やきそばパン、と聞くだけで幸せになれる。その文字を見るだけで楽しくなる。
「おばちゃん! やきそばパン三つ!」 ここはバルスブルグ帝国軍士官学校の食堂である。ミカゲは大きな声を出して昼食用の買い物をしており、その顔は満面の笑みで、とても16歳の男子とは思えぬほど子供のようにはしゃいでいる。 午前の授業を終えて、待ちに待った昼食の時間になり、ミカゲは一目散に食欲のそそる香りが漂う食堂へと走ってやってきたのだった。 「さぁ、午後からは実践の授業があるから力をつけねーと!」 一々行動をするたびに独り言を呟くのは癖なのか、やきそばパンを抱え、食堂ではなく、外へ向かって元気いっぱいに駆け出していた。 「もうね、オレ、これさえあれば何も要らない」 三つも買って満足したようで、涎が垂れそうな顔をして腕の中のやきそばパンを見つめている。このためだけに生きていると言わんばかりである。 「でもなぁ、食べ終わった時の悲しみと言ったら……」 ぜんぶ平らげてしまったときの空虚な気持ちは、この世にはもう何も残されていないのだと厳しい現実を叩き付けられたような寂しさがある。 「永遠にやきそばパンを食べていたい」 食べることが楽しみで生きているようだが、実際、その通りだった。 「ま、夜もまた食べればいいんだけどね。今夜もやきそばメシにしよう。あっ、五日連続だから食堂のおばちゃんに怒られちゃうか」 誰に話しかけるでもない独り言は、愚痴でも文句でもなく、心のうちを吐露しているだけの生き様を報告しているようなものだった。 「さて、何処に座ろうかな〜」 中庭でお楽しみタイムを満喫しようとしていた、その時、 「あ……あいつ!」 ミカゲが突然立ち止まった。 「根暗少年だ」 小柄な少年がベンチで一人で座って下を向いていた。 「ちょ、この昼時にあのアンニュイ感はねぇだろ」 その少年は昼食を終えたのか、それともこれからなのかは分からない。ただ、どんよりと重たい空気を纏い、暗いオーラをかもしだしていることだけは分かった。 「オレ、霊感ねーけど、あれは絶対なんか背負ってる」 ミカゲはまたしても独り言を呟いた。そして、気が付いたら少年のそばに駆け寄り、気が付いたら話し掛けてしまっていた。 「ヘイ、ユー、メシは食ったのか?」 めちゃくちゃな言い方は、愛嬌だった。こうして気軽に話しかければ大抵の人間は笑いながら答えを返してくれる。 「……」 少年は黙ってミカゲを見上げた。 「もしかしてノー? それはいけねぇ」 「……」 「ちょうどやきそばパンが三つある。これをやろう。残り二つになっちまってオレの心が引き裂かれそうだが、それは仕方がないと諦める。ルームメイトのためだ、食え、テイト」 「……」 小柄で根暗な少年とは、ミカゲのルームメイトであるテイト=クラインだった。 「食わないとオレが食わせてやる。やきそばパンを口移しで」 「げっ」 ようやくテイトが反応した。 「嫌なら自分で食え」 「要らねぇよ」 「えっ、もしかしてダイエット中!? そりゃ悪かった。でもやきそばパンはダイエットに最適だぜ」 根拠の全く無い台詞を平然と言い放ち、テイトにやきそばパンを差し出した。 「要らねぇっつってんだろ」 「……人から物を与えられた時は、嫌でもありがとうって受け取るもんだ。食いたくないなら何処かへ持っていって捨てればいい。でも、くれた奴に後から『うまかったぜ』ってお礼を言うのは忘れるな」 「は? 知らねぇよ」 「それが世間の常識だろ。だがな、やきそばパンを捨てたらオレが許さない。意地でもゴミ箱から拾ってみせる」 「……」 テイトは決して突っ込みを入れることはしなかった。そこまでまだ仲がよくない。ルームメイトとして紹介され、初対面で思い切りハグされて面食らったテイトだが、どんなに人懐こくてもミカゲを受け入れる気持ちにはなれなかった。 昨夜も人を殺してきたばかり。戦闘用奴隷として心を持たない、否、持ってはいけないテイトは、他人との接触を極度に避け、そして自虐的に自分を更に苦境へと追い込んでいた。 