退屈な午後


 故意なのかどうかは知らないが、たまにヒュウガはコナツに意地悪をする。例えば激しく交わった日の翌日、朝から昨夜の名残を更に強くするように、
「昨日のコナツは凄かったね」
 などと耳元で囁く。しかも、それをするのは決まって仕事中だったり会議の直前だったりと、非常にバツの悪くなるタイミングでやってくる。
 既に、今朝もそれをやられた。
 朝礼の最中に。
 何を言われても構わない。乱れてしまったのは否めないし嘘でもない。だが、それはそれ、これはこれ。今は仕事中だと肘鉄でもかましてやりたかったが腐っても上司である。それも、コナツがここまで来られたのはヒュウガの恩恵があるからだ。命を懸けて尽くすと誓った相手である。肘鉄どころか足を踏んでやるのもご法度。
「コナツが締め付けるから、オレ、あんまりもたなかったよ」
 などと言われても、コナツは顔を真っ赤にして耐えるしかない。だからといって言い返せるかと思えば、それも不可能である。ヒュウガに対してはたとえ敵に回ったとしても帰順するしかないのだった。
「あ、あの……そういうことは……」
「うん? オレ、忘れられなくてさぁ」
「しょ、少佐……」
「そのせいで仕事出来ないかもぉ」
「え。それはただ単に仕事したくないだけなのでは?」
 冷静に突っ込みを入れるもヒュウガはニヤリと笑うだけで答えない。
「とりあえず午前中は会議づくしですよ。寝ないで下さいね」
「ひどいなぁ、コナツ。いくらなんでも会議くらいは真面目に出るって」
「私は議事録をするので、そばに居られるとは思いますが……」
「うん、そうして」
 というのが朝の会話である。
 そして会議中、コナツが懸命にメモを取っているあいだ、横からチャチャを入れるようにヒュウガもメモをコナツに渡す。最初にそれを受け取ったときは注釈か何かだと思ったが似顔絵だった。しかも元帥の。ミニキャラになっていて何故かキュートな仕上がりで、コナツは危なく吹き出すところだった。
 次に渡されたのは、文字のみで、今度こそ意見か何かかと思って見ると、
『今夜もどう?』
 だったのだからコナツの頭の中が真っ白になった。相手にするのをやめたほうがいいのかと思っていると、またメモを渡された。
『さすがに二日続けては無理だよねー』
 そして、
『いや、ただ居てくれるだけでいいんだ』
 とどめの一発、
『でも、その可愛いお口で奉仕してもらいたいかもー』
 となり、とうとうコナツの顔から火が出た。
 そういうオヤジのような言い方はやめてほしい……と思ったのは内緒で、ヒュウガにそれを迫られれば逆らうわけにはいかない。
 コナツは覚悟を決め、
『分かりました』
 というメモを返した。
 ヒュウガは驚いたようにそれを見たが、あとはちょっかいを出してこなかった。
(満足したのかな)
 コナツは不思議に思い、ヒュウガの顔を盗み見ると、ヒュウガは至って真面目に上層部の討論に耳を傾けていた。
 そして昼になり、午後の仕事に取り掛かろうとすると、
「コナツ、ちょっと外回り行って来る」
 ヒュウガが出掛ける準備をしてそう言った。
「私はどうしますか?」
「今回は大佐と行って来るからいいよ。その書類の山を見れば席外せないよね」
 ヒュウガがうんざりしながら机の上を見る。
 事務処理が嫌いなヒュウガにとって、書類が1センチ以上積まれているのを見ると鳥肌が立ってくるのだ。
「分かりました。サインが必要なものだけ分けておきます」
「……それって戻ったらオレにやれってことだよね」
「当たり前です」
「うわー。もう今日は直帰しちゃおうかな」
「駄目です」
「コナツのいじめっこ〜」
「そ、それは!」
「なんて、ウソ。早めに帰ってくるから大丈夫だって」
「お願いします」
