0.1%の約束(Kapitel.49より)

「どんな人だった? フラウの神様」

過去を教えてはくれないフラウ。それでも訊いてしまったのは、本当に興味があったから。知りたいと思ったから、そのまま口をついて出た言葉だ。

カペラがザイフォンを使えるようになって、初めてカペラの手からそれが放たれたとき、テイトは心から祝福した。5歳のカペラがザイフォンを使えるようになったことは、とっても喜ばしいことだった。
懸命に教え込んだ甲斐があったし、母親のところへ連れ戻す前に、なんとしても取得してほしいと思っていた。自分に出来るすべてのことをカペラに注ぎ込んだのだ。

その日、スズとユキというラグス語を話せる戦闘用奴隷に出会って時間を共にしたが、彼らもカペラが初めてザイフォンを出した場に立ち会っている。そして一緒に喜んでくれた。この喜びは、一生忘れることの出来ない思い出になり、自分についてきてくれた10歳も年下のカペラを本当に愛しいと思った。

しかし、フラウに癒し系でよかったと言われ、テイトは、もし攻撃系であれば本心からは祝福できなかったかもしれないと本音を覗かせた。奴隷であるカペラが攻撃系ザイフォンを使うとなれば、自分のように戦闘用として扱われる可能性が高いからだ。
絶対にそうなっては欲しくない。

だが、もし攻撃系だったら?

テイトはどうしただろう。そのあと、カペラに何と言えばいいのか。自分と同じでよかった、これならば怖いものはない。
そう言って抱きしめてやることが出来ただろうか。

分からない。

「大丈夫だ」
フラウはそう言ってくれた。
「オレもお前も攻撃系だが、なんとかなってるだろ」
「って……」
「お前は戦闘用奴隷だった過去があるが、今は違う」
「……」
「お前の言うとおり、出会いには意味があって、人が生きるのも、その人なりの意味があるのさ」
「そう、だな」

怖くて怖くて、カペラのザイフォンを見るまでひどく不安で。ザイフォンが使えるように教えているのに、攻撃系ではなく、癒し系……せめて操作系でいい、自分とは違う道を歩んでほしいと思っていた。

言っていることとやっていることが矛盾しているのは分かっていた。だからフラウに言われたときもうまく説明は出来なかったが、フラウはテイトを責めることはしなかった。泣きそうになっているテイトを、

神様。

そう呼んだ。
それは余りにも意外で、自分には不釣合いだと思った。
もう、たくさんの人を殺めている。もっとも人が嫌いで、生きることに執着せず、感情がなかった。そんな人間を神と呼んでいいはずがない。

「今のお前は、今までとは違う。それに、個人的な意味でだ」

フラウの言っていることは、大袈裟に言う人々の神ではなく、個人にとっての存在を意味する。
だから、誰にでも、そんなふうに慕い、敬う相手は居るものだという。

(オレにとってのミカゲみたいなもんなのか……)

テイトはまだ腑に落ちないが、テイトとミカゲ、テイトとカペラでは、相対するものが違っていても、静から動へ、闇から光へと希望を与えたという事実には変わりない。テイトに人として目覚めさせてくれたミカゲと、カペラに生きる道を作ったテイト。

「そうか」

誰かの役に立ったことが嬉しくて、テイト自身がカペラに感謝したいくらいだった。

だから。

「フラウの神様は、どんな人だった?」

そう訊いた。答えてくれないのは分かっていた。フラウは案の定「もう覚えていない」とはぐらかしたが、フラウにも神様は居るのだ。だから、テイトに「カペラにとっての神様」と教えてくれたのであって、自分にも経験がなければ、そんなことは言わないだろうと思った。

フラウは自分のことは一切話そうとせず、いつも何かを隠すようにして生きている。もっとも、フラウはセブンゴーストの一人で、一度、生を失っているのだ。決して単純な人生ではない。背負っているものが何かは分からないが、ラクになりたいとは思わないのか、成人向けの本を手にして軽挙な態度を見せているときのように、ちょっとくらいお喋りな男になってもいいのではないか。
テイトはもどかしくて、そしてそれが寂しくもあった。
こんなに一緒にいるのに。
一緒にいて、当たり前のような存在になっているのに。

例のごとく、夜になって皆が寝静まった頃に狩りに出掛けようとしていたフラウは、静かに部屋を出て行った。
テイトも、そうしなければならない彼を見送る切ない思いには、少しずつ慣れてきていた。

