瞳の奥に見えるもの write a novel in third person |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
スケジュールがぎっしり詰まった業務の中で、テイトはアヤナミとの緊密化を図り、少しずつ関わりを深めていった。だが、それは決して親友になるとか、距離のない親しい間柄になるとか、そういった目に見えるものではなく、二人にしか分からない想いや望みが募っていっただけだ。実るようで実らないのに、既に蜜月関係である。お互い片思いでありながら満たされているような、そんな不思議なつながりだった。
その関係が回りに知られそうになるくらいあからさまになってきたのは、つい最近である。報告や連絡の際、やたらと長く見詰め合うのは、あのアヤナミからは考えられず、一度たまりかねて、カツラギが訊ねたことがある。 「あの翡翠の瞳は魅力ですねぇ」 それに対してアヤナミの返答はなかったが、テイトに関しては丸くなってきていて、否定をすることはないだろうと思われた。強力な目力というよりも、大きなあどけなさの残る表情が、軍人にはそぐわない雰囲気で、テイトの場合は、そのミスマッチが魅力なのだ。 「素直で可愛いですし」 カツラギがしみじみと言うと、 「まだ子供だ」 珍しくアヤナミが反応した。 「育て甲斐がありますね」 「……」 頭もよく、戦闘能力も高く、軍人としても優秀な人材である。だが、このままここに居る限り、テイトの運命は決まっていた。それはブラックホークのメンバーの皆が知っていることであり、アヤナミが決めたことであれば逆らうものなど居ないのだった。 或る日、テイトは事務処理ばかりで躰がなまることを危惧し、昼休みに躰を動かしたいとアヤナミに申し出た。アヤナミは昼休みは好きにしてもいいと許可を出したが、テイトが提案したのは、ヒュウガとの稽古だった。 「ヒュウガ少佐がああ見えて実は剣の達人だということは分かります。そこで、是非とも手合わせ願いたい」 それがテイトの言い分である。 この話を聞いたブラックホークのメンバーは顔を合わせ、複雑な表情をしていたが、カツラギが最初に賛同した。 「いいと思いますよ。腕がなまっては困りますからね。ヒュウガ君に扱かれてみるのも仕事のうちかと」 「ちょっとなら午後からの業務に支障ないと思うし、僕もいいと思うよ」 続いてクロユリが同意する。ただ、そばに居たコナツだけは何かを考え込む様子だったが、 「簡単な手合わせならば……本格的なものは薦めたくありませんが」 反対ではないが、少し不安もあると訴えた。 「オレとしては本気……というか、真剣勝負をお願いしたいところなんですけど、やはり昼休みでは足りませんか」 テイトは真顔で呟く。それに対して答えたのはコナツである。 「足りないかどうかは分かりませんが、真剣勝負をお望みなら、殺される覚悟で」 「えっ」 「骨の1本、2本は……」 「ええっ」 「私も昔は殺されかけましたけど」 「えええっ」 「私が士官学校を卒業したばかりの頃でしたが」 「そ、そうなんですか?」 そんな会話にクロユリが参加する。 「あのね、テイト、コナツも首席で卒業してるんだよ。だから、腕は確かなんだけど」 「あの人、普段も本気出さない人なので、強さはいまだに分かりかねます。本気を出したら、もっと強いのでしょうね」 「ヒュウガは遊んでるくらいでちょうどいいんだよ」 ヒュウガもクロユリも黒法術師で普通の人間とは違う。だから、その恐ろしい力をザイフォンと同じ見方をしてはいけない。 「それなら、尚更手合わせしたいです」 「まぁ、いいんじゃない? ねぇ、テイト、今度僕ともやってよ」 「えっ、クロユリ中佐は……」 「僕じゃ不満?」 「いえ、そのようなことはないのですが」 テイトは、クロユリが女の子であれば手は出せないと思っている。 そして、会話にまったく混ざっていないのがヒュウガ本人であるが、彼は最初からこの場に居ないのだ。つまり、何処かへ放浪していて帰ってこないという状態である。