目覚め


コナツが突然飛び起きた。
「遅刻ッ!」
朝方の4時である。それは寝言のような、それでいてしっかりと覚醒してから発声したような、どちらともとれない叫び声だった。
「あれっ、ここ何処?」
ベッドで寝ていたことは分かったが、自分の部屋でないことも分かった。”此処は何処? 私は誰?”という台詞がドラマが出所だということなどコナツは知る由もないが、まるで記憶喪失にでもなったかのように辺りを見回し、
「私……あぁ」
頭を抑え、ようやく事態を把握してから溜め息をついた。
「コナツ」
隣からよく知る人物のくぐもった声が聞こえた。その人物は長身をうつ伏せにしたまま枕に顔を伏せている。
「はっ、はい」
「今の目覚め方は躰に悪いと思う」
飛び起きたコナツに向かって注意を喚起するように言うと、ゆっくりと寝返りを打ちながら仰向けになる。
「すみません、少佐」
隣で寝ていたのはヒュウガだった。
そう、つまり、ここはヒュウガの部屋で、ベッドの中である。昨夜、当たり前のように押し倒されて仕事の話が終わらぬうちに喘ぎ声しか出せなくなったことを思い出し、またしても痴態を晒したことを今頃になって後悔するが、それは毎回のことでコナツの後悔は日々積もり積もって山のように高くなり、もはや手の打ちようがなくなっていた。
「夢見が悪かったの? まだ仕事の時間じゃないよ」
「あの……遅刻をした夢を見てしまいました」
「そうなんだ。遅刻くらいで大袈裟だよ」
「大袈裟ではありません!」
「ほんっと時間に正確なんだねぇ」
それは人として当たり前のことだと言おうとしたが、
「私は無遅刻無欠勤を目指しているんです」
堂々と宣言してみた。するとヒュウガが驚いた顔をして、
「なんか賞でも取る気?」
「いいえ、自己満足ですが」
「あ、そう。でも偉いねぇ、そういうところがコナツらしいっていうか。オレがコナツくらいの年でも、そんなの考えたことない」
ひどく感心している。すると、
「少佐もいかがです?」
「何が?」
「今からでも無遅刻無欠勤を目指すのも遅くありませんよ?」
コナツが誘い入れようとする。
「オレがぁ?」
全く興味のない態度で、あくびをしながら言うと、
「本気にしていらっしゃいませんね?」
「してないよ。むしろそんなの無理に決まってるじゃん」
「そうですか?」
「コナツが起こしに来てくれるなら出来るかもしれないけど、無欠勤はねぇ……サボりは有り?」
「ナシです。というか、私が毎朝起こしに来るというのもナシです」
何かあれば、いや、なくとも迎えに来ているコナツだが、ここで引き受けてしまえばコナツが迎えに来るまで起きないかもしれない。だから、敢えてコナツは拒否した。
「えーっ、じゃあ、コナツもここに住めばいいじゃん」
「何を仰るんですか」
むちゃくちゃを言う上司だと毎回呆れても、時計を見れば、そろそろベッドから出なくてはいけない時間になっていることに気付く。
「大変です、もう時間です」
「何の?」
「何のって、起床時間です」
「ふぅん。って、コナツ!?」
気にする素振りすら見せないヒュウガだったが、コナツが素早く毛布を剥ごうとして慌てて毛布を被るという奇妙な行動に出たため、何が起きたのか分からず驚いていると、
「大変です、少佐」
コナツが神妙な顔をしていた。
「な、なに?」
「私、裸です!」
「……」
「どうしましょう」
「……ええと?」
今度はヒュウガが呆れる番だった。
「軍服……下着はどこに」
ひょこ、と顔を出して辺りを見回すが、少し離れたソファに衣類のすべてが無造作に置かれてあるのが見えた。
「なんでそこ?」
「そこで脱いだじゃん」
「あ……。そう、でしたね」

昨夜はソファから始まった。
仕事の話をしていたのだ。書類を見せて、一行一行をわざわざ読み上げているところで突然押し倒された。こういったことは珍しくはないが、何度同じ行為を示されてもコナツが「またか」と思わないのは、ヒュウガのテクニックがうわてだからだ。キスの合間に読み上げていた部分を反芻し、その先を言い当てる。判は押し倒された時に既に捺印された。この手早さは手品か魔法でしかないと思えた。たとえもう一枚印鑑が必要だと言えば、キスをしたまま、そして空いた手でコナツを愛撫したまま済ませてしまう。コナツも抵抗半分に「見事です」と言うしかなかった。
「でも少佐、脱いだのではなくて脱がされたのです、私」
「まぁ、正確にはそうだけど」
自分で脱いだものは一枚もなかった。複雑な作りの軍服をここまで素早く剥ぎ取れるのもヒュウガの得意技で、コナツが書類を持ったままで書類が皺になると騒げば、騒ぎ終わる頃には数枚の紙きれがきちんとテーブルの上に置かれている。つまり、ヒュウガは混乱して喚いているコナツの手から書類を取り、紙飛行機を飛ばすようにバランスよくふわりと宙に放つと、それらは見事に元あった場所へと着点したのだった。
コナツは少しずつ昨夜の状況を思い出す。
「あれ、でもどうやってここまで来たんでしょうか」
ソファとベッドは少し離れている。ソファで愛し合ったのか、すぐにベッドに移動したのか、その辺の記憶が曖昧だった。
「オレに聞かないでよ」
「少佐しか知らないんですよ? 私はところどころしか思い出せなくて」
「いいんじゃない? ぜんぶ覚えてたら恥ずかしくなることだってあるし」
「うっ」
今のヒュウガの台詞でほぼ覚醒した。
「どうしたの、思い出した?」
「……」

