてラブラドールがカストルに淹れたてのお茶が入ったカップを渡す。
「ありがとうございます」
カストルは礼を言って先に香りをかぐと、
「今日はまた一段といい香りがしますね」
「疲れを癒す作用と、入眠を助ける成分が入ってるから、今夜はぐっすり眠れると思うよ」
ラブラドールがにっこりと笑って説明する。
「いつも助かります。あなたのお陰で仕事もはかどるし、疲れもとれます」
「君の手助けが出来るなら僕も嬉しい」
二人の会話はとても理想的で、相手を思いやり敬う気持ちが存在する。たとえ誰かが複雑に介入してこようと関係がこじれることはなく、しっかりと強い絆で結ばれているのだ。
「あなたこそ、疲れはとれてますか? いつも大変な思いをしているのだから気をつけなければなりませんよ」
「分かってるよ。でも僕は大丈夫だから」
「そう言ってあたりを安心させようとしますが私には分かりますからね。ごまかしてはいけない」
「……君は僕以上に僕のことを知っているものね」
「あなたが何か画策しようとしても私には分かります」
「君には嘘をつかないから、そんなに勘繰らないでよ」
カストルが鋭いのは分かっている。
彼は頭がよく回転も速い。常に冷静で仕事をする分には文句のつけようがないくらい完璧で、ラブラドールも彼の存在にはとても感謝している。
「あなたが大事なだけです」
「そんなにストレートに言われると困っちゃうよ」
「そうですか? なら言わないようにしますが」
「それはそれでつまらないかも」
「……あなたも時々手がかかるようになりましたねぇ」
「君の前ではね」
「光栄ですよ」
「でしょ?」
互いに特殊な環境ゆえに生まれる気遣いが他人への優しさというだけではなく、別な感情を伴って淡く広がり、次第にそれが深い愛情になるまでにそう時間はかからなかった。
揃って行動することが多いせいか、会話が弾めば秘密も増えてゆく。共有するものがあると、人には連帯感が成り立つものだが二人の中には特別な感情が芽生え、いつしか自然に「好き」という言葉が出てくるようになった。
友達として、家族のような存在として、兄弟のような、共同体のような、色々な「好き」がある中で彼らの場合はそのどれにも当てはまるほど、互いの思いが確かなものになっていった。
「テイト君たちが司教試験に受かってくれたら安心して巡回に出掛けられますね」
「そうそう、僕たちが教えてあげなければならないから責任は重大」
「ハクレン君はフラウに憧れているようだから、フラウ付きの司教見習いとしてもいいのですが、フラウにはテイト君でしょうねぇ」
カストルが悩んでいると、
「フラウとテイト君は離しては駄目。ずっと居てもらわないといけない」
ラブラドールは遠くを見つめながらはっきりと呟いた。
「ええ。では、ハクレン君には私が付きましょう」
「それがいいね。本当に楽しみだよ。あの子たちは必ず受かる」
「あなたがそう言うなら間違いないでしょうけれど」
「これは預言ではなくて、僕がそう信じているだけ」
「それは私も同じです」
前に立って導いてやるより、背中を押してあげたくなる子供たち。それが頼もしくて、早く一人前になってほしいと思う。。
素直でまっすぐで、とても強い心を持っている少年達に、カストルとラブラドールは大きな期待を寄せている。
「ところでカストルは何処を回るか決めたの?」
巡回するところは各自好きに決めていい。何をするかも自由だが、教育者としてそれなりの効果を上げなければならず、ぶらり気ままな旅というわけにはいかなかった。
「いつものコースだとは思いますが、まだ正確なところは決めていません」
「そう。僕はどうしようかなぁ」
「あなたは出発自体が遅いのだから、そんなに焦ることはないですよ」
「だね。ゆっくり決めよう」
「さぁ、美味しいハーブティーも頂いたことだし、私は部屋に戻りましょう。明日もまた早いですから、私は朝にフラウの様子を見てからミサに向かいます」
「分かった。じゃあ、また明日」
おやすみのキスとさようならのキス、大好きのキス、いい夢が見れますように、あと一つ、名残惜しいキスと五回の口付けを繰り返しながら抱き合った。
ここまで来てベッドになだれ込まずにいられるのは、欲望を抑えることの出来る大人であること、そしてその分週末には激しく燃えられるという法則があるからだった。彼らは大人のあり方を楽しんでいるのだ。

