シャワータイム


「フラウ、居るのか?」
テイトがフラウの部屋の前で扉をノックしながら声を掛ける。
「おう、入れよ」
中からフラウの声がした。
テイトはほっとし、小さく溜め息をついてからドアを開けた。
「わり。もしかして忙しかった?」
テイトが気遣うと、フラウは真剣な顔をして持っていた紙を凝視する。そして、
「ああ。マチルダちゃんへの手紙を書くのに悩んでたところだぜ」
今まで聞いたことのないような真面目な声で呟いた。
マチルダちゃんとは、フラウがファンとしてずっと追いかけている芸能人である。齢60歳、還暦を過ぎていることまでは説明しなくてもいいかもしれないが、フラウは熟女好きと言われようが何と突っ込まれようが、年齢など関係ないと言い、一途な思いを大切にしていた。
それに対してテイトのコメントは、
「……」
無い。
ぼんやりとフラウを見つめ、呆れているのは確かで、テイトの溜め息は更に大きくなっていった。
「はぁ。お前はいいよな、悩みがなくて」
「は? だから今言ったろ、悩んでるって。最愛の人にオレの心をどう伝えるか、どうしたら伝わるか、これは大事なことなんだ」
フラウにとって、この時ばかりは冗談を言って笑わせることは出来なかった。だが、テイトには鼻で笑える話だ。
「ところで、どうした。何か悩んでることがあるのか。カストルと特訓してきたんだろ?」
フラウは諦めて話を変え、便箋を置いてテイトの顔を見た。
「ああ、さっき終わったとこ」
「ハクレンは?」
「もうちょっとカストルさんに聞きたいことがあるって残ってた。あとは先に大浴場行ってるってさ」
「ふーん」
「ハクレンとはうまくいってるようで良かったぜ。さっきも仲良くメシ食ってたしな。しかも今夜は同衾だろ」
「え、どうきん?」
「一緒に寝るんだよなー」
「あ、一緒に寝るってことをどうきんっていうのか? じゃあ、オレ、ミカゲともどうきんしたことになるんだな」
「……微妙に違うんだが……特に男女のこと言うとしても、まぁ、似たようなもんだろ、テイトの場合。女みてーな顔してるし」
これは完全に独り言で、テイトに聞こえないように呟いた。
「えっ、オレ、どんな顔?」
「いやいや、なんでもねぇ。カストルの特訓は厳しいからな、よくついていってると思うぜ」
相変わらず地獄耳だと焦り、慌てて話題を変えると、テイトはしゅんとした顔になり、俯いてしまった。
「なんだよ、今日はうまくいかなかったのか?」
ハクレンと夕食を摂った後、一緒に外でバクルスを使う訓練をした。司教試験まであと幾つもない残り少ない時間の中で、何としても身に付けたい技術が山ほどあり、カストルが人形を使ってテイトやハクレンの戦闘能力を上げるために時間を割いてアドバイスをしてくれていたのだった。
「いや、調子はいいよ」
「なら、いいんじゃねぇか。あんまり悩むなって、なるようにしかならねぇさ。オレは経験上、流れに身を任せるのが一番だってことに気付いたんだ」
「三回も試験落ちてるのに?」
「ぐ!」
「それは嫌だ」
「だ、だから三回落ちるくらいがちょうどいいんだって。一回じゃ覚えたことがあやふやで記憶から消えてることがあるだろ。三回も受けりゃ中味も頭に入ってバッチリ」
「説得力ないし」
「……まぁ、いい。オレ様は覚えるのが苦手だ」
「分かってるよ。そんな感じするもん」
「ひでー。そこはちょっとは否定して欲しいかな、と」
「なんで? って、こんな話しに来たんじゃなくてさ」
「あー。それよりまずシャワー浴びろよ。オレの部屋の貸してやるから」
「え」
「泥だらけだろ。顔も手も」
「あっ、汚いままでごめん。着替えてなかった」
「いいけどよ。どうせならすっきりしてから話そうぜ」
「……うん。じゃ、遠慮なく借りる」
テイトは抱えていたバクルスを置くと、とぼとぼとバスルームに向かった。
「若いのに元気ねーな。もっと姿勢正せよ」
「……」
返事がない。
「なんだかなー」
