something extra


「ヒュウガ少佐、アヤナミ様がお呼びですよ」
 参謀部から出て軍の兵士が行き交う廊下で、コナツがたくさんの書類を抱えながら忙しそうにしていると、向こうからやってきたヒュウガを見つけて慌てて言付けする。
「え。なんだろう。何か美味しいものくれるのかな」
「さぁ。難しい顔をしていらっしゃいましたが」
「げ。今日は何もいたずらしてないのに」
「どうされたのでしょう」
 コナツも心配すると、
「コナツ、もしアヤたんに怒られたらあとで慰めてくれる?」
 ヒュウガが困ったように呟いた。
「そうですね、勤務時間内に書類をまとめて頂けたら」
「……」
 怒られるのも慰めてもらうためにしなければならないことも双方厳しい条件だ。ヒュウガは投げやりになって、
「あーあ。もうオレ、旅に出ようかな」
 ぼそりと呟いてうなだれた。
「は?」
 上司の不可解な行動は今に始まったことではないが、コナツは動作を止め、
「一人旅ってどんなんだろう」
 遠い目をしている上司に向かい、
「何を仰るんですか。そんなことより、アヤナミ様がお待ちですよ」
「あっ、そうだった。アヤたんに怒られるー」
 本当に旅立ちそうになっている上司を現実世界に連れ戻した。
 呼び出された理由が任務指令だとして、本当は怒られる用事ではなかったのに時間が遅くなったために叱られてはたまらない。ヒュウガは慌てて参謀長室に向かった。
 その後姿を見送り、コナツは小さくため息をつく。
「昨夜はあんなにかっこよかったのに、どうして昼間はふざけてばかりいるのだろう」
 いつもの独り言である。
 昨夜はヒュウガがコナツの部屋を訪れ、一晩中コナツを抱いた。今日になって寝不足のヒュウガは、案の定、あくびを連発し、そのうち歩きながら寝てしまうのではないかと思われた。
「せめて仕事中くらいは冗談を言うのをやめたらいいのに。あの方は人を斬るときも薄笑いをしているから」
 そこがヒュウガのいいところなのだ。
 しかし、そのギャップも魅力なのだが、わざと二枚目に見せているのか、それとも本当はお笑い系の性格なのか、ヒュウガの捉えどころの無い人物像にコナツは首を傾げるばかりであった。
 そしてヒュウガが戻るまでの間、コナツはカツラギの補佐をしながらてきぱきと仕事をこなした。
「あなたは本当に優秀ですね」
 カツラギが目を細めてコナツを見つめる。
「そんな勿体ないお言葉を……まだまだです」
「ええ。若いのに有能で、完璧です」
「ありがとうございます」
「まぁ、ヒュウガ少佐の片腕ともあろう人が中途半端な実力では務まりませんからね」
「はぁ……」
 上司がいつもふざけてばかりいるので……と言いたかったが、カツラギは更に上司である。いくら不真面目だからと言って自分の上司の悪口を言うのは憚られた。
「私はヒュウガ少佐のおそばにいられるだけでも嬉しいのです。私はまだ未熟ですが、尽力したいと思っています」
「素晴らしいですね」
「精進します」
 優等生の答えを出しながら、コナツは少しだけ焦っていた。何故なら、
「昨夜もご一緒だったのでしょう?」
 などというようなことを聞かれるかもしれないと思ったからだ。というより、
「昨夜もご一緒でしたね」
 見事に聞かれてしまった。
「はい?」
 コナツは耳を疑った。
「ええと……」
 残業で……と言おうとしたが、
「ヒュウガ君は本当にあなたのことが好きですね」
 と言われて叫びそうになるのを必死で堪えた。
「な、何を仰って……」
「あなたは仕事も出来るが、とても魅力があると思いますよ」
「ええっ」
「ヒュウガ君の気持ちも分かります」
「何の気持ちですかー!?」
 コナツの焦りは頂点に達しようとしていた。これはカマを掛けられているのかもしれない。いくら自分たちの関係が暗黙の了解で知られていることだとしても、はっきりと肯定するわけにはいかないと思ったのだ。
「手に入れたいと思う気持ちです」
「あ、あの……」
