惑わせる声の近くに write a novel in third person |
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意識している、とテイトは思う。
全神経がアヤナミに向けられているのだ。故意に意識しようとしているのか、自然にそうなってしまうのかは分からない。今はアヤナミについていくだけで精一杯で、記憶のない二ヶ月間、それなりの仕事をこなしてきたと言われても、まったく覚えていないのだからまだ自信はなく、必死で、その自信や存在意義を取り戻そうと躍起になっているだけかもしれなかった。ただ、今は、その努力がいい方向に向かっているのだと、そう思っていた。 「アヤナミ参謀長」 「なんだ」 「この書類ですが、一部他の部署のものも混じっています。返してきたほうがいいでしょうか」 「……」 普通なら見つけられないものまで探し当て、報告する。テイトが仕事をこなせるというのは、参謀部内では周知の事実で、首席で卒業したのも伊達ではなかった。 「……それは私が行こう」 「!?」 こういう台詞で不思議に思うのは、アヤナミがテイトをあまり外に出したがらないことだ。テイトからすれば、そんな雑用は自分がするべきであり、わざわざアヤナミが出向くことではないと思うのに、テイトが外に出ようとするたびに、それを避けている様子を見せる。 「あの……オレ、間違えて違う部署に持っていったりはしませんのでお任せ下さい」 「では、私も行こう」 「ええ!?」 どうしても間抜けた声を上げてしまう。これでは保護者つきの小学生の外出と同じである。 「攫われたりしないし、道に迷うこともありませんので大丈夫です」 取り敢えず主張してみるが、 「その書類を届けなければならない部署は遠い。軍の構造をすべて把握しているのか」 「……」 そう言われれば自信がなかった。バルスブルグ帝国軍は広すぎるほど広い。しかも、今までそこには一度も行ったことがなく、記憶がない間に行ったことがあったとしても、思い出せない。 「行き方は誰かに聞きます」 そうすればいいだけの話だが、 「私にしか通れぬルートがある。そこを使う」 「!?」 そんなものがあるとも知らず、 「どういうことですか!?」 「特別に教えてやろう」 「!」 何故か特別扱いされているようで、少し優越感を得て、嬉しくなってしまった。 「では、早く行きましょう!」 テイトはワクワクと期待に胸を弾ませ、まるで遠足に行くかのように笑顔を見せるのだった。 「……」 それに対してのアヤナミの反応はなく、相変わらず無表情だったが、席を立ち、いくつかの書類を持ち、歩き出した。 「お持ちします」 上司に書類を持たせておくわけにはいかないと思い、テイトは一度書類を受け取ったが、それからは下がってアヤナミの後ろについた。どうやら、アヤナミはその部署に用事があるようだった。それを悟ったテイトは、 「確認します」 書類を見ながら枚数を数え、批准していないものはないか、手落ちはないかとアヤナミに訊ねながら追認したのだった。 兵士が行き交う軍の廊下を歩き、いくつかの扉を潜って、ふと、セキュリティが他よりも強化されている箇所へ辿り着くと、簡単なパスを入力して、アヤナミが先にそのドアの向こうに進んだ。 「遅れるな」 「はい」 歩幅が違うために、どうしても遅れをとってしまうテイトは懸命に追うが、それでもアヤナミは幾分歩行を緩めている。だが、そこは妙に暗く狭い通路で、 「ここは……」 不審に思い、声に出してしまった。 「緊急用の通路だ。誰でも通れるわけではないが」 「……」 こんなところがあるのかと不思議に思いながら、見失うはずもない距離を歩いているのに、とてつもない不安に駆られ、テイトは無意識のうちにアヤナミの軍服を掴んだのだった。 