夕食のマナー


一日の終わりを締めくくる夕食のひとときをここで迎えるようになって何日経つだろう。
テイトとハクレンは司教試験を前に、昼間は教会での手伝いをしながら教典を学び、ひとしきり修行をしてから一旦夕食を摂って再びカストルの指導の下、訓練を受ける、そんな毎日を過ごしていた。そして夕食の時間は必ず、
「ああ、今日もたくさんのことを学んだ。私はいつも私に関わるすべての人への感謝の念を忘れない。こうしてありがたく食事が出来るのも、沢山の人のお陰だ。心して食事をしよう」
ハクレンが胸の前で手を合わせて呟く。
「なんかよく分かんねーけど、腹減った」
テイトは空腹を訴え、ハクレンの隣でナイフとフォークを持ったまま待ちくたびれたように目の前にある皿を凝視していた。
「なぁなぁ、ハクレン、今日の料理はうまそうだな」
「……」
「あ、ちなみにアイフィッシュにも慣れたぜ。食用花も食えるようになったし」
「……」
「早く食おうぜー」
テイトが食欲旺盛になっていると、
「少しお前も祈ったらどうだ」
ハクレンに窘められた。
「え、食いながらじゃ駄目?」
「って……これだから小学生は」
「小学生じゃねぇし」
「神に感謝するだけじゃない。せめて今日感謝する人は居ないのか」
「えっ、あー、カストルさんとラブラドールさん?」
いつも世話になっている相手である。続けて、
「シスターの皆も」
今日は朝から一緒に洗濯もした。シスターの笑顔や会話には、いつもいつも勇気付けられ、元気を貰っている。
「フラウ司教は?」
ハクレンがフラウの名前が抜けていることを指摘した。
「あー? あのエロ司教はいいんだよ」
「なんだと」
「……ハクレンはほんとフラウのこと好きだな」
「ああ、今日も素晴らしいほどにいやらしく輝いておられた」
「え」
「いつ拝見しても眩しい方だ」
「いやらしく輝いてるってなんだよ。褒めてんの?」
「当たり前だ」
「よく分かんねー。大体、エロ本持ち歩いてるってどうなんだよ」
テイトが頬を膨らませて言うと、
「ばかだな、あのように色気のある大人だから許されるのだ」
ハクレンははっきりと答えた。絶大なる支持である。
「っていうか、ハクレン的にはOKなんだ?」
「何が」
「エロ本を隠し持っていることについて」
「もちろん」
「え、ハクレンってそういうの平気なの?」
テイトが驚いている。真面目で気品のあるハクレンには、そういった下ネタは受け付けないと思っていた。
「平気もなにも、男なのだからいいに決まってるだろう」
「えええ?」
「そういうテイトこそ、もしかして免疫がないのか。やけにフラウ司教を目の仇にしているが」
「だって司教なのにエロイんだぜ。有り得ねーだろ」
「だが、実力者でもある」
「そうかぁ」
「この大教会で選ばれた司教なのだぞ」
「何かの間違いだったんだよ。ほんとは違う人なのに、手違いで選ばれたんだぜ、きっと」
「……それ以上侮辱すると私が許さない」
「本気?」
「本気だ」
「まぁ、フラウは悪いやつじゃない。それだけは分かるよ」
「……」
「オレ、今、お前と喧嘩したくないし」
「あ、ああ、私のほうこそすまない。つい熱くなってしまった。せっかくの食事が台無しになってしまうな。では頂こうか」
「待ってました。んじゃ、いただきまーす」
司教試験は二人一組になって行われる。だから、行動も二人一緒にとることが多く、たとえ性格が合わなくても互いを理解しようとする努力が必要だった。
「……食事の最中に話をするのは非常識だと思うが、ゆっくり語り合えるのもこんな時くらいしかない。この機会に出来るだけお前のことを聞いておきたい」
「え、なんだよ、いきなり」
「これからまた訓練に入るからな。帰ってきたときにはくたくたで話をする余裕もないだろう」
「そういえばそうだな」
「色々と質問をしたいところだが……どうせなら、形式を変えてみよう」
「?」