しかし。

もう少しだけ、声が聞きたかった。質問の答えを執拗に聞きだしたいわけではない。何かを期待して、それに応えてくれるのを待っているわけでもない。ただ、少し引き止めたかった。それがフラウを困らせることになっても、テイトは文句を言われる覚悟をしていた。
テイトはベッドを抜け出すと、素早くドアを開けてフラウを追った。
「フラウ!」
廊下を裸足で駆ける。
「なんだ!? どうした!」
「追いついてよかった」
「何があった」
「……なにも」
「は? じゃあ、なんで慌てている」
「フラウがいなかったら嫌だと思って」
「どういうことだ」
「えっと、別に特に用事はなくて……」
「なんだそりゃ。オレはてっきり何かあったと思ったじゃねぇか。驚かすな」
「ごめん……」
「で? オレ様の顔を見に来たわけか」
「……」
「正直に言えよ。狩りになんか行かないでそばにいてーって」
「言わねぇ!」
「なんだよ。素直に言ってくれりゃオレは何処にも行かないぜー?」
「マジで?」
「え? ホントに言うのか?」
「……い、言わないけど……」
テイトは思わず顔をそむけたが、
「追いかけてくるってことは寂しいからだよなぁ?」
フラウにニヤリと笑いながら言われて、簡単に肯定するのも癪に障った。
「あー、そういうのでもなくて……お前は狩りに行かきゃならないんだし、それを止めるつもりはないんだけど、なんつうか……今日は、オレ、ちょっとヘンだから」
「あ? ヘンって、今更」
「は? お前はいっつもヘンだけど、オレは普通だろ」
「そうかぁ?」
「オレはまともなんだよ」
「まともぉ?」
「なんだよ! どこかだどう見てもまともじゃん。フツーの子供だし。怪しまれないし」
「……そういうことにしとくか。で、今はまともじゃないテイト先生は、一体何しにここに来たんだろうねぇ」
「あー……」
答えに詰まったテイトは、
「実はコレなんだけど……」
そう言って手のひらをフラウに見せた。
「なんだ、手がどうかしたのか」
「だから、これ」
手のひらには何もない。
「?」
「ちゃんとよく見てみろよ」
そう言われてフラウは長身を屈めて顔を近づけた。
「怪我でもしたのか? 傷は見当たらないぞ」
「うん。これはオトリだから」
「は?」
そしてテイトは自分と同じ目線になったフラウの顔をガシッと掴むと、
「!?」
唐突に、キスをしたのだった。
「以上!」
テイトの顔が真っ赤になっている。
「お、お前……」
「分かってたくせに!」
「……い、いや、オレはお前が寂しがって追いかけてきたのは分かってたから、キスの一つでもしてやろうかとは思ったが……」
「手のひら見せた時点で気付くだろっ」
「気付かねぇ! 何かと思ったぜ! てっきりザイフォンでぶっ飛ばされんのかって思ったくらいだ」
テイトがロマンティックなことを考えているとは想像もつかず、フラウは何事かと本気で驚いていた。
「そうかよ、びっくりさせて悪かったな」
テイトの顔はまだ赤く、当分引きそうにはなかった。
「オレとしてはもう1回びっくりしたいもんだが。あ、ザイフォン出すのはナシね。建物壊れちゃうからね」
「何もしないっつうの」
「さっきのは何回でもいいな。お願いします、テイト先生〜」
フラウがにっこり笑って言うも、
「い・や・だ」
プンと顔を背けて拒否する。
「なんでー!」
「この距離じゃ出来ねぇの」
「……可愛い」
「お、お前……禁句を……」
「じゃあ、もう1回屈もうか?」
「するな。もうしねぇから」
「あ、そ。んじゃ、オレからするよ」
「!!」
テイトをきつく抱き込んで素早く顎をとると、くちびるを合わせる。そのあとすぐに離したが、躯は密着したままだ。
「裸足で追いかけてきちゃって、まぁ。愛くるしいヤツだぜ」
「ば、ばか、何言って……」
「悪ぃな、大声出すなよ」
会話の途中でフラウは断ってからテイトの首に口を寄せると、その柔らかな皮膚を吸い上げた。
「うわっ」
思わず声を上げてしまってハッとする。他の部屋の宿泊人に迷惑がかかると思い、テイトは興奮するのを耐えて、その小さな体内に無理矢理感情を収め込んだ。
チリ、と痛みを感じたが、どのくらいの跡が残ったのかは分からない。あとで鏡を見るのが恥ずかしくて、まともに自分の顔が見られないと思った。
「んぅ……」
執拗にそこだけを攻められてテイトがもがく。
「マズイ魂喰いに行くより、こっちのほうがいいんだけどなぁ」
ようやくフラウが離れ、しみじみと語りながら、
「これで寂しくねぇだろ?」
テイトの頬を撫でた。
「最初から寂しくなんかない。全然ない。これっぽっちもない」
平然と言い切っている顔の頬が、やはり赤い。
「生意気なヤツ。最初は寂しかったけど、もう大丈夫って言え」
「だから、別にそんな寂しいわけじゃねぇっつうの。だって……だって」
フラウのシャツを着ているというだけで、包まれている感じがした。ドキドキしながらも嬉しくて、安心する。誰かの服を纏うという経験はなかったせいもあるが、サイズのまったく違う服でこんな気持ちになることは思わなかった。もちろん、それはフラウのだからで、ぶかぶかでワンピースのようだとからかわれて腹を立ててみせたが、本当はこの大きさが心地よかったのだ。
「似合ってるぜ、そのワンピース」
「!!」
「もう一着あればドレスが出来るかな」
「うるせー!」
「リボンは別に買ってやるよ」
「誰が! いいよ、もう行けって」
テイトは、これ以上おかしな展開にならないうちに離れたほうがいいと思い、外を指して訴えた。
「行ってらっしゃいのキスもしてもらったことだしな」
「ち、違う……」
「あれはそうだろ。出来ればこれからもしてほしいもんだが」
「無理」
「習慣付けよう」
「何勝手に決めてんだ」
「お帰りなさいのキスも頼むぜ」
「しねぇから! それこそオレ寝てるし、お前がいつ帰ってきたかなんて分かんねぇし」
「んー、そこはお前が起きてから勝手にすりゃいいじゃん」
「は? オレが一人ですんのかよ」
「そうそう」
「んなこと出来っか」
「冷たいな」
フラウが残念そうな顔をすると、
「気が向いたら!」
そう言ってごまかす。
「ほう? んじゃ、期待していいってことだ」
「だから気が向いたらだって。向かない確率99.9%だ」
「0.1%に賭けとく。ほら、もう寝ろ。でなきゃここで抱くぞ」
「な、冗談じゃねぇ」
テイトは首を振ったが、少しだけ期待してしまったのは、キスをされているときに閉じ込めた躯の熱が疼くから。
「ここで抱くくらい、簡単なんだが」
「お前ならやりかねない。っていうか、今度こそホントにおやすみ!」
テイトは慌ててフラウから離れて一目散に走り去った。
これ以上長く居ることは出来なかったのだ。自分からその力強い腕の中に飛び込んでいきそうで怖かった。
フラウは、裸足で走り去る姿を見送って、
「……おやすみ。テイト」
見えなくなったテイトに向かい、ぬくもりの残る手を握りながら呟いた。

