「朝なんて嫌いーっ」
クロユリがベッドの中で駄々をこねている。 「ですがクロユリ様、起きて頂かないと仕事に間に合いませんよ?」 ハルセがそばで声を掛けているが、 「だって、起きるのって最高に面倒なんだもん!」 ほとんど逆ギレした状態で意味不明なことを叫んでいるが、 「私はそうは思いませんが……。朝は清々しくて気持ちのいいものです」 ハルセはやはり朝から爽やかなのだった。 「なんでよ。寝てるほうがいいじゃん。っていうか永眠でもいいくらいだね」 朝はクロユリの機嫌がすこぶる悪い。 「それはとても悲しいことです。私はクロユリ様に早くお会いしたいと思うのに」 ハルセが早起きなのは、そこに原因があった。 ハルセの思いはクロユリに向けられている。何もかもがクロユリのため、クロユリに対しての行動なのだ。 「ハルセってば、そんなに僕のこと好きなの?」 「はい」 率直な返事である。 「もー、照れるじゃないかぁ」 満更でもなさそうに頬を赤くしたクロユリだが、まだ悲しそうな顔をしているハルセに、 「さっきのは冗談、朝が嫌いとか、ふざけてるだけだから本気にしないで」 照れ隠しのように言っている。 「それなら良いのです」 「じゃ、じゃあさ」 クロユリが何かを言いたげにしていると、 「どうされました? 時間ですか?」 時計を気にしているのだと思い、何時何分であるか真面目に答えようとしているハルセだが、クロユリの心の中は違っていて、 「なんでもない」 すぐにそう答える。 (おはようのキス……なんて言ったらハルセ驚くかなぁ) ちらり、と考えてみただけだ。言おうとしたが、少し考えただけで、本気じゃない。クロユリは自分に言い訳をしながらハルセを見上げる。 「ああ、分かりました。では、失礼して……」 「んな!?」 ハルセはクロユリの頬にキスをしたのだった。 「違いましたか?」 「……違わ……ない」 (でも、くちびるが良かったかな) 今度はもっと大胆なことを考えてしまい、慌てて首を降る。 「さすがにお口は……」 「な、なんで僕の考えていることが分かるの!」 「それは……動作に出ておりますので。それと、お顔に書かれてます」 「えっ」 クロユリは本気にして顔を手で隠した。 「私はクロユリ様のことなら、何でも分かりますよ」 ハルセがにっこりと笑った。 「マジで? なら、今僕が何を考えているか分かる!?」 「……」 ハルセは黙り込んだが、考えたあと、 「お腹が空かれましたか?」 そう呟いた。 「なんで分かるのー!」 「分かりますよ」 「ハルセって超能力者?」 「そうかもしれません」 「うそぉぉぉ」 「冗談ですよ」 「でも、ほんとかもしれないじゃん!」 「では、今日はそういうことにしておきましょう」 「わぁ!」 などと盛り上がっているが、たとえばカップルの場合、朝起きたら「おはようのキス」は定番である。ここでクロユリとハルセの場合、完全なカップルとしては成り立たないために濃厚なキスが交わされることはない。せいぜい頬やおでこが限界である。だから、ハルセもそうした。 そして朝起きて会話が弾めば自然と腹も空いてくる。そういった流れに沿って当たり前のことを言ったまでで、ハルセは超能力者ではない。だが、クロユリの心が読めるというのは事実だ。ベグライターである以上、上司の言動には鋭く反応し、片腕であると共に背中を預かる身として、上司が何を欲しているか、何を目指しているかを敏感に察知しなければならない。ハルセは一見おっとりとしているが、仕事に関しては言われたこと以上の量もきっちりこなす部下であった。 「ではクロユリ様、お着替えしてから食堂に参りましょう」 「あー、そっか。面倒だからパジャマのままじゃ駄目かなぁ」 本気でそう言うクロユリに、 「さすがにそれはまずいのではないかと」 ハルセが困惑している。 「っていうか、軍服着たまま寝ようかなぁ。そうすればわざわざ着替えなくてもいいよね」 「……」 こんなに面倒くさがりな性格だったかと首を傾げるハルセだが、 「お着替え、私がお手伝いしますよ?」 そう申し出てみた。 