「あぁ、無駄話をしては仕事が進みませんね。次の書類をまとめないと午後からの会議に間に合いません」
「はっ。そうでした! 私も手伝います」
 カツラギが自ら話題を変えたが、コナツの動揺は暫く治まることはなかった。
(どうして昨夜一緒だったと知っているのだろう)
(少佐の気持ちが分かるとは何故。そもそも、カツラギさんと少佐が仲良く話しているところは余り見たことがない)
(私がカツラギさんを頼りにすることは多いけれど……)
 こんなふうに褒められることはなかったと思う。あったとしても、魅力があると言われたことはなく、大体、大人の大佐が子供の自分に何の魅力を感じるというのか皆目見当もつかない。
 コナツは全く理解できず、これ以上悩むのは不毛だと思い、考えることをやめてしまった。
 そして昼食後、ヒュウガが戻ってくるとカツラギはアヤナミと出かけ、クロユリとハルセも他の仕事をしているらしく、執務室にはコナツ以外の見知ったメンバーはいなかった。
「少佐、お疲れ様です。お食事はどうされたのですか?」
「食べてきたよ。アヤたんを」
「は?」
 まさか昼間からそのようなことを……と言いたいのを抑え、
「ええと、まだでしたらご用意しますよ?」
 聞かなかった振りをして会話を続けた。
「ああ、ごめん、省略しすぎた。アヤたんからお裾分けしてもらったお寿司があってね。それを食べてきた」
「……」
 絶対にわざとだと思った。
「そうですか。それならいいのですが」
「また面倒な任務を与えられちゃったよー。ちょっと外回りして上層部脅してこなくちゃー」
「どうされたんです? アヤナミ様に何か?」
「んー、ミロク理事長はアヤたんに凄く期待してるでしょ? だから、それを快く思わない連中が居てねー。あんまりウルサイから、ちょっと睨みを利かせてこようってことになって」
「逆恨みですか」
「そうだねぇ。でも、逆恨みされて仕返しするだけなら子供と同じだけど、やつらはロクに仕事もしないで威張ってるだけだからね。会議会議で椅子とお友達になってるお偉方さんには、ちょーっと怖い思いをしてもらわないと分からないんだよ」
「それで、どうするのです」
「うん、他の部署で戦地に赴く部隊があるんだけど、そこの指導をね」
「少佐がですか!?」
「訓練だよ。俺が一緒に遠征に行くわけないじゃん」
「そうですね」
「人を斬っていいっていうから、手本見せに行くの」
 左脇に備えてある人切り包丁を撫でてにっこりと笑う。
「……」
 実に楽しそうだった。
 ヒュウガは刀を操ることが出来るため、瞬時に幾人も斬殺することが出来る。
「あの……たとえ指導に行かれたとしても、他の人にヒュウガ少佐の真似が出来るとは思えませんが」
「うん、だから行くんじゃない」
 強さを見せるために。
「罪人相手じゃなくて、軍の連中まで斬っちゃいそうだけど。っていうか斬るつもりだけどね。 でなきゃ脅しにならないし。これはオーク元帥からの指令なんだって。弱腰の部隊の指導をしてくれって。で、オレが呼ばれたわけ」
「納得です」
「ほんとはコナツも一緒に行ってほしいんだけど、コナツ、忙しそうだから……」
「それは少佐が書類を片付けて下さらないからです」
「ああ、やっぱり。だよね、耳が痛い。もう泣くよ、オレ」
「どうぞ」
「冷たい! コナツってば冷たい! そんなふうに育てた覚えはないのに!」
「もう。すぐにご冗談を。私は仕事に戻ります」
 コナツは気持ちを切り替えてデスクワークに徹しようとした。
「じゃあ、冗談じゃなく真面目な話をするよ」
「えっ、何でしょうか?」
 珍しく真剣なまなざしでヒュウガが話を振ってきた。悩み事の相談ではないだろうが、コナツは少しだけ期待してみる。
「ねぇ、コナツ。カツラギさんに何を言われた?」
「は?」
「午前中、一緒だったでしょ? しかも二人きりだったよねぇ?」
「はぁ。仕事してましたが……」
「そりゃそうでしょ。会議用の資料を二時間で作れって言われてたの聞いたし」
