この世界に在る好きとキライ write a novel in third person |
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何をされているのか分からないわけではなかった。
テイトはアヤナミの突然のくちづけを受けて、一瞬だけ驚きはしたものの、ほとんど抵抗することなく素直に冷たいくちびるを受けれていた。 始めは、ただ暖めているだけだと自分自身に言い聞かせて冷静を装っていたが、実はこうしたかった、されたかったという願望がテイトを駆り立てた。 テイトは自然な流れで目を閉じ、アヤナミが何度も啄むようにくちづけてくるのを時折わずかに口を開いて警戒心がないことを明らかにした。 アヤナミは行為を続けながら、テイトの懐に入った手を抜き、その腕をテイトの躰に回し、テイトの気が逸れたのをいいことに、口腔への強淫を開始した。 その時になって、自分はとんでもないことをされているのだと気が付いたのか、眉根を寄せて息を止めてしまった。苦しくなってもがいても、アヤナミはやめることなくテイトの顎をとって口を閉じられないようにしている。 「ぅ……!!」 戸惑うテイトの舌をしっかりと捕らえてなぶり、蹂躙するように絡めていく。 「!! ……ぁ!!」 テイトはどうしていいか分からずに合間に口呼吸をしながら激しくなるくちづけを受け、その結果、ただ喘いでいるようにしか見えない構図が出来上がり、テイトは自分の意思とは裏腹に淫乱な姿へと導かれていったのだった。 もちろん喋ることは出来ない。何かを訴えたくても、何を言っていいのか分からないし、主張するとしても、それは決して拒絶ではない。もしかすると、嬉しいのかもしれない。ただ、嬉しいからと言って笑えばいいというものではなく、それをどう表現していいのか困惑する。 キスが何分続いたのか、はっきりとした時間は明白ではないが、そろそろテイトが息切れを起こし本格的に無力化してきたのを見て、アヤナミがそっとくちびるを離した。 「これでも驚かぬか」 アヤナミが訊くと、テイトは開口一番、 「参謀、慣れてます!!」 と叫んだのだった。 「……」 「慣れてますよね! どういうことですか!!」 問題はそこなのか、アヤナミは無表情のまま答えることはなく、 「参謀は女っ気ないし、オレもないけど、参謀の方がなさそうで、あ、でも凄く人気があるって聞きましたが、デートしてる所なんて見たことないし!」 ぐったりとしたまま口だけは立派に動かしてアヤナミを責めるように言い放つ。まるで雰囲気をぶち壊すような勢いだが、とろとろに蕩けてしまう前に、どうしても一言言っておきたかった。 しかし、そこでアヤナミも謝るわけはないし、不敵な笑みを見せると、 「私に何の経験もないと思っていたのか」 テイトを試すように呟いた。 「えっ、もしかして百戦錬磨なんですか」 「それは好きに想像しろ」 「嫌です。考えたら何だかムカついてきました」 「……」 「オレ……オレ……」 「お前は本当によく喋る。もう一度口を塞いでやろう」 「……」 「これで終わりだと思うな」 「えっ、じゃあ、続きが?」 「……」 「続きを……でも、どんなふうに?」 この場でそんなことを訊くテイトが子供のように幼く見え、アヤナミが珍しく苦笑した。それともれっきとした催促なのかとアヤナミでさえ悩む。 「私に言葉で説明させるつもりか」 「はい、オレにも心の準備というものがあるので、念のため聞いておいたほうがいいと」 「そんなものは必要ない」 アヤナミに軽くあしらわれてもめげることなくテイトは食い下がる。 「いっぱいドキドキしますよね? オレ、正気を保てるか不安です」 「……」 一々言い方がまずいのだ。まるで子供か女子のようで、アヤナミの手に余るようになってきた。しかし、テイトには問い詰める理由が存在する。 「だって、ドキドキすると、オレ、気を失うことが多くて大変なんです。いつも参謀の部屋に来るとそうだし、いつの間にか朝になってることが多くて困ってて。