しかし週末になって更に忙しくなり二人は会話をすることもままならなかった。カストルは人形を使いってラブラドールに伝言し、ラブラドールは植物を使ってカストルの様子を間接的に知る。
お互いストーカーのようなだと思ったが、それがゲームのようで楽しくもあった。
離れている時間が長ければ長いほど、相手を思う気持ちが強くなる。それぞれが熱い台詞を用意して顔を会わせたときに抱き合う感触と言ったら、それはもう言葉に出来ないほど甘い浮遊感と幸福感を伴って躯が痺れるようにときめく。誰かを思うことがこれほど価値のあるものだと知る。
一度生を失った身ではあるが、セブンゴーストとなって生きている誇りを分かち合える瞬間でもあった。
結局週末に躯を重ねることは叶わず、仕事が忙しいのは当然で司教試験が近いとなれば準備も慌しく、享楽に耽ることを憚る気持ちもある。だから、二人とも不満はなく、片言仕事の話をするくらいの距離が心地よく感じるようになっていた。

或る夜、人形作りをしていたカストルは一旦手を止めて何気なしに窓の外を見た。
月が明るく、静かな夜でふと風に当たりたいという思いに駆られ、作業する手を止めて席を立った。同時にラブラドールはどうしているのだろうと気になったが、そう思うだけにとどめた。今から部屋を訪れるのは逆に興醒めになると考えたからだ。熱いばかりでは飽きるのも早い。
だから、月を見て風を感じるために外に出たのに、足は勝手に温室に向かっていた。そこには誰も居なかったし、何故来てしまったのか分からずに引き返そうとすると、
「どうしてここに?」
聞き覚えのある声に驚いて、カストルは声の主を凝視したのだった。
「ラブラドール」
「びっくりした。カストルが居るとは思わなかったよ」
カストルが驚いている以上にラブラドールも動揺していた。
「あなたこそ、いつここに?」
「今。ごめん、君が来ることは予知してなかった」
「私はここに来る予定ではなかったのです。中庭の噴水辺りに行こうと思ってました」
「そうだったの?」
「気が付いたらここに来ていました。癖でしょうか」
「ふふ。おかしいね」
「あなたに会えたのでよしとしましょう。でも、あなたは教会内を巡回するために寄ったのですか?」
「僕も偶然。なんか外に出たくなって……。ここも僕の部屋みたいなものだから」
「それはそうですね」
偶然なのか必然なのか、こういうことが重なるということは、今夜は特別に肌が合うだろうという直感が動いた。
だが、ここでダイレクトにそんな言葉を口にする二人ではない。
「最近忙しかったからゆっくり出来なくて、花の手入れもままならなかったよ」
「本来ならたっぷり時間をかけてあげたいところでしょうけれどね」
「まさかカストルも人形作りに専念できずにいた?」
「ええ。メンテナンスもろくに出来なくて」
「それは大変」
世間話をしている間でも互いを見つめる瞳が薄暗い温室の中で柔らかく輝く。それは想い合う仲だからこその表情で、違う相手ならばこんなふうにときめくこともない。
「でも、仕事で忙しいのはいいことだもの」
「その通りです」
たとえ会う時間が少なくとも二人は現状に満足している。
「それに、君の顔が見れたから今夜はいい夢見られそうだよ」
ラブラドールが夜に咲く花の香りをかいで嬉しそうな表情をしてみせた。思いがけないときに会えれば喜びも増し、実のある会話を交わすことも出来る。
「私もですよ」
カストルがにっこりと笑うのを、ラブラドールはじっと見つめ、深いため息をついた。
「どうしました? 私が何か?」
少し不安になって、ため息の理由を訊ねると、