「今回はグラフ作成もしたんですよ。しかも、資料が古くて困りました」
「そういうことを聞いているんじゃなく」
 ヒュウガの一言で空気が弦音のような重みを含んだ。
「少佐……」
「ぜんぶ話してもらう」
「それは……」
「今夜ね」
「あ、あの……」
「今夜はコナツがおいで。いつもの時間に」
「……はい」
 と答えるしかなかった。
 アヤナミから特殊任務を与えられているヒュウガは、その仕事だけはきっちりこなしてくるだろう。人を斬ったあとのヒュウガはすこぶる機嫌がよくて、夜になると恐ろしいほど情熱的になる。優しいというのではない。激しいの一言に尽き、コナツは今夜のことを思うと焦りで身震いしてしまうのだった。
「どうしよう。きっと、凄い……」
 何がどう凄いのかは言えない。そのときにならないと分からない。拷問ではなく、あくまでもコナツが叱られることはないが、ただ、今夜の場合、尋問されるのは決定的だった。
(カツラギさんとはやましいことなど何もないのに)
 コナツが自己防衛しても、それは自分自身に言い聞かせることしか出来ず、ヒュウガには何を言っても通じないような気がした。だが、コナツは諦めずにきちんと説明するつもりでいた。

 コナツが時間に遅れずにヒュウガの元を訪れたのは、習慣になっているせいで、そこに”逃げたい”という感情は存在しない。
「少佐、私です。入ります」
 ノックをしてから無機質のドアノブを回すことも、まるで食事をするような当たり前の感覚である。
「コナツー」
 ヒュウガはシャワーを浴びたばかりで、タオルを腰に巻いただけの格好で髪を拭いていた。
「少佐?」
「あ、先にシャワー浴びちゃった。コナツも浴びといで。タオルはそこにあるよ。着替える必要はないから」
 話し合う余地はないということは、たった今、証明された。
「……」
「早く。ね?」
「はい」
 コナツは言う通りにした。
 シャワーを浴びて遠慮がちに部屋に戻ると、
「こっち来て」
 ヒュウガに呼ばれた。
「何でしょうか?」
「うん、いい香り」
石鹸の匂いをかいで、ヒュウガは満足そうに呟く。
「少佐……」
「ほんとはねぇ、服を脱がす楽しみがあるから、こんなことはしないんだけど、今日はもう時間もないからね」
「!?」
 ヒュウガはコナツの背中をドンと押すと、ベッドへ倒れ込んだコナツの左腕をとった。
「いいこと、しよう」
「?」
 何を言っているのか分からなかった。
「たまにはこういうのもアリだよね」
 コナツは、ベッドボードに置かれてあったソレに、気づいていなかったのだ。
「ヒュウガ少佐!」
 手錠である。
 それをコナツの左腕に嵌め、しっかりと固定されたか確かめるとヒュウガは「よし」と嬉しそうに呟いた。ガチャリと無慈悲な音を立てて腕に嵌められた銀色の拘束具は冷たく、コナツは一言も発せないままヒュウガの顔を見上げた。
「これ、ベッドに固定すると思ってるでしょ? 違うよ」
「……」
「バルコニーかな?」
「!!」
 裸にバスタオルを一枚巻いただけの格好で外に放り出されるというのか。
「なんて、ウソ」
 ヒュウガはにっこり笑い、
「オレと繋がるんだ」
 そう言って、あっという間に自分の右腕に着けたのだった。
「あ……」
 そんなことをすればヒュウガ自身も窮屈になる。動きが制限されるのは目に見えているのに何故。
 しかし、コナツの疑問はすぐに払拭された。
「ちょっと大変だろうけど、頑張ってね」
 ヒュウガは自在に動き、コナツが振り回されるだけの話だった。
「どうして、こんな……」
「どうしてこんな? そんな野暮な質問するの?」
「……」
「まず、コナツの口から聞こうか」
 昼間に言われた例の件である。
「私は……」
 何もない、何もしていない、何も言われていないと頭から拒絶すればよかったのだが、そんな答えは通用しない。
 だが、実際に手を出されたわけでもないし魅力的だとは言われたが、それがどういう意味かはコナツには理解できず、たったそれだけのことで罪になるとは思わなかった。
