乙姫遊び(Kapitel.35より)


テイトはそろそろ我慢がならなくなっていた。我慢というには語弊があるだろうか。
いや、これは違う我慢なのだ。うまく言葉には出来ないけれど、何かがおかしいのだ。教会に居るときには気付かなかったが、ここまでとは思わなかった。それは、
「フラウの女性癖」もとい「顔の広さ」である。
それはテイトを嫉妬させるには十分な「エサ」になった。
フラウが教会内で成人向けの本を隠し持っていることは出会ったときから知っていたし、もはや隠すというレベルではなく、周知の事実として呆れられていて、テイトも何度からかわれたか知れない。
フラウにしてみれば、本気で鼻息を荒くして女性の裸を眺めるということはなく、異性に興味たっぷりの若い男子とは違い、気分転換と癒しを求めているだけだった。
たが、そういった本を眺めているうちはまだいい。聖職者の身でありながら不相応だと喚き立てるのは家常茶飯だったが、テイトが驚いたのは、そういった狭い視野でのことではなく、フラウと旅を続けているうちに知らされた新たな事実であった。
何処へ行っても町の人々はフラウを知っていて、相当顔が広い。それはフラウだけに限らず、バルスブルグ大教会の三司教であるカストルやラブラドールにも同じことが言えた。
軍から出たことがなく、まして戦闘用奴隷という特殊な環境で育ったテイトにとって、町を歩くという行為自体が自分の中では「初めて」の経験であり、ファーザーと旅をしていた記憶は封印されているため、外の喧騒には慣れていない。
それでも、ゼーレの地を目指すと決めたからには順応しなければならないと思っていた。
しかし。
バルトスに来てから、テイトは複雑な悩みを抱えてしまった。
第6区のハウゼン家を後にして移動をしているとき、テイトは頭痛と共に意識が薄れて倒れてしまう。フラウが居なければ野垂れ死んでいたかもしれず、助けてくれたのは有り難いし、寝泊りする場所も確保してくれるから、本来なら感謝しなければならないが、一つだけ、納得出来ないことがあった。
バルトスでの宿泊先がどうしてここなのか。
明らかに自分の趣味で選んだとしか思えないスナック。しかも、規模はそれなりに大きく、客も多ければ、ホステスも多く、しかも上玉ばかりである。何より気に入らないのは、フラウはやはり、そこでも名前が知られているということだった。ただし、一番の人気者はカペラだったことが唯一の救いで、客として成り立たないテイトは宿泊代を稼ぐためにフラウ、カペラと共にバーテンダーとして働くことになった。つまり、住み込みでバイトをする特殊な労働者と同じである。
野宿も嫌いではないが、暖かな部屋で寝食を共に出来るなら、カペラを預かる身としては安心できるからいい。それでも、フラウが女の子たち全員の名前と顔を間違うこともなく覚えていて、楽しそうに笑っている姿を見ると何故か腹が立った。
「お前、何ヘラヘラしてんだよ」
と言って口を尖らせていると、
「羨ましいか? だが、遊びに来たんじゃねぇんだぜ」
フラウが一蹴する。
「遊びに来たついでに働いてるだけじゃん」
やはり気に入らない。
「オレはいいパパに見えるらしいけどな」
「……」
よくよく考えると、ホステスたちの中でフラウの位置は「よく働くいいお父さん」になっている。こんなところでその表現はないと思うが、カペラを連れているから仕方がないし、フラウ自身も女遊びに来ているわけではないのだ。
「お前、なんでそんなに怒ってるんだ?」
「お、怒ってなんかねぇよ」
「たまに二人きりになるとツンツンしてんだろ」
「それは……」
「何が気に入らねぇのかは知らないが、世話になるぶん、しっかり働くことだな」
「……」
うまくごまかされたような気がする。しかし、フラウの言うことは一理あるのだ。
フロアから呼ばれたフラウは、テイトの頭を撫でると厨房から出て行った。
「何が気に入らないのかなんて、自分でも分かんねぇよっ」
独り言が空しく響く。