だから……」 「そういうことか」 アヤナミは納得した。だが、さきほどの深い口付けには気を失うことなく対応していたし、一時いっぱいいっぱいになり足掻いていたが、その後でアヤナミが慣熟していることに対して文句をぶつけたのだ。 「でも、オレはさっきと同じことをずっとしたい」 「……」 いつもテイトの発言は突拍子もなく、冷静なアヤナミでさえ表情を変えるほど驚かせる。 「……いいだろう」 かろうじて答えたが、本当はもう終わりにするつもりだった。さきほどはこの先があると脅してみせたが、今のアヤナミはこれ以上テイトに手を出すことは考えておらず、続きを匂わせたのはテイトの反応を見るためだった。一度に教え込んで本当に倒れたり過呼吸を起こされてはたまらない。 しかし、テイトの希望はもう一度くちづけをすることで、 「オレ、なんだかまだ暑いし、部屋の空調がいけないのかな、ちょっとのぼせたみたいになってるから、参謀、まだ冷たいし、もっと暖めてやってもいいです」 上から目線だった。 「……」 のぼせているのは暖房のせいではないのに、テイトは他に原因を知らない。 「熱いから、オレの躰を冷まして下さい」 何処か婬色を伴ったテイトの甘いお願いは、アヤナミの鐵のような心を溶かすには十分な効果があった。ますます熱くなることも知らずに、アヤナミに触れれば冷たくて気持ちがいいなどと、単純な解釈ですら愛しくなる。 そしてテイトにとって、ただ一つ悔しいのは、自分でそう言っておきながら後の出来事は余り覚えていないことだった。 この時もおぼろげな記憶しか残らなかったが、たくさんのくちづけを交わしているうちに極度の緊張と昼間のハードワークの疲れが出て、アヤナミの制御なく、意識が朦朧としてきた。今度こそ溺れるようにアヤナミにしがみついて助けを求めると、アヤナミは無言のままテイトを抱き寄せた。 テイトはこの成り行きを不審に思うでもなく、自然な流れで受け止め、当然、こうされていることを誇らしく思っていた。アヤナミの”特別”になりたいのだと奮闘し、仕事の面でも努力をして、プライベートでも一歩踏み入ることが出来たらと狙っていたのだから、これで目的を果たせたように思う。 テイトが「まだ暑い」「熱い」と訴えると、アヤナミはもっと腕の中に抱き込んだ。 「こうしていれば、治まる」 まるであやすような言い方で、アヤナミは改めて部下の躰の小さいことに驚き、テイトがミカエルの操者であることを含め、戦闘能力の高さを鑑みても、信じられない思いで、その華奢な骨格を確かめていた。 「なんだ、この腰の細さは」 自分の学生時代の頃を棚に上げ、揚げ足を取るように呟いた。 「え?」 「お前はもう少し躰を大きくすることを考えた方がいい」 「え、えっ……」 そんなことは昔からしている。学校に居た頃も、牛乳だって沢山飲んでいるのに大きくならないのだと言おうとしたが、今は何を言っても無駄だと諦めた。そして、 「参謀の腕の中は気持ちがいいので、これでいいのです。余り大きくなったら、こうして貰えません」 うっとりと目を閉じて呟いたのだった。 「……」 その台詞の意味を詳しく問いただしたいほど憎いタイミングで訴えてくるテイトには、天然の誘い込み作用が発動するようになっているのだろうか。 しかしながら、ここで堕ちてしまいそうになっても、次の瞬間には場面が変わることがある。 「あの……寝たら怒りますか?」 つまり、眠いということを訴えたのだった。さすがというべきか、狙ったにしては出来すぎというべきか、 「黙って目を閉じていろ。あとは私が──」 テイトがはっきりと聞いたのはそこまでで、すっかり気が緩み、テイトはそのまま眠ってしまった。 「仕方のないやつだ」 テイトは眠る前にミカゲにも抱き寄せられて眠ってことがあることを思い出した。寮でのルームメイトであり二段ベッドの上下で眠っていた二人は、時々ミカゲが悪ふざけをしてテイトのベッドに潜り込んでくることがあった。