心の音色


a first person narrative/teito ver.
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アヤナミ参謀がオレを部屋に招いてくれるのは、仕事の延長……と言えば聞こえはいいけど、オレはそれだけを理由にするのは物足りないし、今、参謀が優しくしてくれるのも怪我をしたからなんだけど、オレの怪我が治ったら冷たくなるのかなって思うとちょっと寂しい。
でも、もともと参謀は無口な人だから話しかけてくれなくても、それが普通だと思えば何ということはない。そして、心の何処かでオレは参謀のベグライターなんだからオレから話しかければいいんだっていう妙な自信を持っている。
だけど、それより問題なのは、実際にはオレと参謀がすごく親密になっているのが周りにも気付かれている感じで、辺りからの視線が痛いというか、恥ずかしいっていうか、オレとしても弁解のしようがなくなっているという状態になっている。これは立場上、まずいのかと思う。
現に、ヒュウガ少佐が面白そうにからかってくるからオレは何も言えなくなる。
「アヤたんがデレると、どこまでもデレるねー。嫉妬深いの次は心配性で、今のアヤたんは溺愛中って看板を下げて歩いてるようなものだよ」
って、そこまで言う……。ちょっと言いすぎ? すると、クロユリ中佐は、
「テイトはアヤナミ様にとって、どうしても手に入れたい人物だもの」
とか、物凄く濃い台詞を平然と言うんだ。ただ、オレにはその意味がよく分からなくて、
「それはどういうことですか」
と聞いてみたけど、
「教えないよー」
ヒュウガ少佐が意地悪する。オレは、
「……オレとしてはアヤナミ参謀のベグライターとして尽力するつもりではありますが」
そう答えるしかなくて、
「うんうん、それでいいの」
ヒュウガ少佐に頭を撫でられて終わりってやつ。
「テイトは特別なんだよ。テイト、可愛いからね」
ええっ、クロユリ中佐!? あなたにそんなことを言われるとは! ショックなんだか嬉しいんだか!?
などなど、いつもオレがついていけない会話になるんだ。
とにかくヒュウガ少佐とクロユリ中佐の会話はオレを無視してどんどん進められていく。しかし、ほんとに、何を言ってるのか分からなくて、むしろ変で、オレは時々顔を顰める癖がついた。
でも、そうすると怪我をした部分が結構傷む。
この怪我も、確かに掠り傷だけど、怪我を負ったオレに仕事をさせず、ずっと参謀のそばに座らせて人形のように扱われて、それに不満を抱いたオレは参謀の気を引こうと必死になったけど玉砕。アヤナミ参謀は仕事を終えたら自室に連れていくって言ってくれたけど、その時、オレは思わず、
「またあのベッドで寝てもいいんですか?」
そう訊いてしまった。
「構わん」
「やったー!」
参謀の許可を貰って、オレは嬉しくなった。その理由は、
「あのベッド、すっごく寝心地がいいんですよね。オレの部屋のベッドとは全然違います」
だって、本当のことだもん。でも、
「仕事の話がしたいのではなかったのか」
アヤナミ参謀に無表情で言われて、
「します!」
オレは喜んで答えた。そうしてくれるなら認められたようなものだと思ったし、アヤナミ参謀とは参謀部以外の場所で内密な仕事の話をしてみたいと期待していた。まるでカツラギ大佐やヒュウガ少佐の立場を越えて、本当に特別な関係になったような気がして胸が躍る。
「その心意気は結構だが、無理はするな」
やっぱり参謀はオレのこと過保護にしてる。
「ベッドで話をするなら平気です」
「……」
だよね? ん? オレ、何か間違ったこと言った? だって話をするだけだったら疲れないでしょ。でも、仕事の話だと神経使うのかな。しつこいようだけど、参謀のベッドは本当に寝心地がいいんだ。偉い人が使うような感じで、あ、参謀は偉い人だからベッドのグレードも高いんだけど、オレにしてみれば滅多に味わえない心地よさがあって、これを逃すといつ寝られるかってくらい、割りと必死?
だから、すごく楽しみにしてたんだ。
ただ、参謀は忙しくて、早めに仕事を切り上げることなんか出来ずに、しかも、オレは手伝うことさえままならず、ずっと参謀のそばに座らされ、暇だと訴えたら「帝国の歴史」なる分厚い書物を渡された。……これを読めと? 士官学校である程度の歴史は学んできたつもりだけど、そういうレベルじゃないくらい深いことが書かれていそう。読んだらうなされそうな……あ、いや、有り難く読ませて頂きます。
って、読み始めたのはいいけど、ついつい夢中になって、参謀から声を掛けられたのも気付かないほど深入りしてしまった。
「私の部屋に行くぞ」
そう言われて、もう22時を回ってることを知った。
「はい」
オレはすぐに返事をして片付けを始め、参謀に確認しながら必要な書類を持って、後を追った。
「まだ仕事の話が出来るのか」
参謀に訊かれて、心配されていると思ったオレは、
「平気です」