 そうしてヒュウガはカツラギ大佐と共に出掛けていった。外回りなどと営業マンのような言い方をしているが、実際の内容は穏やかではないことくらいコナツも知っている。
「人を殺した日のヒュウガ少佐って怖いんですよね……」
 もちろん、それは夜のことである。機嫌をよくして帰ってくるものの、夜になると豹変したように鋭くなる。まさに利刀といったところで、コナツはいつも抱かれながらヒュウガの心底を知りたいと思い、それが適わずに一人で足掻くのだった。
「さて、仕事仕事」
 机に向かって、本部から次々に送られてくる書類に目を通した。中にはどう見ても参謀部行きではないような内容のものや、トップシークレット扱いで急を要するものもあり、とにかく短時間のうちにすべて処理しないといけない。
「ええと、次はこれ……って、あ、これはヒュウガ少佐行きだ」
 目が回るような忙しさなのに、ヒュウガの名前を口にしてから、ふと思い出した。
 今朝のこと。遡って昨夜のこと。
 昨日の夜のヒュウガはとても優しかった。しかし、優しかったのは言葉だけで、コナツが何度果てても解放してはくれなかった。
「ごめんね、もうちょっと我慢して」
 そう言いながら舌を噛みそうになるほど激しく穿たれ、これほどまで性欲を露わにするなど、確か、前に抱かれたのは先週のことだったと思い、その間はアヤナミ参謀長とも関係していなかったのだろうかと不思議に思っていた。
 しかも、今夜まで誘われるとは。
 コナツは、きっと参謀長が忙しく相手にしてもらえないのだと勝手に予測した。
(アヤナミ様の代わりでも、私は構わない)
 そう呟いて感じる胸の痛みは、もう何処かへいってしまった。これでいいのだと思った。

「よし、半分は終わったかな」
「コナツー、いいもの持ってきたよー」
 数時間経って、ようやく終わりが見えてきたところでクロユリがやってきた。
「いいものですか?」
「酢コンブチョコと、生キャラメル味の梅干わさび和え〜」
「……?」
 前者は二人の好物だが、後者は初耳だった。
「キャラメルの中に梅干が入ってるの。せっかく作ったのにハルセが食べてくれないんだ」
「はぁ。私が頂いても?」
「もちろーん! 食べて食べて〜」
 クロユリは机の上に、その生キャラメル味の梅干が入った小瓶を置いた。爪楊枝もある。
「では、頂きます」
「どぞー」
「……ん? ……んん?」
「どう? 僕は気に入ったんだけど」
「美味しいですよ!」
「ホント!?」
「結構合うじゃないですか! 生キャラメルというのがいいですねぇ! わさびも利いてますよ!」
「でしょー! 癖になりそうじゃない?」
「ええ、これ、一日で食べてしまいそうです」
 キャッキャッと二人が女子高生のように楽しんでいるのをハルセがじっと見ていた。
「ハルセも食べてみなよ。普通に食べられるから」
「いえ、結構です」
「私が食べても平気なのだから、ハルセも大丈夫だよ」
「……」
 コナツも食べられるから駄目なのだとは言えずに、ハルセは困ったような顔をして、
「また今度頂きます」
 丁寧に辞退した。
 味覚のないクロユリはともかく、コナツがどんなにおかしな組み合わせの食べ物でも美味だと言って食べることが信じられなかった。ハルセにとって、この二人の味覚こそが世界の七不思議のひとつになっていた。
「ああ、眠くなってきた。ハルセ、来て」
「はい、ただいま」
 ハルセはクロユリを抱き上げると、クロユリはすぐに眠ってしまった。
「ああ、もしかして術を使ったのですか? アヤナミ様がお入りになった?」
「ええ。他の地区のほうで不穏な動きがありまして。だから、クロユリさまの体力が消耗してしまい……」
「それなのにこれを作っていたの?」