決してやましい意味ではなく、テイトがうなされることが多くなると、ミカゲは必ずそうやってやってきた。今になって、それは悲しい思い出ではなく、とても懐かしい思い出になっていることをテイトは心弛びとして迎え入れ、夢の中に顛落していくのだった。 翌日の参謀部では今まで通りに仕事をこなしていたものの、 (どうも昨日は参謀がオレのことずっと抱きしめててくれたような気がする) 眠ってしまったのだから記憶がなくなるのは当然で、時折ふと目を覚ました時に誰かがすぐそばにいて抱きしめていてくれていると感じたのは覚えている。 (あれは間違いなく参謀だ。でも、もしかしたら夢かもしれないし) 確たる証拠がないために参謀にも訊けないし、誰にも言えない。 (だけど、だけど……キスをしたのは間違ってない。夢じゃなくて真実) いまだにその時の感触を覚えているし、何よりアヤナミのテクニックが至妙すぎて頭にきたくらいだ。何故テイトが怒るのか、そして完全な大人を捕まえてキスが巧いと言って怒るのはお門違いだが、心の何処かでは「やはり」という失望にも似た感情も芽生えていたのは否めなかった。もちろん、その失望というのは、自分は遊ばれているのではないかという疑心と、こんなふうにされるのは自分で何人目なのか、それが悲しいと感じてしまうことだった。 そのせいで、仕事で手が空いた時、いつもそばに居るコナツにこんなことを訊ねた。 「参謀って、現在お付き合いしている女性が居るんでしょうか」 「えっ」 返答に困る質問だ。 「参謀って、女の人が大好きそうには見えないし、ここの参謀部は皆固そうな人ばかりで遊んでるようには見えません」 テイトは真顔で呟いたが、 「アヤナミ様には愛人が100人ほど……」 コナツも真顔で答える。 「えっ」 「冗談です」 「ああ、びっくりした。参謀クラスになると、それくらいが当たり前なのかと思ってしまいました」 「いくら何でも、それでは色々と大変かと」 「ですよね。じゃあ、本当のところはどうなんでしょうか」 やはりテイトは興味深げだった。 「そうですねぇ、もしかして長年思い続けている方はいらっしゃるとか」 「片思い!?」 「……私がこんなことを申し上げていいのか分からないので、これ以上のことは言えませんが」 「っていうか、既婚者でもないですよね?」 「さぁ、分かりませんよ、もしかしてそうだったり? アヤナミ様には謎が多いですし。でも、どうして急にそんなことを思ったのですか」 「いや、参謀、キスがう……あ、何となく思ったっていうか、どうなんだろうっていうか」 危うくキスがうまいと言うところだったが、これでごまかせたかどうかは分からない。もし、巧いと言ってしまったら、どうしてそれを知っているのかコナツから突っ込みが入る前に、テイト自身が経験してしまったとすぐにバレてしまうから、言ってはならないことだと気付いて、途中で言うのをやめた。だが、 「アヤナミ様、キスがお上手でしたか?」 「はい! って、ちがっ、ち、ちがっ」 既にバレていた。せっかく秘密にしたいと思っていたのに、テイトに嘘はつけないし、上手にごまかせるほど処世術に長けているわけでもなかった。すると、 「それはきっとヒュウガ少佐のせいでしょうかねぇ」 「え」 どういうことだと叫びそうになったが、 「二人で外に遊びに行ってるのかも」 「外? というと?」 「男の人が遊べるところがあるでしょう?」 「あ……よく分からないけど、そういうところがあるんですよね?」 「ええ、気晴らしに通っていたのかもしれませんし」 「ちょ……それはショックだけれど、参謀もヒュウガ少佐も大人だから、仕方ないのかな」 「仕事の付き合いもありますからね」 「?」 「つまり、大人の事情です」 そう聞いて合点がいったように、 「なるほど」 頷いてしまったが、しかし、アヤナミが夜な夜な風俗街に出て遊んで歩くようには見えない。すると、 「なんて、このお話も冗談ですよ」 コナツがしれっと言い放った。 「じょ……冗談!? コナツさーん!」 