そしてテイトはまたぼんやりと服を脱ぎ、もたもたしながらやっとシャワーまで辿り着いた。そこまで何メートルも距離があるわけでもないのに、動作が鈍く、時折手を止めては考え込み、ハタ、と気付いては何かを呟いたりしているせいで、フラウなら10秒で済むところが今のテイトには10分も掛かるのだった。
シャワーのコックを捻りお湯を出すと、頭から被り、しばらくそのままで立っていた。何をするでもなく、ぼうっとしながら立ち尽くし、ただ躯が濡れていくのを見ていた。
「オレ……」
そう呟くと、突然バタンとバスルームのドアが開いた。
「ぎゃーっ」
「来ちゃった」
語尾にハートマークを付けながらフラウが乗り込んできた。
「は、はだか!! 素っ裸で来んなよ!」
テイトが叫ぶと、
「オレは服を着たまま風呂に入る趣味はねぇぞ」
フラウが冷静に答える。
「って、なんでいきなり入ってくんだ!」
「声掛けたじゃん」
「聞いてねー!」
「お前の地獄耳で? 聞こえてたのに頭に入ってなかったんじゃねーの」
「……」
ずっとぼんやりしていて、シャワーを浴びてる最中も考え事をしていた。フラウの声はシャワーの音に掻き消されていたのと、テイトには認識する余裕がなかったのかもしれない。
「お前、遅いからオレも待ってらんねーし、一緒に浴びようぜ。つか、なんかボーッとしてるから、オレがさっさとしてやるよ」
「え」
フラウはテイトの髪を洗い、躯を洗うスポンジを泡立たせて手渡した。
「ほら、躯は出来るだろ」
「う、うん」
「なんだよ、オレが洗ってやる? 隅々までサービスしてやるぜ。なんならマットとかも用意してだな」
「?」
テイトには通じない内容だったようで、きょとんとしたままフラウを見ていた。
「なんでもありません」
フラウは何も言わなかったことにして、自分も髪を洗い出した。テイトはのそのそと躯を洗い出したが、今いち動きにキレがない。
「どうしたんだ。オレには話すつもりで来たんだろ。だんまりは無しだぜ?」
「分かってる」
「風呂入りながらじゃ話にくいことか?」
「いや。そんなことないけど」
「んじゃ、聞こうか」
テイトが何かを話に来たことは分かっている。ここで自分から話し出すのを待っていたらいつになるか分からないし、こうして誘導してやらないと中々口を開かず、事が進まないのだ。だからフラウが強引に訊ねると、
「あー。なんつうか、最近不眠症で」
テイトはあっさりと打ち明けた。
「は?」
しかし、不眠症とは気になる言葉だ……とフラウは思ったが、テイトがストレスを抱えていることは十分に知っている。どうにか手助けしてやりたかった。
「オレ、やっぱり緊張してるのかなって。試験のこともあるし」
「ま、お前の腕っぷしの強さや精神の強さも分かるけど、重圧はまた別の話だもんな。オレだってマチルダちゃんに手紙を書くとき出来上がるまで眠れねーぜ」
例え話を出してみたが、やはりテイトは無視し、
「なーんか色々考えちゃって」
うんざりしたように呟いた。
「でも、カストルとの特訓で疲れてるんだろ」
「だからベッドに入るとすぐに寝ちゃうんだ。いきなり深い眠りに入っていっちゃうような感じ」
「で?」
「だけど、或る程度寝ると目が覚める」
「ああ?」
「起こされるような感覚。それが毎日続いてるんだけど、何なのかは分からない」
「夢を見てるのか」
「それなら夢の内容を覚えててもいいんだけど、覚えてないっていうか、よく分からないんだ」
「なるほど」
「なのに、最近は少しずつ、その夢が何なのか形になってるような感じで、怖い」
「どういう意味だ」
「誰かがオレを呼んでいるような、いや、違う、オレが道に迷うような……すごく曖昧なんだけど……」
「夢の内容がはっきりしてきたってことかな」
「うーん。もしミカゲが夢の中に出てきたら、オレは凄く嬉しいんだ。枕元に立たれても嬉しい」
「幽霊でもか」
「当たり前だろ。でも、もしかして、ミカゲじゃないかもしれない。たとえばファーザーとか……父さんかもしれないし」
「ああ、お前の記憶が蘇ってきているとか」
「可能性はゼロじゃない。オレは夢の中で新たな事実を見ているのかも」
「難しいな」
「で、眠れなくなったりさ」
「そうか」
ここで一旦二人は会話をやめて、暫しそれぞれの思案に耽っていた。だが、うまく言葉にならない。