っていうか、仕事の話もしてみたいけど、この人の生活を見てみたいという願望もある。記憶のない二ヶ月間のことも聞きたいし、オレの方が話したいことが沢山あるのかもしれない。
「だが、休ませないわけにはいかないからな」
「本当に大丈夫です。今、簡単に寝てしまったらもったいない」
「……」
まるで今しかチャンスがないように、何故かオレは焦っていた。
どうしてこんな気持ちになるのか分からない。今、見ておかなければ、今、知っておかなければ、今、やっておかなければもう二度とこんなふうになることはないのだと、何となくそう思ってしまって、まるでオレには時間がないように気持ちが先走りしている。
「あの……参謀は、オレのこと、ずっとベグライターとして置いて下さいますよね?」
移動中に、つい聞いてしまった。
「どういう意味だ」
「いえ、このベグライター制度がよく分からなくて、短期間なのか、どのくらい上司についていればいいのか、オレが偉くなったら、それでベグライターとしての役目は終わりなのかと色々考えてしまって」
「お前はまだ新人だ」
「はい」
だよね。まだ軍に入りたてで、偉くなるとか出世とか、そんなの100万年早いって話? そもそも、参謀も若かりし頃は誰かのベグライターとかしたことあるんだろうか? っていうか、この人に若い頃なんてあったの? ……なんて聞いたら失礼か。聞くのやめとこう。
そして参謀の部屋に通されて、結局、オレはソファでかしこまっていた。だって、いきなりベッドにダイブして跳ねたり飛んだりしたら怒られるよね? 遊び道具じゃないって言われるよね? しかも、参謀がそこに座っていろって言ったから言う通りにしたけど、参謀ってば部屋に入るなり、ワイン飲み始めたからびっくり。なに、アル中なの? 飲みながら軍帽とったから、オレはすぐさま気を利かせて、そばに寄り、
「上着を」
そう言った。軍服の着脱もベグライターの仕事だと思ったから。
すると、参謀は脱ぎ始めて……わー、参謀のリラックスした姿見るの初めてかも! でも、まだリラックス度が足りないような。
「ボタンも外すとラクですよ」
なんて言ってみたり。
「お前が外せ」
「へ?」
オレ、変な声出ちゃった! あれ? ボタン外すのも仕事のうち?
「あの、どのくらい……外せば」
「お前が好きなだけでいい」
「じゃあ、全部?」
「……私を裸にするのか」
「えっ、それはありません」
「私にそのような冗談を言えるようになるとは、ずいぶん成長したものだ」
そ、そうかな?
うん、ここ数日で大人になったオレを見て欲しい。……なんて、嘘だけど、記憶のない二ヶ月間のオレは相当真面目だったのか?
で、でも、ボタンを外す手が震えるのは何故? 緊張? だって、めっちゃ距離近いし……参謀、デカイし。あのカツラギさんやハルセさんよりはマシだけど、でも……オレはもっとデカいヤツを知っているような……なんか、こう、手が届かないくらい大きくて、いつも軽々しく担ぎ上げられたりしたような記憶が……誰だ? カルも大きいけど、違う、理事長でもないし。なんだろう、この既視感。
「何を考えている」
「あっ」
「ほんとうに私を脱がす気だったのか」
「すみません、つい!」
気付いたら胸が全開で、思わず目をそらしてしまった。直視出来ないなんて、どうして? 恥ずかしいの? オレが?
「もう、いいだろう。では、お前にも脱いで貰おうか」
「は?」
え? オレもリラックス? いえ、オレはこのままでも……と思ったら、参謀がクローゼットから自分のシャツを出して来た!
「これに着替えろ。そのままでは躰を休めることが出来ん」
「……!」
っていうか、仕事の話をしに来たんだけど……オレもくつろいじゃっていいの?
「お前はもう休め」
「参謀は!?」
「私はもう少しやることがある」
「ですが……」
「ベッドへ行っていろ」
「はい」
そか。軍服のままで寝るのはおかしいから、このシャツはパジャマ代わり? それにしても、いくらオレが怪我してるからって、すごい大事にされてるよね。顔の包帯やガーゼが取れて、この左手もすっかり治ったら、もうこんなふうに部屋に呼んでくれることもなくなるのかな。
っていうか、仕事の話は? 内密な、こう、人には言えない話とかないの? お互い秘密を打ち明けるとかでもいいよ? なんて、オレには秘密もなにもないけど。参謀はオレが戦闘用奴隷だったことも知ってるだろうし。
だからといって、このことは敢えて口には出さないけど、着替えてる最中、あまり裸を見られたくなかったオレは、ソファの陰に隠れてこそこそ軍服を脱ぎ始めた。
「何をしている」
……やっぱり変?
「着替えを」
「寝室に行って着替えろ」
「分かりました」
なんだ、最初からそう言ってよ。あ、ベッドで休んでろって言われてたんだっけ。
前は気付いた時には寝かされてたから、あんまり意識しなかったけど、自分の足で他人のプライベートな領域に踏み込むのは勇気が要ることだと思った。普段から人付き合いなんてしないし、ミカゲとだって最初は打ち解けてなかったのに、どうして参謀の所には何度も来たいと思ってしまうのか、きっと傍から見ればオレは変わり者かもしれない。