「ですから、冗談です」 どこからどこまでが冗談なのかをはっきりとさせないまま、コナツは目が笑っていない笑顔を見せた。これ以上詮索してはいけないと言わんばかりだった。 その後、アヤナミは隠すこともなくテイトを参謀長室に呼び出しては、そこで仕事をさせたりと人目も憚らぬ蜜月ぶりを見せ付けるようになった。一日中そんなふうではなく、しっかりと濃淡の差をつけ、普段は厳しい帝国軍陸軍参謀長官の名を崩すことはない。 「オレもテイト君と仲良くしたい」 そこで恨めしそうに呟いたのはヒュウガだ。 「僕も。僕はもっとテイトと話をしてみたいけど、何故かテイトは僕を見る目が他とは違うっていうか、すっごい食いつくように見つめてくるんだ。こっちが恥ずかしくなるくらい」 衝撃の告白をしたのはクロユリだが、それは自分より小さくて女の子のようなクロユリが軍で働いていることに対しての驚きと感嘆によるものだ。士官学校時代、大きい方ではなかったテイトにとって、クロユリは心強い存在だった。 「クロユリ様は可愛らしいので、見惚れているのかもしれませんよ」 そばで珍しく発言をしたのはハルセだが、 「え、何。テイトってば僕のこと女の子みたいだとか思ってるんじゃないよね」 「思ってると思います」 「ちょ、ハルセまでそんなこと言うの。そんなの嫌だ」 二人が微笑ましい喧嘩をしそうになっているところへ、 「クロユリ中佐、ハルセさん、参謀がお呼びです」 テイトが小走りでやってきた。 「あ、噂をすれば」 クロユリが大きな瞳でテイトを見つめる。 「お仕事の依頼ではなさそうですが……」 テイトが付け加えると、 「うん、分かってるよ。ハルセ、行こう。一人で歩けるから大丈夫」 ハルセが抱き上げようとしたが、気を遣い、一人で歩けることを主張する。 アヤナミが二人を呼んだのは、互いの状態……この場合は健康状態というか、魂を繋げ行動する二人の様態に綻びはないか、それを確かめるためのものだった。その事実をテイトは知る由もなく、 「ああ、クロユリ中佐とハルセさんも仲がいいなぁ」 うっとりと見つめるのだった。 「……テイト君も相当だと思いますが」 コナツの突っ込みが入ると、 「え、オレですか!? オレは全然!」 「どの辺が全然?」 真剣なテイトに更に突っ込みを入れるコナツと、 「テイト君、恋は盲目って言葉知ってる?」 おかしな方向へもっていこうとするヒュウガが三つ巴となり、もはや勝者が誰かなど決められないほど混沌とした雰囲気が広がっていったのだった。 その後もテイトはまたアヤナミに呼ばれて参謀長室に向かった。暫くしてから帰ってきて、参謀部でメンバーと仕事をしていたかと思えば、またアヤナミに呼ばれて居なくなる。ようやく戻ってきても、またすぐ呼ばれ、テイトは参謀部と参謀長室を行ったり来たり、何往復もして、そろそろ息切れを起こし、 「一度に用を言いつけてくれればいいのですが」 思わず愚痴を呟いてしまった。そこへヒュウガが、 「アヤたん、遊んでるんだよ」 面白そうに応じていた。 「遊んでる!?」 「そ。わざとやってるの。本当はテイト君を膝の上に置いてお仕事したいんだと思うよー」 「ええっ」 信じられない思いで聞いていたが、本音としては嬉しいの一言に尽きる。 「顔見たくて、ああやって何度も呼ぶんだ。テイト君が気付くまでやると思う。だから、今度行ったら言ってごらん、『参謀はそんなにオレの顔見たいんですか』って」 「……」 「きっと、『そうだ、その為に呼んでいる。不満ならここに居ろ』って言うはず」 「そ、そうですか?」 「うん、間違いない」 ヒュウガはいつものように笑っていたが、決して適当なことを教えているわけではなかった。 「参謀のこと、よくお分かりですね。やっぱりヒュウガ少佐には敵いません」 悋気を孕みながら賛嘆してみたが、 「何がオレに敵わないの? アヤたんのこと?」 「はい」 「だとしたら、それは仕方のないことだよ。オレとアヤたんにしか分かりえない事が沢山あるから」 「!」 「でも、テイト君にもそれなりにいっぱいアヤたんに繋がる秘密が沢山出来るかもしれないでしょ? むしろ、もうあるかも?」 