「テイト兄ちゃん、どうしたの?」
カペラがトレイの上に皿やコップをたくさん重ねて上手に運んできた。
「え、あ、いや、なんでもない。おっ、凄いな! こんなにいっぱい運んできたのか!」
「ぼく、これを洗うよ!」
「出来るか? 割らないように気をつけるんだぞ?」
「うんっ!」
「えらいえらい!」
カペラを見ていると苛々していた気持ちが治まる。こんな小さな子供の前で感情的になるわけにもいかないし、何よりカペラに非はない。
フロアで女の子たちの笑い声が大きくなるが、きっとフラウが何か言ったのか、何かをしたのだろう。時折聞こえるフラウの声だけを追う自分がイヤになった。
「これって、なんなんだよ」
俯いても、誰も助けには来ない。そう思ってテイトはモヤモヤする気持ちを抑えて仕事に取り掛かった。ちょうどいい時間帯になり、客も増えて、フロアは忙しい。
そして、テイトは男性客にもホステスにもからかわれて顔を真っ赤にしながらバーテンの仕事をこなすのだった。
フラウが空いた時間に一服するために外に出る。それを見ていたテイトは、無意識のうちにフラウを追ってしまった。
店の裏側に出ると、壁にもたれてフラウが煙草を吸っていた。
「どうした? 何かあったか?」
紫煙を吐き出し、テイトに声を掛けると、
「あ。なんで? いや、な、なにもないけど?」
おかしな受け答えをしてフラウに怪訝な顔をされる。
「何かあったのはお前のほうらしいな」
「べつにそんなんじゃないけど」
「来いよ」
「オレ、戻るから。なんか知らねぇけど、気付いたらココに来ちまってたから、戻んねぇとやばいし」
自分で何を言っているのか分からない。これではごまかそうにもごまかせないではないか。
「来いっつってんだろ」
「お前が来い!」
「……ずいぶんと気の強いお姫様だぜ」
「ひ、ひ……!」
王子なら分かるが、女の子扱いではテイトが怒り心頭に発するのも当然である。
「なにかご不満でも?」
「てめぇ〜!」
「駄目だな、そんな顔してたら店の中じゃ顰蹙だぜー。スマイルスマイル!」
「ここは外だからいいんだよっ」
「はいはい」
そんなやりとりをしている中、
「フラウー! やっぱりここに居たのね。居ないと思うといつもここに居るし。お客さんからオーダー入ったの。お酒作ってもらえる?」
ホステスの中でも一番綺麗な女性がフラウを迎えに来たのだった。
「ああ、今行く」
素っ気無く返事をすると、
「まぁ、坊やもここに居たの! 働きづめだから休憩はこまめにとってもいいのよ? もし疲れたら先に上がってもいいわ」
陶器のような白い肌に透けるドレスが外套のない路地裏でも眩しく感じた。月の光さえあれば、美しい者はいっそう際立つようになっているのだ。
「いえ、もうちょっと頑張ります」
「あら、いい子ね。あっちの小さい坊やも凄く頑張りやさんだわ」
「カペラのほうが色々巧いです」
「そうね、器用だわ。でも、あなたたち二人ともウチで雇いたいくらいよ。マダムもその気なんだけど」
と、話が盛り上がっているところへ、
「じゃあ、オレは先に行くぜ」
フラウが中に入ってしまった。
女性と二人きりになったテイトは、
「オ、オレも……」
急に顔を赤くしてその場から逃れようとする。逃げるというより、そろそろ仕事に戻らないといけないと思った。
「かわいいのね」
女性はくすりと笑ってテイトを見つめる。
「あなた、恋は?」
「へっ!?」
突然、妙なことを聞かれて頓狂な声を上げてしまったが、
「ないですないですないです!」
しっかりと否定した。
「まぁ! 学校じゃ女の子にモテそうなのに」
「え……と」
こんなところで自分が元戦闘用奴隷であり、士官学校を卒業して陸軍から逃げてきた身だとは言えない。まして、滅ぼされたラグス国の王子だなどと、口が裂けても言えなかった。
「女の子は苦手?」
「いえ、そんなこと……」
「じゃあ、たくさん恋をしなくちゃね! 女の子を守ってあげて?」
「は、い」
そう答えるしかなかった。
(守る?)