 しかし、ヒュウガの捉え方は違っていた。
 コナツは会話の全てを話すと、
「嬉しいよ、カツラギさんもオレの気持ち分かってくれるなんて。やっぱり誰から見てもコナツは可愛いんだねぇ」
 何故か喜んでいる。
「少佐」
「あとは? 他に何も言われてない?」
「無いです」
「うん、上出来」
「……」
「そういうわけで、お楽しみはこれからこれから」
 やはり楽しそうにしている。
 コナツにしてみれば片方に手枷を付けられて戦々恐々である。両手に付けられるのなら自分の意思で動かせるのに、片方はヒュウガの右手に繋がっていて、コナツの左腕はヒュウガに合わせなければならず、全く自由にはならない。
 不安が的中し、コナツは引っくり返されて四つん這いにさせられた。当然、コナツの左腕が捩れるように後ろに回る。
「う……ッ」
 右手で自分を支えて、四つん這いになったまま左腕だけを後ろにされた格好で、
「少佐……何を……」
 恐る恐る訪ねた。
「決まってるじゃない。コナツを抱くんだけど?」
「こんな状態で?」
「そう。駄目?」
「……」
 ありったけ左腕を持っていかれて不安定な体勢のまま、自分がどうなってしまうのか想像がつかない。
「コナツ、可愛い」
「……」
 可愛いと言われて嬉しい年齢ではないのに、ヒュウガが満面の笑みで呟くから、コナツには否定も拒否も抵抗も出来なかった。
 しかし、コナツのそういう従順な姿を見るたび、ヒュウガは、
「いつも言ってるけど、怒ってもいいのに」
 そう言って試すのだ。
「私はいつも怒っているじゃないですか」
 昼間は散々小言を言っている。大声で怒ることも少なくはない。
「それはオレが仕事をサボるからじゃん。そうじゃなくて、今だよ、今」
 こういった場でのコナツはヒュウガに絶対服従で、何をされても拒絶することはなかった。
「私が抵抗できないのを知っていてこのようなことを……」
「だから、抵抗すればいいじゃない」
「出来ません」
「していいよ」
「しません」
「一言、嫌ですって言えばいい」
「言ったらやめて下さいますか」
「やめない」
「……」
 コナツの目の前が真っ暗になった。どれだけ足掻いても無駄なら、最初からおとなしく従って少しでも早く終わらせたほうがいい。
「私は……」
 コナツが何を言おうとしたのか、最後までその言葉を聞かないまま、ヒュウガはコナツの躰に愛撫を加えた。
 首の後ろ、背中、肩の後ろにあるくっきり浮かんだ貝殻骨にゆっくりとくちびるを落とし、音を立てて口付ける。
「ああ、コナツの躯って綺麗だね。背骨も、肩甲骨も」
 まだ成人の躰になっていないコナツの背中は、不完全であるのがひどく淫らで、少女のような甘いラインを残しつつも、それなりに鍛えられてうっすらと筋肉が乗り、まさにアレグレットな大人への移行を垣間見せている。あと2、3年もすれば変わってしまうだろう、美しい侍僮であった。
 金色の髪が揺れ、普段軍服に包まれた肌は白い。初めて裸にしたときの驚きは今でも覚えている。祖父に剣で鍛え上げられた経歴を持つために刀痕はあるが、白い肌がその傷跡を一層際立てていて、触れたら痛むのではないかと本気で思ったほど。
 優しくしたい。
 可愛がってやりたい。
 けれど、厳しくもしたい。
 怖がらせてもみたい。
 ヒュウガは、人の持つすべての欲望と煩悩に掻き乱されておかしくなるのは自分であり、そう思うたびに苦笑に絶えず、そのうちコナツを鍵付きの箱に入れておきたくなるのではと本気で考えた。
 ヒュウガは興味のないこと以外には執着しないタイプだが先読みの力も読心術にも長けていて見る目は相当なもので、自分が手に入れたいと思うものはどんなことをしてでも手に入れてきた。それがコナツであることはブラックホークのメンバーだけではなく、帝国軍にも知られている。