「えっ」 テイトが反応したのは、最近の出来事が脳裏に浮かんだからだ。今のテイトには、その記憶しかないし、それだけでも十分親密なのだから、思い出すだけでも勝手に口元が緩む。 「あっ、デレてる!」 すかさずヒュウガが指摘すると、慌ててテイトは首を振り、 「ち、違います!」 言い訳のしようもなく、ただ顔を赤くしていた。 「ほんと、可愛いなぁ。そういうふうに素直な所はオレとは正反対だね」 しみじみとヒュウガが呟き、まじまじとテイトを見つめた。 「そんなことないです。オレは士官学校時代はすっごく嫌なヤツでした」 「へぇ?」 「友達とか作らなくて人とつるむのが嫌で、他人に対して傲慢な態度をとったり」 「でも、そんなことを正直に言っちゃう所が素直なんだよ。元々の性格はいいと思うけど」 「それは……」 「いつまでもそのままで居て欲しいねぇ」 「あ、あの……」 からかわれているのか、真剣に褒められているのか分からず、テイトは戸惑いながら俯いた。 「この間転んで出来た怪我も、もういいみたいだね。包帯取れて良かった」 先日ハプニングがあり、テイトは地面にダイブして顔や手に傷を負ってしまった。その時そばに居たのがヒュウガで、顔面から突っ込んだ様子に相当慌てたが、本人は、 「怪我と言っても、すり傷ですから」 奴隷だった頃に比べれば何でもないとケロリとしている。 「……強いな、テイト君は」 「そうですか!?」 「そして偉い!」 「何がです!?」 「何かな!」 「ええっ」 やはりふざけているとしか思えず、テイトは涙目になっていた。そこへ、 「少佐?」 後ろから綺麗な声が聞こえてきた。 「コナツさん!」 テイトは笑顔を見せたが、ヒュウガは肩を竦め、 「来た。ウチの強い子が」 「?」 何を言われたのか分からないコナツはきょとんとしたが、すぐに仕事モードになり、 「テイト君をナンパしてはいけないとあれほど申し上げたのに。少佐も仕事たまってますよ。早く席に戻って各部署からの報告書に目を通して下さい。全部で300枚あります」 「ひー!!」 「今日は泣き言を並べても駄目です」 「だって胃が!」 「あっ、そういえば私、いい胃薬見つけたんです。試してみますか?」 「何」 「それは夕食時にお教えしますよ」 「は?」 二人の会話を聞いてポカンとしていたテイトは、コナツをじっと見つめて、 「何だかコナツさんってしっかり者という感じですね」 しんみりと呟く。 「私? 私は別にしっかり者というわけではないですよ。ただ、自分にも他人にも厳しいです」 きっぱりと言い切る所を見ると、さきほどのヒュウガがコナツに向けた台詞も頷ける。 ”うちの強い子” と表現したが、本当にその通りだと思った。 そしてコナツは突然テイトの腕を引っ張って声がヒュウガの耳に届かない所まで来ると、 「胃薬ってね、キャベツのことですよ。今夜は少佐に大量のキャベツを食べさせようと思いまして」 そっと耳打ちした。 「ええっ」 「キャベツって胃にいいんですよ。少佐はいつも胃が痛いと仰るので、それならキャベツで胃腸共に健康になって頂こうかと思って」 「本気ですか?」 「勿論!」 「コ、コナツさんって……」 「うん?」 「やっぱりしっかりしてるし、ヒュウガ少佐のこと、お好きなんですね。そこまで考えるなんて凄いです」 テイトは感動の涙を流している。 「……」 「オレにはそんな工夫は出来ません」 浸りきっているテイトと、無表情のコナツと、ミステリアスな雰囲気が出来上がってしまった。 「ねぇ。何故そんな話に? どうして私が少佐を好きだということになるのか……」 不思議に思ったコナツは、この流れを無視出来ずに問いかける。しかし、 「だって、物凄く尽くしてると思います。ずっとヒュウガ少佐のこと考えてるし、オレも参謀のために、もっと知恵を絞ります!」 一人勝手に盛り上がり、意欲を燃やして早速行動に移すことを決めたのだった。 