ソファで襲われ、コナツは懸命にベッドがいいと訴えた記憶が蘇る。つい数時間前のことなのだ。忘れるはずもないのを意識が朦朧としていたために曖昧模糊として場面に雲がかかったようになっている。
だが、自分が要求したことが確かな台詞となって今、脳裏にはっきりと浮かび上がった。
「ベッドで、ベッドで」と半泣きになりながら訴えたものの、ヒュウガはどこでもいいと素っ気無かった。それを何度も懇願して、ようやくヒュウガの同意を得たのだ。
しかし、既に甘いキスが施され、コナツの躰が程よく痺れて歩くことすらままならない。もっとも、愛撫に移行している行為を中断してまで二人テクテクと歩いてベッドまで移動するのも白けるような気がした。だから、
「抱いて運んで下さい」
そう言ってしまった。コナツ自ら所望した。そしてすぐに「でもキスはやめないで」と呟いたのだった。
「……随分と無理な要求をするよね?」
ヒュウガが笑っていた。
「本音です」
あくまでも真面目に答えるコナツに対し、ヒュウガは、
「普段こんなことしたら怒るくせに」
お望み通り、と言わんばかりに姫抱きをしてからかうと、
「今はその普段ではありません。仕事はもう諦めました。それに誰も居ない。二人きりならどうなってもいい」
「そっか、そうだね」
あっさりと納得し、抱き上げられたままのコナツはヒュウガの首に腕を回して濡れたくちびるを薄く開いた。
「キスをやめたら怒りますよ」
「あーらら、もしかしてキス魔?」
「違います」
「そうだよ、キス魔だよ」
「ですから違います。少佐とキスをするのが好きなだけです」
ヒュウガが目を細めた。
コナツが真面目な顔でいやらしいことを言うたびに理性が壊され、欲望を刺激される。すぐめちゃくちゃにしたいのを我慢するときに、こういう仕草をするのだ。
「そこまで言われちゃ遠慮なく頂くしかないねぇ」
ヒュウガはコナツの小振りなくちびるに噛み付いた。
「はう!」
それはキスではない、と言おうとしたが、舌を歯で引っ張り出されて驚いていると、きつく吸われ、
「アウ!」
どう反応していいのか分からず、反射的に大きく口を開けてしまったところで今度はヒュウガが攻め、咥内を蹂躙した。
「ん……ん、ッ」
角度を変えるとコナツの声が甘く仕上がってゆく。こうして3分も深いキスをしていれば嫌でもその気になるというもの。
「ああ……!」
ベッドの上で抱き上げられたままくちびるを合わせ、ヒュウガがゆっくりコナツを降ろそうとすれば、
「駄目です、このまま!」
そう叫ぶ。
「このまま? ベッドがいいって言ったのコナツだよ?」
コナツは離れたくないと言った。このまますぐに繋がりたい、とも。
ヒュウガは笑って、
「なんかコナツ抱いてると新しい体位生み出しそうな気がする。っていうか、してるかも」
と言ったのだった。
「少佐なら可能なのでは」
真顔で呟いたコナツに、
「でもコナツ専用なんだよ。誰にでもするわけじゃない」
「……」
「しかも、オレのほうがどうにも止まらないからね。コナツ抱くのに、限界も飽きることもない」
「少佐」
「だから、失神しないでよく見ていたらいい」
「それは約束出来ません」
「そっか。じゃあ、それまで存分に啼いてもらおうか」
「……はい」
そうしてヒュウガはコナツの要求に応え、望みどおりに抱いてやった。