「昼飯食わねーと、午後からもたないぜ。一口だけもいいから食えよ。そんで一口食ったらついでだから二口食えよ。そのうちもっと食べたくなるはずだし」 隣でミカゲが能天気に喋っているのを完全に無視し、 「あのさ、オレに関わるなって言ってるだろ。何回言っても分からないとか、お前、しつこいし」 テイトは視線を逸らしたまま不機嫌な顔で、ミカゲに釘を刺した。 「人間はしつこくてナンボだ。簡単に諦めちゃいけないんだよ」 「ワケ分かんねー」 「だから、一緒に食べようぜ?」 ミカゲはパンを半分にしてテイトに差し出す。 「要らねぇから」 テイトは立ち上がり、ミカゲを見ることもなく走り去ってしまった。 「……」 呆然としていたミカゲだが、 「ほんっとツンデレなやつ。あんなんで夜泣きしてるくせにさ」 ルームメイトである。二段ベッドで眠っているのだ。夜中にテイトがうなされたり、しくしくと泣いていることを知っている。だが、テイト自身は、それらは寝言のようなもので、本人だけが知らない。 「今度泣いてたら襲ってやろう」 ミカゲの独り言は、今までの戯言ではなく真剣そのものだった。 「って、あいつ、何処行ったんだ? 食堂のほうでもなく教室のほうでもなく、森に行かなかったか?」 もしかして本気で臍を曲げて、自棄になってしまったのではないかと思った。 「やべ、オレのせい?」 ミカゲは味わうまでもなく、やきそばパンを急いで腹に収め、テイトが向かっていったほうへと歩き出した。 そこからはテイト捜索の旅になり、午後の授業をサボる羽目になったのである。 「見つかんねー」 時計の針は既に午後一番の授業が開始されていることを知らせていた。 「マジで何処行ったんだ。木の上も草の根も探したのに」 よく見ると、ミカゲの姿はボロボロだ。顔に大きな傷跡があるのに更に増えている。それらは完治すれば消えてしまうだろうが、見た限りでは事故に巻き込まれたか、喧嘩して怪我を負ったようにしか見えない。 「ったく、手のかかるヤツだぜ」 ミカゲがとぼとぼと歩いていると、学校の正面入り口の階段に一人でポツンと座っているテイトの姿が見えた。 「あーっ!」 ミカゲが指を指して大声を上げる。 「こんなところに! っていうかいつの間に!!」 「お、お前……」 お互いの姿を見て、お互いが驚いていた。 思わぬところにテイトが目立つ所で見つかったこと、ミカゲはミカゲでさっきとは打って変わって傷だらけの泥だらけで、一体何があったのか驚かずにはいられない。 「つか、授業中じゃね? しかも大事な大事な実践の」 ミカゲがさりげなく突っ込みを入れる。 「オレはシグレ先生の講義には出なくてもいいんだ」 「あー、実技免れてるんだっけ」 「それよりお前はどうしたんだ。なんでそんな格好……」 「なんでって、お前探しに森行ってたんだろうが」 「は?」 「お前がいじけて森の方に走り去るから、熊に襲われるんじゃないか、迷って帰れなくなるんじゃないかって心配でやきそばパンも喉を通らなかったぜ」 「……」 後者は嘘であるが、心配で探していたのは事実だ。 「木に登ってみたり、草むらの中に入り込んでたら、こんなことになった」 ミカゲが胸を張って自慢している。 「なんで草むらなんだよ」 「え? お前、小さい……あ、いや、腹減ってのたれ死んでいるんじゃないかと思って」 「……」 「いきなり逃げ出すからだよ。せめて行き先言ってから逃げ出せ」 ミカゲの言い分はめちゃくちゃである。テイトは突っ込む気にもなれず、 「お前、バカじゃーの? つかオレを探しに来るとか。誰も頼んでねーし」 更に強硬な態度を示した。 「だから、オレのせいで怒らせちゃったかなって思って」 「別に怒ってねぇ」 「マジで?」 「別にお前に腹を立てたわけじゃない」 自分自身に腹が立っていたのかもしれなかった。素直になれなくて、悪態ばかりついてしまう自分に。 