参謀の部屋は見事なワインクーラーがあって、何もないオレの部屋とは大違い。相部屋のシュリはあれこれ持ち込んでるけど、オレは躰一つって感じだし、これといって飾るものがないから、たとえ一人部屋を与えられてもすごく質素になりそう。
ただ、不思議に思ってたのが……これ、なんだろう? ちょっと言葉では説明しにくいような置物がある。何に使うんだろう。観賞用にしては変わってる。もしかしてこれが参謀の趣味? コレクション? 何のために? 何処かにスイッチがあって、それを入れると動いたりするの?
オレがじっと見てたら、
「すべて拷問具だ」
参謀がドアに寄りかかって……ワイングラスを持ったまま説明してくれた。
「ご……」
今、拷問具って聞こえたのは気のせい? 聞き間違い? ナチュラルに拷問具って言ってたよね?
「興味があるのか」
「いいえ! 初めて見るので、何だろうと思いまして。オレにはよく分からない世界です!」
そうか、これが例の拷問具というやつか。
実は、前に参謀の趣味を聞いた時、参謀は仕事だって答えてたけど、本当は、その拷問自体が趣味だってことをヒュウガ少佐から教えられた。でも、そういうことを趣味にするのが信じられなくて、最初は冗談かと思ったしヒュウガ少佐にからかわれてると思ってた。だけど、教えられたことが余りに具体的で、嘘ついてるんじゃないってことが分かって、実際にこれを見たら、ああ、そうかって納得……納得出来ないけど、納得するしかなくて。
「こういうの、お好きなんですね」
オレはそう言って、笑ってみた。でもたぶん引きつってたと思う。だって、目的を知ると急に恐怖の方が大きくなって、同意出来ないもの。まさか、それを使ってオレを拷問にかけたりしないよね? オレ、何も悪いことしてないもん。そりゃあ、今まで沢山の人を殺めてきたけど、それは仕事だからであり……。
「もう寝ろ」
「えっ、早いです」
着替え終わったオレを見て、参謀がそれだけ言って寝室から出て行こうとした。
「……」
もしかして、オレが仕事の話をしたいって言ったの、信じてない? すると、参謀はオレをじっと見て、
「仕事の話が出来る格好ではないな」
そう言った。
「!?」
今のオレの格好と言えば……。
参謀の大き目のシャツを借りてるだけ。っていうか、着替えろと言ったのは参謀じゃないですか。確かにこの間はパジャマで参謀長室に行ってしまったけど、現在の環境を作ったのは参謀ですよね? なのに、そんなふうに言うなんて……もしかして、仕事の話はしたくない? 新人のオレに話すことなんて何もないわけ? それとも話したくないとか? カツラギ大佐やヒュウガ少佐と違って、まだ信用されてないのかな。
「寝不足だと明日に差し支える。ゆっくり休めるためにここに呼んだ」
「ですが、色々話して下さるって……」
「そう思っていたが気が変わった」
「は!?」
どういうこと!? なにそれ。参謀って気分屋さん!?
オレは理由が聞きたくて身を乗り出したけど、参謀はオレをチラッと見ただけで背を向け、部屋を出る際に意味深な台詞を呟いた。
「私は、お前に対して底意も異心も抱いている……と言っておこう」
「はい?」
参謀、急に何を?
「それでも私と関わりたいと言うのなら、お前は私に何をされてもいいように覚悟をしておけ」
「!?」
どういうこと。
「私の言う意味が分からなければ、それでいい」
「ですが! それでは、あまりに一方的過ぎませんか」
「そういうふうにしている」
「ええっ」
こうなると、もうこれ以上のことは言えない。つまり、参謀は詳細を明かすつもりはないのだということだ。
この噛みあわない会話、ちょっと悲しくない? よく……っていうか全然分からない。こんな時、ヒュウガ少佐ならどうやって切り抜けるんだろう。いや、きっとヒュウガ少佐となら以心伝心による会話が出来るんだ。オレも早くそういう関係になりたいって思うのに……。
そうして、オレは一人で考え込んでいたら、参謀はいつの間にか居なくなっていた。って、ほんとに居なくなっちゃった。今から仕事ですか、そしてオレは一人でここで寝るんですか。
このよく分からない展開は……。
確かにオレの部屋に戻ってもシュリは今頃何をしているか……パックかな? もう遅い時間だからお茶やお菓子は口にしてないだろうけど、ゆっくり休まる気がしないから、こうして参謀の部屋に呼んでもらえるのは有り難かったりする。でも、それは参謀と話がしたいという邪な思いもあって、少しでも参謀とお近づきになれたら……と、ベグライターとしての努力も垣間見えているはずなのに、それが達成されているのかどうかは不明。むしろ距離感が増している? いやいや、そんなことはない。きっとこれでも参謀なりのオレへの気遣いが……。
うーん?
オレはどうしたいんだ? どうして欲しいんだ? 参謀と話がしたい? もっとそばに居たい? でも、参謀はオレの怪我を早く治すために環境を提供してくれているだけであって、その気持ちを無駄にもしたくないし。