 だが、自分がコナツを雇ってやっているという目線はない。そういう態度を示したこともない。仕事をすべてコナツに押し付けているのは確かに事務処理が嫌いなのもあるが、そういった執筆分野の仕事はコナツの成すべきことだからである。今、こうして抵抗できないコナツにおかしなことを強要しているのも、権力を振りかざしているわけでもないのだった。
「コナツがいい子でいてくれるから、続けようね」
 ヒュウガは右手でコナツの腰を押さえて固定しながら、左手で後ろを慣らし始めた。隠しておいたローションを使い、長い中指を挿入させる。コナツは背を反らして応験したが、声は出さなかった。
「まだまだなんだけど、これじゃあいくら慣らしても駄目か」
 完全に躰が強張っていて、ほぐれる様子がないのだ。それは、左腕を奪われているという心理が働いて、コナツをそうさせている。
「んじゃ、このままで」
「!!」
 ヒュウガが自身を強引に進ませた。
 その痛みは今までの中でも記憶にないほど強烈だった。自分を支えていた右腕に力が入らなくなり、がくりと崩れ落ちて、尻だけを掲げた状態でコナツはシーツを引っかくようにして掴んだ。だが、決してみっともない声は上げない。そして、
「痛い」
 と言ったのはヒュウガのほうである。
「痛くて這入らないよ」
 かろうじて先端だけを飲み込んだコナツの秘処は、生理的な条件反射のように異物を受け入れようとはせず、閉じようとして意思とは関係なしにそこだけに力が入るのだった。
「喰い千切られるって、このこと?」
 あまりきつくても快感は得られない。だからといってやめることもなく、無理やりに腰を押しながら、中へ中へと刳剔するように犯していった。
 コナツの息が荒くなっているのは分かるが、いつもより乱暴にしているために、それは当然の反応だとしても、一言も発しないのは謎だ。
「コナツ?」
 ヒュウガが呼んでも返事がない。
「コナツ?」
 二度目を呼んでも返事がない。
「コナツー!?」
 三度目で、やっと、
「は、はい」
 喉の奥から掠れた声が小さく聞こえた。おそらく、酸欠により意識が遠のいていたのだろう。しかし、ここで「大丈夫か」という気配りは陳腐なだけである。コナツが声も出さずに我慢をしているのは、カツラギとおかしな会話をしてしまったのが原因でヒュウガが腹を立てているから、その怒りを受け止めているためだ。手を出されたわけではないが、そういう会話をしたことが気に入らないのだろうとコナツは自分なりに解釈し、もっとも、その考えは寸分違わず的を射ているのだが、ヒュウガは、
「今回はいいけど、他の人とはそういう会話しちゃ駄目。おかしなことを言われたらすぐに話題を変えるんだよ? なんなら斬っちゃってもいいから」
 難題を言い渡す。
 そんなことは出来ないと思った。
 ヒュウガがこれほどまで嫉妬深かったとは意外である。コナツに執着するわりには、アヤナミとも関係があるし、女性から言い寄られれば来るもの拒まず、好き放題なのだ。
 コナツは理不尽だと思ったが、それを咎めることは出来なかった。
 何も言わずにいると、ヒュウガは「んー」と考え事をしたあと、
「まぁ、いいや」
 とだけ呟くと、今度こそ乱暴にコナツを掻き回し、揺さぶって存分に「暴れた」のであった。

「よく我慢したね」
こ れ以上ないくらいに何度も体位を変えて、コナツの左肩が亜脱臼を起こし、左肘内障で骨が外れるまで甚振ったのに、コナツはうんともすんとも言わなかった。
 ヒュウガは中で果てたが、コナツは快感を一切得ていない。躰を愛撫したのは、ヒュウガの自己満足だ。
 呼吸が治まらず、目の前がぼやける。右手で目をこすっても、見慣れた天井が霞んで見えた。窓から差し込む光の加減が強くなってきたのは何となく分かる。おそらく、夜が明けたのだと思った。
 これは罰なのだからと心の中で何度も言い聞かせて耐え、ところどころの記憶がなく、どんなふうにされたのかも覚えていない状況で、まだ治まらぬ荒い息を繰り返しながら、ようやく口にした言葉は、
「今、何時でしょう……」
 だった。