(今は、まだ……)
テイトには愛だの恋だのという言葉自体がよく分からない。どういう感覚なのか、感情なのか、それは母親や家族、友人を思う気持ちと同じなのか、それとももっと複雑な思いなのか理解できなかった。
「初恋もまだみたいだから、きっと真面目か純情なのねぇ。分からないことがあったらフラウに聞くといいわよ!」
「えっ」
「あの人、ああ見えてもエスコートは得意だし、いつもふざけているけど、優しくって頼りがいがあるし、女の子のことは詳しいから、色々教えてくれると思うわ」
「はぁ……」
(教えてもらう?)
(何を)
(女の子の口説き方?)
でも、今はそんな相手もいない。それよりも、フラウにだけは教えられたくはないと思った。きっと自分の体験談を意気揚々と話すだろう。そんな自慢話は聞きたくない。フラウのだけは聞きたくないと思った。フラウは自分のそばにいて、自分を守ってくれるだけでいいのだと思ってハッと我に返った。
(変なこと思った。絶対変だ、オレ)
テイトは一人で慌てたが、なんとか女性の話に合わせようと、
「でもさ、あいつ、司教じゃん。司教って普通は……」
そう言ってみた。
「やぁね、結婚するわけじゃないのよ? 女の子の扱いっていうのは、会話や雰囲気、そして大切に思ってくれる気持ちが大事。まぁ、テクニックというところかしら」
「……」
テイトにとってテクニックという言葉を聞くと、違う方向に考えが及んでしまう。つまり……。
(ベッドでの? だ、だからフラウは聖職者で!)
想像して、顔から火が出た。出しながら今更なことを考えるのだった。
「あら、どうしたの?」
「いっ、いえ! そろそろ戻らないとっ。あの、お話して下さってありがとうございましたっ」
テイトは狭い廊下を必死で走り、熱を冷ます余裕もなくフロアへ戻った。再び山のように溜まった皿やコップを片付けていると、さきほど会話をした女性とはまた別の綺麗な人が、カペラが一人でじゃがいもを剥いているから手伝ってほしいと言ってきた。テイトはここでも美しい女性にみとれる。ほんの少し、フラウの気持ちが分からないわけではないと思ったが、やはりコンマ1秒で否定した。彼女がマリーという名前であることは後から知ることになる。
カペラの元に行くと、一人でたくさんのじゃがいもの皮を上手に剥いていたのだった。
「スゴいな、カペラ。オレより全然うまいよ」
包丁まできちんと扱えるとは、いったいどんな生活をしてきたのだろうと思うが、奴隷として売られた身である。大概のことは家でこなせるようになっていたのだろう。話を聞けば、料理をするのはカペラだったというから驚きだ。わずか5歳の子供が食事の支度をするなど、どれだけの苦労をしてきたのか。
母親の最後の選択はカペラを売ることだったが、そうするしかない人たちというのは、実際の問題として少なくはなかった。カペラや奴隷船で見た人々はあくまでのその一部、氷山の一角である。
テイトはカペラを自分の姿に重ねる。これ以上辛い思いをさせたくない。自分が教会で助けてもらったように、カペラを慈しんであげたい。
すると、泣いているカペラを見つけ、手の空いたホステスたちがこぞってカペラを連れて行く。子供が泣くと放っておけないのは母性本能だろうか。そのうちテイトまで拉致されてしまうが、仕事がしたいと言ってほうほうの体で逃げ出した。
暫くして店が落ち着くと、ホステスたちも姿を消していた。どうやら、その日は広場でダンスパーティーがあるらしく、お店のマダムにテイトもそこへ行くようにと言われたのだが。
「……」
広場に行っても踊れるはずもない。諦めて部屋へ戻ろうとすると、ホステスたちが部屋で化粧を直し、ダンス用のドレスに着替えるために部屋を占領していたのであった。
「あわ!」
テイトとカペラは思わず部屋から離れようとする。間違って入ってしまったものなら痴漢扱い……されることはないと思うが、女性に免疫のないテイトは挙動不審になり倒れてしまうだろう。皆が出るのを待とうとすると、中から聞き覚えてのある男性の声がした。間違いなく、知っている人物で、むしろ知りすぎているほどで、さきほまで会話もしたし、最近は嫌というほど一緒に居るから聞き違いや空耳ではないのは確かだった。
