今日もまたヒュウガはアヤナミに怒られていた。これはもう定例会議なみの日常行事である。
「大体キサマはフザケが過ぎている。痛い目を見ただけで分からぬようなら……」 「えっ、痛い目以外になにがあるの!?」 アヤナミの威厳をものともせず、ヒュウガは本気でワクワクしながら手を合わせて喜んでいた。 「……」 「まさか、無視するとかじゃないよね? アーヤたん、そこまで冷たくないもんね」 「……」 いたずらをして全く相手にされないのは困る。ヒュウガとて、アヤナミの鞭捌きが見たくてこのようなことをしているわけではないが、何かしなければアヤナミは一日口を利かないこともあるから、ヒュウガとしては遊んでほしいと思っている。 「で、ヒヨコのぬいぐるみどこにやったの?」 ヒュウガの口からヒヨコという言葉が出てきてそばに居たカツラギ大佐が目を丸くした。ぬいぐるみというだけでも帝国軍には似合わない単語だ。 「返して来い」 アヤナミはポケットから小さい何かを取り出してヒュウガに渡した。二人のやりとりを見ていたカツラギ大佐は口を挟む余裕がない。 「結構似合うと思うんだけどなー」 ヒュウガは小さな小さなヒヨコのぬいぐるみを手の上で転がしてから、撫でて大切そうにポケットにしまった。もちろん、それがヒュウガのものでないことは分かる。 「せっかく貸してもらったのに〜」 その愛らしいぬいぐるみは、軍内に居る女性仕官から昨夜借りたものだった。それを今朝方ヒュウガはアヤナミの帽子に忍ばせておいたというわけだ。 「よくあるネタでしょー。ベタだけど、アヤたんがどういう反応をするか見たかったんだよねー」 「……私がそれに向かっておはようとでも言えばよかったのか」 「そ、そんなことしたら萌え死んじゃう!」 「なら何が望みだ」 「フツーに中に入れて帽子かぶってくれればよかったんだよー」 「くだらぬ」 「ちぇー。オレは今朝の反応を楽しみにしすぎてて寝不足だよ、もう」 二人は昨夜もベッドを共にしていた。 彼らが過ごした大人の時間は、どちらが淫らになったか比べるまでもなく、あくまでもスマートで美しかった。そこで食後のデザートとまではいかなくとも、ヒュウガはこっそりアヤナミの帽子にヒヨコのぬいぐるみを忍ばせたというのに、今朝はノーリアクションで、ヒュウガは不貞腐れてしまった。 「あの、アヤナミ様。そろそろお時間です」 カツラギ大佐が申し訳なさそうに声を掛ける。定例会議の時間が迫っていた。今日の会議にはブラックホークのメンバーが全員出席することになっている。 「行ってらっしゃい。報告を待ってるよー」 ヒュウガは一人何処かへ行こうとフラフラし始めた。 「ヒュウガ。何処へ行く」 「えー、オレもぉ?」 「当たり前だ」 昼寝をもくろんでいたが、アヤナミに見抜かれ、首根っこを掴まれるようにして会議に同行させられた。 クロユリは相変わらずハルセに抱かれて眠っている。それを見て、 「オレもコナツに抱っこしてもらおうかなぁ」 羨ましそうに言うと、 「それは無理かと」 カツラギ大佐が真顔で答えた。 「しょうがないなぁ」 ヒュウガは諦めて次の手を考える。 コナツに抱っこされて眠るのはコナツが潰れてしまうから無理でも、せめて起きている振りをして寝ることは可能だった。サングラスはこんなときに便利である。それなのに、 「少佐、寝ては駄目ですよ」 コナツに注意され、 「みんなでオレをいじめるんだね」 ヒュウガは泣きそうになっていた。 どれもこれもジョークに過ぎないが、強すぎるほど強い男は、こうも余裕のある生き方が出来るのだった。 「いじめてません」 敢えてコナツがフォローすると、 「ああ、コナツはオレの天使だよー。お礼にヒヨコ貸してあげる」 ポケットから例のヒヨコのぬいぐるみを取り出してコナツの頭の上に乗せる。 「これって……」 「うん、借りたの」 「またイタズラを……懲りないですね本当に……」 こういう類のことをするのはアヤナミに悪さをするためだ。