「お前とは第一印象が悪かったと思う。だが、お前は努力家でそして秘めた才能を持っているやつだと思う。喧嘩ばかりしているが、お前となら試験が受かる気がするのだ」
「やだな、照れるじゃないか」
「まぁ、美しさでは私には適わないが、お前も中々いい線いってるぞ」
「……」
「身長は残念だが」
「一言多いし」
何度も言われる台詞に、テイトは言われた回数分くちびるを尖らせてきた。言い返すことが出来ないのが悔しい。
「まだ小学生なのだから、これから伸びるさ」
やはり一言余計である。
「だから違うって」
「冗談だ」
「ったく。でも、ハクレンは生まれも育ちもいいから、やっぱり品があるよなぁ」
「ああ、分かってる」
「……そのナルシストっぷりは元から?」
「元からだ」
いつも鏡を持ち歩いて自分の顔を見ているのは知っている。ハクレン曰く”身だしなみ”だそうだが、傍から見れば自分の顔に見蕩れているようにしか思えない。
「あ、そう」
「冗談だ」
「……っていうかなんで髪を伸ばしてんの?」
「いきなりそこか」
「うん。いつも思ってたよ。髪が綺麗だなって」
「まさか私を口説いてるのか?」
「ちが!」
「私が髪を伸ばすのは……或る願いが叶うまで……」
「まさか願掛け!?」
「と見せかけて、気が付いたら伸びていただけだ」
「えー!」
「と言っておこう」
「でも、ほんとに綺麗だぜ」
「金髪が好きなのか?」
「そういうわけじゃねーけど、オレには無いものだから」
「お前の瞳の色も貴重なのに」
「!」
「吸い込まれそうな鮮やかな色だ」
「ハクレンの目の色だって!」
「いやいや、お前は特別だよ」
「そんなことない」
「お前は母親似か?」
「……」
このときのテイトは母親に関しての記憶がない。どうしても言葉に詰まり、暗い面持ちになるのは仕方がなかった。
「すまない、聞いてはいけないことだったか」
「いや、いいんだ。ハクレンこそどっちに似たんだ? 父親? 母親?」
「私はどうだろうな。父親は嫌いだが、似ているのかもしれない。まぁ、周りには母に似ていると言われてきたが」
「だろうな、ハクレン女顔だと思う」
「……私を口説いているのか?」
「だから違うって!」
「ならば私こそお前を口説こう」
「なんでその流れ!?」
どこまでが冗談なのか分からないと思っていると、更に真剣な表情で、
「どちらが紳士か決めようではないか」
そう言い出した。
「いや、いいし」
「ほう、この勝負勝ち目はないと」
「勝負じゃなく」
「そうだな。だが、この際はっきり言っておこう」
「えっ」
何を言われるのかとテイトが顔色を変えた。もし試験に関することで致命的な問題があればすぐに修正していくしかない。どんな厳しい意見を言われるのか、テイトは何を言われても冷静に受け止める覚悟をした。
ごくりと喉を鳴らしてハクレンの言葉を待っていると、ハクレンはこれ以上ないほど真剣な顔で、
「お前は何故か庇護欲をそそるのだが」
そう切り出した。
「……は?」
テイトには、言われている意味が分からない。
「小さいせいか?」
「……」
「童顔だから?」
「……」
「何より、お前はすぐに泣くらしいが」
「ちょ……何それ。どこ情報?」
「フラウ司教だ」
「あんのエロめ」
テイトがぎりぎりと歯軋りをしていると、
「……何故か守ってやりたくなる」
構わずハクレンは今まで感じていた心のうちを正直に告げるのだった。
「いいし! 男に守られたくなんかないし!」
「そう言われてもこちらが守りたくなるのだ」
「なんでだよー!」
テイトは叫んだが、小さいせいで、弱く見られることに今日ほど悔やんだことはない。ペアを組んでいるハクレンにまでそう言われて納得できるはずもなく、今すぐに決闘を申し込んでどちらが強いかはっきりさせたいと思った。だが、ペアを組んでいる今は決闘など不可能だ。ならば訓練で力の差を見せ付けてやりたいが、ハクレンも中々に強いのだった。
「お前は……」
そう言い掛けてハクレンが口を閉じる。