「なんでフラウが中に居るんだよ」
いくら女好きだからって、着替えている女性の部屋に潜入したのか? だとしたらそれは犯罪ではないのか。
テイトが呆然としていると、
「おいおい。お前らオレをここに連れ込んでどうする気だ。オレは忙しいんだぜ」
フラウが呆れたように呟いている。
入り込んだのではなく、無理やり連れ込まれたようだった。
「だから、見立ててほしいの! このドレスに合う髪飾り、これとこれ、どっちがいいと思う?」
「私はこの三つのドレスの中から選べなくて一週間悩んでたの。フラウに決めてもらえれば助かるなって思って待ってたのよ」
「それからね、靴も! この日のために5足も新調しちゃった。だけど、選べない。ドレスとのバランスが難しくて。お店の人にも相談したんだけど、あんまりピンとこなくて。どうしよう、フラウー」
さきほどまではカペラやテイトが構われていて、フラウは裏方に徹していたのに、こういうことになるとフラウは相談役に転じてしまう。しかも、女性たちはほぼ半裸状態である。
「はいはい、順番に見てやるよ。ったく、オレのこと男として見てねぇだろ」
男として見ていないから、着替えの場に連れ込めるのだ。しかし、
「嫌だわ、性別は男でも、男じゃない人なんて、ココには入れないわよ?」
一人の女性がはっきりと否定する。
「そうそう、いい男しかココには入れないようになってるの。だって、フラウに見られてるって思えば、あたしたち、俄然目覚めちゃうわよね」
何が目覚めるのだろうか。
テイトは不思議に思ったが、それが女性ホルモンやフェロモンだと言っても、テイトには理解の出来ない分野だった。
「その通り。いい女になろうって気持ちが出てきて、それが躯にも表れるの」
「最高の状態でドレスを着てパーティに臨みたいじゃない? だから、センスのあるいい男にアドバイスしてもらって、自信に繋げたいのよね」
「ステキな人に見られると、女の子って自然にキレイになるのよ? 嫌なヤツに見られても気持ち悪いだけだわ」
「というわけで、ドレス着せて!」
「あたしは靴を!」
「ねぇ、フラウ、ネックレスの後ろ、とめて?」
なにやらすごいことになっている。フラウは一度大きくため息をつくと、
「はいはい、名スタイリストってことで、これは時給に上乗せしてもいいのかぁ?」
冗談を言いながら女性たちを笑わせるのだった。
そこで、聞こえてきた会話に笑えるテイトではない。むしろ今までにないほど複雑な顔で廊下に突っ立っている。
(オレには出来ない。女の子に何を頼まれても、ましてドレスを着せるなんてことは、絶対に出来ない)
テイトの口が勝手に尖り始めた。
(靴を選べと言われても、何が合うのかなんて決められない)
そう思うと不機嫌になり、目つきが鋭くなってきて、相当面白くない顔をしていた。
(さっきだってアイスワインの意味が分からなかったし)
仕方がない。テイトの育った環境を考えれば仕方がないのだ。戦闘用奴隷は酒の名前など覚えない。士官学校ではソムリエの勉強はしない。
(フラウは……)
大人なのだ。
そんなことは今、初めて知ったわけではない。抱かれたときから、否、出会ったときから分かっていたこと。
(バカ)
やがてダンスパーティが始まり、テイトとカペラは、窓からその様子をずっと眺めていた。いつか自分もあんなふうに誰かと踊るようになる日がくるのだろうか。想像もつかないが、いつか、そんな日がくることを願おうと思った。どんなに遠い世界でも、こんなに素晴らしい時が過ごせるのなら、それは幸せだと思う。その幸せを夢見るだけなら、神様だって許してくれよう。自分には有り得ないことだと分かっていても、夢を見るだけならば。
そうして眺めていると、、フラウが広場には行かずに別の場所でマリーと会話をしているのが見えた。何を話しているのかは遠すぎて聞こえなかったが、フラウがマリーの手をとり、二人が踊りだす。