コナツはすぐに察して呆れ果てるのだった。 「コナツの頭の上にヒヨコが乗ってても違和感ないな。むしろコナツのほうが可愛いっていうオチだ」 「少佐!?」 「やっぱりこういうのはアヤたんにやるから面白いんだよ。カツラギ大佐にやってもいいけど、そうなると案外気に入ってくれてヒヨコグッズとか作ってきちゃいそうだし」 「ヒヨコグッズ……確かに何か編んでくれそうですね」 「だろ? こういう可愛い系は中佐やコナツが似合うけど、意外性を求めるならアヤたんなんだよね」 「気持ちは分かりますが」 廊下を歩きながら話していると、ほどなくして会議室に着いた。さすがのヒュウガも顔つきが変わる。 「さてと、お偉方の愚痴でもたっぷり聞くとしましょうかね」 「少佐。そんなこと言ってはいけません」 そして始まった定例会議は、夜の8時過ぎまで続いた。 正直、起きていたような寝ていたような、会議の内容はあまり記憶にない。ヒュウガはあくびをしたいの堪えるのに必死だった。 時折現実に引き戻されるかのように睡魔から覚めることはあっても、眠いものは眠い。今夜はもう会議が終わったら自室に篭りたいと思った。出来ればコナツをそばに置いておきたかったが、そんなことをしたら朝までコナツを愛でるのに忙しくなり、更に寝不足になる。 会議室を出ると、メンバーは足早に執務室へ戻っていった。 「アヤナミ様。この後は午後9時よりワカバ元帥との会合、午後10時より軍法会議です。明日から新人ベグライターの研修が始まる予定です!」 カツラギ大佐がスケジュールの確認をしていると、後ろのほうで上官と思われる面々が嫉ましい顔で彼らの後姿をねめつけていた。 「アヤナミめ。鼻持ちならん若造じゃ」 皇族に捨てられた貴族の末裔と罵り、あからさまな嫌悪を示す。 人は自分よりも上の者に対して卑下することがあるが、これは負け犬の遠吠えにしか聞こえない。実力者を妬む心理は世の中にはよくあること。だが、それを態度に示すようではあまりに狭量、まして年齢が上になればなるほど体裁が悪い。 本来なら鼻で哂ってやりたいところだが。 チン。 堪えていたあくびをしながら、あとから通りかかったヒュウガの脇差がわずかな音を立てる。数秒遅れて、上官の軍服がいつの間にか斬られていてズボンが脱げるという醜態が晒されてしまった。 「ああ、眠い」 後ろで彼らが何かを叫んでいたが、眠かったから斬ったのは服で済んだわけで、もしも目が冴えていたら本当に斬っていたかもしれない。ヒュウガはこのときほどベッドが恋しいと思うことはなかった。 メンバーに合流すると、話題はテイト・クラインで持ちきりだった。彼は二日前に軍を脱走した。どうやって逃げたのか、どうも腑に落ちない。身分証明なしで第7区まで逃げ切られてしまったのは通常では有り得ない失態であり、報告にあったウェンディが迷い込んだのを盾にしたとしても、それも有り得ない条件下での逃亡。真相はどこにあるのか想像もつかず、分かることは、テイト・クラインが気概に満ちた少年であり、且つ幸運であるということだった。 「それで。どーするの、アヤたん」 「案ずるな。テイト・クラインのことなら既に手は打ってある」 「そうだねぇ。やっぱりアレが効いたかなぁ」 「……」 「もう一押しだったかな〜」 ヒュウガが辺りには聞こえないように独り言を呟くと、 「ヒュウガ。お前も軍法会議に出るのだ」 アヤナミが一言言い放った。 「えっ!? それって何時から!?」 「10時ですよ、少佐。恐らく2時間程度で終わると思いますが」 カツラギ大佐が説明すると、 「無理無理。オレ、本格的にスリーピングビューティになっちゃう。会議中にいびきかいてもOK?」 いびきなどかかない体質のヒュウガがそうやって言い逃れするのは、心から出たくないと訴えている証拠である。 「貴様。寝息の一つでも立ててみろ」 アヤナミの鋭い眼光がヒュウガを射抜く。 