「えっ、そんな執事みたいな真似させられないよぉ」 「私は構いません」 「んー、ハルセは僕を甘やかしすぎー」 それはクロユリが我儘を言い、ハルセが柔軟に受け止めて大人の対応をしているだけで、決して悪い意味で過剰に手を掛けているわけではない。 「そうですか? 私は部下ですし、なんでも仰って下さって構いませんよ?」 「でも、それじゃあヒュウガみたいに駄目上司になっちゃうじゃん」 「クロユリ様!?」 ハルセとて、ヒュウガが仕事をしないのは知っている。ただ、それはデスクワークが嫌いなだけで上からの指令や任務はきっちりこなす。それも期待以上の成果を残し、ああ見えてもアヤナミからは絶大な信頼を受けているのだ。 「コナツはほんっと、あのヒュウガによくついていってるなぁと思うよ」 クロユリが両手を広げ、肩をすくめながら呟くと、 「少佐の愛の鞭は厳しいですからね」 「鞭は鞭でも、アヤナミ様の鞭は実際すごく痛そうだけど。ヒュウガはアヤナミ様に構ってほしいからわざと余計なこと言って怒られてるし」 「ヒュウガ少佐はアヤナミ様と少しでも会話をしたいのですね。先日もご自分でアヤナミ様が余りにも無口だからその反動で自分がよく喋るようになったと仰っていました」 「そうだろうねぇ」 「でも、参謀部の皆さんはとても個性的ですし」 「あー、なんか皆バラバラっていうか? でも団結力は固いと思う」 「ええ、それはもう」 にこやかに、穏やかに会話が続いているが、クロユリはふと時計を見て、 「僕、着替える。一人でやるから大丈夫」 そう言ってベッドから降りようとした。 「そうですか? では、ご用があったらお呼び下さい。ああ、足元お気をつけて」 クロユリの手を持って誘導する。 「ふふ。ハルセってば僕をお姫様みたいに扱うね」 「あっ、申し訳ありません、そんなつもりはないのですが」 「ハルセ、なにげに紳士だし」 「紳士……それは言われたことないですねぇ」 「そうかな? 背が高いからそう見えるだけ?」 「……」 背の高い男性が紳士に見えるというより、ハルセの場合は性格や雰囲気のせいだった。 ようやくクロユリが着替えて食堂に向かうと、 「僕、サンドイッチが食べたい。でも食堂のってイマイチなんだよねー」 食券の発券機の前で唸っている。 「朝に出ているのは種類が少ないですね」 「うん。だから違うのにする」 「何にされますか? あ、朝からババロアは駄目ですよ。ちゃんと活力になるものを召し上がって頂かないと」 「じゃあカツ丼で」 「そ、それもどうかと!」 「ヒュウガはよく食べてるよ」 「朝から重いですね」 「うーん、悩むなぁ」 二人は腕組みをして考えていた。そろそろ食堂も込み合う時間帯になってきている。腹を決めなければ流れに押されて食べ損ねることも考えられた。 「どうしましょう、毎日のことなのに私も悩みます」 「でしょ? こういうのって悩むよね」 「どうせなら決めてしまえばいいのでしょうか。月曜日はこれ、火曜日はこれ、というふうに」 「それいいかも」 「ですが今日は悩みますね」 「うーん、うーん。……あれっ、新しいメニューのとこに”きのこご飯”ってのがあるよ。これ食べてみる」 「きのこですか。炊き込みご飯みたいなものでしょうか」 「どんなかなー。僕が栽培しているきのことどっちが美味しいかな」 「栽培?」 「え、ああ、なんでもないの」 特に秘密にしているわけではないが、クロユリは食材を自家栽培している。その中にきのこも含まれていて、立派なおかずとして食卓に上がっている……ことはいまだかつてなかった。料理としてのきのこではなく、実験に使っているようで、もしかしたら青空ソースの中に調味料として入っているのかもしれない。それを知るのはクロユリのみだが、当然、オーダーしたきのこご飯にも青空ソースをたっぷりとかけて食べていた。 「うん、いい感じ」 「そうですか。私もおしいですよ。気に入りました」 常人の舌を持つハルセには、やはりどうしても青空ソースの味が解せないため、クロユリのようにかけて食べるということはしないが、実際にきのこご飯はもちもちとした食感に、ほどよく和風に味付けがされていて、きざみ海苔を振りかけて頂くと心まで落ち着いた気持ちになれるほど味わいのある仕上がりになっていた。 「うんうん、今度僕も作ってみようかな。