「ええ、食べさせてあげたいと」
「私に?」
 確かに珍妙な食べ物はコナツ以外に口にすることは出来ないが、
「ヒュウガ少佐がいらっしゃらないから、寂しいだろうと」
「えっ」
「まぁ、おやつに作ったわけですが」
「そうなんだ……」
 その気遣いが可愛らしく、ハルセの腕の中で眠っているクロユリに向かい、
「ありがとうございます。嬉しいです」
 感謝の気持ちを込めて呟いた。
 こんな日常があるから、どれだけ辛く悲しいことがあっても、たとえそれが消えないまま心を巣食っても、潰れずに耐えていられる。自らの思いを未来に繋げる力が沸く。
 ハルセは机の上にまだ残っている書類を見て、
「お手伝い致しますか?」
 そう申し出たが、
「駄目ですよ、クロユリ中佐を抱いていて下さい」
「分かりました」
 本当は猫の手も借りたいほど、まだやるべきことは残っていて、終業時間まではびっしり働かなければならない。ヒュウガが戻れば更に仕事が増え、この分だと残業になるかもしれなかった。それでもコナツは、この仕事に携われる喜びを噛み締めた。

 ほどなくしてカツラギとヒュウガが戻ってきた。
「ただいまー」
「お疲れ様です」
 コナツはすぐに敬礼で迎え、労った。
「ふー。今日もよく働いたなぁ。任務完了〜っと」
 ヒュウガはご機嫌だった。
「私は少ししたらアヤナミ様を迎えに本部に行きます。ヒュウガ少佐は今日の報告書を忘れないで上げて下さい」
 カツラギが早速次の予定を確認する。ヒュウガは、
「最後のやつは聞かなかったことにしよう。そういえばアヤたん、今日は一日本部に出ずっぱりだもんね。ますます顔色悪くなってんじゃないのー。なんか美味しいものでも食べさせてあげてよー」
 アヤナミを心配する。カツラギがすかさず、
「そうですね。夕食の前ですが試食してほしいお菓子があるんですよ」
 思い出しながらにこにこと笑った。
「お菓子!?」
「ええ、抹茶カステラですが、一口サイズなので夕食前でも支障ないと思いますよ。糖分補給にどうぞ、今、持ってきますから」
 カツラギもまた、場を和ませる術を持っていて特にお菓子作りが好きだという意外な趣味もある。クロユリとは違って、こちらはまともだ。しかも、プロ級の腕前で、そして実は編み物もできる。
「今日、オレ、おやつ抜きで頑張ったから嬉しいなぁ〜、さっすが大佐、頼りになるねぇ」
 ヒュウガは手を合わせて喜んだ。
「いえいえ、趣味ですから。お茶も入れましょうね」
「さすがですね、大佐。でも、いつ作ったんですか?」
 コナツは生キャラメルに包まれた梅干しのわさび和えを食べたばかりだったが、当然、抹茶カステラにも食指が動いた。成長期の食べ盛りである。
「朝です」
「出勤前に?」
「ええ。いつも早起きして作るんです」
「すごいですね」
「いえいえ」
 実にアットホームな会話だった。これが帝国軍随一恐れられている集団だと誰が理解できようか。
「先に召し上がっていて下さい。私はそろそろアヤナミ様を迎えに行きます」
 アヤナミには専用のベグライターが居ない。だから、こうしてカツラギやヒュウガが付くことがあった。
「大佐、お願いします」
 ヒュウガはすでにカステラを頬張っていて喋られない代わり、コナツが敬礼して見送る。
「ところで少佐、食べ終わったらお仕事ですよ」
「……」
「聞こえない振りしても駄目です」
「……」
「寝た振りも駄目ですからね」
「ちぇー、しようがないなぁ。抹茶カステラに免じて頑張るかぁ」
 ヒュウガは観念して机に向かった。果たして何分もつだろうか。
「サインして頂く書類もたくさんありますからね。宜しくお願いします」
「コナツこそ終わったの?」
「ええ、おかげさまで」
「なんだ、仕事速いよ、コナツ〜」