「いや、だから、あの人は仕事をしないので、どうやったら仕事するのか考えてるだけで……」 コナツが言い訳をするように呟いていたが、テイトにとっては、それすらも愛情の表現に聞こえるのだ。 後でコナツはヒュウガに、 「テイト君に何を吹き込んだの」 と突っ込まれ、答えることが出来ずに、 「ヒュウガ少佐のせいです」 顔を引きつらせながらごまかした。 そして早々にテイトは自分からアヤナミの所に行き、 「オレはこれから少し仕事をしたあと部屋に帰る予定なので明日のスケジュールを確認しに参りました。他に用はございませんか」 そう申し出た。アヤナミは何も言わず、明日の予定が書かれたファイルを渡すと、 「今日持ち込まれた軍事機密書類の一覧を出して欲しい。用はそれだけだ」 すぐに指示をする。 「分かりました」 少し骨の折れる仕事かもしれないと思ったが、それでいいのだ。アヤナミに褒めて貰うには難易度の高い方が断然認めて貰えるというもの。 「では、出来たらすぐにお持ちします」 テイトが戻ろうとすると、 「それからもう一つ」 アヤナミが呼び止めた。 「はい? あ、お茶をお持ちします!」 アヤナミの顔を見ただけですぐに答えたテイトは、 「気が利かなくてすみません」 素直に謝る。すると、 「それだけ分かれば結構」 アヤナミは満足したように書類に視線を落とした。やはり、心なしか口元が綻んでいたように見える。 (また笑った?) じっと見るわけにもいかず、テイトは急いで参謀長室を後にしたが、もし微笑んでくれたとしたら大成功だと思う。それだけで天にも昇る気持ちになれる。 (単純かもしれないけれど……) アヤナミに喜ばれるなら、何でもしたい。たとえ自己満足と言われても、今自分が学ぶべきことがあるのだとしたら下積みの仕事からだと誓った。 「こんなオレでも、誰かの役に立つことがあるなんて」 戦闘用奴隷だった頃とは比べ物にならない充実感が芽生えていることに改めて喜びを感じている。 その後もせっせと言われたことをこなして再度参謀長室を訪ねて書類を渡すと、 「今日の仕事はこれで終わりだ。戻って良い」 「分かりました」 いつもこの時間になると寂しく感じるようにまでなり、テイトは自分がこんなに仕事が好きだとは意外だと驚くしかなかった。 参謀部に戻ると、まだ残っているメンバーが居て、特にコナツには必ず一言声を掛けるようにしている。 「コナツさん、他にやることありますか?」 コナツは最後の仕上げとばかりに大量の書類を処理していたが、その書類裁きも大したもので、テイトはさすがだと感心しつつ、 「アヤナミ様から与えられたお仕事は終わったの?」 余裕の表情で見つめられると思わず拍手したくなってしまう。 「終わりました。コナツさんもそろそろ終わりですか?」 「うん。テイト君のおかげで凄くはかどったよ。今日も残業なしで帰れる」 コナツの余裕の表情はテイトの頑張りによるものだ。 「やっぱりテイト君は出来る人だよ。君が参謀部に来てくれて良かった」 もう何度も言われている台詞だが、何度言われても嬉しい。 「そうですか。オレ、この二ヶ月間、結構役に立ってましたか?」 「……えと、そうですね、君は事務以外の仕事が多くて、殆ど外に出ていたけれど、テイト君は何でも出来るから」 「えー、それをコナツさんに言われると照れます」 実際、テイトは中に居たわけではなくて、ここ二ヶ月は外での任務が多かったという口裏あわせがされている。二ヶ月間姿を見せなかったのはそのせいだと周りの証言と合わなければテイトが疑問に思ってしまうからだ。 「また明日から頑張ります。では、失礼します!」 テイトがにっこりと笑って自分用のファイルを片手に持つと、小さな躰をくるりと回転させて颯爽と参謀部から出て行った。 「可愛いなぁ」 コナツまでもそんなことを言っている。 「私も明日からまた頑張ろう。さぁ、少佐にキャベツを食べさせなければ。私も負けずに食べよう。キャベツは胃に優しい」 コナツはコナツで、気持ちを切り替えて次の難題に取り掛からなければならないのだった。 