「なんだ」 気配に気付いたアヤナミが立ち止まって声をかけると、 「何か?」 テイトが逆に聞き返す。 「どうしたと聞いている」 「?」 「その手だ」 「手?」 そう言われて、自分がアヤナミの軍服を掴んでいることに気付き、 「あっ、失礼しました!」 テイトはすぐに手を離した。 「……」 「でも、やっぱり無理です」 そしてすぐに掴み直す。 「……」 アヤナミは無表情のままだが、決して拒絶をすることはなく、また前を向いて歩き始めた。 「すみません」 念の為にテイトが謝ると、 「不思議なものだな」 アヤナミがポツリと呟く。 「何がでしょう」 「私の剣には動じることはなかったのに暗闇が怖いのか」 「……だって、お化けは予測がつかないじゃないですか」 子供の答えである。闇徒や不審者ならばともかく、ここはお化け屋敷ではないのだ。 「それに、あなたの剣は怖くはありません」 今のテイトが、アヤナミの攻撃を恐れることはなかった。それを見抜く力を持っているだけでなく、もともと度胸がある。 「私が弱いと?」 「いいえ! 強いからです」 「……」 「それだけではありませんが」 「どういうことだ」 「分かりません」 「……答えになっていないな」 「すみません」 ほんの数十秒の会話だったが、雰囲気が変わった。独特のアンビアンスは二人だけの時に醸成されるが、決してそれ以上の甘い言葉が出てくることはなかった。 そのまま通路を進み、抜け出た所で、そこが軍の中枢部だということを知る。 「ここは……」 新兵は滅多に来られない場所だと分かったが、アヤナミは最初から用事があったようで、ただテイトに付き添ったわけではない。 明らかに上層部の上官だと分かる人物が歩いているのを見て、わずかに緊張感が走る。 「少し待っていろ」 アヤナミはテイトを目の届く範囲内に置きながら上層部の上官たちと話し始めた。彼らですらアヤナミを恐れて、アヤナミを見るだけで顔色が変わる。 (怖がられている? それとも……なんとなく、妬みすらも感じ取れる) 空気を読んでテイトは顔を顰めたが、ふと、その先に── 。 カルを見つけたのだった。 「!」 お互い知らぬ仲ではない。ミロクの姿はなかったが、カルもテイトを見ていた。テイトはこの時ばかりは周章したが、遠すぎて声は届かない。が、しかし。 (カル……! オレ……!) テイトが心で叫ぶと、 『どうしてお前がここにいる』 そう答えてくれた気がして、テイトは思わず口を開いた。それは、 「っていうか、久しぶり」 という、とても間の抜けたものだったが、テイトはカルの居る方へ走り出しそうになっていた。だが、そこへ、 「私以外の者と会話をする時は、許可をとってほしいものだ」 テイトの視界が遮られた。目前に拾い背中が割って入る。……アヤナミだった。 「あ……」 「用件があるのはこちらだ。ついてこい。振り返ってはならぬ」 「は、はい」 テイトは再びカルを見ることも出来ずに、アヤナミを追った。 (厳しい) 参謀部は特殊な部署でもある。中で起きていること、処理をしているものは口外してはならず、厳秘に付している要項も多い。そして特にアヤナミは要塞の外に出るにも許可が要るほどで、ましてテイトなどの新人は、外部との余計な接触はあまり好まれない。 (でも……アヤナミ参謀はオレとカルのことを知っているのだろうか) ミロクに養われていた頃、カルはテイトが世話をしてもらったうちの一人である。むしろまともな話し相手はカルしか居なかったし、テイト自身、親しい間柄だと思っている。カルはそう捉えているかどうかは不明だが、テイトはカルがミロクのベグライターだと知っていて勝手に親近感を抱いているだけかもしれないが、だからといって気安く会えるわけではないことも理解していた。 「すみません」 テイトが謝ると、 「私は嫉妬深いからな」 アヤナミがそう言った。 「?」 