「そうなの?」 「何度も言わせるな」 「えーっ! そうなんだ! 良かったー!」 途端に元気になるミカゲもいい調子に現金だが、むっとしたままのテイトに向かい、今度はとんでもないことを言い出した。 「んじゃ、抱き締めていいか?」 「はっ?」 「ぎゅーっと! ぎゅーっとハグだよ、ハグ! 仲直りは好きだ!」 「意味不明!!」 そもそも喧嘩をしたわけではないし、助けてくれと頼んだわけでもないのに、ミカゲは勝手に話を進めていく。 「なんだよ、夜に抱きたくなるのより昼間のハグのほうがマシだろ?」 「えええ!?」 テイトも驚きを隠せない。折角クールに決めてきたのに、動揺して顔が赤くなってしまったのが自分でも分かる。 「さぁ、友情の抱擁だ!」 ミカゲが両手を広げて勢いをつけてテイトを抱き締めた。 「ぐえっ」 カエルが潰れたような声を上げてしまったテイトだが、それは仕方なかった。ミカゲの腕は、テイトを渾身の力で抱き込んだのだった。 「うおっ、うおっ、お前!」 テイトがもがこうとする。 「いいから黙ってろ。あと10秒。いや、5秒でいい」 「んな!」 「いいから」 「……」 テイトは暴れるのをやめた。文句を言うのもやめて、ミカゲの腕の中でおとなしくなった。心の中で、身長差は10センチくらいか……と想像しながら、ほんの数秒だけ、他人のぬくもりを感じていた。 「よし!」 一人で完結してしまったミカゲは尚更ご機嫌である。 「もういいだろ、行けよ」 テイトが背を向けた。 「行けって何処に?」 「授業だよ、お前は出なきゃやばいだろ」 「あー、うん、単位取らないといけないけど、でもここまできたら、お前に付き合うよ」 「な! だからオレについてくんなってことだよ!」 「仲直りしただろ、今」 「喧嘩してねーし!」 「しょうがねぇな、こうなったら、そうだ、テイト、キスしようぜ!」 「!!」 さすがにこれには心底驚いた。何故そんな展開になるのかも分からなかった。テイトは時間が止まったかのように目を見開いて口を空けて固まっている。すると、 「あ、間違った、ゲームだった」 ミカゲがテヘヘと笑って言い直す。 「ゲ……ゲーム?」 「そ、ゲーム! 暇つぶしにゲームして遊ぼう」 「……」 キスとゲームと、何処をどうしたら言い間違えるのか不思議でならない。 「まずはしりとりから」 「しりとりって! 勝手に決めんな!」 「あ、違う遊びが良かったか?」 「んなわけねーだろ。頼むからオレを一人にしてくれ」 「悩みなら聞いてやるのに」 「悩み……」 ほんの少しテイトの心が傾いた。やはり、優しい言葉には弱いのかもしれなかった。 「うん。迷ってることとか、困ってることとか、嫌なこと、辛いことはないのか?」 「……」 途端に俯いてしまえば図星だということがバレる。 「ほら、あるんだろ。お前が一人で悲壮感に漂うのは勝手だけど、オレはお前と友達になりたいし、何よりも同室だ。一緒に寝てる仲だぜ」 「いっ、一緒に寝てねーし。オレが上でお前が下だろ!」 「なんだ、いやらしい言い方をするな」 「はぁ!?」 どこまでもおかしな言い方でモチベーションを上げようとするミカゲに、時折テイトはついていけなくなるが、無下に追い返せないのはルームメイトだからという理由だけではなかった。心のどこかでミカゲを受け入れたいという思いもあった。それでも避けようとしてしまうのは、ミカゲが余りに眩しいからだ。自分とは全く違う人種であり、生い立ちを知られたら折角仲良くなって芽生えた友情も取り消されてしまうのではないかと恐れた。 「やっぱりゲームじゃなくてキスしちゃおうかな」 「えっ、なんでそうなるの?」 「なんかムラムラしてきた……お前、よく見ると可愛いし」 「んな!?」 「ハグの次はチューだし!」 「ち、ちが!」 「なんだよ、夜にチューするより昼間のほうがいいだろ!?」 「よくない! ちっともよくないぞ!」 身の危険を察知したテイトは後じさりながら身構えた。 