ああ、分からない。

ただ……オレは……オレは。
自分の感情をうまく表現する方法が思いつかなくて、気が付いたらオレは参謀が仕事をしている部屋のドアを開けて、顔だけを出して参謀を探した。
む。やっぱり仕事してる。っていうか、自室の机の上にも書類がいっぱい積まれてるって、一体どのくらい仕事残ってるの。
「どうした」
「あ、えーと、眠れません」
「……添い寝が必要か」
「!?」
そういう意味で言ったんじゃないけどっ。
「お仕事手伝います」
「私はお前に仕事をさせるつもりで呼んだのではない」
それは分かってる。
「では、眠くなるまで参謀が仕事をするところを見てます」
「……」
参謀が呆れたようにオレを見ていた。だって、暇だし! 仕事させてくれないし、他にすることと言ったら見てることしかないじゃん。
「でも、参謀も睡眠とらないとよくないと思います。オレが参謀のベッドを占領したら、参謀の寝るところがなくなります。オレはソファでいいので」
思い切って言ってみたら、参謀はため息をついた。……参謀もため息をつくんだ。
「お前は頑固だ。少しは私の言うことがきけないのか」
「オレは参謀が心配で! そんなに根をつめるとお身体に響きます。まして、年……あ、いや、普段から食も細いようですし、カツラギさんがいつも気にしてるし……今日から生活改善しませんか」
って、オレは何をペラペラ喋ってるんだろ。
「しかしよく喋る。ワインでも飲ませて黙らせるか」
「え!」
オレ未成年ですけどー!? っていうか冗談ですよね? その前に参謀が冗談を言うなんて。
参謀は立ち上がってワインクーラーに向かった。ちょ、本気ですか? ど、どうしよう、ワインなんて飲めない。オレとしてはメロンソーダ希望!
と、オレは焦ったけど、同時にいいことを思いついた。参謀に仕事をさせないためにいたずらしちゃおう。
で、オレが何をしたかっていうと……。
「……」
グラスにワインを注いで戻ってきた参謀は、すぐにオレのいたずらに気付いて表情を変えた。うーん、やっぱり一瞬でバレちゃったか。
「右手に持っているものをよこせ」
「……」
「後ろに隠しても無駄だ」
「……」
「幼稚ないたずらを」
「一休みされてはいかがですか」
「その必要はないと言っている」
「あります」
「……」
「オレには必要なんです」
「何が言いたい」
「だから参謀も一緒に……あ!」
って、ええっ、何これ、え、何?
「悪い手だ」
「!!」
ちょ……今、一瞬の出来事で何が起きたのか分からなかったけど、参謀がいつの間にか鞭を持っていて、オレは目を疑う暇もなく、それが光の速さでしなったかと思うと、その鞭の先がオレの後ろに回ってオレの右腕を……腕を捉えたんだ。正確には肘? っていうか、かっ、神業! こんなの誰でも出来るものじゃないだろー!?
「返して貰おう」
「……ッ」
観念するしかないのか。
つまり。
オレは参謀が席を外した時に、ちょっとした出来心で参謀が使っていたペンを隠したんだ。隠したって、オレが右手に持って、その手を後ろにやっただけ。どうせなら何処かにしまっとけばよかった。
「もっと縛られたいか」
「えっ」
「おとなしく返すならすぐに解こう」
「……」
「どうする」
「オレは別にこのままでも」
「ほう」
「これ以上どうやってオレを縛るんですか」
「……されたいのか」
「それは分かりません。ただ、どんなふうにするのか興味があるだけです」
「そうだな、お前には教えてやる必要がありそうだ」
「……」
この時点でオレは、まだ参謀を見くびっていた。幾らなんでも、この状態で縛り直すなんてことは出来ないと思っていたからだ。でも。