「少佐が居ないのでスムーズに出来たんです。むしろ退屈なくらいでした」
「それは聞き捨てならないなぁ」
「……冗談ですけどね」
「うん、分かってるよ。ほんとはアレでしょ? 寂しかったんでしょー?」
 ヒュウガがふざけてそう言うと、コナツは顔を赤くして俯いた。
「あれま、図星?」
「いえ……っ。と、とにかく仕事して下さーい!」
「はいはいはい」
 戦の中で慌しく過ぎる日々がある。仕事が終わらずに帰りが遅くなっても、それすらも愛しい。
「ところで、コナツ」
「なんでしょうか」
「今夜の約束忘れてないよね?」
「えっ」
 急にそんなことを言われるとやたらと意識してしまい、気まずくなってしまう。
「コナツ、いいって言ったんだからね〜」
「……」
「駄目だよ〜、聞こえない振りは〜」
「聞こえない振りなどしてませんよ! ヒュウガ少佐でもあるまいし!」
「耳が痛い」
「仕事ですから、いつもの時間には部屋に参ります」
「……出来ればネグリジェで」
「は!?」
「ナースでもいいかな」
「な……な……」
 コスプレをしろというのか。
 ヒュウガの命令は絶対だから言われたら従うしかない。コナツは窮境に立ったように青ざめ、その様子を見たヒュウガは、さすがに可哀相になったのか、
「ウソだって〜。コナツは冗談が通じないなぁ。すぐ本気にする」
 慌てて否定した。当然、コナツはまた怒り狂う羽目になる。
「少佐が真顔で言うからいけないんです!!」
「そばにいてくれるだけでいいって言ったじゃん」
「……」
「そりゃあ、添い寝してもらうのに、ネグリジェとかナースとか? ポリスとかでもいいかなって思ったよ? 思うだけは自由じゃん?」
「……」
「だからウソだって。睨まないでよ〜」
「ええ、分かってます。でも、部屋に行ったら用意されてることなんて絶対にないですよね?」
「ないって。オレがそんなことしたらヘンでしょ」
「誰がしても変です」
「あ、でも縫い物が得意なカツラギ大佐なら作ってくれそう。コスプレ衣装」
「ヒュウガ少佐?」
 コナツは笑ったが、目は笑っていなかった。
「それも冗談」
「ほんとに、何を考えておられるのか」
「そんなの決まってる。コナツのことでしょ」
 ヒュウガの口説き文句はストレートすぎる。遠まわしに言うときは相当深読みしないと分からないほどなのに、直球のときはダイレクトに相手を揺さぶる。
 コナツはくじけそうになりながら、
「私もですよ。特に今日は午後から少佐がいらっしゃらなかったので余計に考えてしまいました」
 正直に告げた。仕返しするために言ったのではなく、自然に口から出た言葉だった。
「マジで?」
「ええ、仕事は山ほどありましたけど、気合いが入らないというか」
「ホントに?」
「少佐がそばに居るのと居ないとではまったく違……うぐっ!」
 誰も居ないのをいいことに、ヒュウガはコナツを抱き寄せてくちびるを奪った。
「ちょっと夜までもちそうにない」
「えーっ!」
「ここで抱いたら怒る?」
「少佐ッ! 怒るとか、そういう問題ではありませ……ッ」
 再び、ヒュウガはコナツの淡い色のくちびるを塞ぐ。たった一度でも、激しいキスがどれだけの催淫効果があるのか、二人、とうに知っている。
 スリルを味わいながらキスを終えると、
「オフィスラブっていいねぇ」
 ヒュウガは能天気なことを言ってコナツの柳腰を撫でるのだった。
「もう! こんなの有り得ません!!」
 潤んだ目で訴えられても痛くも痒くもない。ますます夜が楽しみになるヒュウガだった。
 果たしてその夜、二人はどれだけ燃えたのか。
 きっと翌日にコナツが思い出しては赤面することになるだろう。しかし仕事が手に付かなかったら大問題である。……それは日常茶飯事だが。


fin