当の本人が居ないのであれば話が進まないというのに、既に満場一致で結論が出てしまった。 「今日でなくても構いませんが、ヒュウガ少佐が戻ってきたらお願いしてみようと思います」 テイトが待ち遠しそうに宣言したところへ、 「オレが何?」 ヒュウガが帰ってきた。このタイミングで帰ってくるのはただの偶然というより、もはや昼の時間帯だったからである。昼食を摂るために戻ってきただけだ。 「少佐! またほっつき歩いて。何処へ行ってらしたのです!」 コナツが早速目くじらを立てる。 「だって〜、美味しいもの探しに行ったら、今日はドーナツ屋さんがね〜」 「ドーナツ!」 反応したのはクロユリだ。 「その話はあとで詳しく聞きます。ということで、少佐、テイト君と手合わせお願いしますね?」 コナツがにっこりと笑って結論から先に言い出すと、 「え?」 案の定、ヒュウガは事態が把握出来ずにきょろきょろと辺りを見回した。 「つまり……」 クロユリが一部始終を説明すると、ヒュウガは、 「オレはいいけど、アヤたんは何て言ってるの?」 アヤナミを気にしたのだった。 「参謀は昼休みなら好きにしてもいいと仰いました」 「ふぅん。じゃあ、オレから昼休みじゃない時間にしてってお願いしてみよう」 「!?」 「昼休みじゃ、足りないでしょ?」 「……そ、そうでしょうか」 「いいじゃん、訓練と思えば業務時間でも許されるよ。いつもオレとコナツだってしてるんだし」 「はぁ。ですが、参謀が何と仰るか」 「ん、任せて。アヤたんは参謀長室?」 「はい」 「事後報告よりは事前報告の方がいいよね。ちょっと行って来る」 そして、ヒュウガが参謀長室へ向かった。ヒュウガも楽しそうだった。 「参謀、業務時間内は駄目って怒られそうだけど……」 テイトが困った顔をする。 「どうでしょうね、何しろ仕事が山積みですからね。でも、私は残って片付けますから、思う存分暴れてきて下さい」 コナツはあとのことは任せて欲しいと笑った。 数分後にヒュウガが戻り、 「どうだった!?」 クロユリが急くように聞くと、 「OKだって」 アヤナミから許可が下りたことを知る。 「ほんとですか!?」 テイトは驚いたが、すぐに安心したように顔を綻ばせた。 あのアヤナミがよく聞き入れたくれたと思うが、ヒュウガはアヤナミに交渉して決裂したことは一度もないという。 「テイト君の強さを知りたかったんじゃない? 本当は知ってるのに、これ以上何を知りたいんだろうね」 「?」 「で? 決闘はいつ?」 「決闘ー!?」 「違うの?」 「ちっ、違います!! そんなものものしい雰囲気じゃなくて! ただの稽古ですっ」 「同じだよ」 「何が同じなんですかー!」 「オレにとっては同じさ。殺し合いするつもりで来てってこと」 「は、はい」 なまった躰を活性化させるためのちょっとした運動が、何やら大事になってしまった。だが、テイトも幼少時から戦闘用奴隷として鍛錬を重ねている。驕るつもりはないが、自信がないわけではない。 「今日にしない? 間延びすると、よくないから」 「今日ですか?」 「うん、全員出なきゃいけない会議もないし」 「分かりました」 そこでヒュウガはカツラギに立会人として依頼した。カツラギは快諾したが、 「二人だけの方がよかったのでは?」 と聞くと、 「それだとやばい」 と答えたのだった。 「オレ、あの子に何をするか分からないよ?」 「おや、まぁ」 ヒュウガが何を考えているのか、カツラギにも知り得ないのだった。 そして昼休みを終えて、ヒュウガとテイト、カツラギが場所を変えると、テイトはヒュウガと距離をとって向かい合うなり、与えられた剣を構えてヒュウガをまっすぐに見据えた。 「やる気満々じゃん」 「ヒュウガ少佐も、本気でお願いします」 「それはいいけどさぁ」 どこか乗り気ではないヒュウガだが、苦笑しているあたり、アヤナミから何か言われたのかもしれない。手加減しろ、か、少しでも腕を上げさせるように叩き込め……か、どちらかは分からないが、ヒュウガはテイトの出方次第で、どうするかを決めようと思った。 