「僕、カストルに癒されると凄く安心するって気付いた」
ラブラドールはそんなことを言い出す。
「なんですって?」
驚いたのはカストルである。
「花たちも僕の生活には欠かせないものだけれど、カストルはまた違う存在」
「ラブラドール……!」
「ありがとう。君が居るから色々頑張れるよ」
「そんなこと……」
カストルが困惑していた。どう答えていいのか分からなかった。
「あ、ごめん、迷惑だったかな? こういうの好きじゃなかったら忘れて」
あっさりと言われ、
「ラブラドール」
カストルには目の前の愛しい人の名前を呼ぶことしか出来なかった。するとラブラドールは少し饒舌になりすぎたかと思い、その場の雰囲気を壊さぬように、
「あ、あのね、今夜は君に会えてよかった」
素直に思いを告げて和やかに笑った。カストルが何かに耐えるようにわずかに顔を顰め、
「私もです。さぁ、そろそろ帰りましょう。部屋まで送りますよ」
導くように手を差し伸べてラブラドールを誘った。
「じゃあ、もう少し話せるね」
「ええ。明日のミサについてでも?」
「いいけど、僕はカストルのことを知りたい」
「それは……。では、今日あったことを話しましょうね」
温室から出て、二人は小声で会話を続けた。
仕事中にフラウが居眠りをしていて肘でつついたら大司教様が見ていたことや、ラゼットがテイトを気に入り、懐いてしょっちゅう会いたがっていること、シスター達の失敗談、天気のことまでラブラドールの部屋に着く間、カストルは一方的に話をした。
「ありがとう。話を聞けて良かった」
「私の話だけでしたが」
「それでいいの。カストルは今夜も人形作りの続きをするんでしょう?」
「その予定ですが、もう遅くなってしまったし、今日はもうしませんよ」
「そう。ならいいんだ、ちゃんと休んでね」
「あなたこそ、これ以上起きていては駄目ですよ」
「分かってる」
部屋の前に着き、いつものようにカストルはラブラドールの手の甲にキスをすると、
「おやすみなさい」
「おやすみ」
そう呟きながら二人がとった行動が、抱擁と熱い口付けだった。
廊下でそういった行動をとっていることに背徳を感じながらも燃え上がらずにはいられないジレンマが沸き、長い間、きつく抱き合ってキスをした。
どちらかがくちびるを離そうとすると、どちらかが遮る。それの繰り返しで離れたくないという思いが二人を熱くさせる。
ようやく解放されたのは暫く経ってからのことだったが、それでも互いのくちびるまでの距離がわずか数センチである。再び口付けを交わすには十分なポジションだった。
「こうなることが分かってた」
ラブラドールが呟く。
「私は最初からこうするつもりでしたが」
「うん、でも、僕達、言ってることと行動が伴ってないよね」
「ええ、たまにはいいのでは?」
「そうかも」
至近距離での会話は危うい。
「続きはどうします」
カストルが故意に訊ねると、
「そんなの決まってる」
ラブラドールの迷いのない言葉が始まりとなった。
二人は部屋に入ると、そのまま暫く見つめあっていくつかの睦言を交わした。二人きりで会いたかったのは本心であり、どうしても伝えたいと思っていたことだ。
物音一つしない夜、もう十分遅い時間であるのに部屋の中でゆっくりとキスをしている。まるでそれが目的とばかりに互いのくちびるを貪欲に堪能し、どちらも何も言わず、ただキスだけを繰り返し抱きしめあった。
「私は帰るつもりはありませんから」
カストルが言う。
「僕だって君を帰すつもりはないよ」
もう我慢など出来るはずもなく、物分りのいい大人の振りは終わりにしたかった。