「うわ!!」
一瞬のうちにオレはぐるぐる巻きにされていた。
「鈍い」
「ええー!? どうやって!? 今、どうやったんですか!?」
「簡単なことだ」
「あっという間でしたが!」
「当たり前だろう」
「っていうか、解いて下さい!」
「暫くそのままでいろ」
「参謀ー!」
マ、マジで抜けない! 攻撃を避ける訓練は何度もしてきたのに、全然かわせなかった。ショック!
「こうされたかったのだろう、喜べ」
「喜べませんが!?」
もしかしてオレ、遊ばれてる!? 参謀、顔が笑ってないか!? なんか楽しそうなんだけど気のせい? くるくる回れば解けるもんだと思ってたけど、物凄く器用に絡んでる! 上半身は全く身動き取れない! マジ? 柄の部分は参謀が持ったままで、オレが四苦八苦してると、クイっと引っ張られてオレはよろけてペタンと座り込んでしまった。脚は巻かれなかったから、下は自由に動かせるんだけど、でも、この格好……オレ、なんて座り方してんの。こう、膝と膝がくっついて、女の子みたいな……。
「いい眺めだ」
屈辱……というか本気で恥ずかしい。
「そういえば参謀の趣味って拷問でしたよね」
ヒュウガ少佐が参謀の鞭の扱いは天下一品だと言ってたけれど、ここまで凄いとは思わなかった。
「私の趣味に付き合うと言うのなら、好きなだけしてやるぞ」
「いえいえ、滅相もないです。でも、叩かれるより、こうして縛られたままの方がマシかも」
本気でそう思うんだけど、これって正論だよね?
すると参謀は音もなく鞭を解いて左手に素早く収めた。その動作も見事だった。
「もう十分だろう。遊びは終わりだ」
「えっ、参謀、遊んでいらしたんですか。オレは真剣でしたが」
「……」
「まだ付き合えます。でも鞭はしまって下さい」
「いい加減に休めと言っている。私は忙しい」
「でも、そう簡単にはペンを返しません。ん!?」
持っていたはずの参謀のペンがオレの手から消えていた。そしてそれはマジックのように参謀の元にあった。
「いつの間にー!?」
「本当にお前は騒がしいな。眠れないなら気を失わせるという手もある」
「それはどういう意味ですか? 暴力?」
「……私はお前に触れずとも、お前を意のままに出来るということだ。おとなしくしている方が利巧だぞ」
「そんな作為的に人をどうにかしようとするなんて、ずるいです」
「……」
あ。言い過ぎたかな。やばい。上司……しかも参謀長官に向かってオレはなんてことを。
「すみません、言葉が過ぎました」
何だか今日のオレは物凄く積極的で、いつもの倍は参謀長に意見してるような気がする。しかも、昔のオレはこんなにお喋りじゃなかった。ミカゲと出会ってから人と話すことに慣れて……笑えるようになって……。今はミカゲの居ない毎日が不安で仕方ないのに、どうしてこの人にはこんなに必死になってしまうんだろう。それが不思議で仕方ない。
参謀長は暫く何も言わずに黙ってオレを見ていて……オレは少しだけ居心地が悪くなって、やっぱり寝ようとか思っていたら、
「お前は見ていて飽きないな。小動物か何かのようだ」
と言った。
「……は?」
あの……オレは一体何と答えればいいのでしょうか。
「小さいからか」
「ええっ!?」
参謀が……参謀が面白い人になってる! なんで? 夜更けになると参謀は人が変わるの?
「いい機会だ。今からたっぷり可愛がってやろう」
「!?」
凄く過激な発言が聞こえて、驚いたオレはすぐに聞き返そうとした。でも、何と言っていいのか分からなくて、口を開きかけて、そのまま参謀を見た。参謀はオレの目の前まで近づいてきたのだけれど、彼が何かを呟いた次の瞬間から、意識が途切れてしまった。