どう、ハルセ、きのこご飯作れそう?」 「そうですねぇ、やってみましょう」 ハルセはお菓子作りを得意とするが、料理全般は嫌いではない。カツラギにも勝るとも劣らないほどの腕前で、見たものは大体同じように作ることが出来る。 「食材はあとで買い物をするとして」 「え、調味料も揃ってるし、何も要らないよ?」 「きのこは?」 「僕が用意する!」 「何かよく分かりませんが、宜しくお願いします」 ハルセは意味を理解しないまま、食材の用意はクロユリに任せることにした。 「僕、食べるのは大好きだから、料理とか、こういう話は好きだなー」 「私もですよ」 「だよね、ハルセはお菓子作りの職人だったもんね!」 「いえいえ、まだまだ修行中の身でしたが」 「でね、一緒に食べたり作ったりするのって、すごく楽しいと思わない?」 「もちろんです」 「それが好きな人とかだと尚更嬉しいよね」 「ええ。ですから私も、今こうしている時間がとても大事だと思います」 「……僕、それが一番言いたかったんだけど、先に言われちゃった」 「クロユリ様……」 「でも、ハルセも同じ気持ちだって分かって、幸せだなー、なんてっ」 「そんな勿体無いお言葉を……」 「だって、だってホントのことでしょっ」 愛くるしい顔を輝かせているクロユリだが、頬にご飯粒がついている。箸の持ち方もぎこちない。本当は正しい持ち方を知っているが、急いでいるせいか箸をすっかり握り、まるでスプーンか何かのようにして使っている。 「子供みたいです」 「え、なぁに?」 「お顔についてますよ」 「あっ、どこ?」 ハルセが緩く笑い、 「本当に、食べてしまいたいくらい可愛い方です」 そう言って直接頬にくちづけるようにしてペロリと食べてしまった。 「!!」 よくある構図である。カップルでは特に、口の周りについたクリームやらを恋人が舌で舐めてしまうのは、よくあることだ。だから珍しくもないが、その古典的手法が刺激的であることは今も昔も変わらず、クロユリは途端に真っ赤になって固まってしまった。 「ご馳走様です」 ハルセがまた笑った。 「ば、ばか、こんなところで!」 「すみません、余計な真似をしてしまいました」 悪気があったのではないと伝えたかった。だが、 「でも、本気で頭から食べてしまおうかと思いましたよ」 強すぎる本音を打ち明けて更に追い討ちをかける。 「何言ってるの、ハルセってば変だよ!?」 「そうですね。今後気をつけます」 「……でも、ご飯粒ついてるのに教えるの悪いからって何も言われないよりはいいや。またついてたら取って」 「はい」 「今度はくちびるにつけちゃったりして」 「クロユリ様?」 ぼそりと呟いたクロユリの台詞を耳にして、もしかしてこれはわざとなのかと疑問に思うハルセだった。すると、 「だって、僕、ハルセになら食べられてもいいもーん」 椅子に座って脚をぶらぶらさせながら小さく呟いている。 「それはご飯粒のことですか?」 「……」 「あの?」 「えっとぉ、色々!」 「はぁ」 それでもやはり、愛しいほど可愛い。可愛いほど愛しい。この愛されオーラは決して見た目が可愛ければ出るものではなく、クロユリならではの生まれ持った性質なのだ。これで幼少時に毒を盛られたなどと複雑な過去を抱えているが、どんなに命を狙われていても、その愛くるしい大きな目と生意気そうに喋る声、そして強気な性格は変わることはないのだった。 そしてその日、突然クロユリとコナツが二人揃って料理をし始めた。事の始めはコナツの独り言である。 「少佐から料理本を頂いてしまいました。何故? というか、私に料理をしろとのご命令か。それとも載っている写真を見てスケッチ? いやいや、そんなはずはない」 「どうしたの、コナツ」 コナツがヒュウガから手渡された料理本を見つめて独り言を呟いていたのを通りかかったクロユリが見つけ、声を掛けた。 「これなんですが……」 「あ、料理の本だね! 買ったの?」 「いいえ、少佐が私にプレゼントとか何とか」 「んー? ヒュウガ、コナツの手料理食べたいんじゃない?」 「そうでしょうか」 「んじゃ、何か作ろうよ!」 「そうですね、では早速!」 