「時間!? 時間気にしてる!?」
「外が明るくなってきたようなので……」
「あー、朝寝坊したら大変だもんね」
「はい」
「でもまだ大丈夫だよ。遅刻しないように気をつけるから」
「それなら、いいんです……が」
 咳き込みながら言うと、次にヒュウガはとんでもないことを言い出した。
「これ、外したくないなぁ」
 手錠である。
「少佐!?」
「そしたらコナツと離れちゃうじゃん」
「何を仰るんですか。仕事が出来ません」
「いいよ、もう、しなくて。オレはコナツとこうしていたい」
「何を考えておられるのです」
「お。怒った怒った」
「少佐、鍵はどこですか」
 コナツが訊くと、
「鍵……実はここにはないんだ」
 と言われ、身も心も凍りついた。
「今、なんと?」
「ここにはない。仕事場のオレの机にあるんだよね」
 能天気な台詞にコナツは顔面蒼白になって、また意識を失いそうだった。
「しょ、少佐……」
「なーんてね、ココにあるよーん」
 枕をひっくり返して鍵を指差す。
「あーっ!!」
 これはもうコントなのだろうか。それとも夢か。しかもとびっきりの悪夢。
 コナツは、これが夢なら一秒でも早く覚めて欲しいと本気で思った。

 手錠を外され、ようやく自由になった左腕だが相当痛んでいることには違いない。骨はヒュウガがはめたものの、腫れているし手首には痣も残っている。だが、コナツにとってこれくらいのことは怪我のうちに入らない。小さなときから、もっと酷い目に遭ってきた。
 顔を顰めて着替えをしていたコナツだったが、ヒュウガがそれを手伝った。
「一人で出来ます」
「オレがしたい」
「少佐……」
 意地悪をしたり、優しくしたりとずいぶん忙しい。コナツはされるがままになってヒュウガからシャツを着せてもらっていた。
「コナツさ、こんなことまでされても、オレを嫌いにならないんだね」
「えっ?」
「何処までしたら嫌がって本音出すかなって待ってたんだけどたけど、喜んでるわけでもないし、オレのほうが参った」
「そんな!」
「いつになったら本性出してくれるのかな」
「本性? そんなもの出してます」
「違うね。さっきだって我慢してたじゃない」
「……それはそうですが……」
 我慢はしていた。だが、本当は……。
「怖かったから、何も言えなかったのです。痛いからやめて下さいというのは容易いかもしれませんが、それだけじゃなくて、少佐がどうしてこんなことをするのか考えることでいっぱいいっぱいでした」
「怖い? 怖かったの?」
「はい。初めて少佐と一対一で勝負したときのことを思い出しました」
「え、あれを?」
「あの時は実は死を覚悟しましたから」
「マジで?」
「ええ」
 今まで打ち明けることはなかったが、ここで本音を晒すことになるとは思わなかった。しかし、ヒュウガは難しい顔をして、
「……それも複雑だなぁ」
 困っている様子だった。
「何故です?」
「オレはコナツに恩売るつもりないし。でも、コナツはそう思ってないでしょ? すごく気遣ってるしね」
「それは当たり前のことです」
「だからさぁ、上司と部下っていうけど、こういう状況を作り出したのはオレだよ? コナツをオレのベグライターにしたのだって他の誰かが決めたわけでもないし。だからといって上司の言うことは絶対だとかさ……なんか、オレが職権乱用するみたいで凄く嫌だ」
「は?」
「コナツに意地悪するのは、ほら、ガキが好きな子の気を引きたくて苛めるのと同じなわけで」
「ご自分で何を仰るのですか」
「あれこれするのは、反応確かめるためで。コナツがあまりにも我慢するから、どこまですれば本性出すのか見たかったっていうか」
「少佐!」
「なに?」
「じゃあ、私も言わせて頂きますが、ヒュウガ少佐が居なければ、私はブラックホークには在籍していません。これがどういう意味か分かりますよね?」
「……」
「ヒュウガ少佐には、その支配力を偉そうに振りかざして頂いて結構なのです」
「えーっ!」