これからっていう面白いときに、どうしてこうなるの? 興奮するとオレは脳に酸素が行き渡らなくなるとか、動悸がひどくなってどうにかなっちゃう?

なんとなく、なんとなく覚えているのは、かすかな記憶。
暗い海の中に居るような浮遊感。息苦しくないのだから、溺れているわけじゃない。そして感じるのは安らぎ。声は出なくて、ただ視線をまっすぐ向けると、誰かがオレを見ていた。それが誰なのか、すぐには思い出せなくて。もしかして知らない人? でも、どこかで見たことがあるような。

その誰かの大きな手が、オレの頬に触れて、髪を撫でて。そんなこと、今まで誰にもされたことがないから、オレはどうしていいのか分からなくて戸惑っていた。ミカゲですら、こんなふうに……してくれたことはなかった……と思う。

目の前に居る誰かがオレに何かを言っているのだけれど、うまく聞き取れない。違う国の言葉のような気がするし、懐かしい響きのような気もするし、本当に何もかもが曖昧で。
次に感じたのは、躰じゅうが何かに包み込まれるような感覚。その後で、オレの右手をとって、誰かが言った。
「さぁ、行こう」
それまで聞き取れなかった台詞がここで初めて聞こえてきたから、オレはその意味を理解しようと必死になった。けれど、何処に行くのか、何処へ向かえばいいのか分からなくて、また戸惑ってしまって、そうしているうちに暗闇だけが広がっていた。あとのことは、オレもよく覚えていない。

これは夢? ただの夢?

