おやつの時間


「コナツ、コナツ」
午後2時、カツラギが参謀部の入り口から顔を出してコナツを呼んだ。コナツは書類を抱えて参謀部内を走り回っていたが、すぐにカツラギのほうへ駆け寄る。
「なんでしょう、大佐」
大量の書類を抱えた姿を見たカツラギは、
「ああ、また仕事が増えましたね。私も手伝います。その前にちょっとこちらへ」
事務的な用事を言い渡すように呟いた。
「はい」
「ああ、まずその書類を置いてきて下さい」
「ええと?」
「すぐ済みます」
「分かりました」
コナツは書類を自分の机に置くと、急いでカツラギが待つ廊下に出た。
「お待たせしました」
「これなんですが」
そう言って見せられたものはクッキングペーパーに包まれたクッキーだった。
「!?」
「一見クッキーだと思うでしょう。でも、小麦粉を使っていなくて、違う材料で試したのですが、初めての試みなので味見をして頂きたくて」
「私がですか!?」
「はい」
「こういうのはクロユリ中佐が向いているのでは?」
「中佐はお昼寝中です」
「あ、そうでしたか。では、私で恐縮ですが味見を……」
パクリと食べてモグモグと口を動かしたあと、
「小麦粉を使っていないんですよね? もしかしてお米ですか!?」
きらきらと目を輝かせて感動している。
「そうです」
「えーっ、凄く美味しい!」
「それは良かった! では、3時のおやつに出してもいいですね」
「はい! 皆喜びますよ! しかもいつの間に!?」
「お昼休み中に作りました」
いくらカツラギでも、仕事をさぼってお菓子作りをするわけではない。10時に出すものは朝のうちに、15時に出すものはお昼のうちに作っておくのだ。
「すごいです!」
「いえいえ、それほどでも」
「以前にも初めて作ったものを何度か試食させて頂いたことがありますが、大佐の作るものは外れなしですね」
「いやぁ、そこまで褒められると却って恐縮です」
カツラギが笑いながら言うと、
「私ばかりが最初にいい思いをして良いのでしょうか」
コナツは遠慮がちに言い、人差し指を口に当てて「もちろん内緒にしていますが」と付け加えた。それを見ていたカツラギは、
「一番最初にあなたに食べてほしいというこだわりがあるんです」
当たり前のように呟く。
「えっ、どうしてですか」
驚いたコナツは、大きな目を更に大きくしてカツラギを見上げた。
「どうしてだと思います?」
「私では余りアテにならないのに」
たとえば、クロユリには味覚がない。だが、食べることは好きだし、食べたものに対する批評はしっかりと的を射ており、参考になる。その点コナツに関しては悪食に近いものがあり、どんなものでも平気で食べる傾向があった。例えまずいものでも文句を言わないことから、味覚がおかしいのではないかと思われたが、単に贅沢を言わないだけである。味にうるさい美食家になるつもりもなく、出されたものに対して絶対に不平を言わない。本当に不味い料理でも、「こういうものだと思えば平気です」と言ってのける。だが、事に試食の際は、これから改善を施そうとしているものには「もう少し薄味で」「もっと甘いほうが」と意見を述べるのだから、偽善で嘘をつき、やせ我慢をしているのではないことだけは確かだった。だから、それが分かっていてカツラギはコナツに試食をしてもらうのだ。
「まぁ、あなたは可愛いですしね」
突然話の趣旨と掛け離れたことを言われて、今度こそコナツの目が点になる。
「あの?」
「可愛い子にはお菓子をあげたくなるのです」
「た、大佐?」
戸惑うコナツだったが、
「あ、分かりました。小さい子供におやつを与えるのと同じ心情ですね。子供って見るとお菓子あげたくなりますものね」
閃いたように言及する。だが、
「それとは違いますよ。食べ物であなたを釣って、手に入れようという魂胆です」
「はい?」
「あなたの意識を私に向けさせるためですね」
「ちょ……あ、あれかな。小さい子供と遊ぶ時はお菓子を与えると喜ぶから……」
「原理はそうですが、私はあなたを子供だとは思っていません」
「えっ」
「抱いて泣かせたいと思います」
「はあああ!? えっ、あれですか、子供ってびっくりさせて泣かせたときは抱っこすれば泣き止むし……」
「逃げますね、あなたも」
「ち、ちが……だって大佐がおかしなことを仰るから!」
「変ですか? 別におかしくはないですよ」
「な、なんかそれだと大佐が私のことを……すっ、好きみたいじゃないですか」
「好きですが」
「うわぁ!」