以前、着替え途中のテイトの躯が傷だらけだったのを見てしまったことを思い出したのだ。当時は、その傷跡が新しいものではないことに気付き、虐待を受けたのかと思ったが、戦闘用奴隷の烙印を見てしまった。恐らく、人間兵器として、いくつもの殺人を犯してきたのだと想像出来た。普通なら、それで引いてしまうところだが、ありとあらゆる戦闘法を叩き込まれたテイトを、守ってやりたいという想いが芽生えてしまった。
テイトが強いことは現在の訓練を見て知っている。それなのに、その小さな躯を抱き締めてやりたいと思う。当然、ここまで想いが深くなっていることは本人には知られたくないが、ハクレンも博識であり、そして強さも備えていて、いざ戦闘に向かう時には勝利を収める自信がある。その戦力をテイトを守るために使ってもいいとさえ思い始めていた。
「あのね、オレ、小さくても男だし、そういう守られるとか言われるとすっごく落ち込むんだけど」
テイトは途端に食欲を無くし、フォークとナイフを置いてしまった。
「ああ、気を悪くしたのなら申し訳ない」
ハクレンが本気で謝った。
「っていうか、冗談だよな?」
悪ふざけであると言って欲しかった。
「いや……だが、私が勝手に思っていることで、お前にそれを認めて欲しいとは思っていない。自分の思いを押し付けることはしたくないからな。ただ、お前が必要であることは本当だ」
「な……だからいきなり何だよ、照れるっての」
「すまない」
「お、お前さ、顔が綺麗なんだから、あんまりそういうこと言うなって」
「何故だ」
「ドキドキするだろっ」
「動揺してるのか」
「当たり前じゃん!」
「それは拒絶反応ではなく?」
「……違う」
「良かった」
「確かに第一印象はお互い最悪だったけど、オレはお前を拒絶するようなことはない。今ペアを組んでいるからとかじゃなくて」
「そう言ってくれるとありがたい。私もお前を小学生だなんだと囃しているが、本心ではそんなこと思ってないんだ。守りたいと思うのも、友人として認識できるようになった証拠かもしれない」
どんどん互いへの意識が強くなっていく。ここまで来ると、告白のような独白は止められなかった。
「ハクレン……」
「本当に他人だと思うならば、お前がどうなろうが勝手だし、どうなっても知ったことではないと啖呵を切っただろう。だが、お前が傷付くのは嫌だし、助けたい、助け合いたいという思いがはっきりしてきた」
「ほんと、に?」
「お前が受ける痛みは、私の痛みでもある」
「それって一心同体みたいだ」
「そう、だな」
二人が顔を見合わせて笑った。
最初の頃を思えば、こんなに心が通じ合うようになると思わなかった。このままいけば、互いを戦友と呼べる日がくるのも遠くない気がした。
「うわ、ハクレン、全然食ってねぇじゃん」
ハクレンは一度はナイフとフォークを掴んだのに、それを置いて語り始めてしまった。どうしても話しておきたかった。夜になれば疲れて眠ってしまうから、今しか時間がない。
「ああ、話すほうに夢中になってしまった」
「食事中は静かにって注意するほうが多いのにな」
普段のハクレンはそうである。
「まぁ、団欒だと思ってくれればそれでいい」
「なんか家族みたいだ」
「ははは、家族か。それよりお前もきちんと食べろ。よく噛むんだぞ、しっかり栄養を摂らないと試験に臨めないからな」
自分をさて置き、テイトの心配をする。
「やだな、ハクレン。母さんみたいだ」
母親のぬくもりを知らないテイトは、そうやって心配してくれるハクレンに家族の温かみを覚えた。そう言われてハタと気が付いたハクレンは、
「……もしかして、これは母性本能なのか」
閃いたように更に呟く。
「ええ!?」
「男にも母性本能があるのは知っているが……」
「その年でそんなのあるのか?」
「こんな気持ちになったのは初めてなんだ」
「マジで?」
「ああ、お前が初めてだ」
「でも、ハクレンって面倒見はいいと思ってる。それに本当はすごく慈悲深いやつだってのも」
「そうか?」