気が付くと朝になっている。何がどうなっているのか分からなくて、目が覚めて飛び起きると見知らぬ天井……と呼ぶべきか、ちょっとだけ見慣れた天井と言うべきか、参謀のベッドの上にいる。
オレはいつも、
「あー、またか」
そう言ってため息をつく。
どうして起きている時に突然気を失うのか、今のオレは意識障害を起こすことが多くて、最近は自覚症状もあるからいつ倒れるのか怖くて仕方がない。これって疾患? 今までずっと健康で、丈夫なのが取り柄だったのに何故。
たぶん昨夜も失神の発作を起こしたのだろう。記憶の退行がないだけマシだけれど、突然倒れてしまって参謀も驚いたんじゃないかと思えば、やっぱり参謀は寝室にはいなくて、ベッドから出て部屋中を探しても何処にも居なかった。
まだ朝の5時なのに、お仕事に行っちゃったのかな。
今のオレが仕事に出ても、参謀は寝てろって言うだろうか。でも、仕事もたまっているし、今日は会議が入ってたような。ん? それは昨日のことだったか?
あ、オレは今日の分のスケジュールを見せて貰ってない。ってことは、休んでいいってこと? だからといって、一日中ここで寝てるわけにもいかないよね。もう、甘えられていられないと思う。

何処から何処までが夢で、何処からが現実なのか、区別がつかない。今も、本当は夢の中? オレはまだ夢を見てるの? 今頃まだ朝方で、目が覚める前で、参謀がすぐそばに居て、たとえば、まだ出勤前の時間帯で、オレは物音で起きちゃって、目をこすりながら参謀を見ると参謀は「起きたのか」って声を掛けてくれて、オレのそばに近づくと、そっと頭を撫でて「まだ眠っていろ」なんて言うとか、そんなことがあってもおかしくない。……のか? おかしい?

……。

でも、目が覚める少し前、夢の中で、誰かがオレの頭を撫でてくれたんだ。オレの右手に触れたんだ。今思えば、夢とは思えないくらいリアルな感触だった。あれが参謀ではないとしたら、他の誰か?
分からない。分からない。

今のオレはきっと、すごく暗い顔をして、覇気がなくて、つまらなそうに見えるだろう。こんな状態で仕事なんか出来るのかって不安になるけど、それ以外にとるべき行動が見つからない。

オレはだらしなく軍服を着たまま、重い足取りで参謀長室に向かった。そこしか行くところがなかったんだ。

無言でノックもせずに参謀長室に入ったら、
「どうした」
すぐに気付いてくれて、怒ることもなく命令することもなくただオレを見つめて、
「助けが欲しいのだろう」
参謀がそう呟いた。
「……はい」
「子供のようだ」
「?」
「そんな格好でうろつくな」
「あ」
やっぱり怒られちゃった。
「来い」
「あの……」
「私が行こう」
「!」
そうして参謀長がオレの軍服を直してくれた。掛け違えてたシャツのボタンも、羽織ってただけの上着も、ぜんぶきっちり直してくれて、それが終わるとオレの顎に指を添えてオレの顔を見るなり、
「いつかお前に昔話を聞かせてやろう」
突然そう言った。
「えっ!?」
場にそぐわない台詞に、オレはただ驚くばかりで、会話を繋ぐことが出来なかった。
「すべてが終わったら」
「!」
「だから、心を開け」
「!?」
な、何?
その時オレが感じたものは、参謀がオレの知らない何かを知っていて、だけど、何故かオレに何かを知らせる? それともオレに何かをさせたいのか? よく分からないけれど、言えない裏があるとういことが分かった。

参謀……あなたが欲しいものとは一体なに。そしてオレはどうすればいいのですか。

オレには分からないことだらけで、オレも知りたいことだらけで、オレには参謀の心のうちが見えない。
「いつか、必ず見つかる。見つけてみせる」
参謀はオレを見ているのに、オレを見ていない。オレに呟いているのに、誰に呟いているの? オレではない、遠くに居る誰か?
いつも繰り返される彼の知らない言葉が、オレたちがこうしているのは、ただ、消えてしまった想い出の欠片を集めているだけだと、そう聞こえた。