テイトは先に一人で食事を摂ってから一度自分の部屋に戻ったが、シュリの話を聞いているうちに明日の予定を頭に入れることが出来なくなり、 「散歩してくる」 と言って部屋を出た。 アヤナミの所に行くつもはなく、ただ頭を冷やしたかっただけだ。テイトは渡されたスケジュールの合間に、他にどんなことをすべきか、些細なことでもいいから自分から動くには何をすればいいのか整理するため、静かな場所で考えたかったのだ。 「ええと、会議と会議の間に時間があるな。でも、オレ、検査もあるし……明日は軽いからいいけど」 細密なスケジュールと自分の予定、体調、他の部署や人との連携……など、組み合わせや順番を考えることに時間を要し、テイトは気が付くと外に出ていて、 「寒いと思ったら……」 などと、一人で当てもなく余り詳しくない場所へ辿り着いたことに驚き、 「ちょっと探検してみるか」 まだ早い時間であるし、普段中々出来ることではないからと、見慣れない場所をぐるりと回ってみることにした。季節的にも寒い時期だが、外の空気はやはり美味しい。 「そういえば、昼間は余り天気よくなかったな」 一日中参謀部内で仕事をしている時には分かりづらいが、確かに今日は太陽が顔を出すことはなかった。 「雨か雪が降るような感じ」 何故か楽しくなって、自由気ままに歩き回ると、案の定ポツリと冷たい粒が顔に当たり始めた。 「やば、雨っていうか雪っていうか、みぞれ!」 慌てて中に入ろうとしても、 「ん? え? あれ?」 来た道を忘れてしまっていたのだった。 午後8時、まだ眠る時間でもなく、たまたま仕事が早く終わっただけで、平和な日、昨夜のことは心にしまっておくと決めて、しかしながら周りにはバレバレだったが、しつこく誰かに言いふらすつもりもなかったし、逆に誰かから問い詰められても適当にごまかすしかないと思い、そうして穏やかに今日という日を締めくくろうとしたのに、最後に降られてしまう。 「でも、雪は何故か好き。たくさん降っても、冷たく濡れたみぞれでも、好き。何でかな。綺麗だから?」 遊んでいる子供のように呟きながらテイトはひたすら入り口を探して走り回る。 「えっと、何処から来たっけ。こっち……じゃない、あ、あのゲートだったか?」 そうやって、やっと元の場所に戻った頃にはテイトはすっかり髪も軍服も濡れて悲惨な状態になっていた。 「まずった」 後悔先に立たず、どうしてこんなことになったのか、急いで戻って着替えなければと思い、次に辿り着いた所は……。 「何だ、その有り様は」 参謀長室だった。 アヤナミがまだ仕事をしているだろうと思ってここに来たのはいいが、来てもアヤナミを驚かせるだけで解決策にはならない。 「……よ、よく分かりま、せん」 説明するのも長くなるし、寒くて躰が冷えて喋ることもままならない。 「来い」 アヤナミはテイトを連れ出し、自分の部屋に向かった。 「お前は一体何をしているのだ」 仕事を終えて帰っていった部下がびしょ濡れで戻ってくるとは何事なのか、アヤナミにも理解出来ない。 「外はみぞれが降っていました!」 「そんなことは分かっている!」 「……すみません」 「説明などしなくてもいい。だが、そんな格好で私の元に来たことを後悔するがいい」 「えっ。参謀怒ってますか? っていうか後悔はさっきしました」 実はまだよく分からない仕組みの要塞を一人で勝手に歩き回るのは無謀だったと理解し、運が悪くみぞれが降ってきたこともあって、外に出たことを悔やんだ。 「そうか、それならば話は早い」 「?」 言われたことが分からないと思ったのも束の間、アヤナミの部屋に入った途端、テイトは軍服のままバスルームに連れて行かれ、靴をあっという間に脱がされた途端、既にお湯を張ってある湯船にそのまま投げ込まれたのだった。 「ぎゃー!!」 いくらなんでも服ごとなんて酷い……と言おうとしたが、 「仕返しですか!」 と叫んでからハッとした。仕返しといってもアヤナミに同じことをした覚えはない。