テイトはあくまでも真剣で、構えもしっかりと形になっているし、今、出ているオーラも普段のものとは違っている。 「最初は軽く準備運動をするくらいでもいいのでは?」 カツラギが言うと、 「いいえ、時間が勿体無いですし、オレはこういうの慣れてますから」 「そうですか。それなら、まずは時間制限有りの一本勝負といきましょうか」 「宜しくお願いします」 テイトが言い終えてくちびるを引き締めると、 「こちらこそ」 ヒュウガがにっこりと笑った。 暫く睨み合いが続き、テイトは眉根を寄せて少し苦しそうな顔をし始めた。 「どうしたの、やっぱりやめる?」 ヒュウガがからかう。 「それはありません。ただ……」 どうしても拭えないのだった。 何故か、こういう状況が初めてだとは思えず、もしかしたら記憶が退行してしまった間に、こんなふうに手合わせをしていたのかと思う。だが、そんな話は聞かされなかったし、恐らく初めてなのだろうと理解しようとしても、どうしてか躯が震えるのだった。 (武者震い?) テイトが自分自身に囁く。 (まさか。それとは違う。そんなんじゃない。この人は……この人は、きっとまともに戦ったらいけない人だ) 直感で悟るも、 (これはオレの野生の勘なのか? 戦場に出て何度も何人も人を殺してきたオレの直感なのか) テイトは混乱する。 (分からない。だけど、ヒュウガ少佐にはブラックホークの他のメンバーには感じないものを感じる) こんなふうに対峙した経験はない。だが、それに近いことがあったのか、自分が感じる畏怖は何なのか、こんな時に暗中模索するテイトに、 「そんなに気持ちをブレさせていたら、やられちゃうよ?」 ヒュウガが忠告した。 「……っ」 (分からない。分からない。この感覚は何だろう。痛くて苦しい、この思いは) 締め付けられるような、もどかしい記憶。 (……ッ。頭が痛い。何かが変だ。頭が……) 「集中して」 「はい。では、いきます」 (この狂いそうなほどの悲しみは……何?) テイトが目を見張り、地面を足で蹴る。 その瞬間── 。 テイトの躯が跳ね、隙の無い体勢でヒュウガに向かった。 はずだった。 しかし、次の瞬間にテイトの姿が消えた。視界から失せるように、消えてしまったのだ。 「!?」 不意を衝かれたヒュウガがわずかに動揺を見せる。 「あれっ!? テイト君!?」 ヒュウガが緊張感のない声でテイトを呼ぶと、 「おや!?」 カツラギも声を上げる。 「……」 ヒュウガとカツラギが無言で見合ってから、視線を動かす。その先にテイトが居た。 「っていうか顔、顔、手から血が!」 ヒュウガが焦るのも無理はない。 テイトは地面に倒れこんでいたのだ。もちろん、ヒュウガは一切攻撃はしていないし、カツラギも手を出していない。外部から操作されたわけでもなく、テイトは踏み込んだと同時に意識を失ったようだった。 「こんなことってあるの?」 ヒュウガがテイトを抱き上げようとする。が、その動作に慎重になっていて、 「また首絞められるんじゃないよね?」 コナツと初めて勝負をした時、コナツは意識を失って、尚、ヒュウガに攻撃をしてきた。 「完全に飛んでますね。これはまた病院送りでしょうか」 カツラギが覗き込むと、 「っていうか……テイト君、オレに向かって突進してきながら意識失ったんだけど、その際……」 「ええ。何となく分かりますよ」 ここから二人の会話が始まる。 「あー、見えてた?」 「はい」 「うーん、オレの見間違いじゃなかったんだね」 「恐らく」 「はは。テイト君ってば、自分の軍服の裾踏んでバランス崩すなんて……」 「タイミングが悪かったのでしょうね。というか、テイト君の軍服、彼には大きくないですか」 「大きいっていうより、裾が長いかも。クロたんのは特注なんだから、テイト君のも特注にしてもらえばいいのに」 「ですが、これは意識を失ったほうが問題です」 「そうだね、バランス崩すより先に気を失ってたみたいだ」 「やはりそうですか」 「オレ、どんな動きでもちゃんと見えるから……」 「視力が悪いのに動体視力が化け物なみですからね」 「ちょ、それって酷い言い方じゃない!?」 