「そんなに驚かなくても」
「驚きますって!」
「私は今まで気付かなかったあなたに驚いてます」
「ええええっ」
「そういう素振りを見せていましたが……」
「そ、そうですか? って、そもそも私のどこが!」
聞かずにはいられない疑問である。絶対に理由など見つからないはずだと思っていると、
「敬語を使うところ」
即答されてしまった。
「は?」
何故それが理由なのだと問い詰めたかった。
「言葉遣いが綺麗です」
「私はここの中でも新人ですよ? 上司に敬語を遣わず誰に遣うんです?」
「あなたは誰にでも敬語を話すじゃないですか」
「……」
「あと、その若さでご自分のことを”私”と呼ぶところでしょうか」
「えええ!」
「中々お目にかかれません」
「そんな馬鹿な……じゃあ、今度からオレって言います」
「似合いませんね」
「ガーン!」
「ショックを受ける表現を口頭するとは……」
「す、すみません」
「謝るところではないですよ?」
「そうですか」
「他にも言いますか?」
「いえ……もう……」
「他には金髪なところ」
もういいと断ったのにカツラギは全く聞いていない。
「アイドルみたいな顔してるし」
「まさかー!!」
「あと、聞きたかったのですが、あなた、声変わりしなかったでしょう?」
「うえええ!?」
「もしかして去勢したんですか?」
「はあ!?」
コナツが呆然として口を開けていた。こんな展開になるはずではなかった。和やかにお米で出来たクッキーの話をして終わるはずが、何故か告白され、しかもコナツは窮境に立たされている。何かの間違い……否、誰かと勘違いしているのではないかと思ったが、敬語を使うのも、私と呼ぶのも、金髪なのも、すべて自分に当てはまるのだ。
「あと、気が強いのもいいですねぇ。ヒュウガ少佐と手合わせをしたのを見たときから、私はあなたが気に入りまして」
「そうなんですかー!?」
「肋骨折られたのに立ち上がって向かっていくのを見たらねぇ」
「見たらなんです!?」
「惚れるのも当然ですよ。左腕折れて全く使えないのに、右手一本でよくやったと思います。もし右腕も折られたらどうしました?」
「剣を口に咥えて戦ったと思います」
「……」
「それが普通かと」
「あなたならそうするでしょう。でも、もし脚も折られたらどうしたんでしょうねぇ」
「その前に死んじゃいます、私!」
「そうですか」
「もう、大佐って鬼ですか!」
「いえいえ、私はこうして口で言ってるだけで、実際ヒュウガ少佐ほどの腕はありませんし、あんなこと出来ない。恐ろしいのは少佐ですよ」
「少佐が本当に怖いのは身を以って知っていますが……って、そういえば少佐の姿が見当たらなくて」
「午前中は居たのでは?」
「午後から居ません。サボりでしょうか」
「それは分かりませんねぇ。この時間はいつも居ないような気がします」
「ええ。お陰で仕事が溜まるったら……。ん? 仕事? ああっ、そういえば書類が山積みに!」
「そうでしたね。私も手伝うと言っておきながら話が長くなってしまいました」
カツラギは故意にコナツを引き止めていたが、コナツはコナツで引き下がれなくなっていたのだ。もはや仕事のことは頭から飛んでいた。
いざ現実を目の前にすると、呆けてばかりはいられない。コナツは心を引き締め、
「では大佐、私は戻ります。今の話は冗談として受け止めますからね?」
大人の対応とばかりに笑顔を見せながらそう言ってみた。
「そんなこと言うなら、仕事中に口説きますよ、私は」
カツラギが食い下がる。諦めるつもりはないようだった。
「それは!」
「なんて、あなたを困らせては嫌われてしまいますね。まず書類を片付けてからです。私も中に入ります」
ほっと胸を撫で下ろすコナツだったが、カツラギは中に入ると、全体をよく見回し、一瞬で事態を把握して、手早く素早く最短の要領で仕事を片付けてしまった。一人よりも二人でやったほうが早いのは分かるが、カツラギだから更に早いのだ。コナツは、やはり頼りになると泣きつかずにはいられないと思った。さきほどまでにあんなことを言っていたのだから、仕事中にも余計なちょっかいを出してくるものだと構えていたが、カツラギは真剣そのもので、下手ないたずらをすることはなかった。その辺では、カツラギもしつこくしないように心得ている。大人の余裕なのだった。
ようやく一段落ついたのは15時前で、気が付くとカツラギはお茶の準備をして、参謀部の中に居る皆にお菓子を配ると、いつの間にか姿を消していた。