町一番の踊り子だったマリーをフラウがリードすると、マリーの柔らかな躯は花のように美しく舞うのだった。
「綺麗だ」
本当に美しいと思った。世界には、こんなに美しいものがあるのだと深い感銘を受ける。そこでも、フラウがダンスまで出来るとは知らず、テイトは自分の負けを潔く認めざるをえなかった。
「あいつ、何でも出来んじゃん。ただのアホかと思ったけど、どうりでホステスさんたちが頼りにするわけだ」
そのあと、テイトはカペラを部屋に残し、フラウを迎えに行った。
マリーを天に還したところを見たテイトは、何故かは分からないがフラウのそばまで行きたくなったのだ。フラウが悪人の魂を喰らったところまで見たかどうかは分からないが、どうしてもそばに居たかった。
駆けつけたとき、フラウは鎌を出したまま立っていて、テイトが何度呼びかけても反応がなかった。きっと疲れているのだろうと思い、風呂に入りたいと言ったフラウのためにマダムからタオルを借りてきてやろうとした。
いろいろなことが分かってきて、今まで無意義だと思っていたものの意味が成しえてくる。世界が広がり、それらに触れるたび、テイトは少しずつ周りのものが大切に思えるようになった。
そして、その優しい日が終わり、深い夜を迎えた。
先にシャワーを浴びたフラウが部屋でくつろいでいると、嫌がっていたカペラを無理やり風呂に入れてカラスの行水のごとく上がってきたテイトが手を繋いで歌いながら帰ってきた。
「よーし、お前ら、もう寝ろよ」
「フラウは?」
「オレは忙しいんだ」
「店、もう終わったじゃん」
「仕事に終わりはないぜ」
狩りに行くのだろうか。それとも、まさかとは思うが、誰かと約束してる? そう考えると、行きそうなところは沢山あるようだ。
テイトは一人でぐるぐると悩み始めた。
「僕、眠い。おやすみなさい!」
カペラが先にベッドに入って毛布をかぶると、ものの3秒で寝息を立て始めた。
「はや!」
子供はこんなにも寝つきがいいものか。ミカゲもすっかりカペラに懐いて隣でコロンと横になる。
「疲れてるからな。ずっと働き通しだぜ」
フラウがカペラの顔を覗き込んで笑う。
「……だよな。ほんとにカペラはいい子だよ」
「お前もじゃがいもの皮むきくらいカペラに近づけるように頑張んな」
「う……」
今日はまるでフラウに完敗だったと思ったが、カペラにも負けている。テイトには、知らないことが多すぎた。
「お前も寝ろ」
毛布を広げて眠るように指示するが、テイトはベッドに入る素振りすら見せなかった。
「なんだ、反抗期か?」
鎌といい、テイトといい、どうしてこうも……と思っていると、
「オレもソファでいい」
借りている衣裳部屋は、ベッドが一つしかなく、ここで3人で眠るのはきつい。だからフラウは何処かへ行こうとしたのかもしれないが、フラウがソファで寝るつもりなら、自分もそれでいいとテイトが意思表示したのだ。
「はぁ? なんでだよ」
「なんでか分かんない」
「……いいから、ベッドで寝ろ」
「やだ」
「ったく。言うこと聞かねぇとお前が寝てる間に化粧してやるぞ」
「な!」
ここは衣裳部屋でホステスたちの化粧道具が置かれてある。
「いたずらされてもいいのかー?」
「なワケねぇだろ! つか、フラウは化粧とかも詳しいのか?」
「は? オレに化粧する趣味はねぇよ」
当然だが、テイトが知りたいのは、そういう意味ではなかった。
「違う。さっき、ホステスさんたちにドレス着せてたりしただろ」
「ああ。お前、見てたの?」
「見たっつうか、ドア開いてて丸聞こえだった」
「ふーん。なんだ、お前、化粧してほしいのか」
「だから違うっつってんだろ!」
「なら、ドレス着せてほしかったとか?」
「何言ってんだテメー!」
「オレは、どっちかっつうと脱がせるほうが好きだ」
「んなこと聞いてねー!」
少しだけ尊敬出来そうだと思っていたのに、やはりこんな展開になることは果然的中してしまった。テイトの天を突きそうな怒りが、天に召されたマリー嬢なら分かってくれるだろうか。それとも、あの美しい笑顔で優しく笑って見守るだけだろうか。