お湯をためて、
「湯加減はいいみたいだな。入って温まれよ」
「あ、うん」
バスタブにテイトが入ると、
「脚も伸ばしてリラックスしな。凝りや疲れを取るんだ」
フラウがシャワーで躯についた泡を流しながら助言する。それをじっと見ていたテイトは、次第に露わになるフラウの逞しさに目を逸らし、
「フラウは?」
慌てて訊ねた。
「オレはシャワーだけで十分。先に上がるぜ」
そう言って頭を振り、髪についた水滴を飛ばした。
「や、駄目だよ。お前も入れ」
テイトが引き止める。
「狭くなるだろ」
「いいじゃん」
「いいから、遠慮すんな」
「遠慮じゃねぇ。先に行くなっての!」
テイトが頬を染めながら大声を上げる。
「ああ、そういうことね」
フラウがにやりと笑った。
「だって話まだ半分じゃん!」
「上がってからでもいいかと思ってさ」
「今ここで!」
「はいはい」
フラウは、テイトと向かい合わせになるようにバスタブに大きな躯を沈めた。
「んー、極楽〜。風呂はいいねぇ」
「年寄りくさい」
「んだと」
「歌は歌うなよ」
「歌わねぇよ。マチルダちゃんのナンバーでオレの美声を披露したいところだが、話すんだろ、話」
「あ、うん」
テイトはフラウが追いかけているアイドルについては徹底的に無視している。理由は芸能人に興味がないのと、フラウが老若男女問わず、誰かに夢中になっていることに嫉妬しているからだった。もちろん、そんなふうに思っていることは内緒である。
「眠れないと更にストレス溜まるからな。ラブに何か調合してもらうか」
「あ、それいいかも。お願いしてみよう」
「オレから話しとく」
「悪い。頼む。でも、今夜はハクレンがそばに居てくれるからいいかなって」
「ああ、一緒に寝るんだっけ。添い寝か」
「なんだっけ、さっき言ってたの。どうきん」
「……それは余り使いたくないが」
「なんでだよ」
「いや、なんとなく」
「っていうか、ハクレンって母さんみたいに心配してくれてさ。あと、あの長い髪、いっぺん触ってみたくて楽しみなんだ」
「へぇ。お前が長髪好みだとは知らなかった」
夕食時に、今夜は一緒に眠ろうと約束した。その際、髪を触らせてほしいと言ってみたら、ハクレンは拒絶しなかった。
「別に長いのが好きとかじゃねーよ。ただ、綺麗だなーって思っててさ」
テイトが素直に本心を述べると、
「んじゃオレも伸ばしてみるか」
フラウが真面目な顔で言った。
「げっ、お前が? 伸ばすの?」
「え、いいじゃん、後ろで束ねたら結構いけると思わねぇ?」
「想像できない。っていうかお前は無駄に背がデカイんだからそんなことしなくてもいいんだよ」
「なんで。金髪長髪の司教なんてモテるかも」
「ないない」
「ったく。ま、今夜はハクレンにたっぷり可愛がってもらうことだな」
「可愛がってもらう? あー、ハクレンは母さんみたいだから、もしかして頭撫でながら子守り歌とか歌ってくれるかもなー」
「……」
「昔話してくれたりして」
「……」
「あっ、あいつ、本読むの好きだから、寝る前に本読んでくれたり」
「絵本かい」
「たまにはいいんじゃね? 癒される気がする」
「それでいいのか。お前ら可愛いな。おやすみなさいのキスはどうなんだ」
「えっ」
途端にテイトの肩が上がる。
「何で動揺してんの」
ドキリとしてしまったのは、その答えをここで言ってもいいかどうか迷ったからだ。
「あ、え、と」
「ほう。ウブだな」
「な、そうじゃなくて!」
「何が違うんだ」
「だから! お、おやすみなさいのキスはお前にしてほしいと!!」
テイトが真っ赤になって叫んだ。
「……」
「だからオレはここに来たわけでっ」
「……」
「いや、別におでこでいいし!」
「……」
フラウの返事がないことを不審に思ったテイトは、もしかしたら引いているのではないかと思い、
「嫌ならしなくても……」
俯いて呟いた。どういう返事をされても、自分からキスを貰いに来たと言ってしまったことは今更撤回出来ない。だが、フラウには断る権利はあると思った。
「お前……何なんだよ」