他の部署の人間と関わるなという意味には思えなかった。 夕方になってから、テイトはアヤナミと行動したことが現実にあったことなのか、幻であったのか分からなくなっていた。 (最近のオレ、おかしいよな。記憶なくしてから変なのかな) 一人で考え込んでしまい、不安になる。 参謀部内は相変わらず業務に追われ、このままでは残業を強いられる状況だった。 「あの、カツラギ大佐」 近くに居たカツラギに声を掛けると、 「どうしましたか? 何か分からないことでも?」 カツラギもテイトには優しくしているつもりだが、やはり背が大きいので威圧感を覚え、 「えっ、い、いや、仕事のことではないのですが、っと、その」 どうしても後じさりしてしまう。 「では、何です?」 「アヤナミ参謀のことで」 「アヤナミ様が何か?」 アヤナミのことになるとカツラギも慎重になる。どんなことを聞かれるのか、一瞬身構えたカツラギだったが、すぐに破顔し、穏やかな笑顔を見せた。テイトは一呼吸置いてから、 「あの……アヤナミ参謀が嫉妬深いって本当ですか?」 真面目な顔で訊ねた。 「は?」 カツラギには突拍子もない質問だったらしく、驚いてテイトを見つめる。 「どこからそれを?」 「ご本人です」 「……ああ、そうですか」 カツラギは顎に手を当てて考えている様子を見せていたが、テイトも同じ動作をし、 「とてもそんなふうには見えなくて。どちらかというと物事に執着しないクールなタイプかと思ってました」 素直に答える。カツラギはなにやらおかしくなって、一度声に出して笑ってから、 「そういったことはヒュウガ少佐に聞いた方が早いですよ」 そう答えた。 「ヒュウガ少佐に?」 「ええ。彼の方がアヤナミ様に関しては詳しいし」 「あー、それは何となく分かりますが」 テイトはヒュウガが苦手なのだ。 「興味がおありでしたら聞いてみては?」 「分かりました」 そう言ったものの、聞く勇気がない。 「いっそコナツさんに聞いてみようか……」 と考えても、また同じことを言われるだろうと思った。何しろ昼間はヒュウガが居ない。アヤナミと一緒に居るのかと参謀長室を見ても、姿は見当たらず、最初はどうしていつも居ないのかと不思議に思っていたが、コナツが文句を言っているのを聞いてからは、サボっているということを知った。 「スゴイ身分だよな……」 テイトが感じるのは、せいぜいそのくらいだった。 夜になって仕事を切り上げて帰ろうとした時、偶然ヒュウガに会った。 「お疲れ様です、ヒュウガ少佐」 「お、テイト君、今、上がり?」 持ち前の愛想のいい親しみ易さで、ヒュウガは少しだけ腰を屈めて距離を縮め、テイトの頭を撫でた。 「はい。参謀の所に行って今日の報告と明日の予定を確認して参ります」 「ん、ご苦労さま。どう? アヤたんのそばに居て疲れない?」 「大丈夫です。まだ未熟で至らないところはありますが、何とかついていってます」 「そか。ならいいんだけど、辛くなったら素振りするといいよ」 「……?」 何処かで聞いた台詞だと思ったが、最初にコナツに言われた言葉だった。だから、それはヒュウガの言うことではないと思った。 「今からアヤたんのところに行くのか……」 「あ、少佐もご一緒しますか?」 「いや、オレはいい。後にする」 「分かりました。では、失礼します」 と言ってから、 「その前にヒュウガ少佐」 テイトはヒュウガを呼び止めた。 「なぁに?」 「あの……アヤナミ参謀のことで聞きたいことがあるのですが」 「え? なに、なに? 何が聞きたいの? アヤたんのことなら何でも知ってるよ。スリーサイズも何かのサイズも裏表全部!」 「は、はい?」 「で、何?」 「え、えと……」 今のヒュウガの台詞で志気を削がれたと思ったが、気を取り直し、 「アヤナミ参謀が嫉妬深いって本当ですか?」 カツラギに聞いた時と同じように訊ねた。 