「あれっ、大佐?」
お菓子の感想をもっと言いたくて、コナツはカツラギを探した。
カツラギは、ヒュウガのように行方不明になることはなく、大抵はこの階にあるキッチンに居る。カツラギやハルセ以外は、あまり出入りすることはなく、何かイベントがあるとき以外では使うことのない場所である。
コナツはすぐにそこへ向かい、ドアをノックしたあと、そっと開いた。
「あ、やっぱりいらっしゃいました」
カツラギはまた何かを作っているようだった。
「おや、コナツ。私に口説かれに来ましたか?」
「またまたぁ」
「自らやってくるとは、やはり勇者ですねぇ」
「違います。私、大佐のことは信じてますから」
「ですから、私があなたのことを好きだというのは信じてもらえましたか?」
「もう、大佐はきっと女性を口説くのもお得意なのでしょうね」
「いえ? コナツだからです」
「ほらほら〜」
コナツが笑った。そして何かを感じたのか、スンスンと鼻を鳴らして匂いをかぐ仕草をしながら、
「甘い香りがします」
「ああ、今、また新しいスナックを作ってまして」
「もしかしてこれですか?」
料理場のカウンターに置かれているクラッカーのようなお菓子を見て、コナツが指をさした。
「そうです」
「これって試食用ですか?」
「ですね。まだ私ですら味見してませんから」
「じゃあ、私が一号ってことで構いませんよね? 頂きます」
「コナツ……!」
そう言っている間に、コナツがクラッカーをつまんで食べた。
「わぁ、口の中でとろけます。クラッカーって食べにくいはずなのに、甘い!」
もう一枚口にする。それだけでは足りなくて、もう一枚、一枚とぜんぶ平らげてしまった。
「あ、大佐の分がありません」
「……」
「ごめんなさい……私、食べすぎちゃいました」
目を伏せるコナツを見て、
「それは構いませんが……食べる前に言うべきでした」
カツラギが申し訳なさそうな顔をする。
「何ですか?」
「そのお菓子の中に、媚薬を仕込んでいたんです」
「……」
冗談にしても事実にしても、余りにもベタすぎる。
「躯がおかしくなりませんか?」
「大佐……その手で来ましたか」
「何とも無い……ですか?」
冗談だと分かっているのに、カツラギの表情は真剣だった。
「私は平気です」
「そうですか」
「でも……さきほどの話は気になります」
「さっきの話?」
「大佐が私を好きだというのは、やっぱり嘘なんでしょう?」
コナツから切り出し、もしかしたら収拾がつかなくなる可能性があるのに、それを厭わずここではっきりさせようとする。
「嘘じゃありませんよ」
「証拠は?」
コナツが挑戦的になっていた。
「証拠?」
「ええ。だって、大佐は私の外見や普段の行動しか見ておられない。私が好きだという理由は、すべて外のものです」
「……」
「確かに私の性格や態度を見て下さっていますが、私は男ですよ? それでもいいんですか?」
「……ええ、それでも」
「じゃあ、抱いて下さい」
「は?」
この期に及んで何を言い出すのか、コナツから誘惑したのだった。
「媚薬効果でしょうか。今頃効いてきました。躯が熱い……」
「コナツ?」
「ほら、私が迫れば本当は引くんでしょう? 男なんて抱けるんですか?」
随分大胆で強気である。だが、カツラギも据え膳食わねば男の恥だとコナツに近寄った。
「杞憂に過ぎません。悦くしてさしあげますよ、可愛い人」
「それは楽しみです。でも、抱いてくれなければ評価は下せない。ここでするのが駄目なら、場所を変えてもいい。私はベッド以外では燃えませんが、今はもう、我慢出来ない」
自分から軍服の襟を外し、胸を開いた。
白い柔肌が露わになる。確かに男のものとは思えない、若く瑞々しい、舐めて吸い付きたくなるほどの胸だった。
「いけない子ですね、仕事を離れた途端に淫乱になってしまうなんて。まさかここまで豹変するとは驚きです」
「だって、大佐が悪いんですよ。大佐が最初に私を惑わせた」
「そうですが、しかし」
「そんなことはもういい。私に興味があるのでしょう? だったらもっとそばに……」
コナツ自らカツラギの腕をとり、自分の腰に回す。
「これはこれは……なめらかなラインですねぇ」
まだ成人として成長しきっていないせいか、胸も薄いが、加えてウエストが見事である。これでは女装してもドレスを見事に着こなせると思った。
カツラギがぐいと腰を引き寄せ、いたずらに小さな尻を揉んだ。
「あ……ッ」
すぐに声を上げたコナツは、