「まずテイト君を軍の医療機関に連れて行かないといけません」 「アヤたんに何て言おう。ほら、だからカツラギさんに立ち合ってもらってよかったんだよ。でなきゃ、絶対にオレが苛めたと思われたよ」 ヒュウガが笑いながら肩を竦める。 「正直に話しますよ。あなたには何もしていませんし」 カツラギは落ち着いているが、彼もこの状態を予期してはいなかった。 「こんなこともあろうかとカツラギさんに頼んでよかった」 「しかし、あなたも食えませんね。ズボラなように見えて用意周到というか」 「それはどうも」 テイトに対して用心深くなるのは当然である。 一旦テイトを地下の医療施設に預けて一通り診て貰ったが、特に異常は見つけられず、今回は目が覚めれば参謀部に戻ってもいいと許可を得た。 その時、アヤナミが病室に現れた。 「何か分かったことはないか」 研究者たちに尋ねる言葉はいつも決まっている。 「いえ、今回は脳の検査ではないので」 一刻も早くパスワードを手に入れたいところだが、下手に焦っては逆に事が進まない場合もある。今回ばかりは拷問に掛けて白状させるというものでもないため、アヤナミも慎重だ。しかし、ベッドに横たわっているテイトを見るなり、 「なんだ、貴様の仕業か」 傷だらけのテイトを見て、ヒュウガを責める。 「違うよ、オレに向かって飛び込んでくる途中で気を失って顔から地面に突っ込んだんだよ」 右頬……というより、右半分が擦り傷だらけで大きなガーゼやら絆創膏が当てられて見るも無残な形相になっている。しかも、剣先で切ったのか左手の甲の出血が激しく、包帯をぐるぐる巻きにされていた。 「いわゆる自爆だよ。オレ、何もしてないし。カツラギさんが見てたから聞いてみて」 カツラギを立会人にして良かったと本当に思うヒュウガだった。 「確かにヒュウガ君の言う通りです。テイト君も張り切りすぎたのでしょうか」 そうフォローするも、 「……私の部屋に運べ」 「えっ?」 これにはカツラギもヒュウガも同時に聞き返すくらい驚いてしまった。 「アヤナミ様のお部屋と申しますと、寝室で宜しいのでしょうか」 カツラギが冷静に確認する。 「そうだ」 「分かりました」 「……アヤたんが看病するの? 悪化するかもよ」 ヒュウガが毒づいてみせるも、今のテイトの相部屋に運んでもシュリが好き勝手しているだけで、安静には出来ない。かといって入院するほどではないため、滅多に使わない寝室を提供した方がマシなのかもしれなかった。 こうして薬で眠らされているテイトは、医療班によって移動ベッドでアヤナミの部屋に運ばれた。アヤナミは既に参謀長室に戻り仕事をしていたが、最後までついていたのはヒュウガだ。 「なんだかんだで大事にされてるじゃん」 テイトの処遇を喜んでいるように見えたが、 「でもねぇ、本当のことを言えば、さっきは気を失ってから地面を蹴って向かってきたんだよね。或る意味、この子もスゴイ子だ」 失神しても戦闘態勢を崩さなかったテイトを手放しで褒める。 「ま、うちのコナツには劣るけどっ」 結局、一人部下自慢を繰り広げるのだった。 夜になって目が覚めたテイトは、自分の部屋ではないことをすぐに理解したが、そこが何処なのか分からずに起き上がることもせず天井をじっと見つめていた。 「まだ寝ていろ」 突然声が聞こえて、それがアヤナミだと知ると、テイトは飛び起きてアヤナミの姿を探した。 「さっ、参謀長!? えっ!? ここは……!?」 「私の部屋だが」 「参謀の!? っていうかベッド!!」 「……がどうしたのだ」 「っていうかオレ、何してるんですか!?」 テイトは自分がどうしてここに居るのか理解出来ない。 「また記憶が!? 仕事は!? 今、何時ですか!?」 一人で慌てているテイトに、アヤナミは書類を見ながら、 「午前零時を回っている。