二人がキャッキャとはしゃいで台所に立つ姿は、まるで若い女の子がガールズトークをしているようだった。そして、その陰で出来上がりを楽しみにしている二人の男の姿があることを、クロユリもコナツも知らずに居る。 だが、出来上がった料理を見て悲鳴を上げたのは、楽しみにしていた二人の男……ヒュウガとハルセであるが、見た途端に逃げ出してしまったのは嘘でも作り話でもない。 何故なら、グラタンを作っていたはずが、出来上がったものは青い色をしていた。クロユリの青空ソースかと思ったが、そうではなく、実は食材として使用したきのこはクロユリが自家栽培したもので、そしてきのこがしっかりと青いのだった。 「毒じゃないから大丈夫!」 と笑顔で言われたが、罰ゲームであれ口にすることは出来ないと思った。 それを見てハルセはクロユリと絶対にきのこ料理だけはするまいと誓った。たとえ朝に食べたきのこご飯が美味だったとしても、一緒に作ろうとせがまれても、きのこは避けたほうがいいと思った。大きな目を潤ませてせがまれたら断りきれないことは分かっているのだが。 そしてハルセは、明日の朝ごはんにはサンドイッチを作ってやろうと考えた。沢山の具材をクロユリ好みにして、青空ソースがなくても食べられるように、どうせならクロユリの部屋にルームサービスのように届けてやろうと思った。これでもう「朝が嫌い」などと言わせない。二人で部屋で摂る食事も悪くは無いという思いを、明日の朝食に馳せたのだった。 結局。 「ねぇねぇ、ハルセ、食べないの? グラタン、嫌い?」 見上げられた。袖を引っ張り、つま先立ちして顔色を窺がう。これはもはや反則技だった。 「……」 ハルセが何も言えずにいると、 「美味しいよ? コナツは残さず食べたのに」 「そうですよ、ハルセさん、コクがあってまろやかな味になってます」 コナツが笑顔を見せている。 「ほんとに?」 「僕が作ったの、嫌なんだね」 「いいえ! そんなことはありません! ただ、勿体なくて!」 その場しのぎでそう言ってみたが、 「そんなことない、おかわりあるから!」 逃げられない立場であることは明確だった。 「少佐もハルセさんも甘いのが平気なので、甘味も出してみました。私たち、少佐とハルセさんのために作ったんですよ」 「!!」 コナツの一言が電撃のように胸裏に響く。 「わぁ、言っちゃ駄目だってばぁ」 「内緒にしておけばよかったですか?」 「いいけどぉ」 「ね、料理って食べて欲しい相手がいるから作るのも楽しいんですよね」 クロユリとコナツが顔を見合わせて笑っている。そしてクロユリはハルセを見つめ、 「うん。だからハルセ……食べて?」 ほんのりと頬をピンク色に染めて誘うように呟いた。これで即答しないわけにはいかない。 「はい。もちろんです、クロユリ様」 ハルセは泣きそうになっていた。もう死にそうだ、むしろ死んでもいいと思う。それはクロユリに対する愛情が溢れて自分では対処出来ず、いっぱいいっぱいになって窒息死しそうな勢いだからだ。 「はい、あーん」 「!」 こんなことをされてしまっては意識を失ってはいられない。だが、果たしてその味は……? 「!!」 一口食べたハルセが顔色を変えた。 一緒にきのこ料理をしてもいいと思い直した。 ハルセはクロユリのためにおかしなものを作ることはあるが、たまに変な味でも食べられないことはないと感じていた。それはもはや愛の力によるものだったが、その愛の力はクロユリの信頼にも繋がった。 青いグラタンをひとしきり褒め、今度いつきのこ料理をするか日取りを決めていたが……。 「それにしても」 その信頼を裏切るつもりは毛頭ないが、ハルセにはクロユリのエプロン姿が忘れられないのだった。 「お人形さんのようで、お花のようで愛らしく……」 当たり前のように似合うのだ。自分が着けると合わないと言われるのに、クロユリとコナツにはこの上なく似合っていた。この調子で食事の際にスタイをつけてみるのはどうかと考えると、想像するだけで笑いが止まらなくなりそうだった。 ハルセが裸エプロンなどと考えないことだけが救いか。 |
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