「私、お尻が弱いので……」
弁解するように呟いたが、既に弁解ではなくなっていた。これは完璧な煽りである。
「こんなに小さいようでは……私は安産型が好みだが、しかしこれはまたそそる」
カツラギが唸っている。
「大佐……お願い。ここも触って」
「!!」
そして空いている手をいよいよ自分の下腹部に持っていったのだった。
「さっき、私のことを変声期を終えてないって言いましたよね。去勢したのかって」
「言いましたね」
「ショックでした。私、男らしくありませんか?」
ない。と即答したかった。だが、
「ああ、前言撤回しましょうね。ちゃんと男の子ですよ」
脚の間に手を入れ、男であるその存在を確かめると、カツラギが苦笑した。
「私も触りたい」
「!」
なんと、コナツがカツラギの股間に手を伸ばした。手を払いのける余裕はなく、カツラギは黙ってコナツの行動を見下ろしている。
「あ……すご、い。これは私……無理かもしれない」
ずっしりと重いものまで触れ、コナツは驚いて酷く怯えた。
「なにが無理なんですか」
「ちゃんと入るかどうか……」
「それは分かりませんよ。そのためのテクニックです。私に任せればいいのです」
「はい」
「ですが、本当にあなたは悪い子です」
「ああっ」
コナツの男の子の印を撫で、扱く真似をした。
「お仕置きのほうが先でしょうか」
「嫌ですっ、痛いのは嫌い。あ、大佐!? やめ……やめて下さ……、んっ、あ」
こうして撫で上げれば感じないわけにはいかない。
「意地悪しないで下さい」
「しませんけどね」
「約束ですよ?」
「もちろんです」
「良かった……」
涙を浮かべ、カツラギを見上げる。
「駄目ですね。本当にあなたはいけません。絶対に……絶対に……」
「大佐? あ……私……何、どうし、て……」
カツラギが唸るように呟くのと、コナツがカツラギの腕の中で気を失うのが同時だった。
カツラギは何もしていない。
コナツは、気を失ったのではなく、眠ってしまったのだった。

「参りました」
コナツを抱き上げ、隣接する部屋へ移動するとソファに寝かせた。
コナツが眠ってしまったのはアルコールのせいである。つまり、食べたクラッカーにアルコール度の高いワインが隠し味として仕込まれていたのだ。最初に冗談で媚薬と言ったが、そんなものは入れていない。大体、そんな妖しい薬をカツラギが所持しているはずはなかった。しかし、説明する前にコナツが早々に食べ、あれよあれよという間にすべて胃に収めてしまった。だが、コナツもウィスキーボンボンや、アルコール入りのチョコレートくらいは食べた経験はあるだろうと思った。
ここでカツラギの大誤算があったのだ。
「ここまでお酒に弱いとは……」
最初は平然としていたから、大丈夫かと思っていた。しかし、すぐにアルコールが躯に回ったのか、みるみる顔が赤くなり、目が据わってきた。完全に酔っている、と思ったときにコナツは色仕掛けのようにカツラギに迫り始めた。
やんわりと引き止めるはずが、余りにも大胆な誘いにカツラギも愕然とし、男の性に負けたのだ。
「絶対にコナツにお酒を飲ませてはいけない。これは軍全体に機密文書で報告するしかない」
それほど重大だと思う。
もしこれが自分ではなく違う誰かだったら、同じように迫ったのかもしれないと思うと背筋が凍る。そもそも最初に自分が告白してしまったから絡まれただけかもしれないが、コナツが酒に弱いことだけは事実だ。
しかし、こんな危険な性格を野放しにしてはおけないし、徐々に酒に慣らし、色欲を取り除いていくのが最善の策か、コナツには急性アルコール中毒の気があると適当なことを言ってごまかし釘を刺して、完全に酒の席には入れないようにするのが利口か、すっかり伸びているコナツを見て頭を悩ませる。
何のことはないおやつの時間が、カツラギの青息吐息に染まった。自業自得だが、それなのにコナツへの好意は上昇し、ますます手に入れたい願望が膨らむ。
「いや、しかし、まずこの状況をどう打破するか」
最大の問題はそこである。
ここであったすべてのことを水に流すのは簡単だ。と思いたいが、出来そうにない。
「目が覚めるのを待つしかないが……酒が全身に回っているのではまずい。知り合いの医者を呼んで点滴か」

これはもう完全な一大事だ。そもそも、このクラッカーはアヤナミのために作っていた代物である。


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