「……ああ、そのことね」 「そうなんですか?」 「もしかして本人が言ってた?」 「はい」 「そっかぁ」 「あの?」 「アヤたんの嫉妬深さは……そうだねぇ、地球の内核に達するレベルかな。マントルどころじゃない」 「はぁ!?」 「ま、そういうこと」 「えっ」 「あはは、君も苦労するねぇ」 「ええ?」 「じゃ、アヤたんに宜しく言っておいて」 「えええ!?」 テイトが困っていると、 「待て、ヒュウガ」 テイトではない、他の誰かの声がした。 「うっわ、アヤたん、このタイミングで登場?」 ヒュウガが苦笑しながら頭を掻いている。振り返ればアヤナミが立っていて、今までの台詞が筒抜けだったと知ると、あとで面倒なことになるのが目に見えて、ため息が漏れた。 「テイト・クラインに余計なことを吹き込むな」 アヤナミが言うと、 「都合が悪くなるようなことは言ってないよ? ねぇ、テイト君?」 「? ……はい」 「……」 黙り込むアヤナミだが、 「来るのが遅いと思えば無駄話とはな」 少しご立腹のようだ。 「別にこっそり会ってたわけじゃないし。っていうか、もしかしてテイト君が心配で迎えに来たの? 有り得ない!」 ヒュウガは火に油を注ごうとしていた。だが、 「そうだ」 アヤナミはあっさり認めてしまった。 「うぇえー!?」 奇異な声を上げて驚いたのはヒュウガで、テイトは顔を真っ赤にしている。 「ア、アヤナミ参謀……」 「少し私の仕事を手伝って貰いたい。お前にはまだ仕事が残っている」 「分かりました」 テイトが素直に返事をすると、 「アヤたんってば、あんなにベグライター要らないって言ってたのに、すっごいベッタリじゃない?」 ヒュウガがからかう。 「ヒュウガ。貴様は後で私の部屋に来い」 「ぎくっ」 声に出して驚いてみせると、 「覚悟しておけ」 アヤナミが脅迫もどきの台詞を吐く。それに対して、 「ちゃんと寝室に来いって言い直してよね」 ヒュウガは負けなかった。二人のやりとりを聞いているテイトは、思い切り素の表情で、 「しっ、寝室!?」 と叫んだ。 「あはは、テイト君も来る?」 「ヒュウガ」 「分かってるよ、アヤたん。ちゃんと行くから仕事しないで待ってて。ロマネコンティも宜しくね。じゃあ、テイト君、また明日!」 「!? ……!?」 目を白黒させているテイトにニコニコしながら手を振りながら去っていったが、 「やつの言ったことはすべて忘れろ」 アヤナミが一言呟いた。 「ですが……。え、でも……」 インパクトが強すぎて、何が何だか分からない。 「昔から口の減らない男だが……」 「そうなんですか? オレにとってはヒュウガ少佐もよく分からないです……」 「それでいい」 「いいんですか!? まさか、参謀、ヒュウガ少佐と会話をするのも許可が要るとか仰らないですよね!?」 「……それは必要ない」 「はぁ」 参謀部内で会話をするのに一々許可を得なければならないとなると面倒だ。テイトはほっと胸を撫で下ろしたが、 「ここでは仕事の話が出来ぬ。来い」 「はい」 廊下で立ち話をしていても何の進展もない。時間の無駄だとばかりにアヤナミはテイトを参謀長室へ招き、今日の業務の報告を聞きながら明日の指示を出した。 スケジュールを見る限りでは、明日もやまほどの会議やら会談が入っている。 「……」 テイトの目が据わり、無言になる。どうしてこうも忙しいのか、たまにはのんびり出来る日があってもいいのではないかと、そろそろ不平不満が出る頃で、思っても口には出さずにいつもだんまりを貫いていたが、 「まだ免疫がつかぬようだが、そろそろ慣れろ」 アヤナミが笑っていた。 「その年で煩忙を極めるのも悪くはないだろう」 「……は、はぁ、それはそうですが」 テイトは過密スケジュールのことも忘れて、一瞬だけ見せたアヤナミの微笑に心を揺さぶられていた。 (笑った。この人、笑うんだ……。