今朝になって突然飛び起きたコナツは自分の居る場所が把握できないほどパニックを起こしていた。その様子から、昨夜はやはり失神したのだろうということが分かる。飛び起きて自分が裸であることにも驚いているのだから、ヒュウガはその様子がおかしくてたまらずコナツをからかって遊んでやるつもりでいたが、服がないと騒ぎ出し、仕舞いにはなんと、ヒュウガに向かって「取って来て下さい」と言い出した。
「なんでオレー? オレも裸なのに!」
「少佐は裸でもいいんです!」
「えええっ」
「少佐は男性としてすっかり躯が出来上がっているので恥ずかしくないでしょう?」
「なんだって?」
「私は恥ずかしいので駄目です」
「どういう意味かな」
「恥ずかしいったら恥ずかしいんです!」
「同じ男なのに? しかも今更? コナツだってちゃんと成長してるじゃん」
散々裸体を好きなようにされて、どうして今頃になって恥ずかしいというのか、ヒュウガにはそれが理解出来ない。そもそも、男性は裸になること自体にあまり抵抗がない。
「ですから、少佐は見られてもいい躯つきをしているじゃないですか。私は比べられたら嫌なので……」
「比べたりしないよ。大体、男同士なんだから恥ずかしがることないし」
ヒュウガが宥めてもコナツは頑なに首を縦に振らない。
「男同士だから恥ずかしいんです」
「えー?」
「私が女性なら、少佐の前を堂々と素っ裸で歩きます!」
「なっ、なんで!?」
「だって、女性だったら綺麗だし、見せても見られてもいいじゃないですか」
「そうなの!?」
「喜んで裸になりますよ!」
「マジで?」
「はい! あ、ですから、少佐の前でだけですよ? 普段から露出したいわけではなく」
「なんかフクザツ」
ヒュウガにとって、コナツは男でも女でもどちらでもよく、コナツが好きなのだ。コナツが女だったらと考えたことは一度もなかった。それなのに、「私が女なら」と言い出す。お前はそれ以上に綺麗だ、と言ってやりたいのを堪えるのにどれだけ苦労しているのかコナツは知らない。
「というわけで、すみませんが服を取りに行って頂けますか」
「分かった。10分後に取りに行く」
「じゅっ!? どうしてですか!?」
「なんとなく」
「遅刻しますよ!?」
「いいんじゃない?」
「少佐!」
「ほら、こういうやりとりしている間に1分近く経ってるし、あと9分後だからいいじゃない?」
「なんという! 駄目です!」
「コナツってば、そんなに焦ってもいいことないって〜」
「だから遅刻したら大変なんです!」
「オレがついてるからいいの」
「根拠は!?」
「今から考える」
「少佐!」
上司の悪ふざけに付き合っていれば埒が明かない。コナツは眉根を寄せて考え込んでいたが、
「いいです、私が自分で取りに行きますから」
そう宣言すると、
「あら、そう?」
何故か喜んでいるヒュウガの前で、シルクケットやら毛布をすべて剥ぎ取り、自分の躰に巻き、そして頭から被り全身をすっかり覆うと、
「これなら安心」
そう言ってソファまで歩き出した。
「ちょ、コナツ……」
すべて取られてしまったヒュウガは裸のまま呆然としている。
「お待ち下さいね、今、着替えてます」
なんと、コナツは毛布の中で着替え出した。
「なんでー!? そんなこと、いまどき女の子でもしないよ!?」
「そうですか? だって恥ずかしいですもん」
「何が!? どうして!? どんなふうに!?」
「ですからさきほど説明したじゃないですか」
「でも、そんなにオレに見られるの嫌なの?」
コナツがそこまでして隠すのは他に理由があると踏んだ。つまり、嫌われているとしか考えられないのだ。
「……」
言われて黙り込んだコナツだが、
「違います」
はっきりと応え、毛布の中から顔を出して真剣にヒュウガの顔を見つめた。
「じゃあ、どうして。オレは拒絶されてる気分になっちゃうよ」
「言えません」
「言えない!? やっぱりオレに見られるのが嫌なんじゃん」
「……じゃあ、言います。少佐に見られたら、私がその気になってしまうからです」
「は?」
「見られて恥ずかしいって思うのに、少佐は私の躰を隅々まで知っている。そう思うと……躰が勝手に火照ってきます。裸なら、いっそ今すぐまた抱いてほしいと思ってしまう」
「コナ……ツ」
衝撃の発言だった。
「おかしいのは、私のほう」
自分自身を哂うようにコナツが小さく笑った。
「そんなわけで、すぐに少佐の新しい軍服を用意しますね」
着替え終わったコナツは立ち上がり、軽やかな足取りでクローゼットからヒュウガの分を用意した。
「どうぞ。お着替え中にコーヒーを淹れて来ます」
ヒュウガは裸であるのに、それに対してコナツが無反応なのは、すっかり目を逸らしてヒュウガ自体を視野に入れないようにしているからだった。
「コナツ、必死だなぁ」
「ええ、だって、少佐の裸なんか見ちゃったら、朝から大変ですし」
「なんだそれ」
「触りたくなってしまう」
「おー!?」
「いけない、いけない。私ったら、遅刻する夢を見たばかりなのに余計なことを言ってないで準備しなくては」
コナツが脱兎のごとく逃げ去った。
「やれやれ、天然ちゃんなのかと思うけど、実は策士なのかな。このオレが負けそうってどうよ」
ヒュウガが苦笑いをしながら着替えを始めて数秒後、すぐにコーヒーの香りが漂ってきた。
「もう何でもいいや。目覚めにコナツがそばに居れば、文句ない。いっそここに置いちゃおうかなぁ」
だが、恐らく二人とも、こんなやりとりを交わしてばかりでは朝一番の仕事が手につかず、途中にやけてしまったりと、上の空になるだろう。もっとも、それはヒュウガだけかもしれないが。

「さて、まずはコーヒーで目を覚ますか。いや、しかし、ほんと参るよね」

やはりヒュウガの苦笑いは止まらないのだった。


fins