「私は、祖父とヒュウガ少佐に感謝することで、自分の存在意義を見出します。そして尊敬する人の下で働けることが、どれだけ素晴らしいのか、いつもいつも身を以って感じています」
「コナツ……」
「私はとても幸せです」
 よもや、これまでの仕打ちをされておきながら、こんなふうに言ってのけるとは、どこまで躾が行き届いた少年なのか。
「目一杯意地悪したオレはアホみたいだけど、好きな子に意地悪したいのは昔からだから直らないんだよね」
「出来れば直してほしいですが……」
「やっぱりそう思う?」
「私はMじゃありませんよ」
「うん、Mなのはオレ」
「な、何をばかなことを! どこがどんなふうに! 有り得ませんから!」
「嫌だなぁ、コナツ。SとMは紙一重だよ?」
「そんなの知りません」
「だったら分からせてあげなくちゃね」
 ヒュウガがほくそえむ。こういう顔をすると、必ず後から何かされるからコナツも気が気ではなくなる。しかし、
「結構です。もうたくさんですから。でも、拘束されるのも相手によっては嫌ではないこともあるのですね」
 と言ってしまい、
「もしかしてホントは良かったの? もっと緊縛プレイする?」
 早速誘われるコナツであった。
「次はありません」
 きっぱりと断ったが、ヒュウガは好きなことに関しては簡単に諦める男ではない。次は何を用意するのか分からないのだ。
「つまんない」
「もう。この間コスプレがどうのと言われた時はびっくりしましたが冗談だと分かったのでよかったものの、おかしなことをするのは今回だけにして下さい」
 改めて釘を刺すと、
「コナツ。人生には経験が必要だよ」
「何の経験ですか。邪なものは要りません」
 コナツも中々頑固なのだった。

 着替え終わった二人は朝食を終えて仕事場へ向かう。
「メニュー変わりましたね。好物が増えていて嬉しかったです」
食べ盛りのコナツは、しょっちゅうクロユリと軍の食事に関して論議していることがあり、今朝、メニューが変わっていたことに驚いていた。
「あー、オレ、コナツの好きなもの増やすようにうるさく言っておいたんだよね」
「はい?」
「リクエストしといたの」
 ヒュウガが言うのは、リクエストという名の脅しである。刀を突きつけられれば従わざるをえない。
「ほんとですか?」
「だって、コナツのためだもん」
「まさか、脅迫したのではないですよね」
「えー、何の話ー?」
「少佐」
「人はね、好きな子のためなら、鬼にでも蛇にでも悪魔にもなれるんだよ」
 ヒュウガが真剣な顔で呟くと、
「では、私のために今日は一日事務仕事をこなして下さい」
 コナツの一言が死の宣告のように聞こえた。
「嫌」
「えー!」
 やはり、二人の会話が次第にコントになってゆく。とどめの一発はこれだ。
 仕事場に着くなり、ヒュウガは椅子に座ると、
「コナツが掛けた手錠の痕が痛くてペンが持てない」
 と言ったのだった。それを聞くなりコナツがキレた。
「少佐ァァァ」
「わぁ! 暴力反対! 釘バット反対! 怖い! 怖いよ、コナツ!」
 怒りで躰から炎が出ているように見えた。
「大体手錠を掛けたのは少佐です! 私は掛けられたのですよ! ハッ! もしかして少佐が右手で私が左手にはめられたのは計算だったのですか!?」
「……」
 コナツが仕事をこなすために支障のないよう、手錠は最初から左にすると決めていた。そして、自分は仕事をサボるために右手にしたのだ。
「どうなんです!」
「あは。バレた?」
 ヒュウガがにっこり笑っておどける。
「……斬りますよ? 割りと本気で」
「え、ちょ、なに脇差抜こうとしてるの、危ないでしょ!」
 二人が神妙になっているのはいいが、ここは仕事場である。もちろん、メンバーが勢揃いしている。そこへ、
「ねぇ、コナツ。手錠って? 遊んだの? どうやって?」
 クロユリがあどけない顔で問いかけてきた。
「えっ、中佐……それは……」
 答えられるはずもない。
 そして止めを刺されたのは、アヤナミの一言であった。
「ヒュウガ」