だが、かすかな記憶の底に、残像の隅に、過去に似たようなことをしたかもしれないという自信のない思い出があると知った。しかし、いつ、何処で誰にしたのかは分からないし、それは夢だったのかもしれず、気の迷いだったのかもしれないと心が拒絶する。 「脱げ」 「ええっ」 「早くしろ」 「で、でも軍服めちゃくちゃですよ!?」 「そんなことはどうにでもなる」 「だって、オレの軍服、部屋に行かないとないしっ」 「それもどうにでもなる」 「服がぁ」 「だから脱げと言っている」 「手伝って下さい!」 せめて上着だけでもいい、水を吸った特殊な作りの軍服はかなりの重さになっていて、すべて脱ぎ終えるには手間がかかる。 「脱ぐくらい自分で出来よう」 「それはそうですが、これはもう……」 しどろもどろになっているとアヤナミが近づき手を添えた。 「手の掛かるやつだ」 「それは参謀が意地悪だからです」 アヤナミに向かってそんなことが言えるのはヒュウガのみ。それを新人の分際で当たり前のように言ってのけるとは分不相応、 「こんなことくらいで泣き言か」 「泣いてません」 「ほう。そのくらい強ければ私に抱かれるくらい、事もないか」 「はい。……? !? え?」 テイトの反応が不規則なのは、聞き慣れぬ単語を耳にしたからだ。 「抱かれる……?」 「そうだ」 「あの、それは抱きしめてくれるということですか?」 「……」 「あれですか? こうやって、抱き上げてくれる、こんな感じの」 テイトは姫抱きをする格好をジェスチャーでやってみせたが、アヤナミは一笑に付し、 「その未熟な思考も、その躰も私に抱かれるには余りに不慣れで無垢。だが、お前には知る権利がある。そして知る必要がある」 「えっ」 アヤナミも軍服のまま、湯船に身を乗り出してテイトの腕を引っ張るとグイと顎を掴み、乱暴にくちびるを合わせたのだった。最初から深く押し入り、よく分からぬまま目を開けたままのテイトに有無を言わさずくちづける。 (昨日……とは、少し違う) 何となく感じ取ったテイトは緊張しながらやっと目を閉じ、 (これは好きだ。この行為は嫌いじゃない、もっと沢山してもいい) そう思った。 テイトが全く拒絶をせずにアヤナミに身を委ねていると、 「そうだ、それでいい。だが、この先のことは保証は出来ぬ。……嫌だと言わせるつもりもないがな」 アヤナミは、いつものように強権的な流れを作っていった。 「何ですか?」 何が起きているのか状況が把握出来ずにうろたえるテイトは、次に起こしたアヤナミの行動に今度は大声を上げた。 「さっ、参謀!?」 一度テイトから離れたアヤナミが自ら軍服を脱ぎ捨てていくのを信じられない思いで見つめた。 「えっ、えっ!?」 素肌を晒したアヤナミが余りに美しく、残酷なほど冷たく、まるで闇に呑み込まれるような浮遊感に不確かな感情と、陶酔にも似た悦びが入り混じる。 「覚悟していろと言ったはずだ」 「でも、こんな……オレは……」 ここから始まるのか、ここで終わるのか、二人にとって答えがないことなど始めから分かっていた。何故なら、次の瞬間に二つの躰が密着していて、再び長いくちづけが繰り返されていたからだ。そしてくちづけだけで終わらないことをテイトもうっすらと感じていた。 ”あなたにされて嫌なことなど、何一つない。あなたに関わるすべてのことで、嫌いなものなど何もない” テイトの覚悟は決まっていた。まるでアヤナミの居る所がテイトの世界なのだというように。 今は、もう怖くなくて嬉しくて、ただ好きなだけ求められれば、きっと違う何かが見えて想いが届くはず。さまよい続ける小さな光は闇に消えることなく、そこにある悲しみを包み込む。 「泣かせることになるか」 どうしてもアヤナミの憂いは晴れないまま。それでももうやめることは出来ない。 「大丈夫」 テイトが無意識に呟いた言葉に懐かしい響きが残るのは、胸の痛みを消すための魔法だから。 何も言わずに心の中で燻らせていた想いが一つになって、こうして今日初めて躰を求め合うのは、今までで一番長い夜を過ごすための冠落である。 |