笑えるんだ) それは、感動という名の衝撃だった。すると、 「私の顔にも慣れておけ」 「!」 アヤナミはテイトを驚かせてばかりだった。しかし、 「ですが、参謀は表情に乏しいというか! それなのに、たまに違う顔をするから驚いてしまうんです。普段からもっと笑えばいいんじゃないんですか」 中々大胆な発言を返した。 アヤナミ自身、テイトのそういう不敵なところを買っていた。さすがラグスの王子でありながら元は戦闘用奴隷という過去を持っているだけあると嘆称する。 「考えておこう」 打ち解けた会話はそこまでで、暫く仕事の話をしていたが、帰り際になってから、またしてもテイトが気掛かりだったことを口にした。 「この後ヒュウガ少佐と会うんですね?」 気になるというより、確認のために訊ねたつもりだったが、 「会うというより遊びに来ているようなものだ」 そう聞いてテイトは興味を抱いてしまう。 「何ですか、それ」 詳しく知りたいと思った。 「ただし、私は相手にしないが」 「……」 やはり面白い関係だと関心を示し、更に質問を重ねた。 「でも、用事があって呼ぶのですよね?」 「大半は仕事の話をする。ここでは出来ぬ話もあるからな」 「!」 やはり、そうなのかと妙に納得してしまった。 テイトにとって、アヤナミにはミステリアスなところもあり、参謀部内で決められた仕事をするだけではなく、何か特別な任務が皇帝から与えられているか、個人としても籌策があるような気がしてならなかった。それが権謀かどうかは分からないが、ただならぬ執念を感じ取っていた。 「ということは、ヒュウガ少佐は内密の仕事の話をするために参謀の部屋に呼ばれたということですか」 悪気はなく、下手な勘ぐりをするつもりもなく訊ねてみると、 「そうだ」 アヤナミは短く答えた。 「昼間は仕事しないってコナツさんが嘆いていましたが……」 「ヒュウガは仕事が出来る男だ。あれを舐めていたら痛い目に遭う」 「ええっ」 あんな不真面目な態度の何処が……と言いそうになって、テイトは口に手を当てて堪えた。 「参謀部に仕事の出来ない奴は要らぬ」 きっぱりと言い捨てると、テイトの頭の中にシュリの顔がよぎったが、シュリは元帥の息子だ。どうやって取り入ったのか、ベグライター試験には受かったというから特別待遇で参謀部に居てもおかしくはないと思った。 「カツラギ大佐も、すごく熱心ですし……コナツさんも仕事が早くて……」 と、ここまで言っておきながら、 「あれ? ヒュウガ少佐は寝室がどうのと仰っていましたが、そこで話をするのですか? 寝ながら?」 テイトの質問は時に際どく、危うい。だが、テイトに悪意はない。 「……」 「場所が変わるとヒュウガ少佐も変わるのかなぁ」 声に出して不思議がっていると、 「あれの言うことをすべて鵜呑みにするな」 アヤナミがかわした。 「ですが……」 「今日はこれまで。あとは戻ってよし」 テイトに必要なファイルを渡すと、席に戻り、再び事務処理に取り掛かる。この切り替えの早さも見事だが、また表情がなくなってテイトは少し寂しさを感じていた。 いつも残業する度に早く帰りたいと思っていたテイトだが、この日に限って何故かもっと仕事の話をしてみたかった。それは働くことが嫌いではないという自覚と、もう一つ、他に原因があるのではないかと気付いたが、具体的にそれが何かは掴めない。部屋に戻ってもシュリが居るから……という理由が一番大きいのかもしれないし、仕事をこなすことで自我を形成していけるような、成長の一つだと誇りに思う部分もある。しかし、それだけではないと理由を懸命に探そうとするも、すぐには見つからないのだった。 アヤナミと居ると、テイトはいつも、その曖昧な部分に悩まされ、こんなことは今まで一度もなかったのに、最近どうしてそうなるのだろうと奇妙な感覚に陥る。 「どうした。