「じゃあ、何だよ」
「だから、うまく言えないけど……」
「羨ましかったんだろ? 半裸の女性がわっさわさ。お前だったら鼻血噴いて失禁してたぜ」
「ちょ……」
冗談じゃない、と言おうとしたが、あながち嘘ではないと思った。そんな醜態は一生のうちでただ一度たりとも晒したいとは思わないが、あの場でフラウの位置に居れば、有り得ない話ではない。
「って、オレはそういう目で見てたわけじゃねぇけど」
「でも、スゲーよ、お前」
「そうかぁ?」
「ドレスとか髪飾りとか、靴とかちゃんと見立ててやれるなんて」
「まぁな。場数踏んでるし」
「……ちょっと嫉妬」
テイトが正直に告げた。思ってもないことを口にしたというより、口にしても恥ずかしくないから言ったのだった。
「は?」
当然、フラウが驚く。
「デキるお前に嫉妬。いつかオレもカッコイイこと出来るようになるかなって思いつつ」
「……」
「ホントはさ、なんで女の人がいっぱい居る店に来たんだろって腹立ててたんだ。いくら女の子が好きだからって、そりゃねぇだろって。オレもいるしカペラもいるってのにフザけてんじゃねぇって」
「だろうな」
「でも、仕事だったんだな」
「ワケもなくお前らを連れまわしたりしねぇよ。ここならカペラも可愛がってもらえる」
「あ……」
そうか。そういう目的もあったのだ。テイトは少し感情的になりすぎたようだった。
「分かったなら、寝ろ」
「やだ」
「やだって、ほんと、素直じゃないね。つまり、こういうことか」
フラウはソファの上にテイトを押し倒した。テイトは何も言わず、そして抵抗もしなかった。
「ここでかよ。理性持つかな」
フラウがぼやく。
ここで。そう、つまり、さきほどまでホステスたちが艶やかに着替えをしていた場所である。ソファを中心に下ろしたてのドレスや宝石が無数散らばっていて、甘い匂いが漂っている。彼女たちは自分を彩るのに夢中で、片付けもしないまま会場へ行き、ダンスの相手と何処かへ出かけたか、テイトたちが休んでいることを思ってそれぞれの部屋に戻ったのだ。
フラウは、彼女たちに明日の朝には片付けに来ると伝言されたのはいいが、どのみちベッドは綺麗に片付けられてあったし、テイトとカペラ、ミカゲが寝られればいいと思っていたから気にしなかった。それなのに、テイトは、この場で、しかも色とりどりの女性用下着や口紅、マニキュアの瓶が並ぶテーブルの前で抱けと言う。
「朝まで止まんねぇかもしれないぜ?」
「いいよ、べつに」
「へぇ。覚悟は出来てるってわけか」
「うん」
教会に居るときですら、こんな光景はなかった。
乱れるテイトの裸の胸に、真珠のネックレスが落ちてきた。惑乱していて、そばにあるドレスを掴んで顔を隠そうとしてドレスをまとったようになったり、コサージュが髪に散らばって、黒髪に黄色がよく映え、花を髪に飾って似合う男もそう居ないと思った。ルビーをあしらったペンダントが脚にからまり、抱え上げて犯すと、官能的な赤い色の石が激しく揺れる。
「お前、短気だし、殴る蹴るの暴れん坊だけど、女装だけは似合うかもしれねぇな」
ここでテイトの癪に障るようなことを言ってからかうのもフラウの手だが、たとえ意識が朦朧としていようとも、
「そんな、こと……な、い」
それだけは絶対に認めたくはなかった。
「いいんじゃねぇの、将来の就職先があって。司教より有望?」
ホステスたちに散々言われていたが、このまま大人になっても細い線のままで、ドレスを着て客引きくらいは出来るのではないだろうか。
「な……に言って……」
思い切り揺すられながら、テイトは違う違うと首を振る。
「可愛いぜ、お姫様?」
こんなことを言われたらすぐにでも殴ってやりたくなる。殴れない距離でも、蹴飛ばせないわけでもないのに、それが出来なかったのは、最初の射精感に襲われていて我慢をするのが精一杯だったからだ。
「う……ッ」
「イッちまえよ」
「や、やだ」