「って、そこまで元気出たならいっか」 「!」 ミカゲはテイトを明るくするためにめちゃくちゃな言動を繰り返していたのだった。 「やっぱ昼飯食ってないんだろ?」 「……」 「夜は一緒に食べようぜ」 「別にオレは……」 「おっと、今更かっこつけんなよ」 「かっこつけてるわけじゃねぇよ」 「そうかぁ? オレにはお高く止まってるようにしか見えないな」 「……」 「気に障った?」 「いや」 「っていうか、何となく……お前って、こう、凡人じゃないような気がする。何か隠してるだろ」 「えっ」 テイトはまだこの時、自分がラグスの王子であることを知らないのだ。だが、自分が何であるのかを模索している時にミカゲに先に気付かれた。戦闘用奴隷だというのは知っている。それを踏まえてミカゲはテイトの奥底に沈んでいるものが、ぼんやりと見えていたのだった。 「なぁ、そろそろオレにぜんぶ話してくれてもよくねぇ?」 「別に何も……!」 「オレ、お前の彼氏候補だぜ?」 「いや、友達で」 「えっ、駄目っ?」 「そういう冗談はよせ。オレにはよく分かんねぇし」 「じゃあ、親友は? 彼氏よりマシじゃん?」 「……っ」 「決まりね!」 「お前、ずるい」 「えー、何ー? 聞こえなーい」 ミカゲが聞こえない振りをすると、 「……やきそば」 テイトがそっぽうを向きながら小さな声で一言呟く。 「え、やきそばが何? 安売り? 新メニュー?」 「……聞こえるんじゃねぇか」 「うん、オレ、やきそば耳だから」 「無理」 会話のキャッチボールが出来るようになってきたのは、これもミカゲの努力の賜物である。自分が囮になり、馬鹿になってテイトの心を持ち上げる。いつも一人でポツンとしていたテイトに同情をしたわけではない。直感で友達になれると思った。人は生きていく中で親友に出会うという宝の出会いがある。それが今だと感じた。だから声を掛けたが、その相手は快く迎えてはくれなかった。 守りたい。この出会いを絶対に手放したくない、大事に育ててみせると一人固く誓った。夜の間、うずくまって丸くなり、世間を拒絶するように眠り、涙を零している小さな少年の姿を何度も見て、力になりたいと思った。 「じゃあさ、これからデートしようぜ」 「は?」 「次の授業が始まるまでだよ。森の中で面白いもん見つけたんだ」 ミカゲの次の目標はテイトを笑わせることだが、これは一筋縄ではいかないと覚悟した。 やはり、笑ってもらうには太陽が眩しい日中に限ると想定し、ミカゲは今のうちにテイトを連れ出すことにした。 夜のほうが心を開きやすくなるとは言うが、昼間のほうが何かと都合のいいこともある。たとえば、いやらしいことを言ってもごまかせるし、さすがにお天道様の下で悪いことは出来ない。明るく清く正しく、ありきたりな三つのモットーを掲げてミカゲはテイトを心の友として絆を深めていこうとするのだった。 笑えば背が伸びるという奥の手はまだ使わずにいよう、身長のことは余り言わないほうがいい、小さくて可愛いのは褒め言葉だろうかと、あれこれ悩んでしまうが、それも幸せな悩みである。 「いつかテイトがオレに夢中になるように惚れさせてやる」 そう言ってやりたいが、これもまだ言わずにいよう、こんな自惚れが現実になるわけはないとミカゲは心の中で哂っていたが、哂いながら見上げた太陽はやはり眩しくて、直視出来ずに手をかざす。 だが、テイトにとって太陽より眩しい存在がミカゲなのだと、テイトも抱える想いを言えずにいる。 そんなお昼の出来事は、甘い甘いデート……ではなく、人目を凌いだ逢引、否、お近づきになるための接近戦……と言ったほうが正しいか、とても複雑な関係の少年達であった。 「なっ、親友!」 「うわ、慣れ慣れしくすんな!」 ミカゲの屈託のない笑顔と声は、青空の下が一番よく似合うとテイトは思った。 |
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