そうして猛り狂った獣のように互いを求めてしまうことに抵抗がなかったわけではない。だが、それ以上に誰かを愛したいと思う気持ちが強かった。
「僕達は、いやらしいことと、いけないことをしている」
貫かれて涙声で呟くラブラドールの言葉がいつまでもカストルの心に残った。嫌悪ではなく、永久に繰り返されるであろう甘い響き。刹那のときだけ感じられるこの行為に、迷いはない。
「あなたが好きです」
そう答えて包み込んで肩にキスを落とす。カストルの下で細い躯を震わせて腕を回してくる可愛い人は、
「僕も、同じ。これからもずっと」
淡い色の髪を胸に預け、目を閉じたまま誓うのだった。

結局二人は朝まで幾度となく躯を繋げた。今まで抑えていたものや名残が重なって激しさが増し、そして終わりが見えなかった。
朝の起床時間になると、ここまで熱くなってしまったことに苦笑するしかなく、
「今日フラウが居眠りしても、人ごとじゃありませんね」
「僕のほうが寝ちゃうかもよ」
「私もです。困りましたね」
「でも大丈夫。強力な味方があるから」
「なんです?」
「僕が処方する眠気醒ましのお茶だよ」
「なるほど」
「最近作ってみて、味もいいかなって思ったから、試飲するつもりでどうぞ?」
「なんだか私たち実験体みたいですね」
「どうなるか分からないけど、自信作だから」
二人はほどなくしてそれを飲んで一日の職務に就いた。効果は抜群で、これなら夜更かししてもいいのではないかと悪巧みをするように言い合ったが、たまに飲むから効くのである。
夜、狩りに出ているフラウにそれを分けてやってもいいのだが、毎日飲ませるわけにもいかず、大きな仕事を控えているときにだけ教えようと思った。
そのフラウに心を読まれたのか、ミサが始まる前にラブラドールに向かって、
「昨夜、寝てないんだろ?」
と耳打ちする。
「どうして?」
焦るラブラドールが聞き帰すと、
「耳の下、キスマークがついてるぜ」
ニヤリと笑ってフラウが言った。
「えっ、ほんと!? これはカストルが……!」
そう言ったあとで、
「う・そ」
フラウが意地悪く言い返したのだった。
「!!」
ラブラドールの白い顔が真っ赤になるどころか蒼白になり、
「あとで覚えてて」
愛くるしい笑顔を見せるが、台詞が怖い。
「やべ。怒らせちまったか」
「ううん。怒ってないよ? だって朝まで一緒だったのは本当のことだもの」
「やっぱり」
「それに昨夜彼がキスマークを残したのは首じゃなくて、胸なんだ。あとで見せてあげてもいいよ」
「……遠慮する」
フラウがうんざりした顔をしていると、
「なんの話です?」
カストルが加わってきた。
「なんでも」
初めてラブラドールとフラウの台詞が同時に重なって、カストルは目を丸くして二人を見比べた。
「ま、オレも昨日は狩りに行く前に迷える子羊の相手をしていたわけだが」
フラウはテイトの相手をしていたのだと自白する。その内容を聞いてすぐに事の成り行きを理解したカストルは、
「お二人とも、ミサの前です」
きりりと嗜めた。
「そんな真面目な顔してやることやってるお前が一番いやらしいんじゃねぇか」
フラウが不貞腐れて言うと、
「なんですって?」
カストルの眼鏡が光った。
「まぁまぁ、喧嘩しない」
今度はラブラドールが仲裁に入る番だったが、
「誰のせいだ」
その一言で全員が無言になる。
ここで仲良きことは美しきことかな、と言いたいのを堪えてミサの前に精神統一し心を無にする。
すべての煩悩を追いやって無に出来たのかどうかは神すらも知らないだろうが、心には常に愛しく想う人が居て、それが幸せに繋がるのだから神様も少しは許してくれるだろう。

汝、今宵は誰を愛する。

そんな神の声が聞こえてきそうである。


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