「なんだ、お得意の『一人じゃイヤ』攻撃かぁ?」
フラウがニヤリと笑う。
「ち、違……、汚しちま、う……だろっ」
周りに散らばる宝飾品、シルクのドレス。それらを汚してしまっては大変なことになる。テイトはひどく気にして、故意にここで抱かれても最後までは満足してはならないと勝手に危惧していたのだった。
「大丈夫だって。ほら」
フラウは一旦てのひらを見せて、そしてテイトのもっとも敏感なところを先端から隠すようにして握る。
「あ── っ、触ん、なッ!!」
触ったら当然呆気なく達してしまう。
それに耐えられたのは自分で自分の指を噛んで痛みを与えたからだった。しかし、フラウにとって、それは卑猥なアクションにしかならない。
「お前な……オレのほうがやばいんだけど」
本手(正常位)は本手でも、机がけの体位で犯したまま、フラウが嬉しそうに「舌打ち」をした。
右手でテイトの膝を折り、左手はテイトの男の子の印を撫でる。
「ひっ!」
もう駄目だ。そう思った瞬間、
「……ッ」
フラウも一瞬動きをとめて、テイトの中に慾沫を迸散させたのだった。
「あ。あれ……?」
フラウの手を濡らしてしまったことに気付いたのは、数秒たってからのこと。そしてお風呂だシャワーだと言ってフラウにとめられるが、どうしてもシャワーが浴びたくて、
「二回目はお風呂で」
と言ってしまい、部屋からどうやって抜け出すかフラウを悩ませるのだった。
「困ったお姫様だ」
後処理をしながら、そう言うと、
「その呼び名はやめろ」
テイトが即答で返す。
「あーあ。さっきまで可愛かったのになぁ」
「……」
たった今、交わったばかりで受け入れていたところが痺れている。お互い、まだ裸のままだ。確かに、泣きそうになってしまうほど悦かったと思う。だが、
「男がそんなふうに呼ばれて嬉しいわけないだろ。せめて王子様と呼べ」
図が高い、と言わんばかりの態度だが、つい先ほどまで快感に酔い、あらぬ台詞を並べていたとは思えない。
「気持ちいい」
「ゆっくり、ゆっくりして」
「もっと奥まで大丈夫」
などというのは、王子が使う言葉だろうか。
「それは、まぁ、そのうちな」
ラグス城に着いたら、とは言わずにフラウは含笑した。テイトは次の行き先が第5区としか決めていない。
「さぁて、どうするかな」
寝かせてしまったほうがいいのか、それとも……と思っていると、
「フラウ……」
テイトは、ブルーサファイヤがはまった指輪を見つけ、それを手に取り、青く輝く石にキスをした。その石の色は、フラウの瞳の色だったのだ。
「上等じゃねぇか」
「待って、シャ……ワー……」
「終わったら連れてってやるよ。失神したお前を抱えて、な」
「な……っ」
これはとんでもないことになりそうだった。ただ一つの救いは、カペラは熟睡していて全く起きる気配がないことだ。ミカゲに関しては、眠った振りをしているのかもしれなかったが。

こんな日くらいは将欲に溺れてみるのも悪くない。束の間の休息と言うには激しい過ごし方ではあるが、互いを求めることしか出来ないほど、すべてを欲しているのは事実だ。たとえ抑えてもいつかきっと爆発する。ならば、素直に求め合ったほうがいい。
「嘘はよくねぇし」
念のため呟いてみるが、翌日になってラブラドールから「嘘はよくない、正直に」と書かれた手紙が届いたのだから、フラウは驚いて手紙を落としそうになった。それは勿論、第5区に渡ってから起きることに関してのアドバイスだが、日々の欲望に正直になれということも含まれているのかどうかは分からない。ラブラドールは二人のことをすっかり見透かしているのではないかと思われた。

酔狂な遊びも終わり、旅は更に過酷な事態へと陥ってゆく。だが、こうして蜜時を過ごしてきたからこそ、結ばれた絆が深くなり、援け合う気持ちが強くなるのだ。

果たしてテイトがフラウに「王子様」と呼ばれる日は来るだろうか。それは遠くない未来に必ず──


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