「はーい。なに、アヤたん?」
「あとでコナツを私の部屋によこせ。お前が連れてくるのだ」
「えー!?」
 これにはヒュウガも逆らえない。
「どうしよう、コナツ! アヤたんから呼ばれちゃったよ」
「わ、私ですか!?」
「きっとアヤたんはコナツを連れてったオレを締め出して部屋の外で待ってろって言うんだよ! オレ、コップ持ってドアに張り付いて盗み聞きしなきゃないじゃん!」
「……」
 どうしようもなかった。今日はコナツを愛してやろうと思っていたが、アヤナミに奪われてしまうのだ。
「ねー! 手錠とか使うと面白いの? どうやったの? 僕もハルセと遊ぶ!」
「それは駄目です、中佐!」
「なんでー?」
 というやりとりと、
「アヤたん、コナツは満身創痍だからいたずらしちゃ駄目だよっ」
「貴様。何をやらかした。場合によってはタダでは済まさぬ」
「だーかーらー、コナツは今日の夜は有給とるから!」
「案ずるな。私はお前のようなことはしない」
「どういう意味ー!!」
 という会話が続き、しばらく場内は阿鼻叫喚と化したのだった。唯一、カツラギが飾ってくれた花篭だけが、安らぎをもたらしてくれていた。
 帝国軍随一恐れられているブラックホークのメンバーでも、花には癒されるのである。

 ようやく落ち着いて、罰として二人だけ残されて事務仕事をいつもの倍与えられたとき、さすがにヒュウガも椅子に座って仕事をしていた。長い脚を組んで踏ん反り返りながら書類に目を通す姿は、どう見ても謙虚になっているようには見えなかったが。
「ねぇ、コナツ。オレが仕事をしないと怒るけど、昨夜みたいにあんなことしても怒らない本当の理由はなに?」
「……特に深い意味はないです」
「じゃあ、教えて」
「少佐はデスクワークがお嫌いなので私が怒っても仕方ありませんが、昨夜は、ああいう激しいことも含めて、少佐はああするのがお好きなようなので怒ることが出来ませんでした。少佐が好きなものに対して私が逆らっても意味はないからです」
「……コナツ……」
 利口な答えだった。そして最後にヒュウガが堕とされた一言とは。
「少佐が私とのセックスがお嫌いでなければ、私はすべてを受け入れます。そして私を痛めつけたことで少佐が反省をして下さるなら、それでいいと思っています」
 ほんの少し頬を赤らめながら俯き加減で呟いた姿を、ヒュウガは一生忘れないと思った。
「ちょっ……なんてこと言う、の」
 ヒュウガは面食らって舐めていた棒付きの飴を落とすところだった。そして、
「やっぱりコナツはよく出来たオレの嫁だ」
 とんでもないことを呟いた。
「はい? 一体どこからそのような言葉を……」
「18歳になるまで待ったんだ。そろそろ婚姻届を貰ってこようと思う」
「冗談はこの書類に書いたデタラメなサインだけにして下さい」
 コナツは目の前にバンと紙の束を置く。
「えー、だって左手で書いたからさぁ。字が反対にならなかっただけでもいいじゃん」
「右手が痛いなんて嘘です。少佐はフザけているだけです」
「バレたか。サインくらい遊んだっていいと思うよ。今度縦に書いてやろうかと思って」
「いい加減に……」
 やはり、コントになってしまう二人だった。

 それでも。
 互いが特別な存在で、公私共に必要としあう仲なのだ。二人を引き離すものは何もなくて、引き離される理由もない。

 そしてコナツは夜にヒュウガに連れられてアヤナミの部屋を訪れることになる。しかし、その日の夕刻、コナツが忙しく走り回っているときに会議室の前の廊下でカツラギとヒュウガが意味深に話をしている場面を見てしまった。
 あわや一触即発……と思いきや、二人とも笑っていた。

 これは一悶着ありの緊急事態か、見て見ぬ振りをすべきか、コナツはまたしても頭を抱えることになったのである。

 一連の時間が解決するのは、また後日のこと。


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