「! だからしなくていいって。オレは話を聞いてくれただけでも助かってる」
「バカだな」
「バカ!?」
「オレがいつしたくないって言ったよ」
「え。言ってないけど」
「じゃあ、今、してもいいか?」
「だめっ」
「なんでー!?」
「ち、近寄らないでほしいから」
「えーっ! それ今更でしょ。オレら一緒に風呂入ってるのに近づくなってどういう!」
今度はフラウが叫んだ。
「これ以上ナマを近くでなんて無理」
「は?」
「直視出来ないの!」
「ああ、恥ずかしいってことか」
「うん、まぁ、そうとも言う」
「んじゃ、いいってことだな」
「なんでそうなる!?」
「オレ的に」
「お前的にー!?」
「オレが今したい」
「だめ、やばいっつうの」
「もしかして反応しちゃいそう?」
「うーっ」
フラウがじりじりと近づく。テイトは寄せまいと腕を前に出した。
「はん、こんなほっそい腕で抵抗しようなんざ、これっぽっちの防御にもなってねぇよ」
その腕を掴み、グイと自分のほうに引っ張ってしまう。
「うわぁっ」
ばしゃん、とテイトが湯の中に崩れた。
「おっと、溺れられたらマズイねぇ」
そしてまたグイと引き上げ、すっぽりと抱き込む。
「違う違う違う違う」
テイトは、無駄だと分かっていながらも最後まで抵抗を試みようとしていた。
「なんだよ」
フラウが念のためテイトの言い分を聞こうとすると、
「こんな濃いのじゃなくて!」
真っ赤になって訴える。
「まだなんもしてねーけど?」
「してるだろ! 密着! すっごい密着してる」
「だな」
「エッチしたくなったらどうすんだよ!」
「!」
これにはどう言葉を返していいものか分からなかった。だが、
「しねーよ。お前を部屋に帰さないとハクレンが探しに来るし、抱いたらタダじゃ済まなそうだから、明日お前の足腰が立てなくなったらオレがカストルに怒られる。っていうか、疲れて弱ってるのに、こんなお前抱けねぇよ」
「フラウ……」
「だから、今はこれだけ」
そう言うと、ちょん、とテイトの小さなくちびるにキスを落とし、
「もし、眠れないっていうなら、オレんとこ来い」
深く囁いた。
「えっ」
「あ、変なことはしねぇよ? ただ、話し相手とか朝まで特訓とか、出来るだけのことに付き合ってやる」
「フラウ!」
「真夜中でも、こっそり部屋抜け出して来いよ?」
「でも、フラウは狩りがあるし」
「そしたらオレが戻るまで待ってろ」
「!」
「な?」
「……うん。うん、ありがとう」

長い長いシャワータイムだった。だが、無駄な時間は一秒たりともなかった。

今まで何度か裸の付き合いといって一緒にシャワーを浴びることはあっても、それは時に気分転換にもなったり、必要とあれば躯を繋げ、互いの想いを確かめ合うこともあった。テイトはフラウにだけは心も躯も許している。どんなに教典をすべて覚えてしまっても、バクルスが使えるようになって戦力を上げても、包容力のあるフラウの腕が恋しくなるのだ。
テイトたちの部屋にはシャワーは付いておらず、普段は大浴場を使うことになっているが、やはりここが一番落ち着くし、好きだった。明日も何か理由を作ってまた訪れたくなっているテイトだったが、フラウは悩みや愚痴は快く聞いてくれる。フラウは、相談相手としては十分なのだ。
また明日訓練のあと泥だらけにしてくれば今日のようにシャワーを勧めてくれるだろう。こうなったら正直にお風呂グッズを用意してこようか、そのほうがウケるかもしれないとテイトは思う。銭湯代わりにしていればフラウにそのうち有料だと言われそうだが、お金を持っていないことを打ち明けよう。当然、躯で払えと言ってくるだろう。そうしたら、それはそれで大成功なのだ。

おやすみのキスはこの時一度切りで、そしてこれ以上フラウはテイトに手を出すこともなかった。しかし、甘い処方を施されたことによりテイトは元気を取り戻し、ほんのり顔を赤くしたままフラウの部屋を後にした。

もちろん顔が赤いのは、のぼせたからである。


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