「えーっ、そもそもオレが眠いのは誰のせいだと思ってるんだよーっ」 とんでもないことを言い出して暴動寸前のヒュウガだが、 「ヒュウガ少佐に出て頂けると助かります。私は報告書をまとめなければなりません」 カツラギ大佐に言われて一瞬だけ目が覚めた。 「……それは……」 報告書と聞いて鳥肌が立ったのだ。 「もし宜しければ私が会議に出席して、ヒュウガ少佐が報告書をまとめるというのでも構いませんが」 「い、いや……その」 そう言われて後ずさりしてしまう。試しにコナツの顔を見てみるが、 「私には出来ませんよ」 きっぱり断れてしまう。ベグライターであるコナツが定例会議の報告書を代表で書き上げるわけにはいかなかった。 「はい、出ます。出りゃあいいんでしょ。もう眠くて力が出ない」 ヒュウガは泣き笑いしていた。 アヤナミがヒュウガを名指しで会議に同行させるのには勿論意味があった。折角の一人寝の邪魔をしたのか、今夜も事に及ぼうとしたのかは分からないが、アヤナミはヒュウガを自室へは返さないつもりだったのだ。 会議後。 ヒュウガは虫の息でアヤナミの部屋に居た。 「お経がいっぱい聞こえてた」 「何の話だ」 「お偉方の机上の空論」 「起きていたのか」 「寝るなって言ったじゃないかー!」 「無論だ。貴様には問いただしたいことがある」 「えっ、怖い。なに、急に」 「今朝私にいたずらしたあの下らないものは誰のだ」 アヤナミはヒヨコのぬいぐるみの出処を聞いた。 「知り合い」 それだけ答えるが、簡省が不服だったようで、 「……」 アヤナミはヒュウガを睨みつけた。 「はいはい、言えばいいんでしょ、女性士官だよ。名前も言うべき?」 「昨日お前が話していた女か」 「あれ、見てたの? なんだ、バレちゃったか」 「……」 「ぜんぶ言わなくちゃ駄目?」 「吐いてもらおうか」 「バケツ持ってきて」 「キサマ」 「分かりました、分かりましたって」 アヤナミの恨めしい声はヒュウガを諦観させた。 「あの子とは前に一度だけ寝たけど、それっきり。昨日は久々に姿見て声を掛けたらヒヨコのぬいぐるみをペンに付けてて、ただ貸してもらっただけ」 「……」 「怒った? 怒ったよね、怒ってるよね。明らかにオーラが出てる、怖いよアヤたん」 アヤナミは手袋を外した。それは、ヒュウガにも服を脱げという合図でもあった。 「……アヤたん、オレが女抱くの嫌がるよね」 ヒュウガはお手上げだと言って軍服の上着を脱いだ。 「そうだな、私は嫉妬深いからな」 「自分で言った! 天変地異がくる!! どうしよう、世界が滅びる〜」 ヒュウガは歌うようにふざけながらシャツのボタンに手を掛けると、その手を制止してアヤナミが一つ一つ外していくのだった。 「脱がされるのって、変な感じ」 ヒュウガが笑うと、 「たまにはいいだろう」 「そうだねぇ」 「だが訊きたいのは一つではないぞ」 「えっ、まだあるの!?」 「お前はアレをどうするつもりだったのだ」 「……ミカゲのこと? だから、どうせならミカゲの妹、ホントに犯しても良かったんだよ。殺すには惜しいし? 写真見る限りでは中々可愛い子だったからさ。アヤたんの手を煩わせずとも手っ取り早い方法だと思うんだけど。ミカゲの前でそれとなく匂わせれば結果はまた違ってたかもしれないじゃない。こんなの他ではよくあることだし」 非道な物言いだが、ほとんど冗談である。 「……」 「なんて、女が関わるとアヤたん怒るから、ミカゲに手を出せばよかったかなぁ」 こちらは本心かどうか。しかし、 「それも許さぬ」 アヤナミが認めなかった。 「なんで!?」 「お前には他にやるべきことがあったからだ」 「うーん。説得はしたけどね。妹さんにはコナツから説明してもらって。それとなく命の危険を匂わせといて殉死の場合は階級を上げることを約束したし。勲章付きってのも忘れずにね。