お前は暫く休んでいろ」 「えっ、今、夜!? なんでオレはここで……あっ、そういえばヒュウガ少佐に剣の鍛錬をお願いして……えっ、もしかしてボコボコに!?」 自分が怪我をしていることに気付き、今更ながら顔を顰めたが、 「お前は少し疲れているようだ。今、無理をさせるわけにはいかない」 「ですが!」 「そんな状態で明日も仕事に出るつもりか」 「……」 「そこで寝ていても構わん」 「ええっ」 あまりのことにテイトが目を白黒させる。テイトが言葉をなくしているのを見兼ね、 「顔中傷だらけだ」 アヤナミは書類を置いてテイトに近付き、テイトの頬をそっと撫でた。 「あ……」 怪我をして、こんなふうに慰められたのは初めてである。今までどんなに戦場で大怪我を負おうとも褒められもせず、可哀想だと不憫に思われたこともなかった。何故なら、それが当たり前だったからだ。 「オレ……やっぱり勝てなかったんですね」 テイトは、ヒュウガと向かい合った所までは覚えている。恐らく瞬殺……寸前のところまでいったのだろうと思うが、 「あいつに勝負を挑むほうが間違っている」 「はい」 テイトが素直に認めた。アヤナミはテイトがどうして倒れたのか本当のことを言わず、 「忘れろ」 とだけ言い放ち、寝室から出て行った。 その時、アヤナミは怪我をした左手の甲に触れ、くちづける素振りまで見せたのだった。 「参謀……長?」 その事実を、テイトは眠る間際まで夢だと疑い、信じることはなかった。 翌日もテイトはアヤナミの部屋で休むように命ぜられたまま、拒否することは出来ず、仕事を休む羽目になった。どんなに怪我をしても次の日にはまた戦場に連れて行かれる生活をしていたのに、こんな掠り傷程度で大袈裟な扱いをされるとは、ただ戸惑いを覚えるだけで、 ゆっくり休めと言われても精神が高ぶって眠ることも出来ない。 「あの人、こんなに心配性だったんだ……」 そう呟かずにいられず、再びアヤナミのベッドに伏せた。 「しかし……この部屋も生活感がなくて、ベッドだってあんまり使ってなさそう」 寝室に呼んでくれと懇願したことがあるが、こんな形で実現するとは思わなかった。 「でも、ほんとにデスクワークなら出来るのに」 骨の一本や二本どころか、多少の怪我でも痛みには慣れているし、まして室内ならば業務に就ける。フルタイムとは言わないが、午前中だけとか午後から数時間……せめて一番忙しく時間だけでも何か手伝いたい。休日ならばともかく、いつも側に居る時に離れているのは嫌だった。 「やっぱ行こう」 テイトは起き上がり、軍服を身に付け、アヤナミの部屋を出た。 「怒られたっていいや」 テイトは覚悟を決めて参謀部に向かう。 途中何度も身だしなみがきちんとしているか廊下の窓ガラスに自身を写しては確かめる。その度に包帯で巻かれた顔が悲惨だと思ったが、数日経てば治るもので、大したことではない。 「えーと、おはようございます、かな。それともお疲れ様です、でいいかな」 参謀部に入った時に言う台詞を練習し、まずは笑顔を見せようと決めた。 そして最初に参謀部に顔を出すと、コナツが飛び付くように近付いてきた。 「テイト君! 大丈夫!?」 ひどく心配そうに両肩に手を置いて顔を覗き込む。 「はい、何ともないです!」 「でも顔の右半分がない!」 「いやいや、ありますって」 右半分がガーゼで覆われていて、やはり痛々しい。 「左手もやっちゃったの? 利き手じゃなくて良かった」 「大丈夫です。何か皆さん凄く心配性で」 「君に何かあったら……」 「?」 「ううん、何でもない」 「アヤナミ参謀は参謀長室ですか」 「ええ、ヒュウガ少佐も居ますよ」 「分かりました、行ってきます」 「あ、テイト君!」 「はい」 「ヒュウガ少佐のこと……」 「えっ」 「今回の件でヒュウガ少佐のこと……」 「? ヒュウガ少佐は何も悪くないと思います。っていうか、この怪我から見ると少佐はオレに指一本も触れてない気がします。もし本気でやってたら、こんなんじゃ済まないでしょうし。