何か言い忘れたことがあるのか」 帰ろうとしないテイトに向かい、それまで黙っていたアヤナミが声を掛けた。 「はい、あの……」 「なんだ」 わずかに緊張が走る中、テイトが放った言葉とは。 「ふと思ったのですが、オレもいつかアヤナミ参謀の寝室に呼ばれるようになりたいです」 堂々と、臆することもなく、恥ずかしがることもなく、あくまでも真摯に、はっきりとした口調での告白。 「……」 その意味が何かを知らぬからこそ言える台詞だった。しかしながら、プライベートで酒が飲めるようになりたいと言うのであれば「自室に呼んで欲しい」と言ってもいいが、寝室と来ればまるで特別な関係を築きたいのだと訴えているようなもの。その特別な関係が何であるのかは、テイトとアヤナミは、それぞれ違う解釈をしている。 「今のオレの目標です」 「……」 テイトはまっすぐにアヤナミを見た。アヤナミもテイトを見つめたが、その眼差しは以前とは違い、凍てつくような冷たいものではなかった。 「本気ですから」 「……そうだな、いずれ招いてやろう」 「ほんとですか!?」 「ああ」 「よし、頑張ろ!」 「……」 「では、失礼します!」 また、アヤナミが笑っていた。だが、その時テイトは既に頭を下げてアヤナミの部屋から出て行ってしまった。 「オレは参謀のベグライターなんだから、もっと話を聞くべき。ヒュウガ少佐の方が付き合いは長いかもしれないけど、オレだって役に立ちたい」 部屋へ戻る際、歩きながら無意識のうちに独り言を呟いていたが、これは嘘ではない。 アヤナミが帝国軍で一番怖くて、一番忙しいと噂をされているのは最近聞いたばかり。だからこそ、そんな上司の下で働けることを光栄に思わなければならないのだと、テイトは前向きになっていた。暗い過去を背負っている割りには、向上心が強い。 起きている時間の多くを共に過ごしているくせに、テイトは物足りないと思うのだった。仕事の量も倍以上、睡眠時間もないほど働いているのに、もっとそばに居てもいいと望んでしまう。それを、 「オレって仕事熱心だなー」 で片付けるのもテイトらしい。 「いや、その前に、参謀の声を聞いてると、なーんか勿体無いって思うんだ」 テイトの独り言は続く。 「あんなにいい声なのに、あんまり喋らないなんて」 それは誰もが思っていることだろう。 「ヒュウガ少佐みたいに、オレの耳元でこそっと喋ってくれたら、すごく楽しそう」 そういう解釈でいいのかどうかは分からないが、 「うん、これ、明日朝一番に言ってみよう。せっかく渋い声してるんだから、もっと喋ったほうがいいですよ、って」 アヤナミが何と答えるかはどうでもよく、テイトは、ただそれを伝えたいのだった。おそらく、アヤナミにしてみれば返答に困る提案かもしれないが、そろそろ「余計なことは考えるな」と叱られてしまうかもしれない。 それでもよかった。 テイトは、その声のそばに居たいのだ。今は、そうやって世界が拓けていくのを見て、知るだけで大人になれると思った。無理に背伸びをしなくても、アヤナミについていれば、何かを得られると信じていた。 一方、アヤナミは。 「困ったものだ」 テイトに度胸があることは分かっていたが、放っておくとヒュウガ以上に奔放なところもあるかもしれないと思う。もちろん、行動ではなく、態度でもなく、言葉という媒体だ。 邪気がない分、逆に扱いにくい。だが、パンドラの箱を開けるためのパスワードを得るだけでは物足りないとアヤナミも感じているのだった。 「ただでは手放さぬ」 こちらも何かに渇いている。そして、アヤナミには既に答えが出ているのかもしれなかった。 「私が大人にしてやるべきか」 仕事中にアヤナミがそんなことを呟いているとは、参謀部……いや、バルスブルグ帝国軍の誰もが想像すらしていないだろう。 二人が今、抱いているものと明らかなものは、どちらも互いを欲しているという事実だった。 |