その朝、テイトが目覚めたときにはスズとユキが居なくなっていた。残された書き置きには暖かい言葉を残し、テイトはどうしても寂しさを隠せなかった。
友達になりたかった。
今までそう思える相手などいなかったのに、ラグス語を話せるというだけで自分から係わりを持ちたいと思うなんて。否、ラグス語を話せなくても、もっと仲良くなりたかった。
この出会いにも意味はあるのだと信じていたから、彼らのことは忘れずにいようと思った。

隣を見ればフラウがぐったりとしている。
「相当狩って来たな。屍のようだ……」
しばらく寝かせておくことにして、テイトは起きる気配のないカペラを残し、一人で外を散策することにした。
「ミカゲ、ちょっと待ってろ」
ベッドの上にミカゲを置くと、毛布をかけて隠してしまう。
「ピャッ」
何事かと手足をジタバタと動かしたミカゲだったが、察したのか、すぐにおとなしくなった。テイトはミカゲに目隠しをしたのである。何故なら、
「おかえり、フラウ。お疲れ」
約束を果たすためだ。
うつ伏せに寝ていたフラウのくちびるに触れることは出来なかったが、その逞しい肩に一度だけキスをした。
「これでいいよなっ。言われた通りにしてやったぜ」
証人も居ないのに偉そうに呟いたテイトは、自分からしておいて顔を赤くしながら、ミカゲを毛布の中から出してやると肩に乗せた。
「ぴゃ」
ミカゲがテイトの頬を舐めたが、それがまるでからかわれているように思えて、テイトは、
「フラウに言われたからだぞ! 約束っつうか、気が向いたらするって言っちまったから……」
一人で言い訳をこぼすのだった。

そのフラウも、目が覚めた時にテイトが居ないことに気付くと、
「何処行ったんだ。お帰りなさいのキスはどうした」
と言いながら、肩を押さえ、
「あいつ、もしかして……」
0.1%の望みが叶ったことに微笑んだ。寝ている間にされたことは分からないが、テイトが一瞬触れていったそこが、火照ったように感じたのだ。本当に勘でしかなかったが、互いを求める本能がそうさせたのだろう、フラウは気付いてしまったのだった。だが、
「よし、おはようのキスがまだだ」
懲りないキス魔と化していた。
「約束も強引にしてみるもんだな」
テイトに聞かれたら殴られそうだ。だから、言わない。

その「おはようのキス」がいつ成されるのか、波乱の一日はまだ始まったばかりである。


fins