この怪我だって気合いで吹っ飛ばされてオレが勝手に伸びちゃっただけじゃないですか」 「……」 「オレからヒュウガ少佐に謝らないと」 「テイト君……」 コナツは悲しそうな目でテイトを見つめた。 「では、失礼します」 「頑張ってね」 「はい!」 テイトは元気よく参謀部を出て行き、アヤナミの居る参謀長室に向かった。ヒュウガが居ると聞いて緊張したが、それでも笑顔を見せると決めている。 一方、参謀長室では……。 「アヤたんがこんなに過保護だとは思わなかった」 ヒュウガが呆れている。 「……」 「嫉妬深いの次は心配性? 人前ではテイト君のこと酷くしたり、なのに誰も居ないと寵愛したりで、最近、アヤたんの行動が面白くなってきたよ」 ヒュウガがからかうと、 「あれを特別に扱っているわけではない」 珍しくアヤナミが答えた。更に、 「お前のことも十分心配している」 そう呟いたのだった。 「アヤたんがおかしいくらい優しい」 「今更何を言う」 「だってー」 「妬いているのか」 「えー?」 「だとすれば成功だな」 「はぁ? またドSが何を言ってるのかな。オレなんかテイト君より重症なんだよ? 死ぬかもよ?」 「それは困る。お前を失うわけにはいかぬ」 「ま、そう言ってくれるだけでもいいけど。ってことは、やっぱテイト君は期間限定なんだ」 「それ以外に何がある」 「勿体ない」 「お前が言う台詞ではないな」 「はは」 「お前はもう戻ってデスクワークをしていろ」 「ご心配ありがとう。コナツの顔が見たいから帰る」 ヒュウガが参謀部に戻ろうとした時、 「失礼します」 テイトが入ってきた。 「あれっ、テイト君!」 ヒュウガが驚いていると、 「私の部屋から出ていいと許可を出した覚えはないが」 アヤナミが牽制する。 「足が勝手に参謀長室に向かってました」 「……天然?」 ヒュウガが笑うと、 「もう大丈夫です。仕事させて下さい」 テイトが負けじと訴える。 「……」 何も言わないアヤナミの代わりにヒュウガは笑顔を見せ、 「参謀部の皆は実に仕事熱心だねぇ。これはご褒美に皆を温泉にでも連れて行かないと!」 意気揚々と提案した。 「温泉?」 そういった場所に縁のなかったテイトは首を傾げる。 「そう。皆で行こうねー。アヤたんとお風呂入るんだよー」 「えっ」 何故かテイトが顔を赤らめた。 「あはは、可愛いね。アヤたん、仕事与えてやったら?」 「……」 「お願いします。一人で居るのが嫌だったんです」 「おお。なんと、素直な子だ、偉いねぇ、テイト君」 「では、仕事を与える」 「! ありがとうございます」 「おやおや、いい感じじゃない? そんじゃ、オレもいい子にデスクワークするよ。あとで褒めてね、アヤたん」 「仕事をしたらの話だ」 「するってばー。机の上で寝るのも仕事だしー」 「ヒュウガ」 「分かってるってー。じゃあね!」 賑やかなヒュウガが去り、二人きりになってから、 「あの、参謀、オレの仕事は?」 「……そこに座っていろ」 「はぁ」 テイトは何か書類を与えられるものだと思って、椅子に腰掛けた。アヤナミはそのまま仕事を続けていて、テイトに見向きもしない。 「参謀長?」 テイトが話しかけてようやく、 「どうした」 そう答えてくれたものの、仕事を与えてくれることはなかった。 「オレ、何をすればいいですか」 テイトが訊ねると、 「そこに座っているだけでいい」 そう言われてしまった。 「え?」 「そこに座っているのが仕事だ」 「ええっ! それじゃあ、まるで駄目人間みたいじゃないですか!」 「……」 「何かしたいです。じっとしてるのは苦手」 「それなら、尚更だ」 「えー!?」 信じられなかった。これを過保護といわず、何と言おうか。 「黙って座っていろ」 「参謀!? それはおかしいです!」 「お前の主張は受け入れぬ」 「そういう問題ではなくて! せめて書類並べるとか、あ、そうそう、お茶を淹れるとか!」 「何もしなくていい」 「そんな……」 テイトは暫く納得がいかない様子で立っていたが、参謀の言うことを聞くのも仕事のうちだと何も言わずに椅子に座った。