この場合上等兵が妥当? いっそ軍曹とかね。アヤたんのベグライターってことにしてもよかったんじゃない?」 「その件はもういい。ミカゲはすでに教会へ送り込んだ。アレがどう動くのかは、もう分かっていることだ」 「優しいなぁ。家族と親友をとり、そして家族も親友も取らず、自滅への道か。それがアヤたんの優しさなんだね。そして最も残酷な選択」 「貴様がそれを言うのか」 「言うよ。オレ、ますますアヤたんに惚れたから」 「それは信じがたいな」 「……ひっぱたくよ?」 故意におかしな言い方でごまかすが、ヒュウガは本気だった。 「ほう。そこまでお前が私に執着する理由は?」 「理由なんか無い。でも、アヤたんがテイト・クラインにホントにお熱上げちゃったら、オレはあの子を斬るかもしれない」 「嫉妬深いな」 「アヤたんと同じくらいにね」 「ならば、私もあの女を斬らねばなるまい」 「え、駄目だよ。ヒヨコ返すときは手は出さないから!」 「かばうのか」 「そうじゃなくて、シグレ先生に怒られるー。軍内で無粋なやりとりはマズイっしょー」 「……」 「なんてね。一々そんなことしなくても、心も躯もアヤたんのものだしー」 「ふざけるな」 「つれない。オレ、泣いちゃう」 「……」 「だから、アヤたんのことも泣かせちゃおっかな」 「好きにしろ。出来るものならな」 「サド」 「何か言ったか」 この会話が深夜2時のものだと気付いてヒュウガはわが身の明日を憂えた。ここでまた寝不足になるのは決定的で、明日の会議は眠る確率が100%だと思った。しかし、そのあとは悠揚せまらぬ様子で朝までの時を過ごした。 そもそも、ヒュウガはまだ諦めていなかったのだ。あのイタズラを。 朝起きてからアヤナミがいつもにまして不機嫌な顔になっていた。ヒュウガは、ヒヨコのぬいぐるみを今度はアヤアミの帽子に安全ピンで留めていた。 「可愛いでしょ?」 そんなことを言いながらベッドから裸の上半身を起こす。鍛え抜かれた彫刻のような逞躯は、いつ見ても男としての魅力を発し、これを女が見たら誰もが溺れるだろうと納得せざるをえない。 「そのまま被ってくれなきゃ、今すぐ部屋にカツラギ大佐呼んじゃうよー」 ヒュウガが裸のままアヤナミのベッドで横になっていたらどう思うだろう。するとアヤナミは不敵に哂い、 「構わぬ。せっかくだから貴様を縛り付けておいてやろう。鎖ではなく、麻縄と綿ロープとどちらがいいか」 ベッドのそばにあるボードに近寄る。その中には拷問具が隠されてあるのは知っていた。 「え、ヤダ」 「今更遅い」 「やだって。アヤたんホントにするんだもん」 「私はいつも本気だ」 「嫌でちゅ」 「そんな言い方をしても無駄だ」 「まったくアヤたんって大人げないなぁ!」 ヒュウガは駄々っ子のように騒いでベッドの中に潜り込んだ。 「いつまで寝ている」 「あと10分」 「目を覚まさせてやろう」 「遠慮します」 トン、と何かが当たった感触がした。見ると薔薇の花がシーツに落ちていた。 ボードの上に飾られていた薔薇は目が覚めるような真紅の色をしていて棘もわざとそのままにして置いてあるため、素手で触ったら痛い。ベッドの中にこの薔薇の花束を撒き散らしてやろうと言うのか。ましてヒュウガは裸のままだ。 「も〜。いじわるー。これじゃあアヤたんの爪の跡なのかバラの棘の痕なのか区別つかなくなるじゃん」 鮮やかに散る花びら。その深い紅はさきほどまでの姦淫を物語っているのか、これからの運勢を示しているのか、毒のような強い香りすら放っている。 「ああ、そうだね。アヤたんにはヒヨコじゃなくて、この花びらが似合ってるんだ。これを帽子につけて歩いても、違和感ないよ、きっと」 「……」 アヤナミがわずかに口角を上げた。 言い合う二人には、こうしたやりとりも遊楽の一つである。 |
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