「ああ、オレ、これでも誰が悪いやつでいいやつか、見る目あるんだぜ」
「おお! では私は認められたということだな」
「ま、そういうこと」
また二人は笑い合った。
「なぁ、テイト、出来るなら、もっと話をしたいものだ」
「じゃあ、じゃあさ、今夜訓練終わったら話しようぜ」
「体力がもてばいいが」
いつもくたくたになって倒れこむように眠るのだから、その約束は果たせそうにない。
「だよな、眠るほうが大事か。んー、どうしよっか」
テイトが悩んでいる。
「ならばこれはどうだ。一緒に眠ればいい」
ただそれだけで心が通じ合うのではないかと思った。そばで眠って同じ夢が見れるように願おう、そう言わずにはいられない。
「一緒に!? でも狭いんじゃね?」
「お前は小さいし、私も大きいほうではない。十分だろう」
「あ、だったらさ、オレ、ハクレンの髪触ってもいいか?」
「私の、髪?」
「すっごく触りたかったんだ。ハクレン、寝るとき髪ほどくじゃん。あれ見て、いいなぁ、触ってみたいなぁって」
初めて聞くテイトの本心である。
「ああ、構わない」
「やったね」
「案外髪フェチなんだな」
「そうじゃないって」
「金髪が好きなだけか?」
「違うってば」
そんな言い合いをしていると、
「何が違うんだ?」
「フラウ司教!」
「げ、エロ司教だ」
フラウがやってきた。
「エロとは何だ!」
「だってほんとのことじゃん」
「つか、お前らのメシ、冷めてね?」
そう言われてテイトとハクレンが顔を見合わせる。
「つい話し込んでしまったので」
「お前らが?」
珍しい、とフラウがぼそりと呟く。
「はい。色々溜まってて」
「へぇ。てっきり犬猿の仲かと思ってたぜ」
フラウが笑う。
「そうなんですが、今はすっかり距離を縮めることが出来て」
ハクレンが言葉を選びながら説明する。
「ま、ペアだしな」
テイトが胸を張りながら言うと、ハクレンが付け加えるように、
「今夜一緒に寝る約束もしてしまいました」
にっこりと笑いながら打ち明けた。
「え」
それを聞いたフラウが固まる。
「ほんとはいっぱい話したいけど、すぐ眠くなっちゃうから、どうせなら一緒に寝ようって。なっ、ハクレン」
「ああ、テイト」
まるで徒党を組んだようなノリであるが、
「一緒に寝るって……なにその急接近っぷり。距離ねぇじゃん。ゼロ距離じゃん」
フラウは呆然として二人を見比べていた。
「ペアはこうじゃねぇと!」
テイトが言うと、
「フラウ司教はカストル司教とペアでしたから、一緒に寝たりしたんですか? 夜通し語り合ったりしましたか?」
ハクレンが奇妙な質問を投げかけた。
「うおおおお」
フラウが鳥肌を立てて腕をかいている。あのメガネとそんなことがあってたまるか、と言いたげであったが、ここでそんなことを言ったら、折角連帯感を持ち始めたテイトとハクレンの志気をそぐことになると思い、
「ああ、分かり合うためにくんずほぐれつ語り合ったぜ! ボディトークだな!」
あることないこと……むしろ全く無いことを言ってみた。
「くんずほぐれつって何だ?」
テイトの疑問は無視し、
「ボディトーク……躯? 話す? ああ、一緒に寝ることですね」
完全に勘違いをしているハクレンである。
「そうだ! 頑張れ、青少年!」
「はい!」
「って、お前らメシの最中に語り合ってたの?」
「ええ、こんな時しか本音を言い合えないので」
「オレら、中々時間取れねぇもんな」
ハクレンとテイトの言い分を聞きながら頷いたフラウは、
「そうか、それはいいことだな。それが夕食時のマナーってもんよ」
諭すように告げる。もちろん、適当である。
「そう思いますか、フラウ司教!」
フラウの言うことは何でも有りなハクレンは、今後の教示として夕食時にはテイトに思いの丈を述べることを決めたのだった。

それは、今だけ限定の、そしてこの教会限定の夕食のお楽しみである。


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