そうして辺りを見回して暇つぶしをするのにも飽き、 「アヤナミ参謀」 ついアヤナミに声を掛けた。 「なんだ」 「オレ、暇なんで……ちょっと質問してもいいですか」 「……」 「参謀は忙しいと思うので、耳と口だけ貸して頂ければいいです」 どうもテイトの方が強引だが、アヤナミは拒否することはなかった。 「どうして参謀は左利きなんですか」 「……」 あまりに奇矯な質問にアヤナミの手が止まった。 「あ、参謀は手はそのままで」 テイトがむちゃくちゃな注文をしている。 「左利きの人って、右は使えないんですよね?」 「……」 「参謀、もしかして血液型も変わってるとか?」 「……」 「オレとしては、AB型のような……あと、その髪は染めてるんですか?」 プライベートすぎる質問に、とうとうアヤナミが、 「仕事に関係ない話はするな」 それだけ呟く。 「すみません、あまり参謀のことを知る機会がないので」 「知ってどうする」 「分かりません」 「余計なことは知らなくてもいい」 「でも、理由は分からないけど、知りたいって思うんです」 「……」 「そうだ、一番知りたかったことが……もう質問はこれで最後にしますから、教えて下さい。参謀の趣味って何ですか?」 「……」 「めちゃくちゃ興味あります」 「……」 「だんまりはナシですよ?」 「……私に直接をそれを聞いてきたのは何人目か」 「えっ、こういうのって、日常会話ですよね!?」 誰も好き好んでアヤナミにこんな質問をする者は居なかった。 「私の趣味を知ってお前が何をしようというのか」 「それは……オレも協力出来たらいいなぁと……」 「そうか。では、答えよう。私の趣味は仕事だ」 「えー!?」 拷問とは言わず仕事というあたりが、テイトに隠し事をしてしまったようなものであるが。 「意外か」 「当たり前すぎて。もう少し捻りが欲しいです」 テイトも漫才をするつもりはないのだが、どうしてもこうなってしまう。 「……」 「もうちょっと、こう……そうだ、仕事とかけて、アヤナミ参謀は何と答えますか?」 「……」 テイトが積極的に絡んでいく。 「色々あると思いますが」 「そうだな、私の仕事は特殊だ。帝国軍で私が与えられている仕事のうちの一つを教えてやろう」 「えっ、何ですか?」 「罪人を拷問にかけること」 「……はい?」 「あらゆる贖罪を躰で報わせることだ」 「え……、え? それって、どうやって? もしかして凄く……怖いんじゃ?」 「何が怖いと?」 「……拷問にかけられるほうが」 「さぁな」 「そういうの、好きなんですか」 「……」 「も、もしかして、今のオレの状態も拷問に近い!?」 「それは軟禁というのだ」 「えー!!」 こんなやりとりを交わすようになるとは思わなかった。テイトは、近づきがたいと思っていたアヤナミに臆することなく接し、アヤナミは一見、テイトをあからさまに拒絶することはなかったが、彼も彼なりに楽しんでいるようだ。 「では、アヤナミ参謀が、その仕事をしている所が見たいです」 そこまで訴え、アヤナミに呆れられた。 「お前はどこか他のやつとは違うな」 「拷問の仕方もご教授願えれば光栄です」 やはり、テイトは剛の者であった。 「お前のようなやつを命知らずというのだろう」 少しずつ知っていく相手のことを愛しく思えるようになるのは、そこに或る感情が存在するからだ。瞳の奥にある本当想いは憎悪か、慈愛か、もう、今となってはそのどちらでもいいと感じる。 堕ちるのなら、どこまでも堕ちて、ただ、守っていきたい。 「オレ、何時までこうしていればいいですか」 「私がここに居る限りは」 「よ、夜中まで?」 「その頃には私の部屋に連れて行ってやる」 「!?」 「お前には聞きたいことがあるからな」 「えっ、今度はオレが質問攻めにあうんですか」 「そうだ」 (何処で、どんなふうに?) テイトは開き直り、 「いいですよ、もう、好きにして下さい」 あっけらかんと答えた。 「面白いやつだ」 アヤナミがまた薄く笑ったが、アヤナミでさえ、後のことは刹那に身を任せる覚悟をしたのだった。 |